On the Road 10
NYでよく見かける光景の一つで、学生らしき若者でマックを使っているのをよく見かけるということがある。
Barnes & Nobleという大手の本屋がある。ここの3階のカフェは、店内の本や雑誌が持ち込み自由になっている。そのためか、いつも混んでいて空いているテーブルがない。この4階のフロアーには、売り場の中に講演会用のスペースがあり、そこに椅子が数多く並んでいる。3階に座れるテーブルを確保できなかった人などは、この4階の講演会用の椅子に座るのである。もちろん、講演会などがやっていなければの話であるが。
この日、4階のずらりと並んだ椅子に、それなりの数のみなさんが座って本や雑誌を読んでいた。僕もその中の一人で、テーブルはなく椅子だけなので、自分に膝にパソコンを置いてキーを打っていた。そうこうしているうちに、ディスプレイに「これ以上使っていると自動的にデータをセーブして電源落とします」というメッセージが出てきて、無慈悲にもそれはその後すぐに実行されたのである。
「そうか、そうなのか」と、なにがそうなのかよくわかないが、とりあえず僕はそう思い。パソコンを閉じて、よっこいしょと椅子から立ち上がって、ふと壁の方を見てみると。なんと、壁の電源コンセントに電源ケーブルを入れて、Powerbookのキーボードを打っている大学生らしき女の子がそこにいたのである。
椅子が並んでいる場所と壁までは、2メートルぐらいの距離がある。つまり、この子は、まず壁際まで椅子を持って行って、そこに座り、壁の電源コンセントに電源ケーブルをえいとつないで、マックを開いてレポートらしきものを書いているということなのである。
なるほど、ここの電源を使うという手は僕も思いつかなかった。なにしろ、椅子が本来ある場所から少し離れているので、そうしたことをすると目立つのである。隠れてこっそり電気を使わしてもらいますというのではなく、かなり堂々とワタシは電気を使っていますということになるのである。
日本では、どうであろうか。日本では、店内に本を持ち込んでいいカフェがあるところはまず数少ないが、例えば、池袋のジュンク堂では店内に椅子があって、そこに座って本や雑誌を読むことができる。テーブルもある。例えばここで、壁の電源コンセントに電源ケーブルを差し込んでノートパソコンを使っているとどうなるだろうか。すぐに店の人がやってきて、やめさせられてしまうのではないか。それ以前に、他人の目を意識してしまうであろう。
この他人の目というのが、アメリカにあまりない。いや、ないことはないが、その基準が日本とは違っていると思う。日本人は、アメリカ人を自己中心だとか、すぐに自己を正当化するとか言うが、そもそも日本人の「世間」というものがアメリカにはないのである。社会に対する考え方が違うのだ。日本では、社会と個人、法律と個人の間に「世間」というものがある。例えば「カネ儲けをしてなにが悪いのか」というのは、法律に従っているのならば、社会的に見て咎められることではない。しかし、日本人の「世間」からは咎められる。アメリカで、法律や公共とは別の強制力のある集団的な価値観があるとしたら、それは宗教であろう。しかし、信仰は人それぞれであって、誰もが同じであるわけではない。
さて、Barnes & Nobleの電気タダ使用の女の子は多少周囲を気にしながらマックに向かって書き物に専念している。周囲の客も、よくある光景という感じで無関心である。店の従業員が本を整理でそばを通るのであるが、これもまた何も言わない。この本屋の経営者が見たらなにか言うかもしれないが、経営者がこんなところへ来ることはない。
店の電気を使っていいのかと言えば、いいとは誰も言わないであろう。しかしながら、だからと言って、それを咎めるような視線を彼女に送る者は誰もない。当たり前のよくある光景なのだろう。誰もうるさく言わない。誰もとやかく言わない。使うのならば、使えばという感じである。使ってイカンというのならば、「電気を使うのな」という張り紙を貼るか、法律で禁止して常時監視するしかない。
では、店の電気を無断使用していいのならば、パソコンとかいったさほどアンペアを必要としない電子機器ではなく、10アンペアとか20アンペアとか使う機械をつなげていいのかというと、当然のことながらそんなことは誰もやらない。法律とは張り紙で禁止していなくてもやらない。つまり、程度の問題なのだということだ。
日本人は、全員が規則を順守することを求める。その規則がなぜあるのかとか、その規則を守ることでなにがどうなるのかということを考えるよりも、とにかく「規則を順守する」というカタチにこだわる。しかしながら、アメリカ人は、とりたたて咎めることではないのならば、規則がどうのこうのとうるさく言わない。
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Comments
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こんばんは。
アメリカ人のパーティー好きって、近所に住んでいる人がどんなを探るためだって聞いたことがありますが、どうなんでしょう?
あと他の話題で、十年くらい前に韓国に行ったんですが、本屋さんでは「座り書き写し」が当たり前の状態でした。
今ではどうか知りませんけど、日本では今も昔もあり得ません。(*_*)
Posted by: てんてけ | June 22, 2006 09:56 PM
てんてけさん、
そうですね、近所に住んでいる人がどんな人を知る目的もあると思います。とにかく、アメリカ人はパーティとかコンベンションとか集会とかが好きですね。アメリカは日本のような「所属している組織」のつきあいよりも「個人」と「個人」で関係を作っていきますから、そうやって人脈を広げる意味もあります。
例えば、雑貨ショップに入る時とか、レジでお金を払う時、"Hi"とか"How are you"とか言いますが、あれは日本人の感覚からすると、なんでそんなことを言うのかという感じですが、アメリカでは、これは「私はあなたに危害を与える者ではありません」「ごくフツーの人です」という意味があります。ですから、無言でいると逆に不信感を与えてしまいます。日本人の感覚では軽薄なヤツということになるでしょうけど、お店ではまずなによりも"Hi"と言った方がいいです。そういう国なんです。
書き写ししている大学生らしき子供もいますね。さっきもいました。ただ今はネットがありますから。ネットでコピペですね。しかし、当然のことながら、そうした勉強ではモノにはなりませんが。
Posted by: 真魚 | June 23, 2006 09:14 AM