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January 2006

January 30, 2006

今週のTIMEのcover storyはLivedoor

 TIME Jan30のcover storyはLivedoorの疑惑事件について。この原稿が書かれた時点では、ホリエモンの逮捕の前であったらしく、ライブドアに検察の取り調べが始まったところまでが書かれている。日本ではさかんにエンロン事件と比べられるが、TIMEの記事ではエンロンのことなど触れられてもいない。それだけ、この手の出来事はよくあることなのである。トヨタの会長の"The business model that says you can do anything if you have money should not be respected." というコトバは英語で読むと、なんかこーあたりまえじゃないかと思わないでもないのだけど。もう少し、時価総額経営はどーとか、ベンチャーIT企業の資金集めはいかにすればいいかとか、気の利いたことを言わないもんかなーと思う。

 Collateral Damageという題名のコラムでは、

"Undoubtedly, the old guard will try to use the current scandal to tarnish the reputation of freewheeling capitalism. In fact, conspiracy theorists suggest that the prosecutors are exacting revenge on Horie."

 the old guard(「保守派」つまり「年寄り連中」のこと)は、reewheeling(自由奔放)capitalismの評判を落とすことをやるだろうと書いている。

"Whatever the investigation uncovers, Japan's corporations still need a lot of reform. Rather than forming ever-larger conglomerates, firms need to strip down to core competencies. It should be easier for new entrants to challenge current leaders with above-board methods. Japan needs more shareholder power, not more protection for entrenched management."

 新しい市場参入者(new entrants)が公明正大な方法(with above-board methods)で挑戦することはカンタンであるべきだと書いている。

 そして、こう書いてある。

"The problem is that Japan's working-age population is set to shrink by 0.5% a year, which means the only source of long-term gdp growth is improving labor productivity. It will take further corporate reform to create the necessary productivity revolution. It would be tragic if the alleged malfeasance of one maverick were allowed to hinder this reform. On the other hand, if Tokyo uses this incident to clean up dubious stock market practices, the incident could end up accelerating progress. The answer lies in Tokyo's hands. "

 少子化が問題である。なぜならば、GDPの成長は労働生産性(labor productivity)にかかっているからだと。従って、生産性の革命(productivity revolution)が必要である。一人のmaverick(そーかmaverickだったのか)の違法行為のために、この改革が妨げられるのは悲劇である。証券市場をクリーンにするために、この事件を教訓とすべきだと書いている。

 生産性の革命と証券市場の健全化がどのように関係するのかよくわからんのであるが、cover storyのサブタイトルの"and raising doubts about Japan's economic recovery"は、そうだろうなと思う。株式市場が好調なのは、個人投資家の参入拡大と外国人投資家が日本に資金を振り分けていることによる。株価の上昇が景気回復を意味するわけではない。これから株価がライブドアショック以前にまで戻るのかどうかわからないが、仮に株価がさらに上がったとして、外国人投資家がこれあいを見て一気に売りに出れば株価暴落となる。政府は景気は回復していると言うが、ところが金利を上げることはしない。国債の金利の支払いが増えることを避けているのである。

 それにしてもTIMEって、ネットで記事の全文が読めるのね。カネ払って定期購読している顧客は一体・・・・・。

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January 29, 2006

ライブドアの失敗から学ぶべきこと その2

 もし仮に、ライブドアが違法行為をせずに、これまでまっとうに事業をやってきたとしよう。まっとうな事業では、ああまでお金を儲けることはできないはずなので、きっと時価総額はもっと低いであろうけど。とにかく、とりあえず法律を守ってきたとしよう。そして、では、これからも順調に事業を進めていくことができるだろうかというと、そうはならんだろうなと思う。遅かれ速かれ、なんかスキャンダルを起こして(あるいは、起こされて)没落するんじゃないかと思う。違法行為しなきゃオッケーじゃあないですかと言われるかもしれないが、ホリエモン逮捕後のマスコミのホリエモン叩きやIT企業へのいわれなきバッシングを見ていてそう思う。いかに、マスコミはITについてなにも知らんのだなと思う。

 しかしだ。マスコミはITを知らない、なーにが虚業だ、と思っていればそれでいいのか、というと、そうでもないなと思う。ネット企業というのは、どうもいかがわしい。何をやっているのかよくわからない、という認識が世間にある。世の中とIT企業の間には断絶がある。

