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May 2006

May 28, 2006

映画『日本国憲法』

 ジャン・ユンカーマン監督の映画『日本国憲法』をDVDで見た。この映画のことは知っていたのだが、あーそうなの日本国憲法なの、という感じでこれまで見ていなかった。しかし、この映画は第9条を世界の視点から考えるという、たいへん意味のある映画であった。これまで、ワタシはこれを見なかったことを反省したい。

 ダグラス・ラミスさんが出ていることは知っていたけど、ジョン・ダワーやチャルマーズ・ジョンソンが出ていたとは知らなかった。日高六郎さんが、憲法9条を国内的なことではなく、国際的な話にしなくてはならないと語るのを見て、なるほどそうかと思う。日本の憲法なんだから、なんで外国の声も聞かなくてはならないのという保守派からのお決まりの反論がくるかもしれないが、日本の憲法だからこそ、広く世界の声を聞くべきなのだと思う。特に、アジアからの声である。

 小泉総理がイラク派兵を決めたことで、世界の人々は「日本は憲法9条を無視するんだな」「それほど、日本はアメリカに従いたいのか」という認識を持ってしまった。これは、日本の外交上大きな損失であった。

 中韓からの、日本はアジアに謝罪していないという声には、憲法第9条を掲げて、我が国はこうした憲法を持っているのだと胸を張って誇りをもって主張することができるはずだ。第9条は今時代に合わないという前に、そもそも日本は日本国憲法の理念を世界に向かって主張したことがあったであろうか。

 もちろん、僕は憲法は変える必要はあると思う。しかしながら、現状の状況では、日本国憲法が作られた歴史や意味についてなにも知らないまま、今の政府が言ってることだけを鵜呑みして改憲の是非を判断するようなものである。まず、日本国憲法について知ろう。世界の人々が第9条をどのように思っているのか知ろう。Kenpo9Zyoって、これからの世界でキーワードにならないだろうか。

 (第9条を考えるために『マガジン9条』はお勧めです。特に、最近の中国脅威論に対して、本当に我々が考えるべきことはアジアの平和であるはずだ。『マガジン9条』の中国の作家班忠義さんのこのコラムは読んで欲しい。)

May 26, 2006

国民国家

 以下は、日頃ネットで親しくおつきあいをさせて頂いているブログ「幸か不幸か専業主婦」での最近の愛国心をめぐる一連のやりとりに基づくものである。コメントとして書いていったら長くなったので、自分のブログにエントリーとしてアップすることにしました。

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robitaさん、お返事が遅れてしまいました。

お返事が遅れた理由は、最近マンガ、いえ、良質の歴史書全20巻プラス9巻を読んでいまして、まーその他にも書く時間がとれなかったとか、いろいろあったんですが

>>「国家は国民と相対するもの」ではなく、「国家は国民自身」なのだ。

と主張するrobitaさんに、さて、どのように話せばいいのかと、ここ数日考えていたからであります。

この主張に対して、そうとうなボリュームの反論が書けます。ここ数日、それを書いては消し、書いては消しの連続でした。なんで「書いては消し」なのかというと、書いてみるけど、どうもrobitaさんの言っておられることとは、そういうこととは違うんじゃないかと思い。また別の文章を書いてみるのですが、書いてみると、これも的はずれなんじゃないかと思い。思いながら、数日がたってしまった次第であります。

そこで、

一般的に言いまして、今の世の中の状況ですと「国家は国民そのものである」というのは、これはそうとうな物議をかもし出します。左翼からも(国家は国民と敵対するものである!!)右翼からも(国家が国民自身というのは、国家に対して不敬である!!)反発があるでしょう。

しかしながら、robitaさんの言われていることは、そーゆーことじゃあないんだろうなあと思います。そのへん、そうした観点からの反論をしても意味はないなと思うわけです。robitaさんの言われることは、枝葉末節の政治議論というよりも、もっと大きく、もっと基本的なところで考えなくてはいかんなと思うわけです。

で、じゃあ、どーゆーことなのか、ということをつらつら書いてみます。
結局、これはそうしたコムズカシイことなのではないだろう、ということです。
もっと、根本の、根本の、根本的なことなのではないか。

「国家は国民そのものである」というのを「国民とはなにか」という見方に変えて考えてみます。国家とはなにかについて考えるということは、国民とはなにかということを考えることでもあります。つまり、国民とは「自分と国家を同一視している人」のことである、ということです。これは「国民」の定義として正しいことです。この「国民」という考え方は、大ざっぱに言えば、16世紀のオランダで生まれた考え方で、その後やがてフランス革命で人類史上初の国民国家というものが誕生します。日本にこの考え方が入ってきたのは幕末です。

これは司馬遼太郎さんが書いていることですが、幕末の時代、江戸幕府は洋式海軍を創立し、オランダに海軍の教師団を寄越してくれと要望しました。安政四年、その教師団がオランダからやってきます。団長は、カッテンディーケという中佐でした。

