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April 08, 2005

国が変われば見方も変わる

 中央日報という韓国の日刊全国紙の新聞がある。これの日本語版がネットで読むことができる。当然のことながら、「竹島」の表記は「独島」になっていて、ここは韓国の領土であるということになっている。これを読むと、国が違うと考え方や見方は変わるものだということがよくわかる。おもしろいのは、パキスタンでの町村外相と韓国の潘基文外交通商相の会談の写真で、アサヒコムでは、「町村外相(左)を招き入れる韓国の潘基文外交通商相」という記述にあるように、潘基文外交通商相が日本の町村外相を招き入れている姿の写真になっているが、中央日報のではやはり同じくトップページに韓日外相会談の写真が載っていたが、こちらは2人が握手した後、背を向けておのおの反対方向へ歩き出す瞬間の写真になっている。そして、「韓日、各自進むべき道へ?」という見出しがついている。同じ場面でも、見方が違うとどこに着目するかも異なるものだ。

 この中央日報で、オピニオンのページの文昌克(ムン・チャングック)論説主幹のコラム「独島の隠れた絵」はたいへん印象深かった。文氏は、こう書いている。

「独島は韓国領であるため、我々のものだけを確保すれば終わりだ。日本の様子を見て慌しくなる過去の慣行を直せばそれまでだ。ところが、大統領が直接乗り出して日本の小泉首相を攻撃し、外交通商部(外交部)長官もこれに加勢した。政府が独島を必要以上に浮き彫りにさせている。なぜだろうか。」

 つまり、文氏は「政府の行き過ぎた対日敵対姿勢が理解できないのだ」という。さらに、最近の韓国政府関係者は、しきりに「韓米日同盟は北東アジアの対決的思考を前提にしたもの」という発言をしているという。盧大統領自身も空軍士官学校の卒業式で、北東アジアの「均衡者論」を述べていたという。ここで言う「均衡」とは、すなわち中国とロシアとは対決関係にならないようにするという意味だ。この考え方は別に間違いではないと文氏は書く。しかしながら、問題は「均衡」で中国やロシアと付き合うとして、では北朝鮮はどうなるのかということだと述べている。

「北朝鮮は我々の味方になるのか、それとも敵なのか。決定的な利害がかかわるとき、中国とロシアは北朝鮮と韓国をどう扱うのか。こういう問題についての説明がない。韓国が北東アジアの均衡者になるのは一つの夢だ。いつかその夢がかなうと私も信じる。しかし今ではない。段階があるはずだ。今はまず北朝鮮核問題を解決し、その次は統一をしなければならない。」

 にもかかわらず、なぜ「均衡者論」を主張しているのか。ここで反日運動というものが出てくる。ここで僕は、そうだったのかとはったと気がついた。韓国にとって反日であるということは、日本の背後にいるアメリカへの抵抗なのであるということだ。つまり、なぜ、今ここで竹島問題を韓国政府は持ち出してきたのか。文氏はこう書いている。

「米国を媒介にした伝統的な韓米日安保構図が、日本という要素のためすでに崩壊し始めたのではないか。結局は日本の過去の歴史を理由に、中国、北朝鮮、韓国が同じラインに立つのではないのか。これが隠れた絵ではないか。」

 そして、文氏は必要以上に日本を悪とする竹島問題の変質を憂慮すると書いている。

 これはなるほどと思った。つまり、韓国はこれまでのように日本-アメリカの側につくのではなく、同じく日本に敵対感情を持つ中国、北朝鮮の側につこうとしているのではないかと文氏は書いているのだ。

 これはこう考えることができるのではないか。韓国は、別にアメリカと手を切ろうというのではない。アメリカよりも、むしろ日本なのである。韓国は今、日本を見限り始めているのではないかと思う。韓国は、これまで日本を見習ってきたが、もはや日本に学ぶものはもうないと思い始めている。韓国にとって意識すべき相手は、日本ではなく中国なのである。製造業のコストでは、とても中国にはかなわないからだ。従って、これにいかに対応するかが韓国の懸案なのである。隣国に中国という巨大な競争相手がいて、その国が今や急速に成長しているということへの緊張感が韓国にはものすごくある。韓国にとって、日本よりも中国が大きな存在になりつつあるのではないか。

 今の韓国や中国の反日運動は、安易なナショナリズムの発露だけと見てはならないのではないか。今の日韓関係や日中関係の背景には、グローバル化した世界とボーダーレス経済に飛び込もうとしている中国・韓国と、政・官・財そして大手マスコミによってますます没落していく日本というアジア経済のドラステックな変動があるのではないかと思う。

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Comments

しばらく、自分のエッセイにかかっていてこちらのブログを閲覧していませんでした。

韓国の関心は日本より中国という見解は興味深いです。一方で、韓国が有力な輸出産業への育成をはかっている芸能産業をはじめ、日本への市場参入には積極的なようです。今の韓国国民にとって日本とはどういう存在なのか?