 ITバブルが崩壊した2000年ぐらいから、日本社会はインターネットやパーソナル・コンピュータに対する関心をどんどん失っていったと思う。今日、日本の通信インフラは先進国でもトップクラスであり、誰もが携帯電話を持ち、ネットは日常的なものになっている。しかしながら、その反面ネットに対してネガティブな印象しか持っていない。最近のマスコミでも、ネットは危険、ネットの闇、ネットで出会って煉炭心中などばかりであって、ひと昔の前のように、インターネットが新しい時代を作るなどと言うことは誰も言わなくなった。

 90年代は、日本の大企業にもインターネットに対してかなり切実な関心があったと思う。80年代の日本経済は、自動車産業や半導体産業で、アメリカに追いつき追い越していった。90年代は、アメリカのネット産業の発展を追っていった。このアメリカの産業界の最先端の動向をウォッチし追っていくというスタイルが、2000年以後になってなくなってきたように思う。

 ホリエモン叩き、ネット企業へのネガティブなイメージは、その背後にリアル社会の持つネットへの不理解、恐れ、危惧があるのではないか。そして、その「ネットへの不理解、恐れ、危惧」を生んでいるのは、2000年あたりからの、人々のインターネットに対する関心のなさに起因していると思う。かつて、インターネットが社会に普及し始めた時、歴史的な大きな変動時代に我々はいると言われていた。実際に、ネットが普及した今、何がどうかわったのかという思いがあるかもしれない。

 ホリエモンがこれまでこれほど注目されていたのも、この閉塞した日本を変えたいという人々の集団的な無意識なのだと思う。表では古い世代が支配する体制に従順し、ホリエモンが逮捕されたことで、日頃の溜飲を下げると共に、心の中では、これでまたなにも変わらない国になったことを嘆いている人々は少なくないのではないだろうか。しかし、ホリエモンが世の脚光を浴び、そして逮捕された今でも、実は実質的なところは、まだなにも変わっていない。むしろ、実質的な変化はこれからはじまろうとしている。

 その一方で、IT企業もまた社会に対して、自分たちの行っている事業が社会にどのように関わっているのか説明する意思が少ないのではないか。六本木ヒルズに居を持ち、「稼ぐが勝ち」とか「金を持っているやつが偉い」と言っていては、ライブドアは証券業者と思われてもしかたがないではないか。世の中とIT企業の間にある断絶を払拭しなくてはならない。

 ライブドアにとって、パブリシティをどのように考えていくかということが重要だったと思うし、これからも重要であろう。企業イメージの再構築、社会とのコミニュケーションやメッセージの発信なども必要であろう。そして、それはライブドアに限らず、IT業界全体についても言えることだと思う。ネットが社会全体に及ぼす大きな変化は、実はこれから始まる。これからのインターネットの新しい考え方であるWeb2.0を、どのように世の中に説明し普及させていくか。広告や広報において、従来の企業にはない新しい手法が求められる。だからこそ、よりいっそうsensitiveでなくてはならないはずだ。

 IT企業というのは、どうもいかがわしいという世間のイメージをいかに払拭していくか。IT企業は、日常生活に密着したサービスというコンテンツを扱う企業であるし、あるべきだと思う。そして、文化産業でもある。ITを生活文化の中に位置づけるパブリシティが必要だと思う。

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January 26, 2006

ライブドアの失敗から学ぶべきこと その1

 ライブドアの失敗から学ぶべきこととは、例えば、エライ人と会う時は、スーツ着て、ネクタイをしめようとか、やばいことをメールでやり取りしているのならば、メールサーバは外国に置こうとか、お上の査察があった時は、すぐにディスクを爆破できるようにしておくとか(これからはウイルス対策だけではなく、当局の立ち入り検査時のための仕掛けもセキュリティ対策のひとつだな)、いや、そーゆーことじゃなくて。

 とどのつまり、ホリエモンの逮捕とは、ライブドアがソフトバンクから受け継いだ「説明会経営」の破綻であったと思う。では「説明会経営」となんだったのか。ここで強調しておきたいことは、時価総額という考え方は間違っていないということである。今のマスコミや世間の論調では、本業での売上よりも遥かに超える時価総額がつく、これはケシカラン、株価はその企業の売上の実体に反映しているべきだという声が多い。

