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June 2006

June 30, 2006

旅から学ぶ

 千葉敦子というジャーナリストがいた。大学を卒業後、東京新聞の経済記者になり、アメリカの大学に留学、のちに東京新聞を退職し、フリーのジャーナリストになる。ニューヨークに居を移し、主に英語で記事を書き、英語圏のメディアの仕事をしていた人だった。1987年、癌により亡くなる。

 今の時代、ニューヨークで生活をしている日本人は数多い。在ニューヨークの日本人がニューヨークについて書いたいわゆる「ニューヨークもの」本は世の中にたくさんある。その中で唯一、千葉敦子さんの本は、他の凡百のニューヨーク記とは違う、良質のジャーナリストの視点と、自分の人生を自分で歩いていこうとする精神が満ち溢れた本だと思う。僕は10年ぐらい前に、千葉敦子さんの本を読み、以来何度も読み直してきた。

 ニューヨークの旅から帰り、今、千葉敦子さんの本をもう一度読み返している。その中に、貯金をするより自分への投資をしなさいという一節がある。今の世の中では「お金で買えないものなんてない」とか「金儲けをして、なにが悪いんですか」とかいう発言が、それなりの説得力のある発言として世の人々に流布されているが、千葉さんははっきりと「お金で買えるものは、ほんの少ししかない」と書いている。

 少し長くなるが引用したい。

「あなたは、沢山お金を持ちたいとお思いですか。

沢山お金があったら、何をなさりたいですか。

私は、快適な暮らし、冒険と趣味を楽しむことのできるゆとり、自分の好きなことをして生活な成り立つような職業、自分の実力を伸ばし自己の成長を続けることのできる生涯教育、愛し愛される人間関係、地域社会の改善や世界の進歩に役立つことができる自分の役割・・・といったものが「豊かな暮らし」の要素だと思っていますので、お金で買える部分は意外に少ないのではないかと考えています。

 この世で本当に価値のあるものは、愛、友情、セックス、美、新鮮な空気、快適で刺激のある環境、健康、精神的な安寧、自尊心、精神的成長、内面の充実、冒険心というものであり、お金で買えるものは、ほんの少ししかないように思います。」(千葉敦子『ニューヨークの24時間』文春文庫)


 だから、お金を貯めるよりも、音楽会とか、観劇とか、読書とか、学校へ行くことなどに、少々無理をしても投資したいと書いている。お金は貨幣価値が変わってしまえばなんに役にも立たなくなるが、教育とか教養とか健康とか自分への自信とかは、誰も奪うことができない自分の財産であり、時代がどう変わろうとも価値を保ち続けると書いている。結局、「お金で買えないものなんてない」とか「金儲けをして、なにが悪いんですか」とかいった発言に対して、なにも言えなくなってしまうのは、本当の豊かさとはなにかという、その具体的イメージを明確に持っていないからなのではないかと思う。それがあれば、お金だけがこの世の中ではないとはっきりと言えるはずだ。

 その自分への投資の最大のもののひとつは、旅だと思う。

 外国への旅というものは、結構お金がかかるものなのである。仕事でもない、ただの個人旅行にそんなにお金を使っていいものなのか。そんなお金があるのならば、老後のために貯金しようとか、株や証券にしたり外貨預金をした方が将来実になるんじゃないかという様々な思いがあるわけであるが、それでもなぜ自分は旅に出るのか。もう若者のバックパッカーという歳でもないのに。

 千葉さんの『ニューヨークの24時間』の中で、旅から学ぶという一節がある。千葉さんは、20代から毎年3週間の休暇をとって海外を旅行してきたという。20代半ばで、アメリカの大学院に留学し、その帰りに西欧、東欧、中東を4ヶ月にわたって旅行して、旅に優る教科書はないことを知ったからだという。旅先での3週間は、東京での3年分の経験に匹敵するものだったと書いている。そして、感受性も体力も好奇心も豊富に持ち合わせていた20代にこの習慣を始めたことは、大変ラッキーだったという。そして、こう書いている。


「日常生活から自分を解き放って、見知らぬ土地に身を置き、自分の内部に眠っていた欲求や、感受性や、あるいは自分自身でも知らなかった能力----サバイバルの能力とか、未知の人を交渉する能力とか、困難に陥ったときに冷静な判断を下せる能力とか----を見出すのは、なんと新鮮な喜びでしょう。

あるいはまた、体制の違う社会を訪ねて、そこに住む人々の価値観を知ったり、ライフスタイルの異なる人々と接して、自分とは異なる生き方のあることを知ったりするのは、かけがいのない体験になります。

また、日本やアメリカに住んで、当然のこととして日々受け取っている便益ー街で手を上げれば捕まえることのできるタクシ----とか、飲んでも安全な水道の水とか、空腹を感じればすぐに買うことのできる食品とか----が存在しない社会を訪ねてみれば、私たちの暮らしがいかに恵まれているものであるかを悟らされます。

思いがけない人との出会いや再会、小説で読んで親しく感じていた舞台を実際に目にする歓喜、あらゆる想像力を越える自然の美しさなど、旅ならではのものでしょう。」(千葉敦子『ニューヨークの24時間』文春文庫)


 千葉さんは、シングルの女性だった。この人が大学を出て、東京新聞に就職した頃に僕は生まれている。その頃の日本で、こうした生き方をすることは、たいへんだったろうと思う。今の時代でこそ、女性が職業を持ち、結婚をしない、子供を持たないということは、おかしくもなんともない時代になったが、千葉さんの頃はそうではなかったろう。しかしながら、この人は自分のライフスタイルを持ち、世界を旅し、外国に住み、日本語と英語で文章を書き、そして病魔と闘ったのである。良く生きた人だったと思う。「負け犬の遠吠え」などというものは、この人の精神のどこにもなかったであろう。

