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September 24, 2006

日本政府はなぜイラク戦争を支持したのか

 9月9日、クウェートとイラクに派遣されていた陸上自衛隊のイラク後送業務隊が羽田に到着した。これをもって2004年1月に開始された陸自のイラク派遣は終了したことになる。

 2003年3月にアメリカ軍とイギリス軍がバグダッド爆撃を開始してから3年後の今、アメリカのイラク戦争は間違っていたということが、アメリカ国内のマスコミでも大きく報道されている。これまでこうしたことは、アメリカ国外のメディアではなんども取り上げられてきたが、アメリカ国内では正面からイラク戦争を批判することはなかったと思う。しかし、イラク戦争も長期化するにつれ、アメリカの世論もどうもこの戦争はおかしいと思い始めてきた。

 日本のマスコミも、アメリカのイラク戦争が間違っており、アメリカの今の中近東外交は八方ふさがりであるという報道をしている。しかしながら、それでは日本政府はなぜイラク戦争を支持したのであろうかということについては、日本のマスコミも識者もさほど論じていないように見える。

 この日本のイラク戦争への支持の経過について、先日、川辺一郎著『日本の外交は何を国民に隠しているのか』(集英社新書)という本を読んだ。これは、まさに日本はなぜイラク戦争を支持したのかに答える本であって、読んでいて非常に考えるところの多い本であった。以下、この本に従いつつ考えてみたい。

 話は、イラク戦争より前のクリントン政権でのイラク爆撃にさかのぼる。1998年12月、米英によるイラク爆撃が行われた時、日本はいち早くこれを支持した。この時は、日本はアメリカを支持したとは言え、イラク爆撃は国連の承認があった。この当時、日本は安保理理事国を勤めており、安保理に日本の意志を反映させることが可能であった。日本の意志とは、言うまでもなくアメリカ支持である。日本は安保理理事国であったが、自らイラクと国際社会の不和を解決しようとする行動をとることはなく、アメリカの主張を安保理の決定にするために行動した。そして、最終的に安保理はイラク爆撃を承認し、国連中心主義である日本は、国連の承認があるということでアメリカを支持したのであった。

 ところが、この状況が一転したのが2001年のブッシュ政権の誕生である。9.11以後、ブッシュは、テロと戦う「新しい戦争」は従来の法的枠組みには当てはまらないと主張した。これは、法的枠組みに従いつつアメリカを支援するという日本の外務省の基本方針が成り立たなくなることを意味していた。2002年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行い、イラクへの戦争の意志を露わにした。ここで困ったのが日本であった。クリントン前政権とは違い、国連を無視するブッシュ政権下では、98年のような法的根拠の確立ができないのである。

 この時、日本は安保理理事国ではなくなっているので、審議には直接参加できない。そこで日本にできることは、安保理理事国に対してアメリカ支持を働きかけることであった。日本の標的になったのは、理事国の中でも中間派と見られていたアンゴラ、カルメーン、チリ、ギニア、メキシコ、そしてパキスタンの6ヶ国である。その中で、日本が特に標的としたのがチリとアンゴラであった。日本はその経済力を背景にして、ODA援助を使ってチリとアンゴラに圧力をかけたのである。しかし、最終的にチリもアンゴラも日本に従うことはなかった。中間派は爆撃支持に回るだろうと考えていた外務省の判断は外れるのである。結果は誰もが知るように、国連はアメリカのイラク戦争を承認しなかった。それはすなわち、日本がアメリカを支持する法的根拠を失ったということであった。

 しかし、法的根拠があろうがなかろうが、日本はアメリカを支持しなくてはならない。日本政府は、国民にアメリカ支持を納得させる理由が必要であった。ここで出てきたのが北朝鮮問題である。北朝鮮危機がある以上、アメリカを支援すべきだという論調をもって、政府とマスコミは国民にアメリカ支持の正当性を主張したのである。アメリカがイラクの武装解除に失敗すれば、北朝鮮はさらに核ミサイルで強硬姿勢をとる可能性がある、だからアメリカを支援しなくてはならないというわけである。