 しかし、それでは新興のベンチャー企業は、どこからカネをもってくればいいのかということになる。資本金があるだろとか、売上げからもってくればいいではないかと思うかもしれないが、それではワカイモンが起業ができない。アイディアとやる気はあるけど資金がない、そうしたワカイモンの起業をしやすくしなくてはならない。

 従来の方法では、銀行から借りるしかなかった。しかし、当然ながら銀行から借りるには、担保が必要である。つまりは不動産とか資産がなくては銀行は貸してくれない。借りれば金利もあるし、そもそも返済しなくてはならない。それでは、自前の資金などないワカイモンは、どうしたらいいのか。アメリカでは、若者の起業が新しい技術とビジネスを生み出し、産業の活力になっているのに対して、日本ではなぜそうならないのかという背景がある。すべては、ここから始まった。従来の大企業と銀行中心のやり方ではダメだということから、東証マザーズや大証ヘラクレスができたのではなかったか。個人投資家が新興のベンチャーに資金を提供することができるようにしてきたのではなかったか。

 問題なのは、ライブドアは、そうした仕組みを「悪用」して、ひたすら時価総額を上げていくこと「しか」しなかったということにある。時価総額とは、その企業が将来生み出すであろうと思われる価値に対する期待値である。本来、時価総額で得た資金を使って、IT企業としてのやるべきことをやっていくことが必要であった。しかし、ホリエモンには、その「IT企業としてのやるべきこと」の中身がカラッポだったわけで、だから「説明会経営」であった。

 いや、企業買収は次々と行なっています、そちらの方では利益を上げていますというのならば、ライブドアとはファンド屋なんだなというわけで、それではファンド屋としてのライブドアへの期待値はどうなのかという話になる。時価総額がイコール企業の収益であるかのように見せかける手においては、ホリエモンは天才であった。しかし、天才的であったかもしれないが、プロの機関投資家はライブドアに投資していない。素人の個人投資家にしか通用しないごまかしであった。彼は「時価総額世界一になる」と言っていたというが、時価総額で世界一になってどうしようというのか。時価総額というものは、砂上の楼閣のようなもので一瞬で水泡に帰す。だからこそ、経営者も株主もそれをよく知っているから、実際の企業収益を上げていこうとするわけである。

 しかしながら、ホリエモンはそうしたことはしなかった。法の目をくぐるということと、法律に違反するということの区別がつかなかったのではないか。個人投資家たちも、自分が投資する会社の財務内容まで調べることはしてこなかった。さらに、マスコミと政治家がホリエモンを持ち上げていた。つまりは、みんな考えて判断するということをしなかった。

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January 24, 2006

ホリエモン、逮捕される

 モーリー・ロバートソンがi-morleyで、ホリエモンの逮捕について語っている。まー例によって、たわいもないこともしゃべっているのだけど。

 22日のPodcastでモーリーが言っていたが、マスコミは今、自分たち以上にマスコミ人みたいなタレント・ホリエモンを叩くことしかできない。これは不毛だ。ものすごい不毛だ。これからなにが生まれてくるというのか。かりにライブドアが消滅しても、ライブドア的なるものはなくならない。そうならないために、このライブドア現象はなんであったのか考える必要がある。

 「株式時価総額が最大の経営指標であり、本業の決算での収益はどうでもいい」という思考は、アメリカでは以前から(つーか、こういう発想はアメリカが最初だな)あって、今でも割合スタンダードなものになっている。ところが、この思考は違法行為に簡単に走りやすい。実際アメリカでは、数多くの企業の経営者が株価の違法操作で逮捕された。しかしこれにより法律が改正され、企業倫理の浸透が求められるようになった。つまり、それなりにしっかりとした法制度と、しかるべき企業倫理がまず根底にあって、その上で「株式時価総額は重要な経営指標であり、かつ本業の決算での収益も重要である」という意識が定着するようになっていった。

 日本では、この根底がまだできていない。むしろ、これから作られていく・・・のかどうか、なんかこの騒ぎを見ていると、そんなものはこの国ではできないんじゃないか・・・。

