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September 2006

September 24, 2006

日本政府はなぜイラク戦争を支持したのか

 9月9日、クウェートとイラクに派遣されていた陸上自衛隊のイラク後送業務隊が羽田に到着した。これをもって2004年1月に開始された陸自のイラク派遣は終了したことになる。

 2003年3月にアメリカ軍とイギリス軍がバグダッド爆撃を開始してから3年後の今、アメリカのイラク戦争は間違っていたということが、アメリカ国内のマスコミでも大きく報道されている。これまでこうしたことは、アメリカ国外のメディアではなんども取り上げられてきたが、アメリカ国内では正面からイラク戦争を批判することはなかったと思う。しかし、イラク戦争も長期化するにつれ、アメリカの世論もどうもこの戦争はおかしいと思い始めてきた。

 日本のマスコミも、アメリカのイラク戦争が間違っており、アメリカの今の中近東外交は八方ふさがりであるという報道をしている。しかしながら、それでは日本政府はなぜイラク戦争を支持したのであろうかということについては、日本のマスコミも識者もさほど論じていないように見える。

 この日本のイラク戦争への支持の経過について、先日、川辺一郎著『日本の外交は何を国民に隠しているのか』(集英社新書)という本を読んだ。これは、まさに日本はなぜイラク戦争を支持したのかに答える本であって、読んでいて非常に考えるところの多い本であった。以下、この本に従いつつ考えてみたい。

 話は、イラク戦争より前のクリントン政権でのイラク爆撃にさかのぼる。1998年12月、米英によるイラク爆撃が行われた時、日本はいち早くこれを支持した。この時は、日本はアメリカを支持したとは言え、イラク爆撃は国連の承認があった。この当時、日本は安保理理事国を勤めており、安保理に日本の意志を反映させることが可能であった。日本の意志とは、言うまでもなくアメリカ支持である。日本は安保理理事国であったが、自らイラクと国際社会の不和を解決しようとする行動をとることはなく、アメリカの主張を安保理の決定にするために行動した。そして、最終的に安保理はイラク爆撃を承認し、国連中心主義である日本は、国連の承認があるということでアメリカを支持したのであった。

 ところが、この状況が一転したのが2001年のブッシュ政権の誕生である。9.11以後、ブッシュは、テロと戦う「新しい戦争」は従来の法的枠組みには当てはまらないと主張した。これは、法的枠組みに従いつつアメリカを支援するという日本の外務省の基本方針が成り立たなくなることを意味していた。2002年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行い、イラクへの戦争の意志を露わにした。ここで困ったのが日本であった。クリントン前政権とは違い、国連を無視するブッシュ政権下では、98年のような法的根拠の確立ができないのである。

 この時、日本は安保理理事国ではなくなっているので、審議には直接参加できない。そこで日本にできることは、安保理理事国に対してアメリカ支持を働きかけることであった。日本の標的になったのは、理事国の中でも中間派と見られていたアンゴラ、カルメーン、チリ、ギニア、メキシコ、そしてパキスタンの6ヶ国である。その中で、日本が特に標的としたのがチリとアンゴラであった。日本はその経済力を背景にして、ODA援助を使ってチリとアンゴラに圧力をかけたのである。しかし、最終的にチリもアンゴラも日本に従うことはなかった。中間派は爆撃支持に回るだろうと考えていた外務省の判断は外れるのである。結果は誰もが知るように、国連はアメリカのイラク戦争を承認しなかった。それはすなわち、日本がアメリカを支持する法的根拠を失ったということであった。

 しかし、法的根拠があろうがなかろうが、日本はアメリカを支持しなくてはならない。日本政府は、国民にアメリカ支持を納得させる理由が必要であった。ここで出てきたのが北朝鮮問題である。北朝鮮危機がある以上、アメリカを支援すべきだという論調をもって、政府とマスコミは国民にアメリカ支持の正当性を主張したのである。アメリカがイラクの武装解除に失敗すれば、北朝鮮はさらに核ミサイルで強硬姿勢をとる可能性がある、だからアメリカを支援しなくてはならないというわけである。

 これは合理性も法的根拠もない話であった。イラク戦争を支持することが、どうして北朝鮮問題に解決につながるのか。その具体的内容を、政府は国民に述べることはなかった。98年当時、日本の外交は国連中心主義であった。国連中心主義だからこそ、安保理の承認に従ってイラク爆撃を支持したのである。ところが、アメリカの外交が単独主義になると、日本の外交はそれまでの国連中心主義を捨て去るのである。

 日本の一般市民は、イラク戦争は、ブッシュ政権がイラクのフセイン政権を倒したいだけでやろうとしているということはわかっていた。だが北朝鮮問題があるのだから、アメリカを支援することはやむを得ないのだと言われると、納得してしまい、それ以上考えることをやめたのである。しかし、「やむを得ない」どころか、イラク戦争支持することは、日本の主体的かつ積極的な国家意志であった。国際社会での日本の行動を見ても、日本は自発的かつ積極的に、その巨大な経済力を用いて、国連安保理をイラク戦争承認にもっていこうとしていた。

 日本のイラク戦争支持には、そうした矛盾があった。さらに、日本政府は(国連がアメリカの行動を承認しないので)今の国連そのものに問題があるとし、国連改革をすべきであるとアナン事務総長を批判し始めたのである。日本政府としては国連を完全に無視することはできなかった。そこで、間違っているのはアナン事務総長および現在の国連のあり方なのだと主張したのである。

 これは奇妙なことであった。国内政治の都合上、自国の政府の基本方針を変えるのではなく、世界のあり方を変えるべきだと求めたことに他ならなかった。ちなみに、アメリカはそうではなかった。アメリカははっきりと国連は無視する、単独でもやると言った上での行動であった。その意味で論理的一貫性があったのである。日本はそう言えなかった。言えなかったからこそ、世界の方が間違っていると言うようになったのである。安保理は、アメリカの武力行使を承認していないし、当のアメリカも国連無視を標榜していたのにも関わらず、日本は、アメリカは国連の枠内で行動していると強弁したのであった。この時から、日本の外交は精神分裂病に陥ったとも言えるかもしれない。