この時代、長崎は出島だけではなく、市内を外国人が歩き回ることを許していました。長崎にやってきたカッテンディーケは、長崎市内があまりにも無防備なので、ある日、市内の商人と会話した時、町の防衛はどうなっているのですかと尋ねました。するとその商人は、「それは幕府のなさることで、我々は知りません」と答えたといいます。江戸時代の身分制というのは、こうしたものでした。

これを聴いて、カッテンディーケは驚きます。これはやっぱり、変じゃないかと思い。このことを長崎海軍伝習所の生徒だった勝麟太郎という若者に話します。勝は「では、オランダはどうなのですか」とカッテンディーケに聞きます。すると、カッテンディーケはこう言いました。

「オランダには憲法があります。オランダ人は、いかなる人といえども、ごく自然にオランダ国民です。自分の身と国とを一体のものとして考え、ある場合にはオランダ国の代表として振る舞い、また敵が攻めてきた場合には自ら進んでそれを防ごうとします。それが国民というものです。日本がなぜそうでないかが不思議ですね。」(司馬遼太郎『「明治」という国家』

勝麟太郎は、のちに勝海舟として江戸幕府の最後の幕を閉める人ですが、この時この人は「なるほど、そうなのか」と思ったと思います。つまり、「国民」になろうということです。この時代、日本に「国民」はいませんでした。勝は、幕藩体制をぶっ壊し、士農工商の身分制をなくして、「国民」という等質のひとつの階級をつくればいいのだと考えました。自分と国家を同一視している人々の世の中にしようと思ったと思います。この考え方を、勝は坂本龍馬に教えるわけです。龍馬もまた、そうなんだと思ったわけです。龍馬も「国民」でした。

話を現代に戻します。

ようするに平成の今の日本人は、オランダ人カッテンディーケが驚いた長崎の商人や町人のようになっている、ということなのではないでしょうか。実質的内面が国民ではない国民ばかりになってしまったということです。カッテンディーケが、今の日本を歩いて、国の防衛はどうしているのですかと聞くと、「それは米軍のすることで、我々は知りません」という答えが返ってくるでしょう。これはもう、そもそも「国民」の意識ではないわけです。自分たちの国なのだから、自分たちで守っていこう、良くしていこうと思うのが「国民」であります。

法律的に言えば、人は生まれてそのままで国民になります。しかし、内面において人は生まれたそのままでは「国民」ではありません。「国民になる」ということが必要であり、それはすなわち教育であります。戦後半世紀の教育は、国家という意識をなるべく避けようとした(これはこれで理由がありました、それほど戦前の日本はひどかったということです)が故に、国民という意識もまたなくしてしまった。この国は国民国家ではなく、みんな「国民」ではなくなってしまった。だからこそ、国民の意識を持ちましょう。国民国家であることを意識しましょう。その意味において、教育基本法に愛国心という記述が加わるのである。

robitaさんが言われたいことは、上記のようなことなんじゃないかなあ、とつらつら思うわけです。

May 22, 2006

「太郎と語る会」に行ってきました

 20日の土曜日は、漫画家みなもと太郎さんとファンの集会の「太郎と語る会」に行ってきた。

 先週、オンライン書店のeBookJapanを見ていたら、みなもと太郎の「風雲児たち」という漫画があった。みなもと太郎は知っていたけど、こんな作品があったとは知らなかった。歴史小説や歴史マンガについて、一通りフォローしていると自認していたワタシであるが、「風雲児たち」って何だろうと思った。そこで、第一巻を「立ち読み」(最初の数ページ分だけ無料でダウンロードできる)で読んでみた。すると幕末の歴史ものの話なのに、なんと関ヶ原の戦いから始まっている。ここで、すごいと思った。

 幕末を理解するためには、まず関ヶ原の合戦後での徳川家康の戦後処理がどのようなものであったのかを知らなくて理解はできない。歴史は、そもそも時間的、空間的につながっているために、これは当然と言えば当然のことなのであるが、この「当然のこと」を「当然のこと」のようにやる歴史ものというのは数少ない。幕末維新ものであるのならば、やはり幕末(といっても、文政8年1825年の異国船打払令のあたりから)から始まるもんであって、話が進むに従って、必要ならば関ヶ原の合戦の頃の話を加える、というのが世間一般の幕末維新ものであろう。それを関ヶ原からやっていたら、いつ終わるのかわからなくなってしまう(事実、「風雲児たち」もいつ終わるのかわからないという)。それを、やろうというのだから、この物語は、これはタダモンではないなと感じた。そこで、1巻から5巻まで(今現在は10巻までダウンロード販売している)購入して読んでいったわけである。読むにつれて、ますます、これはやはりタダの歴史マンガではないと思った。

 よって、これは5巻までではなく、全巻読まなくてはと、さっそく新宿の紀伊国屋書店で「風雲児たち」の6巻以後から全20巻までと、「風雲児たち 幕末編」をこれは今出ている9巻まで、えいっや、と大人買いをして(あー、全部抱えてレジに持って行くのはたいへんだった)、今読んでいるところだ。