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January 22, 2006

ライブドアとはなにか

 このところ何人もの人から「株をやっていますか」と聞かれることがあった。株をやるほど資産があるわけでもなく、ましてや投資するとなると、それなりの専門知識が必要だろう。とてもワタシごときモノにはできませんよ、エエ、と答えている。

 しかしながら、株ってそういうもん(それなりの資金が必要、専門知識が必要である)なのだろうと思っていたのであるが、(今、一番アクセス数が多いであろう)ライブドアのホリエモンのブログの数千におよぶコメントを、つらつらと読んでみると、なんかこー、そうではないのである。考えてみれば、今、急速に増えている個人投資家とは、一般のごくフツーの人々なのであった。普通、株式を購入するとなると、その企業について、それなりにいろいろ調べたり、ポートフォリオを考えなくてはならないであろう。ところが、ホリエモンのブログに書き込むライブドアの株ホルダーと思われる人々は、別にライブドアの企業活動を評価して、ライブドアの株を買っているのではなく、堀江貴文社長その人個人が好きなので株を買っているという人が多いようだ。「多いようだ」と書いたのは、そもそもホリエモンのブログに書き込む人は、堀江氏個人が好き、もしくは嫌いという人になるのであろうから、コメント上ではその二つのタイプしかいないのだろう。その一方で、例えば有価証券報告書を読んで判断したという人もいるであろう(いるのかどうかわからんけど)。つまり、22万人いるというライブドアの株ホルダーの全員が「堀江信者」というわけでもないであろう。しかし、そうであったとしても、ライブドアに数多くの堀江信者の個人投資家が集まっていることは考えさせられることであった。

 ライブドア・ニュースには「パブリック・ジャーナリスト」なるものがある。17日のPJオピニオンで、ビデオジャーナリストの神田敏晶氏の「ライブドア家宅捜査とオールドエコノミー的感情論」は興味深かった。神田氏は、今のメディアのライブドア叩きを「オールドエコノミー的感情論」と書いている。今のメディアのここぞとばかりのライブドア悪人論はどうかと僕も思う。しかし、今のマスコミが「オールドエコノミー」であるのならば、ライブドアは「ニューエコノミー」ということになる。なるほど、株価の操作で利益を挙げる手腕では「ニューエコノミー」であろうが、これそのものが「ニューエコノミー」なのだというのは無理があるのではないか。

 ところが、だ。IT企業でもなんでもない、ファンド屋のライブドアであっても、これほど数の個人投資家が集まってきたのは一体なぜなのか。ホリエモンを支持していたメディアや自民党なども、今となってはアレは間違っていたことでした、ということにしたいのであろうが、まがりなりにも、ホリエモンを時代の寵児とし、ライブドアが閉塞した日本を変えてくれるものと思っていた人は多い。上記の神田氏のコラムにもあるように、古い日本の権威主義と戦うホリエモンというイメージである。

 先日、佐々木俊尚著『ライブドア資本論』(日本評論社)という本を読んだ。その本によると、今日、ライブドアの派手な経営を通して知られる「株価市場主義」や「時価総額経営」を、最初に行ったのはソフトバンクであるという。

 1994年、ソフトバンクは、野村證券のソフトバンク担当であった北尾吉孝をスカウトし、新規株式公開を行った。この株式上場で、2千億円の資金を調達したという。ソフトバンクは、この資金を元に次々と企業買収を行っていく。1996年、ソフトバンクの孫正義社長はオーストラリアのルパード・マードックととに、テレビ朝日の共同買収を行い、テレビ朝日の筆頭株主になる。これにはテレビ朝日はもとより、マスコミが大反発した。結局、翌1997年に、テレビ朝日を親会社の朝日新聞社に売却することで、この騒動は収まることになった。テレビ朝日の買収は失敗したが、このテレビ朝日買収騒動を前後して、ソフトバンクは積極的に企業買収を繰り広げた。