 次に2004年に、日本はイラクに自衛隊派遣をすることになる。ここで、日本はまた困ったことになった。日本の国内法では軍事行動をとるための法的根拠はないため、自衛隊をイラクへ派遣するための法律もまた国連に依拠する必要があったのである。しかし、その国連に依拠することができない。ここで出てきた動きが、憲法の改正である。憲法が日本の国際的な活動の足かせになっているのだということである。国連憲章にとらわれずに、独自の軍事行動をとることができるためには憲法を変えなければならないという声が高まってきた。今日の安倍次期政権での憲法改正の動きは、ここから始まったとも言えるであろう。

 もうひとつ、イラクへの自衛隊派遣の目的として、ここで出てきた理由が石油資源の確保である。当時、石破防衛庁長官は「日本にとって中東地域、石油の97%を依存しておる中東地域、そこの安定ということは日本の国益にとってどうなのだろう」と述べている。また、福田官房長官は「あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。それは、やっぱり中東地域の安定、イラクの安定、中東地域の安定、そして、例えば石油供給の安定とか、また国際社会の平和と安定という、そういうことを中心に考えた結果でございます。」と述べていた。

 しかしながら、この石油の確保こそ、世界の反戦運動がアメリカに向かって言っていたことであった。反戦運動の人々たちは、石油のために戦争をすることに反対していたのである。

 アメリカ政府が掲げたイラク戦争の理由は、国際社会からフセインの脅威を取り除き、独裁政権に苦しむイラクに民主主義国家を打ち立てることであった。それが建前であったとしても、国家が他国に軍隊を送ることには、それ相応の大義がなくてはならない。ところが、日本のイラク戦争の支持の理由は、北朝鮮問題と石油確保であった。この時期、日本の保守派言論人の多くは、日本の国益を考えなくてはならないと語り、国益のためにアメリカを支持しようと述べた。あたかも、それが国際社会をリアリズムで見ることであり、自分たちは感傷で戦争を反対する左派とは違うかのような論調であった。

 だが、アメリカの大統領も副大統領も国務長官も国防長官も、そして保守派の言論人でも、そうした理由でイラク戦争の目的を語る者は誰もいなかった。たとえ本音であっても、そうしたことは口にだせなかった。戦争の理由が自国の利益のためでは、世論が許さないのである。ブッシュ政権のイデオローグであるネオコンは、国連を無視し、アメリカ単独主義を貫くことを主張したが、そこには確固たる主義主張があり原理原則があった。実際のところがどうであろうとも、少なくともアメリカ合衆国が掲げた戦争の大義は、世界の安全と正義と自由であった。これに対して、日本の政治家がアメリカを支持し、自衛隊を他国へ派遣する理由として掲げたものは、「やむを得ない」という政策でもなんでもない曖昧なものと、自国一国の安全保障と経済的利益であった。そして、そこにはかつて主張していた国連中心主義はいつの間にかなくなっており、あるのは国連改革の要求と憲法改正の動きであった。

 つまり、アメリカの保守派には論理的一貫性があるが、日本の保守派言論にはそれが欠落していたのである。しかし、自衛隊派遣がマスコミの話題となっていた当時、左派はこの論理的矛盾をつくことなく、北朝鮮の危機や石油の確保のためと言われるとなにも反論はできず、そのままずるずると自衛隊のイラク派遣が決まってしまった。本来、むしろ保守派から、石油権益が国家の大義なのかと問う声が出てもいいはずなのであるが、それもなかった。日本の政治家もマスコミも、右派と左派の言論人も、政府が経済権益の確保を憲法上問題のある軍事行動の理由とすることに問題があるとは思っていなかった。日本の国民世論も、それを疑問に感じなかった。

 アメリカの政治では、今なお理念や社会正義が(たとえタテマエであったとしても)堂々と語ることができるのに対して、今の日本の政治にはそうしたものがない。60年代や70年代の国会やマスコミでの安保論争のことを思うと、あの時代であれば、今のようなホンネだけの曖昧で安易な政治は、政治家にもマスコミにも国民にも通らないように思う。

 このように、クリントン政権下からブッシュ政権下での日本のイラク戦争をめぐる状況をざっと見てみると、以下のことがわかる。まず、日本外交の原則とは常にアメリカを支持するということである(それが正しいか正しくないかは、ここでは論じない)。そして、アメリカの政権の基本方針は政党が変われば変わるので、日本外交もまたそれに応じて変わる。しかし、保守主義の台頭によるブッシュ政権の出現とその外交政策は、日本の外交にとってこれまでにない大きな転換を余儀なくされたものであった。2001年以後、日本外交は国連中心主義を捨て、経済力をバックにして、自ら積極的にアメリカ支持を国際社会に働きかけてきた。日本が求めた常任理事国入りは、そうした背景で行われたものであった。

 しかしながら、日本の常任理事国入りは失敗した。そして、現在、北朝鮮問題の状況はなんら進展していない。イラク戦争開戦当時、日本がアメリカを支持すれば、アメリカは北朝鮮問題の解決に動いてくれるだろうという期待を持ったことなど、まるでなかったことのようになっているのである。

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September 22, 2006

まい あぽろじー つぅー きょーわとー

 エントリー記事Sep16『ユナイテッド93』のコメントにて真魚wrote

>>地球温暖化はないといって環境保護に反対する、それが共和党です。

 謹んでお詫び申し上げますとともに、ここに訂正させていただきます。

 シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事(共和党)が、20年までに温室効果ガスを現行より25%削減することを産業界に義務付ける法案に署名するようだ。

 NYTの記事はこちら

 カリフォルニア州司法長官Bill Lockyerはこう語る。

"Vehicle emissions are the single most rapidly growing source of the carbon emissions contributing to global warming, yet the federal government and automakers have refused to act."

