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December 2006

December 31, 2006

硫黄島二部作を見る

 クリント・イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』について、以下、感想のようなものを述べてみたい。

 『父親たちの星条旗』(以下、映画「父親たち」と略す)と『硫黄島からの手紙』(以下、映画「硫黄島」と略す)の二つの映画で、日本では当然の如く映画「硫黄島」の方が話題になっているが、問いかけるものの意味では圧倒的に映画「父親たち」の方が大きかった。この硫黄島二部作は日米双方の視点で描いていると言われているが、双方とも監督をしているのがイーストウッドであって、どちらもイーストウッドの視点である。しかも、イーストウッドの視点は、この二つの映画はおのおの違っている。一言で言ってしまうと、映画「父親たち」が問いかけるものは、国家と国家に翻弄されざる得ない(国民というか)兵士たちの姿であった。

 映画「父親たち」の全編に貫いているのは、正直であり公平であるということだと思う。イーストウッドは、徹底的にフェアな人なのだ。国の名のもとで、硫黄島の戦場で地獄のような体験をして、たまたま、すり鉢山に星条旗を(しかも、ふたつめの星条旗を)掲げたということで帰国することができた3人の若者に待っていたものは、ここでも国の名のもとで「英雄」を演じなくてはならないということであった。これがいかに国の欺瞞であり、演じざる得なかった若者にたちに精神的に苦痛を与えるものであったかということをこの映画を見る人々に伝えている。愛国心は大切だみたいなことを言っている政治家たち(その最たる人が現在ホワイトハウスにいる)や、9.11以後のアメリカで大きな政治勢力を持つ共和党支持の保守の人々は、この作品を好きにはなれないであろう。

 特に、3人の若者たちの一人がネイティブ・アメリカンの出身であったということが、さらにこの作品の公平さを物語っている。「英雄」として祭り上げながらも、ホンネではインディアンを差別していたという事実をイーストウッドはストレートに伝える。これなども、保守の人々は苦々しく思うであろう。

 ただし、である。イーストウッドは、左翼やリベラルのような、だから国は間違っていた、国なんてものは、こんなものなのだと騒ぐことはしない。映画「父親たち」はラストの方で、なぜ父は戦争のことを何も語らずに、その生涯を終えたのかという息子の疑問を追っていく物語であったことがわかるが、ようするに、父親たちというのは、国のやることは欺瞞でばかばかしい限りなのであるが、その思いを声高に語ることなく、自分の胸にだけに置いて、黙って生涯を生きてきたということなのだろう。

 ここで『ダーティハリー2』のワンシーンを思い出す。この映画は、法律で裁くことができない悪を、自分たちの力で裁くという考え方をもった警察内部のとあるグループとハリー・キャラハン刑事が戦う話なのだが、この話の中で、ハリーは、このグループのリーダーから自分たちの仲間に入らないかと言われた時、ハリーはその申し出を拒否し、確かこう答えていたと思う「どんなに腐った法でも、法は法だ。法は守らなくてはならない」と。(今のアメリカ政治の文脈で考えると、この警察内部の急進派グループはネオコンだなと思う。イーストウッドはイラク戦争に反対していたのも、そうした理由からなのであろうと思う。まだらっこしいからと言って国際法を無視するのならば、秩序はなくなるのである。)

 では、イーストウッドは左翼でリベラルなのだろうか。イーストウッドの政治思想の立場は、共和党である。しかし、共和党であっても、共和党の保守主義の本流とは別のリバータリアンである。リバータリアンとは、徹底的な個人主義であり、国家などというものは必要最小限度あればいいとする。では、保守主義かというと、保守のような共同体や伝統に価値を置く考え方はしない。では、リベラルかというと、リベラルは個人の自由を自由権のような形で政府が保証するというように考えるが、リバータリアンは政府が認めるということすら不要であると考える。いわば、リバータリアンとは、大西部の荒野で自分と自分の家族を守って生きていく、開拓農民のような思想である。

 映画「硫黄島」は、そうしたイーストウッドの視点で日本を見たものであった。この作品が伝えるものは、敵である日本人もまた我々と同じ人間なのであるということである。国家がいう「英雄」とは、国民に戦時国債を買わせるための宣伝であったということと同様に、あの戦争の時代、国家がジャップは悪逆非道の猿であると言っていたことは、戦争のためのプロパガンダであったということである。このことはつまり、硫黄島から広島へ視点を移せば、こうしたまっとうな、普通の人間たちの頭上に、我々は原爆を落としたのだということになる。もちろん、イーストウッドはここまでは言っていない。しかし、そういうことになる。そういうことになることを、イーストウッドはわかっていると思う。硫黄島での日本軍のすさまじい戦闘を体験したアメリカ軍が、日本本土上陸の前に、自分たちの犠牲を少なくさせるために広島と長崎に原爆を落としたというよくある原爆投下正当化の理由は自分勝手な理屈にすぎないことを、イーストウッドは(リベラルのように)(笑)百万遍の言葉を費やすのではなく、1本の映画を作ったのだと考えたい。

