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May 17, 2005

「成熟した国家」の天文学的借金

 細田官房長官は、財務省が発表した2004年度の国際収支速報で、所得収支が過去最高となったことについて、「基本的には歓迎している。成熟した国家としてのありようになっている」との見解を示したという。

 よくわからんのだが、「成熟した国家」ということと、国家財政の借金が751兆円もあって、消費税を19%にしようとしているということがどう関わるのであろうか。

 昨年度の所得収支が9兆7331億円の黒字であったとしても、751兆円の借金から見れば微々たるものであり、かりに100兆の税収増加があっても全然足りないのである。というか、もはや解決は不可能であろう。

 となると、残る手は国民負担である。しかし、これを一度にやってしまうと国民からの反発を招く。そこで考えられる手としては、日銀が日本の金融機関から国債を買う、金融機関はそのカネで国債を買う、これをぐるぐると繰り返していく、よって政府にはカネが入る。当然、ここでも問題は金利の支払いであるが、それは金利の上昇をさせない。日銀が押さえ込んでしまう。よって、金利の支払いもなんとかクリアする。こうやってずるずると時間だけはかせいで、あとは長期間にわたって、税金をじわじわと上げていき国民から徴収する、という手をとるのではないか。

 しかし、そうは言ってもこの天文学的借金を解消する日は来るのだろうか。来るとしても、そうとう先の未来の話になると思うのであるが。最大の課題は、こうした事実に対して、国民が気がつかないようにさせること、国家財政に不安を感じさせないようにすることであろう。それさえできれば、上記の方法はオッケーになるのだ。かくて、国民が財政の実態を見ないよう、気がつくことないようにする。外国から見れば、こうしたことはおよそ民主主義国家とは思えない、社会主義国家の姿そのものなのだとバレてしまうので、そうした「海外からの視点」を日本国内の日本人が持つことがないようにするのが肝要なのであろう。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

官僚は知らしむべからず寄らしむべし、では日本は戦前と変わっていないと思えてしまう。一部のアジア諸国から歴史認識だの古傷をつつくような所業をされるのも、日本に問題ありか?どうやらフリーダム・ハウスの自由度指標は、日本の実態を反映していないようです。

それにしても、この問題は日本の行く末に関わるのになぜかコメントもTBも来ない。残念ですが、今後も折に触れてこうした警告を続けて下さい。

ちなみに、私の英語ブログのコメントは一本釣りで拾い上げているのが現状です。関心分野の重なりそうなブログを見つけては返事をもらっているのです。どうにかして多くの人の目につくようにしたいです。

Posted by: 舎 亜歴 | May 27, 2005 at 12:05 AM

国の借金は個人の借金ではないですから、あまり現実感がないのだと思います。国の借金とは一体何であるのか、国民の一人一人の生活にどう関わるのかということがまず把握できていないと、この話は伝わらないのではないかと思います。

今の状態はどうか、ということと、これからの時代はどうなるのかということがポイントです。今現在の状況では、デフレによって物価が低くなっていますから、国民は本気で困ってはいないのだと思います。しかし、これはタコが自分の足を食っているようなものですから、今は問題なくても、次の時代はどうするんですかというと、それは真っ暗なわけです。ここですね。今はいいだろう、しかし、次の時代はどうなるのかというと、お先真っ暗になる。しかし、次の時代は今の老人や団塊の世代は関係ないと思っていますから、誰も「次の時代」は考えないようにしようとしているように見えます。

Posted by: 真魚 | May 29, 2005 at 09:46 PM

>それにしても、この問題は日本の行く末に関わるのになぜかコメントもTBも来ない。残念ですが、

>国の借金は個人の借金ではないですから、あまり現実感がないのだと思います。

舎さんも真魚さんも、うまく言えないけど、米国的な位置づけで言えばWASP。それを感じさせるます。庶民かつ主婦的な立場からコメントさせていただけば、そんなにアホ扱いしないで下さい、と。

国家の膨大な借金に興味が無いのではないのですよ。学校の教科書でさえ散々やりますしね。事態は深刻なんだ…と言うことはいやと言うほど知ってますよ。ただ、もう90年代以来、優秀なはずのセンセイ達が額を寄せ合って様々な手を尽くしたはずなのに一向に埒が明かない。これは一体どういうことかと。政治不信の源泉です。

ならばせめて家計の経理をシビアに。頼れるものは家族と己だぞ、と。デフレは自然に起るのではなく、デフレを後押しする市民の経済感覚がある、その事をお忘れになれば、物事が机上の空論になりやしませんか。

Posted by: kaku | May 30, 2005 at 09:33 AM

追伸

とは言え、巷には「不良債権なんて経済が回復するまで放っておけばよい」などとのたまう悪質な経済評論家もいるので、国家の借金を家庭の負担額として考えるのも必要ですね。