「車の排気ガスは、地球温暖化現象をもたらしている二酸化炭素ガス放出の主要な原因です。しかし、連邦政府と自動車会社は抑制することを拒絶してきました」

 この法案は、全米で最初の法案になるという。アル・ゴアのドキュメンタリー映画"An Inconvenient Truth"によって、アメリカの一般市民のみなさんも地球温暖化の危機を理解し始めたのであろうか。地球上の約5%の人口しかいないアメリカは、地球温暖化の30.3%以上もの原因を作っているということをゴアは映画の中で述べている。アメリカが地球温暖化対策を行わなければ、なにも変わらないのである。アメリカの行動とは、すなわちアメリカ市民の意識である。だからこそ、ゴアはアメリカの一般市民に向かって地球温暖化を語るのだ。

 州レベルでは、京都議定書に賛成している州は多い。そして、映画"An Inconvenient Truth"は、ドキュメンタリー映画としてはアメリカ合衆国映画史上4番目の興行成績を収めているという。Green politicsは、今アメリカで大きく動き始めている新しい政治意識である。

 自分は、今まで共和党を誤解してきました。共和党は環境問題を無視し、大手企業の利益を優先し、少数民族や女性や同性愛者の権利を侵害し、中絶を認めず、市民のメールや電話を監視・盗聴し、政府の介入には反対するくせに、軍隊を送って他人の国の政権を崩壊させ、銃による殺人事件がどれほど多くても銃規制には反対し、2000年の大統領選挙ではインチキをし、9/11のテロの情報を事前につかんでいたのに、なにもしなかったし、チェイニーは絶対あやしいし、ヒラリーが下院は共和党に支配された「プランテーション」みたいだと言ったのは正しいし、アン・カルターのフィギュア人形を買う人って・・・・って思うし(でも、見つけたら買うかも)、ジョン・マケインは、バリー・ゴールドウォーターの後継者とは思えないし、などなど、いろいろ思ってきましたが、共和党は環境問題を無視しているという点について、ここに訂正を致します。

 いや、共和党ですら、地球温暖化の(Inconvenientな)事実を無視できなくなってきたと言えるであろう。

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September 17, 2006

アメリカは「普通の国」日本を歓迎する

 日本の次の総理は、安倍晋三でほぼ決まりになっている。海外メディアの見方では、Shinzo Abeは改憲論者のタカ派である。つまり、これから世界は、日本は改憲して軍事力を増強させていくのではないかという見方をしているのであるが、それを期待を持って見るか、警戒感を持って見るか、その政治的立場によって異なる。

 8月27日付のワシントンポストでジョージ・F・ウィルという保守派言論人が"Unbind Japan's Military"という寄稿文を書いている。このessayは、日本でもネットの一部で紹介されているが、ここで改めて考えてみたい。先日、「武装中立」で書いたように、アメリカの意図は日本の憲法9条改正と再軍備である。このessayでも日本がいわゆる「普通の国」になることが、アメリカの利益にもなることであることが明確に書かれている。

 タイトルの「Unbind Japan's Military」とは、「日本の軍事力を解放する」という意味である。ウィルはこう書いている。以下は原文の抜粋とその意訳である。

"Ever since Commodore Perry's black ships entered the harbor here in 1853, the Japanese have wondered whether their nation could modernize without becoming thoroughly westernized. Today they wonder whether their nation can provide for their defense and play a proper role in the international security system without jettisoning a national identity imposed in 1947 by the nation that had sent the black ships."

1853年、ペリー提督の黒船がやってきて以来、日本人は西洋化することなく近代化ができないものか模索し続けてきた。今日、彼らは、黒船を送った国が1947年(日本国憲法施行)に与えたナショナル・アイデンティティを捨て去ることなしに、国家を防衛し、国際安全保障において適切な役割を担えるかどうか模索している。

The first was the 1991 Persian Gulf War. Japan hoped that the end of the Cold War would radically diminish the importance of military power as an ingredient of a nation's international weight. But as America formed a vast coalition to expel Iraq from Kuwait, Japan was constitutionally restricted to "checkbook diplomacy" -- helping to pay for the war.

最初のきっかけは、1991年の湾岸戦争であった。日本は、冷戦の終わりが、国際的地位の内容としての軍事力の重要性が急速に少なくなるものと望んでいた。しかし、クエートからイラクを追い出すために、アメリカが広く同盟国を形成した時、日本は憲法の制約から、戦争にお金のみを出す「小切手外交」しかできなかった。

Then, in 1998, North Korea launched a Taepodong ICBM over Japan's main island, Honshu.

そして、1998年、北朝鮮が日本の本州に向けてテポドンICBMを発射した。

Since then, revision of Article 9 has become probable: A majority of the governing Liberal Democratic Party favors revision, and Shinzo Abe almost certainly will become prime minister when Junichiro Koizumi retires in September. Abe, 51, who represents a generation interested in a more assertive international posture for Japan, has said, for example, that if "there is no other option to prevent" a North Korean attack, a Japanese attack on North Korea's missile launch sites is "within the constitutional right of self-defense." But he clearly believes that even with imaginative construing, the elasticity of Article 9 is insufficient to permit Japan to play a proper role regionally and elsewhere.

それ以来、憲法9条の改正が論議の的になっている。政府の与党である自民党は憲法改正をしようとしている。そして、安倍晋三は9月に小泉純一郎総理の退陣の後を受け継ぐものとほぼ確定している。日本のよりいっそうの国際な態度を押し進めようとする世代の代表である51歳の安倍は、例えば、もし、北朝鮮からの攻撃を防ぐ他の選択がないならば、北朝鮮のミサイル発射場への日本の攻撃は憲法の自衛権に含まれるものであると語っている。しかし、憲法9条の拡大解釈をもってしても、それでも日本の役割を果たすことには不十分であると彼は確信している。

Last month North Korea, which has many medium-range missiles that can strike Japan, launched seven missiles into the Sea of Japan. The 800 Chinese missiles targeting Taiwan could also strike Japan, which in 2005 joined the United States in saying that a peaceful resolution of the Taiwan dispute is a crucial security interest. In June of this year, Japan agreed to jointly produce anti-missile defenses with the United States. Some will be deployed on five Aegis destroyers belonging to Japan's highly sophisticated navy and assisted by Japan's spy satellites.

