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December 2005

December 31, 2005

日本の"The Japanese Way"とは、なんなのか

 とりあえず、昨日で今年の仕事は終わりとし、今日から年末年始のお休みモードになった。ようやくとれた数日間のお休み。ていうか、もう大晦日なんですけど。

 というわけで、ここ数ヶ月分ぐらいの溜まりに溜まったTIMEとNewsWeeKを片っ端から目を通していった。日本についての記事を読んで思うのは、日本はまったく「終わっている国」扱いだなということだ。今、アジア経済で注目されているのは、当然のことながら中国であり、インドである。日本が記事になるのは、おもに政治の話だけで、日中関係や日韓関係の悪化についてのことぐらいだ。ようするに日本は、他のアジア諸国から孤立しているのだな、ということがよくわかる記事ばかりである。

 NewsWeekのDec19の号のカバーストーリィが"Bush's World"というタイトルで、そのサブタイトルが"The Isolated President: Can He Change?"と書かれていて、"Isolated"とはうまく表しているなと笑ってしまった。まさに、今のアメリカは世界の中で"Isolated"(孤立)している。このへん、ヨーロッパの中で孤立しているブレアのイギリスともよく似ている。つまり、「ブッシュ-ブレア-小泉」というこの3人のもとで、「アメリカ-イギリス-日本」とその他の国々の間はどんどん距離が広がっているということだ。某元外務官僚によれば、日本はとにかく英米に従っていればいいとのことであるが、英米だけに従っていって、世界を敵(「敵」というのも語弊があるけど)にまわすのは、外交上いかがなことだと思うのであるが。

 今年の1月1日に、僕は「2005年は中国が最大の課題になるだろう」と書いた。実際、今年の日本外交は中国が最大の課題になった。世界は今、中国に注目している。TIMEにせよNewsWeeKにせよ、中国についての記事が毎週載っている。日本がかろうじて記事になっているのは、この注目の的の中国との関係が険悪になっているから記事になっているのであって、それがなかったら、もはやJapanなんてワードは出ることすらなくなるのではないか。日本は、90年代にIT時代に適応した経済と社会に変革することができず、10年以上の不況に陥っているというのがTIME/NewsWeeKの日本観である。

 TIMEのDec26/Jan2合弁号の記事"Standing Tall"を読むと、今やアジアのリーダーを目指して急速に成長しつつある中国に対して、日本の総理大臣が考えた策は、アメリカとの密接な関係を保つことと、靖国神社に参拝することであるという、まことに「ええんか、それで」という有様である。

 NewsWeekのDec26/Jan2合弁号は、安倍晋三官房長官が表紙になっていたが、中身は3ページ程度の人物紹介記事があるだけだった。これは一体なんなのかよくわからん。同じくNewsWeekの年末特集号「ISSUES 2006」は、情報通信の発達が世界を変えたことを踏まえ、知識革命の時代がやってきたことを述べている。この特集は、日本版NewsWeekの12/28,1/4合併号でも読むことができる。今の経済は、知識や革新性や創造性を主体とし、それらがネットワークでつながり、共有することで価値を生み出している。NewsWeekの特集では、この新しい経済について書いていて、非常におもしろかった。

 この中でシンガポールの首相であるLee Hsien Loongのコラム"The Singapore Way"に着目したい。Leeはこう書く。

"Globalization has moved beyond industry and is now penetrating the knowledge processing in every object, and link people and organizations in networks that are always on, always connected. Even in textiles, traditionally a low-tech, low-wage industry, a new breed of company has emerged. They manage a full season's offerings of department stores in the United States and Europe, creating the designs, sourcing the materials, organizing production in foreign countries and managing the logistics and value chains from beginning to end."

 かつて大前研一が書いていたが、シンガポールには農民はいない。しかしながら、日本よりも農作物が安い。なぜならば、世界中で最も品質が良くて安いものを自由に輸入することができるからだ。今の時代の「国の富」とは、広大な領土やたくさんの資源を持っていることや強力な軍事力を持っていることではない。むしろ「持ってない」ことが強さになる時代になったのだ。シンガポールは、現代の時代で何が富をもたらすのかということについて、それは国境のない経済ということであり、世界とつながることだという明確なビジョンを持って進んでいる。

 そして、Leeは書く。

"Countries all over the world are working hard to position themselves for the growing competition in the knowledge economy. Singapore is likely to do well in this environment. Our ethos is open, cosmopolitan and pragmatic. Our society is meritocratic and egalitarian. Our multiracial population is English speaking, but bilingual in Mandarin,Malay/Indonesian and other languages, and comfortable with European, American and other Asian cultures."

