首都大学東京って一体・・・・
今年の4月より首都大学東京というものが開学する。これは石原東京都知事が、東京都の東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学の4大学を廃止し、新しい大学を設置するというものだ。いくつかのブログで話題になっているように、この首都大学東京のホームページにある「学長からのメッセージ」と「都知事メッセージ」の文章は、何を言っているのかさっぱりわからない文章になっている。新学長の西沢潤一氏は、確か半導体の研究で独創的な業績を挙げられた方であったと思うが、それにしても、これはあまりにもナンであるような気しないでもない。石原都知事の文章に至っては、この人は本当に作家だったのかと疑いたくなるような貧しい文章である。
もっとも、石原都知事はわざとこうした、論旨の不明確な文章にしたのかもしれないとも思う。ようするに、新しい大学というのは、従来の大学のような重ったるいところではなくて、若干意味不明のわけのわからんものでもいいんじゃないか、それが新しい大学なのだというわけである。石原都知事の文章を読んでいると、この人はもう、大学の教師から学ぶものはないと言っていると思っていい内容だ。文章中で「だから、大学なんてもう行かなくていい」という言葉がいつ出てきてもおかしくないと思ったが、これが石原都知事の新しい大学の理念であるようだ。
この大学の都市教養学部というところには、当然であるかのように文学はない。哲学も宗教学もない。歴史学もない。つまり、文学部そのものがないのである。ここの「人文・社会系」は「21世紀の都市市民にふさわしい、歴史的、文化的な教養と、論理的な思考力、さらに日本語及び多言語による表現力を養成します。」と書いてあるが、そーか、21世紀の都市市民には、文学や歴史学は必要ないのかと思う。それでいて、なんかめったやたらと、色々な分野の授業が多いのである。もし僕が今の大学生であれば、俺はこんなにたくさんやりたくないなと思うだろう。どうやら文学や歴史学は、「国際文化コース」というセクションで履修するようであるが、これでは中途半端なものになるだけではないか。むしろ今の時代は、大学を卒業した後でも、自分で勉強をしていくことができる時代になったのだから、大学時代は学問の基礎をしっかりと学べばそれでいいと思う。それだけをやっているだけでも、大学4年間はあっという間に過ぎていくだろう。それに、大学生は大学の勉強だけをやっていればいいというわけでもない。他にも、やることはたくさんある。
昨日の網野さんの『無縁・公界・楽』で言えば、大学こそ、近代社会の中の最後のアジール的空間だったと思う。それも、もはやなくなったということなのだろう。
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