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March 16, 2005

NHKの番組改編は政治圧力が問題なのではない

 ライブドアとニッポン放送株の騒動ですっかり忘れ去られてしまった感があるが、NHKが政治家の圧力によって番組の内容を変更したと朝日新聞が報道し、NHK側はそうした事実はないと主張したことから始まった未だに真偽の定かでない出来事がつい最近あった。と、わざわざこう書かなくてはならない程、この出来事はまるでなかったかのようにマスコミから消えてしまった。

 というわけで、あの一件はなんであったのか。ことの起こりは、4年前(4年前なのだ!!)の2001年1月にNHKがとある「模擬裁判」(正式名称は、「「日本軍性奴隷制を裁く『女性国際戦犯法廷』」)についての特集の番組を放送しようとしたことから始まる。その「疑似裁判」は、民間団体「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」が中心になって、2000年12月に行われた。先の戦争での日本軍による従軍慰安婦について、その責任は日本国天皇にあるとし、昭和天皇を強姦罪で「有罪」とする判決にしたそうだ。そうだというのは、僕はこの番組を見ていないので実際のところよくわからないのだが、ようするにそのようだ。この天皇を「有罪判決」にするということだけを見ても、この集会はそっち方面の集会なんだなということがよくわかる。これをNHKが教育テレビで放送するというものなんだかなーという感じがしないでもないが、放送するっていうのだから、それもアリだとは思う。

 この「模擬裁判」の番組制作を企画したのは、NHKの関連会社「NHKエンタープライズ21」であり、制作会社の「ドキュメンタリー・ジャパン」と共にNHKに提案した、NHKは「NHKエンタープライズ21」に番組制作を委託、「NHKエンタープライズ21」は「ドキュメンタリー・ジャパン」に再委託するという形で番組は作成され、2001年1月に試写版が完成した。

 これがそのままオンエアされれば、それで何事もなく終わったわけであるが、やはりというか、当然というか、そうはならなかった。

 1月、NHK教養番組部長はこの試写版を見て、番組が趣旨から外れていると感じ、大幅な手直しを指示した。この指示により、「NHKエンタープライズ21」と「ドキュメンタリー・ジャパン」は内容に削除や変更を加えた。再度、部長試写が行われたが、まだ不十分であるとの指摘があったという。ここでかなりもめる。実質的に番組を制作した「ドキュメンタリー・ジャパン」の現場からすれば、いまさらなにを言っているのかということだろう。「ドキュメンタリー・ジャパン」の現場のディレクターは、この時の、NHK側の自主規制があまりにも度を過ぎているように感じたという。「ドキュメンタリー・ジャパン」は、この時点でこの番組への編集作業から降りる。以後、この番組の「改編」はNHKによって行われた。この時、「ドキュメンタリー・ジャパン」のディレクターは「共同制作ドキュメンタリージャパンの名は外して欲しい」とNHKに願い出たという。その時点では、その要求は了承されたが、放映された番組には、共同制作の項目に「ドキュメンタリー・ジャパン」の名が明記されていた。

 後に、2005年1月13日、番組制作局教育番組センターのチーフ・プロデューサー長井暁氏は記者会見の席で、番組を企画した下請け会社の視点が主催団体に近かったため、公明正大な客観性を強調して番組を制作してきたと発言している。ようするに、このチーフ・プロデューサーは、自分は公平な報道を心がけていたのだが、下請けが偏向した番組を作ってしまいましたと言っているのである。「ドキュメンタリー・ジャパン」は、この長井氏の発言がウソであることを主張している。「ドキュメンタリー・ジャパン」のウェブページでの「2005年1月12日付け「朝日新聞」記事以降のいわゆる「NHK問題」に関する報道について」によると、そもそも「主催団体」に近い考え方の要素だけでなく、別の視点の要素も盛り込んでいた「ドキュメンタリー・ジャパン」の構成案に対し、より法廷を主にした内容で行く方針を打ち出したのはNHK側であったようだ。