 これは合理性も法的根拠もない話であった。イラク戦争を支持することが、どうして北朝鮮問題に解決につながるのか。その具体的内容を、政府は国民に述べることはなかった。98年当時、日本の外交は国連中心主義であった。国連中心主義だからこそ、安保理の承認に従ってイラク爆撃を支持したのである。ところが、アメリカの外交が単独主義になると、日本の外交はそれまでの国連中心主義を捨て去るのである。

 日本の一般市民は、イラク戦争は、ブッシュ政権がイラクのフセイン政権を倒したいだけでやろうとしているということはわかっていた。だが北朝鮮問題があるのだから、アメリカを支援することはやむを得ないのだと言われると、納得してしまい、それ以上考えることをやめたのである。しかし、「やむを得ない」どころか、イラク戦争支持することは、日本の主体的かつ積極的な国家意志であった。国際社会での日本の行動を見ても、日本は自発的かつ積極的に、その巨大な経済力を用いて、国連安保理をイラク戦争承認にもっていこうとしていた。

 日本のイラク戦争支持には、そうした矛盾があった。さらに、日本政府は(国連がアメリカの行動を承認しないので)今の国連そのものに問題があるとし、国連改革をすべきであるとアナン事務総長を批判し始めたのである。日本政府としては国連を完全に無視することはできなかった。そこで、間違っているのはアナン事務総長および現在の国連のあり方なのだと主張したのである。

 これは奇妙なことであった。国内政治の都合上、自国の政府の基本方針を変えるのではなく、世界のあり方を変えるべきだと求めたことに他ならなかった。ちなみに、アメリカはそうではなかった。アメリカははっきりと国連は無視する、単独でもやると言った上での行動であった。その意味で論理的一貫性があったのである。日本はそう言えなかった。言えなかったからこそ、世界の方が間違っていると言うようになったのである。安保理は、アメリカの武力行使を承認していないし、当のアメリカも国連無視を標榜していたのにも関わらず、日本は、アメリカは国連の枠内で行動していると強弁したのであった。この時から、日本の外交は精神分裂病に陥ったとも言えるかもしれない。

 次に2004年に、日本はイラクに自衛隊派遣をすることになる。ここで、日本はまた困ったことになった。日本の国内法では軍事行動をとるための法的根拠はないため、自衛隊をイラクへ派遣するための法律もまた国連に依拠する必要があったのである。しかし、その国連に依拠することができない。ここで出てきた動きが、憲法の改正である。憲法が日本の国際的な活動の足かせになっているのだということである。国連憲章にとらわれずに、独自の軍事行動をとることができるためには憲法を変えなければならないという声が高まってきた。今日の安倍次期政権での憲法改正の動きは、ここから始まったとも言えるであろう。

 もうひとつ、イラクへの自衛隊派遣の目的として、ここで出てきた理由が石油資源の確保である。当時、石破防衛庁長官は「日本にとって中東地域、石油の97%を依存しておる中東地域、そこの安定ということは日本の国益にとってどうなのだろう」と述べている。また、福田官房長官は「あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。それは、やっぱり中東地域の安定、イラクの安定、中東地域の安定、そして、例えば石油供給の安定とか、また国際社会の平和と安定という、そういうことを中心に考えた結果でございます。」と述べていた。

 しかしながら、この石油の確保こそ、世界の反戦運動がアメリカに向かって言っていたことであった。反戦運動の人々たちは、石油のために戦争をすることに反対していたのである。

 アメリカ政府が掲げたイラク戦争の理由は、国際社会からフセインの脅威を取り除き、独裁政権に苦しむイラクに民主主義国家を打ち立てることであった。それが建前であったとしても、国家が他国に軍隊を送ることには、それ相応の大義がなくてはならない。ところが、日本のイラク戦争の支持の理由は、北朝鮮問題と石油確保であった。この時期、日本の保守派言論人の多くは、日本の国益を考えなくてはならないと語り、国益のためにアメリカを支持しようと述べた。あたかも、それが国際社会をリアリズムで見ることであり、自分たちは感傷で戦争を反対する左派とは違うかのような論調であった。

