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December 02, 2004

靖国神社問題は、対アメリカ問題である

 政府は皇室典範について、女性天皇を容認する方向での改正に向けた検討を行っているという。よくわからんのだが、こうしたことは即座にやるのである。こうしたこととは、現在の状況を考えると、どうも女性天皇の可能性を今から検討しなくてはならないようだ、それじゃあ今から取り組みますか、というわけである。(12月1日現在、細田博之官房長官は、そうした事実はないと否定しているようだ。

 さて、中国が例によって毎度の如く、日本国の首相の靖国神社参拝をやめろと言っているようだ。このへん、なにゆえ、中国は靖国神社参拝をそう目のカタキにするのか、今の日本国首相が靖国神社に参拝することと、先の戦争での日本の中国大陸侵略の歴史となにがどう関わるのか全然わからん。「靖国神社参拝は、日本の軍国主義の復活を促す」とか言うのならば、本気でそう思っているのかと逆にこちらが問いたいぐらいである。

 ただし、靖国神社について、日本側もはっきりさせていないところがあるのも事実だと思う。靖国神社にA級戦犯として合祀されている人、一人一人は、昭和の歴史の中でどのようなことを行ったのか。本当に「A級戦犯」として裁かれるべき人だったのか。例えば、広田弘毅や東郷茂徳や重光葵は本当に「戦犯」だったのか、誰が彼らを「戦犯」としたのか、等々を見直して考えるべきだ。しかしながら、女性天皇の容認の検討はすぐさま着手するが、東京裁判の見直しについては、戦後半世紀以上たった今日でもやる意思はないのである。

 日中戦争、しいては19世紀からの東アジアと日本の歴史について、東京や北京で、日本と中国の歴史学者を集めて、半年でも1年でもいいから徹底的に議論するプロジェクトを作るべきだと思う。日中で非難しあってもなにも進まないではないか。中国は日本に文句があるというのならば、どのような文句なのか聞いてみようではないか。日中間に共通の歴史認識などあり得ないというのではなく、共通の歴史認識をこれから作って行かなくてはならないのである。その結果、中国の言うことが正当な理のある非難ならば、それこそ日本国首相でも日本国天皇でも北京に行って謝罪しようではないか、以後一切、中国からの文句は言わせないようにしようではないか。しかし、もし不当な文句を中国は言っているのならば、中国政府にしかるべき責任をとってもらおうではないか。

 ところが、である。ここに、東京裁判の見直しをされると困る国がある。アメリカである。つまり、なぜ靖国神社の問題が片づかないのか。東京裁判の見直しをやらないからである。では、なぜ東京裁判の見直しをやらないのか。アメリカにとって好ましくないことになるからである。すなわち、靖国神社問題は、これもまた日本の対アメリカ問題だったのだ。

 いずれ女性天皇は容認されるであろう。なぜならば、それはアメリカにとってどうでもいいことだからである。アメリカにとってどうでもよくないことは、日本は独自に決めることはできない。「アメリカ様には逆らわない」「アメリカに従うのが日本の国益である」この強迫観念が戦後日本をゆがんだものにし、あるべき日中関係の障害になっているのだ。

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Comments

なぜ、中国が執拗に、人の国の霊に対する考え方にまで文句をつけてくるのか。
これについては、「日本に対する敵対感情をあおって国内政治に対する不満の矛先をそっちに向けようとしているからだ」とか「日本の昔の悪行をことあるごとに持ち出して外交交渉を自国に有利に運ぶためだ」というのがよく言われますよね。

先日「報道2001」という番組での靖国問題についての討論を見ました。

朱建栄(日本の大学の教授)
 「1972年の日中国交回復の際、周恩来首相が日本を許すことについて、どうやって中国国民を納得させるかを考え、ごく一部の指導者層の責任であって、日本国民もいわば被害者であった、とした。だからそのまさに戦争責任者であるA級戦犯を祀ってある靖国を参拝するのは中国を裏切ることになる」