そこで以下のサイトを:

【経済シンクタンクHarveyroad Japan日本の借金砂時計】
http://www.takarabe-hrj.co.jp/takarabe/clock/index.htm

…こ、こわっ!海外に逃げたくなる一瞬…

Posted by: kaku | May 30, 2005 at 10:11 AM

kakuさん、

アホなのではなく、誰も教えないからですよ。僕だって、国に借金があると、そもそも国民個人はどうなるのかということがやっと理解できるようになったばかりですし。

>>優秀なはずのセンセイ達が額を寄せ合って様々な手を尽くしたはずなのに一向に埒が明かない。<<

一向に埒があかないのは、何もやっていないからです。むしろ自体は悪化しています。本来ならば橋本内閣あたりでスパッと解決の方向へ進んでいればよかったんです。90年代は失われた10年と呼ばれますが、今の時代はさらに失われる10年になっています。

結局、国民としては、できることといえば、財布の紐を締めることぐらいですが、これでは景気はよくなりません。デフレを後押して価格が安ければいいというのは、消費者はそれでいいかもしれませんが、生産者はそれではたまったものではありません。誰もが消費者であり、かつ生産者であるという認識が必要です。結局、そのコストダウンのしわ寄せがリストラやサービス残業の超過になります。ようは、適正価格で製品がどんどん売れるようになってくれなくてはならないんです。そうなるようにするのが経済政策というものであって、簡単に言うと、

ものが売れる--->企業の収益が上がる---->国の税収が上がる。
ものが売れる--->企業の収益が上がる---->給料やボーナスが増える---->さらにものを買う。
ものが売れる--->企業の収益が上がる---->雇用の場が増える---->国の税収も上がる。

とならなくてはならないんです。

であるのに、「予算がないから税金を上げます」とか、「年金の支払い年齢を上げます」と言っているのは、政府はなんにもしていないということなんです。

Posted by: 真魚 | May 31, 2005 at 12:21 AM

>適正価格で製品がどんどん売れるようになってくれなくてはならないんです。

適正価格は、消費者側がbidしても良い、と思えなければ適正ではないんですね。つまり、家計を見直しているうちに意外と買わなくても平気ジャン、と言うことに気づくんですね。国家の財政にも通じる部分です。

生産者側の視点も持てぬ主婦たちが…と悪し様に言った経済学者がいましたが、問題はそこではないですね。要は、多少高くとも購入しようと思えるものを作る、それがmanifacturaringの王道ですよ。真魚さんの掲げた数式は理解できますが、その数式を守ろうとすると大きな政府となる原因を作ります。

Posted by: kaku | May 31, 2005 at 08:16 AM

>それがmanifacturaringの王道ですよ

王道どころか私のスペルが邪道ですナ…man·u·fac·tur·ingでござい。

Posted by: kaku | May 31, 2005 at 10:12 AM

「大きな政府」「小さな政府」というのも、ただ単純に「大きな政府」か「小さな政府」かでは成り立たないと思います。経済もただ単に自由放任でいいのかというと、そうでもないところもあります。国防は本気でやるのならば、それなりの規模の政府機関が必要です。

Posted by: 真魚 | June 01, 2005 at 01:41 AM

>「大きな政府」「小さな政府」というのも、ただ単純に「大きな政府」か「小さな政府」かでは成り立たないと思います

「大きな」「小さな」は、予算規模だけを指すものではありませんよね。政府の介入/管理/運営の及ぶ範囲をも指すはずです。

私が指摘したのは、真魚さんの挙げられた「経済政策」の図式が、いずれも税収の拡大を目的としたように書かれていたことです。税収の拡大と経済発展をセットに考えるのは、財政が厳しいから税率を上げよう、と言う思考法と変わりが無いのでは?と。そこにはマーケットエコノミーにおける「運営者」としての意識がありませんか、と。

私の記憶が正しければ、真魚さんは「小さな政府」を好まれていたので、矛盾して無いか?と思ったわけなんですよ。今の日本に大切なのは、「生産者側の視点」と「税収拡大」と言った呪縛から逃れることではないですか。

Posted by: kaku | June 01, 2005 at 08:46 AM

>>真魚さんの挙げられた「経済政策」の図式が、いずれも税収の拡大を目的としたように書かれていた<<

これはその通りです。そういう意味の図式です。経済の成長がイコール税収の拡大につながります。これは「財政が厳しいから税率を上げよう」という考え方とは根本的に違います。

政府の歳入とはなにかと考えた場合、ざっと思いつくのは「税金」か「国債を売る」か、あるいは「国家資産の売却」です。そこで、今の政府としては近々に税率を上げるか、今まで税の対象にならなかったものを新規に課税対象にする(サラリーマンの退職金に特定の税金をかけようとしていますね)ことをやろうとしているわけです。