 と同時に、これは、今のアメリカがイラクでなにをしてきたのか、そして、今なにをしているのかということにつながる。イスラムをあたかも60年前のジャップのように悪逆非道のテロリストのように仕立て上げ、イラクと戦うことが正しいかのように政府は言ってきたが、みなそれは政府に都合がいいプロパガンダなのだということだ。

 以上、アメリカの文脈で見た、アメリカ映画である「父親たち」と「硫黄島」についてである。自分がアメリカ人ならば、このふたつの映画をこう見るというものである。では、日本の文脈で映画「硫黄島」について考えてみたい。日本人である自分は、この映画をどう考えるか。

 細かい点で事実と違うということについて。例えば、夜中に国旗の掲揚などしないとか、ライフルなんて言葉は使わないとか、陸軍が「撃てー!」とは言わないとか、いろいろあるようであるが、そうした細かいことは映画なんだから、ということで。映画「硫黄島」を映画館の中で見ながら思ったのは、なんかこー、話がのっぺりとしているというか。見てる側としては、最後は全滅するということはわかっているわけで、その全滅に向かって物語がフラットに進んでいくみたいな話の進み方になっているなと思った。

 もちろん、映画として良くなかったわけではない。ただ、ドラマとしての構造があったのかというとなかったと思う。なぜこうなったのかというと、イーストウッドの視点が敵の側もまた人間であったということにあって、玉砕することが決定していた硫黄島に2万人の兵士を置くという当時の日本国家のばかばかしさを伝えるものではなかったからだと思う。しかし、栗林中将が硫黄島から大本営に宛てた訣別電報の中で「散るぞ悲しき」と記したのはまさにそのことであって、いわば、映画「父親たち」の3人の若者のように、栗林中将も国家に翻弄された人であった。そのことが、映画「硫黄島」からはあまり感じれなかった。渡辺謙が演じる映画「硫黄島」の栗林中将は、『ラストサムライ』の勝元のような優秀な指揮官であり、在米体験もある異色の軍人であったということしかわからなかった。むろん、アメリカ人であるイーストウッドのアメリカ映画である映画「硫黄島」に、そこまで求めるのは無理があるのかもしれないが。

 僕が上記のことに気がついたのは、映画「硫黄島」を見た後で、梯久美子著『散るぞ悲しき』(新潮社)を読んでからである。渡辺謙も、撮影中にこの本を読んでいたという。

 以下、この本に従いつつ、映画「硫黄島」では触れることがなかった3つの点について考えてみたい。

 第1点は、硫黄島での戦闘の異常性(というか、太平洋戦争において、島々でのほとんどの戦闘はみな異常であった)をもっと掘り下げてほしかった。

 通常、戦闘での軍の作戦とは、勝つことを目的とする。勝つためには、なにをどうすると考えるのが作戦である。勝つためには、どのような兵器がどれくらい必要である、弾薬がどのくらい必要である、食料はどのくらい必要である、と考えていく。しかしながら、太平洋戦争における日本軍の異常さとは、その末期において、もはや勝つことを目的としていなかったということである。なぜ、勝つことを目的としないのか。勝てないからである。勝てないのならば、もう戦争などやるべきではない、すぐに戦争はやめよう、と考えるのが古今東西の常識なのであるが、昭和の日本軍はそうは考えなかった。負ければ、民族が滅亡するとでも思っていたのであろうか。

 何度も繰り返すが、補給もなく援護もなく、洋上の上の小さな島に2万人の兵士を置いて、それでなにをどうしろというのであろうか。これはもう軍隊の行う戦争ではなく、では一体なんであるのかというと、よくわからない。栗林中将を硫黄島の総指揮官に任命したのは、当時首相の東條英機である。東條は栗林に「アッツ島のようにやってくれ」と言ったという。アッツ島とは、栗林中将が硫黄島に赴任する前年の昭和18年5月に、日本軍が玉砕して全滅したアリューシャン列島の中のひとつの島である。ようするに、死ねということなのであろう。

 結局、死ぬということが決定づけされている場所に2万人もの人々を置くというのは、一体どういうことなのか。合理主義者である栗林が直面したのは、そのことだったと思う。ようするに、華々しく戦って潔く散る。お国のために戦いました、という話になればいいということで、人の命を軽々しく扱う、その精神とは一体なんなのか。アメリカで教育を受けた人間は、そうしたものを一番嫌う。それを自分もまた2万の兵士に命じなければならない、ということの苦悩はものすごいものがあったと思う。栗林中将が家族に書いた手紙は、実にこまかく愛情に満ちたものであったが、それはこの苦悩の中で、少しでも人間であり続けたいとしたことではなかったのだろうか。そうしたことが、映画「硫黄島」で出てくれていたらと思う。