桜井よしこ
 「中国のそういう考え方は一貫していない。たとえば、文化大革命の時に数百万人(数千万?)殺した責任者であるところの毛沢東をいまだに崇拝しているではないか。矛盾している。自分の国のことは歴史に学ぶということをしないで、なぜ日本ばかりを責めるかというと、それは結局日本をコントロールするための政治カードにしているのではないか」

こんな感じでした。

東京裁判については今では少なからぬ学者が「国際法なくして開かれた非合法裁判」と認識し、その正当性に疑問を投げかけているとのことです。私は真魚さんの仰る「靖国問題を国際社会に見えるかたちで徹底的に議論」ということをすれば、日本に同情的な意見が優勢になると思います。政治的な駆け引きがうずまく国際社会ではそう簡単に決着がつくとは思いませんが、少なくとも、日本の言い分は筋が通っていると理解してもらえるのではないかと思います。
アメリカは「東京裁判は間違いだった」と認めたくないから、その問題を持ち出されたくないと思うでしょうか。
60年も前のことだから、責任者はもういません。ようやく「間違いだった」と言える時が来たんじゃないですか。

私は日本の姿勢いかんだと思うのです。この問題を世界に見てもらうということが大切だと思います。「東京裁判は間違いだった」ということを認めてもらうのでなく、中国の言い分はあまりにも理不尽ではないか、ということを訴えるべきだと思います。


「女性天皇についての皇室典範改正の動きは素早い」ということに関してですが、
天皇になる人というのは幼児期からその教育が必要なのだそうです。今日明日にでも早く決めないと、愛子ちゃんはすぐに大きくなってしまうから、ということらしいです。

robitaさん、コメントありがとうございます。

「報道2001」での櫻井よしこさんの発言内容を僕もネットで読みました。僕の書いたことと、櫻井さんの発言は同じである部分が多いですね。

中国は「A級戦犯」を問題にしているわけですが、その「A級戦犯」は本当に「戦犯」なのか、例えば広田や東郷は「戦犯」か、少なくとも広田や東郷を東條や板垣と同じに扱うのは歴史を知らないと思わずにいられません。さらに、東條や板垣も軍事専門家としては大いに問題がありますが、「戦犯」になるのかどうかは別の議論になります。東京裁判でもファーネスやブレイクニーといったアメリカ人弁護人の(闇に葬られた)問題提起は大変重要だと思います。このへんの見直しが必要です。

この見直しはアメリカの歴史学への問題提起になります。これを
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu84.htm
では、アメリカの民主党と共和党の政策の違いの観点から捉えるべきだとし、僕の意見に反論されていますが、これを民主党と共和党の政策の違いで見るのはまったくの間違いです。僕はそうは思いません。政治の話ではなく、歴史の話なんです。というか、歴史学的なレベルでこの問題を論じたいというのが僕の意見です。ただの政治的なカードではなく、そこまで掘り下げるべき話なんです

中国は、ご指摘の通り国内政治の不満の矛先を日本に向けているだけなのですが、これは、最近のサッカー試合にも見られたように、中国にとってたいへん良くない方法です。中国政府は、国内の不満を日本に向けるという政策をとっていることは、こうしたやり方は中国政府にとって悪い結果をもたらします。そのことを、中国政府が理解するかどうかです。中国政府がアホならば、この方法をとり続けるでしょう。しかし、本当に国内政治のことを考えるのならば、不満の矛先を日本の向ける愚かさに気がつくでしょう。

この点については、僕は楽観しています。中国人が本当にグローバルに物事を見るようになれば、日本を悪とすることの愚かさに気がつくはずです。大体、ある国を悪とすることで、国内の不満を納めるというやり方は極めて原始的な遅れた方法です。ようするに今の中国はその程度の国なんだというということです。

ただし、日本人が「お前たちはその程度なんだ」と本当のことを言うと、言われた側はムッとするから、こちらも大ぴらにはそう言えないということです。しかしながら、世界中の「わかる人」はわかっています。口にしなくてもわかっています。だから、この問題で日本側はことさら感情的になる必要はありません。理はこちら側にあるのですから。

