『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』を見ました
モーリー・アンダーソンのi-morleyで紹介されていたTPTの演劇『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』を見に行ってきた。場所は、森下の隅田川左岸劇場ベニサン・ピットという小劇場である。この劇場は、いいーですわ。元々、染物工場のボイラー室だったそうであるが、いかにも現代演劇というか、実験演劇の場という雰囲気の劇場なのである。この作品の原作・演出はドイツの現代芸術の演出家ルネ・ポレシュで、「ソイレント・グリーン」は1973年のアメリカの近未来SF映画のことだ。
まず、劇場の空間の作り方がおもしろかった。現代演劇では、劇場に一歩入った瞬間から演出した空間に入る。で、劇場に入って、まず目についたアレが、最初はなんでこんなもんここにあるのかなあ、スポンサーの宣伝なのかなあと思っていたのが、劇が始まると、実はアレはなんとアレだったということがわかって、なんて斬新なというか、モダンアートだなというか、これは旨い作り方だと思った(なに言っているのか、意味不明)。
それにしても、こうして現代演劇を実際に見に行くのは、大学生の時以来なのであった。最後に見たのは、なんの作品であったかもはや覚えていない。もう長いこと、劇場で演劇を見ることもなかった。それで、今年になって、なるべく演劇を見に行こうと思っていていた。そんな時、i-morleyでこの劇団のことを紹介していて、ルネ・ポレシュのインタビューとかもあって、これは見に行こうと思ったのだ。
台詞がもーささやいていたり、絶叫していたり、とにかくスゴイのだ。話しは、貨幣や価値の話から始まる。ほほう、マルクスの貨幣論だなと思って、最初見ていたのだけど、途中から、そうしたコムズカシさもなく、長回しの台詞の量に圧倒されて、これはなんか、とにかく、めったやたらとスゴイ演劇であった。
ドイツの現代演劇というのは、こうしたものなのであろうかと思ったら、ポレシュは、ドイツでは特殊な演劇人として知られているという。ドイツでこうした演劇作品が作られるということに、日本もドイツも置かれている社会状況に同じものがあることを思う。
この世界は、ある「前提」なり、「決まり事」なりの上に成り立っている。その「前提」や「決まり事」の存在を、僕たちは知ることなしに暮らしている。でも、ある時、その「前提」や「決まり事」が、なぜこうしたものなのであるのかと疑問を感じるようになると、この世界の見方や感じ方が変わる。この世界が、閉ざされた資本主義のユートピアであることに気がつく。すべての価値が金銭化される、この社会の異常さに気がつくだろう。
あとで台本つきのパンフを読んだら、マルクスではなくフーコーの哲学の演劇化ということが書いてあった。うーん、フーコーというよりも、僕はモロ、マルクスを感じたのですけど。思えば、M・フーコーはマルクス思想の継承者であった。
でまあ、80年代あたりまでなら、こうした演劇は前衛演劇と呼ばれたであろうが、21世紀の今となっては、こりゃあもうフツーだよなという感覚であろう。前衛っぽいのだけど、難解なものではなく、ポップでコミカルなテツガク演劇であった。
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