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April 2005

April 28, 2005

日中不和は子供のケンカ

 中国の王毅駐日大使は、自民党の外交調査会で講演し、靖国神社参拝について「紳士協定」が日中両政府間にあったという。それは、首相、外相、官房長官の3人は靖国神社に参拝しないというものであったようだ。

 これが事実あったのか、どうかはわからないが、中国が「日本は戦争の反省をしていない」というのは、ようするにこの「紳士協定」を日本が破っているからである。だから日本人は反省をしていないのだと判断している、とでも言うのだろうか。じゃあ、日本国の首相、外相、官房長官の3人が靖国神社を参拝しなければ、それでいいんですね、それが「日本は反省している」という証明になるんですね、と言いたくなるのであるが。

 いや、本気で中国政府はそう考えているのだというのならば、なんかもうワタシは激しく脱力するんですけど・・・・・。国家間の取り決めで、口頭での「紳士協定」ってなに?こんな内容のことで、日中間の不和があり、あの反日暴動があった(つーか、これからも続くと思われる)のだろうか。

 日本の役人は問題アリの人々であるが、中国の役人もまた、それに一層輪をかけて問題アリの人たちであるように思えてならない。考えてみよう。日中の間で誠実に商売をしたり仕事をしたり、あるいは日本に留学をして勉強をしていたりしている中国の人々にとって、本当に迷惑な国はどこの国なのか。

 一方、町村外相は、インドネシアで行われた日中首脳会談を受け、反日色が強いとされる中国の歴史教科書について、政府として実態を調査した上で中国側に改善を申し入れる意向を明らかにしたという。日本と中国が共同で歴史認識を持つことができるように、共同の教科書を作ることを中国政府に申し入れた、じゃあなくて、中国の教科書を日本もきびしくチェックし、文句をつけるべきところは、中国に文句をつけようというのである。他人の国の教科書にイチャモンを言うことは、内政干渉ではなかったのだろうか。不毛の論争になることがわかりきっていることを、あえてやろうというその意味はなんなのか。

 もはや日中の政府は、お互いに子供のケンカのレベルになってきたと言えよう。

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April 21, 2005

「ネバダレポート」というものがある

 「ネバダレポート」(Nevada Economic Report)というものがあるということを、最近知った。金融関係では、知る人ぞ知る結構有名なレポートであるようだ。以前、ここでも書いたアメリカ政府による「年次改革要望書」のようなものだと考えることができるかもしれない。

 「ネバダレポート」とは、2001年9月に日本の投資会社を通して一部の官僚や政治家に渡り、そして瞬く間に霞ヶ関に広まった出所不明の報告書である。IMF(国際通貨基金)調査官と日本の官僚らの合作と言われていて、日本の国家財政が破綻し、IMFの管理下におかれた時、どのようにIMFが日本の財政を管理し、立て直しを行っていくか、そのアクション・プログラムが書かれているものである。この報告書は、衆議院の第154回国会予算委員会で取り上げられた。

 どのような内容のものか。衆議院の第154回国会予算委員会10号平成14年2月14日の議事録によると、以下のような内容である。

 日本の国家財政が破綻し、IMFの管理下に置かれると、

(1)公務員の総数、給料は三〇%以上カット、及びボーナスは例外なくすべてカット。
(2)公務員の退職金は一切認めない、一〇〇%カット。
(3)年金は一律三〇%カット。
(4)国債の利払いは五年から十年間停止。
(5)消費税を二〇%に引き上げる。
(6)課税最低限を引き下げ、年収百万円以上から徴税を行う。
(7)資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の五%を課税。債券、社債については五から一五%の課税。
(8)預金については一律ペイオフを実施し、第二段階として、預金を三〇%から四〇%カットする。

ということになる、ということだ。ようするに、最悪の場合、日本の財政はこうなるというIMFのシナリオである。簡単に言うと、外資が日本の金融を支配するということである。

 この「ネバダレポート」なるものの信憑性は、疑わしいものであるようだ。本当に、IMFが作成したのかどうか謎であるという。しかしながら、「ネバダレポート」が偽文書であろうがなかろうが、日本の財政が現状のままで続くのならば、この国は本当にIMFの管理下に置かれる可能性は高い。平成14年からこうしたことを言われていて、未だになにも改革が行われていないということは、もはや改革する意思はないものと思われるのではないか。

