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July 2006

July 30, 2006

動画を見ています

 このところ、ブログを書くこともせず、何をしていたのかというと、当然仕事をしていたわけであるけれど。とりあえず、夜、自宅へ帰った後とか、土日とかは(まー土日も仕事したりしていたけど)もっぱらネットで動画を見ています。

 自宅のネットが光接続になっているからというわけでもないが、最近、ネットで動画を見ることが多い。元々、以前からABCが有料でネットで流しているABC NewsTVWorld Newsなどをパソコンで見ていたわけであるが、少し前からCNNがCNN Pipelineというこれも有料の番組配信サービスが始まっていて、これを見ている。スカパー!でやっているCNNはCNNjと呼ばれ、CNN internationalを日本向けにアレンジしたものである。スカパー!でCNNを見るよりも、直接、CNN internationalをCNN Piplineで見た方が安い。そもそも、僕はかなり前からスカパー!は契約をやめていて衛星放送のテレビを見ていない。しかし、そうなるとCNNが見れなくなったので、どうしようかなあと思っていたが、ネットで見ることができるようになったので良かった。

 CNN Piplineでは4つのチャンネルがあって、少し前のスペースシャトルのミッションフライトの時は、宇宙センターとスペースシャトルの通信を延々と流していた。打ち上げの時とか、帰還の時とかだけではなく、おもなフライト中全部の通信を延々と流していたのである!スペースシャトルから地球を映したlive映像とかも延々と流れていて、こうしたものを日本の東京の自分の家の机のパソコンで見ることができる今の時代について、つくづく考えるのであった(なんかこの文章が多いな)。今現在は、レバンノンとイスラエルのニュース番組を並べて流していたり、国連での会議の様子などを延々と流している。

 最近話題のYouTubeGoogle videoでは、アル・ゴアやトマス・フリードマンの対談番組を見ることができる。これがいい。さらに、C-SPAN2のBooktvにはキングリッチとアルビン・トフラーの対談やフランシス・フクヤマが最近の自著について語る番組があって、これもまたいい。それらの動画は、10分とか20分とかの動画ではなく、1時間とか2時間とかの動画なのである。トマス・フリードマンなんか3時間なのだ。また、NewYorkTimesのPodcastでは、作家やジャーナリストの約1時間もののディスカッション番組があって、これもいい。前回紹介したように、ザカリアがホストを務める国際関係の番組"Foreign exchange"もネットで見ることができる。

 日本に住んでいる日本人だから、日本のテレビしか見れないというわけではない。日本に住んでいる日本人だって、こうして外国のテレビを見ることができる。これまではアメリカのテレビ番組は、日本のテレビ局が放送するものしか見ることができなかった。しかしながら、今の時代は違う。日本にいながらこうした番組や放送を見たり聴くことができるようになったのだ。しかも、これらの動画やPodcastはタダである。今日、アメリカではネットは人々の知的生産活動のインフラともいうべきものになっている。国境がないインターネットに、アメリカの知的生産活動のインフラがあるということは、日本にいてもそれらを利用することができるということである。さらに言えば、シンガポールにいようと、中国の上海にいようと、インドのバンガロールにいようとできるということなのである。

 知識や技術やデザインやビジネスモデルといった知的付加価値のあるものを創造する産業を、自国の経済のコアにしようとしている国にとって、ネットで教育・啓蒙を行うことはもはやあたりまえのことになっている。日本では、ネットをいかにビジネスにするか、いかに宣伝でネット使うか。あるいは、いかに業務を効率化するかみたいな話しかない。これらは、いわばモノつくり生産技術の発想である。日本では、一般的にネットを製品やサービスの生産や流通、販売の技術の視点でしか見ない。教育や研究や社会啓蒙の分野で、ネットを使っていくことが本格的になされていない。地上波デジタル放送を携帯電話で見ることができるとか、ようするに日本ではコンテンツよりも技術偏重なのである。政治家や作家や芸術家と2時間とか3時間とか対談する番組をネットで流すことを日本ではやらないのはなぜなのか。

