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March 2006

March 26, 2006

韓国大統領が遊就館の訪問を希望

 韓国の盧武鉉大統領は中曽根康弘元首相と福田康夫元官房長官との会見で、靖国神社の遊就館の訪問を希望していると述べたという。

 戦後日本では、靖国神社とはただのいち宗教法人なのである。そのいち宗教法人のただの施設に、なにゆえ韓国の大統領が訪問するのか。

 これはどういうことかというと、日本の首相は、その「いち宗教法人」にすぎない神社に、やたらこだわっているじゃあないかという意味であると思われる。靖国神社の遊就館は、戦前の日本の世界観が濃厚にある展示館である。そのこと自体は「いち宗教法人」なのだから、靖国神社がどんな展示館を建てて公開しようと自由である。何度も強調するが、戦後日本ではフォーマルに言えば靖国神社は「いち宗教法人」にすぎない。決して、現在の日本国および日本人のなにものも表すものではない。

 ところが、日本国総理大臣が、その「いち宗教法人」に参拝するとなると、中国・韓国から見ると、日本人はまだアレを崇め奉っているのかということになる。この「なる」ということについて、そんなもんはお前たちが勝手にそう思うだけであって、俺たちには関係ないという意見もあると思うが、日本国総理大臣が参拝したとなると、これはそう思われて当然であって、そう思うなというのは無理があるであろう。

 盧武鉉大統領は、靖国神社の遊就館がどのような展示をしているかということは知っているのだろう。知っていて、自分がそこへ訪問すれば、ここがどんな場所であるが広く世間に知られることになり、こんな展示館がある神社に日本の首相は参拝しているのかということになって、さらに日中、日韓の関係はこじれるであろう。だからこそ、盧武鉉大統領は遊就館の訪問を希望しているのだと思う。日本とアジア諸国の関係を悪くさせようとしているのではなく、アジア諸国から見て、靖国神社に日本の総理大臣が参拝することがなぜ反感を感じるのか、その理由を日本に伝えようとしているのである。

 現状では、盧武鉉大統領が遊就館を訪問し、「戦前の日本はこうでしたなあ」で終わる話にならない。そう思うためには、戦後の日本はこうではないという明確なものがなくてはそう思えない。アジア諸国が求めているのは、この「明確なもの」なのだ。今の日本人の一般認識としてどう思っていようとも、政治家が「あの戦争は正しかった」みたいな発言をするので、どうも日本人を信じられないのであろう。

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PSEマークなしの販売を容認

 PSEマークがなくても中古品販売ができるようになった。坂本龍一らミュージシャンの抗議で、一度、ビンテージものは除外するとなったが、教授は「何がビンテージかはお役人に決められる問題ではない。楽器を除外すればミュージシャンが黙るだろうという意図がみえみえだ」と言ったそうであるが、さすがよくぞ言った。これを細野さんや高橋幸宏が言うと、なんかあまりビシッとこないだろうけど(あの二人も抗議したのかどうかは知らんけど)、教授が言うとさまになるわねー。

 というわけで、この直前に起きた(つーか、直前にならざるえなかったよな。お上が説明しないんだもん)中古業者の混乱と反発により、事実上PSEなしで中古品販売はオッケーということになった。経済産業省は「メーカーとばかり話してきて、循環型社会という大切な役割を(中古品販売業者と)十分話し合わずに進んだのが一番の反省点」と語ったそうであるが、やはりメーカーの都合だけを考えた法律であったようだ。

 しかし、それじゃあ、こんなことはもうやらんのですねというと、まったくそうでなくて。この法律は、これでなくなったわけではなく、あくまでも中古業者による自主検査体制が全国的規模で整うまでの間の暫定的な措置として、PSEマークがなくても販売してヨシというものである。このへん、またお上が「もう整ったものと判断する」とかなんとか言い出すと、PSEマークなしの中古品販売はダメということになる。つまりは、役所の判断でどうとでもなるままなのである。この法律そのものが、いかにバカバカしいものであるかということをお上が認めたわけではない。その意味では、何も変わっていない。

過去のエントリー参照:「電気用品安全法」(06/02/26)