 今でもこそ公務員に就職すれば、一生安泰だと思われているが、上記のようなことが実際に起こるとなると、公務員は給料は大幅に減り、ボーナスはカット、さらに退職金はないという悪夢の事態になることになる。よって、官僚は(1)から(3)は、絶対にやりたくないであろうから、つまり、今(3)以下を行おうとしているとも考えることができる。(3)以下は、国民全体の負担にすることができるからだ。財政破綻の危機は、国民の支払いによってなんとか脱したい、というのが今の官僚のホンネなのであろう。

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April 20, 2005

絵に描いた餅

 竹中経済財政相は19日の経済財政諮問会議で、4半世紀後も日本が経済力を維持するため必要な改革課題をまとめた「日本21世紀ビジョン」を報告したという。

 この最終報告書は、まだ経済財政諮問会議のサイトに置かれていないようなので、どのようなものか内容の全文はわからないが、アサヒコムの記事を読むと、構造改革を怠ると、日本は将来的には閉ざされた「元経済大国」なるとしている。少子化で人口が減っても、高齢者の労働力の活用、技術革新などによる年率2%の生産性上昇などを図れば経済成長率は年率1%台半ばを確保できるという。

 そして、こう書いてある。

"「官」の機能の縮小、消費税引き上げによる財政の健全化、社会保障改革なども進めることで、知的開発の拠点化、高齢者の自立、ゆとりと個人の能力の向上などが進み、経済が順調に成長。1人当たり実質消費も年率2%伸びる社会(になる)"

 しかし、こうしたことをしなければならないということは、もはや誰でもわかっていることであり、それも以前からわかっていたことなのではないか。むしろ「官の機能の縮小」「財政の健全化」「社会保障改革」などといったことを「どのように行うか」ではなく、「なぜできないのか」を問うべきなのではないかと思う。

 構造改革は、なぜできないのか。なにがネックになって、日本は変わることができないのかという観点からのアプローチが必要なのではないだろうか。なぜ、つぶれるべき銀行に巨額の公的資金を投入したのだろうか。なぜ、道路公団は改革できないのだろうか。なぜ、年金制度や国民健康保険制度は破綻しているのだろうか。そして、改革がなにひとつ行われることはなく、結局国民への増税になっているのはなぜなのだろうか。

 現状では今、日本は資本主義でも民主主義でもなく、旧ソ連型の社会主義階級社会になりつつある。なぜそうなっているのか。これを考えることから、本当の改革は始まるはずであると思うのだが、政治家のセンセイも学者のセンセイも、そーゆーことは考えたくないようだ。

 経済財政諮問会議のサイトで、「日本21世紀ビジョン」のワーキンググループの会議資料をpdfで見ることができる。これらの資料に目を通してみると、どれも統計やらグラフやらが多数あったり、いかにも学者や官僚が書くような文章で、何を言っているのかよくわからん。理解できないお前のアタマが悪いんだと言われそうであるが。なるほど、こうした資料を見ながら会話をしているんだなあと思うけど、なんだかなあ。

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April 19, 2005

BBC、日本は虚偽で偽善だと報道する

 イギリスのBBC Newsが読売新聞を挙げて、日本人は中国への侵略を反省していないと書いている。"The row over Japan's past and future"というこの記事を読んでみると、この記者が言いたいことは、次の部分であろう。

"And Japan's largest national newspaper, the Yomiuri Shimbun, in what I take to be blatant disregard for the known facts, has called on its readers to celebrate, because the new textbooks have cut out all mention of one of the greatest of all the humiliations inflicted by Imperial Japan on its neighbours: the use of large numbers of women in conquered Asian countries as sex slaves for the Japanese army. "

 ようするに、読売新聞が従軍慰安婦についての言及が教科書からなくなったことを良しと評価していることが、この記者には納得ができないのであろう。

 なんでイカンのかと思う。教科書に従軍慰安婦のことについての記述を載せる、載せないは教科書の自由ではないのか。

 上記の文章に続いて、

It was right to set the record straight, I read, because the accusations "had been shown to be untrue".

Surely I thought modern Japan could not give in to the poison of such deceit and hypocrisy ever again.