July 16, 2006

最近のヘラトリ,Time,Newsweekを読んで

 平日は仕事があって、満足に新聞や雑誌が読めない反動からか、休日は午前中からTIMEやらNewsweekやらノートパソコンやらをバックに詰めて、神田神保町のカフェーに行って、日なが一日ぼおーとしているわけであるが、このへん思えば、遠い昔の大学生の頃からそうだったわけで、ニューヨークやバークレーにいてもこうだったし。学生時代の習慣は、その後も消えないものなのだなと思う今日このごろ、みなさん、いかがお過ごしですか、というのは某有名ブログの書き出しのマネ。

 というわけで、土曜日のInternational Herald Tribuneをつらつら読んでいたら、Editorialsに"What we expect from St. Petersburg"というコラムがあった。あーG8はロシアでやるんだったなと思い、どれどれと目を通してみると、署名にVladimir Putinと書いてある。えー、どっかで見た名前だなと思ったらロシア大統領のプーチンではないか。G8を前にして、ロシアの大統領が英語圏の国際新聞に英語でコラムを書いて出しているのである。

 でまあ、読んでみると、ロシアは世界経済への資源・エネルギーの提供国になるとか、新しい知識の創造と応用が経済の発展にとって決定的なことなので教育は重要だとか、世界の平和と安定を維持し、アフリカ諸国の貧困をなくすためにロシアはイランの核問題について、アメリカの共同で対処したいとか、とりあえず、一通りのことを書いている。逆から言えば、地球温暖化とかについては一言も触れていない。また、国境を隣接する中国とインドについてさほど触れていない。

 ロシアは、元ソビエトだった国である。今でも、アジアと国際社会に影響を持つ国である。プーチンがヘラトリに書いていることは、ありきたりなことと言えば、ありきたりな内容なのであるが、国際的な基準から見て一国の指導者が当然考えるべきことは踏まえていて、これを読む世界のヘラトリ読者の人々は、ロシアに対して親近感を感じるであろう。ロシアにとって、旧ソビエトのイメージを払拭することがなによりも大事なのである。ロシアというと、「遅れている」とか「西側諸国とは価値観を別にする国」というイメージが今でもある。これに対して、こうした国際新聞で国家元首がコラムで自分の意見を表明することにより、国際社会はロシアを自分たちと同じ価値観を共有していると感じるであろう。実際のところ、ロシアは他の国とは別の独自の価値体系をもったところがある。しかし、こうして新聞で国家元首が意志を表明することは大きな意味がある。

 ひるがえって、わが日本国の小泉総理はどうであろうか。こうして世界の人々が読んでいる国際新聞に英語でコラムを書いたことがいまだかつて一度たりともあったであろうか。誰が読んでいるのかよくわからないメルマガでは、「らいおんはーと」とかいうものを書いているが、ブッシュの前でプレスリーのモノマネをする日本国の小泉純一郎と、自国で開催されるG8を前にしてInternational Herald Tribuneに英語でコラムを書いて載せるVladimir Putinの差は大きい。

 話題は変わり、少し前になるがNewsweekのJun 26の特集"Can America Comperte?"はたいへん興味深かった。最近のNewsweekは、世界は今こうなっていて、こう変わってきていて、その新しい環境の中でアメリカはどうすればいいかというマクロ的な視点の記事が多いように思う。そして、そうしたマクロの変化が、実際の企業の現場にどう関わってくるのかという記事が多い。これは実質的に、世界は今大きく変化しているからだ。その中で、アメリカは、企業はどうあるべきなのかという問いかけが多い。こうした内容は、少なくともこれまでのTIMEやNewsweekにはなかったと思う。私は、学生時代の80年代からTIMEやNewsweekを読んできたが(といっても、その頃の自分の語学力では読むではなく、眺める程度であったが)、今のTIMEやNewsweekほど読んでいて楽しいものはない。あの頃は、アメリカとそれを凌駕する経済パワーになった日本との対抗しかなかったと思う。しかし、今はボーダーレスでフラットになった世界をTIMEやNewsweekの紙面から強く感じる。

 この特集"Can America Comperte?"の中のFareed Zakariaのエッセイ"How Long will Ameria lead the World?"はたいへん示唆に富む記事だった。Fareed Zakariaはいい記事を書くジャーナリストだと思う。この人の本"The Future of Freedom"は買って持っているけど、まだ読んでいないけど。この人は、自分が進行役を務める"FOREIGN EXCHANGE Where America Meets the World"という番組を持っていて、この番組は全米のテレビで流れているわけであるが、ネットでもこの番組のウェブで見ることができる。最近はこうやってアメリカの番組をネットで見ることができるので、いい時代になりました。