 島国であるシンガポールは、まさにボーダーレス経済の時代に"is likely to do well in this environment"なのである。それが"The Singapore Way"なのだ。

 ひるがえって、我が国の首相は、上記のようなことを言ったことがあったであろうか。同じ島国である日本の"The Japanese Way"とは、なんなのであろうか。靖国神社に参拝して、平和を願っていればそれでよくて、あとはアメリカ様がなんとかしてくれると思っているのであろうか。日本経済は、世界の各国に依存している。日本は、日本企業の製品を外国のマーケットで販売し、資源も食料も世界から輸入することで成り立っている国である。世界とつながることが日本の生存手段であり、世界との相互依存関係こそが、強力な安全保障である。それをわざわざ壊すようなことを行っているのが、今の日本である。「文句言ってきたのは、あいつらだろ」という声もあるかもしれないが、あの程度の文句で騒ぐような薄っぺらい愛国心しかないのだろうか。

 このシンガポールのLee Hsien Loong首相のコラムは、なぜか日本語版には載っていない。アメリカにせよ、中国にせよ、韓国にせよ、シンガポールにせよ、世界は新しい時代の中で、新しい競争へ向かって進んでいる。では、我が国はどうかというと、株の操作でテレビ局から大金をせしめた話や、構造計算書を偽装したとか、小学生の殺害が続く話ばかりである。世の中の製品が完全に「安全」であるという確認をしなくてはならなくなったり、日本中の通学路のいたるところに、監視カメラを置かなくてはならなくなったとして、そのコストは厖大なものになるであろう。それらはやむを得ないことだとしても、そうやって、本来向けるべき新しい時代への労力を、日本社会はどんどん失っていくのである。日本だけが、さらに失われる10年の中にいるのだ。

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のラストシーンは、昭和33年の12月31日、完成した東京タワーの向こうに沈む夕日を見つめる夕日町三丁目の人々の姿であった。あの日から47年後の今日、僕たちはいかなる気持ちで夕日を見つめるのだろうか。

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December 30, 2005

2005年のメディアとネットの出来事を振り返る

 2005年のメディアの出来事を振り返ってみたい。今年の初めのライブドアがニッポン放送の株の買い占めを行うことにはじまった、ライブドアとフジテレビジョンによるニッポン放送争奪騒動について、これが起きた時、堀江貴文ライブドア社長は「放送とITの融合」と言っていた。これを聴いて、僕は「放送とITの融合ってなんだ?」と思った。

 実際のところ、ホリエモンのその後の発言を見ても、「放送とITの融合」について、具体的な内容が示されることはまったくなかった。つまりだ、ここで僕は思った。ようするに、ホリエモンという人は、放送やITについて実質的に考える能力を持った人ではないなということだ。ホリエモンの目的は「放送とITの融合」ではなく、自分が購入したニッポン放送株を、高値でフジテレビジョンに買い戻させるということであった。そして、その筋書き通りに物事は進み、ホリエモンは巨額のカネを取得し、ライブドアの知名度も大いに挙げた(よって、ライブドアのポータルサイトの集客力も高まった)というわけである。

 こうした方法で、巨額の資金を得ることができるということは、アメリカではよくあることであるが、日本ではめずらしい。いわば、銀行からカネを借りるということをしなくても、会社はこうしてカネを得ることができる、ということの見本みたいな出来事であった。もちろん、だからといって、誰でもできることではない。ホリエモンは、株を使った金儲けの能力には、天才的なものがあるのだろう(実際に画策したのは村上氏であろうけど)。旧世代の経営者には、思いもつなかったことを、さらりとやってのけたホリエモンを若い世代が支持したのも当然である。

 それでは、カンジンの「放送とITの融合」はどうなるのかというと、実はそんなものはない。テレビとインターネットを融合させても、あまりメリットはない。ホリエモンも、そのことはわかっていて、当初、フジに株を買い戻させるだけのつもりであったのだろう。ところが、途中になって、本気でフジの経営をしたいと言い出した(ように見える)。このへんがまたホリエモンの、株にはくわしいがIT方面のことはよく知らないという一面を表していた。結局、この騒動は、フジが高額で株を買い取り、ホリエモンの勝ちとなった。しかし、この人はそこから得たカネでなにをやるのだろうかと思っていたら、選挙に出たり、宇宙旅行をやるとか言ったり、なんかよくわからない。