それに対して、僕はそうではないんだ。税率を上げたり、新規に課税するよりも,経済そのものを活性化させることが必要であり、結果的にそれが雇用の拡大や税収の拡大になるんだと考えるわけです。だたそうなったとしても、ここまで膨らんだ国の借金は解決しないでしょうけど。そうした未来のある展望を出した上で、国家財政のやり直しをすべきであると考えるわけです。

で、kakuさんは、そのように経済についてあれこれ考えるのは、マーケットエコノミーにおける「運営者」としての意識があるのではないかと言っているわけですが、ここはたいへん重要なポイントです。つまり、保守(アメリカでの話です)の言う自由経済、すなわちミルトン・フリードマンのシカゴ学派の考え方とは、完全に政府の介入はなしでいいんだとしているのかどうかという問題が第1点。

もうひとつは、リバータリアンの経済観は、まさしく政府介入なんてカンペキに認めませんというものなのですが、果たしてこれが「いいもの」なのかどうかという問題が第2点で。

で、上記2点の問題については、今すぐここで論じることの準備ができていないので、もう少々時間を下さい。

とりあえず、ここでは政府の借金をどうするのかという観点から会話をしているのであって、それにはどうしても「生産者側の視点」と「税収拡大」という観点は必要です。経済問題を論じるには、あまり思想や理想に走るのも考えもんなんです。日経新聞を読んでいるおとーさんが、ふむふむなるほどと理解できる現実性も必要なんですよ。

Posted by: 真魚 | June 02, 2005 at 01:21 AM

税率を下げる=経済が活発になり税収があがる
国の支出を下げる=赤字がへるもしくは黒字がでて税率をもっと下げることができる。

このスパイラルをどう日本で作る事ができるでしょうか?

問題は政治家は他人のお金(税金や借金)にどっぷり浸かっている体制を変えようとしない。官僚もBureaucracyを大きくしようと支出を増やそうとかんばっている。

小さな政府は”政府”が必要以上の事を行わない政府。

MikeRossTky

Posted by: マイク | June 02, 2005 at 08:13 AM

あ、マイクさん、少しblogの更新が無かったので心配してましたよ、時期的にお仕事かな?と。

真魚さん、私よりもマイクさんの表現の方が上手です:

税率を下げる=経済が活発になり税収があがる
国の支出を下げる=赤字がへるもしくは黒字がでて税率をもっと下げることができる

そうなんです、大切なのはこの「スパイラル」なんです。あまり思想や理想に走るって難しく考えてなんぞいないんです。そもそも私はいつもすごく簡単なことしか言わないんです。

政府の今考えることは税収拡大じゃないでしょう、と。少子高齢化社会であり「文明の衝突」(by 舎さん)状態の日本、ある程度マーケットが成立している現在、やるべきことは他にあるのです、と。

Posted by: kaku | June 02, 2005 at 08:45 AM

小さな政府と財政運営については皆さんが議論したので、私は別の側面から。

雇用について言えば、高度成長期のように「中卒は金の卵」で集団就職をしていた時代には教科書通りのケインズ経済政策が有効だったでしょう。巨大な事業に大量の単純労働力を注ぎ込めばよかったので。

今は企業が人を欲しがらないことばかり皆が言いますが、若者をはじめ多くの人が巨大組織の歯車として単純労働に従事することを嫌うようになっています。こういう視点から物事をとらえると、雇う側と雇われる側の希望は一致しているのです。ですから、もっと自分を生かしたい、創造性を伸ばしたい、組織の歯車にはなりたくない・・といった欲望を追求するのは悪くない。

こうした雇う側と雇われる側の欲求も、頭の固い経済官僚が作るケインジアン政策では反映されないです。

こうしたことは政府が巨額を投じるよりも、民間で一人一人の人生目標に合った支援ができるようにした方がよいです。

経済学だけでは経済は好転しない、国民の欲求がわかるのは官僚ではなく国民自身なのです。

Posted by: 舎 亜歴 | June 03, 2005 at 12:25 AM

kakuさん、

民主主義の国家というのは、国民に夢や希望や理想や目標を与えてくれるものでなくてはならないんですよ。私が経済成長や明るい未来をまずスローガンに掲げようというのもそういうことです。明日の夢や希望があるのならば、国民は増税だって受け入れるもんだと思います。明治の日本人が坂の上の空をいく雲を眺めて、坂を昇ってきたように。今は、それがないんですよ。