 このエッセイは、冒頭、1897年6月22日のイギリスのビクトリア女王の即位60周年式典の様子から始まる。ビクトリア女王の時代のイギリスこそ、世界に冠たる大英帝国に最盛期の時代であった。イギリスは、最新のテクノロジーである電報と英国海軍によって、この惑星全土を支配(当時のニューヨークタイムズがそう表現しているのだ)していた。そして、Zakariaは、この式典のとてつもなく豪華な式典を記述した次に、この式典を当時8歳の少年だった歴史家アーノルド・トインビーが見ていたことを書いている。トインビーは、このビクトリア女王の即位60周年式典が、大英帝国が最も輝いていたと回想している。つまり、この後、大英帝国は没落の道を進むのである。

 では、アメリカはどうなのか、とZakariaは話を進める。このへんの書き方がうまい。イギリスのように、アメリカもまた全盛から衰退の道を進むのだろうかということである。Zakariaの結論はノーだ。アメリカは今後も発展していく。なぜならば、と話は進むのである。その理由のいくつかをZakariaは書いているが、その中で印象深いのは、まず人口である。

 人口については、世界の先進国はどこも小子化になっているのに対して、アメリカは逆に人口が増える。これは、アメリカには移民があるからである。私も先日、アメリから帰ってきて、まず感じたのは日本は年寄りが多いということだ。アメリカでももちろん年寄りはいるが、ワカイモンも多い。この人口が増えているということが、アメリカの活力のひとつになっている。

 次に教育だ。労働集約型産業や、アウトソーシングできる事務作業等は、今の時代は中国やインドへシフトしている。では、なにをもって外貨を得るのかということである。世界の中では、国は鎖国して自給自足でもしない限り、外貨を得て、その外貨で外国から資源や食料を買わなくてはならないのである。ではどうするのか。福祉産業では、国内で老人という同国人相手のビジネスになる。福祉は、基本的に外国との商売ではない。アメリカは、簡単に言うと、新しい知識や技術やデザインを世界のマーケットで売って商売していく国になろうとしている、というか、もはやそうなっている。そうした国になるためには、教育がもっとも大事であることは言うまでもない。ところが、我が国では、愛国心がどうのこうのという話しかされていない。愛国心が大切だということはよくわかるが、その先はどうするのだろうか。

 個人が知識や技術を学ぼうと思ったら、いつでも大学や教育機関で学ぶことができるようになること。図書館などといった公共の知識・教育施設が充実していること。そしてなによりも、大学を出て就職して、その後、学校で学ぶことができないという今の日本の社会のあり方を変えることが必要だ。これは、ポストインダストリアル社会にとって致命的なことであり、これができないということは新しい産業社会には日本はならないということである。こうした根本的なところは何ひとつ変わらなくて、それで景気が良くなったと言っているのは、ようするにこれからの世界はどうなるのかわかっていないのである。

 最後に、Time July 17から。Timeは"The End of Cowboy Diplomacy"というタイトルの記事で、ブッシュ政権の外交政策の終焉を述べている。この記事はUS国内版では、カバーストーリーになっていて、この記事をめぐって、アメリカのネットでは結構話が盛り上がっている。ブッシュの外交政策がいかに間違っているかということは、このブログでも何度も書いてきた通りだ。最近のTime,Newsweekは、はっきりとブッシュ政権の外交は間違っていたと主張するようになってきた。当然といえば、当然のことなのであるが、これも政権の任期が終わりに近づいてきたこととも関係しているであろう。ワタシからすれば、NYTも含めてイラク戦争の開戦時、Time,Newsweekも明確に反対しなかった、いまさら何ゆーてんねんという思いがあるのであるが、まあ、あの時それをやったらヤバかったということもあるが。

July 13, 2006

北朝鮮のミサイル騒動について

 今、地球上で火薬庫のような地域になっている場所は、二つある。ひとつは、中近東で、もうひとつは極東である。この二つの地域に、今、全世界の注目が集まっている。その真っ只中にあるのが、わが国日本である。