 だが、アメリカの大統領も副大統領も国務長官も国防長官も、そして保守派の言論人でも、そうした理由でイラク戦争の目的を語る者は誰もいなかった。たとえ本音であっても、そうしたことは口にだせなかった。戦争の理由が自国の利益のためでは、世論が許さないのである。ブッシュ政権のイデオローグであるネオコンは、国連を無視し、アメリカ単独主義を貫くことを主張したが、そこには確固たる主義主張があり原理原則があった。実際のところがどうであろうとも、少なくともアメリカ合衆国が掲げた戦争の大義は、世界の安全と正義と自由であった。これに対して、日本の政治家がアメリカを支持し、自衛隊を他国へ派遣する理由として掲げたものは、「やむを得ない」という政策でもなんでもない曖昧なものと、自国一国の安全保障と経済的利益であった。そして、そこにはかつて主張していた国連中心主義はいつの間にかなくなっており、あるのは国連改革の要求と憲法改正の動きであった。

 つまり、アメリカの保守派には論理的一貫性があるが、日本の保守派言論にはそれが欠落していたのである。しかし、自衛隊派遣がマスコミの話題となっていた当時、左派はこの論理的矛盾をつくことなく、北朝鮮の危機や石油の確保のためと言われるとなにも反論はできず、そのままずるずると自衛隊のイラク派遣が決まってしまった。本来、むしろ保守派から、石油権益が国家の大義なのかと問う声が出てもいいはずなのであるが、それもなかった。日本の政治家もマスコミも、右派と左派の言論人も、政府が経済権益の確保を憲法上問題のある軍事行動の理由とすることに問題があるとは思っていなかった。日本の国民世論も、それを疑問に感じなかった。

 アメリカの政治では、今なお理念や社会正義が(たとえタテマエであったとしても)堂々と語ることができるのに対して、今の日本の政治にはそうしたものがない。60年代や70年代の国会やマスコミでの安保論争のことを思うと、あの時代であれば、今のようなホンネだけの曖昧で安易な政治は、政治家にもマスコミにも国民にも通らないように思う。

 このように、クリントン政権下からブッシュ政権下での日本のイラク戦争をめぐる状況をざっと見てみると、以下のことがわかる。まず、日本外交の原則とは常にアメリカを支持するということである(それが正しいか正しくないかは、ここでは論じない)。そして、アメリカの政権の基本方針は政党が変われば変わるので、日本外交もまたそれに応じて変わる。しかし、保守主義の台頭によるブッシュ政権の出現とその外交政策は、日本の外交にとってこれまでにない大きな転換を余儀なくされたものであった。2001年以後、日本外交は国連中心主義を捨て、経済力をバックにして、自ら積極的にアメリカ支持を国際社会に働きかけてきた。日本が求めた常任理事国入りは、そうした背景で行われたものであった。

 しかしながら、日本の常任理事国入りは失敗した。そして、現在、北朝鮮問題の状況はなんら進展していない。イラク戦争開戦当時、日本がアメリカを支持すれば、アメリカは北朝鮮問題の解決に動いてくれるだろうという期待を持ったことなど、まるでなかったことのようになっているのである。

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Comments

日本は明確にイラク戦争を支持したのでしょうか?マスコミはそのように報道していますが、本当にそうなら駐日イラク大使館は即刻閉鎖され、駐在外交官全てが出国していたはずです。また、自衛隊の派遣も復興のためで、開戦時からクウェートなどで後方支援に当ったわけでもありません。

どうも米英の機嫌は損ねたくないが、戦争にも関わりたくないといった中途半端なものだったと思います。たまたま、アメリカと古いヨーロッパの対立が目立ったので日本が協力的に映っただけではないでしょうか?

日本の中東外交はこのような中途半端が多いのです。今後の問題となりそうなイランでもそうです。79年の米大使館人質事件では三井石化プラントは続行したい、アメリカの怒りはかいたくないで撤退の決断が遅れました。これでどれだけの損失があったかいまだにわからないようです。はてはて、現在の核危機ではどのような対応をとるのでしょうか?