 元々、ソフトバンクは、パソコン雑誌の出版とソフトの流通が本業であった。その本業からの売り上げは、年間1400億円程度であったという。それに対して、企業買収で約5000億円ものカネを使っていたのである。これが可能であったのは、急成長しているソフトバンクの社債と株の発行であった。ソフトバンクを信頼する投資家がいたからこそ可能だったのである。当然ながら、ソフトバンクの経常損益は赤字になっているわけであるが、孫がここで出した考え方は「株式時価総額が最大の経営指標であり、本業の決算での収益はどうでもいい」ということであった。孫と北尾の経営手法とは、株価を上げていくためにいろいろな新事業を持ち上げ、記者会見もひんぱんに行い、市場に向かってさまざまにアピールしていくことで、株価を上げ、新たな資金を調達するというものであった。この手法を、マスコミは「発表会経営」と呼んだ。本業を堅実にやって、そこで収益を上げることを目指すのではなく、目立つことを言って金融市場で注目され、株価を上げていくという経営手法である。

 孫と北尾が打ち出した「発表会経営」の手法と「時価総額経営」のスタイルは、それまでの日本の経営にとって革命的なものであった。従来の日本の企業は、株主への利益を還元するということをほとんどやっていない。戦後の高度成長では、モノは作れば売れた。さらに良いモノを作れば売れたという、シェア第一主義であり、売り上げ至上主義であった。株は企業間の持ち合いであり、資金は銀行から借りるため、こうしたことをやっていても困ることはなかったのである。これに対して、ソフトバンクは巨額の買収をやり続けた。この時期、ソフトバンクの株式時価総額は6兆2500億円であったという。

 ソフトバンクは、この天文学的な規模のカネを、さらに投資や買収でネット企業にばらまく。かくて、1990年代末のネットバブルはこうして生まれた。このネットバブルは、2000年に崩壊する。崩壊のきっかけになったのは、光通信という企業の粉飾決算であった。この崩壊から生き残ったのが、楽天、オン・ザ・エッジ、サイバーエージェントなどである。オン・ザ・エッジは、2000年に東証マザーズに上場する。ホームページ制作会社であった。しかし、ただのホームページ制作会社ではなかった。ソフトバンクの「発表会経営」の手法と「時価総額経営」のスタイルは、オン・ザ・エッジの創業者堀江と顧問税理士の宮内(後に取締役に就任)によってさらに続いていくのである。2000年代初期のネット不況の中、オン・ザ・エッジは、次々と企業買収を行い、株価を上げ、資金を調達し、さらに企業買収を繰り返していった。2004年に、オン・ザ・エッジは、買収したプロバイダー企業の社名「ライブドア」を自社名とし、ポータルサイト「ライブドア」を開始した。その翌年の2005年、ニッポン放送株の買収劇へと至り、日本全国にその名が知られることになる。企業は、銀行に担保を預けて資金を借りるのではなく、自分のビジネスへの期待と信頼に基づき株主から資金を得ることができるのである。これを示した意義は、大きかったと思う。

 ただし、ライブドアの場合、この期待と信頼が経営の実態を正しく反映していたものであったのかどうか、ということは別の話であり、ホリエモンの「発表会経営」の手法に対抗して、投資する側もやはりそれなりの知識と分析眼が必要なのだと思う。

 以上、ざっとこれまでの状況を振り返ってみたが、こうして見ると、ライブドアという企業がやってきたことは、(特異といえば特異かもしれないが)現在の日本で、いわば現るべくして現れた企業であるとも言えるだろう。

 それにしても、ニュースというのは、昨日・今日の視点ではなく、過去10年ぐらい遡ってみることが時には必要だなと思う。かりにホリエモンが違法行為に関与をしていたとしても、ライブドアについてその功罪を考える視点が必要である。

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January 19, 2006

南京事件がハリウッド映画に

@nifty:NEWS@nifty:南京事件、ハリウッド映画に…メリル・ストリープ出演(読売新聞).

 日本軍によるいわゆる「南京大虐殺」をクリント・イーストウッドが監督をするという。彼は、「硫黄島の星条旗」という本の映画化の監督を行っていて、硫黄島での戦いの日本側の視点のパートも彼が監督をするという。この映画化については、硫黄島守備隊の司令官であった栗林忠道陸軍中将の孫である衆議院議員新藤義孝氏が、この映画のために来日したイーストウッドとの会見について書いている。そのイーストウッドが「南京大虐殺」の映画を監督するようだ。