 2点目は、栗林は家族へ手紙を書いていたこととは別に、戦闘の状況を電報で大本営に送っている。彼の戦況報告は極めて客観的であり、正確なものであったという。その最後の電報で、通常は大本営作戦部に送る戦訓電報であるが、蓮沼侍従武官長宛てに送ったものがある。侍従武官とは、陸海軍の軍人で天皇のそばで仕える職務である。蓮沼は栗林の陸大時代の兵学教官であったという。この電報の中で、栗林は痛烈に大本営を批判している。アメリカ軍の上陸に対して、従来の作戦の方針は水際陣地を構築し、海岸で敵を迎え撃つものであったが、栗林はこれを後退配備で敵を迎える戦法に切り替えた。ところが大本営は、後方陣地を作るのは良しとしても、水際陣地も作れと命じてきたのである。このために、中途半端な防備態勢になってしまった。そもそも作戦とは、コレコレはコレであると決まったら、そのコレにあらゆる兵力を100%そそぎこむべきものなのである。敵に制空権、制海権をとられている以上、敵の上陸を阻止することは不可能であるが故に、後方に陣地を構築し、そこで敵を迎え撃つとした。それを、どちらつかずの曖昧な方針にしてしまったため主陣地が不徹底なものになってしまった。この件に限らず、太平洋戦争全体にわたって、大本営の作戦はあいまいな内容のものが多かった。

 もうひとつ栗林が批判したのは、日本軍にはもはや使用できる飛行機がないにもかかわらず、大本営は飛行場の拡張工事を命じていたということである。当初は、硫黄島守備の目的は飛行場の整備拡張であった。しかし、もはや島を少しでも長く死守することが目的となった以上、飛行場の拡張に人員を割くのは理解に苦しむというわけである。この二つの批判点は、いずれも海軍が従来の方針に固執したためであった。栗林は陸軍中将であり、硫黄島では、栗林の指揮下に海軍は属していたが、海軍には海軍のやり方があり、栗林の方針が徹底できなかった。この陸軍と海軍の確執は陣地構築から始まり、アメリカ軍上陸後の戦闘に至るまで続くものであった。映画「硫黄島」では、この陸海軍の不和が少し出ていたが、すぐに中村獅童が演じる陸軍中佐に話しがいってしまい、組織的な問題があったことが説明できていなかったと思う。ちなみに、この陸海軍の間の確執は、日本軍の組織的欠陥であり、帝国陸海軍が終わるまでなくなることはなかった。さらに言えば、アメリカ軍は、戦争になると組織を改善し、この点を実にうまく解決していた。栗林は、陸軍と海軍の縄張り主義をなくし、指揮系統を一元化することが必要であることを、この最後の電報で記している。それを可能にできるのは、天皇しかいない。だからこそ、陸大時代の恩師であり、今は天皇のそばにいる蓮沼侍従武官長に伝えたかったのであろう。

 そして、この最後の電報の締めくくりを、巨大な国力の差がありながら、戦術も対策もなにもせず、その場限りのことを繰り返すだけだと戦争指導者を批判している。これこそ、硫黄島で死んでいく2万人の兵士の声なき声であろう。

 この電報については、映画で触れられていない。映画「硫黄島」では、日本人の敗者の美学が前面に出され、ドラマとしての栗林の精神的内面への掘り下げが甘い。何度も繰り返すが、アメリカの映画に、そこまで求めるのは無理があるのであろう。ただ、渡辺謙が演じる栗林が「天皇陛下万歳」と言う時のうつむいた顔の表情に、渡辺謙はあるいはそのことを込めていたのかなと思うのは思いすぎであろうか。

 3点目として、東京への爆撃が始まったことである。大本営から死ぬことが決定づけられている戦闘で、それでもなお栗林が見出した戦う意義とは、1日でもこの島を死守すれば、それだけ本土への攻撃が遅れるということであった。彼は、やがて東京に空襲があることを予期していた。アメリカ軍の上陸後、すぐにすり鉢山が占拠され、栗林たちは当初の計画通り、塹壕に身を隠し、壮絶なゲリラ戦を展開する。安易に死を選ぶことなく、最後まで戦う意味とは、愛する家族が住む本土への攻撃を1日でも遅らせることが、自分と2万人の兵士たちの死の意味であると考えていた。しかしながら、3月9日、グアム、サイパン、テニアンから飛び立ったB29の編隊は翌10日、東京を無差別爆撃する。東京大空襲である。このことを栗林は、無線機で知る。恐れていた本土への攻撃が始まってしまった。この時、彼は何を思ったであろうか。