 そこで、このミサイル騒動をめぐる言論について、「日本とアメリカはさらに親密な関係を持たなければならない」とか「日本はアメリカと共同で対処しなくてはならない」とか「日本は軍事力を増強しなくてはならない」みたいな意見は数多いのであるが、「中国・ロシア・韓国と安定した外交関係を保っていかなくてならない」という意見をまず見ないということだ。

 北朝鮮に影響力を持っているのは、中国とロシアと韓国である。今回の北朝鮮が発射したミサイルも、東の日本海(つまり、日本とアメリカ)に向かって発射したのであって、西の(ロシア・中国がある)アジア大陸に向けて発射したものではなかった。テストしたいと言うのならば、東ではなく西に向けて発射したっていいだろと思ったものであるが、彼らは西に向かって発射するつもりはないようである。

 で、あるのならば、北朝鮮に影響力を行使できる国と一緒になって、北朝鮮というこの迷惑な国に対処するのが当然だと思うのであるが、日本はこれができない。なぜならば、日本はアメリカ側であって、アメリカ依存の外交関係「しかない」ので、中国やロシアと親密な外交関係を築くことができないのである。いわば、日本は外交的自由度が非常に狭い。外交戦略のオプションが乏しい。

 しかし、これはやはりへんではないかと思う。極東という21世紀の世界の二大火薬庫のひとつの地域で、他の周辺諸国とはさほど外交関係を持たず。太平洋の向こうのアメリカとだけ強固な関係を持っているというのは、なんかへんではないだろうか。

 日本政府は、国連の安保理に北朝鮮への制裁決議案を提示しているが、どうせこれは安保理常任理事国として拒否権を持つ中国とロシアがゴネるであろう。そうした時、中国とロシアに向かって、極東の秩序を乱す北朝鮮を制裁するのは当然のことであって、これに反対するのならば、あんたらも北朝鮮の仲間と見なすみたいな主張をするのが、自立した国の外交である。そして、これができるようにするには、中国やロシアと親密な関係を持っている必要がある。安定した関係であるからこそ、思い切ったことが言えるのだ。また、日本とアメリカが北朝鮮に対して経済封鎖を行ったとしても、中国と韓国とロシアが北朝鮮を援助していれば経済封鎖にはならない。そうなると、経済封鎖は何の意味も持たない。そう考えてみれば、この極東の周辺国と日本の外交関係はいかに重要であるかがわかるであろう。

 今回のような北朝鮮の暴走は、これで終わりだとは思えない。これからも何度も起こることだろう。日本は国家の安全保障の観点から、アメリカ一辺倒の外交でいいのか見直す必要がある。日本は極東地域の安定と平和を、アメリカだけとの外交関係によってではなく、日米関係を基軸に置きつつ、中国・ロシア・韓国との外交関係によって築いていく必要がある。なんども書くが、それが独立し自立した国家の当然の姿なのである。日本が中国やロシアと関係を密にすれば、アメリカ様が怒るであろうなどと邪推することこそ間違っていることであり、超大国アメリカと日本の関係がその程度で揺らぐことはない。

 もうひとつへんだなと思うのは、アメリカの北朝鮮への対応である。これは別のエントリーとしたい。

補足
本エントリーを書いたのは3日ぐらい前のことなのであるが、ココログのメンテナンスでアップできずになっていた。文中で、中国・ロシア・韓国と安定した外交関係を保っていかなくてならないという意見をまず見ないと書いたが、そうでもなく主に野党の方からそうした声が上がっている。例えば、民主党の菅直人代表代行は、「国境を接する中国、韓国と首脳間対話ができないことが、大きなマイナス要因になっている」と述べている。

これは確かにその通りなのであるが、しかし菅直人がこうしたことを言っても、なんの説得力を感じないのはなぜであろうか。民主党が中国との関係を親密にせよと言えば言う程、この現状では中国のいいなりになるんじゃないかという危惧を感じるのである。ようするに、アメリカと中国という二大超大国の間にある日本は、現状の外交能力では、アメリカに従属するか、中国に従属するかしかない。中国に従属するなどまっぴらごめんだという意識が、日本をより一層の対米従属に押し進めているのである。よって、今後さらに中国の影響力が増すということは、今後もますます日本は対米従属に傾いていくということになる。この現状から脱却することが必要だ。

July 10, 2006

写真を追加しました

ニューヨークでの写真を追加しました。
キャプションはまだです。

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