 その千葉さんは、旅をなによりも楽しみ、愛していた。「まさに、旅こそは人生といってもいいのかもしれませんね。成長したいと思ったら、知らない世界へ旅することを避けるわけにはまいりません。隅から隅まで知り尽くした環境に居座っていたのでは、成長はむりですからね。」と書いている。

 自分も、今回の旅で多くを得た。幾たびに、これまで知らなかった風景や人や物と出会う。新しい体験がある。自分が千葉さんから学んだ最大のことは、旅から学ぶということだった。ここ数年、自分はそのことを忘れていた。今度の旅で、そのことを思い出した。いくつになろうとも、人は旅に出なくては成長しないものであるようだ。

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June 28, 2006

Global warming 連邦最高裁判所の法廷へ

 アメリカの連邦最高裁判所は、12の州と3つの都市と数多くの環境保護団体から、合衆国政府は車やトラックから出る二酸化炭素ガスの排出規制を行うよう求める上訴を受理したという。アメリカには、米国環境保護局(the U.S. Environmental Protection Agency)という政府機関があり、明確に、地球温暖化と二酸化炭素ガスの上昇との関連を指摘し、その危険性を警告している。しかしながら、現在、ブッシュ政権と連邦議会は地球温暖化問題に対してまともに対応しようとしていないので、当然のことながら米国環境保護局(EPA)は車からの二酸化炭素ガスの排出量を規制する権限を持っていない。

 今回の上訴により、EPAに大気への二酸化炭素ガスやその他の大気汚染物質の排出を規制する権限が与えらるかどうかが争点になる。この上訴を連邦最高裁判所が受理したことに対して、ブッシュ政権を始め10の州と電力会社は反対しているという。

 審議は10月から始まるようだ。

 これで法廷の場で、二酸化炭素ガスの上昇と地球温暖化の関連が問われることなるのであるが、なにしろ、連邦最高裁判所である。ゴアを合衆国大統領にしなかった共和党寄りの連邦最高裁判所なのである。

 この話のややこしさは、二酸化炭素ガスの上昇と地球温暖化の関連は科学的に是か非かということではなく、そもそも民間企業や個人の行為、この場合は結果的に二酸化炭素ガスを大気中に排出することになる行為に対して、連邦政府が規制をかけるのは是か非かという話になる可能性もあるということである。もともと、環境問題対策は、政府が個人や民間企業の産業活動を規制するということになる。しかしながら、保守主義は政府による過度の介入を否定する主義である。ここに、今のアメリカではあまり環境問題対策が進まない原因のひとつがあると思う。つまり、サイエンスの話ではなく、ポリティクスの話になるのである。

 しかし、今の地球温暖化の現状は、そうしたことを言っている状況ではないと思うのであるが。

 さて、どのような裁判になるであろうか。

 ちなみに、上訴した都市と州は以下の通り。
 ボルティモア、ニューヨークシティとワシントンD.C.、カリフォルニア、コネチカット、イリノイ、メーン、マサチューセッツ、ニュージャージー、ニューメキシコ、ニューヨーク、オレゴン、ロードアイランド、バーモントとそしてワシントン。

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June 27, 2006

放心とぐったり

 仕事的には、一週間以上の溜まりに溜まった仕事に追われ、個人的にはこの湿気の多さの天気に慣れず、頭と身体はまだ「向こう」にいる気分で、とにかく放心とぐったりになっております。まとまった書き物は、少々お待ちください。

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June 24, 2006

On the Road 14

 というわけで、日本に戻りました。
 ぼおーとしています。
 書きたいことはいろいろありますが、気力体力が戻ってからにします。

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On the Road 13

 サンノゼ国際空港にいます。これから帰国します。

 この空港はスタバはありますが、テーブルや椅子のスペースがありません。Hotspotはどこで使えるのだろうかと、とりあえず待合い場所でパソコンを開いてみたらつながりました。空港全体がHotspotになっているのかもしれません。

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June 23, 2006

On the Road 12

 バークレーの映画館で『An Inconvenient Truth』をまた観た。4回目である。バークレーで観客はどのような反応を示すか見たかったということもある。なにしろ、2001年、アフガニスタンへのアメリカの報復爆撃に反対を示したカリフォルニア州バークレーである。

 僕が見た映画館では、2つの上映ホールで上映していた。それだけ人が観に来るということなのだろう。チケット売り場で「アル・ゴア、一枚」と言ってみたら、普通に買えた。もはやこの映画は「アル・ゴア」そのものなのである。

 ただ。この日は平日であったためか、それほど数多くの人が入っていなかった。ざっと見て、200人ぐらい座れる上映ホールで50人ぐらいであろうか。見る終わった後の反応も、ニューヨークのように拍手が出ることもなかった。夜の10:40開始の回だったので、それほど政治に関心がある人々が観に来ているわけではなかったのだろうか。観る人は、もう見てしまったのかも。

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June 22, 2006

On the Road 11

 NYCから日本への帰路に立ちました。途中、二日ばかりサンフランシスコへ立ち寄ります。サンフランシスコもひさしぶりです。

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On the Road 10

 NYでよく見かける光景の一つで、学生らしき若者でマックを使っているのをよく見かけるということがある。

 Barnes & Nobleという大手の本屋がある。ここの3階のカフェは、店内の本や雑誌が持ち込み自由になっている。そのためか、いつも混んでいて空いているテーブルがない。この4階のフロアーには、売り場の中に講演会用のスペースがあり、そこに椅子が数多く並んでいる。3階に座れるテーブルを確保できなかった人などは、この4階の講演会用の椅子に座るのである。もちろん、講演会などがやっていなければの話であるが。

 この日、4階のずらりと並んだ椅子に、それなりの数のみなさんが座って本や雑誌を読んでいた。僕もその中の一人で、テーブルはなく椅子だけなので、自分に膝にパソコンを置いてキーを打っていた。そうこうしているうちに、ディスプレイに「これ以上使っていると自動的にデータをセーブして電源落とします」というメッセージが出てきて、無慈悲にもそれはその後すぐに実行されたのである。