 でまあ、ネットで公式ファンサイトを見てみたら、20日に池袋の豊島区民センターでみなもと太郎さんを交えたファンのみなさんの集まりがあって、誰でも参加していいよみたいな感じだったので、こんなおもしろい歴史マンガを書く作者はどのような人なのだろうかと思い行ってみた。

 行ってみると、創作者の創作意欲を支えるのは、いいファンがいることだなということを感じた。こうした集まりなので、みなさんそりゃあディープでコアな若者(笑)が多いわけであるが、「最近の研究では、和船にも竜骨は使われていましたよね」という(わかる人にはわかる)(シバリョーの「菜の花の沖」を読んだ人はわかる)という発言が出てきたのには驚いた。そうか、最近の研究ではそうなっているのかと思い、ディープでコアな若者にはかなわんなと感じた。

 みなもと太郎さんは、もう古い世代の漫画家になるわけであるが、それでも若いファンが多いというのは、ある意味おどろくべきことなのかもしれない。なにしろ、「風雲児たち」は連載開始が昭和47年だというのだから、アンタ今まで知らなかったのかと思われるかもしれないが、ワタシはこの歳になるまで知らなかったのだ。反省しなくては。こんな以前から、みなもと太郎さんは、こんなじっくりとした良い歴史作品を書いていたのである。集会では、ビンゴゲームで、ネームの入った生原稿とかもらったぜい。

 まず、おもしろい。歴史大河ギャクマンガなので、おもしろい。まだ今のところ15巻の渡辺崋山、高野長英、勝麟太郎たちの若き日の話のところまでしか読んでいないが、この時代から少し前の江戸時代中期の老中田沼意次と、その政敵であった松平定信の対立も興味深い。松平定信つーのは、ようするに保守なわけですね。なんか、新しい世の中になったら、どうしていいのかわからないので、家康や吉宗の時代にやっていたことをやればいいんだと考えるのである。で、当たり前のことであるけど、新しい時代にはそれは合わないので失敗するのである。

 さらに時代が進み、江戸も後期になると、それまでの世の中にはいなかった新しいタイプの人々がむらがり出てくるように出現してくる。百姓の子なのに学問が好きでやっているとか、下級武士のせがれなのに、やたら外国のことの関心を持っているとか、つまりは生活する上で、別に必要なことでもないのに、それでも個人的関心があってやっているという人々である。

 この人々は、仕官やカネや出世や妻子との幸福な暮らしよりも、個人として関心がある、関わっているということを優先する。この国では、こうしたタイプの人々は奇人・変人の類に扱われる。その彼らとは、平賀源内とか伊能忠敬とか最上徳内、前野良沢、杉田玄白、間宮林蔵、工藤平助、林子平、高山彦九郎、渡辺崋山、高野長英などである。江戸300年における経済の成熟と、日本を取り巻く国際社会の変化が、こうした人々を生み出したと言ってもいいだろう。幕末の志士とは、いわば彼らの延長線上にいる、同じタイプの人々なのであった。

 そうした人々の人間模様を活き活きと描いている。この作品は、歴史学での最近の研究成果も取り入れている歴史書であると同時に、ギャクマンガでもあるという見事な作品である。第8回手塚治虫文化賞特別賞受賞作品

May 19, 2006

An Inconvenient Truth

 前アメリカ副大統領のアル・ゴアが出演して地球環境の危機を語る"An Inconvenient Truth"というドキュメンタリー映画が、今月アメリカで公開される。"Inconvenient"とは「都合の悪い」という意味で、誰、あるいは何にとって都合の悪い真実なのかというと、現在、まだ公開前だというのに、この映画に対しても「そうした事実はない」とか言っている人々がいることでもわかるであろう。地球温暖化という事実があっては困る人々が世の中にはいて、そうした人々にとっては「都合の悪い真実」なのであろう。

 2000年の大統領選挙では、共和党の不当な策略と保守派主導の連邦裁判所の判断によってジョージ・ウォーカー・ブッシュが第43代合衆国大統領になったが、ゴアはその後、政界に戻るよりも、自分がこれまで集めた地球温暖化についての情報をもとに、広く全米で講演を行っていたという。ゴアにとって環境問題は、テネシアン(Tennessean)紙の記者だった若い時からの関心事であり、上院議員時代に"Earth in the Balance"という環境問題の本を書いている。そのゴアを主演にし、彼が集めたマルチメディアスライドを中心にして制作されたのがこの映画だ。サンダンス映画祭でも高評をはくしたとワシントンポスト紙は報道している。この映画は、ゴアによる地球温暖化の現状と今後の予測であると同時に、彼がなぜ環境問題に関わってきたのかを語る映画でもある。

 予告がショッキングで、かついい予告になっている。ゴアは「科学的な共通認識では、地球温暖化の原因は我々なのです」と語る。「私が元次期合衆国大統領と呼ばれたアル・ゴアです」と冗談交じりに言うシーンがあって、僕もウォーと声を挙げてしまった。この「ウォー」という人々の声の背後には、「そうなんだよ。この人こそ合衆国大統領なんだよ、そうであって欲しかった」という想いがある。そして、地球の各地の景観がいかに変貌してしまったかをゴアは語る。今後10年の間で、キリマンジャロには雪はなくなるという。