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March 22, 2006

映画『SYRIANA』を理解するために

 およそ、この世界というものは、こういうものなんだろうなと思ってはいたが、こうまでストレートに「アメリカによる中近東の民主化って一体なんなのか」という疑問に対して、「それは石油の利権確保である」とあっさりとというか、堂々とというか、ジョージ・クルーニーは体重増やして、いい演技していますというか、マット・デイモンはいくつになっても童顔だなとか、とにかく映画『SYRIANA』を見てきた。

 某ネットラジオでこの映画のことを紹介していて、この映画はむずかしい、予備知識がないと何をやっているのかよくわからないと言っていた。そこで、そーか、よーし、じゃワタシ、ちょっくら観てやろうじゃあないかと気合を入れて、新宿歌舞伎町へ行ったのであった。

 映画館に入って、まずパンフを買う。劇場内に入って椅子に座り、さっそくパンフをめくって予備知識を頭にたたき込む。特に、人物の相関関係を理解しないと、この映画はわからんということ聞いていたので、ふむふむとパンフを読んだ。

 さて、そうして映画を見たわけであるが、事前にパンフを読んでいて正解だった。これは、事前知識がないとまずわからない。いくつのかのストーリィが同時進行的に、なんの説明もなく進むので、頭の中で整理しながら観ないと、とてもストーリィを追っていくことができなかったであろう。通常、洋画を観る時は、英語のフレーズや使い方を意識するのであるが(その昔、学生時代、映画館の暗闇の中で、洋画の台詞を聴いてノートに素早く書いてdictationの訓練をしたものだった)、今回はそうしたことは一切なし。はなっから「英語を聴く」ということは完全にやめて、脳の全処理能力をストーリィとその背景を理解することに集中させた。字幕がなかったら、ワタシはカンペキにこの映画はわからなかったであろう。

 内容的には、とりあえず知っていることばかりで、それらをうまくつなげて映画にしているなと感じた。この映画は、当然のことながらエンターティメントではなく、ドラマでもなく、サスペンスさはあるが、どちらかというと良くできたドキュメンタリーのようだった。大学の国際関係学科の授業で、この映画を観てessayを書くという教材として使えるのではないかと思う。

 この映画を理解するための第一の「知っておくべきこと」は、中央アジアに油田があるということだ。これをどこの企業が押さえるのか。この映画の冒頭で、アメリカの石油会社のキリーン社が、中央アジアのカザフスタンでの採掘権を得たという話が出てくる。ちなみに、この映画では触れていなかったが、この中央アジアで出る石油を、どうやってアメリカまで運ぶのか。タンカーで運ぶわけである。タンカーは港にある。つまり、港まで石油を輸送しなくてはならない。では、何で輸送をするのか。パイプラインで石油を送るのである。そのパイプラインはどこを通っていくのかというと、そこにアフガニスタンがあった。アフガニスタンは、タリバンが支配していた。そこで、9.11の直後、アメリカはアフガニスタンを「民主化」するという名目で、タリバンを追い出しアメリカが支援するカルザイの親米政権を置いた。これが、アメリカのアフガニスタン侵攻の理由であると言われてる。

 二つ目の「知っておくべきこと」とは、中国である。今日、急成長している中国もまた中近東の石油が欲しい。映画では、中近東某国(おそらくサウジアラビア)のナシール王子が、油田の採掘権をアメリカのコネックス社から中国企業に渡す。中国企業の方が有利な条件を持ち出してきたからである。その油田で働いていたパキスタンからの出稼ぎ労働者の少年ワシームは、オーナーが中国企業になったということで解雇される。失業者となったワシーム少年は、希望のない暮らしからの救いを求めてイスラム神学校へ通うようになる。就職のためにアラビア語の勉強を始めるなどの日々を送っていたが、ここでイスラム過激派である教師から殉教の尊さを教えられ、やがてワシームは自爆テロリストになる。

