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August 27, 2006

武装中立

 7月13日のエントリー記事「北朝鮮のミサイル騒動について」のコメントで、私は以下の二つのことを書いた。

 ひとつめは、イージス艦やパトリオットの配置をしたとしても、100%の防御でない。実質的に日本の都市に、防衛網を潜ってきたミサイルの着弾はありうる(ただし、北朝鮮のミサイルの命中精度がここまでくるのはまだ当分先の話である)。その時のために、核シェルターや医療施設の整備などが必要なのであるが、そうした話がまったく出てこない。日本政府は、本気で国民を守ろうという意志はないということである。イージスやパトリオットを在日米軍基地や自衛隊基地に配置すれば、それですべてOKのような話になっている。

 ようするに、先月の北朝鮮のミサイル騒動で、日本は将来、北朝鮮からミサイル攻撃を受けるかもしれないという認識はないということなのである。ただ単に、防衛庁の予算拡大と軍事産業の利権確保のためのミサイル騒動だったのだ。北朝鮮が行ったことは、軍事的にはさほど意味のあることではなかった。その認識は正しいと思う。しかし、そうでありながらも、あたかもミサイル危機があるかのような状況が作られ、それに沿って物事が進められているのではないかと思う。そして、仮に今回の北朝鮮のミサイル騒動が茶番であったとしても、ミサイル防衛という課題は依然として残っている。

 ふたつめは、今の日本の過剰な対米依存の姿は、中国やロシアにこれも過剰な自国防衛意識を高めさせることになるということである。昨年の7月に、人民解放軍の朱成虎少将は、欧米のメディアの記者会見で、もしアメリカが中国と台湾との軍事紛争に介入して、ミサイルを中国領土内の標的に向けて発射すれば、中国は核兵器で反撃すると答える一幕があった。これは、あなたたちが通常兵器で攻撃してきたら、我々は核で対抗すると言っているのである。核ミサイルの標的は、アメリカ西海岸およびアメリカの「同盟国」である日本であることは十分予測できる。このうえ、日本が憲法9条を改正することは、アメリカと軍事一体化した日本が中国封じ込めの軍事行動を起こすのではないかという疑心暗鬼を中国軍の内部にもたらすであろう。むろん、朱成虎少将の先制核攻撃論は暴論である。しかし、軍隊というのは、えてして暴論が通るところである。アジアの覇権国家に向かって突き進む中国の内部で、軍部が力を持つことは、かつて同じくアジアの覇権国家になろうとした日本の近代史が示す通りである。

 国連に今なお残る敵国条項では、日本が国連憲章に違反した行為をとった場合は、連合国は国連の決議を待たずに日本に軍事的制裁を科しても良いということになっている。中国は、第二次世界大戦の連合国の一国である。なにをもって「日本が国連憲章に違反した」と判断するのかは、中国側の解釈なのである。これはすなわち、台湾海峡で有事が起きた際、米軍+自衛隊が介入した場合、中国からの核ミサイル攻撃を日本本土は受ける可能性があるということである。

 こうしたことは、今の日本の対米依存があるが故に起こりうることなのである。よって、日米安保は発展的に解消して、今の日米関係を根本的に変えるべきだと私は考える。戦前とはまったく変わった平和国家なのであるということを、日本は国際社会に絶えずアピールする必要がある。そうでなくては、どこかの国に敵国条項を利用されてしまうからだ。日本と同じ「敵国」であったドイツは、それを理解しているため、今のドイツはナチス・ドイツとは違うことをさかんに世界に向かってアピールしているのだ。ところが、日本では戦前の日本は正しかったという風潮が最近多くなってきた。しかも内閣総理大臣が8月15日に靖国神社を参拝するのである。世界の世論は、日本をどう思うかは言うまでもないであろう。それはすなわち、敵国条項を根拠にされやすい状況になっているということなのである。

 少し前に、中山治著『誇りを持って戦争から逃げろ!』(ちくま新書)という本を読んだ。これは非常に示唆に富む本であった。ミサイル防衛で核シェルターの話がないことや、国連の敵国条項が中国に利用される可能性があるということをこの本から知った。アメリカ依存ではなく、憲法9条を変えることなく、日本は武装中立国になるべきであるということをこの本から学んだ。この本は、読んでいてなるほどと思うことが多く、みなさんにも読むことをお勧めしたい。以下、この本を踏まえつつ、さらに考えてみたい。