 「これは政治的な問題なのではなく、それよりもっと大きな問題なのです」と彼は語る。ハリケーンカトリーナのシーンで、地球が我々を裏切ったのか?それとも、我々が地球を裏切ったのか?という文字が画面に出る。環境問題は、もはやテロリズム的脅威になっている。環境破壊が経済や社会に与える被害は甚大なものなのだ。この予告を観ただけでも、地球はかなり変貌している。ゴアは、我々が対処しなければならない本当の危機とは何であるのかを語っている。

 それにしても、日本でも公開するん・・・・だろうな。

May 15, 2006

公共や国家という理念がない人々

 日曜日夜のNHKのシリーズ「小泉改革5年を問う」の第一回を見た。その後、DVDで「ザ・ホワイトハウス」の第2シーズンを最初から見直していた。「ザ・ホワイトハウス」を見ながら、さっきのNHKの番組の中の「国にカネがないから、地方には回しません」という言葉を思い出した。

 日本の政治家は、そういう言葉を臆面もなく堂々と言えるのだなと思った。共和党でさえ、ここまで言わないだろう。今の日本は、国政は国家の政治ではないなと思う。公共や国家という理念が、この人たちの言葉には感じられないのである。その一方で、「政府は、在日米軍再編で基地の移転先を抱える自治体向けの振興策について、施設建設など計画の進み具合に応じて振興資金を配分する新たな交付金制度の検討に入った。」という。地方に回すカネは、なかったんじゃないんだっけ。

May 07, 2006

デヴァカントのコンサートへ行きました(前編)

 10年前の1996年に、NHK-BSで『音巡礼・奥の細道』という番組があった。

 アメリカ人でインドの竹笛バーンスリーの奏者が、隅田川の千住大橋から白川関、松島、 平泉、立石寺、羽黒神社、月山、那谷寺など松尾芭蕉が『奥の細道』で歩いた道を旅していくというドキュメンタリー番組で、旅の途中の芭蕉ゆかりの地で、能楽の観世栄夫や太鼓の林英哲、舞踊家の川田公子らと共演して音楽を演奏していくという番組だった。

 この番組の冒頭で、彼は自分の名前はデヴァカントといい、インド音楽を学んでインドを旅していた時、日本の松尾芭蕉を知ったということを語っていた。これが、僕がデヴァカントのことを知った最初だった。番組の中での音楽を聴いてみると、ニューエイジやヒーリングといった感じの音楽ではなく、もっと奥深い精神性を感じる音楽だった。なによりも、デヴァカントの音楽が通俗的なニューエイジやアンビエント音楽と違うのは、「音」を通して、その向こうに広がる「静寂」を感じるということだ。芭蕉の俳諧においても「音」は重要な要素である。芭蕉は、言葉を用いて言葉の背後にある自然の風景や静寂を表現していた。デヴァカントの音楽にも、それと同じようなものを感じた。

 この番組を見た後、デヴァカントの音楽CDが出ていないものかと探してみた。彼のCDはハイサイ・レーベルというレーベルから出ていることを知り、HMVやタワーレコードを探してみたがなく(当時はネットで検索なんてない時代だった)、これは手には入らないかなと思っていたら、新宿の紀伊国屋書店の音楽CD売り場にハイサイ・レーベルが入っていてデヴァカントの音楽CDをここで入手することができた。

 時は流れ、デヴァカントの音楽CDもデジタルデータとしてiTunesのライブラリィの中に格納していたわけであるが、先日、新しく買ったインテル版のiMacにiTunesのデータを移動させるためファイルをいじっていたら、デヴァカントの音楽ファイルが目にとまった。そういえば、最近新しいCDが出ていないかなと思った。

 とりあえず、まずGoogleで"devakant"というワードで検索をしてみた。すると、トップにwww.devakant.comというサイトがヒットした。公式サイトらしい。ここで見てみると「Norrow Road」というタイトルの音楽CDがある。これこそ、10年前に探していたNHKの『音巡礼』のCDではないか。あの当時、『音巡礼』の曲は"Concert In Japan"というCDに入っていて、このCDは入手していた。でも、『音巡礼』そのものCDが出ていたとは知らなかった。この公式サイトでのレーベルは、ハイサイ・レーベルではないようだ。

 これは早速入手しようと公式サイトのインフォメーションにメールを送った。日本でのコンサートの情報も尋ねた。すると、コンサートが東京周辺では5月6日にあるという。メールで尋ねたのは3日であった。なんとまあ、直前だったのだ。このGWはなんだかんだあって、これは都合がつくのだろうかと考えてみたが、なにしろこうした機会もそうそうあるわけでもない。まあ、なんとかなるだろうということで、コンサートへ行くことにした。

