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June 2007

June 24, 2007

ひっぱたきたいのは、「丸山真男」ではなく

 robitaさんの「人生の転換戦争」というエントリーへのコメントを書いていったら長くなってしまったので、またもやこちらに置くことにします。

 僕はバブル時代に大学生だった年代ですが、あの頃、高等遊民なるコトバがありました。もともとは、漱石が作ったコトバで、明治の末から大正の時代に、帝国大学を卒業しても、定職につかず、読書や観劇をして過ごすという若者を意味します。平成バブル期の高等遊民も、まあ同じような意味ですね。本や雑誌を読んで、音楽を聴いて、映画を見て、美術館に行って、それで毎日が満足していた人々であったわけです。少なくとも、今のワーキングプア的な意味はありませんでした。

 80年代の若者たちが、文化的に何を作ったのかということについては、ちょっとここでは触れないことにしまして、今のニートやフリーターがなにをもたらしつつあるかということについては、はっきりと言えます。それは、出口のない閉塞感のようなものです。例えば、30過ぎて、親の家に親と一緒に住んでいて、深夜労働で月収10万であると。それを今後も続けていかなくてはならない。それを選んだわけでも望んだわけでもないのに、それは自己責任だとか、自分の運命は自分で開いていかなくてはならないみたいなことしか言えない今の世の中の論調があります。こういう論調は、80年代にはなかったですね。

 つまり、「ワーキングプアの人が負け組で、そうでない人は勝ち組である。で、今の問題は、このワーキングプアな人々をどうするかということなんだけど、自己責任だからしょうがないよね、他人のせい、社会のせいにしないでね」で話しをオワリにする人が今の世の中は多いわけなんですけど、これ全然、話はオワリにならないですよね。オワリにして、じゃあ、こうした人々はどうしろと言うの、自殺しなさいと言うの、ということになるわけです。弱者は淘汰せよ、というのが今の風潮なんです。

 もう一点は、「ワーキングプアの人が負け組で、そうでない人は勝ち組である」という認識ですね。果たしてそうなんですかと思います。いわゆる勝ち組に属する人々も、本当に今の社会に満足しているんですか、希望があるんですかというと、どうもそうとは思えないわけです。そうであるというのならば、なんで今の日本ってこんなに活力がないんですかと思います。

 ですから、robitaさんが言われる

 「フリーター特有の希望の持てない苦しみゆえの破滅願望」は、「若者特有の破滅願望」とは違うとは思うのですが、それでは、ちゃんと「正社員として働いている若者」が希望に満ち溢れているかといえば、今の世の中どうやらそうでもなさそうだ、というのが私の感想です。」

というのはまったく正しい認識だと思います。

 雑誌『論座』での赤木智弘「「丸山真男」をひっぱたきたい」を、たんなるワカイモンの戦争願望、世界をリセットしたい願望でしか理解することができない人は、ようするに今の世の中を覆う、ある種の閉塞感のようなものを感じない人ですね。ワーキングプアで右傾化した若者が戦争を欲しているというわけではありません。この赤木智弘さんという人が言っているのは、比喩としての戦争です。実際、本気で戦争をやろうと言っているわけではないですね。今のこの状況を破壊したい、変えたい、ということです。行き場のない閉塞感が他者(他者としての「自分」、あるいは「親」や「子」や「女性」や「社会」や「外国」など)への暴力や破壊衝動へと向かうことを意味しています。

 僕がワカイモンだった80年代は、ここまで追い込められることはなかった。少なくとも、あの頃の僕はフリーペーパーに「ナウシカ論」とか「ネパールへ行きます」とかのんきに書いてわけで、「「丸山真男」をひっぱたきたい」のような文章を書く者は、あの時代のワカイモンにはいなかったと思います。経済構造が根本的に変わったんですね。それほど、今の時代はひっ迫しています。そして今の時代ほど「働く」ということがどういうことなのかを問われる時代はないと思います。「働く」あるいは「働かない」ということの意味と意義を考えるべき時にきたのだと思います。

 勝ち組も負け組もありません。今の日本全部が、根本的に問題を抱えているのです。この社会は、自由であるようで、結果的にある型の生き方を人に強制します。それはまあ、しかたがないのかもしれません。もうワカイモンではなくなった僕には、それはよくわかります。しかしなにが問題なのかというと、今の世の中は、その強制に従わない者を自己責任であるとして排除するということです。そこに寛容や許容や他者への想像力がまったくありません。寛容や許容や他者への想像力がないところに自由はありません。