先月、日本に到達可能な中距離弾道ミサイルを持っている北朝鮮が、日本海に7発のミサイルを発射した。台湾に標的としている800発の中国のミサイルも、同様に日本に到達可能である。2005年、日本はアメリカと共に、台湾問題の平和的解決はアジアの安全保障にとって不可欠であると述べた。今年の6月、日本は、アメリカの対ミサイル防衛に参加することに同意した。いくつかは、日本の高度で優秀な海軍に属する5隻のイージス艦に配備され、そして、日本のスパイ衛星がこれを支援する。

All this while Article 9 says that sea and other forces shall never be "maintained." The Self-Defense Forces are maintained by a $45 billion defense budget, the world's fourth-largest.

これらはすべて、憲法9条が、海軍や他の軍事力を「保持」しないと述べている中で行われている。自衛隊は450億ドルの防衛費によって維持されている。これは世界で4番目に高い国防費である。

This matters to Americans because East Asia -- its share of global gross domestic product now more than 20 percent, is projected to be 27 percent by 2020 -- matters. And because rising China and demented North Korea complicate regional security. And because the list of economically formidable nations that are without virulent anti-Americanism and are eager to collaborate with America is short. The list is: Japan.

これはアメリカにとっても重要である。なぜなら、現在、グローバルGDPの20%以上を占め、2020年には27%になると思われる東アジアが重要だからだ。そして、中国の台頭と錯乱の北朝鮮がアジアの安全保障を混乱させているからだ。さらに、悪意に満ちた反米感情がなくて、そしてアメリカと協力することを熱心に望んでいる経済的に協力な国は少ないからだ。そうした国は、アジアでは日本以外にはない。


 以上、こんなところであるが、最後の"The list is: Japan."とワシントンポスト誌上で言われてしまうと(しかも、この執筆者は米政界の保守派言論人の大物である)、かくもアメリカは日本を信頼してくれているのかと日本の親米保守派の方々は感動するであろう。このように、日本に安倍晋三政権が誕生し、日本が軍事的に「普通の国」になることは、アメリカの保守派にとっても大いに歓迎すべきことなのである。

 しかし、リベラルはそうした見方をしていない。彼らは、日本の再軍備を危険視する見方をしている。例えば、ニューヨーク・タイムズのOnishi記者は安倍晋三政権について"Japan's Likely Next Premier in Hawkish Stand"(「ほぼ決まっている日本の次の首相はタカ派」)というタイトルの記事を書いている(Sept 2)。Shinzo Abeはthe nationalist politician(ナショナリストの政治家)であり、アメリカが押しつけた平和主義憲法改正すべきだと言う。そして"Mr. Abe has said strengthening Japan's alliance with the United States will, more than anything else, guarantee Japan's prosperity. ''The Japan-U.S. alliance is the most important thing for our country's diplomacy and national security,'' he said Friday."(安倍氏が主張する他のどの国よりも日米関係をより強固することは、日本の繁栄を保証するであろう。「日米関係は日本の外交と安全保障において最も重要なものである」と安倍氏は述べた。)と書いている。

 次の大統領選挙で民主党に政権が移れば、アメリカの対日政策は変わるであろう。ただし、リベラルで日本に関心を持つ者はそれほど多くない。今のアメリカで、日本研究を専門にしている者は、よほど奇特な人であろう。その意味で、日本の憲法改正に反対をする大きな政治勢力はまずないと思ってよいと思う。従って、アメリカの次の政権が民主党になろうとも、日本の憲法改正を求める動きはほとんど変わらないものと思われる。ただし、民主党政権になった場合は、日本の軍事よりも社会や経済の「改良」を優先するのではないかと思う。すわなち、どちらであろうとも、安倍政権になってアメリカの対日管理はさらに(さらにだ)進展するということである。また、当然のことながら、日本の周辺国、中国、韓国、ロシアは日本に対して、さらに警戒心を持つだろう。

 このように、バブル経済崩壊後あたりから日本国内で表面化してきた保守的な動きは、あたかも日本独自の自主独立を志向しているようで、実はアメリカの保守の思惑にしっかりと組み込まれていたものなのだ。よく考えてみれば、「親米」+「保守」=「親米保守」というのは、戦後の吉田茂以来の自民党のイデオロギーであった。戦後半世紀以上、日本は親米保守路線の下で豊かな社会になったと言えよう。アメリカに従属しているとしても、結果がOKならいいじゃん、というわけである。アメリカ側も、日本の国民に反米感情が高まるようなことは極力避けている。つまり、日米間は(その実質的内容は不均衡ではあるが)安定して維持し続けてきたのである。従って、日米関係を維持するためにも、憲法9条は改正されなくてはならないということになる。これが日米関係から見た、安倍次期政権が憲法改正を行う背景である。

 しかしながら、「普通の国」なろうが、軍事が解放されようが、戦場に行くのは日本の若者である。このことについては、アメリカの保守派も日本の親米保守も語ることがない。

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September 16, 2006

『ユナイテッド93』

 映画『ユナイテッド93』を見てきた。この映画は、共和党のプロパガンダ映画であるという。国民がテロ事件への恐怖を感じ続けていれば、軟弱な民主党には期待できないということで共和党に票が集まるからである。よって、9.11の記憶が風化しないように、こうして映画を作って人々に見せているのだという。映画は、政府の嘘を糾弾することもあれば、時の政府の有利になるように世論を誘導することもある。テロへの恐怖心がなければ有権者の支持を得られないというのも、なんだかなと思うが、あらゆることを利用して選挙を勝ち抜こうというのはわからないでもない。

 そうか、プロパガンダ映画なのか。よーし、見たろうじゃないかと思い、見に行ったわけである。場所は、日比谷の帝国ホテルの道向こうのみゆき座である。

 で、見てみると、これはなかなかドキュメンタリードラマ映画として良い映画なのではないかと思う。大体、アメリカへ行く時はユナイテッド航空をよく使っているので、なんか他人事にように思えないのである。