 「そうか、そうなのか」と、なにがそうなのかよくわかないが、とりあえず僕はそう思い。パソコンを閉じて、よっこいしょと椅子から立ち上がって、ふと壁の方を見てみると。なんと、壁の電源コンセントに電源ケーブルを入れて、Powerbookのキーボードを打っている大学生らしき女の子がそこにいたのである。

 椅子が並んでいる場所と壁までは、2メートルぐらいの距離がある。つまり、この子は、まず壁際まで椅子を持って行って、そこに座り、壁の電源コンセントに電源ケーブルをえいとつないで、マックを開いてレポートらしきものを書いているということなのである。

 なるほど、ここの電源を使うという手は僕も思いつかなかった。なにしろ、椅子が本来ある場所から少し離れているので、そうしたことをすると目立つのである。隠れてこっそり電気を使わしてもらいますというのではなく、かなり堂々とワタシは電気を使っていますということになるのである。

 日本では、どうであろうか。日本では、店内に本を持ち込んでいいカフェがあるところはまず数少ないが、例えば、池袋のジュンク堂では店内に椅子があって、そこに座って本や雑誌を読むことができる。テーブルもある。例えばここで、壁の電源コンセントに電源ケーブルを差し込んでノートパソコンを使っているとどうなるだろうか。すぐに店の人がやってきて、やめさせられてしまうのではないか。それ以前に、他人の目を意識してしまうであろう。

 この他人の目というのが、アメリカにあまりない。いや、ないことはないが、その基準が日本とは違っていると思う。日本人は、アメリカ人を自己中心だとか、すぐに自己を正当化するとか言うが、そもそも日本人の「世間」というものがアメリカにはないのである。社会に対する考え方が違うのだ。日本では、社会と個人、法律と個人の間に「世間」というものがある。例えば「カネ儲けをしてなにが悪いのか」というのは、法律に従っているのならば、社会的に見て咎められることではない。しかし、日本人の「世間」からは咎められる。アメリカで、法律や公共とは別の強制力のある集団的な価値観があるとしたら、それは宗教であろう。しかし、信仰は人それぞれであって、誰もが同じであるわけではない。

 さて、Barnes & Nobleの電気タダ使用の女の子は多少周囲を気にしながらマックに向かって書き物に専念している。周囲の客も、よくある光景という感じで無関心である。店の従業員が本を整理でそばを通るのであるが、これもまた何も言わない。この本屋の経営者が見たらなにか言うかもしれないが、経営者がこんなところへ来ることはない。

 店の電気を使っていいのかと言えば、いいとは誰も言わないであろう。しかしながら、だからと言って、それを咎めるような視線を彼女に送る者は誰もない。当たり前のよくある光景なのだろう。誰もうるさく言わない。誰もとやかく言わない。使うのならば、使えばという感じである。使ってイカンというのならば、「電気を使うのな」という張り紙を貼るか、法律で禁止して常時監視するしかない。

 では、店の電気を無断使用していいのならば、パソコンとかいったさほどアンペアを必要としない電子機器ではなく、10アンペアとか20アンペアとか使う機械をつなげていいのかというと、当然のことながらそんなことは誰もやらない。法律とは張り紙で禁止していなくてもやらない。つまり、程度の問題なのだということだ。

 日本人は、全員が規則を順守することを求める。その規則がなぜあるのかとか、その規則を守ることでなにがどうなるのかということを考えるよりも、とにかく「規則を順守する」というカタチにこだわる。しかしながら、アメリカ人は、とりたたて咎めることではないのならば、規則がどうのこうのとうるさく言わない。

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June 20, 2006

On the Road 9

 もう一度、『An Inconvenient Truth』を観てきた。

 最初に観た時は夜だった。実は、一日中歩き回っていたので疲れ果てていて、映画の3分の1は寝てしまったのだ。そこで、これはもう一度見なくてはならないと、気力・体力が十分にある昼間に再度見に行ったのである。

 今度は、最初から最後まで気合いを入れてしっかりと観た。全部しっかりと観てみると、昨日感じたイメージとは少し違うことがわかった。これはかなり政治的な映画だなと思った。昨日の感じでは、ゴアが地球温暖化について教育・啓蒙する映画だと思っていた。しかし、重要なところを寝ていたようである。この映画は極めてアメリカの民主主義のプロセスを表しているものであった。

 これはすごく良い映画ではないかと思い、ユニオンスクエアのBarnes & Nobleへ行って原作本を買ってきた。今回のこの旅行は、荷物がかさばるので本は買わない。買いたい本があったらメモしておいて、家に帰ったらアマゾンで買うと決めていたのであるが、その禁を破りこの本を買ってしまった。でまあ、コインランドリーで洗濯していたり(少しでも旅費を安く上げるために、涙ぐましい努力をしているのである)、Barnes & Nobleの4階の椅子が並んでいるところで座って読んだしてざっと一読してみると、この本は、映画のスクリプトというか、映画の中でのゴアが語っている言葉と、数本の短いエッセイを加筆した内容になっている。映画の中でのゴアのレクチャーで使用した図や写真が載っていて、映画の中でゴアがプレゼンしているシーンが頭の中に蘇るのである。ちなみに、ゴアはマックを使っていて、スライドショーのプレゼンもそれを使っている。Windowsでパワポなんて使っていないのである。

 ゴアは、この映画の中で地球温暖化を無視する議会と政府を批判している。この映画を観て初めて知ったのあるが、アメリカの各都市は京都議定書に"批准"している。国際協定に都市でできるとは知らなかった。アメリカは連邦政府が京都議定書に反対しているのであって、各都市のレベルでは賛同しているのである。連邦政府とは、ブッシュ・チェイニーの大統領府と連邦議会である。連邦政府にとって、地球温暖化の事実は「Inconvenient」なのである。