 硫黄島での戦闘にせよ、「南京大虐殺」にせよ、映画になるということについて、我々日本人としては、いろいろと言いたいことがあるであろう。「どうせアメリカ人が作る映画だろ」ということになってしまうかもしれない。しかしながら、では、なぜ、日本映画は、日中戦争なり、太平洋戦争なりについて、今日の視点で、しっかりとした映画作品がいまだにできないのであろうか(あーそー言えば、最近、男たちのナントカという映画がありましたけど)。さらに言えば、死刑判決になった連続幼女殺人事件についてや、オウム真理教の地下鉄サリン事件についても、あの事件はなんであったのか、なぜあのようなことになったのかということを正面から捉えた映画作品もない。阪神大震災の映画作品すらない。

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東証はなぜ売買停止に

 ここのところ時間がないので、断片的に・・・・・。

@nifty:NEWS@nifty:東証が全銘柄の売買停止、注文激増で処理能力限界に(読売新聞).

 18日の東京株式市場は、午後、全銘柄の取引を停止した。理由は、ライブドアグループの証券取引法違反事件のために、売り注文が殺到したからであるという。よくわからんのであるが、これぐらいて停止してしまうものなのであろうか。約定件数が400万を超えると、システムの処理能力を超えるというのは、外国と比較してどうなのだろうか。今回のライブドアの出来事によって、株式市場にこれほど大きな現象が起こるというのは、いかなることなのか。こんな脆いものであったのか。ライブドアの一件よりも、こちらの方が大きな問題だ。

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January 15, 2006

インテルマックあらわる

 9日、サンフランシスコでマックワールドが開催された。一時期は毎年のように行っていたマックワールドであるが、最近はめっきりと行くことがなくなって、自宅でジョブズの基調講演をWebcastで見るだけになってしまった。それにしても、ジョブス歳をとったな。

 しかし、実際、これを現地で見るのはそれなりにたいへんなのだ。いい席を確保するためには、早朝から並ばなくてはならないし、入場料金もそれなりに高額なのである。それが今では、わざわざサンフランシスコへ行くこともなく、自分の家のパソコンで基調講演を見ることができるという、こりゃあもう時代は大きく変わってしまったんだなと、しみじみ思う冬の空なのであった。ちなみにその昔、東京でもマックワールドは開催されていて、幕張でやっていたのである。ジョブズも来日して基調講演をしていた。東京でのマックワールドは、来場者数がアメリカを超える20万人近くにおよび世界最大規模のマックユーザーの集いであった。あの頃のマックワールドは楽しかった・・・。(遠い目)

 というわけで、インテルマシンになったマックであるが、なんつーか、あの「MacBook Pro」の名前はなんとかならんもんかと思う。Powerbookのままでいいではないか。なんすかMacBookProって。それに、MacBook Proの製品コンセプトは一体なんなのかよくわからん。唯一わかることは、あの重量2.54kgはモバイル用ではないなということだ。結局、マックユーザーが、マックのノートがインテルにならないかなあと思っていたのは、インテルマシンになればもっと軽量なノートになるであろうと思っていたのだと思う。それが2キロを超えるノートでは、とてもではないが持ち歩きはできない。もちろん、モバイル用ではない15インチのノートなのであるということは言えるであろう。しかしそうであるのならば、今、Powerbookを使っているユーザーはMacBookProに変えようという気にはならない。それと毎度思うことは、もの書きにとって打ちやすいキーボードとはなにかという視点なんて、全然持ってねえだろう、えっアップルさんよお。思えば、PowerBook1400のキータッチの良さは、アップルの歴史の中でその後二度と顧みられたことなどなかった。

 ジョブズの基調講演を聴いていて不思議だったのは、インテルマックはiPodとiTunesとiLifeが動けばそれでええんかということだ。つまり、クリエイターのツールとしてのマックとして見た場合、プロ向けのFinal Cut ProやShakeといった映像・音楽編集ソフトがインテル版のマックではどうなるのか、こっちの方が重要だと思う。しかし、こちらの方は依然としてPowerPCでなくてはならないままである。

 アップルという企業の理念には"rest of us"というのがある。「アップルは一般の人々のためのコンピュータを提供する」という意味である。「一般の人々のため」であるのならば、確かにiLifeが動けばそれでいいであろう(それにしても、iLifeを使っている人って、あまり見かけないような気がするのだけど)。今回、iWebという新しいソフトが出た。カンタンにブログやPodcastが作成できるところは、いかにもアップルの"rest of us"のソフトだと思う。しかしながら、その一方でアップルは、クリエイターのツールとしてマックを位置づけているではないか。ここに矛盾がある。つまり、マックは一体どっちのユーザーを向いているのかということである。

