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September 2004

September 29, 2004

ジョン・ケリーはブログを知らない

 我が論友マイクが9月26日の「CBS騒動はパジャマを着た人々の時代の始まりか」のコメントで、たいへん興味深い指摘をしているので、別エントリーとして書きたい。

 まず、イギリスの新聞"Independent"に、今回のCBS騒動のことでおもしろいコラムがあった。"Bush bloggers capture stealth media"(ブッシュのブロガーたちが見えないメディアを乗っ取った)と題するこのコラムは、もともとLiberalの独壇場だったメディアが、いまや保守派のメディア操作の場になりつつあることを指摘している。"stealth media"の"stealth"とは、辞書を引くと「人目を盗む, 人目をはばかる, ないしょの」とある。レーダーに捕捉できない飛行機をステルス機というが、その「ステルス」だ。これは大手の新聞やテレビといったマスメディアを「見えるメディア」、ローカル局のラジオやインターネットなどを「見えないメディア」としているのだろう。

"Very embarrassing for the Leviathan of CBS News, and now mainstream journalists everywhere are running scared of the amateur blogger sleuths."
(CBSのリヴァイアサンにとって困ったことになった。そして、今や主流のすべてのジャーナリストたちは、素人のブロガー探偵に戦々恐々とするようになった。)

 リヴァイアサンは、旧約聖書に登場するいくつもの頭をもった海の怪物のこと(八岐大蛇みたいなものか)。「巨大な存在」を表すときにしばしば比喩として用いられる。この場合は、巨大組織あるいは権威ある3大ネットワークのひとつであるCBSそのものの意味ではないかと思う。

 そして、こう続く。ここからがおもしろい。

"The real story, however, is not Rather, but the fact that Republicans have been so effective at dominating the "blogsphere". The Bush/Cheney headquarters have a team scouring the blogsites for rumours about Kerry. They can instantly marshal hundreds of sympathetic bloggers to knock down attacks on Bush. The blogger who led the charge against Rather was no grungy student or the like but turned out to be a 46-year-old corporate lawyer in Atlanta. It's very reminiscent of 2000, when the Republicans dominated talk-radio, the stealth medium of the last election."
(しかしながら、本当の話は、ラザー氏のことではない。私が述べたいことは、共和党はより効果的にブログ世界を支配しているという事実だ。ブッシュとチェイニーの政権首脳部は、ジョン・ケリーについてのうわさが書かれているブログを探し回るチームを持っている。彼らは、ブッシュに対する批判的な書き込みを発見したら、そくざにボコボコにするために、数百の同情的なブロガーを召集させることができる。今回のCBS騒動で、ラザー氏への非難を導いたブロガーはみすぼらしいなりをした学生やそのたぐいの輩ではない。れっきとしたアトランタの46歳の企業弁護士だったことが判明している。このことは、2000年の大統領選挙の時のことを思い出させる。あの時も、共和党はラジオ番組、見えないメディアを乗っ取っていた。)

 当然のことながら、マスメディアはLiberalが支配しているとも言えるので、それに対抗するために、保守はマスではないメディア、つまり"stealth media"に活動の場を求めざる得ない。そして、今日、マスメディアは力を失いつつあり、小さなメディアが大きなパワーを持ちつつある。このメディアの力関係の逆転と、保守とLiberalの力関係の逆転は関連があると僕は考える。

 そこで、マイクの次の質問について考えたい。

>>主流のメディアは刺激の強いテレビや新聞(百聞は一見にしかずのメディアですよね。)を使ってこれまで人々の考えをコントロールしてきた。ネットやラジオのように、探さないと見つからないメディアがなぜ重要性を帯びてきたのかをLiberalsは考えないといけないのでは?<<

 これはたいへん重要なことなので、後日、くわしく書こうと思っているけど、とりあえず今、僕はこう考える。

 新聞が一般大衆に広まったのは19世紀末、テレビが普及したのは1960年代、つまり19世紀末から1960年代まで、ウッドロー・ウイルソンからケネディ/ジョンソンの時代までは、Liberalが大きな力を持っていた。アメリカの政策そのものがLiberalだったし、市民もまたLiberalな政策を求めていた。FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルトの略称記号。ちなみに、アメリカ人との会話では「FDR」で十分意味が通じる)のニューディール政策などがそう。だから、メディアもみんなLiberalだった。