 経済が低成長になったから、そんなゆとりはなくなったのだというわけではありません。マスコミで報道されているように、景気好調は戦後最長に達しているんです。問題なのは、今の時代の経済成長は非正規雇用の低賃金労働や格差社会の上に成り立っているということが問題なのです。元々、日本の戦後の経済成長とは、こうしたものではありませんでした。「みんな豊かになろう」というのが、戦後の経済成長であったわけです。ところが、いつのまにか「みんな豊かになろう」成長ができなくなってしまったわけです。この「みんな豊かになろう」成長ができなくなった時、「みんな豊かになる」という目標を安易に投げ捨てて、「みんな豊かになる」ことはできなくなっちゃったんだから、しょうがないねというわけで、「一部だけが豊かになる」成長に変わってしまったんです。自己責任とか、個人の努力だとか、甘えだとか言って、結果的に産業社会の論理だけが優先される世の中になっていったのです。人は、どんどん自由を失っていっているのです。

 ちなみに、こういうことを書くと、個人の努力で結果が出るのは当然でしょう、努力しないのは甘えでしかないみたいな意見が出てくると思います。個人の努力でどうとでもなる人々は、努力をしなかったんだから、それは自己責任であることは当然のことです。しかしながら、今のワカイモンが置かれている状況は、ワカイモンのみんながみんな個人の努力でどうとでもなるという状況ではありません。そうしたワカイモンの存在を、個人の努力云々と言う人々はなぜか見ようとしません。個人の努力云々のレベル以前の、社会の構造的な問題があることが理解できない人なのでしょう。

 「若者が切望する血沸き肉躍る体験を用意してあげる」ことが必要なのではありません。働きたいというワカイモンに、まっとうな仕事と待遇を選択できるようにするということ、まっとうな給与を支払うということが必要なだけなのです。贅沢な暮らしがしたいわけではありません。フツーの会社に働く、フツーのお父さんの給料(お母さんは共働きはしません)で、例えば子供二人が大学まで行けますという給与と物価の世の中であって欲しいだけなんです。コレだけなんです。コレだけのことができる政治であって欲しいだけなんです。これがなぜできないのか。「「丸山真男」をひっぱたきたい」は、ようするに、ココから考える必要があることを述べているのだと思います。作者がひっぱたきたいのは、「丸山真男」ではなく、今のこの国の歪んだ現状なのです。

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June 14, 2007

おまかせ文化

 robitaさんの「国民はバカか?」というエントリーへのコメントを書いていったら長くなってしまったので、こちらに書くことにします。

 確かに、国民の政治意識が高いアメリカ人やヨーロッパ人から見れば、日本人はバカに見えると思います。これはもうしょうがありません。これはこれで、確かにそうなのですからしょうがありません。日本人はバカなんでしょう。しかしながら、日本では国民一人一人が政治に参加するアメリカやヨーロッパの社会とも、また同じアジアでも中国や韓国とも違う社会なんだと思います。

 では、日本はどうなのかというと、僕は「おまかせ社会」ではないかと考えています。

 食堂のメニューで、定食というものがありますね。あれです。おまかせ、なんです。いちいち、細かく言わないんです。その道のプロ、職人さんを信頼している、というわけです。政治も同じです。「東大を出て、官庁に勤めています」これだけで、もう信頼しちゃうんですね。で、ああ、東大を出て、官庁に勤めているのならば、さぞや優秀なんだろう、それならば、間違えることもあるまい、と思っちゃうわけです。これはこれで、いろいろ問題はありますが、まあ、この国ではそういうもんなので、しかたありません。

 これは昔からそうなんです。日本人には秀才信仰みたいなものがあって、これは戦前も同じです。第一高等学校を出て東京帝大を出ましたとか、士官学校を出て陸軍大学、兵学校を出て海軍大学を首席で出ました、で、信頼して、まかせちゃうんです。政治家もそうですね。代議士の先生方にまかせる、国民がアレコレ細かく言わない。立派な人なんだろうから、まあ、そうそう自分たちの悪いようにはしないだろうと信頼する、だからそうしたエライ人を尊敬する。感謝する。これが日本の伝統的な庶民感情です。

 この信頼が、欧米人から見ればバカに見えます。支配者の圧政と戦ってきた中国や韓国の人から見てもバカに見えるでしょう。なんで、信頼するの?信頼するのではなく、彼らは我々が少しでも目を離すと、すぐ自分の私利私欲に走るのだから、しっかりきちんと国民が監視しなくちゃだめではないの、と思うわけです。

