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August 2005

August 26, 2005

マニフェストを読もう

 「マニフェスト」というコトバがある。あることを知ったのは、1年ぐらい前のことである。最初、「マニフェスト」って何だろうと思った。そこで調べてみると、「選挙公約」のことであった。であるのならばイタリア語っぽい「マニフェスト」というコトバをなぜ使うのか。日本語で「選挙公約」でいいじゃあないかと思ったが、とりあえず「マニフェスト」について考えてみたい。

 自民党は、今回の選挙において、そもそもなにについて、どう主張しているのであろうか。新聞やテレビの選挙報道ではよくわからないことが多い。そこでとにかく、まず自民党のホームページをじっくり読んでみようと思った。ようするに、そもそも、各政党は何を言っているのか。これが選挙における基本中の基本であろう。それでは、もっかの政権政党である自民党(正確には公明党とペアになって政権政党になれたわけであるが、ここでは公明党の存在はとりあえず外す)は、どのようなマニフェストを挙げているのであろうか。

 自民党のホームページを見て、まず目についたのは「政府税調のサラリーマン増税ありきを「許さない!」」というものだ。許すもなにも、あんたんとこの政府の税調でしょうと思うが。とにかく「武部幹事長 政府税調を強く批判」と書いてある。しかし、では、実際の税制をどうするのかということについては、「本格スタートは秋以降」だそうだ。ようするに、何も考えていないということなのだ。実質的な税制の内容をなにも考えていないで、なぜ政府税調を批判できるのか。つまりは、選挙対策だなということがよくわかるのである。

 「自民党からの120の約束」について言えば、従来から言われているような項目ばかりで、まーこれ全部やるのならそりゃ結構なことですねとしか言いようがない。しかしながら、「小さな政府」を標榜しながら、あれもこれも自民党はやるというのはなんだかなあと思う。

 郵政民営化について「早わかり郵政民営化」を読んでも、全然、なぜ今郵政改革なのかわからない。もちろん、郵政それ自体に数多くの問題があることはわかる。それを改革しようというのは、まことに結構なことである。しかしながら、今のこの国において、なぜ郵政の民営化がこれほど優先されなくてはならないのか。そこの部分の説明がないのである。本来、どうであるべきか。今、我が国の直面する課題は、コレとコレとコレである、その中でまずコレをこうやり、次にアレをこうやり、最終的にはこの国はこうなりますという説明が必要であろう。そうしたものがないということは、大局的ビジョンも戦略もないということだ。小泉純一郎氏個人が課題としてきた郵政の民営化をやりたいとしか見えない。

 ある意味において、衆議院選挙をここまで私的に利用する小泉純一郎という人物はタダモノではないとも言える。今回の選挙の争点が、もし郵政の民営化であるのならば、選挙民に問われていることは、郵政の民営化を支持しますか、しませんか、ではなく、今の日本国にとっての優先的かつ緊急的な課題とは、郵政の民営化だと思いますか、思いませんか、ということであろう。

 国民からすれば、ある時突然ふって湧いてきたような「郵政民営化」について、お前はこれを支持するのか、しないのかと選挙をふっかけられたようになってしまった。そしてなんだかよくわからないまま、投票日はやってくる。新聞を読んでも、テレビを見てもよくわからない。誰のための総選挙なのか。僕たち国民のための総選挙であるはずだ。だからこそ、マニフェストを読んでみよう。僕たちと、政治家の接点は文章であり言葉なのである。マニフェストについて、自分はどう考えるか。賛成か、反対か。選挙は、ここから始まる。

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August 22, 2005

ブッシュ政権必読の書って一体・・・

 論友マイク・ロスのブログで、Natan Sharanskyの"The Case For Democracy"の日本語訳本が出たことを知った。そもそも、この本の存在を知ったのもマイクのブログでの紹介からである。その後、別のルートでも、ブッシュ大統領がこの本から大いに影響を受けていて、今のブッシュ政権では必読本になっているということを知った。そこで、あーそうか、そうなのか、じゃあ、なにが書いてあるかと思いアマゾンで注文をした。届いてみて、少し読んでみたのであるが、なんか何を言っているのかよくわからない。ようするに「すべての人は自由を求めている」と書いてあるのだが、そのために、アメリカ合衆国がなにゆえ世界に民主主義を広めなくてはならないのか、そのあたりが読んでいてさっぱりわからず。これはもう、おそらく自分の英語力がないため、よく理解できないのであろうとして、そのままほっぽいておいた。

 今回、日本語版が出たということで、今度はなにが書いてあるのか理解できるでろうと思い、さっそく買って読んでみた。読んでみたのであるが、やはり、なにゆえそうなるのかよくわからなかった。

 なにが、そうなるのかというと、本書ではこう書いている。

"I am convinced that all peoples desire to be free. I am convinced that freedom anywhere will make the world safer everywhere. And I am convinced that democratic nations, led by the United States, have a critical role to play in expanding freedom around the globe."

「私はすべての人は自由を求めていると信じる。世界のどの場所であっても、自由はすべての場所をより安全なものにすると確信している。そして、アメリカに導かれた民主国家は自由を世界に広めるために重要な役割を果たすべきだと私は信じている。」

 しかしながら、ではなぜアメリカが世界に民主主義を広げる義務があるのか、そこのところがよくわからない。シャランスキーは、それは自明の当然のことのように書いているが、アメリカにだって、国内問題やその他やるべき問題は山のようにあって、他国の独裁政権を倒すために自国の若者が死ななくてはならない理由がどこにあるのだろうか。シャランスキーは、テロをなくし、世界を安定させるためには、世界から独裁国家、非民主主義社会をなくさなければならない。今日の世界で、そうした独裁国家、非民主主義社会が残存しているのは、アメリカのこれまで外交政策が「デタント」という独裁政権の存続を認め、その独裁者と関係を結んでいこうという曖昧な外交政策を行ってきたからであると述べている。

 アメリカが世界を民主化することが、最終的にはアメリカの利益になるとシャランスキーは述べる。当然といえば当然であろう。それができるのならば、なんの苦労もない。しかしながら、それを実際にやるとなると話は別である。そもそも、今現在のアメリカに、それが可能なのであろうか。それが出来る程の巨大なパワーを持っているのかどうか考えなくてはならない。デタントを批判するシャランスキーとしては、世界が核戦争に巻き込まれようとも、ソ連を軍事的に叩くべきであったと言っているのであろう。核の冬になってしまえば、自由もなにもなくなると思うのであるが、そのへんの想像力がシャランスキーにないようである。