 映画「硫黄島」で、以上の触れられていない3点を軸にしてくれたのなら、栗林中将の内面の葛藤を表すことができて、のっぺりとしたストーリー展開にならなかったと思う。渡辺謙ならそれを見事に演じたであろう。今回でも、十分見事に演じている。

 最後の出撃の前に、栗林はこう訓示する。

「いま日本は戦いに敗れたりと言えども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功を讃え、諸君の霊に対し、涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。」

 通常、戦場での日本軍の総指揮官の最後は、陣の後方での切腹である。しかしながら、栗林中将は兵士のように自ら突撃をし、戦場でその生涯を終える。その遺骨は、今だ発見されていない。


 祖国はその後、硫黄島を振り返ることはなかった。
 60年の年月が過ぎ、硫黄島で死んでいった者たちの手紙を拾い上げたのはアメリカ人の映画監督であった。

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December 29, 2006

「9.11」をどう考えるか

 サイト"分解 『911 ボーイングを捜せ』"「リンク・参考文献」「掲示板、ML等の論議」から、ここにアクセスしてくる方々もいるようなので、再度、ここで明確にしておきたい。

(1)私は「9.11」がアメリカ政府の陰謀ないしは自作自演であったとは考えていない。
---->そのことはエントリー記事に書いている。

(2)政府の情報機関は、同時多発テロの可能性を察知していた。
---->2001年7月10日、アメリカ本土でのアルカイダのテロ活動の可能性があることを、CIA長官テネットが国家安全保障担当大統領補佐官コンドリーザ・ライスに報告していることを、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワードが『State of Denial』で書いている。さらに、テネットはラムズフェルド国防長官とアッシュクロフトFBI長官にもそのことを伝えたことが報道されている。

(3)ユナイテッド航空93便の墜落事件について、未だ明らかになっていない部分がある。それらの部分は、しかるべき政府機関がしかるべき情報を提示すれば明らかになるものもある。しかしながら、それらの情報が公開されていない。この現状をもって、ユナイテッド航空93便の墜落事件に不明な点はまったく存在しないとは主張できない。

 上記の3点から、私はいわゆるLIHOPに近いが、LIHOPの言う、政府は知っていてテロをやらせたという見方を私はしない。ブッシュ政権は「9.11」の後、これをイラク戦争に利用したのであって、事前からそうすることを計画していたとは考え難い。従って、こちらのウェブの言う「(真魚氏は)LIHOPに近い反陰謀説の立場」というのは正しい。

 こちらのウェブが言う「(真魚氏のような人々が)一番始末が悪い」のは、私が陰謀説否定論者の説明は、陰謀説論者の主張の反論にはなっていない、としていることであろう。確かに、陰謀説否定論者からすれば、これでは陰謀説論者の存在を認めることになってしまう。しかしながら、繰り返して強調したいが、ユナイテッド航空93便の墜落事件も含めた「9.11」同時多発テロ事件には謎の部分が多い。そのことが、工学的、技術的な間違いを伴う陰謀論者の疑問を生み出している。それらの間違いを糾すことは、たいへん重要なことであり必要なことだ。しかし、それらの間違いを糾してもなお不明な点が残る。そこに不明な点がある以上、懐疑心を持つことを否定することはできないと私は考える。

 まあ、こういう健全な懐疑心を持つ輩が「一番始末が悪い」んだろうなあ。
 というか、論点がずれているように思うのですが。

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December 24, 2006

消えゆく昭和22年

 以下は、robitaさんのブログ「幸か不幸か専業主婦」での12月21日の「愛国心、これでどうでしょう」についてのコメントである。

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robitaさん、

 まことに失礼ながら、記事「愛国心、これでどうでしょう」から愛国心を教えることの大切さはわかりません。もちろん、一般論として、愛国心を教えことは大切であるということはわかります。しかしながら、民衆にとって良くない政権を革命によって倒すことができる権利のことを愛国心というのでしょうか。であるのならば、今回の教育基本法の改正は、そうした改正ではありません。新しい教育基本法から「政権が信用ならないとなったら、力ずくででもそれを倒して国民のための国家を再構築する、という覚悟」を感じることができません。新しい教育基本法を読んでみると、公共とか伝統とか文化とかいったことよりも、むしろ、国家が全国の都道府県の教育を統括・管理するという国家主導による教育行政を濃厚を感じます。

 そもそも、いかなる国家も民衆に「不満があったら革命をしていいです」という権利を与えている国はありません。反政府活動はテロや反乱とされ、軍隊がこれを鎮圧します。何度も申しますが、国家というのは権力と武力を持っているのです。従って、革命というのは「国が与えてくれた権利を人民が行使すること」ではなく、「国の警察や軍隊と戦う」ということです。共産主義が言う武力革命、武力闘争というのはこういうことです。