 ここで今年、広告の費用対効果でインターネットがテレビを抜いたということを考えたい。ハードディスク・レコーダーでのテレビ番組の録画は、過半数の人々がCMをカットしているという。今後、ますますハードディスク・レコーダーは普及していくだろう。現在、アメリカで注目を集めているデジタル・ビデオ・レコーダ企業のTiVo(ティーボ)は、やがて日本にも参入してくることは十分予測できる。現在、TiVoの日本市場参入を妨げているのは電通であるようだ。電通にとって、テレビのCMをスキップされるのは困るのである(だったら、電通はテレビ局とつるむのはやめて、ネットでの広告商売をメインにすればいいような気がするけど)(ちなみに、日本のメディアの本当の親玉は電通である。メディアは電通の批判はできない。さらに言えば、電通は自民党のメディア担当企業である)元々、民放テレビのビジネスモデルは、CSテレビの専門チャンネルとは違い、視聴者には無料で番組を見せて、スポンサーからカネを得るというものである。それがCMをスキップされると、このビジネスモデルは根底から成り立たなくなり、テレビ局の死活問題になる。

 デジタル放送への切り替えなど、一般大多数がテレビを見るということを前提にしているが、従来とは異なる状況がもう目前に迫っている。電通がどうしようと、テレビ局がなにをしようと、もはや、テレビのCMなど視聴者は見なくなる世の中になりつつある。その割には、テレビ業界に危機感はないのは、電通(および自民党)が守ってくれるものだと確信しているからなのだろうか。

 もう一つは、今のテレビの番組は、おもしろくないということだ。自分が歳をとったからなのかもしれないが、自分が子供の頃の70代や80年代のテレビの方がおもしろかったように思う。最近のテレビは、スポンサーの影響が強く、それが番組をどんどんつまらないものにしているのではないか。これに対して、インターネットの使用時間は増えているという。つまり、広告媒体としてのテレビの価値はなくなりつつある。

 だからこそ、楽天の三木谷社長のTBS株の買い占めと経営統合など、今後、斜陽産業になるテレビ局と組んでなにがいいのかさっぱりわからん。今月、テレビ局の株の買い占めなどには見向きもせず、「Yahoo!動画」で「TV Bank」というネットでの動画コンテンツサービスを本格的に開始し始めたソフトバンクの孫正義社長の方がよくわかっていると思う。今年から始まった動画配信サービスの「GyaO」にも注目したい。コンテンツは無料で提供し、インターネット広告で収益を得るというのは、当然のことながらテレビにはない新しいビジネスモデルである。

 ネットでの新しいビジネスモデルをまざまざと見せてくれたのが、アップルのiPodとiTunes Music Store(iTMS)だ。今年の音楽業界で起きたこの出来事は、衆院選で自民党が歴史的大勝をしたことなんかよりずっと意味がある出来事だった。音楽のダウンロード販売は、日本でも何年も前から行われてきたが、著作権の問題からユーザ主体の販売になっていなかった。レコード会社の都合が優先され、ユーザは不便を強いられていた。もし、アップルというアメリカの企業の日本市場への参入がなかったら、今年も来年もさ来年もずーと、我々ユーザは不便を強いられていた。そこに、風穴を開けてくれたのがアップルである。

 従来の日本のやり方は、ダウンロードしたパソコンでしか使用できず、CD-Rへの転送は一部楽曲を除いてダメ、携帯音楽ディバスへの転送は回数制限ありという、とにかくみんなダメダメ、曲の価格も高いというものであったが、みーんなOKで、曲の価格も安いというiTMSの日本到来は、日本の音楽シーンで革命的な出来事だった。アップルの参入により、日本の従来の音楽配信サービスをその商売の方法を大きく変えざるえなくなった。やはり、この国はアメリカが入ってこなければ新しい動きが起こることはなく、日本人だけでは、なにも変えることができないのだろうか。

