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January 17, 2005

「遙かなるクリスマス」を聴く

 さだまさしの歌に「遙かなるクリスマス」というのがある。

 ネットをつらつら見ていると、去年の年末のNHK紅白歌合戦で、さだまさしが歌った「遙かなるクリスマス」が良かったという書き込みが多い。僕もさだまさしは好きで、アルバムも初期の頃のものはほとんど全部そろっているが、この歌は最近リリースした『恋文』というアルバムに入っていて、僕はまだ持っていなかった。年末の紅白は、他のチャンネルの格闘技番組を見ていたので見ていない。大体、前回、まともに紅白を見たのは何年前だったのか覚えていない程、僕はずっと紅白を見ていない。「遙かなるクリスマス」はそれほど有名な歌ではないだろうから、紅白でこの歌を歌ったのは本人の意思だったのだろう。さだまさしは、叙情派フォークとプロテストソングとしてのフォークの双方の側面を今でも持ち続けているシンガーソングライターだと思う。

 さだまさしの初期のグレープ時代の歌で「フレディもしくは三教街」という歌がある。これは第二次世界大戦中の中国の漢口で出会った青年のことを、それからずっと年月を経て、もう年老いた老婆になった女性が回想するというバラードだ。2人で行ったというフランス租界の描写がいい。そこに住む人々の暮らしの平和な営みが目に浮かんでくるようだ。ここで、この愛する人とずっと一緒に暮らして、一緒に年老いていこうと思っていたという。しかし、その夢は戦争によって無惨にも奪われる。この青年は戦火の中で死に、自分だけが生き残る。そして、年老いた今、もしもあの戦争であなたが死ぬようなことがなければ、きっと今頃あなたは素敵なおじいさんになっていて、私はその側で優しいおばあさんになっていただろうと、遠い日の青年に語りかける切ない歌だ。戦争は国家の都合で行うものであるが、実際のやることは人々の人生への理不尽な暴力以外のなにものでもない。

 今日、「遙かなるクリスマス」を初めて聴いた。よくこの歌をNHKの紅白で歌ったものだと思った。愛しい人を愛しいと思うことは間違ってはいない。しかし、その一方で、この世の中には国家による暴力にさらされている人々がいる。この2人の平和とどこか遠くの国の不幸とがなぜ関連するのか。戦争をやっているのは他の国だし、殺し合いをやっているのは、彼らが愚かだからなのだ、自分たちには関係ないではないかと思うかもしれない。しかし、自分たち2人が平和であれという願いにより誠実であろうとすると、どこか遠くの国の不幸なんてどうでもいいとは思えなくなってくるのだ。そう思えるか、思えないかは、その人の思想と価値観に基づくだろう。

 遠くの国のことまで関心を持ったって、そんなのたかがしれているし、どうすることもできないのだから、そんなことは無視していいという意見もあるかもしれない。2人の周囲に強固な壁を作って、その中の平和を脅かすものだけに断固戦えばいいという考え方もあるだろう。しかしながら、さだはそうは考えないのだ。これは「空缶と白鷺」や「前夜」という歌にも共通する、さだの基本的なスタンスである。自分もまた、遠くの国の不幸に荷担する側になっているという紛れもない事実を見ないわけにはいかないと考えるのである。そして、自分が2人の平和を願うことと、自分が他国の戦争に荷担している(荷担していることになるのだ)のは矛盾する。これは、一体どういうことなのかと葛藤する。この解答がない葛藤こそ、さだまさしが「遙かなるクリスマス」で歌いたいことなのだろうと思う。

"僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
本当は気づいている今のこの時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体何だろう
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当の事が言えない"
(さだまさし「遥かなるクリスマス」)

 万葉集を引用した「防人の詩」や、映画『ひめゆりの塔』の「しあわせについて」と比べると、この歌はよりストレートに反戦のメッセージを主張している。ここまでやるのかという絶唱である。もちろん、この世は平等ではないし、世界は平和ではないことは誰でも知っている。しかしながら、それでもわざわざ「遥かなるクリスマス」として今、この歌を歌わなくてはならないという想いを強烈に感じる。

 どこか遠くの国の不幸は、これから先もずっと「どこか遠くの国の不幸」のままなのだろうか。そんな保証はあるのだろうか。今僕たちが本当のことから目をそらすことが、やがて僕たちの子供たちが理不尽な暴力にまきこまれることになるのではないか。だとするのならば、僕たちは、愛する人を本当に愛していると言えるのだろうか。永遠に幸せであれと願っているのだろうか。

"考えよう、想像しよう、自分が置かれている場所を正しくつかもう。あなたの大切な人の笑顔を守るために。"
(さだまさし『恋文』「遙かなるクリスマス」ライナーノーツ)

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私はもう15年くらいさだまさしのファンをやっている。中学生の頃にはまって以来なので、もう自分の人生の半分以上はファン歴をやっているので、正直長いことやっているなぁという気分になる。 さださんの曲については、いろいろ好きな歌があったりして、書きたいこともあ..... [Read More]

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