愛子ちゃんはそうですね。すぐに大きくなりますね。僕としては天皇制はあってもいいんですが、皇居は一般公園にして、天皇家は京都へお帰りなってほしいなと思っています。京都御所はまだありますし、明治天皇が東京へ来た時、遷都令は出ていなかったわけですから都はまだ京都なんですし。今の時代で、天皇が東京にいる必要はありません。

初めまして、大豆と申します。
ほんの少し、そうかな、と納得しました。
でも、東京裁判の非合理性を問うた場合、世界中の旧日本軍に対する訴訟も合理性を問われることになりませんか。
中国人、韓国人だけでなく、イギリス人、オランダ人など、いろいろな訴訟を日本は法や条約のもとに退けてきたと思います。
僕は戦争の総括は必要と考えていますが、あまり自分に都合のいい展開だけを期待するのは無理がないかな。
ドイツみたいに、すべての責任をナチに負わせて、今日に至るまでナチ狩りを続けることで、現ドイツの正当性をアッピールするという姿勢は、外交上はけっこう有効な方法だと思います。
日本は天皇の戦争責任を問わなかった、その身代わりは必要でした。そして、身代わりには未来永劫、悪役に徹してもらわないと国際的に体面が保てないと思うのですが。いかがでしょう。
戦争を検証して、天皇に全責任を負ってもらうか、”A級戦犯”なるものに責任を負ってもらうか、どっちかはっきりして、国の姿勢を鮮明にすることが国益につながると思いますが。

はじめまして。コメントありがとうございました。

東京裁判の非合理性を問うというより、あの時代に「非合理」なものが「合理」として行なわれたことの欺瞞と偽善を問うべきだと思います。それは今のイラク戦争でも繰り返されていることです。世界中の旧日本軍に対する訴訟が蒸し返さるというのならば、日本も連合軍から捕虜虐待などの扱いを受けていますし、BC級戦犯の裁判まで範囲を広げると、それはもう正式な「裁判」とはいえない内容のものでした。つまり、細かくやっていくと、自分に都合のいい展開どころか、双方とも泥試合のようなものなります。

東京裁判の何が問題なのかと言えば、この「双方とも泥試合のようなもの」になる戦争を、その戦争が終わった後、勝者が敗者を正義の名のもとで裁いたということが問題なのだと思います。東京裁判の「非合理性」はそこにあります。

もし仮に「正しい」「悪い」という言葉で、単純に表現するのならば、「日本は悪くない、正しかった」と主張したいのではなく、「日本も悪かった。欧米も悪かった。中国も悪かった」と主張したいというわけです。ようするに、過去の戦争行為をもって、その国を非難することはそもそもナンセンスなんです。どこの国だって「悪い」ことをやっています。そして、その「悪い」ことをやるなとも言えない。長い目で見れば、国家にはやむをない事情はある。それはお互い理解しよう。だから、戦争行為の「いい」「悪い」を外交カードにもってくるんじゃないよ、というわけです。言ってみれば、そうした「大人のつきあい」がどうして、2000年の関係の歴史がある日本と中国の間で成立できないのか。これは、そもそもアジア人とはそうした人々なのか、など大きな問題を含んでいます。

ドイツについては、すべての責任をナチにかぶせている(ようにしている)のは、ユダヤ問題があるからだと思います。これは確かにナチの犯罪です。ユダヤ人に対しては「あれはナチスが悪かったんです」で通る。しかしながら、そもそもナチスが台頭したのは、ドイツ民衆の支持があったからです。では、なぜドイツ民衆はナチスを支持したのか。あの時代のドイツの社会心理、ヴェルサイユ講和条約でのドイツ処理の問題など数多くの問題があります。これらについては、欧米のインテリはよくわかっています。だからと言って、「ナチだけが悪かったのではなく、ドイツ国民そのものが悪かった」など今言ったことで「オトナゲナイ」ことをみな知っていますから表面的にはなにも言わないだけです。

