佐藤卓己『八月十五日の神話』を読む
佐藤卓己著『八月十五日の神話』(ちくま新書)を読んだ。日本が、ポツダム宣言を受諾したのは8月14日である。そして、連合軍への降伏文書に署名をしたのは9月2日である。つまり、太平洋戦争が終結したのは9月2日なのだ。しかしながら、今日、我々は8月15日を「終戦の日」としている。まるであたかも、この日に戦争が終わったかのように思っている。これは一体なぜなのか。本書は、この疑問に答えるものである。
ここで、終戦当時の状況を整理したい。
7月26日 トルーマン大統領がポツダム宣言を発表
8月06日 広島に原爆投下
8月08日 ソ連が日本に宣戦布告(ソ連による日ソ不可侵条約違反)
8月09日 長崎に原爆投下
8月14日 御前会議にてポツダム宣言受諾を決定
8月15日 昭和天皇による終戦の詔勅の放送
8月19日 大本営より内地(日本国内)部隊への全面的な戦闘停止命令
8月22日 大本営より外地(日本国外)部隊への全面的な戦闘停止命令
9月02日 降伏文書調印
9月05日 ソ連軍、北方四島を占領
つまり、上記を見てもわかるように、8月15日は天皇の玉音放送があったということだけで、連合国へのポツダム宣言受諾の通知は、その前日の14日である。それも「ポツダム宣言受諾した」という通知だけであって、実質的に日本の降伏が決定するのは、9月2日の東京湾の米戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印である。連合国の多くは、9月2日を対日戦勝記念日としている。太平洋戦争の終結は、常識的に考えて、日本国が降伏文書の調印した9月2日なのである。しかしながら、戦後の日本では、終戦の日を9月2日と思う人は数少ない、やはり8月15日になる。
この8月15日を、終戦の日であると戦後日本人の意識の中に植えつけたのはメディアであった。戦後日本は、8月15日に意味を持たせることで、9月2日を直視することを意図的に避けてきた。本書では、まず8月15日の玉音放送の放送後の報道写真のほとんどが、偽装された写真である可能性が高いことを立証し、戦後の日本人の記憶がメディアによって創られたことを指摘する。さらに、講和条約が発効する1952年から、新聞が8月15日を「終戦の日」というイメージの定着を本格化させた。この時期から、新聞紙上には「降伏」や「敗戦」という言葉はなくなり、「終戦」という言葉が多く使われるようになったという。
8月15日は、盂蘭盆会の時期であった。つまり、終戦と戦没者慰霊をひとつにして捉えるようにメディアが創作したのである。ここで重要なことは、9月2日の東京湾の米戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印式は報道されていないということだ。大多数の国民にとって、体験としての戦争の終わりは、8月15日の天皇の玉音放送であった。佐藤氏はこれをこう書いてる。
「「放送された玉音」と「放送されなかったミズーリ調印」の違いは無視できない。玉音放送が伝えた「終戦」は、公式文章の「降伏」を国民体験の記憶で覆い隠してしまった。」
すなわち、戦後の日本は、戦争を国民の体験にある「出来事」として扱ってきたのである。だからこそ、戦没者への慰霊と戦争の終わりを一緒にする必要があった。戦後の日本人は、あれは敗戦や降伏ではなく終戦だったのだと思いたかった。日本政府もそう思いたかった。メディアは、その国民感情と政府の意思を巧みすくいあげ、8月15日を終戦日とすることは、あたかも事実であるかのようにすることに成功した。日本人にとって、終戦の日とは、お盆の伝統的行事のひとつになったのである。靖国神社でも、8月15日はただの日であって、英霊の慰霊は春と秋の例祭と7月の御霊祭りである。それが特別な日になるのは、1963年に閣議決定された「全国戦没者追悼式」要項に基づく。8月15日が終戦記念日と公式になるのは、ここから始まる。それは「玉音の記憶」に基づく戦没者の追悼であった。
では、「玉音の記憶」を持っていない世代は、戦争をどう受け止めたらよいのか。
本書を読んで思ったことは、最近の8月15日をめぐる騒動の根本的原因はここにあると思った。つまり、戦後の日本が、あの戦争をこうして曖昧にしてきたから、60年後の今日、これほどモメているのである。8月15日を「戦争の終わり」として、他はいっさい顧みないということは、佐藤氏も本書に書いているが、これは「あまりにも自国中心主義に凝り固まっている」歴史意識であろう。8月15日を終戦の日とすることは、9月2日に日本は敗戦したという事実には眼を向けないということである。そして、戦後もまた天皇の国体は維持されたということを示すものである。ここに戦後の保守も進歩派も、メディアによる8月15日の神話の創作を認めてきた理由がある。
しかしながら、それはもはや時代遅れだ。60年たった今でも日本人は敗戦の事実に眼を背け、「玉音放送の記憶」を持つ世代たちだけで、閉ざされたメディア空間を形成し、共同幻想のカプセルの中に入っていると言わざるを得ない。
我々は、あの戦争の記憶の伝承を体験者の体験に基づいて理解しようとしている。あの戦争を、個人の体験や経験から一歩離れた、客観的、普遍的に考えることをしない。戦後日本が選択した方法は、このような民族の共同体の記憶としての「戦争」であった。だからこそ、天皇による終戦の詔勅が放送された8月15日を「戦争の終わり」としてきた。しかしながら、今の若い世代は、前の世代が常識としていた世代間の継承というものが通用しなくなっている。
戦争の記憶の風化が叫ばれて久しい。しかし、メディアは、本気で若い世代に戦争を伝えようとしているのだろうか。「あの日は暑かった」では、若い世代には通じないであろう。「玉音放送の記憶」を持つ戦中派たちが「体験」としてあの戦争を留め、自分たちの世代の記憶として戦争は終わりにしたいという願いがあったからこそ、9月2日の敗戦ではなく、8月15日の終戦にしてきたのではないか。しかしながら、佐藤氏も書いているように、戦争とは、戦中派の世代が「体験」として特権的に語るべきものではない。むしろ、戦後に生まれた私たちが、その体験から考えていくべきものなのである。
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Comments
私も読みましたが、あなたほど丁寧にコメントしませんでした。ご立派です。よろしく。
Posted by: saheizi-inokori | September 04, 2005 12:03 PM