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February 24, 2005

2.26 その4

 首相官邸、陸相官邸、陸軍省、そして参謀本部を占領した決起部隊の青年将校たちは、午前5時頃、陸相官邸で陸軍大臣に面会を求め、時の川島陸相はこれに応じた。この陸相官邸に真崎甚三郎大将が現れ、青年将校たちに「お前たちの心はよおっくわかっとる」と告げたという。真崎は2.26事件の黒幕とも言われる人物で、青年将校たちの精神的支えでもあった。これに対照的だったのか、この時、同じく陸相官邸にいた参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐である。石原は、最初から彼らは反乱部隊であるとし、断固としてこれを鎮圧するつもりであった。

 2.26事件がややこしいのは、これは青年将校が起こしたテロ事件であっただけではなく、陸軍のある一派は、この事件を契機として国家の主導を陸軍が握ろうという思惑があったということである。この青年将校の起こした事件に対して、陸軍内部には大別すると次の3つの反応があった。一つめは、青年将校への同調があるというグループ、二つめは反逆者として断固討伐すべきであるというグループ、三つめはそのどちらでもない中間であり、どちらかといえば青年将校たちに対して同情心があるグループである。彼らは、青年将校を「決起部隊」と呼び、称賛していた。軍事参議官の真崎大将や荒木貞夫大将といった「皇道派」が第一のグループであり、川島義之陸相や堀丈夫第一師団長などは、第三のグループであった。このふたつのグループに真っ向から反対したのが、石原大佐のような参謀本部の将校たちであった。

 戦前の日本軍(ここでは陸軍を考える)は、日本国の政体の中で、天皇を頂点とする独立した組織体であった。この組織は大別すると、政府や内閣の決定事項を遂行する軍政面を担当する陸軍省と、作戦の企画・立案といった軍令面を担当する参謀本部の二つに分けることができる。陸軍大臣は、あくまでも内閣の一員であるが、軍令は天皇の統帥権に基づくものであり、統帥権は内閣からも軍政からも独立していた。つまり、戦前の日本は、あたかも二重の政府(その中心は、陸軍省軍務局と参謀本部作戦課)の国家だった。ちなみに、陸軍大臣が内閣の一員であるというのも、あくまでもタテマエであって、これもまた統帥に関わる事項は、内閣とは別に判断ができるとされていた。とにかく、軍隊は法律に縛られることはない、天皇直属の組織なのだというわけである。

 しかしながら、明治憲法に天皇が陸海軍を統帥すると記載されていると言っても、では本当に実質的に、天皇が軍隊を統帥しているのかといえば、当然ながらそんなことはまったくない。さらに言えば、昭和天皇のご専門は生物学であった。生物学者に、軍隊は動かせないであろう。つまり、統帥権だなどと言いながら、実際に天皇が軍を統率したのは、古代の大和朝廷の頃か、せいぜい14世紀に鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇ぐらいであろう。しかし、この時でさえ、実際に軍を動かしていたのは、足利尊氏や新田義貞や楠木正成であって後醍醐帝ではない。そう考えてみれば、東京帝大の美濃部達吉が提唱した「天皇機関説」は、まったく正しかったわけであるが、これが1930年代に国体論争を巻き起こし、政府と軍部はこれを徹底的に否定した。このことにより、美濃部は東京帝大の教授の職を辞することになる。昭和10年、陸軍の教育総監になった渡辺錠太郎大将は、美濃部達吉の「天皇機関説」はとりたてて間違っていないという趣旨の発言をしたところ、全国の連隊から抗議の手紙が殺到したという。渡辺教育総監は、2.26事件で襲撃され、青年将校たちによって殺害された。

 戦前の日本では、軍隊は国民の生命・財産を守るものではなかった。軍隊とは、天皇の軍隊であった。参謀本部にとって命令体系は絶対のものであり、軍の行動は天皇の裁可がなくてはならない。ところが、今回のテロ事件は、中隊長クラスの大尉や中尉といった連中が、勝手に(陛下の)軍隊を動かしたということになる。これは参謀本部にとって受けいれることは断固できなかった。参謀本部の石原が思ったように、彼らは「反乱部隊」なのである。

