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September 11, 2006

5年目の9.11

 ニューヨークの世界貿易センター(WTC)・メモリアルサイトの空は、あの日と同じような晴れた青空だった。その青い空の下で、そこは巨大な建設工事現場になっていた。摩天楼がそびえ立つニューヨークの街で、そこだけがぽっかりと穴が開いていて、上を見上げると空が広がっていた。

 5年前の2001年9月11日、ここにそびえ立つ二つの大きなビルに旅客機が激突した。崩壊していくWTCの光景を、僕はここから遠く離れた東京の自宅のテレビで見ていた。それから何度も何度も、ネットやDVDであの映像を見てきた。なぜ、こうしたことが起こったのだろうかと考えてきた。考えてきたが、よくわからない。そこで、この出来事があった場所に立ってみた。ここに来れば、なにかがわかるのではないかと思ったからだ。

 しかし、なにもわからなかった。初夏の日差しを受けながら、僕はグランドゼロを前にして、ただ立っていただけであった。結局、なにもわからず日本に戻った。帰ってきて一ヶ月以上がたつ。相変わらず、何もわからないままなのであるが、つらつらと考えてみたい。

 なぜ、何もわからないのか。実際に立ってみたその場所は、拍子抜けする程、あまりにも普通のニューヨークのローアーマンハッタンの一郭であったからだ。5年もたてば、現場の姿はまったく変わっていることは当然のことなのだろう。ここが9.11の現場なのだということを知らなければ、グランドゼロは巨大な工事現場であるだけの場所だった。そこに、やたらたくさんの観光客が集まっていて、みなさんフェンスごしに工事現場を見ているだけという場所だ。あの日、3000人以上の人々が亡くなり、このあたり一面は爆撃の跡のような光景になった。今の光景とあの日の光景のギャップは、あまりにも大きい。

 しかしながら、ここがあまりにも日常的な光景であったということは、あの日もそうだったのだろうと思う。5年前の9月11日は、ごく普通の9月の一日であるはずだった。その日常性が突然断ち切られ、理不尽な暴力が、数多くの人々の命を奪い、人生を変えたのである。

 あれから5年がたった。5年後のグランドゼロに立って、そこで見た光景は、あまりにも普通で平凡な現在の光景であった。しかし、例えば、もしここで再度テロ事件が起これば、僕の意識も非日常性の中にたたき込まれることになるだろう。僕個人が好む、好まざるとに関わらず、テロの現場に叩き落とされるのである。つまり、テロとは人々の日常性を断絶し、意識をある一つの方向に強制的に向けさせることなのだ。だからこそ、日常の中でテロについて考えることは難しい。つまり、今のグランドゼロの、この普通の、あまりにも普通の光景であることが、あの出来事がアメリカ国民と世界に与えた衝撃の大きさを物語っているように思う。なぜ大きいのかと言えば、何度も繰り返すが、ごく平穏な9月11日の朝の日常と、そこで、3000人以上もの人々がその生を無理矢理に終わりにさせられたという非日常の「差」があまりにも大きいということだ。マンハッタンでテロの現場を想像することなど、さらに言えば、アメリカ本土が攻撃を受けるなどということなど、想像できないことだった。その想像できないことが起きたということ。9.11のインパクトの大きさはここにある。この「差」を実感として感じたことが、僕があの場所に立ってみたことの意味だったのかもしれない。

 この事件は、今でも解明されていない謎が多い。例えば、9.11の直後に起きた炭疽菌事件については、今ではまったく触れられていない。2004年7月に公式の調査委員会が報告書を提出したが、最近この調査委員会の内部暴露本が出版された。それによると、この「公式報告書」なるものも、かなり政治的なバイアスを受けていることがわかる。こうした政府による調査があまりにも信頼できないため、近年ますます、この同時多発テロは政府の自作自演であったとする陰謀説への注目が高まっている。しかし、この陰謀説は疑わしいものだと思う。数千人の一般国民を犠牲にすることと、それが発覚した時のことを比較すれば、政府がそうしたことを行うのは考えがたい。

