武装中立
7月13日のエントリー記事「北朝鮮のミサイル騒動について」のコメントで、私は以下の二つのことを書いた。
ひとつめは、イージス艦やパトリオットの配置をしたとしても、100%の防御でない。実質的に日本の都市に、防衛網を潜ってきたミサイルの着弾はありうる(ただし、北朝鮮のミサイルの命中精度がここまでくるのはまだ当分先の話である)。その時のために、核シェルターや医療施設の整備などが必要なのであるが、そうした話がまったく出てこない。日本政府は、本気で国民を守ろうという意志はないということである。イージスやパトリオットを在日米軍基地や自衛隊基地に配置すれば、それですべてOKのような話になっている。
ようするに、先月の北朝鮮のミサイル騒動で、日本は将来、北朝鮮からミサイル攻撃を受けるかもしれないという認識はないということなのである。ただ単に、防衛庁の予算拡大と軍事産業の利権確保のためのミサイル騒動だったのだ。北朝鮮が行ったことは、軍事的にはさほど意味のあることではなかった。その認識は正しいと思う。しかし、そうでありながらも、あたかもミサイル危機があるかのような状況が作られ、それに沿って物事が進められているのではないかと思う。そして、仮に今回の北朝鮮のミサイル騒動が茶番であったとしても、ミサイル防衛という課題は依然として残っている。
ふたつめは、今の日本の過剰な対米依存の姿は、中国やロシアにこれも過剰な自国防衛意識を高めさせることになるということである。昨年の7月に、人民解放軍の朱成虎少将は、欧米のメディアの記者会見で、もしアメリカが中国と台湾との軍事紛争に介入して、ミサイルを中国領土内の標的に向けて発射すれば、中国は核兵器で反撃すると答える一幕があった。これは、あなたたちが通常兵器で攻撃してきたら、我々は核で対抗すると言っているのである。核ミサイルの標的は、アメリカ西海岸およびアメリカの「同盟国」である日本であることは十分予測できる。このうえ、日本が憲法9条を改正することは、アメリカと軍事一体化した日本が中国封じ込めの軍事行動を起こすのではないかという疑心暗鬼を中国軍の内部にもたらすであろう。むろん、朱成虎少将の先制核攻撃論は暴論である。しかし、軍隊というのは、えてして暴論が通るところである。アジアの覇権国家に向かって突き進む中国の内部で、軍部が力を持つことは、かつて同じくアジアの覇権国家になろうとした日本の近代史が示す通りである。
国連に今なお残る敵国条項では、日本が国連憲章に違反した行為をとった場合は、連合国は国連の決議を待たずに日本に軍事的制裁を科しても良いということになっている。中国は、第二次世界大戦の連合国の一国である。なにをもって「日本が国連憲章に違反した」と判断するのかは、中国側の解釈なのである。これはすなわち、台湾海峡で有事が起きた際、米軍+自衛隊が介入した場合、中国からの核ミサイル攻撃を日本本土は受ける可能性があるということである。
こうしたことは、今の日本の対米依存があるが故に起こりうることなのである。よって、日米安保は発展的に解消して、今の日米関係を根本的に変えるべきだと私は考える。戦前とはまったく変わった平和国家なのであるということを、日本は国際社会に絶えずアピールする必要がある。そうでなくては、どこかの国に敵国条項を利用されてしまうからだ。日本と同じ「敵国」であったドイツは、それを理解しているため、今のドイツはナチス・ドイツとは違うことをさかんに世界に向かってアピールしているのだ。ところが、日本では戦前の日本は正しかったという風潮が最近多くなってきた。しかも内閣総理大臣が8月15日に靖国神社を参拝するのである。世界の世論は、日本をどう思うかは言うまでもないであろう。それはすなわち、敵国条項を根拠にされやすい状況になっているということなのである。
少し前に、中山治著『誇りを持って戦争から逃げろ!』(ちくま新書)という本を読んだ。これは非常に示唆に富む本であった。ミサイル防衛で核シェルターの話がないことや、国連の敵国条項が中国に利用される可能性があるということをこの本から知った。アメリカ依存ではなく、憲法9条を変えることなく、日本は武装中立国になるべきであるということをこの本から学んだ。この本は、読んでいてなるほどと思うことが多く、みなさんにも読むことをお勧めしたい。以下、この本を踏まえつつ、さらに考えてみたい。