Posted by: 真魚 | June 05, 2005 at 12:00 AM

舎さん、

雇用のミスマッチもそうですが、教育のミスマッチもあります。今までのように、6歳から小学校に通い始め、20代まで学校へ行き、その後はまったく学ぶことなく働き続けるというのではなく、30代、40代、50代になっても必要ならば、ある一時期学校で学ぶ、そして再度働くというライフスタイルが必要だと思います。これは、子育てがむずかしいということと同じです。つまり、日本は一度就職したら、そのままずっと職場に居続けなくてはならない、仕事をし続けなくてはならない。一度、そこから外れたら再起はむずかしいという仕組みになっていることが問題です。

Posted by: 真魚 | June 05, 2005 at 12:01 AM

民主主義の国家というのは、国民に夢や希望や理想や目標を与えてくれるものでなくてはならないんですよ。

真魚さん、これって本とに国家の責任なんですか?家族や社会の責任じゃないのですか?国家がこんなことやってるところって北朝鮮みたいなところではないのでは??

MikeRossTky

Posted by: マイク | June 05, 2005 at 07:11 AM

Mike,

JFK said.....

"And so, my fellow Americans, ask not what your country can do for you. ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world, ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man."

He made me see the stars. Even now, I believe JFK's United States.

Posted by: 真魚 | June 05, 2005 at 08:03 PM

JFKは国家が夢を国民に与えるような発言はしていませんよね。国の為に国民が動き、その動きで国家が繁栄する。JFKは目標を掲げましたが、その夢を政府が行う必要があるとはいっていない。JFKのアメリカはリベラルのアメリカではありません。1960年代のJFKが考えていたアメリカは今アメリカ保守思想が元に戻そうとしているアメリカではないでしょうか?

MikeRossTky

Posted by: マイク | June 05, 2005 at 10:52 PM

「国が何をするかではなく、国のために何かをせよ」と国の代表である大統領が言ったことに意味があります。だからこそ、JFKはアーリントンに眠っています。
保守が批判しているのが60年代。

Posted by: 真魚 | June 06, 2005 at 03:18 AM

真魚さん、

私も「夢」「希望」「明るい未来」のある社会は大好きです。しかし、真魚さんご自身も常々少子化問題等で主張なさっている通り、現代社会は殺人に対する考えすら多様化しているので、政府の提供するもので各々の希望を満たすことは到底出来ないでしょう。

「国家全体の経済発展を目指す」のであるならば、まず経済的格差を国民が受け入れ、それを受けて政府は出来る限り余計なことをせず、「力があり思い切り稼ぎたい人/組織」達の新陳代謝を規制などで押さえつけて“邪魔しない”ことです。それはつまり、経済面においての政府は、最低限の法の遵守の監視に留まることしかないと思います。基本的に政府/官僚組織には商売のDNAは組み込まれていないんですから、諦めないと。因みに私は、それほど経済発展にはこだわってません、むしろ経済水準維持のために、政府は治安/教育/福祉にもっと特化すべき、と思っています。

>明日の夢や希望があるのならば、国民は増税だって受け入れるもんだと思います。

いや、絶対に嫌ですね。これ以上やる気なら私、日本人辞めよっかなと思いますね。今までどれくらい「需要を喚起するため」に政府がおカネを巻き上げてきたと思っているんですか?国民は濡れ雑巾じゃないんですよ。巻き上げることしか能が無く、使い方に対するアイデアが欠如している構造自体を見直せ、と、まずはNOを突きつけないと。ま、これは中国外交に対しても言える事か。

>明治の日本人が坂の上の空をいく雲を眺めて、坂を昇ってきたように。今は、それがないんですよ。

当たり前ですよ、道端に落ちている1円玉を探して坂を下っているんですから。


Posted by: kaku | June 06, 2005 at 08:25 PM

>明日の夢や希望があるのならば、国民は増税だって受け入れるもんだと思います。

なにを根拠に?明日の夢や希望があるのなら、泥棒にお金を持っていかれても良いの?増税したら赤字が減るの?今以上にもっていかれるほどのサービスを政府が行ってくれるの?

減税を行って政府にわたさないお金で夢や希望を実現する方がいいのでは?

マイク

Posted by: マイク | June 06, 2005 at 10:58 PM

マイク、

ほほう、やはりアメリカの保守というのは、徹底的に国家を拒絶するわけですね。(アメリカの)保守主義というのは、思想的にそれは正しいです。

しかしながら、

20世紀の世界不況の時、アメリカ経済を立て直したのはFDRのニューデールです。JFKはアポロ計画を提唱しましたね。戦争をやるために税金を使うよりも、宇宙開発に税金を使う方が有意義なのでは。

明日の夢や希望のために今日頑張る、本来、人の社会とはそうしたものだったのでは。

Posted by: 真魚 | June 07, 2005 at 02:23 AM

kakuさん、

僕も今の政治の状態がいいとは言っていません。しかしながら、だからといって
「経済面においての政府は、最低限の法の遵守の監視に留まることしかない」とは思いません。むしろ、政府が突然変異を起こして変わる(「進化」とは、つまりDNAの変化です)ことをしなくては、そもそも治安/教育/福祉ですら、ロクなことはできないと思います。

政府はよけいなことをするな、民にまかせろ、ではなく、官も民も変わらなくてはならないんですよ。

Posted by: 真魚 | June 07, 2005 at 02:24 AM

<<アメリカの保守というのは、徹底的に国家を拒絶するわけですね。

どこからそのような結論を?国家と政府は=なんでしょうか?