それにしても野球の韓流、イ・スンヨブはどうなるか?タイロン・ウッズ(韓国で本塁打王取得)は日本でも大活躍ですが・・。

明日から、またコメントを寄せてゆきます。

Posted by: 舎 亜歴 | April 13, 2005 at 02:48 AM

重要なことは、韓国はもう日本を学ぶ対象ではなく、対等の競争相手、あるいは市場のひとつとして見ているということです。今の中国の反日運動の高まりも、もはやアジア経済だけではなく世界経済の大きな存在になっていることが言えます。教科書問題とか領土問題とか、そのひとつひとつは中国や韓国側に正論はなく、日本側に理があるのは当然ですが、だからといって、中国・韓国は間違っていて、日本は正しいかのような認識で終わってはいけないと思います。今の中国の反日運動など、枝葉末節なことです。なぜ、もっと大きな枠組みで世界を見ようとしないのか。中国というのは、それほど巨大な力を持ち始めたということです。

中国は、日本以上に国際化しています。はっきりいって、EUは日本より中国の方を重視しています。日本はどんどん世界からおいていかれています。スポーツの分野でも、アメリカではマツイやイチローよりも、NBAの中国人選手ヤオ・ミンの方が知名度は高いです。今、世界は中国抜きでは回らなくなってきている。そうした背景があって、今の反日運動の高まりがあります。なぜ、マスコミはこうしたことを人々に伝えないのでしょうか。それは、「日本人は正しくて、中国人は愚かである」という戦前の構図が今だ日本人の中に根強く残っているからだと思います。

Posted by: 真魚 | April 13, 2005 at 11:10 PM

>>EUは日本より中国の方を重視しています。日本はどんどん世界からおいていかれています。

その事は重大な懸念事項です。ところで日本は中国より自国の価値を訴えられないのでしょうか?3月初旬にIHT紙でThe New France.comという興味深い広告が立て続けに掲載されていました。何でもフランス政府は外国企業を熱心に誘致して、研究開発施設や工場などを積極的に建設しているようです。特にアメリカとの政治的関係悪化をよそに経済では良好な関係だと盛んに訴えていました。

該当サイトhttp://www.thenewfrance.comは何と英語、ドイツ語、そして日本語で書かれています。フランス語はなし。そこまで外国企業の資本と技術に期待しているのかと感心しました。

そう、資本と技術なら日本の方が中国よりずっと優位ではないか!事実、そのサイトで中国語はなし。

このところの対中武器輸出問題ではフランスが最も輸出に熱心なのは周知。しかし彼らも考え直して欲しい。そんなに資本と技術が欲しいなら、最後に日本と中国のどちらを選ぶのか?

ここで一言つけ加えると、在外公館や国際パビリオンを見ればフランスは芸術だけでなく技術立国であることを盛んに強調しています。そうした目標があるなら、技術のある日本の方が中国より魅力あるパートナーだと訴えられないのか?

中国がどれほど「躍進」しようと政治的不安定要因は多い。日本がどれほど経済停滞にあっても、そこまで危険な不安定要因はない。

日本の指導者の皆様、もっと自国の価値を大々的にアピールしても良いのでは?

Posted by: 舎 亜歴 | April 14, 2005 at 01:10 AM

以前、ここでも書きましたように、重要な技術は日本が握っています。工作機械など精密性が要求される技術は、国民性の違いもあり中国ではなかなかできません。現在、アメリカでは中国からの輸入製品の増加が大きく注目されていますが、それらは中国にある日本企業の工場が生産したものです。つまり、日本製品が中国を経由してアメリカ市場に行っているわけです。国家で見ますと、対中貿易になりますが、実質的には日本企業の力です。

このように、日本というのは国の枠がない部分では非常に強いのです。ボーダーレスワールドで競争に勝ってきた企業ですから当然です。建築や流通や金融といった国の保護がある産業が著しく衰退しているわけです。EUのホンネは中国よりも日本ともっと手を組みたいのだと思います。しかしながら、肝心の日本の方がそれに応えることなく、やっていることは相変わらずアメリカの属国のようなことをやっているわけです。

Posted by: 真魚 | April 14, 2005 at 01:46 AM


日本人っていうのは、悲観的になりやすいっていいますよね。

経済の見通しなんかでも、楽観視する人は少ない。

一昔前、「自虐史観」なんて言葉がありましたけど、あまり深入りしたくないトピックですが、

まあ、確かに、自分の国の歴史にポジティブにな人が多いとはいえない。

だから、日本人は悲観的だと。


なるほど、全体の現象としては、そうかもしれない。

だけども、しかし、ボクの友人で、そんなに自虐的な人間を見たことがない。むしろポジティブな奴が多い気がする。

例えば、電車の中で女の子と目が合っただけで、「自分に気がある」と錯覚する奴とか。

そいつはイメクラで相手の女の子が自分のことが好きだと思い込んで、本番までやってしまって、

ヤクザに追いかけられるというようなことを経験したらしいんだけど、

まあ、僕にはよく分からない世界です。

そういう演技と現実がわからなくなるほどポジティブな奴は、極端だけども、

そんなにたくさんネガティブな奴が多いようには思えないでしょ?