 そして三つ目の「知っておくべきこと」とは、アメリカによる中近東の民主化とは、親米政権を作ることであり、さらに言えば、産油国に安い価格でアメリカに石油を売るようにさせるということである。アメリカにとって、石油を安い価格で安定して供給されるようにすることは、国家安全保証の最重要課題であり、そのためには何をしてもいいというのがアメリカの本音なのである。石油の価格が安いといっても、毎年厖大な量の石油を売っているわけであり、つまり石油産油国には莫大なオイルマネーが入ってくる。この映画では、中近東某国の国王の後継者として、ナシール王子という人物が出てくる。この王子は、今の自国の姿に疑問を感じ、アメリカ支配から脱却した国を作ろうと考えている。しかし、そんなことされては困るのはアメリカであり、ナシール王子はテロリストの支持者だということで、ジョージクルーニーが演じるCIAの工作員ボブに、ナシール王子の暗殺を命じる。

 以上、三つの「知っておくべきこと」を押さえて、さらにこの映画の内容を考えてみたい。

 マット・デイモンが演じるエネルギーアナリスト(銀行や証券会社に石油市場の情報を提供する人)のブライアンは、ある出来事がきっかけになってナシール王子のアドバイザーになる。ブライアンは、オイルマネーを自分たち一族の栄耀栄華のために浪費し続ける王族を批判し、ナシール王子にもっと自国の一般社会を豊かにするようにすべきだと主張する。これに対して、ナシール王子もそう考えていると答える。ナシール王子は、石油を適正価格で、アメリカだけではなく中国にも販売し、そのマネーで自国を豊かにする産業を興し、公共インフラを作り、教育を普及させ、女性の地位を向上させたいということをブライアンに語る。この二人の言っていることこそ、本当の意味での中近東の民主化であった。そして何度も書くが、そうされてはアメリカの不利益になるである。

 ナシール王子にはメシャール王子という弟がいて、この弟は兄のような見識やカリスマ性はなく、浪費癖のある凡庸な若者であった。メシャール王子は、日頃から優秀な兄を出し抜きたいと思っていた。そこに目をつけたのが大手法律事務所の代表のディーンで(これをクリストファー・ブラマーが演じている。この人はいい役者で、ファンなんですよねえ)、実はこの人物はアメリカの政財界の黒幕の一人であった。ディーンは、次の王になる気はないかとメシャール王子に告げる。一方のディーンは、部下の弁護士ベネットに、コネックス社とキリーン社との合弁でコネックス社に有利になるよう調査することを命じている。これは、コネックス社とディーンの法律事務所は癒着しているという背景がある。

 このように、この映画は何人もの人物の話が同時進行で進んでいく。中盤辺りから、それらの別々の話からひとつの構図が見え始めて、ラストに向かって集結していく。このへんの緊張感がまたいい。

 内容的に知っていることばかりだったと書いたが、こうしてアメリカの中近東政策を映画を通して考えてみると、これはこれでちょっと暗い気分になった。

 この映画は、中近東でのアメリカの「民主化」の実体を述べているものであるが、かつて半世紀前、アメリカは太平洋戦争に勝利し、アジアのある国を占領統治した。その国に親米政権を樹立させ、社会を「民主化」し、さまざまな経済援助を行うことで、やがてその国は経済大国になった。その国は確かに「民主化」されたのかもしれない。しかし、本当にその国の人々は民主化されているのであろうか。アメリカは、その国を世界戦略の重要な位置に置き、今日に至るも今だ間接的支配を続けている。その国の名とは、日本である。

 今、アメリカが中近東でやろうとしている「民主化」とは、ようするにそういうことなのだ。

 しかしながら、この映画を見終わった後で、映画館を出て、道を歩きながら、しばらく呆然と考えてしまった。この映画は、そうした自分たちの利益、自国の利益を優先し、そのためには何をしてもいいという人間と国家の姿を描いているが、決して、それらを糾弾する姿勢をとっているわけではない。この映画は、誰が悪人というわけではなく、こうした今のアメリカと中近東の姿をただ淡々と物語っているだけなのだ。