 まず、日米安保を考える上で、よくある思考パターンは、仮に日米安保をなくしたとして、日本単独で日本の防衛ができるのでろうか。例えば、中国が日本に侵攻してきた場合、日本の自衛隊だけで勝つことができるであろうか。できるわけはない。日本に在日米軍が駐屯しているからこそ、それが抑止力になって、日本の安全保障を維持している。アメリカ軍と手を切ることなどできない、よって、日米同盟は今の状態を続けるしかない、というものである。

 この思考パターンそのものを疑わなくてはならない。この思考パターンは、以下の2つの前提があると思う。アメリカ軍は今後も日本に基地を置き続けるということ、次に日本単独では日本の防衛はできないという2点である。

 最初の前提1ついて考えてみよう。例えば、アメリカの議会で、アメリカ軍は今後も日本に基地を置き続けるのかと尋ねれば、かなりの論争になるであろう。いわゆる、米軍再編である。少なくとも、アメリカは今後も継続して、日本にアメリカ軍を駐屯させなくてはならないという固定した思考パターンを持っていない。今のアメリカ軍は、地球上のどこへでも短時間で移動し、戦闘準備を行おうことを可能にするよう組織の変革中である。外国に恒久的な「基地」を置くという考え方は、時代遅れになってきている。アメリカの本音としては、在日米軍は段階的に縮小させたいということなのである。

 ところが、これに困るのが日本側であった。日本は、自国の安全保障をアメリカ軍に依存しているため、国内のアメリカ軍の規模が小さいものになっては困るのである。今回の在日米軍再編でも、キャンプ座間に陸軍第一軍団司令部が移転してくるが、沖縄の海兵隊司令部がグアムへ移転するのに、なぜわざわざ陸軍の司令部を日本に持ってくるのか。これは、今回の再編によりあまりにも日本国内の在日米軍の規模が縮小してしまうので、日本政府がせめて陸軍の司令部を持ってきて欲しいとアメリカに要望したといううわさがある。とにかく、米軍あっての日本の防衛であり、米軍なき日本防衛などありえないという冒頭に挙げた思考パターンに凝り固まっているため、自国の防衛について自由な思考ができないのだ。

 実質的な話として、海外基地をまったくなくす、例えば沖縄からすべての米軍基地を撤去するということは、現状ではまだできないであろう。朝鮮半島と台湾を考えると、日本に基地を置くことには今だ価値がある。しかし、方向性としては基地撤去の方向であるということは意識すべきである。今後、在日米軍はさらに縮小していくということを日本は考える必要がある。これはすなわち、アメリカは日米安保があるから在日米軍の規模は縮小できないとは決して考えないということである。アメリカは、あくまでも自国の安全を目的として在日米軍を日本に置いているのであって、日本の防衛を主たる目的としているわけではない(しかも、移転費用は日本に負担させる)。ところが、日本側は日米安保を後生大事と決め込み、在日米軍の存在をもって日本の防衛を考えている。

 ここに、ある最悪のシナリオがある。『SHOWDOWN』という国防総省の二人の元高官が書いた近未来小説では、北京オリンピックを終えた中国では、拡大していく貧富の差により国内各地で民衆の暴動が起こる。そこで、中国政府は人民の不満を抑えようと、抗日ナショナリズムを高揚させる手段をとる。日本の首相が靖国神社を参拝することは、中国への戦争行為だとみなすと宣言し、日本に全面謝罪と尖閣諸島放棄を要求するのである。日本政府はアメリカに安保に基づく支援を要請するが、日中間の問題であるとして、アメリカ政府は日本からの支援要求を断る。 もちろん、これは小説だ。しかし小説とはいえ、非常に現実味のある話である。