 コンサートの場所は、千葉市香取郡神崎町の神崎神社であるという。さて、神崎町ってどこかしらと、Googleローカルで検索をしてみると、なんと千葉の成田の向こうではないか。これは遠い。めちゃ遠い。ほとんど成田空港へ行く遠さである。もよりの駅は、JR成田線の下総神崎であるという。下総神崎の駅から、どうやっていくのかなとGoogleローカルで見て、なるほど駅から歩いていける距離ではあるなと思った。さらにNASAの人工衛星からの画像に画面を切り替えて、なるほどふむふむと、何にうなずいているのかよくわからんが、とにかくうなずく。それにしても、こうしてこれから行く先の場所を人工衛星からの画像で見ることができるという、今の時代について、しばし感慨に耽るのであった。

 当日、京成の特急で成田へ行く。日暮里の駅では、GWの終わりであるが、これから海外へ行くという旅行者らしきみなさんの光景があった。車内は結構混んでいて座ることができず、成田まで立ち続けることを覚悟したが、船橋から座れた。京成の成田駅について、JR成田線に乗り換える。この成田線がまた、ローカル単線で、いい感じの電車であった。これはNHKの「関東甲信越 小さな旅」みたいな雰囲気になってきたなと思いつつ(千葉県だから、甲信越じゃあないんだけど)、電車でトコトコと下総神崎へ。この神崎というのを「かんざき」と読んでいたのであるが、「こうざき」と読むことを車内アナウンスで知る。そういえば、神崎神社も「かんざきじんじゃ」ではなく「こうざきじんしゃ」と読むのであった。

 下総神崎駅に着いた。人工衛星からの画像で見た通りに、これといった建造物がなにもないローカルな駅前である。こっちの方角だなと、事前に当たりをつけておいた方向へ向かって歩き始める。なあに、すぐに着くさ、シバリョーの「街道をゆく」だぜとか思いながら歩く。やがて道は国道になり、国道沿いを歩く。

 帽子をかぶり、バックパックを背負ったジーンズ姿の怪しげなおじさんが一人、国道沿いを歩く。国道の横は、あたり一面に水をたたえた田園風景が広がっている。それにしても、こうした場所の国道というのは、カンペキに自動車道になっていて、道の両側にガードレールで区切られた歩道があるわけではなく、ただ白線が引かれているだけで、とりあえず人間はここを通行せよという感じになっているだけである。だから、歩いていると、身体にすれすれで車がびゅんびゅんと通り過ぎていくのである。かつて、芭蕉が門人の河合曾良と旅した奥の細道は、車なんぞというものがなかったので、さぞや趣のある旅であったろう。

 おやっ神崎という文字を前方に発見する。ここかと思ってよく見てると、真言宗醍醐派神崎寺とある。いやいや、コンサートがあるのは、神社であって寺ではなかった。ここではない。それにしても、真言宗のお寺がここにあるとは。その昔、高野山を旅した時は寒かったなとか思いつつ、また歩き出す。

 しばらく歩いていると、ホントにこっちの方でいいのだろうかと心配になってくる。もうしばらく歩いてみて、神社が見えてこなければ誰かに尋ねよう。しかしまあ、車はびゅんびゅん走っているのだけど、人の姿はまったく見かけないのである。あー駅からタクシーに乗ればよかったと思っていたら、前方に、なにやらそれらしき森が見えてきた。その森の入り口に「神崎神社」とある。おーここか。ようやく、到達したのであった。しかしながら、森の入り口から、その先に長い階段が見える。げっ、これを登っていくのか。


(この稿、続く)

May 04, 2006

『Good Night, and Good Luck』

 ジョージ・クルーニー監督・脚本・出演の映画『Good Night, and Good Luck』を六本木ヒルズで観てきた。この映画は、今のところヒルズの映画館でしか上映していないが、今月の13日から全国で公開されるようだ。1950年代のアメリカのCBS放送の伝説的なジャーナリストであるエドワード・マローの映画を、ジョージ・クルーニーの監督でやるということは知ってたので、13日になるのも待ちきれずヒルズに行って観てきた。

 時代は、1950年代のマッカーシズム時代。マッカーシズムとは、1950年にウィスコンシン州の上院議員Joseph Raymond McCarthyが国務省内に共産党員が入りこみスパイ網をつくっていると発言した。ここからいわゆる「赤狩り」が始まる。具体的な証拠も確証もなく共産主義者であると糾弾されたのは、国務省職員だけではなく、中央情報局や陸軍内部、大学の中国研究家や外交官らにもおよび、さらに映画関係者にもその対象が広がっていった一連のマス・ヒステリー現象であり、この20世紀の魔女狩り現象をマッカーシズムという。この背景には、米ソ冷戦の進行と朝鮮戦争の勃発がある。共産主義への恐怖が大衆に蔓延していた時代だった。

 このマッカーシズムに対して、マスコミは何の反対の声も挙げることはなかった。マッカーシー上院議員を批判することで、共産主義者であるというラベルを貼られることを恐れたのである。これに対して真っ向から意義を唱えたのが、CBSの報道番組「See It Now」のジョージ・クルーニーが演じるプロデューサー、フレッド・フレンドリとデヴィッド・ストラザーンが演じるキャストのエドワード・マローの二人である。ジョージ・クルーニーは監督を務め、脚本も共同で書いている。この映画に対する思い入れは尋常ではないことがわかる。今やハリウッドのリベラル俳優の筆頭ともいうべき感のあるクルーニーは、今のブッシュ政権下のアメリカの状況を、50年代のマッカーシズムの時代に重ねているのであろう。