僕も「体面上は」軍部が「悪かった」でいいと思います。陸軍が暴走し、海軍はそれを黙認していたということは間違いではありません。しかしながら、日本人と中国人のひとりひとりが、それはあくまでも「体面上のこと」であって、実際は、コレコレの問題があった、日本は天皇は軍を統率せず、議会は国民に責任を感じていなかった、知識人は大衆と乖離していた等。また中国については、清朝の対外政策の間違い、政治の腐敗、社会混乱等、それらのことがあって、結果的に「大日本帝国は中国を侵略した」のだということを、両国の国民がしっかりと理解する必要があります。そうした方向に、日本と中国は進むべきです。

外交というのは、あるべき将来のビジョンがあって行なわれるべきものであって、今の日中関係は、未来の展望などまったくなく、右翼とサヨクの政治的道具の扱いしかされていません。

真魚さん、こんにちわ。

 >もし仮に「正しい」「悪い」という言葉で、単純に表現するのならば、「日本は悪くない、正しかった」と主張したいのではなく、「日本も悪かった。欧米も悪かった。中国も悪かった」と主張したいというわけです。ようするに、過去の戦争行為をもって、その国を非難することはそもそもナンセンスなんです。<

だから、真魚さんは「東京裁判の是非を問うべき」と仰います。

1951年のサンフランシスコ講和条約には、日本が東京裁判の結果を受け入れることが明記されており、日本は東京裁判(戦争責任は戦犯にあり)を受け入れることで国際社会に復帰できた、ということなのだそうですね。
社会学者の宮台真司氏によると、「これは一つの“虚構”で、この“虚構”を構築することで、国のこれからの発展に望みを託すことができた」そうです。
まさに、真魚さんの仰る「欺瞞と偽善」の上に今の豊かな日本があるのかもしれません。
戦後、平和国家を貫いて驚異的な発展を遂げた日本国民の頑張りを思うと、「東京裁判は間違いだった。」と60年たった今、靖国問題の解決の材料として持ち出すのはちょっと厄介かなあ、なんて思います。

靖国問題を以前掲示板で議論(というほどのものでもありませんが)していた時、私は、これは結局、A級戦犯とされた遺族のかたがたのご意向しだいなのではないかと思ってしまいましたがどうなんでしょう。
中国は「A級戦犯を分祀さえすれば問題はない」と言ってるようですし。

もちろん、歴史の検証は是非やらなくてはいけませんし、私たち国民一人々が無関心であってはいけないことなのですが、靖国問題で中国を説得するについては、分祀をしないのであれば、「日本人の死者に対する考え方をわかってくれ」、このポイントにしぼるだけのほうがいいんじゃないですか。おばちゃんの発想ですけど。

これは結局、若い人の「まだまだやるぞー」と年配者の「もういいじゃないか」なんでしょうかね。

"中国は「A級戦犯を分祀さえすれば問題はない」と言ってるようですし。"

この問題を”解消”しても他の問題を絶対持ち出します。逆に日本は中国の中に残る共産主義の矛盾を指摘して、日本人は世界に向けて”平和”実現してきた。同じような行動を中国は国内で実現しろと言うべきです。

50-60年前の事を使って日本と外交を行って国内の問題をカバーしている中国の化けの皮をはがす必要があるのでは?中国が一番怖がっているのは日本が平和な国である。それが中国に無い自由があるから行えた。戦争で中国からなにかを奪ったから今があるのではないと明記する必要があると思います。

マイク

robitaさん、

サンフランシスコ講和条約に東京裁判を受諾することが入っていたので、今日本は東京裁判を問題視できない、というわけではないようです。これは条約成立後も日本政府による東京裁判での受刑者の刑の執行を要求するものであって、それがなされた今、この条項は効力を失っています。ここで日本が東京裁判を見直すことを行っても、それは少なくともサンフランシスコ講和条約違反にはなりません。

さらに、東京裁判の背後には、その後の冷戦に至る米ソの対立構造がありましたが、そうしたものは現在なくなっているわけですし、日本もアメリカの庇護の元での高度成長はとうの昔に終わっていて、せいぜい「プロジェクトX」でも見て「昔はよかった」とか思っているわけですから、新しい時代の枠組みを作っていくべきです。