 例えば、石油価格を安くすることは悪いことなのだろうか。中国に中近東の石油を渡さないことは、間違っていることなのだろうか。それは、アメリカだけではなく日本の安全保障にも関わってくるはずだ。しかし、それらは、暗殺や違法行為をやってまで必要なことなのか。そう考えてみると、何が悪で、何が正義なのだろうか。ブライアンとナシール王子は正しかった。しかし、それではボブやベネットは間違っていたのだろうか。この映画は、中近東の石油を巡る大きなつながりの物語である。この大きなつながりをアメリカの陰謀と見るか、あるいは自国の繁栄のためにはやむをえないことだと見るかは、人それぞれであろう。しかしながら、唯一言えることは、我々日本もまた、この大きなつながりの中にいるということである。

 なぜ中近東の一般社会は貧しいのか。それは、そうした社会構造になっているからだ。では、なぜそうした社会構造になっているのか、それは、欧米諸国がそうした社会構造であり続けることを求めているからである。その欧米諸国の末席に、この国はいる。我々の文明は石油の上に立つ砂上の楼閣であるが、その砂上の楼閣を守るために、我々は中近東で暗殺でも違法行為でもなんでもやっているのである。そして、中近東の貧しさや不満の中から、イスラム過激派の自爆テロが生まれ、罪なき人々がその被害を受けている。これが、この世界の不条理な事実なのだ。この映画を見終わった後、この事実を奥歯でかみしめることしか自分にはできなかった。

 そして、こうした映画を作って公開するアメリカ映画というもの、この映画でジョージ・クルーニーにアカデミー助演男優賞を与えるアメリカに底の深さを感じた。

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March 20, 2006

Friedmanの『The World is Flat』を読んでいます

 現代のグローバル経済を理解するために、絶対読むべき本というものが何冊かある。ニューヨークタイムズのコラムニストのトーマス・フリードマンの本は、そうした必読文献の本である。1999年に出版された(日本語訳は2000年)『レクサスとオリーブの木』(思草社)は、その一冊(つーか、日本語版は上下巻2冊)だ。この本は、グローバライゼーションってなにという疑問に答える本である。

 しかしながら、いかんせんこの本は2001年に起きた9.11以前の本であって、今や古典的作品になってしまった。世界はどんどん変わっていく。フリードマンは、この本の次に"Longitudes and Attitudes: The World in the Age of Terrorism"という本を2002年に出している。この本は日本語訳で読んだけど、あまりなんかなーという内容だった。

 ところが、去年の2005年に出た最新作"The World Is Flat: A Brief History Of The Twenty-first Century"は、すごくおもしろい。これは"The Lexus and Olive Tree"の続編、2005年バージョンであると言えよう。

 実は、この本は去年出た時にアマゾンで注文して入手していたのだけど、そのまま机の上に「いつか読むべき本」としてずーと置いてあった。そのうち、日本語訳が出るんじゃあないかな、そっちで読めばいいやと思っていた。ところが、なんか全然日本語訳が出る気配がないんですね。

 というわけで、先日、なんか読もうかなーとか思って、手にとってページをめくって読み始めてみると、こりゃあめっちゃおもしろいではないか。こんなおもしろい本を、今まで机の上に置きっぱなしであったワタシはアホであったとつくづく思った。現代テクノロジーが経済をどのように変えて、この世界がどのように変わっていっているのか、ということについてよくわかっちゃうのだ。

 相変わらずフリードマンの本は、アメリカが一番正しいみたいな論調なのであるが、そこはアメリカのジャーナリストということで、その点は差し引くとしても、"The World Is Flat"は今年読んだ本のベストの一冊になるだろう。

 まだ最初の方しか読んでいないので、読み終えたらレビューを書きます。ちなみに、このフリードマンの本と大前研一(大前さんは、フリードマンのこの本の中にも出てくる)の"The Next Global Stage"(なぜか今だに翻訳本なし)と"The Invisible Continent"翻訳本はあるけど、なんか文章がよくわからない)の3冊は「深夜のNews」の推薦本です。

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March 19, 2006

ストップ、ホリエモン的なるもの

 土曜日(18日)のNHKスペシャル「ホリエモン・虚飾の膨張」を見た。ライブドアって徹頭徹尾、マネーゲームだけだったんだなあと思った。もちろん、ライブドアには優れた技術力はある。しかし、経営者が技術に関心なし、マネーゲーム・オンリーになっていたのだから、企業資源としての技術力にならない。