 物語はストレートかつシンプルで、ドラマとしての盛り上がりとかサスペンスさとかいったものは一切ない。同じCSBの番組ジャーナリストが大企業の違法行為と対立する実話を元にした映画として、マイケル・マン監督の『インサイダー』があるが、こちらの方はドラマとして起伏があり、内面の感情表現もあったが、クルーニーの映画ではそうしたものがない。マローやマッカーシーの人間的な内面の説明といったものもなく、『シリアナ』でもそうであったが、ドキュメンタリーのように淡々と物語は進んでいく。ちなみに、公式サイトで見ることができる予告を見ると、なんかすごくドラマチックな物語のように見えるのであるが、実際はそれほどでもありませんと言っておこう(笑)。あの予告の編集はうまい。

 おもしろかったのが、とにかくこの映画の中で登場人物の多くがタバコを吸う。マロー自身、タバコを片手にテレビ(ラジオではない)に出演するのである。タバコの煙をくゆらせながら、コメントを語り、最後に"Good Night, and Good Luck"と言ってキメる。この時代は、これほどタバコを吸う時代だったのかと思う。マローの語り方も、今のテレビでは考えられないような「きちっとした」語り方である。

 ジャーナリストのマローが政治権力と戦い、利益と経営の安全を求めるCBSの会長と対立する姿は、これまでアメリカ映画で何度も繰り返されてきたお決まりのパターンと言えば確かにそうだが、結局、ジャーナリズムは権力や経営とは目的を異にするものなのだろう。クイズ番組の方が制作費が3分の1ですむ上に広告収入が多い、フレッドとマローの番組は胃が痛くなるとペイリー会長は二人に語る。この印象的なシーンの前にも、「経営は報道の編集に介入しない約束だろ」と言うマローに向かって、「なるほど、経営は編集に介入しない。だがな、エド、編集が何百人という従業員の身を危うくされることは許さん。わかったな」とペイリー会長が言うシーンがあって、このCBS会長の言葉には、確かにうなずけるものはある。この時代、テレビは創世期の一部の人々だけのメディアではなく、一般大衆に広く普及し始めた時代へと移り変わっていた。大衆は、テレビに娯楽を求めた。良質な報道を求める視聴者もいたであろうが、数が違う。もはや、テレビにマローのような良識的なジャーナリストは求められない時代になりつつあった。そうしたテレビの現状を、マローは批判する。

 しかし、この映画を見ていて、マローのテレビ批判とテレビにおけるジャーナリズムのあり方について、それがそのまま今の時代にも通じるだろうかという疑問を感じた。マローの時代は、報道する側と、それを受ける側が明確に分かれていた。少数のマスコミ人が、膨大な数の非マスコミ人に対して情報を提供するという時代だった。社会の大多数たる非マスコミ人は、マスコミから情報を入手する以外に手段はなかった。この構図が、ネットの登場により根本的に変わっている。

 今の時代は、ネットを使えば、ある程度の情報については、マスコミ業界人や専門家であろうとなかろうと、誰もが情報を入手することができるし、自分の意見や考えを広く発信することができる時代になった。しかし、そうなると情報の量と流通が膨大な世の中になり、その膨大な情報の中で何をどう考えるべきなのかということがわかりにくくなってしまった。

 マローの時代は、マッカーシズムならマッカーシー上院議員という批判すべき相手があった。赤狩りという、よく考えてみれば誰でもおかしいと感じることができる明確な対象があった。マローは視聴者に向かって自分の良心と信念に基づく意見を語りかけた。それで心ある視聴者は、何が正しく、何が間違っているのかということを気がつくことができた。

 今の時代は違う。アメリカで言えば、悪いのはブッシュとチェイニーであると言うことは確かに正しいが、それでじゃあなんなのかというと、映画『シリアナ』でも描いていたように、ブッシュもチェイニーも、ある大きなシステムの一画であって、ブッシュとチェイニーがいなくなれば、それで解決するというものではない。結局、マイケル・ムーアの限界はそこにあったと思う。しかし、それではその「大きなシステム」とは何かという話になると、かなり複雑で大きなシステムであるが故に、見る人見る人によってそれぞれ異なっていて、ロックフェラーの陰謀であるとか、フリーメーソンの陰謀であるとかいった陰謀論に終始してしまっている。日本の状況について言えば、さらに批判すべき対象はなんであるのかわからない状況になっている。自民党が悪いと言うだけで、それですべてが解決するわけではない。現代のジャーナリズムは、個別の対象を扱いながらも、政治や経済をマクロでグローバルに見て分析する視点や技術が必要な時代になったのだと思う。それは、マローの時代にはなかったものだ。