 民衆の権利とは、なにが与えてくれるものであるのか。このへん複雑な話はすっ飛ばしますが、17世紀にイギリスのジョン・ロックという人が、人民の自由と平等の権利というのは、国家とか王様が人民に与えるものではなく、生まれながらの固有な権利であると考えました。天あるいは神が人間に与えたものなのである、ということです。このへんアジア人である私たちが、この考え方を聞くと、神様がそんなことをするのですかと奇異に感じますが、西欧政治思想ではそう考えるというわけです。

 もうひとつ、これと対立する保守主義思想の流れに、自由や平等を神からもらった固有の権利と考えるのは、ちょっと無理があるだろうと考えるエドマンド・バークの思想があるんですが、これは都合よくすっ飛ばします。とりあえず基本的に、ヨーロッパの社会思想では、ロック以後、そのように考えます。この考えをさらに発展させたのがフランスのジャン・ジャック・ルソーです。ルソーは、自由と平等の権利を(生まれながらにして、神から与えられて)持ってる人々が集まって社会を形成している。その秩序維持のために国家があるのだと考えます。だから、国家の構成員であっても、個人の自由と平等は保証されなくてはならない。そうした社会契約が人々と国家の間にはあるのだと考えました。ルソーの考え方を、ちょっと過激に表現すると、人は自由のためには国家さえも否定できるのだということです。この考え方から、フランス革命は生まれました(正確に言うと、と言い切っていいのかどうかわからんけど、とりあえず)。

 日本人は、明治になってロックやルソーの思想を知りますが、明治政府の法思想は、人民の権利意識が高いフランスではなく、国家体制維持の意識が強いドイツの法律を主に導入しました。上記にも書きましたが、人間の自由と平等という権利は、生まれながらの固有の権利なのだという考え方(これを「自然法」と呼びます)が、明治国家には受け入れることができなかったからです。よって、大日本帝国では主権在民という考え方はまったくありませんでした。

 一方、ロックの思想は、当時、新大陸アメリカにも広がります。新大陸には、ヨーロッパで思想や宗教のことで迫害を受けた人々や、国王や領主にひどい目にあわされた人々などが移民してきました。ですから、王様とか領主とかいったものは、自分たちの自由を脅かす、本質的に悪い連中なんだと考えます。国家というものは、絶えず監視をして注意をしていないと、どんな悪さをするかわかったもんじゃないと感じている人たちが作った社会です。やがて、ここで革命が起こります。そして、アメリカ合衆国が誕生します。

 ずっと時代が下って、20世紀にアメリカは太平洋戦争に勝利し、日本を占領します。そして、ルーズベルト大統領のニューディール政策のもとで働いていたリベラル派の知識人たちが、日本に、かつて自分たちの国がヨーロッパから学んだ民衆の権利についての考え方を日本に導入します。ここで日本人は、その昔、明治の頃、一部の人々だけが知っていたロックとルソーの考えに再び出会うわけです。徳川幕府を倒し、欧米のような自由で平等の国を作ろうと考えていた先駆者たちが導入しようとしていたロックやルソーの思想が、やがて明治国家の中で潰され消えてしまった、その思想がここでもう一度よみがえるのです。国家とは、基本的に個人の自由と基本的人権を守るために存在しているのだということです。

 戦争に負けて、国土は荒廃し、一面の焼け野原、浮浪者や戦災孤児が数多くいて、餓死者も多かった、それが終戦直後の日本です。今の日本からは想像できない状態でした。しかしながら、平成の今の時代からあの時代を振り返ると、なんかこー「明さ」があったように思うのです。実際には、たいへんな時代だったんでしょうけど。

 あの「明さ」ってなんだったんだろうかと思うと、それはあの時代の人々には、戦争はもう終わったんだ、もうあの重苦しい軍部とか国家とかの重圧に苦しまなくていいんだという、台風一過の青空のような、開放感があったんだと思います。もう、あの時代に戻らなくてもいい。国のいいなりにならなくてもいいという、せいせいした気持ちが、この時代の人々にはあったんだと思います。終戦直後の日本に「明さ」のようなものがあったことについて、アメリカの歴史学者でジョン・ダワーという人が書いた『敗北を抱きしめて』(岩波書店)という本に詳しく書かれています。

 僕は、昭和22年の教育基本法には、そうした明るい気分のようなものを感じます。もう愛国心とやらを強制されなくていい、愛国心のないものは非国民という扱いを受けることもない。昭和22年の教育基本法には、日本はあんな時代には二度と戻りません、という表明というか証のようなものが感じられます。実際、そういうものだったわけです。以前も書きましたが、昭和22年の教育基本法の内容は立派なものです。平成の今読んでも、十分通用します。この法律の、どこがどう間違っているのか。僕にはさっぱりわかりません。