 この映画の最後のシーンでの、ゴアのレクチャーはもはやたんなるレクチャーではなく優れた政治家の演説だった。

 CO2の排出量が世界最大の国はアメリカである。つまり、地球温暖化に関係している最大の国はアメリカである。そのアメリカが京都議定書に参加していない二つの国の一つなのである。ゴアはそう指摘する。そして、我々は今の現状を変えることができるのだとゴアは語る。ここでアメリカの独立革命から奴隷解放、女性の参政権、第二次世界大戦でのファシズム国家の打倒、アフロアメリカンの公民権、そしてアポロ計画での月到達について、ゴアはこう語る。"We landed on the Moon, one of the most inspiring examples of what we can do when we put our minds to it"と。

 ゴアは原作本の中で、自分は全米の各地でスライドショーを行ってきているが、地球温暖化の事実を知らない人が多いと書いている。日本人以上に、アメリカ市民はマスコミの影響が強い。インターネットは独立したメディア的な内容を持っているが、テレビはまだ業界の支配が強い。

 この映画は、日本人が見ても、ある意味当たり前の内容なのであるが、アメリカの一般市民が見ることで大きな意味を持つ。それはマイケル・ムーアの『華氏911』と同じだ。そして、アメリカの一般市民の世論はアメリカの政治を動かすこともある。「こともある」と書いたのは、おうおうにして世論とはマスコミの影響を受けるからである。だからこそ、マスコミとは別のルートのメディアが必要なのだ。『An Inconvenient Truth』とは、そうした映画なのである。この地球温暖化について、そんな事実はないとしているのが共和党である。共和党がなんと言おうと、この映画の中でゴアが語る地球環境の激変とCO2の上昇についての説明は否定できない。

 だからこそ、この映画は極めて政治的だと思う。ゴアはこの映画の中で、地球温暖化対策は政治の問題でもなく科学の問題でもなくモラルの問題なのだと語っているが、モラルの問題であるが故に、モラルなき今の政治にとって政治問題なのである。

 今度も映画の終わりで、たくさんの人が拍手をしていた。劇場内の売店で、アフリカ系のにーちゃんたちと会話する。「この映画はいい映画だ」と言うので、「うん、知っているよ。民主党支持なの?」と訪ねると、「支持政党はない、政治家はみんな腐っている」と言う。「でもゴアは違う。彼は正しい」と僕が言うと、「イエス、ゴアは違う」と言い、そこで僕が"I hate Bush!!"と言うと、そこからどおっと話が盛り上がってしまった。うーん、アンチブッシュは国境を越えた共通感覚なんですねえ。ゴアの奥さんのティッパーが彼らに人気があるのは意外だった。確かに、ヒラリーよりはティッパーの方がいい。このへんも、国境を越えた共通感覚なんですねえ。


 上記の文章を書いた次の日、もう一度観てきた。結局、3日間毎日見て、合計3回観てしまった。それで原作本を買って読んでしまったのだから、この映画のためにNYに来たわけではないと書きながら、この映画のために来たようなものなってしまった。

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June 19, 2006

On the Road 8

 無線LANが使えると、Googleマップが使える。これは便利。目的地の場所がわからなくなったら、Googleマップを使っています。これはやはり、新しい旅行のスタイルかも。NYとか、無線LANのインフラが完備している都市でなくてはダメだけど。

 しかし、スタバとかでパソコンを開いているのは、大学生らしき年代の若者だけですね。おじさんで、パソコンを開いている人は見かけないな。

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June 18, 2006

On the Road 7

 これが目的でアメリカに来たわけではないが、ぜひとも見なくてはと思っていたアル・ゴアのドキュメンタリー映画『An Inconvenient Truth』を見てきた。

 思っていた以上に、地球温暖化の説明というよりも、ゴアのPersonal history的な側面が多い内容だった。映画が終わった後、拍手をしている人が多かった。こうしたところが、さすがNY市民のみなさんである。心ある人はもうわかっているのだ。我々は、何をすべきなのかを。見たのはEast Houston StreetのLandmark's Sunshine Cinemaという劇場で、イーストビレッジの近くなので、そうした感覚がある人々が多い場所だからなのかもしれない。共和党支持者は、この映画を見ないだろう。

 環境問題は日本でもよく知られているが、アメリカではほとんどの人が知らない。この映画は、劇場公開だけではなく全米の学校で授業のひとつとして見せる必要がある。

 もうひとつ映画を見て感じたのは、ゴアって話がおもしろい人だったんだなということだ。この人は副大統領候補の頃は、話す内容が真面目すぎて人が集まらないと言われてたそうだ。それが、この映画ではユーモアもあるおもしろい人なのであった。この映画の宣伝のために、Saturday Night Liveなどに出たりしているが、そこでもコミカルなキャラクターを出している。

 CO2と地球温暖化は「科学的」に無関係であるという批判にも、ゴアはこの映画の中で答えている。「科学的」という装いの背後に石油会社とのつながりなどがあったりしている。ゴアは、若いときからこの手の科学者のfakeを指摘し続けてきたのである。

 この映画のタイトルが示しているように、これは「事実」なのである。しかし、ある人々にとっては「Inconvenient」なのである。つまり、この映画を批判しているのは、ゴアが語っていることが事実ではないから批判しているのではなく、「Inconvenient」だから批判しているのである。そのこと自体が、まさに「Inconvenient」を意味している。

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On the Road 6

 マイフォトに、これまでデジカメで撮ってきた写真を載せました。キャプションをまだ入れていません。作成途中なのですが、こんな様子だということで。

 画像編集をしていません。帰ったら手を入れます。

 それにしても、WTCの後、真っ先に自然史博物館の恐竜のフロアーに向かったワタシであった・・・。
 
 最後の方は、土曜日のユニオンスクエアでの朝市です。牛乳を買って飲みました。

 今日もまた、Science, Industry and Business Libraryの地下1階のRichard B. Salomon Research Reading Room からアクセスしています。ここはホントいい。どこもかしこも、騒がしくて人が多いNYCの中で、やはり図書館は静かだ。