 JFK(いわずと知れた、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの略称記号)時代の保守は、キューバにカストロ政権が樹立されたことと、アジアでの共産主義の拡大に反対を唱えている人たちだった。反カストロ、反ホーチーミン、反毛沢東、そして反フルシチョフの人々だった。彼らはジョンソンにアメリカがベトナム戦争に本格的に介入するようにさせたのだが、結果としてベトナム戦争は泥沼になる。そこで、保守はニクソンを支持するが、最終的にキューバのカストロ政権は確定的なものになり、ベトナムからは敗退、さらにニクソンは中国を承認した。一見、保守の希望は敗れたかのように見える。しかし、そうではなかった。

 ここで重要なことは、ジョンソンの時代に、アメリカ市民の多くはLiberalに幻滅したということだ。ジョンソン政権で、FDR以来のLiberalは破綻したのだと思う。Liberalの政策では、国内の道徳は荒廃し、福祉政策はいきづまり、共産主義の拡大を防ぐことができないことを知ったLiberalの知識人が共和党支持に変わっていった。何度も強調するけど、ここがたいへん重要なポイントだ。レーガンによる保守主義の飛躍は結果であって、重要なのは、ジョンソンの時代にLiberalは破綻したのだということだ。このことを、もっと考えなくてはならないと思う。ここで保守主義は大きく変わった。保守主義はたんなる反共右翼勢力ではなく、アメリカ民衆の声になったのだと思う。

 これに関連して重要なことは、マイクが以前言っていたように、元々、民主党支持の地盤だった南部が、なぜ民主党から離れていったのかということだ。これをもっと考えなくてはならない。東部のマサチューセッツにいるテッド・ケネディとジョン・ケリーはこのことの意味を理解していない。

 1990年代にインターネットが普及し始めた時、Liberalの知識人たちは、これで一般市民も政治的な発言ができるようになって、(Liberalな)民主主義が大きく前進すると考えていた。しかし、実際に大きく力を伸ばしてきたのは保守主義だった。

 アメリカ人なら誰もがLiberalだろうと思っているのは、Liberalだけと、Liberalなメディアの影響を受けている日本人ぐらいだ。日本人がそうであるように、アメリカ人も保守的な価値観を持っている人は多い。それらの人々が、商業Liberalが支配するビック・メディアに対抗して、ラジオやインターネットといったスモール・メディアを使って発言し交流している。そして、そのパワーは着実に大きくなっている。10年前、アル・ゴアが「情報スーパーハイウェイ構想」を提示した時、まさかこうした世の中になろうとはLiberalの知識人たちは誰も予測できなかった。アルビン・トフラーも書いていない。僕だってそう。パーソナル・コンピュータとインターネットの出現で、1960年代のカウンター・カルチャーが復活すると本気で信じていた。(実は今でも、ちょっとだけ心のどこかでは、まだ信じているのだけど。)

 今、起きている現象は、それは間違いだったということだ。ジョージ・W・ブッシュ政権という、いわば行き過ぎた保守主義の政権を生み出したのは、Liberalがこの間違いに気がついていなかったからだったと十分言える。

TIME,Sep 27.に書いてあるように、
some Kerry advisers think he has missed an opportunity to rally voters to his cause using the Net. "I don't think this campaign really understands the new technology." says one. "Yes, they raised money with it, but they don't see it as an organizational tool." The reason, he says, is that the team still steers by the stars of the New York Times and the TV networks. Senior adviser Mike McCurry read the Daily Kos and a few other blogs, but most Kerry aides don't and instead rely on one staff member to provide an overnight summary. The Internat is not their medium. "It's not where they live. It's not how they talk to each other." says the adviser. "The Kerry camp hasn't moved. It's where campaigns were 20 years ago.

 ようするに、民主党は新しいメディアを資金集めの道具としてしか使えない。彼らは、the Daily Kosのような有名Liberal系ブログを読むこともせず、あいも変わらずthe New York TimesやCBSとかABCテレビなどで世の中のことを知ろうとしている。インターネットを政治的ツールとして使いこなしていない。20年前の選挙と同じことをやっているのだ。これに対して、共和党はブログを浮動票投票者へのアピールなどに有効に活用している。

 民主党は、いつまでも1960年代に破綻したFDRやJFKの理想を追いかけていないで、まずアメリカ社会の現状と新しいメディア"stealth media"の意味を理解すべきだ。そうして、初めて保守主義に対して意味のある反論を行うことができるのだと思う。