小さな政府を目標とするのと国家を気絶するのは違う事ですよ。リベラルな人には国家=政府のようですが。もしくは国家より政府の方が重要なんですよね。

マイク

Posted by: マイク | June 07, 2005 at 08:02 AM

真魚さん、

これはツッコミでもなければヒニクでもなく、純粋な興味からお伺いします。

“突然変異を起こして変わ”った政府(=税収拡大を目指しつつマーケットエコノミーは信用しない、にも関わらず“小さな”政府)、って一体どんなものなのですか?そして、それは特に経済面において、具体的にどんなことをし、どんな役割をなすのでしょうか?

・・・あっ、もしかして、「民営化政府」?!


Posted by: kaku | June 07, 2005 at 08:18 PM

マイク、

So, you say that 神が合衆国を創造した・・・・と。

Posted by: 真魚 | June 08, 2005 at 12:48 AM

kakuさん、

あーはいはい、経済の分野で、ですね。今の日本を支配しているのは、政・官・財・大手マスコミ・御用学者の5つです。上記5つの利権のために、日本社会ができているかのような構造になっているんです。これをなくして、本当の意味での生活者主権の社会にする必要があります。なんのための経済政策なのか、の、「なん」のための「なん」が、これまでは「提供者側のため」ばっかりだったんです。ここを、「生活者のため」にしなくてはなりません。

具体的には、「金融」「通信」「運輸」で国際的競争力を持つようにするということです。21世紀の主要産業はこれらです。ところが、中央官庁が権限を持っていて「指導」とやらをやったり、公共工事ばっかりやっているから、どんどん世界から取り残されるんです。

例えば、銀行を考えてみましょう。今の預金金利の安さは、もはや金融サービス産業ではありません。日本の銀行は「銀行」ではありません。では、現在、円の預金で金利が一番高いのはどこか。ざっと見てみると、新生銀行の「パワードワンプラス」かなと思います。これは元金保証で5年間1.1%+次の5年間1.25%というものです。ただし、10年間銀行から下ろすことができないというのが難点ですが。

なぜ、新生銀行はこうしたことができるのか。新生銀行は、元々、日本長期信用銀行でしたね。巨額の不良債権を抱えて破綻して、ほとんど捨て値の価格で外資のリップルウッドが売却しました。日本の銀行からは評判は悪いです。あそこは、外資の銀行だと影で言われています。しかしながら、「パワードワンプラス」のような高金利の商品を展開しているではないですか。

細かい話は省きますが、ようするに、このように国が管理しているとロクはものにならないということです。だからと言って、外資の管理にすればいいと言っているのではありません。イーバンク銀行やソニーバンクなど、新しい銀行が出ていますね。

Posted by: 真魚 | June 08, 2005 at 12:59 AM

kakuさん、もうひとつ。

福沢翁は「学問のすすめ」の中でこう書いています。

「政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。その職分は罪ある者を取押えて罪なき者を保護するより外ならず。」

「政府は既に国民の総名代となりて事をなすべき権を得たるものなれば、政府のなす事は即ち国民のなす事にて、国民は必ず政府の法に従わざるべからず。これまた国民と政府との約束なり。」

つまり、政府とは「国民の名代」なんです。そして、税金とは、

「その代として役人の給料は勿論、政府の諸入用をば悉皆国民より賄うべしと約束せしことなり。」

つまり、政府の「入用」なのだと書いています。

「人民は既に一国の家元にて国を護るための入用を払うは固よりその職分なれば、この入用を出すにつき決して不平の顔色を見わすべからず。国を護るためには役人の給料なかるべからず、海陸の軍費なかるべからず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり、その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前の頭に割付けて何程なるや。」

今の政府が、福沢先生の言われたような「国民の名代」になっていないのが問題なんですよ。しかし、福沢先生ははっきりと書いていますね。アホな政府になるのは、国民が悪い、だから国民一人一人が自ら学び、独立自尊の精神を身につけなければならないんですよと。

ですから、政府は「国民の名代」にならなくてはならないと。そして「入用」の税金は、払うべきものは、気持ちよく(かどうかは、いろいろありますが)払いましょう、ということです。