 しかしながら、2.26事件より前の昭和6年に、この石原本人自身が、関東軍参謀として満州事変を画策したが、当然のことながら、昭和天皇はそんなことを聞いていない。参謀本部は、戦争の拡大を望まなず、英米との争いは避けよと命じていた昭和天皇の意思をことごとく無視し続け、結局、アメリカとの戦争になった。つまり、参謀本部は「統帥権」を自分たちの都合のいいように使っていただけであって、大日本帝国陸軍が天皇の軍隊であるとは、本心ではまったく思ってはいなかったのである。

 2.26事件の青年将校たちは、少なくともその1点だけは、まぎれもなく純粋だった。自分たちの行動は、天皇の大見心にそっていると信じてきた青年将校たちが、この事件に対して、陛下は激怒したということを知った時、彼らはそれでも天皇を疑うことはできなかった。天皇を疑うことは、自分のこれまでの人生そのものを疑うことであった。もちろん、彼らの天皇に対する考え方と、彼らが行った行動には破綻しているところがある。また、青年将校たちが天皇をどう思うとも、この時、昭和天皇のとった態度は当然のものであった。しかし、彼らはそうは考えることはできなかったであろう。自分たちが行ったことは、正しいことだったと信じていた。処刑になる刑場での、彼らの最後の言葉は「天皇陛下万歳」であったという。

 そして、この後、陸軍内部の「皇道派」との政治闘争に勝利した参謀将校の「統制派」は、日本を国家的な総動員体制による軍部統制社会へと変えていく。

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Comments

『磯部文書』はご存知ですよね。
「天皇陛下、何と言う御失政でありますか?」という例のやつ。磯部は最終的に昭和天皇のことをどう思って死んで行ったのでしょう。南千住の回向院の磯部の墓へお参りするたびにそう思います。

Posted by: natunohi69 | May 09, 2005 at 05:51 AM

磯部浅一主計大尉ですね。北一輝の影響を受け、青年将校の代表的人物でした。実は、上記の「2.26」の一連の記事は書きっぱなしのままでして、この後でいくつかさらに考えたことがあるのですが、まだ整理ができていません。そのうちまとめて書きたいとは思っているのですが。

これは、例えば、天皇機関説の言う「天皇」が正しいのに対して、磯部たち青年将校の何人かは、皇道派の真崎大将が陸士の校長をやっていたときの生徒であったことから、皇国史観の天皇絶対主義の「天皇」を信じていた。2.26事件の後、磯部はそのことに裏切られたと思ったため天皇を叱った、という一般的な理解もできるのですが、そうでもなかったのではないかと僕は思います。磯部たち青年将校の思想的背景であった北一輝の思想を考えると、北はむしろ機関としての「天皇」であるが故に、天皇は日本を改革できると考えたのではないかと思います。北には、天皇を神格化する気はまったくなかったと思います。天皇を活用して、日本を国家社会主義的な社会に変革していくことが、北の『日本改造法案大綱』のようです。その意味では、北の思想は統制派の考え方に近いです。

しかしながら、それではこのドライで近代っぽい北の思想を、青年将校が正しく理解していたのかというとそうではなかった。農村出身の兵隊を部下に持つ中隊長として、やはり天皇は絶対なるものであったと考えていたと思います。ところが、磯部は主計ですから、歩兵科の将校のように兵を指揮する身ではない。そのため天皇に対する考え方が、安藤や栗原とは異なります。異なるのですが、それでは磯部は他の者たちとは違い、ドライに割り切った天皇観を持っていたのかというとそうでもありません。つまり、磯部も含めて青年将校たちの思想には、ある部分は北一輝の影響であったり、またある部分は真崎大将の影響であったりしているのです。だたし、これは間違っていたとは思いません。若者の理解とはそうしたものだと思います。僕個人を振り返ってみてもそうです。自分だって学生時代は、オウム真理教に入信してもおかしくないような者でした。磯部も安藤も河野もみんな若かったです。

昭和天皇は、青年将校及び皇道派に対して激怒されたわけですが、今の時代から見れば、昭和天皇は皇道派に対して怒るだけではなく、統制派に対してもまた怒るべきであったと思います。2.26事件の根本的な原因は、帝国陸軍全体の構造的な問題であり、この問題に対処できるのは、陸軍大臣でも参謀総長でもなく天皇ただ一人であったことを考えると磯部の昭和天皇に対する「叱り」はそのことを言っていたのかもしれません。ちなみに、北一輝が『日本改造法案大綱』で主張した改革の内容の多くは、後の世にGHQとマッカーサーが行ったと考えることもできます。

Posted by: 真魚 | May 10, 2005 at 01:43 AM

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