 それにしても、この番組を見ながらつくづく思ったが、なにゆえ「金融ってラクして儲かる商売なんだ」という感覚に簡単に飛躍するのであろうか。金融というものに対する考え方が、80年代のバブル時代からまったく変わっていない。80年代のバブルの教訓をもとに、例えば中学や高校の教育の場で、資本主義のあるべき姿についてや、株、証券への投資についてどうあるべきなのか、投資と投機はどう違うのかなどを教えるようになったかというと、そんなことはまったくなかった。よって、今に至ってもまったく変わっていない状況になっているのは、当然と言えば当然のことなのである。

 投資先として、ライブドアはプロの投資家が選ぶ対象ではなかったという。株を分割することで株価が上がり、株ホルダーが増えていくことが可能であったのも、プロではない個人投資家のライブドア株への需要があったからであろう。フツーの個人が株の売買を行うということは、昔では考えられなかったことであろうが、今ではネットにつながったパソコンと、それなりの資金があれば誰でもできることになってしまった。つまり、ホリエモンが相手にする対象とは一般大衆であった。

 番組の中で、ライブドアの株主総会での映像があり、その席上で株主の一人から、企業は時価総額世界一を求めるものではなく、より多くの収益を上げ配当を払う(ライブドアは株主に配当を払ったことはなかった)ことを求めるべきではないかという意味の質問が出た。この意見は正論であり、しごくまっとうな意見である。さて、これにホリエモンはどう回答するのかと思って見ていると、「僕が株主のことを考えていないわけないじゃあないですか」と涙ぐみ始めたのである。すると、会場から拍手がわき、この質問の一件はうやむやのうちに終わってしまったという。

 ホリエモンが本当に株主のことを考えていたかどうかは問うまでもなく、これは演技であったわけである。例えば、プロの投資家を前にして、経営者へのまっとうで正しい質問に対して、論理的な回答ができなくては話にならない。子供が株主総会をやっているのではないのである。しかし、泣けばそれでオッケーになってしまったというのも、フツーの個人投資家のみなさんの集まりであったと言えるであろう。ホリエモンは、自分の誤魔化しを見抜く相手の前には立たなかったわけである。

 このライブドア事件について、再発を防ぐために、法律を見直すとか、モラルが必要だとか言われているが、いくら法律を変えようとも、いくらモラル論が言われようとも、結局のところ僕たち自身が変わらなくては、今後もまたホリエモンみたいな人物が現れて、時代の寵児ともてはやされることが起こるであろう。

 こうした世の中では、自分で自分の身を守るしかない。ライブドア事件に学ぶべきことのひとつは、「資本主義は結局カネですね」とか、株式市場万能主義とか、「勝ち組」とか「負け組」とかいった思考に対抗・脱却するためには、個人個人が経済や社会の仕組みを学んでいくということだと思う。企業と株の関係ってなんなのだろうとか、情報社会ってなんなのだろうと考えていくこと。もうこれしかない。

 この「学んでいく」ということは、受験勉強とか、資格試験の勉強とかいったことではなく、あるいは大学で経済学を勉強するということでもない。この21世紀の社会で生活をしていくには必要な知識や技術があって、それらは学校では教えてくれない。マスコミも、それについて触れない。それならば、自分自身で独立独歩していくしかない。日頃、フツーに暮らしながら、その中で社会や経済について学ぶことをいかに持っていくか。今後、ホリエモンみたいな人が現れても相手にしない。この人の言うことはおかしい、なぜならば、と自分の頭で論理で考え、それを言葉にして他人に伝えることができるようになる。一人一人が、これができるようになれば、この国は変わる。しかし、これができない限り、今後もホリエモン的なるものは現れ続けるだろう。

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March 12, 2006

沈黙の春の到来

 アサヒコムの記事によると、「フロンガスなどによるオゾン層の破壊で南極上空にできるオゾンホールが、完全にふさがるまでに約60年かかり、2065年ごろになると米海洋大気局(NOAA)の研究者が予測した。」という。これは、従来の予測より15年遅いものであるという。