 さらに、中山治氏は『誇りを持って戦争から逃げろ!』の中でこのように書いている。米中間で緊張状態が高まり、中国は先制攻撃としてアメリカと軍事一体化した日本に核ミサイルを撃ち込む。中国は世界からの批判を浴びるが、敵国条項と日本の先制攻撃力を無力化する必要があったことを主張する。世界は、日本が戦前の誤りを反省していないことを知っているので、やがて国際世論は日本への核攻撃は「日本の自己責任」だとして中国に同意するようになる。そして、日本への核攻撃の後、米中間では和平交渉が行われるのである。つまり、馬鹿を見るのは日本だけというストーリィーである。

 これも現実味のあるシュミレーションだと思う。米中という二つの巨大な大国の間では、日本などちっぱけな国に過ぎないのである。アメリカは、常に日本の味方であるわけではない。ちなみに、そう考えることは同盟国であるアメリカを信頼していないのかという意見に対しては、国際社会の常識を知らない人の意見だと言わざるを得ない。日本が同盟国アメリカに対してそう思っていることは、別にアメリカとしても当然のことと思うであろう。

 では、どうしたらいいのか。次に前提2について考えてみたい。前提2とは、「日本単独では日本の防衛はできない」という前提である。在日米軍がいなくなって、なぜ日本人は困るのか。「日本単独では日本の防衛はできない」と思っているからである。

 しかし、日本独自で自国を守ることは十分できると私は考える。むしろ、日本独自でどのように自国を守っていくかと模索していくことがまずベースにあるべきなのだ。日米安保は、その一つの案にすぎない。アメリカ軍に依存した日本の防衛以外の方法などないと思いこんでいるだけなのである。今のアメリカ依存路線は、米ソの冷戦に巻き込まれることを防ぐために、占領時代の当時の吉田茂総理らが決めた事にであって永久普遍のものではない。この半世紀以上、日本はその案に従ってきた。だが、今後はその案に従い続けることが、どうやらできなくなってきたということなのである。そうであるのならば、他の案を考えるしかないであろう。

 日本の防衛とはなにか、なにを守ることによって、日本の防衛とするのか。地理的な意味で考えれば、それは日本国領土、領海、領空の防衛である。朝鮮半島や台湾海峡は、日本国防衛の範囲ではない。ましてや、インド洋やペルシャ湾やイラクはまったく関係ない。日本は、外国で本格的な軍事行動を展開できる規模の軍隊を持っていない。持とうとしても、その膨大なコストを支える力はない。日本によるシーレーン防衛なども、そもそも不可能である。つまり、日本は大規模な戦争ができる国ではないということなのだ。であるのならば、戦争をしかけられない国になるしかない。戦わずして勝つ国にならなければならない。日本にミサイルが落とされたら、国際世論がその国を非難するようにしなくてはならない。また、日本の主導のもとで経済封鎖や金融封鎖ができる国にならなくてはならない。軍事力ではなく、外交と情報と経済で国を守るのである。

 もちろん、軍備は必要である。軍隊は必要ないという左翼の主張は、あまりにも空論である。日本が軍隊を持たなければ、相手は日本を攻撃してこないということはない。日本の領内を守る軍事力は必要だ。その軍事力は、中近東はおろか朝鮮半島にも台湾海峡にも派兵しない規模なので、日本の経済力でそれを支えることができるはずだ。

 すなわち、日本は武装して中立を宣言した武装中立国家になるのである。これからの中国の発展を考えると、今後、日本はその地政学的な位置上、米中のバランス・オブ・パワーの中で、中国側につくのか、アメリカ側につくのか双方の国から選択を迫られるであろう。その時、どちらにつくことなく中立の道を選択するのである。中立を宣言した国にミサイルを撃ち込むのは、国際社会からそうとうな非難を浴び、経済制裁を受けることを覚悟しなくてはならない。

 アメリカ側にいてもいなくても、やがていやでも中国の覇権に日本は直面せざる得なくなる。その時、日本の防衛はどうなるのか。アメリカは、今後もさらに在日米軍の規模を縮小し再編し続けていくであろう。もはや在日米軍を頼った日本の安全保障はできなくなった。それでいて、現状の日米関係を続けている限り、憲法9条は改正され、自衛隊はアメリカ軍の組織のひとつとして、朝鮮半島や台湾海峡や中近東へと派兵を余儀なくされるであろう。