 世界の人々は自由を求めるという。もちろん、そうだ。だからこそ北ベトナムは、アメリカの介入を必要とせず、アメリカの傀儡政権の南ベトナムを解放したのである。それでは、ベトナムでのアメリカの介入は、一体なんであったのか。ベトナムで死んでいったあの若者たちはなんであったのか。その教訓は忘れるべきではない。そのことをシャランスキーは考えたことがあるのだろうか。むしろ、不必要な海外介入は、アメリカの国力を低下させ、衰退させることになるであろう。

 本書でいう「自由」という言葉にも違和感があった、自由というが、では、今のアメリカは自由な社会なのであろうか。国家による国民の管理と監視がテロ対策の名のもとに当然のように行われる社会に、自由という概念はどう関わるのであろうか。そうしたことについて、シャランスキーは書いていない。

 実際のところ、この本を必読書にしているというブッシュ政権でさえ、北朝鮮に対して軍事行動をとる様子はない。中国が民主主義の社会であるかどうかは、誰でも知っていることであるが、だからといって、軍隊を送り、すぐさまチベットの独立を援助しようとはアメリカは考えていない。アメリカは万能ではなく、世の中にはできることと、できないことがあるというのは、なんと共和党政権でさえよくわかっているようだ。

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August 21, 2005

『ザ・ホワイトハウス(The West Wing)』

 ここ数日間、ブログの記事を更新していないので、さぞや日々の仕事がたいへんで書く時間をとれないのであろうと思って頂いていたかもしれない。

 ところがそうではなくて(いえ、もちろん、それなりに仕事はしていましたけど)、実は最近DVDで出たアメリカのTV番組の「ザ・ホワイトハウス」ファーストシーズンを見ていた。夜自宅へ帰ったらパソコンには向かわずに、DVDプレイヤーにつながっているディスプレイの前に座って、毎晩少しずつ見てきたのであった。実は、この番組についてさほど知らなかったのだ。この番組のことは、良質の政治ドラマで、民主党支持のマーティン・シーンが大統領を演じていることぐらいしか知らなかった。一度も見たことはなかった。なんかまあ、そういうドラマがNHKでやっているということぐらいしか関心がなかったのだ。これまでホワイトハウスを舞台にした連続ドラマ番組は何本かあったが、ドラマとしてはおもしろかったが、それほどのインパクトを受けることはなかった。だから、この『ザ・ホワイトハウス』も、そうしたこれまでのお決まりのホワイトハウス内幕もので、それに恋愛とスキャンダルがからむような、よくあるドラマなのであろうと思っていた。

 ところが、とにかく評判が高いので、この番組について少し調べてみた。そうすると、なんかもうすごく良さそう。なるほど、これはもしかしたら見るべきドラマなのかもと思い、さっそくDVDを買おうとしたら、いつも行く渋谷のHMVにもなく、新宿のHMVにも置いていない(売り切れか?)。そこで最後の頼みの綱とも言うべき秋葉原の石丸電気へ行ってみた。すると、棚に1個あるではないか。売り場へ持っていくと、店頭のこれが最後の1個であったようだ。やはり、これは売れているのではないか。

 というわけで見てみた。見てみたら、これはものすごくいいドラマであった。話の展開が、従来のドラマとは異なり「ER」のように複数の話が同時進行していて、台詞も大量の言葉をワンシーンで言っていて、いかにも「現場」といった感じがしまくりで。これこそ、自分が求めていたアメリカ政治ドラマではないかと思った。製作総指揮兼脚本のアーロン・ソーキンもインタビューで答えていたが、医者や弁護士やジャーナリストものドラマは多いが、こうしたホワイトハウスでに大統領とその側近たちのドラマはこれまでなかったと思う。この番組は、エミー賞の作品賞を4年連続で受賞し、アメリカのテレビ界で絶賛された番組である。

 話は、大統領とその側近たちの日々の仕事、ほとんどそれだけを描いている。副大統領は少ししか出てこないし、そもそも大統領とは対立している。国務長官は出てこない。国防長官はちらりと出ているようなのであるが、どこにいたのかわからん。それほど扱いが低い。つまり、この物語は、大統領とその側近たち(だけ)の物語なのである。選挙では、候補者とスタッフたちがひとつのチームになっていることは知っていたが、大統領になった後でも、まあ、こういうもんなんだろうなと思った。このドラマはクリントン政権をモデルにしているそうだ。それにしても、外交担当のスタッフはいなくてもいいのか。

 このドラマが良質なヒューマンドラマであるのは、政治と理念を扱っているからであると思う。一般的に、政治とは利益誘導であり、カネ次第であり、嘘つきであるというイメージがある。これは、世の東西を問わず、どこも同じだ。そして、実際の政治もまた多かれ少なかれそうしたものである。しかしながら、このドラマでは現実は現実として踏まえながら、民主党のジェド・バートレット大統領とその側近たちは、それでも理想や理念を目指していこうという態度を貫いている。このスタイルは、60年代のJFKの政治スタイルそのものであり、まっとうなリベラリズムの姿そのものである。

 このドラマの中での、銃規制や最高裁判事の指名、死刑制度や人種問題、麻薬問題などに対する大統領と側近たちの対応と苦悩はリベラルそのものである。ちなみに、当然ながらアーロン・ソーキンはリベラルである。いわば、リベラルがこうであってほしいと考える大統領とその側近たちの姿がこの連続ドラマなのである。FOX-Newsを見て溜飲を下げる共和党支持者たちは、この良質な連続政治ドラマを見て感動することはないであろう。

 僕は、次のようにアメリカ政治を捉えている。アメリカ政治とは、現実はこうであり、これはやむを得ない、しかし、その一方で我々が信じる理想や理念が歴然とあって、それと現実はこのように離れているということを自覚している。そして現実を認めつつ、それでもなおかつ理想に向かって進もうとする態度があると理解している。この理解は、極めて民主党的、リベラル的な政治理解であり、保守主義者や共和党はこう考えないであろう。しかしながら、僕がアメリカ政治に関心をもったのは、上記の理解をしているからである。そんなものは、共和党が二期連続で大統領になった今のアメリカでは少数派の意見であるのかもしれないが、アーロン・ソーキンは今のアメリカでそうしたまっとうなリベラルの政治スタイルをドラマ化してくれたことを高く評価したい。

 とまあ、とにかく『ザ・ホワイトハウス』は絶賛したい。これは最高の政治ドラマである。で、これ以上書いていくと、ブッシュ政権と共和党はいかに間違っているか延々と書いていきそうなので、ここでやめることにする。

So, Mike, Did you see TV drama "The West Wing"?

