デヴァカントのコンサートへ行きました(前編)
10年前の1996年に、NHK-BSで『音巡礼・奥の細道』という番組があった。
アメリカ人でインドの竹笛バーンスリーの奏者が、隅田川の千住大橋から白川関、松島、 平泉、立石寺、羽黒神社、月山、那谷寺など松尾芭蕉が『奥の細道』で歩いた道を旅していくというドキュメンタリー番組で、旅の途中の芭蕉ゆかりの地で、能楽の観世栄夫や太鼓の林英哲、舞踊家の川田公子らと共演して音楽を演奏していくという番組だった。
この番組の冒頭で、彼は自分の名前はデヴァカントといい、インド音楽を学んでインドを旅していた時、日本の松尾芭蕉を知ったということを語っていた。これが、僕がデヴァカントのことを知った最初だった。番組の中での音楽を聴いてみると、ニューエイジやヒーリングといった感じの音楽ではなく、もっと奥深い精神性を感じる音楽だった。なによりも、デヴァカントの音楽が通俗的なニューエイジやアンビエント音楽と違うのは、「音」を通して、その向こうに広がる「静寂」を感じるということだ。芭蕉の俳諧においても「音」は重要な要素である。芭蕉は、言葉を用いて言葉の背後にある自然の風景や静寂を表現していた。デヴァカントの音楽にも、それと同じようなものを感じた。
この番組を見た後、デヴァカントの音楽CDが出ていないものかと探してみた。彼のCDはハイサイ・レーベルというレーベルから出ていることを知り、HMVやタワーレコードを探してみたがなく(当時はネットで検索なんてない時代だった)、これは手には入らないかなと思っていたら、新宿の紀伊国屋書店の音楽CD売り場にハイサイ・レーベルが入っていてデヴァカントの音楽CDをここで入手することができた。
時は流れ、デヴァカントの音楽CDもデジタルデータとしてiTunesのライブラリィの中に格納していたわけであるが、先日、新しく買ったインテル版のiMacにiTunesのデータを移動させるためファイルをいじっていたら、デヴァカントの音楽ファイルが目にとまった。そういえば、最近新しいCDが出ていないかなと思った。
とりあえず、まずGoogleで"devakant"というワードで検索をしてみた。すると、トップにwww.devakant.comというサイトがヒットした。公式サイトらしい。ここで見てみると「Norrow Road」というタイトルの音楽CDがある。これこそ、10年前に探していたNHKの『音巡礼』のCDではないか。あの当時、『音巡礼』の曲は"Concert In Japan"というCDに入っていて、このCDは入手していた。でも、『音巡礼』そのものCDが出ていたとは知らなかった。この公式サイトでのレーベルは、ハイサイ・レーベルではないようだ。
これは早速入手しようと公式サイトのインフォメーションにメールを送った。日本でのコンサートの情報も尋ねた。すると、コンサートが東京周辺では5月6日にあるという。メールで尋ねたのは3日であった。なんとまあ、直前だったのだ。このGWはなんだかんだあって、これは都合がつくのだろうかと考えてみたが、なにしろこうした機会もそうそうあるわけでもない。まあ、なんとかなるだろうということで、コンサートへ行くことにした。
コンサートの場所は、千葉市香取郡神崎町の神崎神社であるという。さて、神崎町ってどこかしらと、Googleローカルで検索をしてみると、なんと千葉の成田の向こうではないか。これは遠い。めちゃ遠い。ほとんど成田空港へ行く遠さである。もよりの駅は、JR成田線の下総神崎であるという。下総神崎の駅から、どうやっていくのかなとGoogleローカルで見て、なるほど駅から歩いていける距離ではあるなと思った。さらにNASAの人工衛星からの画像に画面を切り替えて、なるほどふむふむと、何にうなずいているのかよくわからんが、とにかくうなずく。それにしても、こうしてこれから行く先の場所を人工衛星からの画像で見ることができるという、今の時代について、しばし感慨に耽るのであった。
当日、京成の特急で成田へ行く。日暮里の駅では、GWの終わりであるが、これから海外へ行くという旅行者らしきみなさんの光景があった。車内は結構混んでいて座ることができず、成田まで立ち続けることを覚悟したが、船橋から座れた。京成の成田駅について、JR成田線に乗り換える。この成田線がまた、ローカル単線で、いい感じの電車であった。これはNHKの「関東甲信越 小さな旅」みたいな雰囲気になってきたなと思いつつ(千葉県だから、甲信越じゃあないんだけど)、電車でトコトコと下総神崎へ。この神崎というのを「かんざき」と読んでいたのであるが、「こうざき」と読むことを車内アナウンスで知る。そういえば、神崎神社も「かんざきじんじゃ」ではなく「こうざきじんしゃ」と読むのであった。
下総神崎駅に着いた。人工衛星からの画像で見た通りに、これといった建造物がなにもないローカルな駅前である。こっちの方角だなと、事前に当たりをつけておいた方向へ向かって歩き始める。なあに、すぐに着くさ、シバリョーの「街道をゆく」だぜとか思いながら歩く。やがて道は国道になり、国道沿いを歩く。
帽子をかぶり、バックパックを背負ったジーンズ姿の怪しげなおじさんが一人、国道沿いを歩く。国道の横は、あたり一面に水をたたえた田園風景が広がっている。それにしても、こうした場所の国道というのは、カンペキに自動車道になっていて、道の両側にガードレールで区切られた歩道があるわけではなく、ただ白線が引かれているだけで、とりあえず人間はここを通行せよという感じになっているだけである。だから、歩いていると、身体にすれすれで車がびゅんびゅんと通り過ぎていくのである。かつて、芭蕉が門人の河合曾良と旅した奥の細道は、車なんぞというものがなかったので、さぞや趣のある旅であったろう。
おやっ神崎という文字を前方に発見する。ここかと思ってよく見てると、真言宗醍醐派神崎寺とある。いやいや、コンサートがあるのは、神社であって寺ではなかった。ここではない。それにしても、真言宗のお寺がここにあるとは。その昔、高野山を旅した時は寒かったなとか思いつつ、また歩き出す。
しばらく歩いていると、ホントにこっちの方でいいのだろうかと心配になってくる。もうしばらく歩いてみて、神社が見えてこなければ誰かに尋ねよう。しかしまあ、車はびゅんびゅん走っているのだけど、人の姿はまったく見かけないのである。あー駅からタクシーに乗ればよかったと思っていたら、前方に、なにやらそれらしき森が見えてきた。その森の入り口に「神崎神社」とある。おーここか。ようやく、到達したのであった。しかしながら、森の入り口から、その先に長い階段が見える。げっ、これを登っていくのか。
(この稿、続く)
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