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February 12, 2005

2.26 その1

 いつの頃からか、8月になると15日のことを考えるように、2月になると(14日ではなく)(笑)26日を考えるようになった。2月26日とは、もう70年ぐらい前の2月26日の東京で起きたある出来事のことである。

 昭和11年(1936年)の2月26日未明、陸軍の主に歩兵第一連隊、第三連隊、そして近衛歩兵第三連隊の将校が兵を指揮し、岡田総理を殺害し(後に、岡田総理は無事と判明する)、斉藤内大臣、高橋大蔵大臣、鈴木侍従長、渡辺教育総監を殺害(鈴木侍従長は重傷ながら一命をとりとめる)した。さらに、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞社等を占拠した。この事件により、第一師団は戦時警備体制になり、東京市(この当時は「東京市」と言われていた)に戒厳令が布かれた。戒厳区域は皇居周辺の臨戦地域、戒厳司令官は東京警備司令官香椎浩平中将、戒厳司令部は九段軍人会館であった。

 この日、25日の夜半から、東京は30年ぶりの大雪だったという。この事件は、その背景に、こうした衝撃的な出来事をもって、天皇の名のもとに軍が日本を統制する戦争体制を確立したいという軍部の画策があった。天皇を現人神と崇め、昭和維新を遂行するために決起した青年将校に対して、昭和天皇は激怒されたという。この時、昭和天皇が決起部隊を「反乱」と定め、断固たる厳罰をもって処置をとるという態度を示したことにより、陸軍の一部の思惑を防いだとも言えるだろう。

 しかし、その結果として、第一師団歩兵第三連隊中隊長の安藤大尉や磯部一等主計らの行動は「反乱」とされた。決起部隊の中心人物の一人である野中大尉は、上官の連隊長によって強制的に自決を強いられ、自ら命を絶った。青年将校たちは、自分たちの考えを法廷から世に伝えようとしたが、軍は完全な非公開の軍法会議でこの事件を裁き、彼らは処刑された。青年将校の思想的指導者であったとして北一輝は死刑となったが、青年将校を政治的に利用し、軍の主導を握ろうとした真崎甚三郎大将は無罪となる。そして、軍はこの事件の一切を闇に葬ったのである。

 あの出来事は、一体なんであったのだろう。
 野中や安藤や磯部の思いは何であったのだろうか。
 2.26事件とオウム真理教事件は重なるのだろうか。
 いつの世も、純粋な者は悲劇的結末になるのか。

 そんなことを思いながら、2.26事件について漠然と考えている。


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Comments

  2.26事件とオウム真理教事件がどこで重なるのだろうか。

Posted by: 罵愚 | February 12, 2005 05:01 AM

罵愚さん、はじめまして。
今のところ、思いつくのは以下のようなことです。

(1)オウム真理教による地下鉄サリン事件は、麻原の信者による犯行である。彼らは麻原を絶対者として信仰していた。2.26事件の青年将校も天皇を絶対的存在として崇めていた。

(2)2.26事件の青年将校たちは(個人によって違いはあるが)日本と軍の現状に強い危機感を感じていた。政治の金権的風潮や、大正デモクラシー以後の都会の頽廃ぶりと農村の貧困、社会的格差の広がりに憤りを感じていた。社会の現状に対する強烈な否定意識は、オウム信者にも共通する。彼らは観念論者であり、正義感が強い若者たちだった。

(3)2.26事件も地下鉄サリン事件も、当事者たちは実際に事件を起こした後、なにをどうするのか。まったくなにも考えていかなった。起こした事件は衝撃的な程大きなものであったが、実行の内容はあまりにも稚拙であった。

(4)青年将校の多くは士官学校卒であった。つまり、当時の青年の中では、選ばれたコースを歩いていた者たちであった。これは、学校秀才が多かったオウムと共通する。

(5)2.26事件も地下鉄サリン事件もテロであった。

Posted by: 真魚 | February 13, 2005 01:01 AM

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Tracked on March 01, 2005 09:45 PM

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