 しかしながら、政府は教育基本法を変えました。それも、あっさりと、というか、早急にというか、なんでこんなに簡単に変えるのかわかりませんけど、とにかく強引に変えました。これがつまり、なんといったらいいんでしょう。あの時代の「明さ」や希望みたいなものが、消えてなくなってしまったような感覚を与えるのです。あの時代がどんどん遠くなるというか。あの時代、国は、もう戦前のような国には絶対に戻りませんと国民に誓ったと思うのです。その誓いが、日本国憲法であり、教育基本法であったと思うのです。そうした深い意味があったと思うのです。それが平成の今、教育基本法が変わり、憲法も変えようとしている。結局じゃあ、あの時代はなんだったのかと思います。

 なにを言っているのですか、あなたたちはすぐ「戦前に戻る」とか言うけれど、そんなことあるわけないじゃないですか、と思われると思います。僕も今の日本が戦前のような国になるとは思っていません。むしろ、教育基本法が変わったということで、愛国心も含めてなにも変わることはないと思います。ただ、政府が教育基本法をあっさりと変えた、それも最近の日本人は愛国心が希薄なので、教育によってそれを教えこむためという理由で変えたということ、そのことに、上に述べたように、あの時代の「明さ」のようなもの、国が国民に向かって、戦前のようには二度となりませんと誓った、あれは一体なんであったんだろうという思いがあるのです。国が「愛国」を言うことが、いかにむなしいことであるのか、あの頃の人々は実感でよくわかっていたわけです。そして平成の今、教育基本法や憲法を変えることで、戦前に戻ることを危惧するよりも、むしろ、あの戦争の意味を忘却しようとしていることを危惧します(忘却どころが、戦後60年間、日本人はそもそも、本格的にあの戦争の意味を問うことをしてこなかった、とも言えますけど。)

 結局、昭和22年の教育基本法はGHQという占領軍がいた日本であったからこその出来事であったのだろうか。戦後、日本は独立し、GHQはなくなり、60年という年月がたって世代も変わった平成日本では、愛国心の一言で、教育の法律が簡単に変わってしまうようになったということを考えると、なんなんだろうかと思います。「国家の言いなりになる日本人」を作る、作らないということではありません。ようするに、国家というのは、その時々の都合でどうとでも変わるのだなというか、国家というものは、なにかをするとなると、とにかくまず国民を法律や教育で管理する、統制する、これしかないんだなという、まことにその通りというか、しごく当然の真実を目の前にして、ますます意気後退するというか、やる気がなくなるというか。

 国が愛国心を言うのは当然のことである、国が教えなくて、誰が教えるのか、とrobitaさんが言われることはまったくその通りです。それは正しいことです。しかし、そのやり方が、昭和22年の原点にもう一度戻ろうということではなく、教育基本法を変えるというのはなんだかなあというか。結局、こうなってしまうのか。というか、国民が今の国家に求めているのは、教育基本法がどうこうとか、そうしたことじゃあないように思うのです。

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December 19, 2006

石黒耀『死都日本』を読む

 先週、仕事で泊まりがけで関西の方へ行ってきた。その行きの新幹線の中で、石黒耀『死都日本』(講談社)を読み初め、帰りの新幹線の中で読み切ってしまった。

 これはおもしろい小説だった。この小説が出版されたのは数年前のことで、今ごろこの小説の存在に気がついたのですかと言われそうであるが、知らなかったのである。最近、小松左京の『日本沈没』の続編が出たが、その内容が「なんスか、これは」というような内容だったのでがっかりしたのであるが(最近のあの映画はとても見に行く気にもならなかった)、『死都日本』は小松さんの『日本沈没』と並べてもいい作品だと思う。単行本で520ページもある小説なのであるが、東京から京都までの行きと帰りで(夜、ホテルで少し読んだけど、テレビでコトー先生のドラマを見ながら寝てしまった)読み終えてしまったほど、一気に読める内容になっている。

 物語は、1万年に一度程度起こる巨大噴火が、現実に霧島火山帯一帯で起こるというものである。その時、なにが具体的にどのように起こるのか、日本社会はどうなるのか、国際社会はどうなるのかということが迫真のリアリティーをもって書かれている。

 九州の霧島山の地下に加久藤火山という火山がある。およそ30万年前に、この加久藤火山が破局的大噴火を起こして南九州一帯を壊滅させた。その噴火が、現代の時代に起こるのである。もともと、九州は火山地帯であって、阿蘇カルデラ、姶良カルデラ、鬼界カルデラなどといった巨大カルデラがある。一番最近では6300年前の鬼界カルデラの噴火がある。これによる火砕流が南九州の縄文人社会に大打撃を与えたという。

