シナリオ通りに進む日米関係
日米関係は、今大きく変わりつつある。安部総理の訪米のアメリカのメディアは概ね歓迎ムードであった。このへん、訪米前のムードとは対照的であるが、アメリカにおいて慰安婦問題が解決したから沈静化したというわけではないので、あの騒ぎはなんであったのかという感じである。
そうしたメディアの中で、ニューヨーク・タイムズのオオニシ記者は4月26日の記事の中でこう書いている。
'Mr. Abe is expected to make a low-key visit, staying just one night in Washington and limiting his exposure to potentially uncomfortable questions about his views on Japan's conduct during World War II."
(ミスターアベは、1日だけワシントン滞在であり、第二次世界大戦での日本の行為についての彼の見解への不機嫌な質問にさらされないように制限した控えめな訪問になるであろう。)
実際のところ、その通りであった。会談は、4時間程度であったという。安倍総理の訪米は、なにかを決める会見ではなく、ただの顔見せ程度のものであった。ただし、これはオオニシ記者が書いているような従軍慰安婦問題があるからどうこうということではない。
実際の内容は、安倍総理の訪米前に来日したアーミテージ元米国務副長官との間で打ち合わせができていたと思うのが妥当であろう。アーミテージは、北朝鮮問題について、あくまでも拉致問題を求める日本と、北朝鮮問題を解決する気はまったくない、むしろ対北朝鮮政策で融和路線に転じたアメリカ政府との間に対立がでないように、安倍総理に訪米で北朝鮮への強硬路線をアメリカに求めることをしないように「指導」したと思われる。
ここで強調しておきたいのは、政治の分野でいう日米関係とは、日本とアメリカの「全般的な国際関係」というものではない。日米関係とは、日米安保条約を中心とした日米の軍事同盟関係のことなのである。それ以外のいかなるものではない。もちろん、日米間には軍事関係以外の関係がそれこそ無数にある。それはそれであるのであって、少なくとも国政の場で言う日米関係とはまず軍事的な関係を意味している。将来的には、日米自由貿易協定も含むであろう。
つまり、カンタンに言ってしまうと、安倍総理がアメリカ大統領の山荘で何を会話したのかということはどうでもよくて、アーミテージが何を考えているのかが重要なのである。その意味で、アーミテージとナイ元国防次官補、そしてグリーン前国家安全保障会議アジア上級部長らが作成した「アーミテージ・ナイ・レポート2007」の方が重要だ。
日米関係とは、日本国の総理大臣とアメリカの合衆国大統領が話しあって物事を決めて、そしてお互いの国が進めていくというのものではない。アーミテージとかマイケル・グリーンなどがまず物事を考え、次に彼らが日本に来て、自民党や民主党に根回しをし、その決定事項に従って日本国の総理大臣が進めていく、というものなのである。
2000年の「アーミテージ・ナイ・レポート2000」と今年2月に出た「アーミテージ・ナイ・レポート2007」によれば、ポスト冷戦と中国の台頭を踏まえ、これからの東アジアの安定は、中国をその安定要因に組み入れることが可能になるかどうかにかかっている。そのために、日本はこれまでのような対米完全依存ではなく、日米同盟を基軸としながら、東アジアの安定のために周辺諸国と関わっていくことが求められている。米韓同盟が大きく後退しつつある今、従来以上に、アメリカにとって東アジアにおける日本の存在は重要なのである。そのためにも、日本の集団的自衛権に基づく軍事行動の自由化は不可欠である。自衛隊を強化し、東アジアにおけるアメリカの作戦行動の前方にも自衛隊が参加することが必要である。そのため、憲法に縛られることがあってはならない。
つまりは、改憲がもっかの課題になる。改憲するためには、どうしたらいいのか。国民投票が行われなくてはならない。よって、4月13日に衆議院本会議で国民投票法案が可決されたのである。4月25日には、集団的自衛権の解釈変更を検討する有識者会議なるものが設置された。そして、安倍総理はアメリカへ行ったのだ。
つまりは、安倍総理は、憲法改正に向けて日本は着実に進んでいますと報告に行ったようなものであり、だからこそ、キャンプ・デービットの山荘で数時間だけ会話して、それでオワリでよかったのだ。アメリカのメディアでも概ね(NYTのオオニシ記者を除く)歓迎ムードだったのである。
安部総理の訪米での慰安婦問題への謝罪について、韓国の「朝鮮日報」紙は、社説「頭がおかしい安倍首相、話にならないブッシュ大統領」と題する一文の中で、安部総理がブッシュ大統領に慰安婦への謝罪を述べ、それをブッシュ大統領が受け入れるというのはおかしな姿ではないかと書いている。朝日新聞も、同様のことを社説に書いていた。これはまったくその通りである。
この問題は本来、日韓の問題であって、アメリカの大統領や議員に謝罪するスジはどこにもない。ないのであるが、おそらく、これでアメリカのメディアは、この問題について騒ぐことはなくなるのではないか。中国が、この問題を大きくすることは望まないようであることは「その手には乗らない中国」で書いた通りである。そして、アメリカのメディアが沈静化したことを見ると、今月のアメリカ議会での従軍慰安婦問題議決案の審議の結果がどうなろうと、さほど大きな問題にはならないのではないだろうかと思う。つまり、今後、従軍慰安婦をひたすら問題視するのは、韓国といわゆる反日メディアだけになるということなのである。もし、アメリカのメディアが、安倍総理の訪米での謝罪で手打ちになるのならば、困るのは韓国と反日メディアなのだ。ただし、日韓関係で言えば、こうしたことでこの問題はさらに深くなる。これはあるべき解決でも、なんでもない。
大ざっぱに言えば、アーミテージやマイケル・グリーンらのシナリオ通りに進んでいるのが、もっかの日本なのである。「アーミテージ・ナイ・レポート」は、日米双方の国益に基づき作られている。国益になるのならば、それでいいじゃんという意見もあるかもしれない。しかしながら、その日本の国益とは、アメリカから見た一方的な「日本の国益」であって、日本人自身が自分で選択した国益ではない。結果的に、一国の主権国家が、他国の意志に従って動いている。ここに、戦後半世紀間の日米関係のいびつさがある。安倍総理の今回も訪米も、そのいびつさの中にある。この日米関係のいびつさを、日本人以上に強く感じているのが、同じアジアの国である中国と韓国であろう。
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戦後半世紀の日米関係のいびつさについては、先のTB記事にあるAEIのダン・ブルメンソールの論文の結論を参照すれば良いのでは?