今の世の中は、本来、国はどうあるべきなのか、政府はどうあるべきなのか、税金はどうあるべきなのか、などと言った根本的な議論がなくて、ただ、少子化ですとか、年金問題ですとか、増税をしなくてはならないとかやっているから、わけがわからなくなって、またもや失われた10年が繰り返えされているんです。

Posted by: 真魚 | June 08, 2005 at 02:04 AM

真魚さん、

たくさん書いていただいたのですが、私の質問の答えになっていらっしゃらないように思います。「生産者側の視点」を強調されたのも真魚さんだし、政府がマーケットに積極介入することを主張されたのも真魚さんですよ。

>具体的には、「金融」「通信」「運輸」で国際的競争力を持つようにするということです。

は分かりましたが、

>中央官庁が権限を持っていて「指導」とやらをやったり、公共工事ばっかりやっているから、どんどん世界から取り残されるんです。

であるとするならば、「誰が」それをやるんですか?

新生銀行の悪口はよく聞かれますが、カスタマーとしては一番使いやすいから選んでいるだけだと思います、ハイ。米国で日本車が人気No1なのと同じではないでしょうか。

福沢翁を「先生」とお呼びになられると言うことは、塾員でいらっしゃるのでしょうから、もしかしたら釈迦に説法かもしれませんが、

“経済学とは一身一家の世帯より天下
の世帯を説きたるものなり”

“独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。
 独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを
言う。自ら物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の
智恵に依らざる独立なり。自ら心身を労して私立の活計をなす者は、
他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人
の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみに
て、これを引受くる者はなかるべし。”

をお伝えしておきます。

Posted by: kaku | June 08, 2005 at 11:08 AM

>経済面においての政府は、最低限の法の遵守の監視に留まることしかない。基本的に政府/官僚組織には商売のDNAは組み込まれていない。

>政府は治安/教育/福祉にもっと特化すべき、と思っています

経済での政府の役割という議論で問題になるのは、課税と財政支出だけでしょうか?どんな経済でも政治の役割は無視できません。

自由経済を発展させるには、最低限の法の遵守の監視だけでは不充分と思います。大英帝国はアダム・スミスとデイビッド・リカードの経済学を奉じていましたが、帝国内での自由貿易の確立には植民地や有力市場への軍事介入がありました。また、綿工業での比較優位を作りあげるために、当時は世界でも最も優秀だったインドの綿布職人の職を奪ったりもしました。

また戦略産業の育成には目先の経済的利益を度外視しても政府が介入する必要がある場合もあります。最も典型的なのは軍事産業ですが、国家同士の力の競争を勝ち抜くためには「商売のDNA」では乗り切れません。

現在の日本で政府が「介入」する余地があるとすれば、「眠れる」産業を発掘してそれに関する情報を国民に提供するといったところでしょうか?フリードリッヒ・リストの「幼稚産業保護論」まで極端なことは必要ないとは思います。巨額の財政支出をしなくても、政府にできることはあると思います。

Posted by: 舎 亜歴 | June 09, 2005 at 01:14 AM

kakuさん、

ここで整理をしておきましょう。

私はマーケットに政府が介入すべきであるとは言ったことはありません。私は為替操作だって、政府はやるべきではないと考える人です。では、経済について何を政府がなるべしと私は言っているのか。それは今の時代に即した経済政策を政府が行うべしと言っているわけです。

では、今の時代に即した経済政策とはなにか。ここでは、それを大ざっぱに「官主導ではなく民主導にする」としておきましょう。しかしながら、「官主導ではなく民主導にする」、で、民主導なんだから、官はなにもしません、というわけではないんです。「中央官庁の権限を減らす」「不必要な規制をなくす」「新規事業が行いやすいように法改正を行う」等々というのは官の仕事です。つまり、「民主導である」ための、様々なサポートを「官がする」ということが必要なんです。この「官がする」という観点なくして、「民主導」の経済はできないんです。官の役人はなにもするな、ではなく、官の役人にもやることは、たくさんあるんですよと申しているわけです。その「やること」というのが、これまでの「やること」とは根本的に違うのだと、だから「突然変異」をしなくてはならんのですよと申しているわけです。その意味で、官は今の時代に即して、「生産者側」が「生産しやすい」ようにするのはどうしたいいのかを考えなくてならないんですよと申しているわけです。

「民主導」であるのは当然のことですが、ネガティブな面もあります。民の論理というのは、つまるところは利潤追求であり、あえて露骨に言えば「儲からないことはやらない」のが民であるということ、これは否定できないと思います。自由競争になるのはいいですが、仮に「負けた」ものはどうなるのでしょうか。民は「そんなことは知っちゃあいない。自由競争なんだから」と言うでしょう。もちろん、当然、民はそうであっていいんです。だからこそ、政府が様々なセーフティネットやリターンマッチができるような制度なり法律なりを作る必要があります。民が、コレコレはペイしないからやりません、と言っても、社会には、そのコレコレが必要な場合もあります。そのコレコレをやるのが官の仕事です。政府がそうしたことをしなければ、国民は安心して(?)自由競争に邁進できません。今問題になっている、社会の階層化、格差というのは、この部分ができていないために起きていると考えられます。