 また、テレビ局の企業としての収益を上げるためは、どうしても娯楽が中心のものになってしまうというのは、マス(大衆)を相手にしたビジネスである以上、必然的なことであろう。しかし、今の新聞にせよ、テレビにせよ、もはやマスを相手の商売ではなくなりつつあるのではないかと思う。テレビをあまり見ない人の数は少なくない。テレビ自体が、多種多様化している。携帯電話でワンセグを見る時代に、もはや古典的なテレビのイメージは通用しなくなってきている。さらに言えば、テレビは録画してディスクに落として、CMをカットして見ることが当たり前の今日、テレビ番組と広告の関係についても大きく変わろうとしている。

 テレビは、数多くのメディアの中のひとつにすぎなくなった今、ビジネスモデルの再構築を余儀なくされている。セグメント化したマーケットに適した良質のサービスを、低コストで提供することがビジネスの主体になりつつある今、企業としてもテレビは大きく変わらなければならない時期にきていると思う。ネットが普及した現在、テレビは従来のマスを対象にしたショービジネス的なものでは成り立たなくなってきているのではないか。その意味で、エド・マローのような、古典的な、あまりにも古典的なスタイルのジャーナリストを顧みる必要があるのだと思う。

 映像がモノクロであることや、しっとりとしたジャズ音楽を使っていたことなど、50年代の時代の雰囲気をうまく出していたと思う。このへんはクルーニーはうまいと思った。エド・マローというジャーナリストが、当時の支配的だったマッカーシー上院議員による赤狩りに真っ向から異義を唱え、その後マッカーシーは没落の一途をたどることになる。しかし、マローもまた報道の内容や質よりも営利を優先せざる得ないテレビ界から去ることを余儀なくされるという、いかにもという感じがしまくりの内容の映画を、いい雰囲気の漂う映画にしていた。

May 03, 2006

失われていく自由

 「共謀罪法案」という法案が今成立しつつある。ネットの数多くの場で言われているように、この法律はかなり問題を含んでいる法律である。なにが問題なのかというと、「なにが違法行為だと見なされるのか」ということ、そのものが取りします側の警察や裁判所の解釈で恣意的にどうでもなるということが法律で認められるということだ。このため、これまでは例外的にしか認められなかった電話やメールや日常会話が盗聴・監視されるようになるということである。

 ちなみに、アメリカでは一般市民への盗聴・監視は、今のブッシュ政権になって当然のように行われている。ブッシュ大統領は「テロ対策のためなのでやむ得ない」みたいなことを言っている。このように「テロ対策」の名目で、市民の自由がどんどん制限されているのが、今のアメリカである。最近、Googleが中国政府の要求に従って検索に制限をかけることに対して批判の声が高まったが、なんのことはない、アメリカ政府自身が自国の国民を監視し、自由を制限しているのである。

 こうしたアメリカと同じことを、日本も今やろうとしている。今というのは、近年中にとか、今年中にとかの話ではなくて、なんとこの4月28日に自民党は採決するつもりであったのだ。この日、野党が反対したために採決は行われず、後日に行われることになったという。僕自身は、こうした法案があることは知っていたが、28日にそれが採決される予定であり、そして後日にもちこされることになったのを知ったのは、30日ぐらいになってネットで知った。ここ数日間は、あまり新聞やテレビを見ることはなかったのであるが、そうであったとしても、この法案についての情報がメディアに少ないと思う。というか、ネットにアクセスしない人は、この法案の存在自体についても知ることがないかもしれない。

 この法案は、元々、国際的なテロ防止のための「国際組織犯罪防止条約」で義務づけられた法整備をするという目的で作られたものだという。しかし、これがテロ防止になるのだろうか。実質的には、国民統制以外のなにものでもない。こうまでして国民を監視し管理したいという、その意思と意図はどこからくるのか。

 採決される予定であった28日の前日27日には、ライブドアの前社長堀江貴文被告の保釈があった。こうしたことは、マスコミは報道する。そして「共謀罪法案」については、何も伝えることはない。もはや、マスコミは、民主主義社会において必要とされる情報を国民に伝えるという機能を果たすことはなくなったのだと言えよう。あるいは、そこまでマスコミに規制がかけられているのかもしれない。いわば、ホリエモン出所の加熱報道ぶりは、マスコミの自己の無力さへの自覚の反動なのかもしれない。真実を報道できないのならば、派手に騒ごうじゃないかということである。

May 01, 2006

iMac Intel Core Duo

 iMac Intel Core Duoをとうとう買った。オンラインのアップルストアで購入した。なんでアップルストアなのかというと、ここでならハードディスクの拡張ができるからだ。通常、iMacの内蔵ディスクは160GBまたは250GBであるが、アップルストアならカスタマイズで500GBにできる。ディスクは大きいにこしたことはないので、ためらうことなく500GBにする。ついでに、メモリーをMaxの2GBにする。これも、秋葉原のソフマップとかラオックスで買うと、買うときにメモリーをMaxにしてもらおうとすると、該当のメモリーが品切れだったりして、その場で組み込みことができないことが多い。購入した後で、自分で本体を開いて増設すればいいのだけど、まーメンドーなので購入時に組み込めないと、なんかまあいいやという気分になって、メモリーを後で増やすようなことはしない。やはり、少しでも性能をよくするためには、多少の出費も惜しみませんという気持ちになっている購入時に買わないと、よほどのことがない限り、また大金を使おうと思うことはないのであった。