まず、日米安保を考える上で、よくある思考パターンは、仮に日米安保をなくしたとして、日本単独で日本の防衛ができるのでろうか。例えば、中国が日本に侵攻してきた場合、日本の自衛隊だけで勝つことができるであろうか。できるわけはない。日本に在日米軍が駐屯しているからこそ、それが抑止力になって、日本の安全保障を維持している。アメリカ軍と手を切ることなどできない、よって、日米同盟は今の状態を続けるしかない、というものである。
この思考パターンそのものを疑わなくてはならない。この思考パターンは、以下の2つの前提があると思う。アメリカ軍は今後も日本に基地を置き続けるということ、次に日本単独では日本の防衛はできないという2点である。
最初の前提1ついて考えてみよう。例えば、アメリカの議会で、アメリカ軍は今後も日本に基地を置き続けるのかと尋ねれば、かなりの論争になるであろう。いわゆる、米軍再編である。少なくとも、アメリカは今後も継続して、日本にアメリカ軍を駐屯させなくてはならないという固定した思考パターンを持っていない。今のアメリカ軍は、地球上のどこへでも短時間で移動し、戦闘準備を行おうことを可能にするよう組織の変革中である。外国に恒久的な「基地」を置くという考え方は、時代遅れになってきている。アメリカの本音としては、在日米軍は段階的に縮小させたいということなのである。
ところが、これに困るのが日本側であった。日本は、自国の安全保障をアメリカ軍に依存しているため、国内のアメリカ軍の規模が小さいものになっては困るのである。今回の在日米軍再編でも、キャンプ座間に陸軍第一軍団司令部が移転してくるが、沖縄の海兵隊司令部がグアムへ移転するのに、なぜわざわざ陸軍の司令部を日本に持ってくるのか。これは、今回の再編によりあまりにも日本国内の在日米軍の規模が縮小してしまうので、日本政府がせめて陸軍の司令部を持ってきて欲しいとアメリカに要望したといううわさがある。とにかく、米軍あっての日本の防衛であり、米軍なき日本防衛などありえないという冒頭に挙げた思考パターンに凝り固まっているため、自国の防衛について自由な思考ができないのだ。
実質的な話として、海外基地をまったくなくす、例えば沖縄からすべての米軍基地を撤去するということは、現状ではまだできないであろう。朝鮮半島と台湾を考えると、日本に基地を置くことには今だ価値がある。しかし、方向性としては基地撤去の方向であるということは意識すべきである。今後、在日米軍はさらに縮小していくということを日本は考える必要がある。これはすなわち、アメリカは日米安保があるから在日米軍の規模は縮小できないとは決して考えないということである。アメリカは、あくまでも自国の安全を目的として在日米軍を日本に置いているのであって、日本の防衛を主たる目的としているわけではない(しかも、移転費用は日本に負担させる)。ところが、日本側は日米安保を後生大事と決め込み、在日米軍の存在をもって日本の防衛を考えている。
ここに、ある最悪のシナリオがある。『SHOWDOWN』という国防総省の二人の元高官が書いた近未来小説では、北京オリンピックを終えた中国では、拡大していく貧富の差により国内各地で民衆の暴動が起こる。そこで、中国政府は人民の不満を抑えようと、抗日ナショナリズムを高揚させる手段をとる。日本の首相が靖国神社を参拝することは、中国への戦争行為だとみなすと宣言し、日本に全面謝罪と尖閣諸島放棄を要求するのである。日本政府はアメリカに安保に基づく支援を要請するが、日中間の問題であるとして、アメリカ政府は日本からの支援要求を断る。 もちろん、これは小説だ。しかし小説とはいえ、非常に現実味のある話である。
さらに、中山治氏は『誇りを持って戦争から逃げろ!』の中でこのように書いている。米中間で緊張状態が高まり、中国は先制攻撃としてアメリカと軍事一体化した日本に核ミサイルを撃ち込む。中国は世界からの批判を浴びるが、敵国条項と日本の先制攻撃力を無力化する必要があったことを主張する。世界は、日本が戦前の誤りを反省していないことを知っているので、やがて国際世論は日本への核攻撃は「日本の自己責任」だとして中国に同意するようになる。そして、日本への核攻撃の後、米中間では和平交渉が行われるのである。つまり、馬鹿を見るのは日本だけというストーリィーである。
