日本政府はなぜイラク戦争を支持したのか
9月9日、クウェートとイラクに派遣されていた陸上自衛隊のイラク後送業務隊が羽田に到着した。これをもって2004年1月に開始された陸自のイラク派遣は終了したことになる。
2003年3月にアメリカ軍とイギリス軍がバグダッド爆撃を開始してから3年後の今、アメリカのイラク戦争は間違っていたということが、アメリカ国内のマスコミでも大きく報道されている。これまでこうしたことは、アメリカ国外のメディアではなんども取り上げられてきたが、アメリカ国内では正面からイラク戦争を批判することはなかったと思う。しかし、イラク戦争も長期化するにつれ、アメリカの世論もどうもこの戦争はおかしいと思い始めてきた。
日本のマスコミも、アメリカのイラク戦争が間違っており、アメリカの今の中近東外交は八方ふさがりであるという報道をしている。しかしながら、それでは日本政府はなぜイラク戦争を支持したのであろうかということについては、日本のマスコミも識者もさほど論じていないように見える。
この日本のイラク戦争への支持の経過について、先日、川辺一郎著『日本の外交は何を国民に隠しているのか』(集英社新書)という本を読んだ。これは、まさに日本はなぜイラク戦争を支持したのかに答える本であって、読んでいて非常に考えるところの多い本であった。以下、この本に従いつつ考えてみたい。
話は、イラク戦争より前のクリントン政権でのイラク爆撃にさかのぼる。1998年12月、米英によるイラク爆撃が行われた時、日本はいち早くこれを支持した。この時は、日本はアメリカを支持したとは言え、イラク爆撃は国連の承認があった。この当時、日本は安保理理事国を勤めており、安保理に日本の意志を反映させることが可能であった。日本の意志とは、言うまでもなくアメリカ支持である。日本は安保理理事国であったが、自らイラクと国際社会の不和を解決しようとする行動をとることはなく、アメリカの主張を安保理の決定にするために行動した。そして、最終的に安保理はイラク爆撃を承認し、国連中心主義である日本は、国連の承認があるということでアメリカを支持したのであった。
ところが、この状況が一転したのが2001年のブッシュ政権の誕生である。9.11以後、ブッシュは、テロと戦う「新しい戦争」は従来の法的枠組みには当てはまらないと主張した。これは、法的枠組みに従いつつアメリカを支援するという日本の外務省の基本方針が成り立たなくなることを意味していた。2002年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行い、イラクへの戦争の意志を露わにした。ここで困ったのが日本であった。クリントン前政権とは違い、国連を無視するブッシュ政権下では、98年のような法的根拠の確立ができないのである。
この時、日本は安保理理事国ではなくなっているので、審議には直接参加できない。そこで日本にできることは、安保理理事国に対してアメリカ支持を働きかけることであった。日本の標的になったのは、理事国の中でも中間派と見られていたアンゴラ、カルメーン、チリ、ギニア、メキシコ、そしてパキスタンの6ヶ国である。その中で、日本が特に標的としたのがチリとアンゴラであった。日本はその経済力を背景にして、ODA援助を使ってチリとアンゴラに圧力をかけたのである。しかし、最終的にチリもアンゴラも日本に従うことはなかった。中間派は爆撃支持に回るだろうと考えていた外務省の判断は外れるのである。結果は誰もが知るように、国連はアメリカのイラク戦争を承認しなかった。それはすなわち、日本がアメリカを支持する法的根拠を失ったということであった。
しかし、法的根拠があろうがなかろうが、日本はアメリカを支持しなくてはならない。日本政府は、国民にアメリカ支持を納得させる理由が必要であった。ここで出てきたのが北朝鮮問題である。北朝鮮危機がある以上、アメリカを支援すべきだという論調をもって、政府とマスコミは国民にアメリカ支持の正当性を主張したのである。アメリカがイラクの武装解除に失敗すれば、北朝鮮はさらに核ミサイルで強硬姿勢をとる可能性がある、だからアメリカを支援しなくてはならないというわけである。
これは合理性も法的根拠もない話であった。イラク戦争を支持することが、どうして北朝鮮問題に解決につながるのか。その具体的内容を、政府は国民に述べることはなかった。98年当時、日本の外交は国連中心主義であった。国連中心主義だからこそ、安保理の承認に従ってイラク爆撃を支持したのである。ところが、アメリカの外交が単独主義になると、日本の外交はそれまでの国連中心主義を捨て去るのである。
日本の一般市民は、イラク戦争は、ブッシュ政権がイラクのフセイン政権を倒したいだけでやろうとしているということはわかっていた。だが北朝鮮問題があるのだから、アメリカを支援することはやむを得ないのだと言われると、納得してしまい、それ以上考えることをやめたのである。しかし、「やむを得ない」どころか、イラク戦争支持することは、日本の主体的かつ積極的な国家意志であった。国際社会での日本の行動を見ても、日本は自発的かつ積極的に、その巨大な経済力を用いて、国連安保理をイラク戦争承認にもっていこうとしていた。
日本のイラク戦争支持には、そうした矛盾があった。さらに、日本政府は(国連がアメリカの行動を承認しないので)今の国連そのものに問題があるとし、国連改革をすべきであるとアナン事務総長を批判し始めたのである。日本政府としては国連を完全に無視することはできなかった。そこで、間違っているのはアナン事務総長および現在の国連のあり方なのだと主張したのである。