「A級戦犯」と呼ばれた方々の遺族については、日本人の伝統的価値観では、たとえ内心では夫なり親なりが戦争犯罪人呼ばわりはされたくないと思っても、あの戦争で亡くなった人々のことを思えば、とても自分の口から「戦争犯罪人呼ばわりされたくない」とは言えないと考えるのではないでしょうか。戦前の日本人ならそうすると思います。ご遺族の方々が本心を公に言うとは思えません。

どう考えても戦犯とは思えない人々が戦犯扱いになっていて、そして、中国もまた、その人々を戦犯呼ばわりする。もとはといえば、東京裁判に問題がある。よって、東京裁判を見直しましょう。その見直し作業には、ぜひとも中国も参加してもらいたい、となぜならないのか。誰もそういうことを言わない。

その一方で、「日本人の死者に対する考え方をわかってくれ」と中国に向かって言うのではなく、「中国の言っていることはおかしい」と声を大にして国際社会の中で論じるべきだと思うのですが、なぜか、そうならない。

でもって、愛子ちゃんを天皇にする話はなぜか(国民の見えないところで)サクサクと進んでいく。

どうもよくわかりません。

 >「A級戦犯」と呼ばれた方々の遺族については、日本人の伝統的価値観では、たとえ内心では夫なり親なりが戦争犯罪人呼ばわりはされたくないと思っても、あの戦争で亡くなった人々のことを思えば、とても自分の口から「戦争犯罪人呼ばわりされたくない」とは言えないと考えるのではないでしょうか。戦前の日本人ならそうすると思います。ご遺族の方々が本心を公に言うとは思えません。<

説明不足でした。すみません。
私が「ご遺族の意向」と言ったのはこういうことです。
つまり、
中国が「靖国からA級戦犯を分祀すれば問題はない」と言っているのを前提にするならば、ご遺族が分祀に合意すればいいのではないか、と思ったわけです。
日中関係を揺るがすこの大騒動を自分達の態度によって治めようという意思はおありではないのか、と思った、という意味です。

しかし考えてみると、分祀はいったい誰が決めるのか、そのことを遺族が決められるのか、そもそも1978年に合祀したのは誰の意思なのか、私はそんなこともわかりません。
靖国神社の意思だとすると、それは神主さんの考え方一つによるのではないのか。・・・うーん、無知ですみません。

でも、マイクさんが仰るように、たとえ分祀したとしても中国はさらなる難クセをつけてくるのであれば、そんな簡単な問題ではないのでしょうね。やっぱり、しんどくても、歴史をもう一度根底から掘り起こさないといけないのかもしれません。それは中国との関係を悪化させ、日本経済にも深刻な影響を与えかねないかもしれないけれど。
でも、私は「たとえ時間がかかってもカネがかかってもめんどくさくても、筋を通すことのほうがずっと価値がある」と考える果敢な若者の存在を非常に頼もしく思います。

大戦後、靖国神社が祀る基準は
「遺族援護法」・「恩給法」


厚生省引揚援護局と靖国神社側が
遺族援護法・恩給法を基準に、行ったようです。

厚生省の基準に満たない戦没者は
祀られませんでした。
そうした戦没者は千鳥ヶ淵墓苑にて安置されています。

戊辰戦争時、朝敵の会津藩・白虎隊や、
西南戦争時、戦死した西郷隆盛は祀られていません。


靖国の基準としては、
「天皇のために死んだか否か」
で祀るか否かを決めてます。

小泉首相の
「人間は死んでしまえばみな平等とするのが日本の文化」
などとほざいていましたが(怒


靖国神社の歴史を知らないか、国民を欺こうとしているかのいずれかでしょう。

以前、日本軍韓国人兵の子孫?が
勝手に合祀されたのでやめてほしいと
裁判になったとニュースでみたような。
(ソース不明)

