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March 19, 2006

ストップ、ホリエモン的なるもの

 土曜日(18日)のNHKスペシャル「ホリエモン・虚飾の膨張」を見た。ライブドアって徹頭徹尾、マネーゲームだけだったんだなあと思った。もちろん、ライブドアには優れた技術力はある。しかし、経営者が技術に関心なし、マネーゲーム・オンリーになっていたのだから、企業資源としての技術力にならない。

 それにしても、この番組を見ながらつくづく思ったが、なにゆえ「金融ってラクして儲かる商売なんだ」という感覚に簡単に飛躍するのであろうか。金融というものに対する考え方が、80年代のバブル時代からまったく変わっていない。80年代のバブルの教訓をもとに、例えば中学や高校の教育の場で、資本主義のあるべき姿についてや、株、証券への投資についてどうあるべきなのか、投資と投機はどう違うのかなどを教えるようになったかというと、そんなことはまったくなかった。よって、今に至ってもまったく変わっていない状況になっているのは、当然と言えば当然のことなのである。

 投資先として、ライブドアはプロの投資家が選ぶ対象ではなかったという。株を分割することで株価が上がり、株ホルダーが増えていくことが可能であったのも、プロではない個人投資家のライブドア株への需要があったからであろう。フツーの個人が株の売買を行うということは、昔では考えられなかったことであろうが、今ではネットにつながったパソコンと、それなりの資金があれば誰でもできることになってしまった。つまり、ホリエモンが相手にする対象とは一般大衆であった。

 番組の中で、ライブドアの株主総会での映像があり、その席上で株主の一人から、企業は時価総額世界一を求めるものではなく、より多くの収益を上げ配当を払う(ライブドアは株主に配当を払ったことはなかった)ことを求めるべきではないかという意味の質問が出た。この意見は正論であり、しごくまっとうな意見である。さて、これにホリエモンはどう回答するのかと思って見ていると、「僕が株主のことを考えていないわけないじゃあないですか」と涙ぐみ始めたのである。すると、会場から拍手がわき、この質問の一件はうやむやのうちに終わってしまったという。

 ホリエモンが本当に株主のことを考えていたかどうかは問うまでもなく、これは演技であったわけである。例えば、プロの投資家を前にして、経営者へのまっとうで正しい質問に対して、論理的な回答ができなくては話にならない。子供が株主総会をやっているのではないのである。しかし、泣けばそれでオッケーになってしまったというのも、フツーの個人投資家のみなさんの集まりであったと言えるであろう。ホリエモンは、自分の誤魔化しを見抜く相手の前には立たなかったわけである。

 このライブドア事件について、再発を防ぐために、法律を見直すとか、モラルが必要だとか言われているが、いくら法律を変えようとも、いくらモラル論が言われようとも、結局のところ僕たち自身が変わらなくては、今後もまたホリエモンみたいな人物が現れて、時代の寵児ともてはやされることが起こるであろう。

 こうした世の中では、自分で自分の身を守るしかない。ライブドア事件に学ぶべきことのひとつは、「資本主義は結局カネですね」とか、株式市場万能主義とか、「勝ち組」とか「負け組」とかいった思考に対抗・脱却するためには、個人個人が経済や社会の仕組みを学んでいくということだと思う。企業と株の関係ってなんなのだろうとか、情報社会ってなんなのだろうと考えていくこと。もうこれしかない。

 この「学んでいく」ということは、受験勉強とか、資格試験の勉強とかいったことではなく、あるいは大学で経済学を勉強するということでもない。この21世紀の社会で生活をしていくには必要な知識や技術があって、それらは学校では教えてくれない。マスコミも、それについて触れない。それならば、自分自身で独立独歩していくしかない。日頃、フツーに暮らしながら、その中で社会や経済について学ぶことをいかに持っていくか。今後、ホリエモンみたいな人が現れても相手にしない。この人の言うことはおかしい、なぜならば、と自分の頭で論理で考え、それを言葉にして他人に伝えることができるようになる。一人一人が、これができるようになれば、この国は変わる。しかし、これができない限り、今後もホリエモン的なるものは現れ続けるだろう。

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Comments

<<投資先として、ライブドアはプロの投資家が選ぶ対象ではなかったという。株を分割することで株価が上がり、株ホルダーが増えていくことが可能であったのも、プロではない個人投資家のライブドア株への需要があったからであろう。>>

実際に”信託銀行”などのマネージャーに話を聞くと、分割が問題ではなく、会社としてのリスクが高い会社と評価されているから扱わなかったと説明をうけています。合併や新事業を繰り返す会社に”お客様”から頂いたお金を投資することはよくないとの判断です。

株の分割が問題となるのは日本だけではないでしょうか?たとえば今日のアメリカの市場でIBM株価は約$83。日本円で9545円。値段が上がって有名になっているGoogleで$340。日本円で約3万9000円。今日東証のYahooは14万6000円。NTTドコモが17万6000円。この単株の価格にロット数(最小売買単位)の100株がかかると、日本で株を買おうとすると、すぐに1000万円単位のお金を使わないといけなくなる。

日本の株価は10万円から100万円台の株が沢山ある。アメリカの株価は日本円で1000円から1万円台の株が主流だ。これは、一般の人でも株に関われるようにしているからだ。

個人に株を保有されると、”安定株主”に悪影響を与えるとか結構日本の会社から批判がです。また証券会社や会社IR担当も株主の数が増えると事務費用がかさむと言って嫌がる。

ライブドアの悪い所は、うそ・偽りに基づいた経営発表・体制だ。PR を使って株の価値を吊り上げるのは会社として当たり前。吊り上った価値を正しい評価に戻すのが決算の発表だ。ライブドア決済の発表で偽りをだした。この偽りが出せない環境を作らないとね。

MikeRossTky

Mike,

ライブドア株の販売については、証券会社からの薦めを受けたホルダーもいるようです。そんなこよを言う証券会社なんてロクな会社ではないのでしょうけど。ただし、株式の売買は最終的には顧客側の判断において行われるものですがから、そうした証券会社を訴えることはできないですね。

日本とアメリカでは資産運用が違います。大多数の日本人は、株や証券で資産を運用しません。ですから、株価が上がろうが下がろうが、個人の資産にはなんの影響はなかったというわけです。しかしこれからの時代は、銀行預金では金利はゼロに等しいので、株や証券や外貨で資産運用を行っていくことに関心を持ち始めるでしょう。だからこそ、個人投資家を相手にしたライブドアは急成長したと言えます。

結局これは需要と供給のミスマッチなんです。個人投資家のみなさんとしては、もっと株を安くして欲しい、そうすれば投資するのにと思っているのに、多くの企業はこれまで通り、個人投資家を相手にしません。これは企業がというより銀行の思惑です。企業には個人投資家なんかからお金を借りるよりも、銀行からお金を借りて欲しいと銀行は思っているんです。そうすれば、銀行はその企業を管理できますから。企業側としても、長い間の銀行との癒着やしがらみがあります。そういった銀行と企業の関係をスパッと切ることができるのがベンチャーです。そして、日本ではベンチャーキャピタルはまだまだ少ないとなると、IPO後は個人投資家を相手にせざるえないわけです。

しかしこれは、逆から見れば、個人投資家を相手にすれば、これだけの額のカネが動かせるということをライブドア事件は立証したのだと思います。もし、ホリエモンが本当の意味での正しい優れた経営者であったなら、日本のエスタブリッシュメントをひっくり返すとまではいかなくても、世のため人のためになる大きなビジネスができたわけです。

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