 文化庁は、JASRACなど「iTMSによってダウンロードした音楽ファイルをフリーでじゃんじゃんiPodにコピーして聴かれては、音楽CDが売れなくなるので困る」団体からの要求を受けて、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会なるものを発足し、iPodに課金をかけること検討している。現在、結論は見送りになっている。

 iTMSのようなことが、今度、テレビ番組などといった映像の世界でも起こるであろう。アメリカでは、ABC、Fox、NBCだけではなく、CBSやNBCなどの番組もiTMSで購入しiPodで見ることができる。日本でも今月、「PodTV」というiPod向け専門テレビ局ができた。番組そのもので料金を取るか、それとも「GyaO」のように番組は無料で提供し、広告で収益を得るか、どちらが主流になるか今後注目したい。

 最後に、今年起きたネットのことで印象深いのは、人工衛星からの映像をベースに、全地球上を鳥瞰することができるようになったということだ。NASAの「World Wind」もすごいが、Googleの「Google Earth」もまたすごい。これほどのものを、パソコンの画面で見ることができるということは、根本的ななにかが変わるということだろう。そのなにかというのは、まだよくわからないが。マウスでぐっとズームインすれば、東京の拙宅の辺りが見れて、そしてズームアウトすると宇宙空間に浮かぶ地球の姿が見えるというのは、自分の中の世界観のなにかが変わるような気がする。一台の小さなモバイルパソコンでも、そのディスプレイに全地球を映し出すことができる。これは、ネットとITの潜在的な可能性を感じさせてくれるものであった。この感覚が、既存のメディアにはない。

 少なくとも言えることは、今年は、巨大メディアの終わりの始まりの年になるだろう。

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December 23, 2005

なぜネットにシンクタンクを作らないのか

 20日の朝日新聞の記事に「動かぬ?政党シンクタンク」というのがあった。自民、民主党が進めようとしているシンクタンク構想が、カネがかかる、研究者が集まらない、そもそも、そんなもん必要ないではないか、ということであまり進展がないという。

 民主党のシンクタンクは設立記念シンポジウムについては、参加されたBigBangさんたちのブログの記事に詳しく書かれている。それらを読んで、正直に言って、なんかこー時代遅れなことをやっているような気がしてならなかった。結局、これなら朝日の記事にあったように、全然進展はなく、ただ単に「我が党はシンクタンク(みたいなもん)を作りました」でオワリになるのではないかと思う。朝日の記事によると、自民党のシンクタンクは設立だけして、研究は外部の民間機関に委託するという。では、なんで党のシンクタンクを作るのであろうか。民主党は、当面や学識経験者や官僚を集めて、定期的に勉強会やシンポジウムを開くという。あーそうなの。なんつーか、有権者にとってはどうでもいい話だ。

 シンクタンクというものについて、ある特定の人々、いわゆる学識経験者や議員や官僚なる人々を、ある特定の時間に、ある特定の場所(六本木ヒルズすか?)に集めてシンポジウムなるものをやる、そして、それをネット配信やウェブなどによって、一般市民の皆様がインターネットで見ることが可能ですよ、という発想そのものが時代遅れだと思う。ネット配信にしたって、スティーブ・ジョブスのスピーチなら見るけど、学者と議員センセイと役人のシンポジウム?誰がそんなもん見るかと思う。Podcastにして、iPodにダウンロードできても聴きたくもない。モーリー・ロバートソンのi-morleyの方が聴いていてずっとためになるもん。

 そもそも、学者や議員や官僚という、社会の大多数の人々とは、かけ離れたところにいる人々による、高尚でアカディミックな発表や「議論」(彼らは本当の意味での議論はしない)で、社会や経済のリアルな現状を捉えることができるのであろうか。むしろ、様々な実社会で働いている人々(いや、家庭の主婦だって、働いていない引きこもり君やニート君だって)のいろいろな意見の方がずっと価値があるのではないか。そうしたリアルな現場からの意見の集合体を、ただの2ちゃんねる的なネット世論にせず、そこから社会と政治のあるべき方向が生まれてくるプロセスを作り出すのが、これからの時代の政党の役割であろう。

 だからこそ、そのためには、政党がシンクタンクを作るのならば、ネット上に作るべきだと思う。政党は、もっと有権者のことを考えるべきである。政治に関心があるというと、今の世の中ではなんか老人ばっかりになるが、それは老人にはヒマがあるからである。隠居した老人であるならば、フルタイムで社会のこと、経済のこと、政治のことを考えることができるであろうが、30代、40代、50代で働いている者は、そんなことできるわけがないではないか。しかしながら、働いていても、帰宅後や休日だけでも、社会のことや政治のことを考える場や機会があれば、積極的に参加したいという人は多いのではないか。本来、「政治や経済や社会について会話する、議論する」ということが、まるであたかも学者や官僚だけの特権的な役割であって、フツーの庶民はそんなことはしない、できないというのが一般認識であった。しかしながら、そんなことはまったくない。むしろ、学者や官僚に、そうしたことを任せてきてきたのが間違いであった。彼らに任せると、我々市民から搾取することばかりで、ろくなことはない。