手続き上では
分祀に遺族の合意は不要でしょう。
合祀は靖国が勝手にやっているだけですから。

雑誌「世界」、梅原猛

『靖国は日本の伝統的な神道から逸脱している。
古事記の神道を伝統とすれば、
古事記は天皇の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮と、
天照大神の子孫が滅ぼした(殺した)大国主命を祀る出雲大社。
この二つの神社からなる。
天皇は自分たちの先祖よりも、むしろ滅ぼした
出雲の方に大きな神社を建てた。』

『そういうことを、先の大戦でも行うべきであった。
中国や朝鮮、東アジアの人々の犠牲は、日本の犠牲の5倍も多い。
1千万人の方々が日本の犠牲となった。
伝統的な神道であれば、その人たちの霊を厚く祀るべきなのだ。
その人たちの霊を慰めることをしないで、
自国の死んだ人たちだけを祀るのはおかしいこと。 』

『(廃仏毀釈で)つぶして再度、国家神道の下に神道を統合した。
だから、それはほんとうの神様ではない。
一木一草のなかに神をみる。これが日本の伝統。
そういう神様を全部殺して、
天皇と国家を神としたのが国家神道。
そういう伝統にあらざる神道を
首相が公式参拝して保護するのはどうなのか? 』

私は参拝の是非に興味はないが
小泉首相の詭弁には、卒倒しそうになる。

私は首相の詭弁に引っかかったお人よしのおばちゃんだったのか・・・。
もっとも首相がそう言ったからではなく、もっと前に色々な人が「死んだらみな仏さまになる、という死者に対する日本人の考え方」に言及していて、私も、なるほどそうだよねー、と納得していたまでのことですが。

天皇制(というか、天皇家の人々)について私も思うことたくさんありますので、そのうち自分のブログに書いてみようかと思っています。ま、微妙な問題なのでいつになるかわかりませんが。

>死んだらみな仏さまになる

「神様仏様」という言葉は日本人的ですが
仏を否定する所から生まれたのが靖国です。

廃仏毀釈は

明治政府が発した神仏分離令によって
引き起こされた仏教施設の破壊などを指します。

それまでの日本では神道・仏教が絡み合うように
共存していましたが

日吉山王権現社の仏像を焼くなどして
日吉神社とあらためさせたり
伊勢神領の仏寺約200が廃寺に追い込まれました。

他にも多くの仏像などが焼かれました。

その流れで出来たのが靖国の前身「東京招魂社」

靖国には相応の存在意義はあるし
参拝そのものは自由だと思う。
一宗教法人が誰を祀っているかについて
中国にとやかくいわれる筋合いはない。

しかし靖国を参拝する理由として

「死んだら平等」は胸糞悪いです。

#蛇足ばかりですいません

ルイージさん、

ルイージさんの言われるように、靖国神社は、明治政府が戊辰戦争以後の官軍側の戦没者の霊を祀る神社ですから、西南戦争の薩摩軍側は入っていないのは当然です。長岡藩軍や会津藩軍や函館五稜郭の榎本軍や上野の彰義隊も入っていないです。みんな賊なんですから。大体、あそこに大村益次郎の銅像が、今でも戦前と同じように立っているのを見ただけで、あの場所がどういう場所かわかるものです。というか、あのデカデカとした菊の紋章を見ただけでもわかるもんです。

もし小泉総理がそれを知らんかったというのならば、あの人は日本国の首相でありながら、司馬遼太郎の小説すら読んでいないということになります。

ルイージさん、

僕は梅原先生の言われることはよくわかりますが、靖国神社は日本古来の神道とは違うものである、だからイカン、というのには同意できません。そもそも、明治の国家神道は、それ以前の神道とは別のものであることは、明治政府もよくわかっていました。それでも、そうした(国家神道という)ものをデッチアゲなくてはならなかったというところに明治維新の意味があります。

アジアの戦争被害者のための鎮魂をなぜ行なわないのかということについては、戦後の日本人は、自分たちは戦争の被害者であったと思い、少なくとも戦争の加害者であるという認識を持つことはしませんでした。なぜそうだったのか。僕自身まだよくわかっていません。