 もうひとつ疑問に思ったのは、iPodとiTunesのビジネスモデルが成功したことはわかった。iPodが売れていることはよーくわかった。では、今後の展開をどうするのかということはさっぱりわからない。テレビ番組の配信をもっと増やすというのはわかるのだけど、iTunesは音楽だけを扱うのではないから、ミュージックストアであることやめるとか、レファレンス機能をアップさせるとか、日本に住所のあるクレジットカードでも、アメリカのものを買えるようにするとか、やることはたくさんあるだろう。そうしたIT企業のCEOみたいな話はしないというところが、いかにもジョブズらしい。

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January 06, 2006

日本の"The Japanese Way"とは、なんなのか 補足

 去年の年末に書いた「日本の"The Japanese Way"とは、なんなのか」が、ネットの一部で「海外メディアでは、日本は終わった国扱いになっている」ということで、いくつかリンクが張られていて、アクセスカウント数がべらぼうな数になっています。

 アクセスカウント数はどうでもいいのですが、この記事について補足しておきます。まず、アメリカのメディアで日本が無視されているということは、それほどショッキングなことではありません。ニュースバリューとして、日本よりも中国の方が高いというのは当然のことであって、目立つ、目立たないで言えば、日本よりも中国の方が目立ちます。マスコミは商売でやっていますから、どっちが顧客の関心を集めるかと言えば中国になるわけで、メディアに出なくなったから日本の位置が低下したというわけではありません。

 さらに言えば、最近のアメリカ映画の『SAYURI』や、少し前の映画『ラスト・サムライ』を見てもわかるように、欧米の日本理解は21世紀の今日に至っても、まだフジヤマ・ゲイシャ・サムライの程度です。これはもうはっきり言って異常です。欧米は、日本についてこの程度の認識しかない。しかも、メディアでは無視されているという状況です。

 これはある意味でチャンスだと思います。欧米の目が中国に集まっている今、日本はその陰で(まあ、陰に隠れてコソコソやる必要はないんですけど)いろいろとやっていくことができます。

 先の文章では、日本についてかなり悲観的な見方をしています。これは国家レベルで見れば、日本には悲観的な未来しかないということです。しかし今の世の中、国家云々でやっていることばかりではないです。つまり、国で見るとお先真っ暗なのかもしれませんが、個人や企業で見れば、昭和33年の夕日どころではなく、平成18年の希望と未来ある夕日であるというところは数多くあります。国際的にも競争力のある企業は、依然として競争力があります。自分で書いた文章に対して、こんなことを言うのもなんですが、こうした日本悲観論的な文章を読んで、ああっ日本の未来は暗いんだと落ち込む必要はありません。

 つまり、今の時代は、国家とか企業とか個人とかがバラバラなんです。ひと昔前のように、国家と企業と個人が「ひとつにまとまっている」わけではありません。新しい時代、新しい状況の中で、やっている企業、やっている個人はやっているわけで。ただ、そうした企業や個人は、あまりマスコミに出ませんから気がつかないだけです。

 国がどうこう、社会がどうこう、だから未来はないなどという閉塞感に落ち込む必要はまったくありません。このままではマズイなと思った個人や組織が変わっていけばいいんです。そうした方向に、日本は進み始めているように見えます。欧米のメディアは(日本のメディアもそうですが)このことがわかっていなくて、まだ旧時代の国レベルのみで見る傾向が強いわけです。

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January 04, 2006

あけまして、おめでとうございます

 あけまして、おめでとうございます。
 本年もよろしくお願い致します。

 というわけで、本日(3日)は例によって根津神社へ行って、この寒い中をぼおおおっとしばらく立っていて、家に帰る。

 お正月のテレビで、予想に反しておもしろかったのがTBSの『里見八犬伝』!!滝沢馬琴の原作も怪奇活劇冒険譚みたいな話であったけど、こーゆーリメイク(?)もいいのではないかと思った。菅野美穂は、『エコエコ』以来、こういう役ハマリすぎ。次は、ぜひとも上田秋成の『雨月物語』とか、近松の『国姓爺合戦』をやって欲しい。江戸文学が復活しないかなあ。

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