ドイツにはEUとNATOがありましたが、日本にはなし。やっと今頃になってオーストラリアやインドを含めたアジア太平洋同盟に日本が入ろうという有様です。
Posted by: 舎 亜歴 | May 03, 2007 09:01 PM
舎さん、
日本とオーストラリアの「安全保障共同宣言」を作ったのはチェイニー副大統領ですよ。かようなまで、日本はアメリカの画策の通りに動いています。アメリカ、日本、オーストラリアで中国に対しようということでしょう。それはそれでいいいのですが。こうしたアメリカの思惑を理解し、日本は日本人の手で独自の対応を考える。これは100年前の明治の脱亜入欧とは違います。
未だ誰も見たことがないアジアが今、目の前に広がっているのです。その中でどうするのか。これは過去のいかなる時代にもお手本はありません。
Posted by: 真魚 | May 04, 2007 12:35 AM
アジア民主主義同盟を初めに言い出したのはアメリカ側です。首脳会談で熱心だったのは安倍首相の方だったようです。
日本人が独自に考えることは賛成ですが、このところの保守派政治家の発言ではアメリカ人に任せた方が日本の行く末を安心していられると感じてしまいます。もちろん、これは好ましいことではありません。最近の保守派が高らかに謳い上げる日本人の伝統的価値観とは一体何なのでしょうか?少なくとも、近代国家としての国家統治と人権保護について規定する憲法には不要です。
ところで、TB記事の青字部分のブルメンソールの結論をどう思いますか?日本の積極的な役割を歓迎しながらも、アメリカが日本の保守派に若干の警戒を抱いているのでは?
ところで中国と韓国がどのように考えているか?それなら、両国のメディアや専門家の意見などを参照するのが最善です。先のTB記事では韓国の中央日報だけしか取り上げていませんが、日本語でも英語でもそうした情報源は多いはずです。
Posted by: 舎 亜歴 | May 04, 2007 10:40 PM
舎さん、
「このところの保守派政治家の発言ではアメリカ人に任せた方が日本の行く末を安心していられると感じてしまいます」というのは、まあ、岡崎久彦あたりは本心からそう思っているでしょう。しかし、だから小林よしのりから親米ポチと呼ばれるのです。ブレアもそうでした。
このへんもねじれですね。吉田ドクトリンとは、本来、アメリカができることはアメリカが行い、日本ができることは日本がやるということだったと思います。これは対米従属ではありません。あの時代では、あれがギリギリの線だったのでしょう。戦後半世紀たって、そのことを忘れたというか、誰も教えないからわからなくなったのだと思います。
なぜ21世紀の今になっても、日本というと、天皇とか桜とか日の丸とか富士山とかになるのか。もちろん、それらが間違っているわけではありません。しかし、それらしかないのが問題なのです。それらのイメージは明治日本によって作られたものです。戦後日本のナショナル・アイデンティティのイメージが、明治以来とさほど変わっていないのはなぜなのかを問う必要があります。これについては、戦後の知識人のマルクス主義の影響が大きかったと思います。戦後日本は、新生日本を自由と民主主義というイメージでしか描くことができず、それ以前の日本を悪としました。この反動が今起きているのです。
縄文時代やそれ以前の石器時代、さらにはアジア大陸や太平洋の島々から日本列島に渡ってきた頃の時代から、現代に至る長い道のりの中で日本と日本人を捉えるということ、大和朝廷による先住民族の支配なども、その中の出来事として相対化して見る視点で日本のナショナル・アイデンティティを考える研究というのは、最近始まったばかりです。ここに未来の希望があると思います。
日本がオーストラリア、インドと民主主義国同盟を結ぶと、中国・韓国は日本の軍事膨張への懸念がなくなるかについては、そうした懸念がなくなることありません。
そもそも、日本に軍事膨張の危険性があるという懸念は、まったくの事実無根です。しかしながら、事実無根であることを、そう懸念しているというのは、客観的、合理的な国際関係論的観点に基づいて、そう懸念しているわけではないということです。従って、日本がどこと同盟を結ぼうとも、仮に日本が平和憲法ですといって自衛隊すらなくすことになっても、彼らの懸念はなくならないでしょう。ようするに、彼らの民衆感情としては、リーベンもしくはイルボンは信用できないということなのです(若い世代はそうではありませんが)。それほど、日本、中国、朝鮮(韓国及び北朝鮮)という、この東アジアの3国の間の関係はややこしいのです。AEIのような、イラク民主化はカンタンだみたいなことを言っていたシンクタンクにはわからないのではないしょうか。
どうも、中国と韓国の良い論説というのは、やはり中国語、韓国語でしか出てないですね。当然のことかもしれませんが。ソウル新聞も日本語版か英語版を出してくれればいいのですが。
Posted by: 真魚 | May 06, 2007 01:12 PM