これも現実味のあるシュミレーションだと思う。米中という二つの巨大な大国の間では、日本などちっぱけな国に過ぎないのである。アメリカは、常に日本の味方であるわけではない。ちなみに、そう考えることは同盟国であるアメリカを信頼していないのかという意見に対しては、国際社会の常識を知らない人の意見だと言わざるを得ない。日本が同盟国アメリカに対してそう思っていることは、別にアメリカとしても当然のことと思うであろう。
では、どうしたらいいのか。次に前提2について考えてみたい。前提2とは、「日本単独では日本の防衛はできない」という前提である。在日米軍がいなくなって、なぜ日本人は困るのか。「日本単独では日本の防衛はできない」と思っているからである。
しかし、日本独自で自国を守ることは十分できると私は考える。むしろ、日本独自でどのように自国を守っていくかと模索していくことがまずベースにあるべきなのだ。日米安保は、その一つの案にすぎない。アメリカ軍に依存した日本の防衛以外の方法などないと思いこんでいるだけなのである。今のアメリカ依存路線は、米ソの冷戦に巻き込まれることを防ぐために、占領時代の当時の吉田茂総理らが決めた事にであって永久普遍のものではない。この半世紀以上、日本はその案に従ってきた。だが、今後はその案に従い続けることが、どうやらできなくなってきたということなのである。そうであるのならば、他の案を考えるしかないであろう。
日本の防衛とはなにか、なにを守ることによって、日本の防衛とするのか。地理的な意味で考えれば、それは日本国領土、領海、領空の防衛である。朝鮮半島や台湾海峡は、日本国防衛の範囲ではない。ましてや、インド洋やペルシャ湾やイラクはまったく関係ない。日本は、外国で本格的な軍事行動を展開できる規模の軍隊を持っていない。持とうとしても、その膨大なコストを支える力はない。日本によるシーレーン防衛なども、そもそも不可能である。つまり、日本は大規模な戦争ができる国ではないということなのだ。であるのならば、戦争をしかけられない国になるしかない。戦わずして勝つ国にならなければならない。日本にミサイルが落とされたら、国際世論がその国を非難するようにしなくてはならない。また、日本の主導のもとで経済封鎖や金融封鎖ができる国にならなくてはならない。軍事力ではなく、外交と情報と経済で国を守るのである。
もちろん、軍備は必要である。軍隊は必要ないという左翼の主張は、あまりにも空論である。日本が軍隊を持たなければ、相手は日本を攻撃してこないということはない。日本の領内を守る軍事力は必要だ。その軍事力は、中近東はおろか朝鮮半島にも台湾海峡にも派兵しない規模なので、日本の経済力でそれを支えることができるはずだ。
すなわち、日本は武装して中立を宣言した武装中立国家になるのである。これからの中国の発展を考えると、今後、日本はその地政学的な位置上、米中のバランス・オブ・パワーの中で、中国側につくのか、アメリカ側につくのか双方の国から選択を迫られるであろう。その時、どちらにつくことなく中立の道を選択するのである。中立を宣言した国にミサイルを撃ち込むのは、国際社会からそうとうな非難を浴び、経済制裁を受けることを覚悟しなくてはならない。
アメリカ側にいてもいなくても、やがていやでも中国の覇権に日本は直面せざる得なくなる。その時、日本の防衛はどうなるのか。アメリカは、今後もさらに在日米軍の規模を縮小し再編し続けていくであろう。もはや在日米軍を頼った日本の安全保障はできなくなった。それでいて、現状の日米関係を続けている限り、憲法9条は改正され、自衛隊はアメリカ軍の組織のひとつとして、朝鮮半島や台湾海峡や中近東へと派兵を余儀なくされるであろう。
だからこそ、憲法9条は変えてはならない。アメリカに依存することなく、独立自尊の武装中立国になること。それは、アメリカとも、中国とも関係を保つ唯一の道なのだと思う。
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