 しかし、その後の5年間に、アメリカがなにを行ってきたのかということはよくわかっている。本来、9.11の犯行者の逮捕とテロリズムを防ぐことを行うべきなのであるが、アフガニスタンとイラクで戦争を行うことにすり替わってしまった。5年たっても、いまだビン・ラディンの逮捕ができないどころが、その実在さえも疑われている。現代のテロリズムは、グローバルな組織であり、ボーダレスに活動している。これに対して、アメリカ合衆国は国家であり、国家レベルでテロを扱うことしかできない。今でも僕がわからないのは、9.11と、その後のアフガニスタンとイラクへの戦争が、どう考えても結びつかないのである。この事件はテロであり、この事件を起こしたのはテロリストではないのだろうか。それがなぜ、アフガニスタンのタリバンや、イラクのフセインのバース党になるのであろうか。

 ブッシュの言う、いわゆる「テロとの戦争」の間違ってる点は、テロリストを「イスラム」や「中近東」の枠組みでしか見ないことである。例えば、某新興宗教団体が東京の霞ヶ関の地下鉄でサリンをまくテロ事件を起こしたとしよう。これに対して、この某新興宗教団体の道場が山梨県の上一色村にあることを突き止め、この道場だけではなく、ましてや上一色村ではなく山梨県全部を敵と見なして報復爆撃を行ったようなものだ。山梨県民のみなさんからすれば納得できないことであるが、東京都知事は「やむをえない犠牲であった」と言う。某新興宗教団体がこんなことをしたのは、山梨県の政治・経済・社会そのものに問題がある。従って、山梨県の政治・経済・社会を東京都のように改革すれば、テロリストを根絶できるという考え方である。

 これが間違った考え方であることは、中学生でもわかるであろう。

 そして、山梨県民は甲州機動隊なる自衛組織を発足し、東京都軍と戦闘状態になる。東京都知事は「甲州機動隊との戦いはテロとの戦いである」とか言って、ついに戦争になって5年目の年になったという話なのだ。某新興宗教団体が起こした犯罪の追求は一体どうなったのであろうか。この組織は全国に拠点があるので、山梨県でなくても、その他の場所で活動できる。携帯電話やインターネットを駆使して、ネットワーク的に連結し、グローバルに活動できるのである。しかし、東京都の論理の錯綜はさらに続く。この某新興宗教団体は、仏教集団だったということで、東京都知事はその演説の中で「仏教ファシズム」なる言葉を言って、全仏教徒を敵視する。さらに、JR山手線に乗る乗客は、乗る前に数珠を持っていないかどうかのボディチェックを受けなくてはならない。数珠にみせかけた自爆爆弾を使用したテロが、都内で起こる可能性があるからである。とまあ、こうした話みたいなものなのだ。

 何度も書くが、物事のとらえ方が最初から間違っているのである。アフガニスタンのタリバンの掃討や、イラクのフセイン体制を倒して、石油利権を獲得することは、9.11以前からのアメリカの隠れた要望であった。9.11をきっかけにして、それらを実行したにすぎない。テロとの戦争とは、直接的に何の関わりもないことだった。ハマスもヒズボラも、イスラエルには敵であるが、アメリカに敵対行為をとっているわけではない。彼らは、アルカイダではない。アメリカ人相手に、テロをしかけてきたわけではない。ちなみに、北朝鮮の脅威をいくら日本が主張しても、アメリカは重い腰を上げようとしないのは、北朝鮮がイスラム国ではないからである。これがインドネシアやマレーシアであったら、アメリカの態度は変わるであろう。ブッシュ大統領は、中近東に民主主義を樹立すると言うが、アメリカの中近東での最大の支援国はサウジアラビアである。この国は王政であり、民主主義国家ではない。なぜ、ブッシュ政権はサウジアラビアの民主化を遂行しないのであろうか。ましてや、テロとの戦いと、中近東の民主化は別の話である。