では、官はいかなるカネでこれを行うのか。それは税金です。よって、税収をどうするのか、財源をどうするのか、という視点が必要であると申しているわけです。

何度も申しますが、つまり、ただ単に「民主導にすればいい、政府は介入するな」ではなく、「民主導の経済ための政府と官庁のあり方はどういうものなのか」「民主導の経済のために、政府や官庁はなにを行うべきなのか」という、官と民、生産者側と消費者側の双方を踏まえた観点が必要であり、それらを踏まえた上で「民主導でやりましょう」という考え方が必要なんです。そうでなくては、日本経済の変革はできないですよと申しているわけです。

Posted by: 真魚 | June 09, 2005 at 11:30 AM

kakuさん、


あー、僕は慶応の者ではありません。大学の恩師は慶応関係者でしたが、僕自身は三田には数回しか行ったことがないです。

福沢翁という人は、ご承知の通り洋学者の一人でしたが、同じ適塾門下だった大村益次郎や、あるいは西周や森有正などといった政府で働く洋学者ではなく、三田に私学を創設して、そこにいた人でした。つまり、政府から一歩離れたところにいた人でした。しかし、政府は「三田詣」ばっかりだったそうです。なんかあると、すぐに三田の福沢翁の話を聞くという様子だったそうです。

当時、在野の知識人はたくさんいました。自由民権論者もたくさんいました。そうした人々は、当然ながら民の人であるわけで、福沢もまた民の立場の人でした。しかしながら、そうした人々と福沢翁は根本的に違っていました。なにが違っていたのかというと、当時の新聞や自由民権論者などは、政府を批判することばっかりで、なんでもかんでも政府に反対、という反政府でした。その中で唯一、福沢が書いていることは、政府運営者がそれを読んで、なるほどそうか、そうすればいいのかと理解し納得ができたそうです。

つまり、福沢諭吉という人は、基本的に在野の民の人なのですけど、その思考は官はいかなるものであるべきかという考えが明確にある人でした。たんなる反政府の野党やマスコミとは違う、近代文明そのものを設計できる人であったというわけです。実際に、近代日本を設計したのは政府の官僚たちですが、その官僚たちは福沢の影響を大きく受けています。福沢は、官の側にも民の側に立つことができた人でした。

近代日本の不幸のひとつは、こうした福沢のようなタイプの知識人が少なかったということです、ざっと見て福沢諭吉ぐらいしかいません。政府運営者側の立場、生産者側の立場を踏まえた上で、主権在民国家を論じていたのは福沢諭吉ただ一人でした。

Posted by: 真魚 | June 09, 2005 at 11:35 AM

舎さん、真魚さん、

>「中央官庁の権限を減らす」「不必要な規制をなくす」「新規事業が行いやすいように法改正を行う」等々というのは官の仕事です。つまり、「民主導である」ための、様々なサポートを「官がする」ということが必要なんです

>現在の日本で政府が「介入」する余地があるとすれば、「眠れる」産業を発掘してそれに関する情報を国民に提供するといったところでしょうか?

なるほど、了解です、よく分かりました。それなら基本的に私も同感です。私だって「官は何もすな!」とは思っていません。そもそも彼らだけがこの世知辛い世の中で無理せず生きていける仕事に就いている、なんて思っていませんもの。

ただ、例えば舎さんがご指摘されている「眠れる産業の発掘」、それは基本的にマーケット創成前の話、だし、真魚さんの仰せの「コレコレはペイしないからやりません」や「セーフティネット等の環境整備」はどちらかと言えば、「経済発展とそれに伴う税収拡大」を目的とした経済政策と言うよりも、国家の基盤作りを目的とした福祉/教育/国防の分野ですよね(例えばロボティクスとか)。

で、それらのタスクを政府が請け負ったとして、それは真魚さんの言葉によればそのマーケット作りをあくまで“後押し”する役割、と。そこで私がどうしても認識すべしよっ!と言っているのは、政府はすでに成立したマーケットのプレーヤーではない、と言うことなんですね。

ひとたびマーケットが成立したら、そこで最も必要なのはやっぱり「商売のDNA」です。今までの日本政府に最も欠けていたのは、この意識の徹底だと思うので、まずはこのことを合意した上でのお二人の仰る政策の実行を、と思う訳です。

Posted by: kaku | June 09, 2005 at 07:37 PM

ああ、そうだ、もう一つ思うんですが:

