『レディ・ジョーカー』を見て読む
少し前のことになるが、映画『レディジョーカー』がいいというので、近所のTSUTAYAで借りて見てみた。小説の映画化作品なので、話の内容がいまひとつよくわからない部分が多かったが、それでもシリアスな緊張感とこの社会への憤りが凝縮した映画であった。一見、社会的弱者が強者を陥れ、社会に混乱をもたらす復讐を行う物語であるかのように見えるが、実際のところ誰もが、この日本社会という(オランダのジャーナリストのK.V.Wolferenがいう)「人間を幸福にしないシステム」の中で、人としての脆さを抱えながら必死で生きているということだけなのだと思う。この犯罪には、被害者も加害者もない。そして犯行が成功した後も、社会の矛盾への憤りは解消されることもないという物語だった。
出演している役者が、岸辺一徳さんや國村隼、大杉漣、吹越満、長塚京三といい役者がそろっていて、渡哲也も吉川晃司もいい演技しているじゃあないですか。というわけで、コレハ原作を読まなくてはならないと思い、高村薫の原作本を買ってきて読んだ。分厚い上下2巻で、しかもページは上下2段になっていて、かなりの長編小説であるが、電車の中などで読み続け、つい先日読み終わった。映画の方もレンタルで何度も借りるのは面倒になってきて、とうとう渋谷のHMVでDVDを買ってきて真夜中に寝る前に少しづつ何度も繰り返し見るというハマリ度であった。
原作を読むと映画の話の展開がよくわかるようになった(あたりまえか)。確かに、映画の方は原作のかなりの部分をカットしているが、これは映画化として当然のことだ。しかし、社長誘拐事件を起こさざるえなかった各人の心情を映画は十分に表現していたかというとそうでもなかったと思う。これは映像による心情の表現は映像より小説の方が向いているということであろう。映画の脚本は良く出来ていたと思う。
最近流行の保守的な考え方では、社会的弱者とは、その人本人の自己努力と自己責任が云々という話になるが、そう言い切れるものではないということが、この小説を読むとよくわかる。保守主義の思想の根本には、簡単に言えば、人は個として自由であり、その自由意思に基づく判断をする。従って、その判断による結果はその個人が受け止めるべきである。だから世の中が悪いとか、社会が悪いとかガタガタ言うのではないという考え方がある。しかしながら、この日本社会のどこに「個としての自由」があるのかと思う。1984年に起きたグリコ・森永事件をモチーフにしたというこの物語は、日之出麦酒という麦酒メーカーの社長誘拐事件を中心にして、差別問題、警察内部、マスコミ内部、総会屋と政治家、在日朝鮮、株式市場などの闇の部分、裏の部分を克明に描いている。自分の知っている世界は、ほんの小さな一部の世界であることを知る。
警察組織の中で個であることを忘れまいとする合田刑事よりも、日之出麦酒の社長城山恭介が組織人と個人の間で葛藤する姿が良く出ていたと思う。この事件が、昭和23年の日之出麦酒神奈川工場での解雇に始まっているのならば、そんな昔の出来事の責任を取る義務はないの一言で済ますことができるかもしれない。しかし、日之出麦酒の社長であるということと、自分の姪がこの犯行事件の遠因になっていることを知り、企業人ではなく、人としてこの家族の出来事にどう対応したのか、この時のことがこの企業脅迫事件を招いたのではなかったと考える。企業人でありながら、誠実さと内省さとを持った城山を長塚京三が演じていたのはいいキャステングだったと思う。長塚京三は、この映画と同じ監督の『ザ・中学教師』でもいい役者だった。城山恭介の内省さが、このどこまでも重く暗い物語の中での救いだった。
50年前、日之出麦酒を解雇された物井清二の無念さとその背後にある貧困と差別の問題は、かつての時代ならば社会主義者が世に主張していたであろう。だが、今の平成日本では、社会主義イデオロギーはもはや社会的勢力とはなりえない。しかしながら、いわゆる社会の矛盾というものは、今日に至るまでなんら解決していない。ならば、今の時代は誰がそれを世に主張するのであろうか。もちろん、社会の矛盾は解決することはない。しかし、この社会には矛盾があるということすら、もう誰も言わなくなったではないか。言うことすらムダだというのであろうか。矛盾を矛盾だと感じ、その矛盾の中で生きているという自覚と怒りと哀しみを持つということすら、今の時代は必要ないというのであろうか。
しかし、小説『レディジョーカー』がかなり売れたことを考えると、そうでもないということがわかる。映画を見て、小説を読み終わった今、重い気持ちの中でそう考える。
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この記事との連想で共謀罪に反対する記事をトラックバックさせていただきました。復讐や解雇の問題、差別、貧困などが気になった物ですから。もしお気に障りましたら削除してください。
Posted by: アッテンボロー | October 17, 2005 04:10 PM
アッテンボローさん、トラックバックありがとうございました。
社会からどんどん寛容性や多様性が失われていっているように思います。60年代や70年代の方がまだ自由だったというところもいくつかあるのではないでしょうか。1995年のオウム真理教事件への対応が、この歪な管理社会の始まりだったと思います。
Posted by: 真魚 | October 18, 2005 12:13 AM
はじめまして。
ヒョンなことからそちら様のブログを知り、一ファンになりました。
「レディージョーカー」も完成された小説ですが、「照柿」もよかったら読んで見てくださいませ。現代の「罪と罰」と評されるような純度の高い小説です。合田刑事が格好良いですヨ。
Posted by: 花ふぶき・てんちょう | October 22, 2005 04:35 PM
てんちょうさん、はじめまして。
明日の日曜日はひさしぶりに休日がとれましたので「照柿」を買って読んでみようと思います。「照柿」にも合田刑事が出るようですね。映画「レディージョーカー」の徳重聡のイメージが強いです。ああした人なのかなと思います。
拙ブログをこれからもよろしくお願い致します。
Posted by: 真魚 | October 23, 2005 01:36 AM