 この映画は、9月11の朝、テロリストたちにハイジャックされた4機の旅客機の中の1機、ユナイテッド航空93便の機内で起きた出来事を緊張感のあるリアルなタッチで再現した映画である。とにかく、緊張感が最初から最後まで続く映画である。それでいて、上映時間は約2時間なのだが、見ていて疲れないのだ。つまり、2時間ずーと、緊張感を持って見続けられる作品なのである。このへん、作り方がうまいと思った。話は、連邦航空局とボストンやNYの空港の管制ルームと空軍のNORADのコントロールルーム、そして93便の機内など複数の場所で起きた内容が同時進行していく。

 次々と起こる出来事に連邦航空局は混乱し、軍に連絡するために「連絡将校はどこだ」と何度もどなる。NORADは、NORADで、連邦航空局から誤情報が流れてきたり、戦闘機を飛ばそうとすると許可しないので、「FAA(連邦航空局)なんかくそくらえだ、従う必要はない」と言う。前方の巨大モニターにペンタゴンに旅客機が突っ込んで炎上していく映像が映し出されると、NORADのコントロールルームはその瞬間、人々は凍り付いたかのように動きが止まる。そして、しばらくの無音の後、コントロールルームは再びより一層の混乱状態になる。

 これらのシーンのリアルさは迫真であった。NORADの軍人たちのペンタゴンがやられたという思いが、見ていて伝わってくる。この時、軍はWTCへ旅客機が突っ込んできた時点では、まさかワシントンDCにも同じことが起こるとは思ってもいかなかったということが見ていてよくわかるのである。連邦航空局や空港の管制ルームの人々の、ハイジャックされた旅客機に自分たちはなにもできない無念さの姿と、それとは対象的に、冷静さを失い、とにかく旅客機の撃墜許可をとろうと「大統領には連絡がつかないのか」「副大統領はどこだ」と電話をかけまくるNORADの大佐の姿。

 そして、93便の乗客とテロリスト。

 この映画を見ると、9.11はとかくWTCの方に注目が集まっているが、改めて考えてみると、あれは航空テロだったのだ。着目すべき所は空、すなわちハイジャックされた4機の民間旅客機と航空管制と空軍の3つであった。WTCでの出来事は、その目的の一つにすぎなかった。

 この映画は、いわゆるサスペンス映画やスペクタクル映画などではない。この日なにが起こったのかのということを、ひたすらリアルに描写している。観客を泣かせるような煽情的な演出や、イスラムへの怒りを煽るようなシーンも一切ない。どちらかと言うと、人間としてのテロリストを描いている。 事件の前日、明日決行ということで不安と緊張感の中で神に祈り、みそぎ(?)をする。当日、空港の待合い場では家族か恋人(?)に最後の別れの電話をし、93便が離陸した後も恐怖心からかリーダー格の若者はなかなか決行しようとしない。しびれを切らした仲間が堪えきれずに行動を開始する。そして、リーダー格の若者もまた後戻りのできない悲劇に踏み出すのである。

 テロリストたちは、みな震えながらコクピットを占拠し、パイロットやスチュワーデスを殺害し、乗客を脅し押さえつける。彼らもまた怖いのだ。そうした恐怖に打ち勝つように、彼らは祈りの言葉を絶えず口にしている。「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と。「アラー・アクバル」と言いながら、乗客の首をかき切るのである。神に祈りを捧げれば、自己の行為は正当化されるとでも言うのであろうか。それほど怖いのならば、なぜこうしたことをするのかと思う。数多くの人々を道連れにすることの罪悪感を感じながら、それでもなおかつ、やらなくてはならないこととは一体何であるのだろうか。

 乗客は機内電話や携帯電話で、旅客機はWTCやペンタゴンに墜落したことを知り、これもただのハイジャックではないことを知る。そうであるのならば、なんとか阻止したいと考える。この時、乗客の中に操縦できる者がいないか探したことを見ると、できることならテロリストから操縦桿を奪い、地上に着陸したい、生きて帰りたいと思ったのであろう。しかし、その一方で、自分たちはもう助からないという覚悟もあったのだろう。この映画は見ていて、「こうなった時、自分はどうするのか」ということを生々しく考えさせるのである。乗客がテロリストと戦うシーンで、テロリストたちは神への祈りの言葉を繰り返しつぶやき、乗客の側もまた神への祈りの言葉を唱える。このシーンは印象深い。このふたつの神は、こうした形でしか接し遇うことができないのであろうか。であるのならば、人にとって神とはなんだろう。

 この映画は、すべてが事実の話ではない。遺族や関係者の証言に基づく推測のドラマである。映画を見た後、ネットで調べてみるとユナイテッド航空93便についてさまざまな謎があることを知った。例えば、この旅客機はペンシルバニア州シャンクスヴィルの地表に墜落したわけであるが、その墜落現場の写真を見る限りでは、ボーイングが墜落したように見えないのは確かである。いずれせよ、前回のエントリーでも書いたが9.11には謎が多い。

06/12/29追記
補足エントリー「「9.11」をどう考えるか」

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September 11, 2006

5年目の9.11

 ニューヨークの世界貿易センター(WTC)・メモリアルサイトの空は、あの日と同じような晴れた青空だった。その青い空の下で、そこは巨大な建設工事現場になっていた。摩天楼がそびえ立つニューヨークの街で、そこだけがぽっかりと穴が開いていて、上を見上げると空が広がっていた。

 5年前の2001年9月11日、ここにそびえ立つ二つの大きなビルに旅客機が激突した。崩壊していくWTCの光景を、僕はここから遠く離れた東京の自宅のテレビで見ていた。それから何度も何度も、ネットやDVDであの映像を見てきた。なぜ、こうしたことが起こったのだろうかと考えてきた。考えてきたが、よくわからない。そこで、この出来事があった場所に立ってみた。ここに来れば、なにかがわかるのではないかと思ったからだ。

