他者を理解する想像力を取り戻せ
20日は、地下鉄サリン事件から10年目であった。21日の"The International Herald Tribune"紙(通称、ヘラトリ)の後ろについている朝日新聞の英語版に、このことについてジャーナリストの江川昭子氏と、ドキュメンタリー映像作家の森達也氏のコメントが載っていた。
江川さんのコメントは、10年たってもあの事件から学んでいない。学校でカルト教団に入信しないように教育すべきだみたいなことが書いてあって、相変わらずこの人は、なんだかなあと思った。学校教育で何やろうと意味ないんだけどなあ。良くも悪くも、この人は市民社会の内側の人なんだなあ。
森さんは、"Recover our imagination to understand others"(他者を理解する想像力を取り戻せ)というタイトルのコメントの中でこう書いている。訳してみると、
"私はオウムの関連工場に入り、窓から外を見てみた。別の言葉で言えば、私はカメラを通してオウムの側から社会を見た。そして社会の異常さ(abnormality)を知った。私が見たものは、他者を理解するのに想像力を使わず、そして自分たちが理解できない者たちを嫌い、避ける社会であった。"
そして、我々がここで他者を理解する想像力を取り戻さなければ、憎しみの連鎖を断つことはできないと書いている。
話は少し変わるが、先日、紀里谷監督の映画『CASSHERN』のDVDをオーディオコメンタリーで見ていて、この中で紀里谷監督の「自分たちは正しいということだけじゃあ、悲しみの連鎖はなくならないんだ」という意味の言葉があって、はっそうであったと思った。
「自分たちは正しい」、でオワリ、ではダメなんだなと思う。市民社会側の「俺たちが正常で正しくて、お前らカルト教団は間違っているんだよ」という認識が、カルト教団側をますます「社会憎し」に追い込んでいく。もちろん、テロリストの行動を理解する必要はない。森監督は、社会の側を「異常」と書いているが、では、この社会は地下鉄にサリンをまくかというと、そんなことはしない。あの事件を起こした者たちの方が、もっと異常であったことは言うまでもないであろう。現在、長々と裁判が行われているが、なにを延々と時間をかけて、テロリストから問いただそうとしているのかよくわからない。テロリストは問答無用でその場で射殺する、それが国際社会の常識である。
ただし、オウム真理教の教団については、オウム信者であるということで、みんな同じに見られている。カルト教団は異質である、異質なものを排除する、排除すればそれでいい、ということになっている。それが、新たなる反社会的なるものを生み出す土壌になるのではないだろうか。
あの事件から10年がたった。この社会は、行き場のないあの事件への怒りと恐怖を、教団そのもの(そして、自分たちには理解できない一切のもの)に向けてきた。森監督のドキュメンタリー映画『A』と『A2』を見ると、そのことがよくわかる。
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