 なんと、またしても(またしてもだ!!)、先日ここで書いたように「どうやら、科学的に不確かだから、地球温暖化など存在しないということではなく、科学的に不確かのため、我々は地球環境の変化の速度と規模を低く予測していたようである。」がまた起きたようだ。これからも、こうしたことはよく起こるだろう。

 このオゾン層の破壊もたらす製品の製造・使用を規制するモントリオール議定書というものがある。アメリカは1987年にこの議定書に批准している。1987年と言えば、レーガン大統領の時代であるが、さすがレーガンは後の同じ共和党のG.W.ブッシュよりも環境問題を危惧していたのであろう。

 臭化メチルという化学物質がある。これは主に農薬として使用されるものであるが、この化学物質はオゾン層破壊作用が強いため、モントリオール議定書の規制対象物質となっている。先進国が2004年末、発展途上国が14年末で、それぞれ生産と使用を全廃することになっていた。

 ところが、である。 なんと!!ブッシュ政権は農薬の臭化メチルについて、例外的な使用を認めるよう議定書事務局に要求していたのである。実際のところ、本心ではブッシュ政権はモントリオール議定書など、京都議定書のように無視したいのであろう。自分の国さえよければ、他の国はどうでもいいのである。

 どーせブッシュ共和党および共和党支持者は、フロンガスの増加がオゾン層破壊の原因であることは科学的わかっていない、よって、なにもしない式論法を主張するであろう。これほど地球各地で異常現象が起きているのに、共和党および共和党支持者は、なぜこれらの現象をたんなる一時的なノーマルな自然現象だと言えるのであろうか。

 共和党および共和党支持者は、なぜなにもしないのか。なぜならば、CO2放出の制限は、現在の経済成長の障害になるからである。では、実際に危機になった時は、どうするのか。共和党支持母体は、金持ち層や大企業が多い。つまり、金持ちだから、大金を使って逃げられるのである。わけのわからない地球温暖化などというものよりも、今日の利益をいかに多く得るかが関心事なのである。そして、本当に危なくなったら、自分たちだけが助かるようにするであろう。

 元合衆国副大統領のアルバード・ゴアは、環境問題の専門家である。彼が上院議員時代に書いた著書"Earth in the Balance"は政治家が書いた環境問題の書として注目すべき本だ。またゴアは、去年の1月にMoveOn.orgが主催する席で、ブッシュ政権でのアメリカの環境問題への取り組みの後退を批判するスピーチ"Al Gore Speaks on Global Warming and the Environment"を行っている。

 今日、ブッシュが合衆国大統領になっていることは、アメリカのみならず、全人類の損失であったようだ。

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March 06, 2006

インドの時代

 NewsWeek March 6に載っていたNewsweek Internationalの編集者でありコラムニストのFareed Zakariaの"India Rising"は興味深いものだった。この人は、NewsWeekに来る前はForeign Affairsの編集をやっていた人だ。今回のNewsweekは、この人のコラムで13ページも使うという、おめーこんなにJapanについて紙面を割いたことはないじゃあないかと思うぐらい、どおーんとインディアなのである。

 とにかく中国とインドの二つの国が、今アジアでもっとも注目されている国である。Zakariaによれば、日本(とヨーロッパ)は終わった国になっている。つまり、中国の台頭がアジアの勢力図を大きく書き換えようとしているのだ。先日、インドにブッシュ大統領が訪問したが、中国を牽制するためにも、アメリカはインドと手を組む必要があるのであろう。

 アメリカは、中国よりもインドの方が理解し易い。もちろん、アメリカとインドは全く異なる文明であるが、インドは英語が共通語になっていることは、世界経済に参入する上で強みになっている。

 例えば、パソコン会社のお客様問い合わせ窓口など、アメリカの企業はこうした業務で、インドの専門会社を使っている。アメリカ国内のとあるユーザーが、パソコンでわかないことがあるので電話で問い合わせてみようとしたとしよう、問い合わせ窓口に電話をかけるわけであるが、そのフリーダイヤルの電話は自動的にインドへ転送され、インドの問い合わせ窓口業務請負会社のオペレーターに回される。電話をかけている側は、まさか話している相手がインドにいるとは思いもせず、なんか若干インドなまりの話し方だなとは思うけど、インド系アメリカ人はざらにいるのでめずらしくもなんともないわけだ。用は、自分の疑問が解消するのならば、相手が誰だろうと、どこにいようと関係ないのである。

