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February 11, 2006

『ウェブ進化論』備忘録その1

 アメリカのシリコンバレーを拠点としてコンサルタントとして活躍する梅田望夫さんの待望の本『ウェブ進化論』(ちくま新書)を今読んでいます。これはもう非常に考えるべきことがたくさんあって、ちょっと今まとまりきれないのですが、この本は今のネットや経済や社会を考える上での必読書である。さる2月7日に、筑摩書房主催により梅田さんと何人かのブロガーで「ウェブ進化論」発売記念イベントがあった。そのイベントの内容がテキストPodcstingで読んだり、聴いたりすることができる。

 そのイベントのログを読みながら、つらつら考えたことをメモってみた。以下は、その断片的な思考のメモである。

人がいて、人々が集団としてそこにある場合、どうしても個別の「人」ではなく「集団」としての思考なり判断なり行動なりが「生まれてくる」。そして、その思考なり判断なり行動なりは、なにを基準にして行なわれるのかというと、経験と情報であろう。経験はともかくとして、その情報はどこから得るのか。「マス(大衆)」は今日では存在し得ないと思う。では、なぜ「マス」は存在しているのか。それは「マス」にさせられてしまったのである。本来、個々にセグメント化されているのに、情報の提供側が個々のセグメントに対して情報を提供するというシステムがないため、今だに「マス」扱いされているのだ。「マス」相手の情報しか提供されないのだから「マス」になるしかない。--->この状況はどうすれば変わるのか。

テレビ、新聞よりは小さいマーケットになる週刊誌やネットが、個別相手の情報を提供していくことによって、マスコミの支配力は弱まるのではないか。

マスコミはなぜ「マス」しか相手にできないのか、「個別」を相手にするとコストの回収ができない、利益にならないからである。マスコミのビジネスモデルは「マス」を相手に商売をするようになっている。

ネットを体験している人と、そうでない人のものすごい断絶。---->掛け渡しが必要---->マスコミにはそれはできない----->ではどこが?

メディア業界人、広告業界人、IT業界人、教育関係者でどれだけの人がこの変化を理解しているか。

本屋へ行くと、こうやって読む本を探したり買ったりしているよりも、ブログ書きとかをする方がいいんじゃないかと思うことがある。インプットはやっていくときりがない。アウトプットの方が意味がある。アウトプットは、自分の人生の時間と労力という限りがある。

大きな本屋へ行くと、これらの本を全部読むのは、自分の人生の時間を全部かけても不可能だろうなと思う。知識の量は、人の生きている時間、脳の理解量を超えている。インプットはきりがない。それよりも、どの知識を学ぶべきか、編集が必要。

グーグルにまだできないのもの、アップルがやろうとしたナレッジナビゲーターみたいなものか。

Web2.0って、つまり「みんな、つながっている」っていうことか。

大学教育を根本的に変えなくてはダメ。

教育を変えなくてはならないことは誰もわかるが、ではどう変えるかで、昔の教育は良かった式なのはダメ。確かに教養は旧制教育の人は高かった。目標は教養があってITもわかる人であるが、大学4年間でそんな教育は無理。卒業後も学ぶことによって可能になる。つまり、大学教育を変えるということよりも、生涯の中で「教育」をどう行なっていくかを考える必要がある。

ようするに編集の問題なのか、コンテンツの問題なのか。永遠に解けない謎。しかし、ネットで誰もがクリエイターになれるのならば、少なくともいいコンテンツをクリエイトすればそれでいいわけではない。

昔、アドビがページミルを始めてリリースした時、マックワールドSFでのアドビのセッションで、老婆が熱心に質問をしていた。ごく普通のおばあさんなのだけど、このおばあちゃんはマックでウェブをやるのかと感動した。

誰もがクリエイターって、アップルの思想ではないか。

シリコンバレーは、その昔、サンノゼに行って道に迷って困りまくったことがある。


 以上、ほんのメモです。『ウェブ進化論』そのものについての感想や、Web2.0については、近日中に書きまとめたい。とにかく、ちょっと今、新しいネットの考え方をもとに、自分の知的生産の方法のもろもろを作り直しています。まるで、なんかこー大学生の頃に戻ったみたいな感じってゆーか。

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Comments

>本来、個々にセグメント化されているのに、情報の提供側が個々のセグメントに対して情報を提供するというシステムがないため、今だに「マス」扱いされているのだ。「マス」相手の情報しか提供されないのだから「マス」になるしかない。

これは以前に私がコメントしたことをうまくまとめてくれています。「マス」相手の情報提供の典型がホリエモンやヒルズ族、小泉チルドレンの関するものです。本来なら、こんな低俗な情報よりもっと報道されるべきものが山ほどあるのにと苛立ちます。

それにしてもインプットとアウトプットでは、どうも最近の私はインプット不足を感じてきています。シンクタンクなどのEニュースで未読のものがたまっています。書店の本は全部は読みきれない。しかし数を読まないと情報の取捨選択もできないと難しいところです。

舎さん、

>>本来なら、こんな低俗な情報よりもっと報道されるべきものが山ほどある<<

ここで重要なことは「低俗な情報よりもっと報道されるべきもの」を一般の人々は求めているということです。日本のように高学歴社会で、平和で、物質的なモノが十分ある社会では、人々は良き社会を求めようとします。それが当然の自然の心情なんです。必要な知識や情報があれば、正しい判断を人々はすると思います。もう一部のエリートと、それに従う大多数の一般大衆という区分けは成り立たないと思います。

今の時代では、いわゆる「衆愚」というものは存在しません。権力側に「衆愚」にさせられているんです。今の時代に適合した知識や情報が提供されていないのが問題なんです。つまり、学校教育やマスコミは、今の時代にあった知識や情報を提供していないのです。なぜか。学校やマスコミは新しい時代に対応した組織やマネジメントではないからです。

しかし、学校やマスコミの組織やマネジメントのせいで、「衆愚」にさせられてはたまったものではありません。それをなんとかしようというのが、グーグルなど今のネットの動きなのだと思います。今、アメリカのシリコンバレーで言われているWeb2.0の考え方は、不特定多数が正しい判断をするというものです。それが技術的に可能になったということです。

情報の取捨選択も、これもやはりIT技術をどう使っていくかということだと思います。しかしながら、ITを使うと、情報は無限に収集できますから、それをインプットしていくだけで人生が終わります。インプットとアウトプットをどうしていくかというのは永遠の課題ですね。

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