>自由競争になるのはいいですが、仮に「負けた」ものはどうなるのでしょうか。民は「そんなことは知っちゃあいない。自由競争なんだから」と言うでしょう。<

「自由競争」って、そもそも利潤追求の果てにwinner/loserが決まっちゃう物を指すのではなくて、むしろ利潤を追求する競争の過程でお互いに切磋琢磨し合い、そして、その結果優れたものが生み出され、その恩恵を全体が受ける為のシステム(?)かと。

そこがきっちり認識されていないから、もうこっちが気の毒になるほど郵便局職員の方々が自由競争をおびえてらっしゃるんじゃないかと。

Posted by: kaku | June 09, 2005 at 07:58 PM

kakuさん、

「政府はすでに成立したマーケットのプレーヤー」というより、監督ですね。監督官庁というコトバもあるように。で、もはや監督すらやる必要なし。「官庁は裏方に徹すべき」なんだと思います。

日本政府が「商売のDNA」を持つ必要もないし、そもそも持てないと思いますよ。やっぱり、この国のお上には無理なんじゃないでしょうか。

お上っていうのは、江戸時代から公共事業は得意だったんですよ。河川工事とか新田開発とか。その逆に、商業はまずダメでしたね。江戸時代中期辺りから、商工業が大きく発展していくのですが、幕府というのは、なにかという「質素倹約をむねとせよ」とか言って、商工業の発展をとにかく押さえようとしてきました。江戸幕府というか、徳川家というのは元々三河の侍の家で、つまり江戸幕府というのは三河武士団が作った統治機構だったんです。このへん、信長や秀吉のような名古屋の尾張の武士とは根本的に違います。三河武士は、商工業よりも農業を主体とした経済の慣習や価値観を持っていました。この「農業を主体とした経済の慣習や価値観」の人々が支配体制として、約300年間、日本人を管理してきたことの影響は大きいと思います。

さらに明治は富国強兵で、徹底した官尊民卑でした。さらに、昭和になって戦争による国家の統制経済が常態化してしまい、戦後もそのシステムが続いて今日至っています。

ですから、政府は民間のサポートだけやって、あとは「何もすな!」でいいんでですよ。ってゆーか、お上には国防とか外交とかの方をやって欲しいですね。

Posted by: 真魚 | June 10, 2005 at 01:58 AM

kakuさん、

「その恩恵を全体が受ける」というのは、消費者が、ということですよ。

それと、完全なる「自由競争」とは、完全なる機会の均等を条件とします。ところが、完全なる機会の均等なんて、人間の社会にはあり得ないというところに矛盾があります。それでも、戦後は高度成長期までは、社会全体が経済成長をしていましたから、それなりの機会の均等がありました。しかしながら、今日、この機会均等が大きく崩壊してしまっていて、見せかけの「自由競争」だけが進んでいっています。だから、階層化や格差が生まれてしまっています。

Posted by: 真魚 | June 10, 2005 at 02:06 AM

真魚さん、

>ですから、政府は民間のサポートだけやって、あとは「何もすな!」でいいんでですよ。ってゆーか、お上には国防とか外交とかの方をやって欲しいですね。<

うぅ~ん、おかしいなあ・・・こんなに分かり合える二人なのに、目指す方向がまるで違うなんて(なんちて)。

真魚さんの論理で行けば、政府の役割は“裏方”でも経済発展に伴う税収拡大のために増税。私の論理で行けば、減税→経済発展→また減税。なんでやろ。現状認識の違いかな?

>「その恩恵を全体が受ける」というのは、消費者が、ということですよ。

生産者、そして消費者も、でしょう?

>機会均等が大きく崩壊してしまっていて

うそー、日本ほど機会が平等な国ってあるんですか?崩壊したのは結果の均等、でしょ。・・・やっぱり現状認識に差があるらしいっす。


Posted by: kaku | June 10, 2005 at 05:46 PM

kakuさん

ちゃうちゃう、政府の役割は“裏方”で、経済成長による税の自然増収がある。消費税などの間接税はOK、所得税のような直接税は減税すべき。しかしだからといって、消費税16%にしようなどというのは反対というのが僕の意見です。

「日本ほど機会が平等な国」という言葉の、「日本ほど」という意味がわからん。なにゆえ、ここで外国との比較が入るのであろか。「日本が階層社会になりつつある」というのは、戦後日本の高度成長時代の時期に対して、平成の今は「機会が不平等になっている」と言っているのが論点であって、ここに、例えば「アメリカは、日本以上にもっと機会の格差がある階級社会である」という事実をもってきても論点はあいません。

まー、外国を見よ!、日本より機会なんてぜんぜん不平等ではないか、日本は恵まれている。これぐらいで不平等などど弱音を吐くな、ということはわかりますけど。

Posted by: 真魚 | June 13, 2005 at 12:59 AM

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