北朝鮮など近くの脅威もさることながら、世界の中での日本の役割をしっかり念頭に置いて行動して欲しいです。

Posted by: 舎 亜歴 | September 25, 2006 08:57 PM

自主的かつ積極的な支持でもなく、イスラム・テロの標的にもならず、自衛隊に多くの死傷者が出たわけでもない。

これでは日本政府のイラク戦争への対応が議論にもなりようがないです。そんなものです。まだまだフリー・ライダーを脱皮していないのです。

Posted by: 舎 亜歴 | September 26, 2006 12:58 AM

舎 亜歴さん
>日本は明確にイラク戦争を支持したのでしょうか?<

湾岸戦争でなく、イラク戦争であれば
日本国首相小泉氏は開戦前の3月18日
に支持を国会や官邸前で
支持表明してますよね?

国連でも2月18日に
「査察継続の有効性に重大な疑問が生じている」
と発言しています。行間読めばねぇ...

ハングルは読めないけど
http://kida.re.kr/shell-cgi/technotej/read.pl?board=ajp03&y_number=698&nnew=0
米のイラク大使館一時閉鎖要請に対して
「日本独自の判断をすればよいと、外務省にも指示しています」
だそうです。外交ルート確保の為。

Posted by: ルイージ | September 26, 2006 04:13 PM

「イラク戦争を支持する」ことと

「イラクと戦争状態にある」ことを

一緒くたにしちゃいけないでしょ。

Posted by: ルイージ | September 26, 2006 05:08 PM

あったあった。
小泉総理インタビュー[イラク問題について]
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/03/18interview.html

ブッシュの最後通告を見て
>私(総理)は、米国の方針を支持します。<

これ以上の支持表明はないやね。

Posted by: ルイージ | September 26, 2006 05:54 PM

舎さん、

これは支持というものの内容をどう見るかということだと思います。日本政府としては、イラク戦争を支持していました。もちろん、この支持というのは、日本がイラク戦争の正当性を主張していたのではなく、イラク戦争を行うアメリカを支持していたわけです。本来は、これはおかしいわけです。本来のスジで言えば、簡単に言うと、まず中近東はどうあるべきかというビジョンがあって、そのために日本は何ができるか、なにをなすべきかという考えがあり、そして、アメリカの中近東外交のコレコレは日本の外交政策のコレコレと一致する、従って日本政府はアメリカを支持する、というロジックの流れがあるはずなんです。それがないのです。そうしたロジックのプロセスをすっとばして、とにかく「日本はアメリカを支持する」というのが、今の日本のアメリカ支持です。これは欧米の見方で言えば「どうも米英の機嫌は損ねたくないが、戦争にも関わりたくないといった中途半端なもの」に見えると思います。

自衛隊派遣については、サマワへの陸自の派遣を当初から外務省は考えていたわけではありません。そもそも、イラク戦争はアメリカが行うもので、日本の軍隊など最初からアメリカのプランには入っていません。しかし、イラク戦争が長期化するにつれ、国際世論の批判を避けるために、アメリカ一国だけがイラク戦争に参加しているわけではない証のために、日本も軍隊を派遣すべきだ、かのような方向が出てきたわけです。それで陸自を出そうかということになって、理由はどうするんだということで、苦し紛れに石油のためとなったわけです。なにがどう石油のためだったのか、よくわかりませんが。(アザデガン油田のためか?あーあれはイランだった)

問題なのは、世界からは「中途半場なもの」に見えても、やっている本人側は大まじめであるということです。「議論にもなりようがない」ではなく、ここから議論しなくてはならないと思います。アメリカ側から見れば「フリー・ライダーではないか」(ようするに「血を流していないではないか」)となりますが、日本側からすると「在日米軍基地を置いて、思いやり予算も出して、なにがフリー・ライダーだ」(ようするに「俺たちはカネを出しているんだぞ」)という思いがあります。このギャップをどう解消するかということです。吉田茂も、60年後の日米関係がこうなるとは思ってもみなかったでしょう。

Posted by: 真魚 | September 27, 2006 11:07 PM

ルイージさん、

この小泉総理インタビューを今読むと笑えますね。

「ブッシュ大統領曰く、イラクに対しましてフセイン政権が自ら平和の道を選ばなければ武力行使に訴えざるを得ないと通告しました」
---->だからぁ、国連の査察を受け入れる、全面的に協力をすると言って協力してきたでしょう。この上、なにをせいつーのか。他国が主権国家の元首に向かって、その国から出て行けと言える権限がどこにあるの?