 特に椅子がいい。さすが科学技術専門の図書館ということで、机の椅子が、よく人間工学的なデザインでできていますと言われるあの椅子なのだ。僕も自宅の机の椅子をこれに変えようかとも思う。それくらい快適な椅子である。

 この椅子の値段は、安くはないであろう。その安くない椅子を、ニューヨーク市の公立図書館は、そろえて導入しているのである。たかが椅子のことで、なにを言っているのかと思われかもしれないが、こうしたことは結構重要なことだ。日本の公立図書館では、椅子にここまでカネをかけない。椅子なんて、座れればそれでいいと思っている。しかし、ここではそうは考えないということだ。利用者が快適に調査・研究ができるように、この図書館は椅子ひとつにここまで考え、予算を出している。この考え方の違いは大きい。

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June 17, 2006

On the Road 5

 というわけで、モバイラーにとって天国みたいなNY public libraryの別館の地下1階から追い出されたので、近くのスタバにいます。

 それにしても、こうしてNYCにいますと書いていても、ほんとにお前NYCにいるのか。実は東京にいるんじゃないかとか、いや、上海にいるんだろとか思われるかもしれない。ほんとにNYCにいるのならば、空を見上げて手を降ってみろ、そうすればGoogle Earthで見えるかもしれないという声もあるかもしれない(いや、無理だろ、それは)。

 そのへん、ライブカメラを使って動画を流したり、ポッドキャストで音声を流したり、やろうと思えば、いろいろできるんだよなと思う。そうした準備はしてこなかったので、今はできないけど。デジカメでなんとかできないかなと思う。これは新しい個人旅行のスタイルかも。ちょっと考えます。

 つまり、観光名所を見たり、ショッピングしたりすることではなく、情報を発信する旅行ということができるのではないかと思う。これまでの自由旅行とはまた違った「ネットでつながっている旅行」ということだ。こんなことは、これまでできなかったと思う。

 でまあ、つらつら考えるわけであるが。

 NYCで思うことは、ちょっと大げさに言えば、「じんるい」ということだ。もーとにかく、様々な人種がいて、さまざまな言語が飛び交っているのだ。この感覚というか、実感が、日本にいると感じられない。それは、日本語で言う「国際感覚」というものなのかというと、どうもそれとも違う。というか、日本にいて、日本語で「国際感覚」と言っている概念と、今、ここで僕が感じている感じとは違うなと思う。「国際感覚」というと、やはりマクロ的な「ガイネン」になってしまう。そうではなくて、なにかもっと、生きている人々というか、生きている人間というか、喜怒哀楽のある人というか。人はそれぞれ「違う」けど「同じ」というか、なに書いているのか自分でもよくわからないけど。結局、「国際感覚」とか「国際性」とか言っているだけではダメなんだと思う。世界というのは、そうじゃあないなと思う。

 ただし、この感覚は、例えばサンフランシスコでもそう感じるかというと、それもまた違ってくる。サンフランシスコも当然のことながら様々な人種と様々な言語があるわけであるが、その度合いは、NYCと比べると薄いと思う。だから、どうこうということでないのであるが。

 そう考えてみると、この感覚は地球上でここNYCだけなのかもしれない。マッハッタン島というのは不思議な場所だ。この地域に人類が集まっているのである。

 日本人は同質性による効率しか見ない。日本人は、効率のためにひたすら同質であろうとする。そうではなくて、多様性の楽しさの必要なのだと思う。で、日本人社会というか、日本で「多様性の楽しさが必要なんですよ」と言っても、「ふーん、だからなに」「それよりも、早く仕事しろよ」「コストを下げろ」という感じになってしまうのであるが。アメリカにいると、ホント、その大切さがよくわかるのである。このへんの違いが、上記で書いた「実感」と関係しているのかもしれない。

 アメリカの産業や科学技術のメインの部分というのは、新しい発想、新しい見方・考え方、新しいデザインなどいった「新しいものを作る」ということで成り立っている。それで食っているのが、大ざっぱに言うとアメリカである。もはやコスト削減とか、早く安く品質のいいものというのは、中国に移っている。そして、「新しい発想、新しい見方・考え方、新しいデザインなどいった」ことは、同質性による効率からでは決して出てくるものではない。多様性の楽しさ、あるいは多様性の苦労から生まれてくるものだ。

 ビジネスというのは、当然のことながら、今日の儲けのことを気にかける。しかし、それだけではいつかダメになるということがわかっているもので。10のうち2か3ぐらいは、将来どうするのかということを気にするものである。では、将来どうするのか。

 そんなことをMadison Ave.のスタバでつらつらと考えている。

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On the Road 4

 ここはMadison Ave.と34 St.にあるNY public libraryの別館の地下1階です。
 thanks to komaさん

 最初、本館の方に行ってみたのであるが、地下にはインターネットが使えそうな場所はなく、1階、2階と行ってみたのであるが、どーも、「いんたーねっと」なるものを口に出すのもはばかれるような「紙の書物の王国」みたいな雰囲気なのだ。

 ここは違うなと思い、それではと、エントランスのインフォメーションにきちっと座ってる老婆に、34ストリートに別のライブリィがないですかと尋ねたところ、その老婆はまるで「スタトレ」のバルカン人のような感じの厳格さで、Madison AveにScience industry and Business Libraryがあると教えてくれた。おーそれだ、なんか名前からして、それっぽい。そんな別館があったんだと思う。それにしても、このおばあさんは、この図書館のどの場所に、どんな本があるのかほとんど網羅しているだろうなあと思う。