 9.11から5年がたった。その間、アメリカはますますわけのわからない方向へと進んでいった。もう一度、テロとの戦いを最初からやり直すべきだ。グランドゼロにもう一度戻って、そこから始めるべきだと思う。9.11以後、アメリカは変わってしまった。それは9.11で受けた衝撃があまりにも大きかったからだ。今のアメリカは、本来のアメリカではない。しかし、アメリカの本来の姿はやがて戻ってくると信じたい。

 テロとの戦いにおいて、何が問題であり、その問題を解決するためにはどうしたいいのか。考える上で、石油利権とか中近東の民主化などは捨て去るべきだ。共和党か民主党か。保守かリベラルか。そうしたことも関係ない。テロリストには、そんなものはないのである。であるのなるば、こちらもテロリストのように、そうした邪魔なものは捨て去ろう。テロリストたちとの戦いは、軍事力による戦いではなく、思考の戦いなのである。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

アメリカがやったことを肯定する意図はまったくありませんが、上のたとえはだいぶ違うと思います。
東京都は、山梨県が某新興宗教団体を支援していると考えていた(もしくは考えていることにしていた)から、山梨県を攻撃したのでしょう。問題は、本当に支援していたのか、仮に支援していたら攻撃してもいいのか、ということだと思います。
なお、ぼくは彼らを積極的にテロリストたちを支援している危険な連中だと思ってますが、それを理由に攻撃していいとはまったく思っていません。攻撃は反撃しか生まないので、戦争を続けることが目的でない限り、攻撃に意味はないからです。もちろん、アメリカの場合、戦争を続けることそのものが目的だからこそ攻撃しているのは言うまでもありません。

Posted by: nh | September 12, 2006 at 06:28 AM

山梨県がカルト出身の議員や役人によって乗っ取られ、武装までしているというケースですね(実際、警察の突入がなければ、町一つがそうなりかけていたわけですから)こうなってしまうとただの県民とカルトの支持者を容易に分別する方法がなくなってしまうだろうし、積極的にしろ消極的にしろ、カルト議員を支持して政権につけてしまった県民をまるっきり免罪とするわけにもいかないだろうなぁ…
また、中東諸国の国体に問題があるのでアメリカが積極的に働きかけるべきというのは、それこそトロツキズムというべき愚行ですね。ハマスやヒズボラがアメリカに敵対行為を働くならヨルダンやパレスチナに進攻して2度と同様なことが起きないように、国家解体やら民主化布教活動を行うこともあるでしょうが…
サウジの問題はサウジ国内でなんとかすべきで、革命や原理主義が国民に支持されないので国外で大暴れというのでは、もはやなんとも…

Posted by: Jho | September 12, 2006 at 08:04 AM

nhさん、こんにちわ

山梨県が某カルト宗教団体をかくまっているのならば、東京都は国際法に基づく犯人引き渡しを要求しなくてはなりません。山梨県と東京都の間にそうした協定がない場合は外交交渉になります。某カルト宗教団体を逮捕ないしは壊滅させることができるのは、山梨県警であって、東京都にはその権限はありません。東京都知事はそんなめんどうなことをしたくないので、この事件は戦争であると宣言して、一方的に山梨県に軍隊を送ったわけです。しかしながら、カルト宗教団体をかくまっているから、その国に宣戦布告するというのは通らない話です。

ここで考え方のキーになるのは、9.11の被害の大きさです。一般的な概念では、これほどの被害をもたらす攻撃ができるのは国家の軍隊しかありませんでした。だから敵は敵「国」であり、その国と戦争をするという流れになります。ところが、9.11で攻撃をしてきたのは国家ではなく、「いちカルト宗教団体」だったのです。「いちカルト宗教団体」が、これだけの被害を起こすことができたというところに、情報通信技術の発展と世界はボーダーレス・ワールドになったということが挙げられます。経済とテクノロジーのグローバリゼーションは、テロリストにもパワーを与えました。これに対抗するには、こちらもこれまでの考え方を変える必要があったんです。