と書いてある。ははあ、ここだなと思った。つまり、何が納得できないのかと言うと、読売新聞が、従軍慰安婦が真実であるかどうか立証されていないから、教科書に従軍慰安婦の記述がないのは良いことであると判断していることが、"deceit"(虚偽)で"hypocrisy"(偽善)だとBBCの記者は書いているのだ。

 しかしながら、よくわからないのが、"the use of large numbers of women in conquered Asian countries as sex slaves for the Japanese army."の記述だ。

 日本軍兵士による強奪、略奪、強姦、一般市民の殺戮があったことは事実である。しかし、軍の制度として"sex slaves"(性的奴隷)なるものがあったわけではない。

 民間の公娼業者が行う「軍慰安所」というものはあった。これは職業としての公娼であり、給与が支払われるものであるが、なかには悪徳業者もいたし、「身売り」やひどいこともあったであろう。この悪徳業者がやったことの責任まで、日本国政府および後の世の日本人すべてが負わなくてはならないというのだろうか。あの戦争で起きた一切合切の不幸は、すべて日本国の責任であるというのだろうか。

 あの戦争について謝罪すべきものは謝罪し、そうではなかったものはそうではなかったとするのはしごくまっとうなことだと思う。BBCのこの記者には、それがわからないらしい。

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April 15, 2005

パラサイト政府

 国際通貨基金(IMF)は13日、2005年春の「世界経済見通し」報告にて、日本の05年の国内総生産(GDP)実質伸び率は前年比0・8%増と予想し、04年実績の2・6%増から大幅に減速するとしたという。

 先日もここで書いたが、現在の日本の財政は超借金状態になっており、これほどの多額の借金を返済できる国家は今だかつてあったことはない。つまり、このままの状況ではまず解決できない。財務省の資料を見ると、政府の債務残高の対GDPは、先進国中一番最悪の状態になっている。

 借金が多くても、政府の金融資産は大きいから問題はないという意見もある。しかしながら、問題がないのならば、なにゆえ年金制度が崩壊しているのか。さらには、借金の金額がこの額のままで済むのだろうか。今後、もっと増えていくことはないのだろうか。それでも政府の金融資産があるから大丈夫だと言うのだろうか。

 事ここに至っても、政府は将来性のある改革をやる意思も、計画も、予定もない。しょうがないから増税をやるしかないでしょうみたいな、というか、もうそのつもりになっているのだろう。しかし、増税して未来に展望があるのかというとまったくないわけで。つまりは、今のこの時だけ良ければいいやというわけなのであろう。

 日本政府というのは、日本国民に寄生している「パラサイト政府」ではないかと思う。日本政府は、自分でなにものも生み出すことなく、ただひたすら国民からカネを徴収するパラサイトなのではないだろうか。戦後の日本が築き上げてきた繁栄を、政、官、財、大手マスコミが食い尽くし、そしてその繁栄が底をついた時、この「パラサイト政府」は、宿主である国民をまきぞえにして終局を迎えることになるようだ。

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April 13, 2005

教科書が偏っているのは当たり前である

 歴史学というのは、自然科学や工学ではない。歴史学は、歴史的事実に対して人間が行う「解釈」というもので成り立っている以上、人類のいかなる民族にも公平で客観的な歴史認識というものは存在しない。万人が納得しうる歴史解釈というのはありえない。そもそも学校の歴史の教科書というのは、その時の権力に都合がいい内容になっているのは当たり前のことである。

 むしろ学校の教科書というものは、そんな、たいそうなものじゃあないんだと思うことが必要だろう。大体、学校で習ったものには、いかに間違いが多いかということを知っていくのが自分で勉強をしていくってゆーことだ。こっちの方がもっと大切だ。

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April 08, 2005

国が変われば見方も変わる

 中央日報という韓国の日刊全国紙の新聞がある。これの日本語版がネットで読むことができる。当然のことながら、「竹島」の表記は「独島」になっていて、ここは韓国の領土であるということになっている。これを読むと、国が違うと考え方や見方は変わるものだということがよくわかる。おもしろいのは、パキスタンでの町村外相と韓国の潘基文外交通商相の会談の写真で、アサヒコムでは、「町村外相(左)を招き入れる韓国の潘基文外交通商相」という記述にあるように、潘基文外交通商相が日本の町村外相を招き入れている姿の写真になっているが、中央日報のではやはり同じくトップページに韓日外相会談の写真が載っていたが、こちらは2人が握手した後、背を向けておのおの反対方向へ歩き出す瞬間の写真になっている。そして、「韓日、各自進むべき道へ?」という見出しがついている。同じ場面でも、見方が違うとどこに着目するかも異なるものだ。