 だからこそ、憲法9条は変えてはならない。アメリカに依存することなく、独立自尊の武装中立国になること。それは、アメリカとも、中国とも関係を保つ唯一の道なのだと思う。

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Comments

防衛をどう考えるかってのは大事ですね。

国土に一発たりとも攻撃は許さない。
なんてのは妄想だしね。
日本単独でも同盟維持でも同じ。

仮に将来、中米戦争(?)なりが勃発すれば、
その時点で日本がどんな立ち位置だろうが
バチカン半島や朝鮮半島のような
結果になるだろう事は想像できるし。
(主戦場にもよるけど)

それでも、現状では私は日米防衛が
次善の策とは思います。

対米偏重は、対中先鋭化を招くと
わかっていてもね。

日米同盟中でも、中国と関係改善していた
時代が確かにあったことは忘れては活けないと思う。
(一言で言えば小泉)

今、独立を謳っても中韓は信じないだろうし
対米関係は悪化するし。

ルイージさん、

現状を見れば、連密なる日米同盟が現実的な選択です。武装中立はそう簡単にはできません。今すぐできるものではないです。20年から30年ぐらい、あるいはもっとかかります。そうした長いスパンで世界を考えて、今なにすべきを考えることが必要なのだということです。

「世界とアジアのための日米同盟」(by 安倍晋三)でいいと思います。そうであっても、9条改変はしない、自衛隊は海外派兵はしない(自衛隊は日本国を防衛する軍隊であって、アメリカ軍の支援部隊ではない)、国連の承認がないアメリカの単独軍事行動は支持しないというスタンスを貫けばいいわけです。これだって十分「同盟」なんです。しかし、安倍晋三氏は、アメリカに依存するのが日米「同盟」なのだと思っているようです。このへん、小沢一郎氏なら違うと思いますが、政権交代をしなければ小沢政権は実現しませんね。

>アメリカに依存することなく、独立自尊の武装中立国になること。それは、アメリカとも、中国とも関係を保つ唯一の道なのだと思う。

非常に初歩的な質問ですが、核抑止力は自前でもつべきですか、その時は?ちなみにインドの核保有がアメリカから事実上黙認されたのは、戦略パートナーと市場開拓のためです。

独立自尊の武装となるとアメリカと中国の両方と対立の可能性も秘めてきます。こうした国の核保有となると。とはいうものの、どこの国の核の傘にも頼らないなら、自前の核兵器を持たざるを得なくなります。

こうなると日本にとって危険な状態を自ら招いているようなものでは?

舎さん、

日本が核兵器を持つことについては慎重な考えが必要だと思います。日本が核を持てば、ロシアか中国が日本に先制攻撃をする理由になる可能性があります。逆に「核を持たない」というのが抑止「力」(軍事力の「力」ではなく、国際世論と理念の「力」という意味で)になることも考えられます。

重要なのは、核を持つにせよ、それは国土防衛を目的とした核兵器であるということです。しかし、日本国領内で核兵器を使えるのかどうかということがあります。だとするのならば、いっそのこと核を持たないという選択もできると思います。「中立である」「先制攻撃はしない」「自ら戦争はしない」さらに「核は持たない」というのは、ある意味で尊敬すべき国家になりますから、日本に核攻撃をする国は国際社会から報復を受けることを覚悟しなければならない、というシナリオが作れる外交力を日本が持てば(核を持たないという選択も)可能だと思います。

そうした外交力を持つ国になろうというのが私の意見です。ちなみに、中立と言っても武装中立ですから軍隊があります。今の時代、軍事技術はアメリカと関わることなしに成り立ちません。従って、武装中立国家日本はアメリカと関係を作らなければなりません。中国、ロシアとはより親密な経済関係が必要になるでしょう。

>そうした外交力を持つ国になろう<

個人的には
アメリカが没落でもしない限り日本は
「そうした外交力を持つ国」
にはなることが出来ないと考えているので
やっぱり、真魚さんの意見には
敬意を払うけれど同意はできないな。

理想は大事なのでマイクさんみたいに
否定はしないけどね。

そうか。

「そうした外交力を持つ国」
でない「現在の日本」にとって、
真魚さんの挙げる理想は
現状では選択肢になりえない。

ってことだね。
向かうべき方向性ではあっても。

まずは、「そうした外交力を持つ国」に
日本がなってからの話ですね。

否定ですか?<笑>

<<軍事力の「力」ではなく、国際世論と理念の「力」という意味で

国際世論と理念の力ってどう発揮できるのでしょうか?