 そもそも、九州に限らず日本列島は数々の火山帯の上にあるのであって、大地震と火山活動によって日本の地形はできたと言ってもいい。そして、大地震にせよ火山噴火にせよ、いつかは起こるものなのである。しかし、いつかは起こるものであっても、とりあえず今日は起きないだろうみたいな感じで、活断層が眠っている平地の上に都市をつくり、原発をつくり、それなりに手抜き工事とかやって、この社会が成り立っている。それがいかに愚かなことであるか。

 九州で巨大火山が噴火するとどうなるのか。当然のことながら、まず九州はこれで終わりになる。それだけではなく、火山灰による被害は西日本一帯に及ぶ。東京も火山灰に覆われる。この被害により、やがて社会の機能は停止し、日本国は滅亡に瀕する。さらには、この破局的噴火による地殻の伸張ひずみがプレート境界地震を誘発させ,日本各地で巨大地震が起こる。この小説は、最新の火山学的知識を背景にした近未来シュミレーション小説である。

 火山学の分野については素人なので判断できないが、国際関係の描写で、中国の出方とかアメリカの対応とかに、もう少しここがこうだったらなと思ったところはある。しかし、そうしたところも、とにかく火山についての知識がものすごく豊富にあるので、火山以外の部分の相対的な内容の薄さについてはどうでもいいと思えるようになる。そう思える程、見事な噴火描写である。日本の古代神話と火山の関連性についてもなるほどと思った。こうした観点で、日本神話を考えたことはなかった。

 やはり、必要なのは科学知識とイマジネーションだなと思う。

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December 18, 2006

ブッシュ時代の終わり その1

 今更言うまでもないことであるが、先月11月にアメリカで中間選挙が行われ民主党の圧勝であった。ただし、このことは保守主義の終わりを意味しているわけではない。この選挙は、つまり「ブッシュはいやだ」という有権者の声であって、「共和党がいやだ」とか「民主党の方がいい」という声が多いことを表しているわけではない。

 もともと、意味のある対立軸を出していた民主党と共和党という二大政党システムであるが、これがうまく機能していない。ここで、保守主義とは一体なんであるのか、ということについて考えてみたい。

 高度に発展した社会では福祉にかかる費用が厖大なものになるが、その厖大な費用をまかなえる経済力がない。そのため、どうしても福祉にかける費用を抑える必要が出てくるということである。保守主義の基本的考え方は「税金を下げよ、政府は小さいものでいい」というものであり、1994年の中間選挙でニュート・ギングリッチらが「アメリカとの契約」という保守的な選挙公約を掲げて歴史的な勝利を収めて上院と下院の過半数を制した。以後、保守主義の時代が始まり、2000年の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュが大統領になる。

 今年、2006年の中間選挙では、これがひっくり返ったことになる。しかし、冒頭でも述べたように、これは「ブッシュはいやだ」という声の反映であって、共和党が掲げた「アメリカとの契約」が間違っていたというわけではない。むしろ、ブッシュが「アメリカとの契約」の理念を着実に実行していく指導者であったのならば、保守主義と共和党の未来は盤石たるものになったであろう。

 ようは、そうはならなかったということだ。なぜ、そうはならなかったのか。ここに、政治は一筋縄ではいかないものだということがある。ブッシュ政権をそうさせなかったものがある。それが、ブッシュ政権のもうひとつの柱ともいうべきネオコンの存在である。

 米ソ冷戦がおわって、アメリカが唯一の超軍事大国になった時、その世界最強の軍事力をもってアメリカン・イデオロギーを世界に広げようとする思想グループが「軟弱」(であるように彼らには見えた)な民主党から「強靱」(であるように彼らには見えた)な共和党に鞍替えした。そして、保守主義が台頭することは、右派の勢力が拡張することも招いてしまった。ネオコンと共和党右派、キリスト教右派がつながり、ブッシュ政権内部で大きな力になってしまったのである。

 おもしろいことに(「おもしろい」と言っていいのか、よくわからんけど)保守主義本流のイデオローグ的存在であるシンクタンクにヘリテージ財団がある。ギングリッチの「アメリカとの契約」を草案したところである。ここはレーガン・ドクトリンの立案組織であり、レーガン政権のブレーンであった。ヘリテージ財団の主張は、当然のことながら、反共であり、共産主義に対して「封じ込める」のではなく、徹底的に叩いて壊滅させることを目的とした外交政策であるべきというものである。レーガンはその通りの外交政策を行い、結果としてソビエトは崩壊した。

 ここで、このように敵に対して圧倒的優位に立ち、相手を殲滅させるような外交でなくてはならない、それが「強い」アメリカである、という考え方が生まれ、定着してしまったのではないかと思う。これが大きな間違いであった。これと同じ方法で、イスラムに対しても行うべきである、それが「強い」アメリカなのだと考えたのが、ネオコンの牙城とも言うべきアメリカンエンタープライズ研究所である。保守主義者たちにとって、レーガンがソ連を崩壊させ、米ソ冷戦をアメリカの勝利で終わらせたということが輝ける歴史的偉業になっている。レーガンが悪の帝国ソ連を倒したように、我々は悪の枢軸国を倒さなくてはならないということである。しかし、実際のところ、レーガンの強硬的な対ソ外交政策がソビエトの崩壊を導いたわけではない。