 本館から別館へは、結構距離がある。またもや、延々と歩く。この旅は、とにかく歩きまくるのである。ようやく着くと、入り口がわからない。適当に入り口らしきものに入っていくと、カードのにーさんに「向こう側だ」と言われる。向こう側の建物の入り口へ回り、地下へ行くと、あるある、パソコンが並んでいる。しかし、LANケーブルが出ているだけの机は見えない。そのまま、どんどん行って、奥の部屋の壁際の机を見ると、なにやら、みなさん、自分のノートPC持ち込みでカシャカシャとキーを打っているではないか。これだ。

 結構、机が埋まっていて使用中ばかりであったが、さらに奥の方に空いている机を見つけて座り込む。なるほど、LANケーブルは出ているし、電源コンセントは目の前にあるし。これはなんていいのであろうか。回線速度、はえー。

 右隣の机では、韓国語らしきウェブを表示させているアジア系の少年である。その隣が、こうして日本語で書きものをしていているアジア系おじさんである。そして、その左隣は、ワードでレポートを書いている大学生らしき金髪のお姉さんである。

 というわけで、今、そこに座って、これを書いています。
 
 こんな快適な環境なので、なんかずーと座っていたいなと思うのであるが、もう閉館するから、早く出ろというアナウンス。うるさいな。

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June 16, 2006

On the Road 3

 WTCの跡地の近くのベンチからアクセスしています。
 NYCはすばらしく快晴の空です。

 ここへくるのも、地下鉄に乗り、人に道を尋ねたりしてたいへんであった。
 Broadwayを歩いていると、そういえば前回ここを歩いたかなと思い出してくるのであった。もはや完全に忘れています。

 跡地と言っても、もはや事件当時の姿は当然なく、ただの巨大な工事現場という感じの場所である。
数多くの観光客も集まっていて、誰でもNYCに来たのならばここを見るだろうなと思う。

 この巨大な工事現場の前でしばらくたたずみ、あの日ここでなにが起こったのかを想像してみる。こに目の前にあった高層ビルに旅客機が突っ込んできたのである。戦闘機がミサイルを撃ち込んできたのではない。普通の民間の旅客機が一般の乗客もろとも突っ込んできたのである。それも2機もだ。

 この場所が、戦場のような光景になった。突っ込まれた側としては、突然の出来事であったと思う。なぜ、こんなことになるのか理解できないと思う。

 後に、イスラム過激派アルカイダのテロだということがわかった。しかし、イスラム過激派だろうとなんだろうと、なぜここで、一般の人々を巻き沿いにしてまでやったのか。大きなマクロで見てみると、なぜイスラム過激派がテロが起こすのかということは(知識としては)わかる。しかし、こうして、人々が暮らしているこの場所で考えてみると、なぜテロを起こすのか理解できない。


 青い空を見上げると、旅客機が飛んでいた。

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On the Road 2

 というわけで、マンハッタンの安ホテルの一室におります。
 極東の日本列島から太平洋を越えて、遠路遙々やってきました。

 到着したのは、ほぼ夕方であったので、先ほどホテルの周りをうろついただけです。本格的活動開始は、明日からにしようと思います。12時間のフライトは、もう若くない身にはコタエます。

 ところが、である。ニフティの海外ローミングがなぜかつながらないのである。さあー困った。

 とにかく、持てる限りの知識を総動員してアクセスできるよう試みております。しばらくお待ち下さい。

 おやっ、では、なぜかうして、ネットにアクセスできているのでせう。(なぜに、旧文体)

 それはですね。ワイヤーレス・ネットワークのアダプタがどこぞの電波を受信していたので、プチと表示させてみると、なんか5つか6つぐらいの無線LANを受信していたんですね。で、それにはセキュリティがかかっているものもあれば、そうでないものあったりしたんですね。

 でまあ、それじゃあ、ちょっと・・・・・・。(これ以上は書かないことにする)
 ハッキングしたわけではないけど、トラフィックはくっているよなあ。ちょっち、やばいかも。

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June 15, 2006

On the Road 1

 というわけで、現在、成田の北ウィングにいます。

 アメリカン航空の搭乗手続きを済ませて、これから手荷物検査へと向かうところです。早くも疲れ切っています。成田は遠いです。

 朝からほとんど食べていないので、2階のカフェでベーコンバーガーを食べたけど、これが1000円という高さ!とにかく使うカネを少なくしなくてはならない旅なのに、こんなとこで食べてはイカンと堅く心に誓ったのであった。

 空港の中での、この搭乗前の時間を、自分は何度体験したのだろうかと漫然と思う。物憂いので数えることはしないのであるが、まあとにかくいつもぼおーとするわけですね、この時間は。やり残したこととか、家の窓の鍵は閉めただろうなとか、持ってくるべきモノはみんな持ってきただろうなとか、帰ってきたら、あの仕事はあーして、こうなって、いろいろ問題でとか、あれこれ考えるわけであるが、旅に出たんだからハラをくくるしかないなと思う。

 頭を英語に切り替えるために、タイムやらペーパーバックやらを読む。

 そんなこんなで、お旅立ちである。さて、さて、どうなりますことやら。
(画像アップしたいけど、時間なし。テキストも簡単にアップする手を考えないと、アクセス時間がやたらかかりすぎる。)

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June 13, 2006

旅立つ前に考える

旅立つ前に、つらつらと考える。

ネオコンというのは、読んで字の如く「ネオコンサーバティブ」(Neo conservative)の略であり、この言葉に従えば「新しい保守主義」ということになる。では、なにがどう新しいのか。ネオコンとはなんであろうかと考えてきたが、これは保守というよりも、リベラルの傍流というか鬼子みたいなものなのではないかと思う。少なくとも、保守の伝統主義とリバータリアンの流れから出てきたものではない。ネオコンには、もともとリベラルで民主党の言論人であった者も多い。