アジアでは中国、韓国、北朝鮮などは二言目には第二次世界大戦の”汚点”を(国内向けにナショナリズムの盛り上げも含めて)出してきますから、発揮することは難しいのでは? 

なぜ、日本がそのような力を持つ事が認められるのかが問題ではないでしょうか?

日本が実質的な軍事力の力を持つことも実現性も低いと思えます。

日本がイランに対して、数千億の投資をしていても核を広めるのなら石油は買わない、投資は捨てるなどを明確にするのなら話は別かも知れませんが…

どうでしょうかね?日本の「力」は経済力と私は思います。その力を利用しない限りは難しいような。

MikeRossTky

ルイージさん、

現状では無理です。ですから、10年、20年、あるいはもっとかかると申しています。しかし、今の日本外交にないのが、そうした長期的な方向性です。未来の方向性もなにもなくて、その場その場の当たり的で、アメリカにひたすら従うのが日本です。これでは50年たとうが100年たとうが属国のままです。

そうではなくて、長期的なビジョンをもって、「日本はこういう国になりたい」「こういう国になろう」と日本人の一人一人が思うことが必要なんです。今の日本には、それがありません。それがないことが属国の属国たる証なのです。アメリカに従っていさえすればいいと思っているので、自分ではなにも考えないのです。

それをもうやめよう、自分たちで自分たちの未来を考えようというのが私の意見です。

Mike,

投資のコストは回収します。利益も得ます。イランに寄付したわけではありませんので。business is business, そして、イランが核兵器を持とうが、他の国に売ろうがIt's none of my businessです。

真魚さん、

では石油のためには何でもOKってことをお書きになっていると理解してよろしいでしょうか?

イランが核をどうしようが、日本は石油のためには… 

まるで真魚さんが何時も非難するアメリカの中東戦略じゃないですか!!

MikeRossTky

>そして、イランが核兵器を持とうが、他の国に売ろうがIt's none of my businessです。

これでは「トランジスターのセールスマン」と馬鹿にされたかつての日本です。こう言ったシャルル・ドゴールもクセの強い人物でしたが。

日本はイランとはかつて二度も似たような問題を起こしています。まず1951年のアングロ・イラニアン社の国有化をめぐって。この時は平然とイランの石油を輸入した日本は英米の怒りをかいました。二度目は1979年のアメリカ大使館人質事件。この時も制裁に参加せず、三井石化プロジェクトを継続しようとした日本は非難されました。

三度目ともなると過去のことが思い起こされて、必要以上に日本の立場を悪くします。もう「歴史認識」で苛められるのは、悪名高き儒教諸国だけでたくさん。

忘れてはならないのは、北朝鮮のミサイル発射の際にイランの関係者が招待されていたこと。「悪の枢軸」に寛大だと、結局は日本の安全保障に悪影響を及ぼします。

Mike,

石油のためには何でもOKとは何でしょうか?
What are you talking about?

ビジネスですから、中近東よりウズベクスタンやロシアの石油の方が安ければそちらから買いますけど。

舎さん

「悪の枢軸」といっているのはブッシュです。かつて前世紀に日本も悪の枢軸国と呼ばれたことがありますが、これは欧米(特にイギリス)の一方な解釈であったことは、今や右翼でなくても、よくわかっていることです。ブッシュがそうしたことを言うのは自由ですが、中立国日本がそれに従わなくてはならない理由はありません。今日、フランスはアメリカの外交政策に反対しますが、だからと言ってフランスが国際社会から非難されることはありません。