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August 15, 2005

もうひとつの靖国神社

 靖国神社と言えば、僕たちは「英霊」を祀る場所であると思う。そこは国家神道の場であり、国家と宗教が一体化したイデオロギーの場所であるというイメージがある。そして、毎年8月15日が近づくと閣僚の公式参拝が論じられ、中国や韓国からの糾弾の声がわき上がる。8月15日当日の靖国神社は、どこから集まってきたのかと思うほど数多くの右翼のお兄さんの方々と、それを取り巻くように監視するこれまた数多くの機動隊のお兄さん方でごった返す。まこと、靖国神社をめぐる物事は、ややこしく騒がしい。

 しかしこれだけは確かなことだろう、保守派の方々も、サヨクの方々も、そして僕たちみんな、靖国神社を国家と天皇のために戦死した戦死者をカミとして顕彰する神社であると考えている。それは、靖国神社が創建以来、明治、大正、昭和と変わらないものであったと考えている。そこから、靖国神社をめぐる様々な物事が始まっていると言ってもいい。

 でも、本当にそうであったのだろうか。これまで僕も、靖国神社は国家神道のイデオロギーの場だと思っていた。しかしながら、坪内祐三『靖国』(新潮文庫)を読むことにより、それが間違いであることを知った。本書では、このように書いてある。

「明治から大正、そして昭和にかけて、「天皇」という、きわめて多面的な意味を持つ「機能」が、ある種の人々によって利用されて行くにつれ、靖国神社も、その初期から少なくとも明治末年ぐらいまで持っていた、様々な可能性、空間としての可能性が狭まれて行ったのである。そして、それは、現在にまで至っている。今、靖国神社を問題にする人は、賛否両陣営共に、イデオロギー的なことしか問題にしない。」

 つまり、イデオロギー的観点以外の靖国神社があった(し、今でもあるはずだ)ということだ。例えば、明治の頃、靖国神社では、しばしば来日してきた外国のサーカス団の興行があったなどということは、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論』(幻冬舎)にも書いていなかったし、高橋哲哉の『靖国問題』(ちくま新書)にも書いていなかった。サーカスなどというお遊びが靖国神社で行われていたことなど、保守にしてもサヨクにしても「あってはならないこと」なのであろう。しかし実際のところ、靖国神社は軍国主義のイデオロギーから落ちこぼれた少年たちにとっての楽しい遊び場だったのである。

 明治2年、東京招魂社(後に靖国神社と改名)は九段に創建された。この地を選んだのは、倒幕戦での官軍の指揮官であった大村益次郎である。戊辰戦争での戦死者を祀る施設として作られた東京招魂社は、もともと上野が候補地であったという。しかし、上野は官軍と彰義隊が戦った場所であり、いわば「賊軍」の魂がさまよう場であった。こんな邪霊を祀るわけにはいけないということで、上野は候補地からはずされる。そして、火除地であり、旗本や寄合衆等の騎射場であった場所に創建することとした。この場所なら、因縁や地霊があるわけでもなく、つまり、これから人工的に霊的な施設を作るには最適の場所であった。古代から連綿と続く天皇制の聖地のようなイメージのある靖国神社は、江戸の武士たちの訓練場だったのである。

 大村がこの地を選んだもうひとつの理由は、もともと山の手と下町に分かれていた江戸を、九段坂上を中心にして、その双方の地域を統合した「東京」という新しい都市に生まれ変わらせるためであった。本書の中でも書かれているが、神保町から靖国通りを九段方向へ歩いていくと、九段とは高台にあることがよくわかる。目の前の九段の(坂の上の)その向こうは(見えるわけではないが)山の手であり、さらにその向こうに皇居がある。振り返れば、(坂の下の)神保町の向こうは(見えるわけではないが)神田があり、浅草がある。つまり、下町が広がっているのである。

 明治5年、灯明台ができる。もととも神社の燈台は、今日の灯台の役割を果たし、洋上の船にとって目印になっていた。それまで江戸(東京)湾の漁師たちの目印は、神田明神の燈台であった。以後、東京招魂社の灯明台が、房総沖から日本橋の魚河岸へ向かう漁師たちの目印になったという。この灯明台は今でも残っているが、和洋折衷のハイカラなデザインであった。この頃から、それまで訪れる人は山口(長州)や鹿児島(薩摩)の人ぐらいだった閑散としていた神社が、いちやく有名な場所になったという。なんと、信じがたいことに、ここで競馬や運動会が開かれたこともあったのだ。サーカスがよく行われていたことは先に述べた。明治26年、東京に最初に登場した大銅像である大村益次郎の像ができると、靖国神社は東京名所にひとつになった。奉納相撲もよく行われていたという。日露戦争の後などは、九段下に日本軍の活躍をパノラマで展示する巨大な見せ物施設ができ、たいへん好評だったという。つまり、靖国神社はにぎやかな見せ物空間でもあり、民衆の遊興の場であったのだ。今日の靖国神社のイメージからは、とうてい想像できない光景が実際の靖国神社にはあった。

 初期の遊就館の設計は、お雇い外国人であったイタリア人美術家ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・カペレッティである。この建築は、後の大正12年の関東大震災で大破し撤去されてしまったが、鹿鳴館以上の欧風文化の建築であったという。これは何度も強調したいことであるが、今の靖国神社は、やたら古風な純日本的な神社の装いをしているが、そもそも靖国神社は、このように欧化の雰囲気が満載したモダニズムの場所でもあった。神道という宗教とモダニズムが奇妙にマッチしているのが明治時代であった。本来、カミがいる聖なる場である神社の内部は、物産会と博覧会と博物館と美術館と見せ物小屋で連日賑わう、自由でモダンでハイカラでアナーキーでアジールな空間であったのだ。神官ですら、初期の東京招魂社には置かれていなかった。神官が置かれたのは、西南戦争以後の明治12年からである。それまでは、儀式は陸海軍の将官がやっていた。

 ここで、靖国神社への公式参拝について考えたい。本書では、以下のように論じている。

 そもそも、戦後の靖国神社への総理の公式参拝は、昭和26年の吉田総理から始まり、佐藤栄作、田中角栄も参拝している。ただし、彼らは8月15日に参拝したわけではない。なぜならば、8月15日というのは靖国神社にとっては特別な日ではないからだ。8月は年中行事がある月ではない。夏の行事は、7月のみたままつりぐらいである。靖国神社の御霊を慰霊する祭りは、春と秋の大祭と月に三回行われる月次(つきなみ)祭しかない。だからこそ、吉田総理も佐藤総理も田中総理も、春と秋の大祭の方に公式参拝していた。