 こうして顧客電話対応業務をインドにアウトソーシングすることによって、企業はコストを削減することができる。これは、インドでは英語が共通語になっている(インドにはインドの固有言語があるが、地域や民族などによって異なる)からできることである。ただし、英語ができれば、それでこの種の仕事ができるというわけでもなく、このようなアメリカ企業のオペレーターの職に就職するには競争率が高いらしい(というのを、以前、CNNで見たような気がする)。

 ただし、それではアメリカ国内で顧客電話対応の業務をやっていた人はどうなるのかというと、これは職を失うということになる。このへん、グローバリゼーションによるホワイトカラー業務の削減による失業は、アメリカ国内では深刻な社会問題になっている。ちなみに、日本では、こうした業務を中国で行うという動きがある。そのため、中国では日本語学習が高収入の職につける手段になっているところもあるという。

 Zakariaの特集記事を特に興味深かったのは、次の箇所だ。

"India's growth is messy, chaotic and largely unplanned. It is not top-down but bottom-up. It is happening not because of the government, but largely despite it. India does not have Beijing and Shanghai's gleaming infrastructure, and it does not have a government that rolls out the red carpet for foreign investment?no government in democratic India would have those kinds of powers anyway. But it has vast and growing numbers of entrepreneurs who want to make money. And somehow they find a way to do it, overcoming the obstacles, bypassing the bureaucracy. "The government sleeps at night and the economy grows," says Gurcharan Das, former CEO of Procter Gamble in India."

 つまり、どういうことかというと、通常、後進国が経済を発展させるためには、強力な中央集権体制になり、優れた政治指導者が国内の産業を育成する政策をとることによって行われる。日本はかつてそうであったし、フランスも、ドイツも、ロシアもそうであり、中国も、シンガポールも、マレーシアもみなそうだ(アメリカはちょっと違う)。ところが、インドはそうではないのである。別に政府がなにかをやったわけではなく、企業が勝手に自ら道を見出し、そこに向かって進んでいったのであった。これは、産業社会の発展モデルとして非常に興味深いものがある。

 もちろん、こうしたことの背景には、Zakariaも書いているように、インド独立時の指導者であったネルーの優れた自由主義政策がある。その娘、インディラもまた優れた指導者であった。第二次世界大戦以後、インドには優れた指導者が数多く現れている。インドはソ連が崩壊し社会主義のくびきから解かれた以後、大きく飛躍していった。そして、現在、IT産業のめざましい発展にのって、インドはボーダーレス経済に参入しつつある。


(Zakariaの特集記事"India Rising"の全文は、彼のサイトで読めます。関心のある方はこちらです。)

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March 05, 2006

global warming

 TimeのFeb 27号で、グリーンランドの氷河の溶解が予想を超えて早く進展しているという記事があった。"Has the Meltdown Begun?"と題するこの記事の冒頭でこう書かれている。

"The usual argument put forth by global-warming skeptics for why we shouldn't rush to do anything yet is that the science behind climate change is uncertain--and in fact it is. While there's little doubt that humans are helping heat up the planet, the questions of how much, how quickly and leading to what consequences are fiendishly difficult to pin down. That's because the actual climate is still far more complicated than any existing computer model can accurately reflect, making predictions iffy at best."

 明日の天気予報ですら外れることはよくあるように、ましてや地球規模の気象予測となると今の科学でもむずかしい。ようするに、わからないのである。人類の産業活動による二酸化炭素の増加と地球温暖化現象との関連を無視するブッシュ政権は、科学的にまだ立証されていないからと環境温暖化を無視しているが、ではグリーンランドの氷河が異常な速さで解けているという事実も無視するのであろうか。

 どうやら、科学的に不確かだから、地球温暖化など存在しないということではなく、科学的に不確かのため、我々は地球環境の変化の速度と規模を低く予測していたようである。

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