核不拡散は温暖化と同様に地球規模の問題です。しかもその脅威はもっと差し迫っています。"It's none of my business"ではこうした状況に対して余りに認識不足です。ロシアだろうと中国だろうと、他の危険な国やテロリストへの拡散の可能性のある国が核保有に踏み切る事態を歓迎はしません。

真魚さんが敬愛するゴアなら「悪の枢軸」というキリスト教色の強い語句は使わなかったでしょうが、基本的な認識と対応はブッシュのものと変わりません。核保有国が増えること自体が由々しきことですが、イランのような国が核を持てば谷広がる危険があります。これはルイージさんが問題視したイスラエルやインドの場合と根本的に異なるのです。

最後にフランスについてですが、確かにアメリカとよく対立しています。ただしやたらに対立している訳ではありません。アメリカ外交の基本である民主主義の拡大、核不拡散、テロの打倒といった理念はフランスのものとも一致しています。ただ、アプローチが違うだけです。

イラクではクリントン時代の限定爆撃に参加していました。サダム・フセインを脅威と見ていました。これはアメリカのリベラル派の専門家も同様です。サダムが脅威でないなどと言うのは、赤がかった反戦運動の人達くらい。アメリカと対立したのは、最後の一線を踏み越えるかどうかに過ぎません。

そもそもフランスはNATOの加盟国です。

イランの関係者が北朝鮮のミサイル実験の場にいたことをどのように考えますか?これは日本への敵対行為です。

以上からnone of my businessという語句がいかに不適切かわかろうというものです。商業利権をどうするかはさておき、核不拡散の重要性に関してあのコメントは余りに認識不足です。

>イランが核兵器を持とうが、他の国に売ろうがIt's none of my businessです。<
真魚さんの発言には少し吃驚。
これはちがうでしょ。言い過ぎな感あり。

>中立国日本<
これも違う。現在日本はアメリカの同盟国であり、属国でしょ?わかってるはずです。

だからといって、米英の顔色ばかり伺うのも違うと思うわけですよ。
米英=世界ではない。ジャイアンではあるけれど。
小泉・ブレアはブッシュを支持する
“数少ない”トップですが、両人とも
舞台から降りますし。

ちなみに核兵器保有国の危険度について

どの国が危険かどうかは
捉え方によってかわるよね?

舎さんは思想的に危険かどうかで
線引きしてるようだけど。

兵器としての核は大国ほど使いにくい、
使うメリットが少ないと考えれば

イスラエルなんてよっぽど危険な国だよね?
いざとなれば使うだろうし、そのいざの
ハードルもかなり低そう。

現時点で持っている、軍事技術、交戦意欲を
あわせれば
私のなかでの核危険度は
イスラエル>イラン>北朝鮮
となります。(地理的要因含めず)

名古屋大学のひとの意見
http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/genshi-simu/kitatokaku3/index.htm

ここまで、北朝鮮の肩を持つ気にはならないけれど
まあ、ほぼ同意ではあります。

ルイージさん、

中立国家日本と書いたのは、中立国家になったと過程しての話です。今の属国日本ではできません。

で、例えば、イランと石油の商談をしていて、イランから石油を買うことがほぼ決まりになった時、イランは核兵器をテロリストに販売している可能性がある。英米は日本にイランの石油を買うのをやめるように「要請」してきた。日本政府はその「要請」に従うと回答した。よって、お前はイランとこれ以上商談してはイカンと言われたら、これは「はいそうですか」とは言えないのではないでしょうか。なぜ国家が経済に介入してくるのかと思うのではないでしょうか。当時者にとって、これは受け入れられない話です。私だったら、まさしくIt's none of my businessといって商談を進めます。ましてや、イランから石油を買おうとしている会社が多国籍企業である場合、どの国の政府の指示に従わなくてはならないのでしょうか。

もちろん、そうした経済の現場のこととは別に、イランが核兵器を例えば北朝鮮に売ったとなると、これは抗議すべきことです。

舎さん、

イランがどうこう、北朝鮮がどうこうではなく、本質的な問題とはなにか、から考える必要があります。ここで言う本質的な問題とは、そもそも核拡散を防げるのかどうかということです。