 しかし、なにもわからなかった。初夏の日差しを受けながら、僕はグランドゼロを前にして、ただ立っていただけであった。結局、なにもわからず日本に戻った。帰ってきて一ヶ月以上がたつ。相変わらず、何もわからないままなのであるが、つらつらと考えてみたい。

 なぜ、何もわからないのか。実際に立ってみたその場所は、拍子抜けする程、あまりにも普通のニューヨークのローアーマンハッタンの一郭であったからだ。5年もたてば、現場の姿はまったく変わっていることは当然のことなのだろう。ここが9.11の現場なのだということを知らなければ、グランドゼロは巨大な工事現場であるだけの場所だった。そこに、やたらたくさんの観光客が集まっていて、みなさんフェンスごしに工事現場を見ているだけという場所だ。あの日、3000人以上の人々が亡くなり、このあたり一面は爆撃の跡のような光景になった。今の光景とあの日の光景のギャップは、あまりにも大きい。

 しかしながら、ここがあまりにも日常的な光景であったということは、あの日もそうだったのだろうと思う。5年前の9月11日は、ごく普通の9月の一日であるはずだった。その日常性が突然断ち切られ、理不尽な暴力が、数多くの人々の命を奪い、人生を変えたのである。

 あれから5年がたった。5年後のグランドゼロに立って、そこで見た光景は、あまりにも普通で平凡な現在の光景であった。しかし、例えば、もしここで再度テロ事件が起これば、僕の意識も非日常性の中にたたき込まれることになるだろう。僕個人が好む、好まざるとに関わらず、テロの現場に叩き落とされるのである。つまり、テロとは人々の日常性を断絶し、意識をある一つの方向に強制的に向けさせることなのだ。だからこそ、日常の中でテロについて考えることは難しい。つまり、今のグランドゼロの、この普通の、あまりにも普通の光景であることが、あの出来事がアメリカ国民と世界に与えた衝撃の大きさを物語っているように思う。なぜ大きいのかと言えば、何度も繰り返すが、ごく平穏な9月11日の朝の日常と、そこで、3000人以上もの人々がその生を無理矢理に終わりにさせられたという非日常の「差」があまりにも大きいということだ。マンハッタンでテロの現場を想像することなど、さらに言えば、アメリカ本土が攻撃を受けるなどということなど、想像できないことだった。その想像できないことが起きたということ。9.11のインパクトの大きさはここにある。この「差」を実感として感じたことが、僕があの場所に立ってみたことの意味だったのかもしれない。

 この事件は、今でも解明されていない謎が多い。例えば、9.11の直後に起きた炭疽菌事件については、今ではまったく触れられていない。2004年7月に公式の調査委員会が報告書を提出したが、最近この調査委員会の内部暴露本が出版された。それによると、この「公式報告書」なるものも、かなり政治的なバイアスを受けていることがわかる。こうした政府による調査があまりにも信頼できないため、近年ますます、この同時多発テロは政府の自作自演であったとする陰謀説への注目が高まっている。しかし、この陰謀説は疑わしいものだと思う。数千人の一般国民を犠牲にすることと、それが発覚した時のことを比較すれば、政府がそうしたことを行うのは考えがたい。

 しかし、その後の5年間に、アメリカがなにを行ってきたのかということはよくわかっている。本来、9.11の犯行者の逮捕とテロリズムを防ぐことを行うべきなのであるが、アフガニスタンとイラクで戦争を行うことにすり替わってしまった。5年たっても、いまだビン・ラディンの逮捕ができないどころが、その実在さえも疑われている。現代のテロリズムは、グローバルな組織であり、ボーダレスに活動している。これに対して、アメリカ合衆国は国家であり、国家レベルでテロを扱うことしかできない。今でも僕がわからないのは、9.11と、その後のアフガニスタンとイラクへの戦争が、どう考えても結びつかないのである。この事件はテロであり、この事件を起こしたのはテロリストではないのだろうか。それがなぜ、アフガニスタンのタリバンや、イラクのフセインのバース党になるのであろうか。

 ブッシュの言う、いわゆる「テロとの戦争」の間違ってる点は、テロリストを「イスラム」や「中近東」の枠組みでしか見ないことである。例えば、某新興宗教団体が東京の霞ヶ関の地下鉄でサリンをまくテロ事件を起こしたとしよう。これに対して、この某新興宗教団体の道場が山梨県の上一色村にあることを突き止め、この道場だけではなく、ましてや上一色村ではなく山梨県全部を敵と見なして報復爆撃を行ったようなものだ。山梨県民のみなさんからすれば納得できないことであるが、東京都知事は「やむをえない犠牲であった」と言う。某新興宗教団体がこんなことをしたのは、山梨県の政治・経済・社会そのものに問題がある。従って、山梨県の政治・経済・社会を東京都のように改革すれば、テロリストを根絶できるという考え方である。

 これが間違った考え方であることは、中学生でもわかるであろう。

 そして、山梨県民は甲州機動隊なる自衛組織を発足し、東京都軍と戦闘状態になる。東京都知事は「甲州機動隊との戦いはテロとの戦いである」とか言って、ついに戦争になって5年目の年になったという話なのだ。某新興宗教団体が起こした犯罪の追求は一体どうなったのであろうか。この組織は全国に拠点があるので、山梨県でなくても、その他の場所で活動できる。携帯電話やインターネットを駆使して、ネットワーク的に連結し、グローバルに活動できるのである。しかし、東京都の論理の錯綜はさらに続く。この某新興宗教団体は、仏教集団だったということで、東京都知事はその演説の中で「仏教ファシズム」なる言葉を言って、全仏教徒を敵視する。さらに、JR山手線に乗る乗客は、乗る前に数珠を持っていないかどうかのボディチェックを受けなくてはならない。数珠にみせかけた自爆爆弾を使用したテロが、都内で起こる可能性があるからである。とまあ、こうした話みたいなものなのだ。