 実際のところ、シンポジウムそのものをネットで行うことは可能である。パワポを使ったプレゼンだろうとなんだろうと、自分のパソコン上で見ることができる。議論はフォーラム形式の電子会議室でやればいいし、お知らせもメーリングリストでできる。資料入手はダウンロードすればいい。なにも、ある特定の時間と場所に「集まって」行う必要はないのである。そうすれば、こっちだって、いつでも自分の都合に合わせて「参加」することができる。日曜日にスタバで、ノートPCを開いて「参加」することだってできる。

 もうひとつ重要なことは、ネットでならば、外国で生活をしている日本人も参加できるということだ。僕は、一時期、アメリカのサンノゼやオークランドなどで生活をしている日本人のコミニティのネットの運営の手伝いをしたことがある。このネットでの政治議論は、非常にレベルが高かった。彼らは国外で暮らしているため、日本と日本人を客観的に見ることができ、それを実際に体験している。こうした国外からの意見が、国内の社会に反映されれば、どれだけ良いだろうと思ったことが何度もある。学者や官僚なんかのシンポジウムより、海外に住む日本人の意見の方がずっと貴重である。

 政党は、もっとパソコンとネットを活用すべきだ。そして、ネットワークから考えるという視点が必要だ。政党がシンクタンクを持って、学者や議員や官僚が考えるのではない。ネットワークそのものがシンクタンク(シンクネット?)であり、社会のおのおのの現場の人々が考え、意見を発信していくのだ。そして、ネットには国境はない。国内の日本人も、国外の日本人も、あるいは在日外国人でも、さらに言えば日本人であろうとなかろうと、とりあえず日本語の読み書きができるのならば誰でも参加できて、政治や経済や社会のことについて会話するネットの場が必要なのだ。これができれば、従来のマスコミや政党政治は根底から変わる。

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December 12, 2005

小学生殺人事件が続いている

 小学生殺人事件が続いている。

 それにしても、大学生が小学生と口論になって刺したというのは、これは、いかなることなのであろうか。それも、監視カメラのケーブルは切断していたり、教室のドアに鍵をかけたり、包丁を事前に用意していたようだ。そうしたことは、それなりに「計画的」に考えることができるのだ。しかしながら、やったことは、小学生を刺したということである。そして、その理由は口論になったから(?)というのは、これはもうどう考えていいのかわからん。しかもだ。これは精神者異常者だったとか、脳に病理があったとかにもならないのではないか。かといって、「社会が悪い」となると、これはもうこうしたことが起こる社会というのは、そうとう末期的だと思うが、さすがに、この世の中はそこまではいっていないなとも思うし。では、なぜこうしたことが起こるのだろうか。

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December 05, 2005

Googlezon

 ネット界では、だいぶ前からよく知られていたことであるけれど、2007年にアマゾンコムとgoogleが合体してgooglezonというのができるというメディアの近未来を予測する架空ドキュメンタリーがネットにある。日本語字幕もあるので、関心のある方はぜひご覧になって欲しい。これは単なる予測ではなく、かなり実現性のあるメディアの未来だと思う。「ニューヨークタイムズは、エリート層と高齢者向けに紙媒体のみを提供するようになる。」というのは紙の新聞の未来について、これはもうそうなるなと思わざるを得えない。

 ただし、だ。これは英語圏の話であって、日本の場合は、日本語というカプセルというかバリアがあるため、アメリカで今始まっているメディアの「進化型パーソナライズ情報構築網(EPIC)」の変化への流れに参加することができないであろう。

 しかしながら、Gooleとアマゾンコムがそうであったように、(ソフトバンクやライブドアとかも、似たようなものをやるだろうけど)Googlezonが日本にGooglezon日本版を作り、学生やフリーターがこれに参加する形で日本のメディアは大きく変化するのではないだろうか。20世紀に生まれ発展したテレビとマスコミの時代は、どうやら終わりつつある。

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