映画『火火』を見ました
陶芸家神山清子の半生を描いた映画『火火』(ひび)を見た。僕は、陶芸についてはまったくの素人なのであるが、以前、この高橋伴明監督が連合赤軍事件を映画化した『光の雨』という作品を見ていて、印象に残る作品だったので関心があった。
土曜日の29日、夕方5時頃に仕事をすばやく切り上げ新宿へ向かった。なにしろ、この映画は東京では銀座と新宿でしかやっていないのである。年末に見た『地球交響曲』という映画も、下高井戸のミニシアターへ行かなくては見れなかった。これは、ようするに、こうした映画は観客動員数をかせげないと映画館側が判断しているとしか思えない。しかし、陶芸という一般的な知名度ではマイナーな分野だとは言え、これはあまりにも少ないのではないか。さて、新宿に着いて、確か伊勢丹の向こうだったよなとまったく検討違いの場所へ行ってしまった。雨はぱらついているし、映画館の場所がわからないので、もう今夜は見るのをやめようかと思い、ケータイのIモードで検索できるかなとやってみたら、前に『東京原発』を見た映画館だったと思い出した(これもいい映画であったが、なぜかこの映画館でしか上映しなかった)。それならこっちではないかとすぐにわかった。そんなこんなで、なんとか上映時間前に新宿武蔵野館へたどり着いた。
さっそくチケットを買うと、チケットは整理券にもなっていて、おそらくこの回の入場者の順番の番号であろうと思われる番号が、そこにナンバーリングされていた。なんと、9番なのである。この上映直前の時間で、だ。いくら土曜日の最終上映回とはいえ、いいのかこんな人数で。今し方歩いてきた新宿の繁華街では、土曜日の夜を楽しもうという数多くの人々がいたのであるが、この映画を見ようというのは、この人数しかいないのか。これはもう、日本映画の将来は決まったようなもんだなと思った。
映画の前半は、夫が弟子の若い愛人と出奔していくシーンから始まる。残された神山清子は、2人の子供を女手一つで育て上げようと決意する。そのためにも、夢である古代穴窯での信楽自然釉を完成させようと執念を燃やす。以前、清子は穴窯の近くの場所で昔の陶磁器の破片を見つけた。その表面に光沢があった。現代の陶磁器で同じようにしようとすると、釉薬を掛けなくてはならないようだ。しかし、昔の人はそうした釉薬を掛けることなく、自然の土と焼き方で表面の光沢を出していたのである。そのことを知った時から、自然釉による陶磁器を作ることが清子の夢であった。ところが、女性が穴窯を持つことことなど前例がないということで、組合(のようなものか?)から出てくれと言われる。孤立した清子に、先輩の陶芸家(これを岸部一徳さんが演じていて、これがまた飄々とした演技でいい。)が生活できるようになにかと仕事を持ってきてくれる。
極貧の生活である。米のとぎ汁を飲んで飢えをしのぎ、窯焼きの挑戦を繰り返す。焚きの温度が上がらず失敗したり、かろうじて焼き上がっても自然釉にはなっておらず、できた陶磁器を叩き壊す。何度も失意に落ち込むが、先輩の励ましに支えられ、それでも挑戦を続ける。この焼きあがった陶磁器を壊すシーンを見て、これは実験だなと僕は思った。少なくとも、これは工業製品の生産ではない。通常、モノを生産する場合、コストと回収と利益のことを考えるものだろう。そして、利益をさらなる生産へと投入することによって生産拡大をしていく。しかしながら、芸術の創作というのは、根本的にそうしたものではないということだ。とりあえず、清子は生活ができる収入を確保するための焼き物の注文仕事は行い、それ以外のすべてをこの創作行為に没頭する。しかし、これでは生活は豊かにはならないだろう。豊かにならなくたっていいというわけである。
おもしろいのが再婚のお見合いのシーンで、再婚が決まりそうになるのだが、清子はさもお金がありそうな相手の人に、資産を全部子供に譲って無一文になってくださいと言うのだ。これに同意できる人は、そうざらにはいないだろう。案の定、この話はこれで終わる。後で、子供たちから、なぜ断ったのか、自分たちの将来を考えて欲しいと叱責される。このへん、まー、この人は貧乏でもいいから、陶芸を続けたかったのだと思う。豊かさよりも価値のあるものがある。自分の創りたい作品を創るということだ。そうした生活が数年続いた後、ついに自然釉のある陶磁器ができる。信楽自然釉は、陶芸界に新風を吹き込み、清子は日本全国で個展を開催し、女性陶芸家として成功するのである。借金がチャラになった時、喜んで借金チャラダンス(?)を踊る姿に笑ってしまった。
ここでこの映画が終われば、女性陶芸家の挑戦と感動の物語であった、で終わるのだが、この物語はこれで終わらない。この映画の後半は、その数年後、白血病の病に倒れる息子との闘病生活である。田中裕子は女性陶芸家というよりも、一途で頑固で、しかし愛情の深い、いい母親を演じている。清子は、息子に対しても本音で向かい合う。息子に病名を告げ、打ちひしがれる姿に「闘う前から降参か!」と叱り、骨髄提供を呼びかけるテレビ出演を渋ると「なら、はよ死ね。みな楽になるわ」と言う。しかし、その実、息子の命を救うため、骨髄提供者を探しに奔走するのだ。息子の前では気丈でも、実際は不幸に押しひしがされそうになりながら、それでも希望を捨てずに提供者が見つかることに望みを託す。これが、後にやがて今日の骨髄バンクの設立へと至る大きな運動になる。
映画の中で、清子が弟子に「土に遊ばれるのではなく、こちらが土を遊び、そして模様を刻み付ける」という意味のことを言っていた。それはそのまま、この人の生き方そのものだと思う。信楽自然釉の自然の艶は、技術もさることながら、人の意思がそれを創っているのだ。不幸は、こちら側の都合に関わらず、向こう側から勝手にやってくる。しかし、運命にただ流されるのではなく、自分の意思を明るく前向きに貫いていこうとする凛とした女性の生き方がここにある。
それでも現実は容赦なく、この人から息子の命を奪う。自分の子を救うことができないことを知ったとき、清子はかつて自分が信楽自然釉を初めて焼いたその穴窯で、自分と息子のための二つの小さな骨壷を作り、葬儀の時に焼く。これが骨壷であることに、僕は映画を見ている時は気がつかなかった。映画が見終わった後で、あれは骨壷だったのかと気がついた。それが、言葉よりも情景描写よりもなによりも、この人の心情を表していたと思う。
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