 そうした慣習であったのに対して、あえて8月15日に参拝をしたのは、昭和50年の三木総理である。しかし、さすがに8月15日に参拝するのは、憲法にひっかかると思ったのか、「私人」としての参拝だとしていた。以後、総理の「私人」としての8月15日参拝が続く。では「公人」として8月15日に公式参拝をしたのは誰かというと、昭和60年の中曽根総理である。「公人」として参拝する、しかし憲法違反にならないように、中曽根総理は神社側に「手水は使わない」「祓いは受けない」「二礼二拍手はしない」と伝えた。しかも、拝殿の中での移動にも、両側にボディガードを連れていた。この無礼さには、靖国神社側は怒る。そして、この時期から中国と韓国からの靖国神社参拝への糾弾が始まるのである。

 上記のことは、先日ここで書いた戦後のメディアが8月15日を「終戦の日」と定めたこととも関連する。つまり、戦後日本では「靖国神社」と「8月15日」がひとつになることにより、大東亜戦争を「慰霊」や「鎮魂」のスタンスでしか捉えないようになり、靖国神社は大東亜戦争での戦死者しか扱っていないかのようなイメージが確立してしまった。

 そもそも、靖国神社は東京招魂社以来、幕末の戊辰戦争の戦死者から祀られている場であって、大東亜戦争での戦死者だけの場ではない。しかし、8月15日に参拝するとなると、必然的に大東亜戦争での戦死者への慰霊になってしまう。だが、本来の春秋の大祭への参拝に戻れば、大東亜戦争での戦死者だけではなく、幕末・明治維新、西南戦争などでの戦死者への慰霊という意味にもなる。こうなると、中国と韓国からの非難は成り立たなくなるであろう。

 本書『靖国』を読み、いかに自分は過去の時代を知らなかったかということを知った。靖国神社は、政治的イデオロギーの対象だけではなく、もっと広く柔軟に見る視点があったのである。昭和36年、力道山が奉納プロレスをやっていたということすら知らなかった(そりゃ知らんよな)。見せ物空間的雰囲気は、今の靖国神社にも少し残っているように思う。

 これからの靖国神社は、東京招魂社の頃に戻るというのはどうであろうか。今の僕たちが持っている靖国神社のイメージは、ある時代以後の作られた政治的イデオロギーのイメージであって、少なくとも明治の頃の靖国神社はこうではなかった。靖国神社は、もっと自由で豊かでハイカラな場所だったのだ(平成の今の時代で、ハイカラってナニ?という気もしないでもないけど)。そうした自由な頃の靖国神社に戻ることはできないのだろうか。イデオロギーでがんじがらめに凝り固まった靖国神社を、もっと広くて柔軟で大きな枠組みで考えることができないだろうか。60年目の8月15日、僕はもうひとつの靖国神社についてそう考える。

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August 13, 2005

うわっつらだけの民営化・補足

 今週、拙ブログのアクセスカウントがものすごく急増しています。これはネットのさる場所で、拙ブログの04/08/17の記事「「年次改革要望書」というものがある」が紹介されたからです。そこでは、私の記事を紹介し、郵政の民営化はアメリカの要望であり、今回の小泉総理の郵政の民営化はアメリカからの要求に従ったものであると主張されています。拙ブログを紹介して頂いたことに感謝致しますが、その主張について、私の考えとは違うので補足します。

 私の意見は、アメリカの要求があろうがなかろうが、郵政に問題はあったわけで。民営化せよとアメリカが言おうがどうか関係はないと思います。誰が言ったっていいんです。アメリカから言われたから、どうこうということはないはずです。これをもって、内政干渉だとか、日本の主権国家が云々とか、アメリカの意思に屈する云々とか言うことは、狭い愛国心だと思います。そもそも「年次改革要望書」は、日本の郵政を民営化せよと要求していません。民間企業と同様の条件にして欲しいということを要求しています。アメリカは、今でも郵政事業は国営です。民営化すると、コストがかかりすぎるからです。アメリカは、日本の郵政を民間企業と同様の条件にして欲しいと言っているだけです。

 郵政が民営化されれば、結局、最終的には外資が乗っ取るという意見があります。私は、果たしてそうかと思います。不良債権が大量にある郵政を外資が買うだろうかと思います。むしろ、これまで日本国内の国債や地方債、公共投資等に投資されていたお金が、海外での投資にも使われるようになるわけですから、その意味では郵貯のお金が国際金融に流れます。そこで利益を上げられるかどうかということです。国際金融が、日本の郵貯をターゲットにすることは当然です。しかしそれが、イコール郵政が外資に乗っ取られるというわけではありません。

 アメリカ政府の要求であろうと、日本政府の自発的行動であろうと、グローバル化するということは、国際社会の中に出ていくということです。アメリカが要求してきたから拒否する、ではなく。誰が要求しようとしまいと、国際社会の中に出ていくことは時代の必然であると思います。しかしながら、現状ではまだまだ日本の数多くの部分は、国際社会の中でやっていくことができるようになっていません。だからこそ、それができる国になることが必要なのであると私は考えます。

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August 11, 2005

うわっつらだけの民営化

 マスコミは郵政民営化による今回の国会の解散総選挙に沸き立っているが、僕はどーも、この小泉総理がやろうとしている郵政事業の民営化なるものがよくわからない。本当に、郵政事業を民営化できるのであろうか。いや、民営化しますというのならば、そりゃあ結構なことですね、頑張ってくださいと賛成するしかないのであるが。

 まず郵便について考えてみよう。いわゆる過疎地への郵便配達業務である。窓口ネットワーク会社なる新会社が設立され、全国津々浦々、いかなる場所も従来通りの配達ができますというのは、まことに結構なことである。しかし、ホントにこれが可能なのか。採算の合わない過疎地へも配達するという、そのコストはどのように回収するつもりなのか。郵便なんて、今や年賀状かダイレクトメール等しかないのだ。どう考えても、収益を上げることができそうもない商売である。そもそも、全国津々浦々のユニバーサルサービスは、民営化にはなじまない。この民営化できそうもない事業を、あえて民営化しようというその意味はなんであるのか。閣議決定の「郵政民営化の基本方針」には「ユニバーサルサービスの維持のために必要な場合には、優遇措置を設ける。」という一文があるが、これはなにか。税金負担ってこと?