 この中央日報で、オピニオンのページの文昌克(ムン・チャングック)論説主幹のコラム「独島の隠れた絵」はたいへん印象深かった。文氏は、こう書いている。

「独島は韓国領であるため、我々のものだけを確保すれば終わりだ。日本の様子を見て慌しくなる過去の慣行を直せばそれまでだ。ところが、大統領が直接乗り出して日本の小泉首相を攻撃し、外交通商部(外交部)長官もこれに加勢した。政府が独島を必要以上に浮き彫りにさせている。なぜだろうか。」

 つまり、文氏は「政府の行き過ぎた対日敵対姿勢が理解できないのだ」という。さらに、最近の韓国政府関係者は、しきりに「韓米日同盟は北東アジアの対決的思考を前提にしたもの」という発言をしているという。盧大統領自身も空軍士官学校の卒業式で、北東アジアの「均衡者論」を述べていたという。ここで言う「均衡」とは、すなわち中国とロシアとは対決関係にならないようにするという意味だ。この考え方は別に間違いではないと文氏は書く。しかしながら、問題は「均衡」で中国やロシアと付き合うとして、では北朝鮮はどうなるのかということだと述べている。

「北朝鮮は我々の味方になるのか、それとも敵なのか。決定的な利害がかかわるとき、中国とロシアは北朝鮮と韓国をどう扱うのか。こういう問題についての説明がない。韓国が北東アジアの均衡者になるのは一つの夢だ。いつかその夢がかなうと私も信じる。しかし今ではない。段階があるはずだ。今はまず北朝鮮核問題を解決し、その次は統一をしなければならない。」

 にもかかわらず、なぜ「均衡者論」を主張しているのか。ここで反日運動というものが出てくる。ここで僕は、そうだったのかとはったと気がついた。韓国にとって反日であるということは、日本の背後にいるアメリカへの抵抗なのであるということだ。つまり、なぜ、今ここで竹島問題を韓国政府は持ち出してきたのか。文氏はこう書いている。

「米国を媒介にした伝統的な韓米日安保構図が、日本という要素のためすでに崩壊し始めたのではないか。結局は日本の過去の歴史を理由に、中国、北朝鮮、韓国が同じラインに立つのではないのか。これが隠れた絵ではないか。」

 そして、文氏は必要以上に日本を悪とする竹島問題の変質を憂慮すると書いている。

 これはなるほどと思った。つまり、韓国はこれまでのように日本-アメリカの側につくのではなく、同じく日本に敵対感情を持つ中国、北朝鮮の側につこうとしているのではないかと文氏は書いているのだ。

 これはこう考えることができるのではないか。韓国は、別にアメリカと手を切ろうというのではない。アメリカよりも、むしろ日本なのである。韓国は今、日本を見限り始めているのではないかと思う。韓国は、これまで日本を見習ってきたが、もはや日本に学ぶものはもうないと思い始めている。韓国にとって意識すべき相手は、日本ではなく中国なのである。製造業のコストでは、とても中国にはかなわないからだ。従って、これにいかに対応するかが韓国の懸案なのである。隣国に中国という巨大な競争相手がいて、その国が今や急速に成長しているということへの緊張感が韓国にはものすごくある。韓国にとって、日本よりも中国が大きな存在になりつつあるのではないか。

 今の韓国や中国の反日運動は、安易なナショナリズムの発露だけと見てはならないのではないか。今の日韓関係や日中関係の背景には、グローバル化した世界とボーダーレス経済に飛び込もうとしている中国・韓国と、政・官・財そして大手マスコミによってますます没落していく日本というアジア経済のドラステックな変動があるのではないかと思う。

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April 07, 2005

ABC Newsのピーター・ジェニングス、肺ガンに病む

 ABC Newsの看板番組"World News Tonight"のアンカーであるピーター・ジェニングスは、5日、番組の中で肺ガンであることをのべ、来週から化学療法を始めることになったと伝えた。治療を受けながら番組は続けていくようだ。同じく、ABC Newsの看板番組の"Nightline"のアンカーマンのテッド・コペルは契約が切れる今年の12月で番組を降板するという。CBSのダン・ラザーがいなくなってしまった今、さらにリベラルの大物キャスターがいなくなることになる。

