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August 06, 2005

原爆を落とす側の論理

 以前ここでも紹介した『フォッグ・オブ・ウォー』というアメリカのドキュメンタリー映画で、ケネディ・ジョンソン政権の国防長官であったロバート・マクナマラは、自分が関わった日本各地への空襲と広島・長崎への原爆投下は間違っていたと語っている。彼らは、戦争に負ければ、自分たちは戦争犯罪者になることはよくわかっていて、なおかつ原爆投下を行ったのである。

 なぜか。

 昭和19年、マーシャル群島、テニヤン島、グアム島などの日本軍守備隊が玉砕し、レイテ沖海戦で日本海軍の連合艦隊は壊滅した。日本の敗戦は、もはや決定的であった。翌、昭和20年、硫黄島で、アメリカ軍は壮絶な日本軍の抵抗を受ける。そのすさまじさは、アメリカ海兵隊の歴史の中でもっとも凄惨な闘いであった。アメリカにとって、この時期の日本軍というのは、すさまじい戦闘集団であったのである。アメリカ軍が恐れていたことは、日本本土上陸作戦は、硫黄島での闘いより、さらに壮絶なものになるだろうということであった。このために、本土上陸の前に日本人の戦意を喪失させるような圧倒的な力を示す必要があった。

 今日、アメリカ人の多くは、日本への原爆投下は多くの人々の命を救うために必要であったと理解しているが、その「多くの人々の命」とは、当然のことながら日本軍と戦うアメリカの若者たちの命であって、日本人の命ではない。戦争で戦っている相手の国の命を救いたいと思うことはないであろう。

 さらに、原爆投下のもう一つの理由として、戦後の国際社会の中でアメリカの覇権をソ連に示す必要があった。軍事力で共産主義を拡張させていくソビエトに対して、こちらも軍事力で対応する以外に方法はなく、つまりそれは相手より巨大な戦力を見せつけるということであった。その手段として、ロス・アラモスの研究所で開発された新型爆弾を、アジアの日本に使用することは、最も効果的なデモンストレーションであった。

 では、どこに落とすべきなのか。ここでアメリカ軍が考えたことは、京都と広島であった。京都が、原爆投下の最有力候補であったのである。京都は人口百万都市であり、かつ人口密集地が広がっている。また、三方が山に囲まれた盆地であり、爆風が最大の効果を発揮しうる有効な地形である。さらに原爆投下の目的は、上で述べたように、日本人の戦意喪失である。であるのならば、日本人にとっての精神的な意味を持った都市である京都に原爆を投下することは、日本人の意識に最大の心理的ダメージを与えることができる。京都は、住民の教育レベルが高く、この新型兵器の意義を正しく認識し、日本政府に影響を与えることはできると考えた。

 つまりアメリカ軍が考えたことは、民間人の地域を直接の攻撃目標にすることはできない。しかし、可能なかぎり多数の住民に深刻な心理的効果を与えるような爆撃効果を与えることが目的であるということであった。その目的に最も適した都市が、京都であり広島であった。

 京都を投下候補都市のリストから外すようトルーマン大統領に進言したのは、ヘンリー・スチムソン陸軍長官である。マンハッタン計画の企画立案者のひとりであったスチムソン陸軍長官は、京都を原爆で壊滅させると、日本人の怒りと反感を招き、戦後の日本占領政策に支障をきたすことになると提言した。日本占領政策では、日本人はアメリカに好意を持ち、感謝をするようさせる方針であった。しかしながら、グローヴズ陸軍少将は、あくまでも京都への原爆投下を主張していた。スチムソンは、何度もトルーマンに説明し力説し、やがてトルーマンもこれに同意する。かくて、京都は投下予定都市のリストからなくなった。

 ちなみに、戦後、GHQは上の事実を隠蔽し、京都は文化財保護のために空襲を免れたというイメージを日本人に与えることに成功した。僕なども、大学生の頃まで、アメリカ軍は日本の文化を「守るため」に京都・奈良を空襲しなかったと思っていたものである。そんなことは、まったくなかった。

 最終的に原爆投下候補都市のリストに残ったのは、広島、小倉、新潟、長崎である。この4都市の中で広島に決定したのは、広島は他の3つの都市と比較して捕虜収容所がなかったと判断したことであった。そして、6日、広島に原爆が投下される。

 なぜ2発目の原爆を長崎に投下したのかということについては、いまだによくわかっていない。トルーマンは、広島は「軍事基地」とのべた。だから広島に原爆を投下したのであって、決して民間人を目標としたものではないと言った。しかし、かりに広島は「軍事基地」であったとしても(広島が「軍事基地」であるわけなどないのであるが)、長崎はどう見ても「軍事基地」ではないだろう。もともと、9日の原爆投下目標都市は小倉であった。しかし、その日の小倉上空は曇り空であったため、B29は小倉への投下を諦め、長崎へ向かった。長崎の空も曇りであったという。ただ、ほんの少し雲の切れ目があった。この切れ目があったために、原爆投下は実行された。この長崎への原爆投下について、納得できる説明をアメリカ政府が述べた記録は、60年たった今日に至るもない。

 以上は、原爆を落とす側の論理である。ここあるのは、勝つためには、民間人をどれだけ殺戮してもかまわないという戦争の論理である。マクナマラが証言しているように、アメリカは、これが戦争犯罪行為であることを知って行った。例えば、フィリピンでの日本軍が行った捕虜虐待行為であった、いわゆる「パターン死の行進」は、これが戦争犯罪であると日本軍は知っていて行ったわけではない(知らなかったから、良いというわけではない)。しかしながら、原爆投下は日本の民間人虐殺であることを知っていて行ったのである。その目的は、いかに日本本土上陸作戦をすみやかに遂行するか、そして、いかに戦後の日本占領政策をすみやかに実行していくかであった。そのための広島への原爆投下であり、京都に原爆を投下しなかった。

 しかしながら、上のようなことをいくら知ろうとも、なぜ広島に原爆が投下されたのか、それがまったくわからない。彼らは、なぜ死ななくてはならかったのか。彼らは、その生を暴力により終わらされてしまった。そして、この「原爆を落とす側の論理」は、その後、戦後60年間、絶えることなく続いている。これが、今、ここにある現実だ。

 この理不尽さと不条理を噛みしめながら、僕は死者の声に耳をすます。

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Comments

原爆に関しては考えるべき課題は多いのですが、今回は少し変わった視点から論じてみました。この記事にTBした「 広島、長崎の教訓:ユーラシア的視点を持て! from グローバル・アメリカン政論」について、閲覧者の方々からも意見を寄せていただけると幸いです。

こちらの記事にあるようば原爆投下の決断を下すまでの過程をはじめ、本当にこの問題から得られるべき教訓は多いです。

Posted by: 舎 亜歴 | August 07, 2005 at 01:26 PM

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