 次に郵貯について。つまり銀行業務の観点で考えてみよう。銀行業務とは、顧客からお金を借りて、そのお金を運用し、その利益を自分たちで使い、顧客に金利として払うというサービス業である。しかしながら、これまで郵貯は、運用とは国債を買うことぐらいで、本格的な運用などまったくしてこなかった。貸し出すには、それなりの審査や査定を行う専門家の組織集団でなくてはならないはずだ。これから、そうした専門職集団になるということなのだろうか。つまり、貸し出す能力、運用する能力がない郵貯が「金融業」として、今後やっていけるのだろうかということだ。

 なにしろ、240兆円ものお金を郵貯は持っているのである。このお金を運用し、世界の金融業と競争しなくてはならないのだ。大体、日本の銀行そのもののが、この運用業務において欧米の金融業とは比較にならないほど遅れている。ましてや、これまで理財局にお金を入れるか、国債を買うということしかやってこなかった郵貯が、これからハイ変わりましたと、欧米の金融業と激烈な競争の第一線に立とうというのである。それが民営化するということであるはずだ。ところがなんと、新しい郵便貯金会社では「これまでの郵便貯金や簡易保険の契約は、政府が引き続き保証し、その資金は安全に運用されます」という。では、なぜ民営化するのだろうか。その意味がわからん。

 決済機能も銀行に太刀打ちできるとは思えない。というか、民営化しなくても、民間銀行に委託すればよいであろう。窓口は、民間銀行やコンビニに置けばいいではないかと思う。

 そもそも郵政のなにが問題なのか。現状では、郵貯が政府や族議員らの資金源になっているため、これをなくさなければならない。そのためにも、新会社は政府との関係があってはならないはずだ。しかしながら、郵便貯金や簡易保険は政府が保証し、安全に政府が運用しますというのだから、なにも変わらないではないか。郵貯の特権的立場は変わらず、民業を圧迫し続けるのである。

 つまり、小泉総理は郵政を民営化すると言っているが、その内容は完全民営化ではない。では、なぜ完全民営化をしないのか。それは郵政事業は、完全民営化などすれば、コストがかかりすぎて成り立たない事業だからである。もちろん、今の郵政事業は改革しなければならない。そのためにも、今の郵政事業をスリムにするためには、国営のままで、配達業務は民間に委託するなどの方法もあったはずだ。

 しかしながら、それでも民営化をやるというのならば、よーし、じゃあやってもらおうじゃあないかというわけで。

 郵政を民営化するというのならば、本来、以下の5点を明確にすべきであった。

(1)特権的な立場で民業を圧迫することはしない。公平な競争の原理を守る。
(2)預金や保険の政府保証は一切しない。
(3)ユニバーサルサービスのコストは新会社が負担する。国は一切の負担をしない。
(4)政府の持ち株分は一切なしとする。
(5)競争に負けて倒産するのならば、倒産する。なにがあっても国民負担には絶対にしない。税金による救済は一切しない。

 そして、これらの条件があっても、十分収益を上げることができる国際的な競争力を持った民営企業に郵政がなるには、どうしたよいのかという議論が行われるべきであった。

 しかしながら、現実は、そうした議論になることもなく、「民営化とはなにか」という出発点そのものから大きく離れてしまった。そして、なにがどうなるわけでもなく解散総選挙になり、「自民党の分裂か」とか「刺客を放った」とかわけのわからない政治騒動になってしまった。民営化についての確固たる原理原則があって、国民の前でオープンな民営化論争をしたわけでもなく。この情勢下では、あなたは郵政民営化に反対ですかと問われれば、反対ですと言うわけがない。であるのならば、郵政民営化の是非を争点にして国民投票を行えば、自民圧勝は目に見えている。なぜ、かくも煽り立て、単純化、短絡化した方向に進もうとしているのだろうか。

 上記の条件を満たさない民営化など、うわっつらの民営化でしかなく、うわっつらだけが民営化した郵政事業でやっていけるはずもなく、結局は、我々国民の負担になるのではないだろうか。

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August 08, 2005

佐藤卓己『八月十五日の神話』を読む

 佐藤卓己著『八月十五日の神話』(ちくま新書)を読んだ。日本が、ポツダム宣言を受諾したのは8月14日である。そして、連合軍への降伏文書に署名をしたのは9月2日である。つまり、太平洋戦争が終結したのは9月2日なのだ。しかしながら、今日、我々は8月15日を「終戦の日」としている。まるであたかも、この日に戦争が終わったかのように思っている。これは一体なぜなのか。本書は、この疑問に答えるものである。

 ここで、終戦当時の状況を整理したい。

7月26日 トルーマン大統領がポツダム宣言を発表
8月06日 広島に原爆投下
8月08日 ソ連が日本に宣戦布告(ソ連による日ソ不可侵条約違反)
8月09日 長崎に原爆投下 
8月14日 御前会議にてポツダム宣言受諾を決定
8月15日 昭和天皇による終戦の詔勅の放送
8月19日 大本営より内地(日本国内)部隊への全面的な戦闘停止命令
8月22日 大本営より外地(日本国外)部隊への全面的な戦闘停止命令
9月02日 降伏文書調印
9月05日 ソ連軍、北方四島を占領

 つまり、上記を見てもわかるように、8月15日は天皇の玉音放送があったということだけで、連合国へのポツダム宣言受諾の通知は、その前日の14日である。それも「ポツダム宣言受諾した」という通知だけであって、実質的に日本の降伏が決定するのは、9月2日の東京湾の米戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印である。連合国の多くは、9月2日を対日戦勝記念日としている。太平洋戦争の終結は、常識的に考えて、日本国が降伏文書の調印した9月2日なのである。しかしながら、戦後の日本では、終戦の日を9月2日と思う人は数少ない、やはり8月15日になる。

 この8月15日を、終戦の日であると戦後日本人の意識の中に植えつけたのはメディアであった。戦後日本は、8月15日に意味を持たせることで、9月2日を直視することを意図的に避けてきた。本書では、まず8月15日の玉音放送の放送後の報道写真のほとんどが、偽装された写真である可能性が高いことを立証し、戦後の日本人の記憶がメディアによって創られたことを指摘する。さらに、講和条約が発効する1952年から、新聞が8月15日を「終戦の日」というイメージの定着を本格化させた。この時期から、新聞紙上には「降伏」や「敗戦」という言葉はなくなり、「終戦」という言葉が多く使われるようになったという。

 8月15日は、盂蘭盆会の時期であった。つまり、終戦と戦没者慰霊をひとつにして捉えるようにメディアが創作したのである。ここで重要なことは、9月2日の東京湾の米戦艦ミズーリ号上での降伏文書の調印式は報道されていないということだ。大多数の国民にとって、体験としての戦争の終わりは、8月15日の天皇の玉音放送であった。佐藤氏はこれをこう書いてる。

「「放送された玉音」と「放送されなかったミズーリ調印」の違いは無視できない。玉音放送が伝えた「終戦」は、公式文章の「降伏」を国民体験の記憶で覆い隠してしまった。」