これは奇妙なことであった。国内政治の都合上、自国の政府の基本方針を変えるのではなく、世界のあり方を変えるべきだと求めたことに他ならなかった。ちなみに、アメリカはそうではなかった。アメリカははっきりと国連は無視する、単独でもやると言った上での行動であった。その意味で論理的一貫性があったのである。日本はそう言えなかった。言えなかったからこそ、世界の方が間違っていると言うようになったのである。安保理は、アメリカの武力行使を承認していないし、当のアメリカも国連無視を標榜していたのにも関わらず、日本は、アメリカは国連の枠内で行動していると強弁したのであった。この時から、日本の外交は精神分裂病に陥ったとも言えるかもしれない。
次に2004年に、日本はイラクに自衛隊派遣をすることになる。ここで、日本はまた困ったことになった。日本の国内法では軍事行動をとるための法的根拠はないため、自衛隊をイラクへ派遣するための法律もまた国連に依拠する必要があったのである。しかし、その国連に依拠することができない。ここで出てきた動きが、憲法の改正である。憲法が日本の国際的な活動の足かせになっているのだということである。国連憲章にとらわれずに、独自の軍事行動をとることができるためには憲法を変えなければならないという声が高まってきた。今日の安倍次期政権での憲法改正の動きは、ここから始まったとも言えるであろう。
もうひとつ、イラクへの自衛隊派遣の目的として、ここで出てきた理由が石油資源の確保である。当時、石破防衛庁長官は「日本にとって中東地域、石油の97%を依存しておる中東地域、そこの安定ということは日本の国益にとってどうなのだろう」と述べている。また、福田官房長官は「あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。あくまでも自主的な、我が国としての自主的な判断であるということであります。それは、やっぱり中東地域の安定、イラクの安定、中東地域の安定、そして、例えば石油供給の安定とか、また国際社会の平和と安定という、そういうことを中心に考えた結果でございます。」と述べていた。
しかしながら、この石油の確保こそ、世界の反戦運動がアメリカに向かって言っていたことであった。反戦運動の人々たちは、石油のために戦争をすることに反対していたのである。
アメリカ政府が掲げたイラク戦争の理由は、国際社会からフセインの脅威を取り除き、独裁政権に苦しむイラクに民主主義国家を打ち立てることであった。それが建前であったとしても、国家が他国に軍隊を送ることには、それ相応の大義がなくてはならない。ところが、日本のイラク戦争の支持の理由は、北朝鮮問題と石油確保であった。この時期、日本の保守派言論人の多くは、日本の国益を考えなくてはならないと語り、国益のためにアメリカを支持しようと述べた。あたかも、それが国際社会をリアリズムで見ることであり、自分たちは感傷で戦争を反対する左派とは違うかのような論調であった。
だが、アメリカの大統領も副大統領も国務長官も国防長官も、そして保守派の言論人でも、そうした理由でイラク戦争の目的を語る者は誰もいなかった。たとえ本音であっても、そうしたことは口にだせなかった。戦争の理由が自国の利益のためでは、世論が許さないのである。ブッシュ政権のイデオローグであるネオコンは、国連を無視し、アメリカ単独主義を貫くことを主張したが、そこには確固たる主義主張があり原理原則があった。実際のところがどうであろうとも、少なくともアメリカ合衆国が掲げた戦争の大義は、世界の安全と正義と自由であった。これに対して、日本の政治家がアメリカを支持し、自衛隊を他国へ派遣する理由として掲げたものは、「やむを得ない」という政策でもなんでもない曖昧なものと、自国一国の安全保障と経済的利益であった。そして、そこにはかつて主張していた国連中心主義はいつの間にかなくなっており、あるのは国連改革の要求と憲法改正の動きであった。
つまり、アメリカの保守派には論理的一貫性があるが、日本の保守派言論にはそれが欠落していたのである。しかし、自衛隊派遣がマスコミの話題となっていた当時、左派はこの論理的矛盾をつくことなく、北朝鮮の危機や石油の確保のためと言われるとなにも反論はできず、そのままずるずると自衛隊のイラク派遣が決まってしまった。本来、むしろ保守派から、石油権益が国家の大義なのかと問う声が出てもいいはずなのであるが、それもなかった。日本の政治家もマスコミも、右派と左派の言論人も、政府が経済権益の確保を憲法上問題のある軍事行動の理由とすることに問題があるとは思っていなかった。日本の国民世論も、それを疑問に感じなかった。
アメリカの政治では、今なお理念や社会正義が(たとえタテマエであったとしても)堂々と語ることができるのに対して、今の日本の政治にはそうしたものがない。60年代や70年代の国会やマスコミでの安保論争のことを思うと、あの時代であれば、今のようなホンネだけの曖昧で安易な政治は、政治家にもマスコミにも国民にも通らないように思う。
このように、クリントン政権下からブッシュ政権下での日本のイラク戦争をめぐる状況をざっと見てみると、以下のことがわかる。まず、日本外交の原則とは常にアメリカを支持するということである(それが正しいか正しくないかは、ここでは論じない)。そして、アメリカの政権の基本方針は政党が変われば変わるので、日本外交もまたそれに応じて変わる。しかし、保守主義の台頭によるブッシュ政権の出現とその外交政策は、日本の外交にとってこれまでにない大きな転換を余儀なくされたものであった。2001年以後、日本外交は国連中心主義を捨て、経済力をバックにして、自ら積極的にアメリカ支持を国際社会に働きかけてきた。日本が求めた常任理事国入りは、そうした背景で行われたものであった。
しかしながら、日本の常任理事国入りは失敗した。そして、現在、北朝鮮問題の状況はなんら進展していない。イラク戦争開戦当時、日本がアメリカを支持すれば、アメリカは北朝鮮問題の解決に動いてくれるだろうという期待を持ったことなど、まるでなかったことのようになっているのである。
Recent Comments