 何度も書くが、物事のとらえ方が最初から間違っているのである。アフガニスタンのタリバンの掃討や、イラクのフセイン体制を倒して、石油利権を獲得することは、9.11以前からのアメリカの隠れた要望であった。9.11をきっかけにして、それらを実行したにすぎない。テロとの戦争とは、直接的に何の関わりもないことだった。ハマスもヒズボラも、イスラエルには敵であるが、アメリカに敵対行為をとっているわけではない。彼らは、アルカイダではない。アメリカ人相手に、テロをしかけてきたわけではない。ちなみに、北朝鮮の脅威をいくら日本が主張しても、アメリカは重い腰を上げようとしないのは、北朝鮮がイスラム国ではないからである。これがインドネシアやマレーシアであったら、アメリカの態度は変わるであろう。ブッシュ大統領は、中近東に民主主義を樹立すると言うが、アメリカの中近東での最大の支援国はサウジアラビアである。この国は王政であり、民主主義国家ではない。なぜ、ブッシュ政権はサウジアラビアの民主化を遂行しないのであろうか。ましてや、テロとの戦いと、中近東の民主化は別の話である。

 9.11から5年がたった。その間、アメリカはますますわけのわからない方向へと進んでいった。もう一度、テロとの戦いを最初からやり直すべきだ。グランドゼロにもう一度戻って、そこから始めるべきだと思う。9.11以後、アメリカは変わってしまった。それは9.11で受けた衝撃があまりにも大きかったからだ。今のアメリカは、本来のアメリカではない。しかし、アメリカの本来の姿はやがて戻ってくると信じたい。

 テロとの戦いにおいて、何が問題であり、その問題を解決するためにはどうしたいいのか。考える上で、石油利権とか中近東の民主化などは捨て去るべきだ。共和党か民主党か。保守かリベラルか。そうしたことも関係ない。テロリストには、そんなものはないのである。であるのなるば、こちらもテロリストのように、そうした邪魔なものは捨て去ろう。テロリストたちとの戦いは、軍事力による戦いではなく、思考の戦いなのである。

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September 03, 2006

先週のTIMEとNewsWeekを読んで

 まずはNewsWeek,Sep4でこの記事から、"Japan Too, YouTube? The video-sharing site is white hot-maybe too hot."
アメリカのビデオ投稿サイトであるYouTubeが"The number of Japanese visitors per month has more than quadrupled to 6.4 million since February, an unprecedented success for an English-language Web site."であるという。ようするに、数多くの日本人がアクセスしているということである。当然のことながら、Japanese visitorsは動画を見に来るだけではなくアップロードしている。何をアップロードするのかというと、話題になった番組のシーンやアニメなどの映像データだ。

 こうなると"YouTube is shaking the staid world of Japanese broadcasters."であるわけで。著作権の問題とか絡んでいるのであるが、そうした法的に云々ということよりも、ネットでは素早く人々に普及し、時間や場所に関わらず見れるのなんて便利じゃないかというわけで、いまやYouTubeはメディアとして確立していると言えるだろう。

 僕も「涼宮ハルヒの憂鬱」はYouTubeで初めて見たし(次は「かみちゅ!」をよろしく)(誰に言ってんだか)。涼宮ハルヒを知っていようがいまいが、そんなことはどうでもいいのかもしれないが、コミニュケーションって、結構どうでもいいことが必要だったりする。YouTubeが示したことは、まさしくそういうことだと思う。日常のたわいもないことを、数分の尺で、画質はどうでもいいから、自分でアップして、みんなで見る。しかも、見たい時に見たい場所で見る。これだけなのである。これだけなのであるが、まさしくこれだけが既存のテレビ局ではできなかった。

 ちなみに、日本でYouTubeができなかったというのも「またもや」という感がある。YouTubeに大量アクセスしてくるのが日本人というのも、日本のメディア状況の今を表している。中国でもなく、韓国でもなく、インドでもなく、ロシアでもなくなく、今の日本が「こういうものが欲しかったんだよ」ということなのだろう。

 近々に、日本でもYouTubeのようなビデオ投稿サイトが出てくるようだ。日本国内のユーザー(つまり、日本人)を対象に(当然だけど)日本語のサイトになる。そうなれば、最近YouTubeで起きたという日本差別事件とそれに続く誹謗中傷事件のようなことは起こらなくなるだろう。しかし、日本語のサイトになると、外国人がわざわざアクセスしてくるとは思えない。YouTubeのグローバルさはなくなる。どうして、自国の殻に籠もったメディアにするのか。YouTubeでいいじゃないかと思うのだが。YouTubeは日本のフツーの人々がアメリカのネットにフツーに入っていった最初のケースだと思う。それは、YouTubeが言語ではなく映像の投稿サイトであるからということもある。

 かりに日本版YouTubeができたとして、著作権問題やら収益の問題やらが表面化することはないだろうか。今は外国の投稿サイトだということで、著作権問題もそれほどシビアになっていないのではないかと思う。で、そのへんのむずかしい問題をきっちりやろうということが、逆にユーザの自発的な盛り上がりを低下させることになりはしないだろうか。さらに、音楽系の人は外国の音楽情報がYouTubeにあるからアクセスするのであって、日本のミュージシャンだけの国内サイトでは意味がないであろう。

 次にカバーストーリーの記事の"Beyond Babies"。少子化について。"Even in once conservative societies, more and more couples are choosing not to have kids. That means good things for restaurants and real estate. But a backlash has already begun."保守的な国でさえも、子供を産まない夫婦が増えていて、いろいろいい面もあるけど、反動もある、ということだ。少子化、晩婚化は日本だけのことではなく、数多くの国で当たり前のことになりつつある。

 興味深いのは(いまさら、興味深いもないけど)、

"The latest surge in childlessness does not follow historic patterns. For centuries in Western Europe, it was not unusual for a quarter of women to remain childless-a higher rate than in any country today. (In fact, demographers say it was the family-happy 1950s and '60s that defied the historical norm.) But in the past, childlessness was usually the product of poverty or upheaval, of missing men in times of war; infertility strikes 3 percent of couples at most. Today the decision to have-or not have-a child is the result of a complex combination of factors, including relationships, career opportunities, lifestyle and economics."

