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August 19, 2006

映画『もんしぇん』を見ました

 ネット配信で『もんしぇん』をという映画が公開されるという。どんな映画なのかと調べてみると、なんかファンタジーのような不思議な物語のようだ。主演の玉井夕海さんは、『千と千尋の神隠し』のリンの声の人だという。あー、あのリン姉さんの声の人か!『千と千尋の神隠し』のキャラの中で、一番印象に残ったのが体育会系のノリの先輩ねーさんだったリンなのである。コレハ見なくてはと(笑)と思った。

 でまあ、ネットで見るのもなんだし、なんと19日の今日は上映初日なのであった。上映している映画館は、上野の国立博物館の敷地内にある映画館であるという。ぢゃっまあ、ちょっと行ってみようかしらと上野へ向かった。

 上野駅から炎天下の上野公園を歩いて国立博物館へ行く。さて、この中に映画館があったかなと思いながら入り口に近づくと、「もんしぇん」の立て看板があって、映画館の方向へ矢印が書いてある。それに従って、博物館沿いにさらに歩く。なるほど、確かに、博物館の敷地の中に映画館があった。一角座というこの映画館は、うーむ、なにゆえここに映画館が、という気がするのであるが、その疑問はこっちに置いておいて。

 結構、混んでいるのである。先日も書いたけど、これはイイなと思う映画は、なぜか単館上映が多い。映画を見るという行為は、映画そのものを見ることだけではなく、その劇場へ行く間も、その劇場にいる間も、その劇場から帰る間も、すべてを含めて「映画を見る」ということだと思うので、こうした「この映画館へどうやって行けばいいのか」から始まる映画館もいいなと思う。でも、単館上映で制作費のコスト回収とかどうなるのかなあとか。シネコンでこれはやらないよなあとか、そーゆー心配は、プロデューサーがすればいいんだよなあとか、そうしたことをぼおおっと考えながら、次の上映時間まで少し時間があるので、真夏の空の下、一角座の入り口の前でぼんやりと立っていた。

 公開初日ということで、映画の上映前に、山本草介監督と主演女優の玉井夕海さんとイメージ設計の海津研さんの舞台挨拶があった。

 物語は、主人公ハルが山道を走るバスに乗っているシーンから始まる。ハルのおなかを見ると、この女性は妊娠していることがわかる。思い詰めた表情でパスの窓の外を眺めていることから、祝福された妊娠ではないようだ。嘔吐を感じたハルは、バスを降りて、雨が降り出したバス停でうずくまって吐く。身体を引きずるように立ち上がり、ようやくベンチに座って、そして目にしたあるものから、ハルの不思議な物語が始まる。

 映画を見ながら思ったことを、以下、断片的に述べてみたい。映画を見ていない人はわからないだろうと思うけど。ぜひ、この映画を見て下さい(としか言えないしぃ)。

 おもしろいのは、この不思議世界ではバアサンの方がしっかりしていて、ジイサンたちを叱咤するのである。オトコってこうだねえと見ながら思ってしまう。

 ストーリィはかなり違うが、同じく海が一人の女性の内面を癒していく物語に是枝裕和監督の『幻の光』という映画がある。これも、生と死がつながった不思議な映画であったが、『もんしぇん』の方がファンタジー性が強く、宮崎アニメの影響を感じる。

 この映画では「舟」が重要なイメージのひとつになっているが、映画を見ながら、これは「うつぼ舟伝説」のバリエーションなのかなとも考えた。「うつぼ舟伝説」とは、簡単に言うと、海の彼方から舟がやってきて、その舟には「魂」や「異人」や「貴種」が乗っていたりする話だ。また、こちら側から、海に向かって、死者を乗せた舟を流す話もある。海の彼方に常世の国があり、そこでは人は年をとらない。人は死後そこへ旅立つという伝承も多い。補陀楽浄土ともいう。この映画は、「うつぼ舟」や「補陀楽浄土」の民話や伝承を思い起こさせるものがある。海にまつわる話もまた、みなつながっているのだろう。

 この映画の中で歌われる「うみは広いな、大きな」という歌で、「月は昇るし、陽は沈む」は、生と死のモチーフだと思う。海は生も死も包括するのである。そのことと、ハルが自分が身ごもったことを知った時、自分の中にも「海」があることを感じたと語る言葉がつながる。そして、それがちいに起こる次の展開につながっているように思う。ちいが海ですくい上げる棺舟は、ちいに亡くした我が子への執着があったため、いつまでも漂っていたのだろう。それが解けた時、棺舟は漂流をやめ、ちいの時間は元に戻るのである。生も死も、もっと大きなもののつながりの一面にすぎないのだ。

 そうすると、この物語のもう一人の主人公である作一は、入り江で自分が若い時に住んでいた家を見つけたということなのだろう。あの日記は、自分の日記だったのだ。ちいの妊娠もまた幸福な妊娠ではなかった。ちいは一人で産むと作一の前から姿を消した。作一は、その後、「はる」と名付けた、その生まれた子が亡くなったことを知る。彼は、このことがずっと気がかりで生きてきたのだろう。そして、年老いた今、あの頃のちいに出会うのである。しかし、今となって、ちいになにをしてやれるのだろうか。その苦しみは、ハルに宿った新しい命への祈りにつながるのだろう。

 もちろん、上記のことは、僕個人の勝手な解釈である。

 最後のシーンで、ハルは持っていたあるものを見て、はっと気がつき、後ろを振り返る。その時、僕も、あっそうだったのかと思った。自分の中に宿った小さな命を、どうしようかと悩んでいた一人の若い女性に、天草の神々が命のつながりを教えてくれたのかもしれない。ちいの我が子への想いが、ハルとその新しい命に伝わっていくのである。そうやって、人は生命を継いでいく。命を宿りし者、命を育てし者は、「ひとり」ではない。みんな、つながっているのだ。

 映画が終わった後、玉井夕海さんの音楽パフォーマンス集団「Psalm」(さーむ)によるミニライブがあった。玉井さんは、この映画の音楽も担当していて、ヴァイオリンの人は映画のちいの役の人だったのだ。あとで、パンフを読むと松尾嘉子さんというヴァイオリニストの人だった。この人と、 25絃箏を弾くかりんさんの3人でのライブ。Psalmとは、ラテン語で讃歌、賛美歌を意味する言葉だという。玉井さんのヴォイスパフォーマンスに、カミが宿るシャーマンのようなものを感じた。

 出入り口を出るところで、パンフとサントラ音楽CDを買う。自宅に戻って、さっそくiMacのiTunesにエンコードする。「脈動変光星」を聴きながら、東京の夏の夜の下で、遠い天草の海を想う。

 テーマ曲「脈動変光星」は、音楽サイトのmF247から無料でダウンロードできます。この映画がどのような物語であるのかは、この曲を聴いてもらえばわかると思います。静謐で、そして深い物語でした。

Monsyen

Itukaku

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