ちなみに、ネオコンはキッシンジャーのようなリアリズム主義とは違う。ネオコンは、リアリズムのパワーポリティクスよりも、アメリカ民主主義を世界に普及しようというManifesto Destiny的な使命感があり、いわば思想が世界を変えることができると考える。その意味では、コミュニズムと同じである。アメリカ革命のイデオロギーが、中近東のイスラム世界と対面したのだと言えるだろう。イラク戦争は、経済的側面から見れば石油利権の目的があったが、実質的には思想の戦争であった。

このイラク戦争が泥沼化している。

ザルカウィ幹部を殺害しようがどうしようが、イラクの情勢はもはや内戦状態になっており、出口なしの状況になっている。さすがにここまでくると、誰でもアメリカは劣勢であることはわかってきたようで、保守派の中にも事態の深刻さを認める発言が出てきた(まー、いまだに「負けた」ことを認めない人々も多いが)。イラク西部のハディサでの米軍による住民虐殺など、下がる一方のブッシュの支持率をさらに下げるような出来事ばかりが続いている。経済の先行きも不安定だ。

つまり、どうやら「帝国」の内部では、911以後の流れが明らかに変わり始めている。これが、これまでのブッシュ政権の外交の思想的背景になっていたネオコン思想の終わりの始まりになるのか、それともネオコンはこの現実を乗り越えて、さらに今後もアメリカ外交に影響を及ぼすことを続けていくのだろうか。このへんを注目したい。

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June 12, 2006

ちょっと、アメリカへ

 前々から仕事の休みをとって、ちょっとアメリカへ行ってきますと書いていましたが、ついにというか、ようやくというか仕事の休みが取れそうなので、ちょっとアメリカへ行ってきます。仕事関係一切なしのまったくのフリーの一人旅です。

 で、休みが取れたと言っても、なんと今週なのである。今週の木曜からなのだ。こうやってギリギリにならなくては休めるかどうかわからないというのもなんであるが、まあそういうことでしょうがないのであった。

 それじゃあ南部へ行ってみようかと、この直前にプランを立ててみたのですが、どうも日程と予算的にむずかしく。事前準備が足りないのが悪いのであるが、Deep Southを訪れるのは、ひとまず今回はやめるとして。とりあえず、911の現地を見てみたいと思っていたのでニューヨークに行って、帰りにちょっとサンフランシスコへ寄っていくというコースになってしまった。ニューヨークへ前回行ったのは、2001年以前なので、その時は世界貿易センタービルがあったわけですが、今回、911の跡地を見て考えてみたいと思います。

 そこで、それでは外国へ旅に出るのでしばらく「深夜のNews」への書き込みはなくなるのかというと、そこはそこ、「深夜のNews」特別編「アメリカをゆく」をモバイルでやってしまおうと思っています。こうご期待!

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NHK「日本のこれから 米軍基地」

 10日土曜日のNHK番組「日本のこれから 米軍基地」を見た。この前日と前々日に、NHKでシリーズ「変貌する日米同盟」という番組をやっていたのであるが、こちらの方は見ていない。再放送で見ようと思う。

 番組では、視聴者の回答では、外交努力によって平和を維持するというのが一番多かった。確かにそうだなとは思うが、背後に軍事力がない外交では限度があるだろうなあと思った。外交と軍事は相反するものではなく、本来一体化しているものである。外交のない軍事行動はないし、軍事のない外交も本来はない。

 自分たちが住む地元の米軍基地が駐留していいかという問いかけを投票で決めた場合、「いい」という投票が「いやだ」という投票を上回る地域は、日本国中どこにもないであろう。しかしながら、だからと言って日本国政府はアメリカに「国民がいやだと言っています。この国は民主主義社会ですから、国民の意思に従わなくてはなりません」とは言えない。というところに、日本国政府のつらさがある。

 こうした米軍基地がある地域の人々が防衛庁長官と対話(対話だったのか?)するという番組は、確かにこれまでなかったとは思う。そのへんは、さすが公共放送とは思う。しかし、例によってNHKの曖昧さがここにも濃厚にあって、沖縄に基地が集中しているのは問題ですねで終わってしまい、あとは外交努力によって平和を維持することを国民は求めているみたいな結論になってしまった。

 結局、この番組は、議論をしていく上の論理構造がないのだと思う。

 もし在日米軍を全部撤退させたらどうなるのかというシュミレーションが必要だと思う。在日米軍を全部撤退させたらどうなるのかという話がまずあって、その上で、さあ、あなたはどう思いますかとなるのが順番であろう。在日米軍を撤退させたあと、国の守りはどうするのかで、中国や北朝鮮が攻めてくるわけないじゃあないですかと思う人々は軍事力なんていらないと言うであろうし、中国や北朝鮮は脅威であると考える人々は、日本が主体となった日本国の安全保障を主張するであろう。

 つまり、ここでまず必要なことは、日本を取り巻くアジア地域の状況は一体どうなっているのかということであり、在日米軍をなくした場合、いかなるコストが国民に発生するのかということである。そうした議論の土台になる前提条件への共通認識がなくては議論にならない。さらに言えば、軍事力の背景がなくて外交はできるのだろうかとか、軍事力を増強をすると周辺諸国はどのように感じるであろうかということを考える必要があるだろう。そうした諸々のことへの思考回路の整理から始めなくてはならないのではないかと思う。そうしないと、この議論はいつまでたっても解決しない。

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June 05, 2006

唯一の正当性すら残っていない

 NewYorkTimesによれば、ブッシュとブレアは5月25日のホワイトハウスでの共同記者会見で、イラク戦争は間違っていたことを認めることを述べたという。ようやく(ようやくだ)、彼らは誤りを認めたわけである。

 では、何を間違えたと認めたのか。この記事によると

"Mr. Bush said he regretted challenging insurgents in Iraq to "bring it on" in 2003, and said the same about his statement that he wanted Osama bin Laden "dead or alive." Those two statements quickly came to reinforce his image around the world as a cowboy commander in chief. "Kind of tough talk, you know, that sent the wrong signal to people," Mr. Bush said."