 ということで。過去の時代にも少子化はあったが、それは貧困や動乱や戦争で男性の数が少なくなったことが原因としていたのであるが、今起きている少子化は、男女関係や職業機会やライフスタイルな経済的事情などといった複雑な要因が原因になっているということである。少子化は、いまや数多くの先進国で起きていることであり、どの国も大体、政府はそれでは困るというので様々な対策を打ち出しているが、それでも少子化は止まらない。

 この記事の中の表で、ヨーロッパの子供がいない18歳から39歳に「なぜ親であることを避けるのか」という質問に対して、48%が"Concern about future"と回答している。「これから先のことを考えると・・・」ということであろう。"Enjoy current lifestyle"という回答が44%(おそらく、この調査は複数回答ありだな)ある。記事の中の"I won't marry just to have a child. Woman want quality in a marriage,more emotion, not just economic support."という言葉を読んで、「子は鎹(かすがい)」を思い出したが、そういう日本の古典落語は知らないよなあと思った。しかし、そうなのかというと、確かにそうであるわけで、子供とか経済的理由で結婚するわけではない。ただ、"quality in a marriage"の具体的な内容は、民族によって、人によって、多種多様であろう。日本ではなんですやろ。織田作之助の『夫婦善哉』やろか(なぜに関西弁になる)。

 続いてTIME Sep4からは、カバーストーリーの"Japan's Mystery of Majesty"。秋篠宮妃紀子様のご出産予定日直前ということで、この特集なのだろう。この記事で注目するのは、宮内庁の存在をクローズアップしていることだ。

"As Kiko rests in Aiiku Hospital, which was built with funds partially donated by Emperor Hirohito to commemorate the birth of his own son Akihito, she remains deep in the impenetrable cocoon of secrecy and security that is the hallmark of the Imperial Household Agency (IHA), the mysterious government body that manages every detail of the royal family's affairs. "

 ということで、宮内庁(大日本帝国時代の官庁名は宮内省)こそ"the mysterious government body"だったのである。

 さらにこう書いてある。

"By then, the Imperial Household Ministry, as it was known at the time, had grown into one of the nation's most powerful bureaucracies. It managed Japan's biggest land assets and was among its largest financial institutions, with extensive holdings in the colonial Bank of Korea and the South Manchurian Railway. Given powers to operate independently of parliament, the ministry functioned almost as a shadow government. Its head, Lord Privy Seal Koichi Kido (later convicted as a Class-A war criminal) was Emperor Hirohito's closest confidant during the war. After the war ended, some Allies thought the monarchy should be scrapped. But U.S. General Douglas MacArthur and the Truman Administration decided that retaining it was essential to the occupation's legitimacy, though the Emperor was forced to renounce his divinity. Japan's U.S.-written constitution reduced him to a "symbol of the state." "

 戦前、宮内省は日本統治下の朝鮮のBank of Koreaと南満州鉄道の株を保有していたとは初めて知った。当時、天皇家に資産があったことは知っていたが、宮内省もそうだったとは。思えば、戦後、天皇制が存続したが故に、宮内省が宮内庁として戦後も存在し続けているということはわかるが、実質的に今日、宮内庁とはどのような行政機関なのかよくわからない。大体、この記事にも書いてあるが、古代天皇の天皇陵すら歴史学者が自由に発掘調査できないのである。

 この記事にも出てくる"The Yamato Dynasty"という本は、Bixの"Hirohito and the Making of Modern Japan"と並ぶ、日本近代史に関心がある者にとっての必読文献である。僕も、アマゾンで注文して、前日届いたがまだ読み始めていない。また、日本の研究者の"I don't think most people realize that the whole current conception of the imperial system is only 135 years old, and a product of politics," という言葉を載せているように、このTIMEの記事は比較的よく調べて書いている。TIMEにせよ、NewsWeekにせよ、欧米のメディアは日本について書くと、とてつもない勘違いを書くことが多いが、この時期にこの内容は良いと思う。

 女系天皇について、TIMEの記事では皇室に男子の出産がないことにより女系天皇問題が起きていることを書いているが、それよりも皇太子が宮内庁を批判した発言に着目している。

"Crown Prince Naruhito could take an even more liberal line when he accedes to the throne. Like most royals, he is often maddeningly cryptic when he speaks. But he has dropped hints that he'd like to shake things up. At press conferences, he mentions the "need to review official duties" and "to find an appropriate image for the royal family in the 21st century," as well as his desire to "come into contact with the people of Japan." "

 皇太子徳仁親王による2004年5月の記者会見でのいわゆる人格否定発言であるが、この問題が結局その後どうなったのかうやむやのままになっている。しかし、うやむやのままにしようとどうしようと、やがて皇太子の考える天皇のあり方と宮内庁のそれとの相違は正面からぶつかることは言うまでもない。TIMEはこの記事の最後にこう書いている

"Once Naruhito assumes the throne after his father's death, he may be further emboldened to step in front of the Chrysanthemum Curtain that the IHA has so resolutely kept drawn. And then, at long last, Japan would be able to have an open discussion about the nature of its monarchy, and the place it should occupy in Asia's most mature democracy."

 おそらくというか、確実に、秋篠宮妃紀子様のご出産のある今週、天皇の皇位継承問題が大きな話題となるであろう。しかし、女系天皇の議論の前に、そもそも、今の時代の天皇のあるべき姿とはどのようなものであるのか考えるべきではないかと思う。そちらの方が、もっと重要な問題であるように思えるのであるが。皇室と宮内庁の関係はどうあるべきなのか。皇太子徳仁親王の言葉は、これからの日本と日本人にとって天皇制とは何かという根源的な問いかけをしているように思えてならない。しかし、この問いかけに注目し続けているのは外国のメディアだけなのである。日本国内では、皇太子という「一個人」、あるいは皇太子夫妻の考えなど、天皇制の前には意味を持たないとでも言うのであろうか。

 であるのならば、昭和21年の人間宣言とは何であったのだろうか。昭和天皇は、いかなることがあろうとも天皇であった。しかし、その子のさらに子の代に至るまで、これまでの天皇像であることを求めるものは一体なんなのであろうか。

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