むしろ多いのは、他人を貶めるタイプの人間だと思うんですよ。

イヤ、こういうのは、他の国と比較できる問題じゃないから、日本がどうのこうの言えるアレではないんだけど、

例えば、スポーツの日本人プレイヤーに対する評価とかは、ネガティブになりやすくないですか?

中田がいくら活躍しても、「まあでも世界的に見れば、3流だよね」と言ってみたり、

イチローに対しても、「内野安打が多すぎる」と言ってみたり、

なんか不当に貶める人が結構多いような気がする。


例えばね、「日本人てさ、閉鎖的でダメだよね」みたいなことを平気で言うやつっていうのは、実際は、

「日本人てさ、閉鎖的でダメだよね。俺は違うけど。」といっていると思うんですよ。

日本人が日本人にダメだしするとき、その日本人の中に、言っている当人は含まれない。という法則があるんじゃないか。

どうなんだろう、筑紫哲也。

そうゆう他人へのダメだしが積み重なって、トータルとしてネガティブな日本が出来上がってるように見えるのね。

で、こういっている当人の僕も、「日本人て、他人にきびしいよね。俺は違うけど。」という気持ちで書いてるんですけどね。

Posted by: 拝借 | May 06, 2005 at 05:28 PM

拝借さん、コメントありがとうございます。

例えば、財政破綻について考えてみましょう。個人の考え方が「楽観」であろうと「悲観」であろうと、このままの状態では国の財政は破綻するというのは、「ある速度とある質量の条件下では、このカーブでは列車は脱線する」という物理法則と同様に「決まっている」ことです。国家財政の破綻とは、具体的にはどういうことかといいますと、現在考えられることは、まず銀行預金の一時凍結とインフレで、ようするに例えば1万円のお金の価値が、1万円ではなく6千円とか5千円になるということです。何度も言いますが、個々の個人の考え方が「楽観」であろうと「悲観」であろうと、「自虐史観」だろうと、「修正史観」だろうと、なんであろうと、国家として足りないお金をどこからかもってこなければ「こうなる」んです。

で、じゃあ、そのお金をどこからもってくるのか。ここで、数々の意見に別れます。あるエコノミストによれば、国にはまだ隠れた資産があるから、それを使えばいいという意見があります。しかし、そんなものがあるのならば、ここにあると早く出して、我々を安心させて欲しいと思います(その他、戦争をおっぱじめて軍事特需を作るとか、アジア諸国をまた植民地するとかすればカネはできるでしょうけど、そーゆーことはできないので)。またある意見では、ある一定期間の歳出削減と増税をやるしかないという意見があります。しかし、これはなんのための歳出削減と増税なのか。財政再建を目的としただけのものではないかと思います。そもそも日本の経済を活性化させることができなくては、仮に財政が健全になったとしても、その先はどうするのかということです。大体、今現在でもなんだかんだと各種税金が多いです。ここで、さらにやみくもに消費税等の増税を行えば、国民の生活はますます縮小するだけです。私はむしろ、例えば東京の湾岸部を経済特区にして、ここでは免税にするとか、さらに、住宅建て替えた人は減税、パソコン買い換えた人は減税するとか、地方税や所得税や相続税を減税あるいは免税する制度を作った方がいいと考えます。つまり、税を上げるという方法ではなく、下げるべき税金は下げて、結果として経済活動が活発になる仕組みを考えるべきだと思います。

世の中にネガティブな奴が多いとか少ないとかいうことは関係ないんです。周囲にどういう人が多いか少ないかではなく、自分の頭で、今の世の中の仕組みはどうなっているのか、なぜこうした問題が起こるのか、これはどういうことなのか、これはこうではないか、なぜならばこういう理由によるものであると論理を積み上げて「私はこう考える」という姿勢が必要です。自分の考えた結論が、仮に周囲の人々と違っていても、いいではないですか。問われるのは、その結論に至る思考の論理の過程です。「俺は違うけど」とか「俺もそうだけど」という個人的なことは気にしません。

Posted by: 真魚 | May 07, 2005 at 04:15 AM

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Tracked on April 08, 2005 at 06:18 AM

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