 僕は、テッド・コペルはアメリカのメディアの良心だと思うし、ピーター・ジェニングスも言うべきことは言う優れたキャスターだった。この2人あってのABC Newsなのだと思う。5日の"World News Tonight"の最後で自分がガンであることを語るピーター・ジェニングスの声は、もう張りのある声ではなくなっていた。

 今のアメリカのメディアの中で、ピーター・ジェニングスやテッド・コペルの後を継ぐようなキャスターやジャーナリストは、ざっと見回してもいないように思う。ということはですね、FOX Newsみたいな保守系メディアだけがやたら元気よくはびこることになるのではないか。

 もともと、テレビニュースメディアはリベラルの牙城であった。それがいつのまにか保守系メディアに大きく差をつけられるようになってしまった。そして、年老いたリベラルの大物キャスターが去っていくようになった今、その後を継ぐ若いキャスターがいない。その一方で、保守系メディアが勢力を伸ばしている。これはアメリカでは、もう大手テレビ局のニュース番組でリベラルな番組などなくなってしまうのではないか。テレビで見るニュースというもの自体が、もはや過去のものとは変わりつつあるのだろう。

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April 06, 2005

国の借金751兆円超

 小泉総理はもっかのところ郵政の民営化が最大の課題のようであるが、なにゆえこれがもっかの急務なのかよくわからん。大体、誰が今、郵便局を民営化して欲しいと言っているのだろうか。少なくとも日本国民の一人であるワタシは、郵便局の民営化はどうでもいいから、道路公団問題とか、年金問題とか、北朝鮮拉致問題とかの方をやるべきではないかと思うのだが。

 大体、あれほど騒いだ年金問題はどうなったのだろうか。問題は全然解決していないではないか。一時騒いだだけで問題はまったく解決しないまま、マスコミは取り上げなくなって、次の話題(郵政民営化とか)を取り上げているのである。

 国の借金は751兆円超であり、もはや過去最高であるという。消費税を上げればいいというものでもないだろう。消費税を上げれば、消費者の購買意欲は低くなり消費が落ち込む。そうなると経済成長率が低下して、所得税が減るということは高校生でもわかる論理ではないか。このままで行くと、今、政府は少子化による経済成長の低下とか、ニートが85万人もいるとか言っているが(それらも経済成長を低下させる原因ではあるが)、そもそも、その前に国債償還の期限の2008年に国家財政は破綻する。

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April 03, 2005

「中央公論」の4月号を読んで

 前回、「現代思想」での原武史氏の天皇制についての評論について書いた。昨日、所用で渋谷へ行ったので、じゃあついでにブックワーストに寄ってくるかなと行ってみた。そういえば「ユリイカ」の今月号はブログ特集だったなと思い、総合雑誌の棚へ足を向けてみると、「中央公論」の今月号が学力崩壊についての特集であるというのが目に入った。ふーん、なるほどと手にとってページをパラパラめくってみると、なんと原武史氏の対談が載っているではないか。原先生が「宮中祭祀」について語っているじゃあないですか。うーむ、知らんかった。というわけで、さっそく買って読んでみた。

 この対談の内容を一言で言えば、女性天皇を認めるのは良いが、「宮中祭祀」の問題があるということである。「宮中祭祀」とは、天皇家の行事である。この儀式の中には、大嘗祭や新嘗祭のような大和時代からの儀式もあるが、朝廷儀式が今日のような姿になったのは孝明天皇(この次の天皇が明治帝である)の祖父の光格天皇からであり、以後今日に至るまで男性の天皇が中心に祭祀を行ってきた。そもそも、この「宮中祭祀」を規定している皇室祭祀令は、1908年(なんと明治41年なのだ!)に公布されている。この法令は、日本国憲法が施行された1947年に廃止されているが、実際のところ今日に至るまで、この皇室祭祀令に従って宮中祭祀が行われている。

 近代天皇制での天皇には、基本的に次の2つの役割がある。ひとつは、「外」の役割。国内や外国の式典に出席し、マスコミを通して人々の前に姿を現す、まさに日本国民の象徴として天皇である。もうひとつは、「内」の役割。国家神道の祭司として天皇である。皇祖皇宗に向かって国民の平和と繁栄、あるいは五穀の豊饒を祈る。この「内」としての天皇は、皇居の中の宮中三殿で行われ、この場所は非公開になっている。この祭祀には、女性は出席できない祭祀がある。また、女性は妊娠中や生理中は宮中三殿には上がれない。つまりどうも、天皇家の「外」には、西暦(キリスト教暦)で言えば、21世紀の時間が流れているのだが、天皇家の「内」は18世紀で停止しているようだ。