 さて、先週、オンラインで注文して、昨日の土曜日の午前に届けてもらった。届いたからといって、喜び勇んですぐさま箱を開けたのかというとそうではなくて、この届いたばかりのiMacの巨大な箱を目の前にして、まずWindowsをインストールするには、どのようなものが必要なのかをネットで調べてみた。すると当然のことながらWindowsXPのSP2のインストール媒体とか、ドライバーソフトのCDを作成するためのCD-Rが必要だという。なるほど、よっしゃあーと秋葉原へ行って、すばやく買ってきた。それにしても、Windows XP Professional(SP2)パッケージ版って、今まで製品単体で買ったことはなかったのだけど、こんな値段が高いもんだったのか。

 アキバに来たついでに、石丸でアニメ『蟲師』のサントラを購入。このアニメ作品は、アンビエントな音楽がいい。それから、めでたく(?)iMacのデュアルブート化が完成した暁には、なんかWindowsのソフトで遊ぼう(結局、これが目的か!!)と思い。いや、ギャルゲーとかやるのものなんだし。ここはコーエーの『提督の決断』を買って、往年の日本海軍を偲ぼうかしらと思ったのが、ワタシがこういう戦争シュミレーションをやっていくと、「当時、海軍はあーだった、こーだった」とか、「ここでハルゼーが、ニミッツが」とか、「この時、東京の軍令部では」とか「なぜ、レイテで栗田艦隊があの時」とか「えーと、小澤中将は海兵何期だったかな」とか考えてしまうので、ゲームやってんだが、日本海軍史について考えているのかわからなくなるので、これは疲れるからやめようと思い。そこで、マイクロソフトのフライトシュミレーターにした。1903年のキティホークでのオーヴィル・ライトの飛行や、リンドバーグのニューヨーク-パリ間の33時間の飛行もシュミレートされている(ホントに「33時間ただ延々と飛んでいる」ということがシュミレートされているそうだ)という。

 というわけで、秋葉原から自宅へ戻り、どっかと机の前に座り、まずはMacOSX環境のセットアップにとりかった。セットアップ後、日頃使用しているPowerBookからiTunesのデータ一式全部をコピーする。これがまた大量にあるデータなので、えらく時間がかかった。なんとか、使える状態にまですると、もはや土曜日の深夜である。ここから、最大の山場であるWindowsをインストール作業に突入。ネットでの情報を元にやっていったのであるが、Windowsのインストール途中で、インストールするファイルが見つからないというエラーが出る。そんなわけないだろと、いろいろ画面をいじってみたがまったく進展せず。それじゃあと、電源オフしてWindowsのインストールCDでブートさせて、インストールのやり直しを行ってみると、今度はすんなりとインストールが完了した。なんだったのか、さっきのは。

 しかし、これでWindowsが使えるようになったのかというと、そうではなくて、これまで日頃使用しているThinkPadからデータを転送したり、必要なアプリをインストールしたり、これもまた長時間かかる作業があって、ようやくどうにか使える環境になったのは日曜日の夕方頃だった。ああっこれで日曜日が終わってしまった。

 Windows環境は快適に動く(当然、MacOSXの環境の方が言うまでもない)。MacマシンでWindowsが動くようにしたのは、アップルの冗談でもなんでもなく、確固たる「Windowsユーザーも、アップルのマシンを買うようにさせる」という戦略(戦略なのか?)であるのならば、Windowsマシンとして使ってカンペキOKでなくてはならない。ところがまあ、使ってみるとまだまだアカンところがある。まず困ったのは、キーボードのキーがMacとWindowsでは異なるということであった。ネットになにか対策がないかと探してみると、これはシェアウェアのappleKで解決できるという。さっそく、ダウンロードをして使ってみると、これでなんとかなりそう。次に困ったことは、超驚録というソフトを使ってRealPlayerからの録音をしようとし、録音ソースをWAVEにしようとしても、ライン入力とマイクしか選択できないのであった。ネットで調べてみると、ミキサーディバイスがSigmaTelAudioしかないのが原因かもしれないという。これは、どうにもならんもんか。

 一度、CDが出なくなったのも困った。iMacって、強制イジェクトをする穴がないんですね。エクスプローラーの画面から、「取り出し」をマウスで何度も選択してもCDは出てこない。さあ、どうすっかなあ。リブートすれば出てくるかなあ。もはや万策(いや、2つか3つしかなかったけど)尽きた時、そういえば、マックのiTunesにはCDをイジェクトするボタンがあったなということに気がついた。通常、WindowsマシンでiTunesを使う時は、DVD/CDドライブのイジェクトボタンで取り出しているので使ったことはない。ダメもとでiTunesのCDイジェクトを押すと、出てきたではないですか。うーよかった。

 とまあいろいろあったし、これからもいろいろあるであろうけど、とりあえずデュアルブートが可能なiMacにすることができた。

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