 ここです。つまり、日本人は、エライ人というか、人の上に立つ人とは、自分の栄耀栄華や私利私欲に走ることなく、お国のため、公のためにつくすものであると思っているのです。だから、エライ人を信頼して、まかせるわけです。では、なぜ、エライ人というのは、そういうもんなのかと思うのか。これは、栄耀栄華や私利私欲に走ってもむなしいじゃあないの、そんなものは儚いものなのだと感じるからではないかと思います。平家物語の祇園精舎の鐘の音ですね。日本人の歴史的な伝統的美意識というのはそういうものなんです。貧しいということを、誇りに思うというか。私財を増やすことは恥ずかしいと思うというか。それでいて、芸事や技術には非常にこだわるところが、この国の人々にはあります。一芸に秀でた職人を高く評価しますね。そして、公のために、私利私欲がなく働く人を尊ぶ気風がありました。「立って半畳寝て一畳」という言葉があります。人間、所詮はそういうもんなんだという達観みたいなものが、日本人の民族性にはあるような気がします。この気風は、欧米にも、あるいは同じアジアの国の中国にも韓国にも、ちょっと見られません。つくづく、日本人というのは変わった民族です。

 ここが今、社会の変動で大きく変わり始めています。庶民がいくら「人の上に立つ人とは、栄耀栄華や私利私欲に走ることなく、お国のため、公のためにつくすものである」と思っていても、その「人の上に立つ人」側はそうではなかったりしているわけですね。ここが今、混乱しているんです。

 国民は、外国人から見ればバカに見えますけど、本心では「おまかせ」にしたいんです。政治家や官僚が本来のやるべきことをしっかりやってくれれば、国民はそれでいいんです。その方が、国民もラクと言えばラクですし。おサムライさんさえしっかりしていれば、庶民は気楽に暮していけるというのが日本なんです。ところが、政治家や官僚が「本来のやるべきこと」をしっかりやっていないので混乱しているのです。

 で、じゃあ、さあ国民としてはどうしたらいいのか。欧米のように国民が政治への関心を高めて国を変えようとするのか、というとそうではなくて、やっぱり「おまかせ」なんです。「おまかせ」ができそうな政治家が出現してくれるのを待って、それを支持しようとしているのだと思います。

 これは、日本人はバカなのだからかもしれません。しかしながら、日本人は、かつて自分たちが持っていた価値観を捨てたくないのだと思います。もし、国民が「おまかせ」をしない、自分たちでやっていく、というようになるのならば、それは為政者への信頼感をなくすということです。しかし、国民は信じたいのです。「おまかせ」にしたいのです。

 明治の初期の頃は、この価値観を為政者も国民も、みんなが持っていたと思います。まあ、実際ところは色々ありましたけど。シバリョー的な「明治は良かった」感からすると、あの時代が過ぎた今、振り返ると全体としては、やっぱり良かった時代だったと思います。国民は政治家とエリートである官僚に国政を託し、政治家や官僚たちは国民の信頼に全力で応えようとしました。というか、この時代は、そうでなかったらとても日本国が成り立たなかったわけです。日本は、できたばかりの、小さな町工場のような国でしたので。

 平成の日本は、とても「小さな町工場のような国」じゃあありません。世界の経済大国日本です。しかし、気分的には、日本人は小さな町工場のような国だった頃の気風を、ちょっとでもいいから取り戻すということが必要なのでしょう。政治はエライ人に「おまかせ」、で、いいと思います。今、必要な為政者は、その期待と信頼に応える人であるということです。そうした人がいる日本であるのならば、日本人はバカと言われても全然へっちゃらですよ。

 しかし、じゃあ、そうした、庶民の期待と信頼に応える人がいるのか、今後現れるのかというと、惨憺たる気分になってはきます。次の時代を託すに足る人々を作る、人を育てるということをしてこなかったのが、戦後日本の最大の誤りなのでしょう。政治は「おまかせ」にしたいのが国民感情です。しかし、それではどうやら、やっていけなくなってきたようだと、たんだん思い始めてきた。そうした状態なのでしょう。

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June 02, 2007

アル・ゴア 書斎にて

 先週のTIMEのアル・ゴア特集の紙面に、ゴアの書斎でのスナップ写真があった。

 30インチのApple Cinema HDディスプレー3台の前にゴアが座っている。
 これは、なんかすごい!!そーか、30インチディスプレイをマルチでつなげるという手もあったのか。
座っている椅子も、なんか人間工学に基づきましたみたいな椅子だし。

 最近、痛烈なブッシュ政権批判とこれからのアメリカ社会のビジョンを打ち出した新著を出版したアル・ゴア。大統領選挙にでそうな雰囲気である。

 どこぞの人々がまた「3台もディスプレイを使ってケシカラン。消費電力を考えろ。」とか言い出すんじゃあないだろうなあ。

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