 すなわち、戦後の日本は、戦争を国民の体験にある「出来事」として扱ってきたのである。だからこそ、戦没者への慰霊と戦争の終わりを一緒にする必要があった。戦後の日本人は、あれは敗戦や降伏ではなく終戦だったのだと思いたかった。日本政府もそう思いたかった。メディアは、その国民感情と政府の意思を巧みすくいあげ、8月15日を終戦日とすることは、あたかも事実であるかのようにすることに成功した。日本人にとって、終戦の日とは、お盆の伝統的行事のひとつになったのである。靖国神社でも、8月15日はただの日であって、英霊の慰霊は春と秋の例祭と7月の御霊祭りである。それが特別な日になるのは、1963年に閣議決定された「全国戦没者追悼式」要項に基づく。8月15日が終戦記念日と公式になるのは、ここから始まる。それは「玉音の記憶」に基づく戦没者の追悼であった。

 では、「玉音の記憶」を持っていない世代は、戦争をどう受け止めたらよいのか。

 本書を読んで思ったことは、最近の8月15日をめぐる騒動の根本的原因はここにあると思った。つまり、戦後の日本が、あの戦争をこうして曖昧にしてきたから、60年後の今日、これほどモメているのである。8月15日を「戦争の終わり」として、他はいっさい顧みないということは、佐藤氏も本書に書いているが、これは「あまりにも自国中心主義に凝り固まっている」歴史意識であろう。8月15日を終戦の日とすることは、9月2日に日本は敗戦したという事実には眼を向けないということである。そして、戦後もまた天皇の国体は維持されたということを示すものである。ここに戦後の保守も進歩派も、メディアによる8月15日の神話の創作を認めてきた理由がある。

 しかしながら、それはもはや時代遅れだ。60年たった今でも日本人は敗戦の事実に眼を背け、「玉音放送の記憶」を持つ世代たちだけで、閉ざされたメディア空間を形成し、共同幻想のカプセルの中に入っていると言わざるを得ない。

 我々は、あの戦争の記憶の伝承を体験者の体験に基づいて理解しようとしている。あの戦争を、個人の体験や経験から一歩離れた、客観的、普遍的に考えることをしない。戦後日本が選択した方法は、このような民族の共同体の記憶としての「戦争」であった。だからこそ、天皇による終戦の詔勅が放送された8月15日を「戦争の終わり」としてきた。しかしながら、今の若い世代は、前の世代が常識としていた世代間の継承というものが通用しなくなっている。

 戦争の記憶の風化が叫ばれて久しい。しかし、メディアは、本気で若い世代に戦争を伝えようとしているのだろうか。「あの日は暑かった」では、若い世代には通じないであろう。「玉音放送の記憶」を持つ戦中派たちが「体験」としてあの戦争を留め、自分たちの世代の記憶として戦争は終わりにしたいという願いがあったからこそ、9月2日の敗戦ではなく、8月15日の終戦にしてきたのではないか。しかしながら、佐藤氏も書いているように、戦争とは、戦中派の世代が「体験」として特権的に語るべきものではない。むしろ、戦後に生まれた私たちが、その体験から考えていくべきものなのである。

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August 06, 2005

原爆を落とす側の論理

 以前ここでも紹介した『フォッグ・オブ・ウォー』というアメリカのドキュメンタリー映画で、ケネディ・ジョンソン政権の国防長官であったロバート・マクナマラは、自分が関わった日本各地への空襲と広島・長崎への原爆投下は間違っていたと語っている。彼らは、戦争に負ければ、自分たちは戦争犯罪者になることはよくわかっていて、なおかつ原爆投下を行ったのである。

 なぜか。

 昭和19年、マーシャル群島、テニヤン島、グアム島などの日本軍守備隊が玉砕し、レイテ沖海戦で日本海軍の連合艦隊は壊滅した。日本の敗戦は、もはや決定的であった。翌、昭和20年、硫黄島で、アメリカ軍は壮絶な日本軍の抵抗を受ける。そのすさまじさは、アメリカ海兵隊の歴史の中でもっとも凄惨な闘いであった。アメリカにとって、この時期の日本軍というのは、すさまじい戦闘集団であったのである。アメリカ軍が恐れていたことは、日本本土上陸作戦は、硫黄島での闘いより、さらに壮絶なものになるだろうということであった。このために、本土上陸の前に日本人の戦意を喪失させるような圧倒的な力を示す必要があった。

 今日、アメリカ人の多くは、日本への原爆投下は多くの人々の命を救うために必要であったと理解しているが、その「多くの人々の命」とは、当然のことながら日本軍と戦うアメリカの若者たちの命であって、日本人の命ではない。戦争で戦っている相手の国の命を救いたいと思うことはないであろう。

 さらに、原爆投下のもう一つの理由として、戦後の国際社会の中でアメリカの覇権をソ連に示す必要があった。軍事力で共産主義を拡張させていくソビエトに対して、こちらも軍事力で対応する以外に方法はなく、つまりそれは相手より巨大な戦力を見せつけるということであった。その手段として、ロス・アラモスの研究所で開発された新型爆弾を、アジアの日本に使用することは、最も効果的なデモンストレーションであった。

 では、どこに落とすべきなのか。ここでアメリカ軍が考えたことは、京都と広島であった。京都が、原爆投下の最有力候補であったのである。京都は人口百万都市であり、かつ人口密集地が広がっている。また、三方が山に囲まれた盆地であり、爆風が最大の効果を発揮しうる有効な地形である。さらに原爆投下の目的は、上で述べたように、日本人の戦意喪失である。であるのならば、日本人にとっての精神的な意味を持った都市である京都に原爆を投下することは、日本人の意識に最大の心理的ダメージを与えることができる。京都は、住民の教育レベルが高く、この新型兵器の意義を正しく認識し、日本政府に影響を与えることはできると考えた。

 つまりアメリカ軍が考えたことは、民間人の地域を直接の攻撃目標にすることはできない。しかし、可能なかぎり多数の住民に深刻な心理的効果を与えるような爆撃効果を与えることが目的であるということであった。その目的に最も適した都市が、京都であり広島であった。

 京都を投下候補都市のリストから外すようトルーマン大統領に進言したのは、ヘンリー・スチムソン陸軍長官である。マンハッタン計画の企画立案者のひとりであったスチムソン陸軍長官は、京都を原爆で壊滅させると、日本人の怒りと反感を招き、戦後の日本占領政策に支障をきたすことになると提言した。日本占領政策では、日本人はアメリカに好意を持ち、感謝をするようさせる方針であった。しかしながら、グローヴズ陸軍少将は、あくまでも京都への原爆投下を主張していた。スチムソンは、何度もトルーマンに説明し力説し、やがてトルーマンもこれに同意する。かくて、京都は投下予定都市のリストからなくなった。

 ちなみに、戦後、GHQは上の事実を隠蔽し、京都は文化財保護のために空襲を免れたというイメージを日本人に与えることに成功した。僕なども、大学生の頃まで、アメリカ軍は日本の文化を「守るため」に京都・奈良を空襲しなかったと思っていたものである。そんなことは、まったくなかった。