核拡散については、それを押しとどめることはできないと思います。その理由のひとつは、ルイージさんの紹介してくれた名古屋大学の方も書かれているように、大国のみが核兵器を保有して良いというのは正当な根拠になりません。民主主義国だけが核兵器を持って良いのならば、なぜ中国は許されるのでしょうか。ただし、名古屋大学の方のように、いかなる国も同じと考えるべきなのかとは私はそうは思いません。やはり、違いがあります。

もうひとつの理由は、私は核拡散を完全に防ぐことは不可能だと思います。基本的に発展途上国が自国の工業のレベルが上がり、自国の防衛のために核兵器を購入もしくは製造することをやめさせることはできません。他国が「作るな」といっても「作る」のが国家というものです。さらに、核兵器がテロリストの手に渡ることはいずれ時間の問題だと思います。それを完全に防ぐことは不可能です。

であるのならば、「核兵器を持つな」と圧力をかけるのではなく「核兵器を使わせないようにさせる」のが必要なのではないでしょうか。そもそも、核兵器はその破壊力の大きさと放射能被害があるため、戦争でおいそれと使用できる兵器ではありません。ロスアラモスで核兵器が開発されてから半世紀以上たっています。その間、人類は数々の戦争をしてきましたが、核兵器を実戦で使用したのは太平洋戦争での2回の使用のみです。それも戦略的にさほど意味を持たない、むしろ実験的な目的での使用でした。相互に核兵器で攻撃しあう戦争を、人類は今だかつて行ったことはありせん。

なぜ、今だかつて行ったことがないのか。それは使えないからです。1962年のキューバ危機で、世界は核戦争の直前までいったわけですが、それでもケネディもフルシチョフも使用しなかったわけです。使用した場合のその被害の大きさに恐れを抱いていたからです(実際のところ、フルシチョフはアメリカとの戦争になった場合まず勝てないことを知っていたということもありますが)。

では、軍事的に役の立たない兵器をなぜ各国は持っているのか、それは核兵器保有の意味とは軍事的に意味があるのではなく、政治的な意味があるからです。第二次大戦の時代とは異なり、今日、核兵器とは軍事兵器ではなく政治の道具なのです。であるのならば、不確実な核拡散阻止をとるよりも(もちろん、核拡散を容認するわけではありません)、核兵器使用の阻止に勤める方がいいと私は思います。核兵器は政治「兵器」なのですから、政治で無力化させてしまうことは可能であるはずです。そして、最大の政治的無力化とは、すなわち「核を持ってもいいけど、使うなんてバカなことだ」ということを相手にわからせるということです。某北の国(日本から見ると西だけど)のように「核を使うぞ」とか言ってきたら、世界中の物笑いになる、そうした世界になるということです。北朝鮮のミサイル実験にイランの姿があった、これは日本への敵対行為であると騒ぐよりも、こちらの方がもっと重要で大切なことです。もちろん、だからどうでもいい、無視していいとは思いませんが、北朝鮮とイランの関係はある一面にすぎません。

なお、フセインの脅威については、例えば、元CIAの中近東アナリストのKenneth M. Pollackは、イラク戦争の前に出版された著書"The Threatening Storm: The Case for Invading Iraq"に、今現在のサダムは脅威ではなく、その息子のウダイの時代になってアメリカの脅威になる可能性はあると書いていました。そうであるのならば、アメリカは子の危険性を親の代につみ取ってしまおうとしたことになります。実際、二人の息子はアメリカ兵にほぼ殺害の形で殺されました。日本の中近東研究の第一人者であるアジア経済研究所の酒井啓子もサダムをアメリカの脅威と判断していませんでした。バース党は欧米寄りの世俗的政権であり、イスラム原理主義ではありませんでした。私はバース党をつぶすよりも、バース党を通してアメリカはイラクを管理した方がよかったと今でも思っています。少なくとも、イラクは今日のような内戦状態になっていないと思います。このことをひとつをとって見ても、ブッシュ政権のイラク戦争は誤りだったと思います。

ルイージさん、

上の舎さんへのコメントで書きましたように、軍事兵器としての核兵器は「使えない兵器」だと思います。こんなものは、コストだけかかって、使いものになりませんね。僕だったら、核弾頭ミサイル買うなら、イージス艦とか偵察衛星を買って下さいと言います。