 とあって、ようするに、イラクに「かかってこい」とか、オサマ・ビンラディンを「生死に関わらず」つれてこいと言った発言を"regretted"(後悔している)と言ったようだ。そして、"I learned some lessons about expressing myself maybe in a little more sophisticated manner." (もう少し洗練されたマナーで表現することを学んだ)とブッシュは言ったという。

 ん?間違っていたのは、言い方だけなのか。どうも、この記事は何が書いてあるのかよくわからん。そこで、ホワイトハウスのサイトへ行って、5月25日のブレアとの共同記者会見のスピーチと記者会見の内容を自分で読んでみた。この記者会見は動画にもなって記録されている。

 読んでみると、ブッシュのスピーチに次の文章がある。

"The decision to remove Saddam Hussein from power was controversial. We did not find the weapons of mass destruction that we all believed were there -- and that's raised questions about whether the sacrifice in Iraq has been worth it. Despite setbacks and missteps, I strongly believe we did and are doing the right thing. Saddam Hussein was a menace to his people; he was a state sponsor of terror; he invaded his neighbors. Investigations proved he was systematically gaming the oil-for-food program in an effort to undermine sanctions, with the intent of restarting his weapons programs once the sanctions collapsed and the world looked away.

If Saddam Hussein were in power today, his regime would be richer, more dangerous and a bigger threat to the region and the civilized world. The decision to remove Saddam Hussein was right.

But not everything since liberation has turned out as the way we had expected or hoped. We've learned from our mistakes, adjusted our methods, and have built on our successes."

 ははあ、ここですね。フセイン政権を倒したことの正否は論争中であり、我々みんなが(いえ、ブッシュとブレアだけなんだけど)(あー小泉もそうか)信じていた大量破壊兵器も見つからなかったけど、私は我々が行ったことは正しかったと信じている、とブッシュは述べている。以下、フセインはこんなに悪いやつだったんだから倒されて当然だみたいな話が続き、サダム・フセインを倒したことは正しかったと、再度、強調して言っている。

 しかし、そう言っている次に、"We've learned from our mistakes, adjusted our methods, and have built on our successes."とも言っていて、ようするに、我々にも間違いはあったと言っているのだけど、でも、我々はやり遂げたみたいなことを言っていて、なんかはっきりしないのである。

 でまあ、ブレアの方も同じようなことを述べているわけですね、

"I know the decision to remove Saddam was deeply divisive for the international community, and deeply controversial. And there's no point in rehearsing those arguments over and over again. But whatever people's views about the wisdom of that decision, now that there is a democratic government in Iraq, elected by its people, and now they are confronted with those whose mission it is to destroy the hope of democracy, then our sense of mission should be equal to that and we should be determined to help them defeat this terrorism and violence."

 ようするに、フセイン政権を倒したことは、国際社会を分裂させてしまったし、ことの正否は論争中であるとブレアも述べている。しかしながら、なんだかんだ言ったって、民主主義政府がイラクにできたではないかとブレアは言う。これは、ほとんど開き直りなんじゃないか。

 おもしろい(と言っては不謹慎だな)のは、二人のスピーチを動画で聴いていると、なんかこー後ろめたさが感じられるということだ。国際社会の同意を得ることができなかった、フセイン政権打破の正否は論争中であるということをブッシュもブレアも言っている。「しかしながら」(とここで二人とも「しかしながら」)我々のやったことは正しかった、とくるのである。その「正しかった」という根拠はなにかとなると、二人とも"I believe"(私は確信する)なのである。

 この「しかしながら」の部分の、行為の正当性が認められるかどうかであろう。かつて20世紀に、ドイツ、イタリア、日本というファシズム国家と戦ったルーズベルトとチャーチルとスターリンは、こんな後ろめたさを感じことはなかったろうなあと思う。当時の時代の彼らのスピーチを聴くと、後ろめたさなどひとつもなく正々堂々としているのであるが。これに対すして、ブッシュとブレアのこの歯切れの悪さはなんであろうか。

 スピーチの後の記者からも質問への回答でも、「とにかく、イラクは民主主義政府になったんだ」ということをブッシュはやたら強調している。一人記者からの、国連はイラク戦争を違法行為だとしているという質問に対しても、ブッシュもブレアもテロリズムと戦うことは正しいことだみたいな回答しかできない。こうなると話は観念的、抽象的になって、言っていることが納得できるのかというと、なんかわけがわからん。

 ブレアの首相としての訪米はこれが最後になる可能性があるので、記者が冗談まじりに、"At least the beginning of the end of your particular special relationship. "(二人の特別な関係は終わりの始まりですか)という質問が出たのは、単なる冗談にしては意味が深い。イラク戦争は、ブッシュとブレアの戦争だった。

 この共同記者会見について、28日のNewYorkTimesは社説"The Price of Iraq"で、この共同記者会見でブッシュとブレアが誤りを認めたことに触れ、イラクへの軍事介入はいかに間違っていたかを論じている。NYTは言う。

"Of all of George Bush's many arguments for the invasion, the only one that has survived exposure to reality is that Iraqis deserve something better than a brutal dictatorship. But right now the country appears on the way to a civil war among the armed groups competing to impose order on their own terms."

 つまり、ブッシュの言うことで、イラク戦争の正当性の唯一残っていることは(大量破壊兵器はなかったし)、イラクは野蛮な独裁者の時代より良い国になったというものだ。しかし、今やイラクは内戦状態でめちゃくちゃなのである、と書いている。

 すなわち、唯一の正当性すら残っていないのが正しい現状認識なのである。

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June 03, 2006

ブログのレイアウト

 ニフティの標準の機能で読みやすいデザインにならないか、あれこれやっています。ええ、わかっているんですよ。CSSでやれば、いろいろできるつーことは。

 いちおー基本的なスタンスとしては、そうしたことに時間を費やすよりは、本を読んだり、エントリーを書くことに時間を費やしたい。

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