 つまり、今の時点では事実関係がまだ明白になっていないのであるが、勝手な推測で判断をしてみると、どうも「偏っていた」のは、このNHKのプロデューサーなのではないだろうか。そして、NHKの上サイドも、番組を制作した「ドキュメンタリー・ジャパン」の現場も、内容が内容なだけになるべく「偏らない」ように常識的な判断をしてきたのではないだろうか。

 そして、さらに話をややこしくているのが朝日新聞社という「もっと偏っている」マスコミ集団である。長井氏が「告発」した2001年当時の松尾武放送総局長は、朝日新聞の取材に対して、中川昭一衆院議員との会見での「圧力とは感じますよ」「圧力とは感じるが、それは一つの意見だったと聞く耳は持つ」「全体の雰囲気として、注意しろ、見ているぞという示唆を与えられた」という松尾氏の主観的な言葉だけで、中川衆院議員がNHKに対して圧力をかけたとしているのだ。また、安倍晋三衆院議員については、「(番組が)ひどい内容になっていると側聞していたので、NHKだから公平公正にちゃんとやって下さいねと言った」という言葉をもって、NHKに議員が圧力をかけたとしているようだ。これは、客観的な事実を事実として報道していることになるのであろうか。この程度で、政治家がマスコミに言論弾圧を行ったかのような報道がなぜ成り立つのであろうか。

 例えば、太平洋戦争中では、陸軍が出版社への紙の配給を管理していた。従って、出版社は軍部に逆らうと紙の配給を止められる可能性があったため、これに逆らうことができなかった。これをもって、出版社は軍部から「圧力」を受けていた(現に、検閲制度があった)とするのならばそれは正しいであろう。しかしながら、実際のところ、マスコミ各社は軍部からの「圧力」と戦うどころか、むしろ軍部に迎合することで、少しでも自社への紙の配給を有利に図ってもらうようにしていた。

 この程度のことで、マスコミへの政治介入だとするのならば、なにをもって政治介入と呼ぶのか、その感覚が一般人と朝日新聞には違いがあるとしか言いようがない。どうやら、朝日新聞には朝日新聞独自の解釈基準があり、それは我々のものとは別のもののようである。なお、朝日新聞はNHKを訴訟するとのことであるが、今日に至ってもなされていない。

 この番組改変問題について、NHKの橋本元一会長は15日の衆院総務委員会で、共産党の議員からの質問に対して、政治介入は「なかったと考えている」と改めて説明した。政治介入があったか、なかったかと言えば、なかったという答えしか返ってこないのが当然である。むしろNHKについて質問すべきことは、NHKの判断による番組の改編の内容は適切なものであったのかということと、制作会社への対応に問題はなかったのかということであろう。1点目については編集権限はNHKにある以上、外部がとやかく言えることではないが、2点目のマスコミの現場における下請けの扱いについては、かなり構造的な問題がある。マスコミは、そのことを決してメディアに載せることをしない。むしろ、今回の出来事での着目すべき点は、NHKと朝日新聞が「言った」「言わない」という茶番劇なのではなく、事が公になった時、NHKの局の現場は、下請けの制作会社に責任をなすりつけて、自分は正しいとしたところにある。しかしながら、今現在に至っても、マスコミの論調はNHKと朝日新聞の「言った」「言わない」論争であり、NHKに対しては政治介入が「あった」「ない」論争になっている。朝日新聞からすれば、政治介入があったとして騒ぎを大きくすれば、自民党を叩くことができる。放送業界の下請け会社のことなど、どうでもよいのであろう。また、NHKもそれに触れて欲しくないのであろう。

またもや、事の本質はマスコミの手によって隠蔽されているのである。

参考資料
読売新聞の「ニュース特集」「NHK問題」のページ
「ドキュメンタリー・ジャパン」の元担当ディレクターによる事件の経過


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