 さらに、ソ連崩壊後、アメリカが世界最強の軍事国家になったということも、この間違った考え方を定着させる要因になった。つまりは、強い態度に出ればいいんだ、強い態度の外交でなくてはならないみたいな考え方が主流になってしまった。9/11の衝撃の以後、この21世紀のgunboat diplomacyの考え方が、ブッシュ政権をイラク戦争の泥沼に引き込み、本来めざすべき「アメリカとの契約」の理念から遠く離れてしまった。(ブッシュ政権をイラク戦争に引きずり込んだグループの筆頭がチェイニーだったことを思うと、ブッシュはむしろギングリッチを副大統領にして内政重視の保守主義の政策を行う政権になればよかったのではないかと思うが、チェイニーやラムズフェルドなくして、ブッシュ政権誕生はなかったので、それはまったくの空想である。)

 これが、今回の中間選挙での共和党敗退の原因のひとつであると思う。

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December 17, 2006

任天堂のYouTubeの使い方

 任天堂のYouTubeの使い方は興味深い。積極的に(積極的にというのか?)自社のCMをYouTubeに流している。でもって、みなさん、自分のWiiの使い方をアップしたりしている。これがまたおもしろい。

 タカラの「ザ・昭和テレビジョン」でWiiをやっている動画を見た時は感動した(笑)。

I play Wii on my 1.5-inch TV #2

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もって他山の石としたい

 胡錦涛は北京語ではフー・チンタオと読む。英語でもそう呼ぶ。
 というわけで、YouTubeでのコメディ動画をひとつ。

Who's the leader of China?


 まあ、ブッシュはこの程度ですねということが言えるが。笑った後で、しかし、自分もこうした間違いはよくやるよなと思った。英語で、背景の知識がない分野について会話をしていると、この種の間違いはよくやる。だから、会話をしていて、つじつまが合わない時は確認をする。自分はコレコレをこう理解したが、これで正しいのかと聞き返す。

 相手の言うことを一回で聞き取る必要はないのだ(ヒアリングの試験では、その必要はあるな)。実際の会話はお互いが確認をしあって進むものなのである。これができるようになって、英語での会話は怖くなくなったように思う。慣れと言えば、慣れなのだけど。この動画をもって、我が英語修行の他山の石としたい。

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アジアについて、ちょっと考える

 昨日の土曜日は、東南アジア学会と比較文明学会の合同研究例会があったので、今回の研究会場所の東京大学へ行く。東京大学がある本郷通りはそれなりによく歩いているのだが、中に入るのは、15年くらい前の学生時代に、弘文堂という神田の出版社でバイトをしていた時以来である。なんか、あの頃より建物が増えたような気がする。

 今回の研究報告は、インドネシアについて。興味深かったのは、インドネシアはインド文明やイスラム文明の影響を受けてきたということで、中国文明の影響をさほど受けてこなかったということである。そもそも、東南アジアではベトナムやタイのような大陸部とは異なり、インドネシアやマレーシアには中国文明の影響はさほど大きくない。東アジアで広大な影響力を持っていた隋や唐(もう少し時代が下って元)の大文明が、なぜ東南アジアにはその影響力を及ぼすことができなかったのか。あるいは、そもそも当時の中国にとって、東南アジアはどうでもよかったのかもしれない。

 そこで考えられることのひとつに、仏教の原典はインドにあるということである。中国の考え方では、文化の源は自分の帝国である。しかし、こと仏教について言えば、これを生み出したのは中国ではなくインドである。玄奘が教典を求めてインドに旅に出たことからもわかるように、大唐帝国であっても仏教思想はインドに学ぶ必要があった。古代における中国とインドの関係はたいへんおもしろい。

 研究報告では、当然のことながら、過去の話で終わるが、これらの話を聞いて私が思ったことは、21世紀の今でも、中国とインドの動向を見ずしてアジアの今を理解することはできないということだ。今の時代の東南アジアにしても、中国とインドにどのような対応していくかが重要な課題になる。今、中国とインドが大きく変化していることは、多少大げさに言えば文明史的変換なのであると考えたい。そして、中国とインドという二大大国が動き始めたことにより、東南アジアもまた動き始めているのである。

 逆から言えば、東南アジア地域での第二次世界大戦以後のアメリカの影響力が低下するということである。その意味では、アメリカ帝国出現以前の東南アジアに戻るということでもある。だからこそ、国際関係論と歴史学や文明論は融合して考える必要がある。私はそう考えている。そういうことを考える人ってあまりいないけど。

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