「迷惑なアメリカ」がまだ続く その3
アン・コールターの『リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の60年』(栗原百代訳、草思社)を読んだ。本書は、リベラルがいかに外交的に無能で、反アメリカで、アメリカよりもかつては共産主義、今はイスラム教徒を支持しているかという話が延々と続く。
1940年代から50年代にかけて、マッカーシー上院議員は、アメリカ政府内部に共産党党員や支持者がいることを指摘し、自ら先頭にたって摘発した。ここで重要なのは、マッカーシー上院議員はソ連のスパイを摘発したのではない。共産党党員やその支持者と疑われる人々を摘発したのである。今日では、その摘発された人々の中には、実際にソ連のスパイがいたことがわかっている。しかしながら、そうでない人も大量にいたのだ。これは、一種の魔女狩りであった。今日では、これを「マッカーシズム」もしくは「赤狩り」と呼び、完全に間違っていたことであったとされている。
ところが、である。コールターは、マッカーシーが調査した人物の中には、本当のスパイがいたという事実を持ち上げ、よってマッカーシーはカンペキに正しかったのだと言う。ようするに、ソ連のスパイを撲滅させるためには、国内の共産主義者やその支持者を撲滅させればいいのだという考え方である。裁かれるべきことはスパイ行為であり、個人の共産主義への見解の内容ではない。仮に共産主義を心棒していても、それは個人の思想の自由である。しかしながら、コールターは、ようするに、リベラルとは反アメリカであり、冷戦期のリベラルは共産主義の信奉者であったのだから、そう扱われても当然であると言う。マッカーシーも、コールターも共産主義を理解をする者は、みんなソ連体制の支持者であると見なすのである。
ただし、ここで指摘しておきたいことは、マッカーシーに対するこの時のリベラルの反応も理解し難いものがあった。上記に書いたように、マッカーシーが間違っているのは、ソ連のスパイを摘発したのではなく、共産党党員やその支持者を摘発したということだ。しかしながら、マスコミはマッカーシー個人の知性や人格への誹謗中傷に明け暮れたのである。つまり、ソ連亡き今日では想像もつかないが、あの時代のアメリカでは、共産主義を信奉することのどこが間違っているのか、それは個人の自由ではないかと正々堂々と公言できなかったのであろう。だから、民主党はマッカーシーに過剰な反応をしたのではないか。それこそ、マッカーシズムを生み出した土壌なのである。
本書は、マッカーシーは正しかったに続き、ベトナム戦争は民主党が始めておきながら、指導者が優柔不断で、あげくに「この戦争には勝てない」というマスコミの論調を作りだし、そして敗北した。最終的には南ベトナムを見捨て、最終的にはインドシナ半島は共産主義の手に落ちたと言う。アメリカが北ベトナムに強硬な態度をとらず、敗北という恥ずべき事態になったのは、民主党が反アメリカであり、共産主義を支持していたからであるというのだ。コールターはこう書いている「(民主党は)口先では「平和」を望んでいると言いつつ、現実にもたらしたのは、「再教育」収容所と政治犯と共産主義者によるヴェトナム、ラオス、カンボジアでの悲惨な大量虐殺だった。」と。そして、「共和党の大統領だったら、開戦しなかったか、すばやく勝利したかのどちらかだったであろう。」とのことだ。そりゃあそうだろう、共和党だったら、もし北ベトナムが降伏しないのならば、この地球上から北ベトナムという国が消え去るまで爆撃をしたであろう。
そして、コールターは共和党保守のお決まりのレーガン賛美である。レーガンの強固な対ソ連政策が、アメリカの冷戦の勝利をもたらしたことは事実である。しかしながら、当時、ソ連が内部崩壊を始めていたことも事実であって、一方的にレーガンであったからソ連が崩壊したわけではない。ソ連の内部崩壊の可能性は、カーター政権の安全保障担当補佐のズビグニュー・ブレジンスキーや日本でも歴史学者の山内昌之が指摘していた。レーガンが偉大だというのならば、もしキューバ危機の時の合衆国大統領が共和党であったらどうであったろうか。世界は核戦争に突入していたであろう。レーガンの相手が、徳川幕府の崩壊は避けがたいことを知っていた徳川慶喜のようなミハイル・ゴルバチョフであったことも大きな要因である。
ただし、ここで重要なことは、レーガンは共産主義の存在をアタマから認めなかったということだ。なぜ、認めなかったのか。共産主義は、キリスト教に反するからである。ここでは、共産主義思想を認めるか、認めないかの、二者択一しかない。それ以前の外交政策では、リアル・ポリティックスに基づくバランス・オブ・パワーが主体であったが、レーガン政権では、バランスもなにもなく、とにかく共産主義をこの世からなくすという強靱な信仰が主体になったのであった。敵であるソ連を倒すためには、この世の共産主義すべてを消滅させればいいと考えるのだ。コールターはこう書く「レーガンの神と自由への揺るぎなき信仰が、ソ連の全体主義を打倒すべしというアメリカ国民の意思を燃えたたせた。共産主義は実現不可能な経済システムであるばかりか、それ自体が悪なのだとレーガンは言った。」
上記の論理で考えれば、ようするに、フセイン政権を倒すためには、いくらバクダッドの市民が死んでもかまわなかったのである。なんてったって、異教徒なんだから。そして、それに異議を唱えるリベラルに対して、アメリカ国民は、なぜ自衛してはいけないのかとコールターは言う。アメリカがどこをいつ攻撃するかを、アメリカ人が決めて当然ではないかと言う。なぜ、フランスやドイツの承認が必要なのか。アメリカ人が「(リベラルがいう)「人間の尊厳」やら「人権」やらの御託を並べるより、国益にもとづくアメリカの外交であってなぜいけない。」と書く。リベラルは、アメリカ国民(特に中西部の人々)に嫌われることはなんとも思わないが、ヨーロッパ人に軽蔑されると大騒ぎするという指摘には読んで笑ってしまった。そしてコールターは書く「アメリカが生き残りをかけて戦っているときに、民主党はなぜ異教徒に嫌われるのかにこだわっている。なぜ外国人がアメリカ人を嫌うのかを思い煩うより、なぜアメリカ人が民主党を嫌いはじめているかを問うことのほうが、民主党にとって有益かもしれない。」
反米行動は愛国心のかけらもないことであり、激しい怒りをともなう愛国心が必要なのだという。この観点からすると、今の日本の北朝鮮に対する軟弱外交は、北朝鮮による日本人拉致に対する怒りだけではなく、そもそも北朝鮮の金正日政治体制および共産主義への怒りが足りないから軟弱外交になっているのだということになる。北朝鮮に対して、共産主義思想は悪であり、この世から根絶させなくてはならないという使命感が必要であるということになる。そして、そのためには必要ならば、(今の自衛隊には爆撃機はないけれど)日本軍が平壌を爆撃し、罪なき北朝鮮の人々をいくら虐殺してもそれはやむをえないことなのだと考えなくてはならないということになる。(ちなみに、今の状況で北朝鮮に経済封鎖を行うのならば、そこまで覚悟をしてやれというのならば、それは正しい。)
百歩ゆずって、いや、100億歩ゆずって、もし仮にコールターの言うことが正しいとしよう。では、アメリカ政府のやっていることが、本当にアメリカ市民の大多数にとってよい結果をもたらすことになるのだろうか。そうした疑問は、コールターにはない。そうした疑問を持つことすら、リベラルの反アメリカ的態度、非愛国的態度、そしてかつ非キリスト教徒的態度になるのであろう。
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