 今、一般国民は「外」の天皇しか意識していない。当然のことながら、「内」の天皇は(天皇とは、そうしたものなのであろうということは国民は理解してはいるが)あまり知られていない。あまり知られていないままで、今の男女同権の世の中なのだから、女性天皇があったっておかしくないと考えている。とにかく皇統を絶やしてはマズイなということで、女性天皇があっても良しとしている。しかしそれは、近代天皇制とは、上記の「外」と「内」のワンセットで成り立ってきたという事実を見ていない。

 この「見ていない」というのは、つまり、それほど現天皇夫妻は、見事にその役割を努めているということなのであろう。民間出身の現皇后はたいへん聡明な方であり、天皇家のこの「外」と「内」の役割を理解し、「宮中祭祀」ついて非常に熱心に勉強されたという。この皇后が自ら作ってきたものを、自分と同じ民間出身の次の皇后に伝えたいと思うは当然のことであろう。ところが、かたや「外交をやりに行ってきます」と言って、天皇家に嫁いできた皇太子妃は最初からそのような意識は持っていなかったものと思われる。いわば、現皇后は、天皇家の守るべきものを自ら率先して守ろうという考えをもって天皇家に来たのに対して、皇太子妃は、天皇家は時代に合わせて変わるべきであるという考えを持って天皇家に来たのであった。

 もちろん、女性天皇があってもおかしくはない。しかし、その場合は、1947年に廃止されていながら、「なぜか」(この「なぜか」が重要だ)21世紀の今日に至るまで連綿と続けられてきた皇室祭祀令を大幅に修正する必要がある。あるいは、そもそも「宮中祭祀」をなくすということもありうるのではないか。ここに、皇太子の「時代に即した公務の内容を考えていく必要がある」という発言の意味がある。こうした皇太子妃を選んだ皇太子自身が、親の現天皇夫妻とは別の天皇家のあり方を考えていたことが十分理解できる。

 この皇太子の言葉に応えることは、宮内庁の範囲では対処できないであろう。宮内庁はそもそも役所であって、役所とは決まったことを、決まったように行っていくのが仕事である。皇太子がこう言っても、規則ではこうなっていますとしか答えようがないであろう。では、どこが対応すべきことなのか、というところで話は暗礁に乗り上げる。どこにも対応すべき場がないのだ。そして、上記のような本質的な議論がなされないまま、なんとなく女性天皇オッケーになって、皇太子が言ったことは誰も聞かなかったことにしよう、宮内庁が悪いつーことにしようとしていないだろうか。そして、世間的には、皇太子妃はひきこもっていないで早く仕事しろみたいな声が飛び交う。

 原氏によると、昨日ここでも書いたように、天皇家が「宮中祭祀」にこだわるようになったのは、貞明皇后とその女官長島津ハルの時代からである。この時代、宮中には国家神道とカルト神道信仰が融合していた。「神ながらの道」を極めれば皇祖神アマテラスになれるとし、「神を敬わなければ必ず神罰あるべし」と子の昭和天皇に絶えず言い続けていた貞明皇后の「意思」のようなものが平成の今でも生きている。この「意思」は昭和の香淳皇后に移り、平成の現皇后にもそれがある。今の皇太子妃が直面しているのは、この「意思」なのである。

 では、その「意思」は、現代の日本国民が求めているものなのだろうか。もしかりに、皇太子妃は現皇后の生き方を受け継がなくてはならない、受け継ぐべきであるとするのならば、なぜ「宮中祭祀」がこのような姿で今日もあり続けているのかという皇太子の疑問に答えるべきであろう。皇太子妃は長野への家族旅行には行ったが、もはや公務のほとんどに出席していない。これはもう皇太子は、祭司に皇太子妃が出席する必要はないと考えているのではないか。それは、常に2人で祭司を行ってきた現天皇夫妻に対する最大限の抵抗と言えるかもしれない、という対談の最後での原氏の意見は考えさせられる。

 皇太子夫妻は、われわれ日本人が本当に守るべきものはなにか、本当に変えるべきものはなんであるのかということを問いかけている。そして、さらに極端に言えば、神がかっていた貞明皇后と島津ハルの「意思」は残り、その「意思」の受け入れを拒む皇太子妃の「意思」は、なぜわがままとされ潰されるのかということを問いかけているのである。