「日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました。」
---->チリとアンゴラに、ODAの札束をちらつかせて、アメリカを支持しろと圧力をかけたのは、どこの国かなあ?

などなど
つっこみどころ満載ですね。

Posted by: 真魚 | September 27, 2006 11:08 PM

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/03/20kaiken.html

「私はこの際、そういう思いから米国の武力行使開始を理解し、支持いたします。」


記者との質疑応答を読み返すと
わかるんですが、気が抜けるというか
前首相が首尾一貫して論理的な「会話」を
拒否し続けたくだんは筋金入りですね。

Posted by: ルイージ | September 28, 2006 10:28 AM

ルイージさん、

記者さんたちとしては、まがりなりにも一国の総理が、こんなワンフレーズだけの非論理的なことを言ってはまずい、言うべきではないという意識が当初はあったと思います。ところが、(前)総理大臣のこうした返答を聞いているうちに、なんとなくこれでも、とりあえず意味は通じるんだからいいかなという気分になってくるんですね。で、総理大臣がこういう言い方しているだから、その通りなんだろと、マスコミもそのまま、総理の言葉として報道する。これが何度も繰り返されると、政治家みんながこうした会話の仕方になってきて、そうなっても国民も不思議にも思わなくなるんです。総理大臣が論理が通っていなことを言うと、政治家みんなもマスコミも国民も論理なんかどうでもよくなる。感情とか雰囲気とか気分とかで物事が進んでいく。そのことを誰もおかしいと思わなくなる。当然だと思う。

これですね。これが外国から見ると、非常に気持ちの悪いものに見えるんです。「なんであれで了解できるの?やっぱり日本人っていうのは、どうもわからん」となってしまうのです。日本人の集団というものは(まあ、どの民族もそうですけど、特に日本人は)、ほおっておくと感情や情緒や雰囲気だけで動いていく傾向があります。ですから、言葉でしっかりとロジックを通す必要があるんです。少なくとも、外交の言葉というのはそうでなくてはならないと思います。

Posted by: 真魚 | September 28, 2006 11:58 PM

こんばんは。
そういえば昔の日本政府は、ベトナム戦争を行うアメリカを支持しましたよね。
当時革新政党は
日本に米軍基地がある→その基地から爆撃機が発進している→日本もアメリカの行っている戦争の片棒を担いでいる→だから在日米軍基地の法的根拠になっている日米安全保障条約は破棄するべきだ
と言っていたと思いますが、この件って自民・革新とも総括はあったんでしょうか?
それとも有耶無耶になってしまったのでしょうか?
現在に続くベトナム政府が日本に怨みを言っているとは聞きませんし。

Posted by: てんてけ | September 30, 2006 11:49 PM

てんてけさん、

ベトナム戦争当時の革新政党の安保無用論は結論はついたと思います。結論は、あまりにも空想的であるということです。安保を破棄して、その後はどうするのかということについて、現実的かつ説得力のある主張を当時の革新政党ができていたとは思えません。今現在の革新政党(今でもあるのでしょうか?)も同じようなことを言っているのを見ると総括ができているとは思えません。これは自民党もそうですね。日本はなぜベトナム戦争を支持したのか、そのホンネの部分は今日よくわかるのですが、理念のレベルではどうか。しかし、自民党の政治に理念みたいなものがあったのかというと疑問ですが。長いものにまかれ、その場その場で選択をする。日本は戦後60年間そうしてきたわけですから。

Posted by: 真魚 | October 01, 2006 01:03 AM

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