Posted by: 真魚 | September 12, 2006 at 08:18 PM

Jhoさん、こんにちわ

山梨県の議会にカルト出身の議員(ハマスもヒズボラもカルトと言う程でもないと思いますが)が多いとしても、彼らは正当な選挙で選ばれた人々です。アメリカは、それをやめさせることはできないはずですよ。山梨県民はどこも悪くありません。なにしろ、民主主義なんですから。

レバノンにせよ、イラクでさえも、民主主義で選挙をやると、反イスラエルや反アメリカ勢力が票を多く獲得するというのは当然です。イスラエルは元々シリア領だったゴラン高原をシリアに返還するつもりはないようですから、シリアはヒズボラを支援するわけです(であるのならば、国連に訴えればいいのに、ヒズボラを支援するのはいかがなものかと思うけど)。イランはイランで、わけのわからんことを言っているし。いずれせよ、「白」か「黒」かという二元論や、欧米的民主主義が樹立すれば紛争はなくなるとかいった考え方は中近東では通用しません。そうしたものは、前世紀の冷戦時代の考え方ですね。ちなみに、ライス国務長官はソビエト研究の学者だったわけですけど、まさに米ソ冷戦の枠組みで中近東を考えているわけです。

Posted by: 真魚 | September 12, 2006 at 08:27 PM

ええ、ヒトラーでさえ選挙で選ばれたわけですから、おそらくドイツ人はなにも悪くは無いのでしょう。たとえ、山梨県がカルト出身者によって独立王国化したとしても、他県の笑い話ですむでしょうが、武装して隣国を攻撃しはじめたり、テロや犯罪の策源地となって隣県を脅かすようになっては笑っていられません。主権者たる国民がそれなりに責任ある行動をしなければ民主主義は成立しません。面白がってカルトに投票する有権者に免罪符を与えるわけにはいかないとおもいますが…

Posted by: Jho | September 13, 2006 at 06:23 AM

真魚さん、

<<山梨県民はどこも悪くありません。なにしろ、民主主義なんですから。

まるで民主主義にはまったくリスクがない、参加する人には責任がないと受け取れる発言なのですが…

I think you need to read "In Defense of Politics" by Bernard Crick http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0226120678/touen-22

MikeRossTky

Posted by: マイク | September 13, 2006 at 08:25 AM

Jhoさん、

山梨県県民全員がカルト教団ウイルスによってカルト教団ゾンビ化した場合は、これは全員抹殺しなくてはなりません。しかし、民主主義の過程によって、社会がある形態になることを、ウイルスによる感染と同じように考えることはできません。民主主義社会での決定とは、多様性の上に成り立つ、あるひとつの「選択」です。

ヒズボラについて言えば、レバノンが選挙によってヒズボラの帝国になったわけではありません。ヒズボラは、たとえて言えば、レバノン国家内部の別の「国家」のようなものです。確かに、ヒズボラから閣僚や議員が出ています。しかし、ヒズボラの武装闘争をレバノン政府は承認していません。ヒズボラは、レバノン国内のシーア派住民の利益代表みたいなものです。彼らをイランやシリアが支援しています。つまり、レバノンから見れば、国内にイランとシリアの出先機関があるようなものです。ようするに、レバノンというのは「国家」としてひとつにまとまっているわけではないのです(なぜ、そうなのかというと数多くの理由があります)。ヒズボラの行動は、レバノン国民全員の責任であるというのは無理があります。

Posted by: 真魚 | September 13, 2006 at 02:21 PM

Mike,

ほほう。では、ジョージ・ウォーカー・ブッシュを第43代合衆国大統領に選んだのはアメリカ国民であるから、アメリカ人をテロで殺戮していいのだと?