 最終的に原爆投下候補都市のリストに残ったのは、広島、小倉、新潟、長崎である。この4都市の中で広島に決定したのは、広島は他の3つの都市と比較して捕虜収容所がなかったと判断したことであった。そして、6日、広島に原爆が投下される。

 なぜ2発目の原爆を長崎に投下したのかということについては、いまだによくわかっていない。トルーマンは、広島は「軍事基地」とのべた。だから広島に原爆を投下したのであって、決して民間人を目標としたものではないと言った。しかし、かりに広島は「軍事基地」であったとしても(広島が「軍事基地」であるわけなどないのであるが)、長崎はどう見ても「軍事基地」ではないだろう。もともと、9日の原爆投下目標都市は小倉であった。しかし、その日の小倉上空は曇り空であったため、B29は小倉への投下を諦め、長崎へ向かった。長崎の空も曇りであったという。ただ、ほんの少し雲の切れ目があった。この切れ目があったために、原爆投下は実行された。この長崎への原爆投下について、納得できる説明をアメリカ政府が述べた記録は、60年たった今日に至るもない。

 以上は、原爆を落とす側の論理である。ここあるのは、勝つためには、民間人をどれだけ殺戮してもかまわないという戦争の論理である。マクナマラが証言しているように、アメリカは、これが戦争犯罪行為であることを知って行った。例えば、フィリピンでの日本軍が行った捕虜虐待行為であった、いわゆる「パターン死の行進」は、これが戦争犯罪であると日本軍は知っていて行ったわけではない(知らなかったから、良いというわけではない)。しかしながら、原爆投下は日本の民間人虐殺であることを知っていて行ったのである。その目的は、いかに日本本土上陸作戦をすみやかに遂行するか、そして、いかに戦後の日本占領政策をすみやかに実行していくかであった。そのための広島への原爆投下であり、京都に原爆を投下しなかった。

 しかしながら、上のようなことをいくら知ろうとも、なぜ広島に原爆が投下されたのか、それがまったくわからない。彼らは、なぜ死ななくてはならかったのか。彼らは、その生を暴力により終わらされてしまった。そして、この「原爆を落とす側の論理」は、その後、戦後60年間、絶えることなく続いている。これが、今、ここにある現実だ。

 この理不尽さと不条理を噛みしめながら、僕は死者の声に耳をすます。

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August 05, 2005

iTunes Music Store

 4日から日本でもiTunes Music Storeが始まった。これまでCDで買っていた音楽を、ネットでダウンロードで購入できる。同様のサービスは、日本でもすでにいくつか行われていたようであるが。やっぱり、アップルがやるということで、マックユーザーはもうそれだけで、おおっあのiTMSがついに日本でもやるのかという期待と高揚感にわき上がってしまうのだ。iTunesもiPodもWindowsでも使えるのだから、PCユーザーのみなさまも同じ気持ちであろう(でも、WindowsのiTunesって、なんかマックのと違う)。ダウンロード購入した曲は、パソコンへのコピーは5台までであるが、iPod、CD-Rへは無制限である。どこぞの国の某団体が既得利権を守るために必死に抵抗しているのを尻目に、これをスコーンとやってしまうのが気持ちいい。新しいデジタル音楽の時代がやってきた。

 さっそく、iTMSのアカウントを作って、さあてと、検索をしてみると、うーむ、なんか曲数が少ないような気がする。ヒットしないアーティストが結構多い。僕としては、70年代のフォークや80年代の音楽がもっとあって欲しいと思った。しかし、これから増えていくのであろう。

 とにかく購入するのがすごくカンタン。1曲150円はもっと安くならないものかと思うが、まあー150円だからね、と思って気軽るポチッとやってしまう自分がコワイ。これはカネがすぐになくなっていくであろう。

 とりあえず、荒井由美の「あの日にかえりたい」と「中央フリーウェイ」を購入する。それと、なにげなく一青窈(ひととよう)というアーティストの曲を試聴してみたら、これはいいではないか!!声がEPOと似ていて、しかしながら、もっとしっとりした感じがする。彼女は、台湾人と日本人のハーフだという。その背景もまた、彼女の音楽に深く関わっているのだろう。というわけで、「一青窈 Live Tour 2004」というアルバムを(なんと)全曲ダウンロードする。しかし、これ1曲150円じゃあなくて200円なんだよな。これって、TSUTAYAでレンタルした方が安いってことじゃあないかしら。ではこれで、本日の購入はオワリかといえば、そうではなくて。最後に、イージス艦「いそかぜ」の副長宮津二佐じゃなかった寺尾聰の「ルビーの指輪」を購入。西部警察のあの人が、今では「雨上がる」や「半落ち」の名優になっているのですねえ。

 しめて、19曲もダウンロードしてしまった・・・・・。

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August 04, 2005

スペースシャトル・ディスカバリー

 そんなことは、もう誰でもわかっていることなのだと言われそうであるが、もっかのところ国際宇宙ステーションに滞在しているNASAのスペースシャトルであるが、これはつまり、断熱材が剥離する不具合が解決できない限りスペースシャトルは帰ってこれない事態になっているのではないか。史上初であるという宇宙空間での機体の補修をしたということは、それほどのことをやらなくてはならない状況であるということなのではないか。

 かりに、ここで断熱材の修理ができたとしても、地球の大気圏突入に際にまた剥離することはないのだろうか。地球帰還の許可をどう判断するのか、これはむずかしい問題になるだろう。NASAとしては、すべての耐熱材を貼り直したい気持ちであろうが、かといって、いつまでも国際宇宙ステーションにいることもできないはずだ。NASAは、次のスペースシャトルの「アトランティス」の飛行計画を停止している。とすれば、どのように帰ってくるのだろうか。

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August 01, 2005

映画『亡国のイージス』

 公開初日の30日の夜、新宿で映画『亡国のイージス』を見た。夜の10時50分から始まるオールナイト上映で見た。この日は朝から仕事をしていて、ようやく深夜の回に間に合ったわけである。オールナイト上映で2回見た。3回目を見れば始発の電車で帰れるなと思ったが、さすがにそこまでの体力はなく深夜のタクシーで自宅へ帰った。

 まずは映画としてどうであったか。良かったと思う。ただし、僕は原作を読んでいるので、原作を知らないで見た人はわかりやすい内容であったかどうかはわからない。原作を読んで、一応ストーリィはわかっていて、かつ、小説と映画は違うものだという観点から見れば「まあ良かった」と思う。先任伍長の仙石恒史を真田広之が演じるということを知った時、イメージがあまりにも違いすぎると思った。しかし、実際に見てみると、若い海士たちの面倒を見る中年の先任伍長の役をよく演じていたと思う。原作では仙石恒史は、大地康雄みたいな人だと思っていたが、大地康雄だとあのアクションはできないであろう。真田広之は、どう演じようと真田広之なのでカッコよく見えるのだが、うまくこの中年オヤジの役を演じていたと思う。

