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July 24, 2005

都電で自宅へ帰る

 23日土曜日の地震の時、山手線の電車の中にいた。秋葉原から乗って、田端駅の手前で電車が止まった。車内アナウンも音声が不明確で、何を言っているのかよくわからないが、どうやら大きな地震があって、それで電車が止まったらしい。10分ぐらい止まっていて、とりあえず田端駅まで進むという。電車は、田端駅で完全に足止め状態になる。巣鴨まで行けば、我が家まで歩いて行けないことはないのであるが、その二駅前で止まってしまった。

 それにしても、それほどの地震であったのあろうか。電車に乗っていたので、気がつなかったのであろうけど。電車の窓から見る田端駅の周辺は、ごくフツーのいつもの土曜日の夕方の光景で、そんな大きな地震があったようには見えない。他の場所はどうなのだろうかと、ケータイのIモードで新聞社のニュースサイトを見てみた。しかし、「震度5の地震が東京に起きた」ということはわかるのであるが、それ以上進むと有料になるという。カネ払わなくてはならないのならば、じゃあいいよとやめた。よーするに、田端駅に停車している電車の中で、世の中はどうなってしまったのかよくわからんだけど、この電車はいつ動き出すのかもわからんという状況であった。

 京浜東北線でも、帰れないことはないのであるが、そっちも止まっているので、それもできない。電車の中は、それほど混んでいなくて、ラクと言えばラクであった。まーそのうち動き出すであろうと、立ちながら文庫本を読んでいた。

 ところが、30分たち、1時間近くたっても一向に動き出す気配がない。いつどうなるかわからない状況で、ただ立ったているという状態がだんだんガマンできなくなってきた。そこで、だ。巣鴨まで行けば、あとは我が家まで、それなりの距離はあるのだけど、歩いて歩けないことはない。かつ、巣鴨駅まであと二駅である、というジョーキョーであるのならば、なんだあ、山手線の二駅ぐらい、なんでもないじゃあないか、という気分にだんだんなってきた。うむ、うむ、日頃運動不足だし、水野美紀も「歩くだけでいい」って言っているしな。よし、と停止している山手線から出て、自宅まで歩くことにした。

 田端駅の構内で、駅員につめよる人々の一群を横目に見ながら、改札口を出て外で出た。駅前のマップを見ると、近くに明治通りがあることを発見する。これだ、これを延々と歩いて行けば、「自宅のある方」へ行くことができるはすだと、例によって大ざっぱに方角を掴んで歩るき初めた。歩きながら周囲を見てみると、東京都民のみなさんは何事もなかった様子だ。別に建物にも変化はない。そうたいした地震ではなかったのだなと思った。

 さて、明治通りを延々と歩き、自販機で水野美紀のアクエリアスを買おうと思ったけど、なかったのでサントリーのを買って飲む。さらに明治通りを歩く。やがて、目の前に都電の駅があることを発見する。おー都電ではないか。都電荒川線なら、自宅の近くへ確実に戻れるのである。このまま、明治通りをトコトコ歩いていてもいいのであるが、明治通りだと「多分我が家はこっち方向であろう」であり、「絶対に自宅へ帰れるが、どのくらい時間がかかるかはわからん」のである。しかしながら、都電荒川線なら「いつ自宅へ帰れるか十分わかる」のだ。それに、都電って、めったに乗らないしな。これは乗らなければ、とこの梶原という駅で、早稲田方面の都電を待つこと数分、電車がきて乗り込む。車内は、空いていた。やれやれと座る。いやー、これも立っているようだったらどうしようかと思っていたのだ。もはや完全に水野美紀ではなく、ただの疲れたオジサンになっていた。

 トコトコと都電が走る。幼少の頃、母親といっしょに銀座の都電に乗っていた記憶がある。しかし、かなり曖昧で断片的な記憶である。時代を考えると、自分が2才か3才あたりの記憶になる。そんな頃のことを覚えているわけがないかなとも思う。あの頃お前をつれて銀座へ行ったという母親の話と、あの時代の銀座の風景や当時の都電のことを知った後で、自分の想像で作った記憶なのではないかと思う。

 王子駅を過ぎ、飛鳥山を過ぎたあたりから車内が混んできた。座ってぼおおっとしている僕の前に、2人の女子高生が立ち、1人が古典の問題集らしきものを開いて、もう1人に問題を出していた。「ラ行変格だから、あり・居り・はべり・いまそかりだよね」という会話を聞くこともなく聞いていると、なにやら懐かしいような気持ちになる。これも都電というローカルな雰囲気のある、こじんまりとした電車に乗って、トコトコと移動しているからであろうか。ふと、地震で山手線が止まることがなければ、こうして都電の中で女子高生の会話を聞いて、懐かしく思うこともなかったなと思った。

 そんなこんなで自宅へ帰り、さてJRはどうなっているのであろうかと、急いでインターネットで調べてみる。なんと山手線は、まだ不通であった。やったあ、歩くという判断は正しかった(いや、全部歩いていないだろ)と喜びつつ、目の前の床の上の一面の本やら雑誌やらが散乱しているのをうんざりしながら眺めるのであった。崩れたのね、山の二つか三つが・・・・。

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