I've already had "In Defense of Politics". However,I've not read it yet.

Posted by: 真魚 | September 13, 2006 at 02:28 PM

>>テロとの戦いにおいて、何が問題であり、その問題を解決するためにはどうしたいいのか。・・・テロリストたちとの戦いは、軍事力による戦いではなく、思考の戦いなのである。

民主化の推進は思考の戦いの一つです。ただし、現行のやり方が最善かどうか、それは検討の余地があります。

こうした問題で真魚さんが書く記事は、どことなく天声人語を思わせるところがあります(ちょっとシンラツ~???)。確かに軍事力だけによる戦いではありませんが、思考の戦いとどう組み合わせるか?民主化と危険な体制の除去はその方法の一つ。それを批判しても対案を出せない民主党だから今一つ米国民の信頼を得られないのでは?

それはさておき、Washington Quarterlyに米欧間のテロ意識の差について興味深い論文がありました。近々、こちらのブログに投稿予定です。

こちらの記事でのブレアについての真魚さんのコメントに返答しました。ちょっとブッシュへのトラウマが強過ぎて、間違った理解をしているところがあるようです(何やら担任教師のような口調??)。

Posted by: 舎 亜歴 | September 13, 2006 at 11:14 PM

民主主義社会での決定は多様性の上に成り立つあるひとつの「選択(括弧つきの)」というのはけっこうなんですが、この「選択」は、多数派が少数派の権利を可能な限り留保するという責任のもとになされることが条件です。もしも山梨県でカルト宗教の人間が多数を占めることになっても隣の県にミサイルを撃ち込んだり、子供たちを洗脳して自爆テロを始めたりするような決定を許してはなりません。あれは県内の一部の勢力がやっていることとで、県議会としては承認していないといってみたところで事実上強制力を持ってしまったら、それを野放しにしている時点責任放棄ということでしょうね。これはカルトに票を投じた有権者だけでなく、そのような社会的責任を放棄してしまうような議員に票を投じた有権者も同様に負うべきでしょうが…
なお県民が皆カルトウイルスでゾンビ化した場合でも、即全員抹殺などと考えてはいけません。できうるかぎり治療法を検討して、可能な限り多くの人々を助けるべきだと思うのですよ…

Posted by: Jho | September 14, 2006 at 09:19 AM

Jhoさん、

もちろん、あれは承認していないと言っても、それを阻止できない県議会にも責任はあります。県議会は実力行使を用いてもカルト教団の行動を阻止すべきです。だだし、それができる近代国家である必要があります。

選出した政治家が愚かであった場合、最終的には彼らに投票した有権者に責任が求めらるのかということについては、議会制民主主義もしくは間接民主制である以上、むずかしい論議になります。もちろん、有権者はより正しい判断をすべきではありますが。

カルトウィルス対策については、バイオハザードの規定内容によりますね。すぐさま抹殺するしか方法がないのか、ワクチンなどといった治療法があるのかによって異なりますね。

Posted by: 真魚 | September 16, 2006 at 01:45 AM

舎さん、

米国民の信頼を得る、得られないの話ではありません。アメリカの政治とは、その根底にそれが正義であるのか、ないのかという問いかけがあります。アメリカ人というのは、(タテマエであるにせよ)それが正義か正義ではないのかということを強く意識します。では、なにをもって正義とするのかという点において、伝統的に保守とリベラルは意見を異にするということです。

民主化と危険な体制の除去といっても、例えば、基本的にイスラム教には政教分離という考え方がありません。そのへんからして、どのようにするのか。そうした具体的対策がなにもなく、ただ民主化を叫んでフセイン体制をつぶしたのがブッシュ政権です。

ブレアについて紹介して頂いた論文を読んでみようと思います。ありがとうございます。

Posted by: 真魚 | September 16, 2006 at 02:27 AM

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