 それと、岸辺一徳さんが出ていたのは知らなかった。劇場で開演前にパンフレットをめくっていたら、なんと一徳さんが出ているではないか。以前見た『火火』といい、最近DVDで見た『ヴィタール』でも一徳さんが出ていて、いい演技をしていた。この映画にも出ていたんですね。あと、風間三尉の役の人は、なんかどっかで見たような人だけど、思い出せないなあ、誰だったかなあと思っていたら、これもあとでパンフを見たら『救命病棟24時』の第2シーズンに出ていた、あのお医者さんであったではないか。うーむ、これに出ていたとは。これで「戦国」に出た進藤先生を持ってきて(あれは元陸自か)、それでさらに宮迫博之も出るとおもしろいだろうなあと思ったが、そうした映画ではないのであった。吉田栄作は、ひさしぶりに見たなあ。

 結局、この映画は原作の中にある様々なことの中から、ただ一つ「専守防衛とは、そもそも成り立ちうるのか」ということを伝えようとしたのだと思う。防大生宮津隆史の書いた論文「亡国の楯」は、原作と同様、映画でも重要な問題提起になっている。値段が1000円もするパンフレットには、映画制作時の台本が載っていた。少し長くなるが、映画の中で朗読された論文「亡国の楯」を引用したい。

「しかし、あえて言おう。国としてのありようを失い、語るべき未来の形も見えないこの国を守る盾になんの意味があるのか。現状のままでは、それは、守るに値する国家を失った、まさに、亡国の楯(イージス)でしかない。」

「真の国力とは、国家資産や経済力、軍事力などではなく、その国が培ってきた普遍的な価値観、歴史、文化であるにもかかわらず、我々日本人は「日本とは何か」「日本人として何を誇るのか」という自らの問いかけすら忘れ、唯一のイデオロギーであった『恥』という概念も捨て去り、世界に向け主張できる価値観など、とうに無くしてしまった。そして、それが国としての存在に関わる根源的な問題であることに、気づこうとすらしない。」

「今、この国は、すでに国家としてのありようを完全に失っている。日本はもはや『亡国』と化してしまったのだろうか。」

 さらに、イージス艦「いそかぜ」の副艦長である宮津二佐は、物語の中でこう語っている。

「海上警備行動の範疇では、こちらが攻撃しない限り、貴艦は機銃弾一発撃つことが出来ない。」

「撃たれる前に撃つ。それが闘いの鉄則です。それが出来ない自衛隊に国を守る資格はなく。それを認められない日本に、国家を名乗る資格はない。」

 現代戦では、先に攻撃した方が勝利する。専守防衛で、果たして防衛ができるのだろうか。この問題があるから、イラクでは非戦闘地域であると言われている場所に自衛隊を派兵している。しかし敵というのは向こうからやってくるものであって、つまり日本国政府は、最初に敵と遭遇した部隊は壊滅させられることを前提としているといえるだろう。

 こうした現状に対して、防衛庁情報局内事本部長の渥美大輔はこう語る。

「戦争なんてのはいつだって対岸の火事にしかすぎない。戦後、60年、日本は太平洋と東シナ海の狭間に、ただ浮かんでただけだ。なあ、平和だったらそれで国って呼べるのか。」

 映画とはいえ、こうしたセリフを明確に言うことができるようになったという時代性を感じる。大体、考えてみれば、宮津二佐やその息子の宮津隆史防大生、あるいは防衛庁情報局の渥美が言っていることはしごく当然のまっとうなことであろう。

 ただし、僕は防大生宮津の言うことには疑問がある。確かに、彼が書いていることは正しい。自衛官として、自分が守るべき祖国が、守るに値する国であるのかを問うということ間違っていない。しかしながら、その祖国が守るに値するかどうかを判断するのは、少なくとも軍人ではない。守るに値する国ではないから守りませんというのは、軍人のとるべき態度ではない。しかし、自分が守ろうとする国家が誇りを持てるものであって欲しいと願うのは、若い(いかにもボーダイセイの)自衛官として当然のことであろう。現実の国家とは、そんなものではないのであるが。

 また、宮津二佐や渥美の言うことから「だから、憲法を改正して、自衛行動のためにはなにをやってもいい国になるべきである」と判断するのも早急だと思う。

 実は、1回目を見た時には気がつかなかったのであるが、2回目を見た時、「撃たれる前に撃つ。それが闘いの鉄則です。」という宮津二佐の言葉に、真っ向から反論しているセリフがあることに気がついた。先任伍長の仙石海曹長の次のセリフだ。銃を仙石に渡そうとした杉浦三佐を行が撃ってしまうシーンで、

仙石「なぜ撃った」
行「撃たれる前に撃つ。それが鉄則だ。」
仙石「砲雷長は撃つ気なんかなかった。」
行「あんたは実戦を理解していない。」
仙石「お前は人間を理解していない。」
行「・・・・」
仙石「撃つ前に迷ったりするのが人間だろ、一瞬でも何か考えるものだろう!」

 つまり、この映画は、ふたつの異なる視点を提示している。撃つべき時に撃たなければ、こちらがやられるのは事実である。重要なのは、いつが「撃つべき時」なのかということである。これを、限られた時間と限られた情報の中で判断しなければならない。絶対に正しい判断などない。しかし、それでも判断をしなくてはならない。

 戦場では、相手は「人間」ではなく「敵」であり、こちらも「人間」ではなく、国家からの命令を受けた「兵士」であると考える。しかし、そう「考える」のは人間なのである。仙石の行動は自衛官ではなく、自衛官として生きている人としての行動であった。これは、専守防衛が人として正しいということではない。また、どこぞの国のような自国の利益のためには、先制攻撃をしてもかまわないということでもない。なにが正しい、正しくないも含めて、我々は限られた時間と限られた情報の中で、撃つか撃たないのかの判断をしていかなくてはならないということなのだ。自衛隊が専守防衛しか選択できないのならば、憲法を改正すべきであろう。しかし、憲法を改正すれば、それでオワリというわけではない。日本国そのものが「現場」であり、僕たちが当事者なのである。判断をする主体は日本国であるが、その国民としての責任は負うことになる。その責任が負えないのならば、自衛隊をこれまでのように「亡国の楯(イージス)」としてあり続け、憲法を変えずに専守防衛のままでいるほうがいい。

 映画『亡国のイージス』は、その覚悟があるのか、ないのかを日本人に問いかけているのである。

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