しかしながら、言えることは、ひとつには戦後教育の内容がそうだった。戦後の日本人は、「自分たちの住んでいる場所」=「日本」=「日本列島」と認識する傾向が強いです。このため、外国に住む他民族どころが、外国に住む日系人に対してすら「同じ同朋」と意識しない性質があります。

これはたいへん興味深いところで、戦後の日本の教育では、日教組や左翼による「世界市民」「地球人」的な帰属意識を持つことを奨励しながらも、戦後の日本人は一度たりとも本当の意味での世界感覚や国際意識を持ってきませんでした。戦後の日本人の世界観は、アジア大陸の東端の海の上の四つの巨大な島々の上に閉じこもり、その中で「世界平和」だとか「人類みな兄弟」だとか言ってきました。

もうひとつは、歴史的に、アジア諸国に住む諸民族が、共通意識として「アジア」をもったことは過去一度もないということです。もともと、「アジア」という地理概念は、ヨーロッパに対する対概念であって、アジア人自身が自分たちの内面から「我々は同じアジア人なのだ」と思ったことはありません。戦前の日本の「五族協和」「大東亜新秩序」「大東亜共栄圏」という考え方は、アジア諸国の中で、19世紀以後の近代化にいち早く成功した日本が勝手にそう思っていただけで、他のアジア諸国は欧米の植民地化から独立し近代国家になることを求めていました。ようするに、アジア人は今だかつて、今日でも、「アジア」という共通意識を(漠然としてはあるでしょうが、少なくとも明確には)共有していません。例えば、イギリス人とフランス人とドイツ人は共にキリスト教徒であり、かつヨーロッパ人であるという共通の帰属感覚がありますが、日本人と韓国(朝鮮)人と中国人の間にそうしたものはありません。

以上の状況を考えると、戦後の日本人が自分たちは戦争の加害者であり、アジア諸国のみならず、先の戦争でなくなった全民族の霊を祀ろうという発想すら浮かばなかなかったは当然だと思います。

なお、梅原先生の首相の靖国神社参拝不用論ですが、靖国神社が明治政府の国家神道の神社であるとして(事実そうなのですが)、そこに日本国首相がかつての英霊に敬意を称するために参拝するのは間違ったことではないと思います。大日本帝国が作った「デッチアゲ神道」であっても、大日本帝国のために戦って死んだ者たちの意味を認めるには、その「デッチアゲ神道」を認めざるえません。

だだし、今の自衛官が戦死したら、その「デッチアゲ神道」に殉じたことにさせようとするのなら、それは反対します。現状、そこまで話は進んでいないようですが、そこまできちんと考えておかないと、いつ、そういう話になるとも限りませんので。

個人的には
首相の靖国参拝は
内心の自由だと思うので
イカンとは思いませんが
(政教分離で係争中事案なので結論はでません)

靖国=日本の文化

のようにmisleadさせられては堪りません。


もしもの話は不毛ですが

戦後、もし昭和天皇が
日本軍の犠牲者のために神社を建てたならば
また違った歴史もあったのでは?
と夢想したりします。

もちろん昭和天皇にそんな権限は
与えられなかったのですが……

いいですか、ブッダはインドの神様ですよ。
「死んだら仏様になる」のは一般人の場合です。
お国のために尊い命を亡くされた方々は「日本の神様」になられるのが当然です。

国家が国家の命によって召集し、その戦争で亡くなった人々を国家が慰霊するのは国家の義務であり、当然のことです。

目から鱗が落ちました。
 靖国にお参り行くのは、不戦の誓いの
 為ではありません。 <後に続くぞ・・・>

家族、国を守る為に亡くなった若者
 若し、亦家族・国が存亡の危機に立ち至った
 ら、彼らの後に続くぞ
 続く人間がいなければ、彼らは何の為に
 命を捧げたのか

靖国神社は、戦前の日本人の物語であり神話です。戦後の私たちは、私たちの物語や神話を作っていかなくてはなりません。

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