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April 02, 2005

「現代思想」の3月号を読んで

 「現代思想」の3月号は、松本清張の特集であった。松本清張というと、米倉涼子の『黒革の手帳』じゃあなくて、どちらかというと『砂の器』の、それも好みとしては1974年の丹波哲郎主演の映画の方が好きなのだけど、そうした話ではなくて、松本清張の最後の作品は天皇制についての小説であったということについて考えてみたい。

 この特集の中で、その最後の小説『神々の乱心』ついて書いた日本近代思想史家の原武史氏の「『神々の乱心』の謎を解く」は特にたいへん興味深かった。この『神々の乱心』とは、舞台は昭和初期、ある新興宗教が宮中に入り込み、その教祖が三種の神器を奪い自らが天皇に成り代わろうという野望の物語だ。こんな話は、絶対にどの局もテレビ化はしないだろうなあ。原氏は、この小説は昭和初期に宮中であった出来事を踏まえて書かれているという。

 昭和初期の時代は、神道関係の新興宗教が多かったのではないかと思う。大きな勢力を持った宗教団体であったのが大本教である。大本教以外にも、様々な新興宗教があった。この時代は、軍事一色と思いきや、意外と数多くの新興宗教の教団や右翼や左翼の政治組織や活動があり、活発に活動を行っていた。その中で、神道系新興宗教が当時の皇居の中にも影響を及ぼしたのが島津事件である。宮中の元女官長であった島津ハルが、神道系カルト教団の神政龍神会に入信する。この神政龍神会は、やがて伊勢神宮の鏡は偽物であり、熱田神宮の剣も皇位継承のものでないと主張するようになる。島津ハルも、昭和天皇は早晩崩御すると預言するようになる。彼らは、不敬罪で逮捕された。宮中を辞めていたとはいえ、元女官長がカルト教団に入信していたことは、いかにこの時代、新興宗教が人心を掴んでいたかということがわかる。

 もうひとつ興味深い点は、昭和天皇とその母親の貞明皇太后との対立的な関係である。昭和天皇は、その皇太子時代の1921年に、半年にわたってヨーロッパ旅行を行った。この西欧行きに反対したのが、母の貞明皇后である。貞明皇后は、皇太子が西欧文化の影響を受けることを危惧した。昭和天皇は、その若き日においてモダニストであった。西欧から帰国したこのモダンな皇太子は、宮中の旧態依然とした制度の改革に着手する。後宮の女官制度を一新し、高級女官は住み込みではなく、通勤制にしようとしたという。当然、側近の老人たちは反対した。時の宮内大臣牧野伸顕は難色を示す。牧野は、宮中祭祀における高等女官の役割は重要であり、通勤制ではできないことを皇太子に説く。ところが、このリベラルな皇太子は承服せず。さらには皇室にとって重要な儀式である新嘗祭を休んで、四国へ旅行に出かけてしまったという。これを知った皇后は、皇太子は西洋風の習慣に影響されてしまい、宮中祭祀をないがしろにしていると思うようになる。

 元々、貞明皇后は夫の大正天皇が引退せざる得なくなったのは、大正天皇が祭祀に熱心ではなかったため神罰が下ったのだという後悔の念を持っていたという。貞明皇后は、自ら神道を学び、「神ながらの道」という思想の影響を受けていた。そして、自分もまた「神ながらの道」を極めれば、皇祖神アマテラス(アマテラスは女性神である)のようになれるのではないかと思っていたという。後に昭和になり、皇太子は昭和天皇になり、貞明皇后は皇太后になるが、貞明皇太后は常に昭和天皇に「神を敬わねば神罰が下る」と教え諭していたという。昭和天皇は、祭祀を熱心にやらざるをえなかった。島津事件で逮捕された島津ハルは、貞明皇后から厚い信頼を得ていた。そして、島津ハルも貞明皇后も国家神道としての神道ではなく、宗教としての神道を信仰していた。つまり、昭和初期の宮中には宗教としての神道が入ってきていたのである。昭和天皇が改革をしようと試みた皇室は、そうした場所であった。