しかし、ですね。狂信者は別です。狂信者には戦術的あるいは戦略的思考はありませんから、いざというときには、前後も考えず使ってしまうかもしれません。前後も考えず使ってしまうから狂信者なんですが。

狂信者とは誰か。テロリストはある意味で狂信者ですね。あと、中近東の某ユダヤ教国家もそうかもしれません。黙示録によれば、ハルマゲドンになればメシアが降臨するそうですから、戦争が拡大した方がいいと思っているのかもしれません。戦前の日本も狂信国家でした。軍事的合理性を持っていない戦争はすべてそうですね。

名古屋大学の人の意見は、言っていることは正しいんですけど、典型的な大学の先生のご意見ですね。それじゃあ、今の日本と北朝鮮を比べてみて本当に「同じ」なんだと言えるのですかと言いたいです。先日も書きましたけど、今の時代は「せんせーこうげき」というセオリーがあります。「君の国が核兵器持つのはオッケーだよ」であるんですが、これがオッケーということはつまり、「君の国が核兵器を持つことは君の国の自由だからオッケーだよ。でも、君の国が核兵器を持つことは、僕の国を攻撃するかもしれないと僕の国が解釈するのは僕の国の自由だよね。だから、僕の国が君の国を(いきなり)攻撃することもオッケーだからね。ふふふっ覚悟してね。」ということになります。

この先生は「北朝鮮も含めて、平和利用の核施設を持ったら「意志だけで」それを軍事に使うことはできる。それはもっぱらその国の人の意志の問題であって、技術の問題ではない。」と書いています。しかし、実際に核に使うのは、意志ではなく技術です。どの程度の技術力を持っているのかです。以前、日本でも東海村でバケツにウランを入れて臨界事故を起こした事件がありましたね。あの時外国のマスコミで、日本人はそれほど物理に無知なのか、そんな国が原子力発電所を持っているのかという声があったように思います。つまり「意志だけで」で、核技術は扱えません。

もうひとつは、上で述べたように、核兵器を持つのならば、他国に先制攻撃をされないようにいろいろやらなければなりません。それができるのかどうかは、他国が一番よくわかっています。他人の国のことなんだから口出ししないで、というわけにはいきません。朝鮮半島で戦争が起きたら、難民が中国とロシアと日本に国境を越えてやってきます。日本にとっても他人事ではありません。ですから、そうならないように、核を持つ国は外交力や国際的な信頼が必要なんです。「意志だけで」ではありません。

教えて欲しいのだが…?。

耳障りの良さそうな事(日本は防衛力、武力を持つべきだ…)てな事を言いながら、

最後の三行で『憲法九条を守るべきだ』に『急転直下』するのだ…?

相手(日本)が非武装なのに攻撃したのは、攻撃した方が悪いと『国際社会:(特亜三国か?)』に言わせるのが筋か…?。

卑怯其の物だなぁ、こんな『似非』に騙されるほど、一般の『日本人』はバカじゃ無ぇヨッ。

石油がど~のこ~のとか言ってるが、お前の正体:憲法九条守って国滅びる、って言う奴は、バレバレだョ…。

しくじったな、最初の数行で『これで北朝鮮からミサイルが飛んで来る恐れは無くなった』とか書いたいるのが。この、『釣』記事、『似非』記事の『大失敗』だよ。

憲法9条をなくす必要はありません。

第一に、今の対米従属の状態で、憲法9条をなくし、堂々と戦争ができる国になることは、ますますアメリカの手先になるということです。第二に、「堂々と戦争ができる」規模の軍隊を常備するには膨大なコストがかかります。今の日本国にそのコストを支払う力はありません。第三に、憲法になにがどう書いてあろうが、あるまいが、この国は、その時と場に応じて憲法解釈を変えることを行います。良くも悪くも、この国はそうした国なんです。良く言えば、柔軟性があるということです。その柔軟性を、日本の強みとしたいものです。

これからの日本は、アメリカと中国のどちらにも屈せず、戦争を避け、国家の存続と独立自尊を貫かなくてはなりません。

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