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February 22, 2005

2.26 その3

 決起した青年将校たちは、1920年代から30年代にかけてその思想を形作っていた。彼らが考えていたことは「昭和維新」である。須崎慎一著『二・二六事件』吉川弘文館(2003)によれば、彼らが「昭和維新」を考える契機になったのは、次の4点だったという。

(1)陸軍、及び陸軍士官学校内の腐った空気への反発
(2)対外意識
(3)庶民の窮状への反発と共産主義への脅威感
(4)時流、政党政治、金権政治、日本人のあり方への反感

 上記(2)の対外意識について少し解説したい。第一次世界大戦は、それまでの戦争の姿を一新するものであった。この戦争で、軍事技術は飛躍的に進歩し、飛行機や戦車や潜水艦など、それまで実験的な兵器であったものが本格的な兵器として戦場に出現した。さらに重要なことは、それまでの戦争が戦場で行われるものであったの対して、この戦争では社会全体がひとつの戦争機械になり、国家の生産力を戦争目的に転化するという国家総動員体制の戦争になったということである。日露戦争当時は、世界のトップクラスの軍隊であった日本陸軍は、第一次世界大戦後は三流の遅れた軍隊でしかありえなかった。これに危機感を持った軍部は、陸軍の近代化をめざす。

 陸軍大臣宇垣一成は、師団を削減し、余剰の将校をリストラし、その予算を陸軍の軍備拡張に用いるという陸軍改革の構想を立てた。いわゆる、宇垣軍縮である。軍縮といっても平和的な意味での軍縮ではなく、むしろより軍事化するための軍縮であった。しかしながら、これがその思惑通りにはいかなった。軍備の近代化にはカネがかかる。その予算を政府が出さなかったのである。

 1914年に起きた第一次世界大戦は、それまでの戦争と比較してあまりに凄惨な戦争であった。そのため、この戦争が終わった時、人々はもう二度と戦争はしたくないと痛感し、さまざまな軍縮を行った。1920代始めのワシントン軍縮会議やロンドン軍縮会議により、海軍の軍艦や巡洋艦は国際的な条約のもとで所有を制限されることになる。カンタンに言えば、お前の国は軍艦は何隻まで、駆逐艦は何隻まで所有してよいという取り決めのことだ。そうすることによって、どの国も過剰な軍備を持つことはやめようというわけである。当然のことながら、海軍はこれに同意するわけがなかったが、とりあえずこれが通ってしまったということに、当時の人々の平和への強う望みがあったことがわかる。人々は、もう戦争に倦み、平和を望んでいた。(その人々が、後に第一次世界大戦よりもさらに悲惨な第二次世界大戦を始めることになるのは、人の世の矛盾であるとしか言いようがない。)

 そうした時代背景の中で、宇垣は師団4個を廃止することによって、歩兵16個連隊、騎兵4個連隊、野砲兵4個連隊、工兵4個連隊、輜重兵4個連隊をなくし、約3万人の将兵をリストラし、近代的な装備の充実をはかろうとした。しかしながら、結果としてさほどの軍備拡張ができたわけではなかった。例えば、1個師団あたりの野砲の数は、日露戦争の当時よりも少なかったという。これでは、とても近代戦などできるものではなかった。ようするに、近代軍隊はカネがかかるのである。陸軍の首脳部が欧州の戦線を視察し、これからは火力を中心にした近代兵器の時代だと意気込んでも、実際の日本の国力では第一級の軍隊を持つことはできなかったのである。つまりは、宇垣軍縮は文字通りの、本当の「軍縮」になってしまった。

 これには、陸軍は危機感を感じた。多少なりとも国際的な出来事に関心がある者ならば、国際的な平和主義などうわべだけのことで、中国をめぐる欧米諸国の動きには警戒が必要であると考えていた。国内では、急速に台頭しつつある社会主義運動が最大の懸案であった。銀座にモダンガールやモダンボーイなる者たちの姿が目立ち、繁栄と享楽に浮かれた人々の姿がある反面、農村部では恐慌の影響を強く受け、人々は貧困に喘ぎ、娘の身売りが続出していた。

 青年将校たちは、陸軍士官学校卒という、当時の若者の中で恵まれたコースを歩む者たちだった。ある者は、陸軍幼年学校卒ですらあり、陸大受験を間近に控えた者もいたという。その一方で、彼らは「純粋まっすぐ君」だったと思う。この社会の現実に対して、やり場のない憤りを感じる者たちだった。良くも悪くも、知的でナイーブな若者が社会の現実に直面すると、その現実を容認するか、あるいは現実を否定し、引きこもるか、革命をめざすか、宗教に走るかのいずれかになるものであるが、と同時に、彼らのアイデンティティは帝国陸軍軍人であった。

 昭和前期の時代は、民主主義の社会であった。財閥や軍閥があったとはいえ、大衆が社会の主体であった。マスコミが国民世論を形成し、世論が政治に大きく介入した。軍縮もその世論の声であった。しかし、世論は社会の現実を見ようとしていなかった。社会の現実の格差が、社会主義運動をますます大きくさせ、世界的な経済不況が資本主義社会の未来を悲観させていた。おそらく、青年将校たちは、そうした大衆(あるいはマスコミ)主導型の社会の本質的な問題を感じていたのではないかと思う。デモクラシーは、ファシズムにもコミュニズムにもなりうる危険性をはらんでいるということを、1930年代に彼らは理解していたのだ。

 そして、彼らは、天皇は国民のこの惨状を知らないのだと考えた。日本は天皇が統治する国家であり、天皇は絶対善である以上、今の社会が暗澹たるものであるのは、統治者である天皇が悪いのではなく、その取り巻き連中が私利私欲に走り、天皇に国民の本当の姿を教えていないのだと考えた。もし知っていれば、絶対善である天皇がこのような世の中を望むわけはない。よって、君側の奸を排除しなくてはならないと考えた。

 この、一面では時代の本質を見抜く知性があり、しかしながら、ある一面では稚拙な思考があるというのは、これもまた良くも悪くも「純粋まっすぐ君」の思想だった。

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