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October 06, 2005

ようするに憲法なんてどうでもいいのであろう

 靖国参拝が合憲か違憲かという論議は別として、少なくとも大阪高裁判決という我が国の司法機関が「違憲である」と決定したことに対して、総理大臣たる者が「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。」と開き直るのを見て、この国の政府は、つまりは憲法というものをあまり重く捉えていないということがよくわかる。

 以前も書いたことであるが、この国の政治家は憲法はどうでもいいものだと思っている。自衛隊について考えていくと、そのことがよくわかる。だから、憲法改正してなにをどうこうという話を聴いても、そもそも憲法を遵守しようというつもりも意識もないのに、この人たちは何を言っているのだろうかと思う。もはや覚えている人は少ないであろう非核三原則にしても、一連の金融問題処理にしても、イラク派兵にしても、この国は何でもかんでも超法規的処置なのである。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

真魚さん、今日はこちらでコンニチワ。

あのー、怒られるかもしれないのですが、私も:

>つまりは憲法というものをあまり重く捉えていない<

そうなんです。憲法なんてなくても良いとすら考える、廃憲派と言っても間違えでは無いです。いや正しく言えば「重く捉えていない」のではなくて、重く扱われるべきであるからこそ、英国式不文法にした方が健全だと言うことです。

だいたい法律全般が嫌いなんです。いや、もちろん守って生活していますよ、きっちりと。だからこそ、なのかもしれませんが、法律なんて本来“必要悪”ではないですか?だいたい時と共に増える一方のこの法律。なんとかならないのでしょうか。息苦しい。法律的にも「小さい国家」になりたい・・・

私は日本は本来オトナの国であるべきだと思います。だとするならば、「心」を説明する必要は無い、はずで。

真魚さんの上げられたこのケースの問題は、イマドキの司法が、果たしてprincipleをその心に抱いているのかどうか。ただ「字面解釈」に陥っていないか。そこにあるのではないでしょうか。

そういう意味で、やっぱりprincipleを文字にしてしまうとそこが見えないのでナンセンス、と言う結論です。

Posted by: kaku | October 06, 2005 at 11:00 AM

こんにちは。

明らかに頽廃してますよね。
こうなった原因って、やっぱり戦後60年間の日本人と憲法との特殊な関係のせいなんじゃないかと思うんです。

例えば、法学部なんかで私が憲法の講義で最初に習ったのは、「憲法判断回避の準則」ってやつでした。つまり、訴訟において、司法がいかにして憲法判断を回避するかというのが、堂々たる学者の研究対象になってたんですね。「なんじゃこりゃ??」って思いました。

他の法律学と比べても、憲法学だけ非常に特殊でした。憲法学だけは、社会科学ではなく神学みたいでした。そういえば、憲法を大本にすえている刑事訴訟法も、日本の刑事実務では、ひどい扱いなんですよね。憲法と刑事訴訟法は、いかに誤魔化すかというのが実務家の技術だったように思います。無理な解釈を60年続けてきたことで、法意識が腐ってしまったんじゃないでしょうか。

そういう意味で、私は、通常の改憲論者とはまったく別の文脈で、憲法は最初から作り直したほうがいいと考えています。この作業を経ることで、日本人は法意識を養えるのではないかと思います。

Posted by: オッカム | October 06, 2005 at 09:25 PM

kakuさん

法律は少ないほど良いのはそうですね。ユダヤ教は十戒しかないではないですか。10個ありゃあ十分なのかもしれません。

今回の大阪の裁判所の判決については、いつも司法は判断保留にするのにめずらしくスパッと判断したなと思います。

公の秩序を維持するのが法律と法に基づく国家権力つまり警察力によるものなのか、それとも人々の「オトナ」の判断によって維持されるものなのかということだと思います。オトナの国であるべきというのはそうなのですが、最初からオトナである人はいません。つまり、ワカイモンにコマゴマと説教するオトナの存在が必要だと思います。世代間のコミニュケーションや教育が必要ですね。不文法は不文法であるが故に、成文法以上に人々の間で対話があると思うのですよ。

Posted by: 真魚 | October 07, 2005 at 02:07 AM

オッカムさん、こんにちわ

その「戦後60年間の日本人と憲法との特殊な関係」ですが、アメリカの対日占領政策で言えば、初期のGHQは、ニューディール政策ではできなかった程の超リベラルな社会政策を日本でやろうとして、日本国憲法もそのひとつだったのではと思います。ところが、その後、米ソ冷戦が進み、日本を反共の砦にしようということで対日占領政策は大きく転換します。この転換のゆがみが、結果的に日本人と憲法の関係を歪なものにしてしまったのではないかと思います。

Posted by: 真魚 | October 07, 2005 at 02:09 AM

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一つ前のエントリ「憲法9条と前文の命運は前首相・森氏の手中に?」と関連する話かもしれない。「圧勝・自民党」の、司法に対する言動のことだ。 大阪高裁が先月末、首相による靖国神社参拝を「政教分離を定めた憲法の禁止する宗教的活動に当たる」として、憲法違反であるとの判断を示した。これに対し、首相や官房長官は「憲法違反だとは思わない」という見解を繰り返し述べている。首相はしかも、判決当日の9月30日、国会で「憲法違反でないとの判決も出ており、裁判所で判断が分かれている」旨を答弁した。この間の経緯は各メデ... [Read More]

Tracked on October 08, 2005 at 06:44 PM

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