 時代は変わり、1960年代に、侍従であった入江相政は、昭和天皇の高齢を配慮し、祭祀の負担を軽くすることを考えた。昭和天皇はこれを了承する。ところがここに反対者が出てくる。貞明皇后の代から仕え、香淳皇后からの信頼が強かった女官の金城誼子である。この女官が祭祀の軽減に猛反対する。入江相政は、この女官を「魔女」と呼んでいたという。金城は異常なほど神道を信仰し、あまりにも神道儀式へのこだわりが強かった。常識人である入江から見れば、金城は時代錯誤的な神懸かりに見えたのであろう。一人の女官が反対しているだけであるのならば、話はこれでオワリになるが、金城誼子は香淳皇后の気に入りの女官なのであった。ここで、香淳皇后は義母である貞明皇后と同じ存在になる。香淳皇后が祭祀の簡素化に断固反対するのである。入江によると、宮中にクーラーを入れようとした時、昭和天皇からは許しを得るが、これに反対したのも香淳皇后であったという。皇后は「賢所に釘を打ってはいけません。夏の暑さぐらいお耐えになれないお方ではいけない」と言われたという。金城誼子は、「真の道」という宗教団体の信者であった。これも昭和初期の島津ハルと重なる。

 しかしながら、入江は香淳皇后の祭祀簡素化の反対を押し切り、さらに女官の金城誼子を罷免する。金城を失った香淳皇后は悲しみに沈み、痴呆が進行していった。これを見た昭和天皇は動揺する。そして、宮中祭祀の簡略化を一度は承認したが、昭和天皇はその考えを改め、新嘗祭だけは最後の歳の前年まで自ら行ったという。父大正天皇が祭祀をおろそかにしたために、精神を病んだのだとかたく信じていた母貞明皇后の影がここにある。

 それでは、現天皇ではどうであろうか。原武史は、現天皇は昭和天皇よりも熱心に祭祀を行っていると書いている。なにしろ、現天皇は古稀を過ぎても一向に祭祀を休まれないのである。原武史は「そこには現天皇よりも現皇后の意向が反映しているのではないか」と書いている。現天皇は前立腺ガンが見つかった翌月にあたる2003年1月から5月まで祭祀を休むが、この間、現皇后はすべて出席している。ここにも、かつて貞明皇后が祭祀をおろそかにしたため夫に神罰が下ったと思った姿を見るのは考えすぎであろうか。大正、昭和、平成とすべて重なっていないだろうか。

 原武史はこう書いている。

「皇室内部の確執は昭和初期からずっとあり、それは必ず宮中祭祀をめぐっての半ば宗教対立に発展する」そして、この観点から現在の皇室を見た時、「宮中祭祀に非常に熱心な現天皇夫妻と、そうでない皇太子妃の対立があるように見える」と書いている。

「一方、皇太子妃はそもそも祭祀という宮中のしきたりになじめていないのではないか。新嘗祭には謹慎しなければならず、生理中は「マケ」といって宮中三殿にも上がれないような、女性を不浄なものと見なす価値観に嫌気がさしているのではないか。昨年の皇太子の「人格否定発言」も、このような皇太子妃の意向に引っ張られている印象を受けます。つまり、天皇、皇太子ともに、パートナーに影響されているように見えるのです。」

 皇太子妃側にもいろいろ問題はあるだろうが、嫁いだ先は上記のような場所であった。ここまで最初からわかっていたとは思えない。おそらく、今の皇太子夫妻の心情を理解できるのは祖父昭和天皇であろう。昭和天皇もまた若き日に西欧を旅し、その文化に学び、日本の天皇制を改革しようと試みた。その昭和天皇ですら、昭和という時代の中で、母貞明皇太后と妻香淳皇后と共に生きていかざるを得なかった。今の皇太子夫妻が直面しているものは、天皇制という今だかつて解かれていない最大の問題なのである。

 皇太子妃の意思は、近代天皇制に対してのかなり根源的な問いかけであって、それは皇太子が現天皇と「意思疎通をさらにおはかりいただ」ければ、それで済むものではないように思われる。意思疎通をはかれというのは、これまで通りの皇室を受け入れろと言っているのではないか。今の皇室問題は、日本人にとってかなり深くて大きな問題なのであるように思う。

 このように「現代思想」の原武史の評論文を読んで、天皇と皇后、カルト神道信仰、宮中祭祀をめぐる対立、今の皇室問題など、数多くのことを考えさせられた。『神々の乱心』もこれから読もうと思う。

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