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September 26, 2004

CBS騒動はパジャマを着た人々の時代の始まりか

 ことの始まりは、9月8日、CBSの看板番組「60ミニッツ」で、ブッシュ大統領はベトナム戦争当時に、テキサス州兵として兵役につくことでベトナムに行くことを避けたが、さらにこの州兵の兵役任務ですら満足にやっていなかったと報道したことだった。この番組の中で、これもまたCBSの看板キャスターであるダン・ラザーが、その疑惑の証拠として出したのが、ブッシュが州兵だった当時の上官のメモだ。この上官は1984年に亡くなっているが、CBSはこのメモは信頼できると主張した。

 ところが、この放送の後、この番組を見た人々が、このメモはMSワードで書かれており、あの当時にはMSワードなんてなかったではないかとブログに書き、そこからAP通信やワシントンポストの記者が追跡調査を開始した。

 ここでCBSが「間違えました」と言えば良かったのに、CBSは、この反論をつっぱねた。このメモが、当時存在していないMSワードで書かれたものであるかどうかなどということは、例えばマイクロソフト社に電話一本かければわかるようなものではないか。ところが、CBSはこの騒動が権威あるスジからの「通報」によるものではなく、ネットの名もないブロガーたちによって巻き起こされたのが、よほどメンツに関わることだったのか、

a CBS spokesman said, "The credibility of our news organization should not be called into question by the homophobic rants of people in pajamas."
(CBSのスポークスマンは「我々のニュース機関の信頼性は、パジャマを着たホモ嫌いのわめき声によって疑問を提起されるものではない。」と述べた。)

さらには、

"Bloggers have no checks and balances. (It's) a guy sitting in his living room in his pajamas." Jonathan Klein, former senior executive of 60 Minutes.
(ブロガーの書くもんなんて、なんのチェックもバランスもない。あいつらは自宅のリビングでパジャマを着たゲイの連中だ。)
というのもあって、ようするに、大手メディアであるCBSから見れば、ブロガーでリベラル系はパジャマを着たゲイで、保守系はパジャマを着たホモ嫌いに見えるようだ。(こうなると、僕はパジャマを着たゲイということになるな・・・・。)

 しかしながら、パジャマを着たゲイだろうとホモ嫌いだろうと、真実は真実。最終的に、このメモは偽物であることが立証された。

 一体、この出来事はなぜ起きたのか。WashingtonPostの記事によると、このメモの信頼性については、番組スタッフは疑っていたが、ラザー氏に押しまくられた感じだ。今回のメモは、ベトナム戦争当時のブッシュのテキサス州兵としての兵役の内容を調査していたさなかに入手したものだった。ブッシュの州兵時代の疑惑の資料を探していたラザー氏にしては、これこそ求めるものが入手できたのだろう。

 放送終了後、すぐに出てきたメモへの信頼を疑う声については、CBSは当初はブッシュ政権を擁護する政治運動家のたわごとだろうと思っていたが、やがて普通の人からも疑問視する声が出てきて、だんだんと自己弁明に追い込まれていった。ラザー氏は、メモを専門家に見せて、これはMSワードで書かれたものではないという鑑定を得ていたのだが、どうやらこの専門家と称する人々は本当の書類鑑定の専門家ではなかったようだ。自己の誤りを認める20日までの約2週間、ラザー氏はなんとかこのメモには信頼性があることを立証しようとしていた。なぜならば、彼は最初からこのメモは信頼できるものであると確証していたからである。(なにを根拠にそう思っていたのかは明らかにはなっていない。)

 結局、ダン・ラザーは自分の誤りを認めることになる。9月20日、 CBS Evening Newsでダン・ラザーは"I want to say personally and directly. I'm sorry."とアメリカ人がめったに言わない言葉を言った。

 ここで、、メディア報道での情報のソースの事前確認について考えてみたい。テレビや新聞の報道は、大学で学者が論文を書いているようにはできない。ニュース報道と言えども、決まった時間と決まった予算の中でやっていく以外に方法はなく、どうしても一番カネと時間がかかる事前調査は手薄になる。ましてや、スクープ性のあるニュースは、そのニュースの内容を立証する確証を事前に十分に行うということはできないであろう。ある程度、カケのような部分があるのだと思う。今回の出来事も、おそらくラザー氏はこのメモの信頼性について一抹の不安を感じていたのではないか。しかし、その不安を解消するために十分な調査を行う時間もなく、迫る番組のオンエア・スケジュールの中で、彼は自分のベテラン・キャスターとしてのカンを信じて、放送に踏みきったのではないかと思う。激烈な視聴率競争を強いられているニュース番組のキャスターなら、多かれ少なかれ、誰もが経験していることだろう。現場というものはそういうものだ。今回は不幸にも、ラザー氏のそのカンが外れたということだ。

 ただし、ベテランであろうと新人だろうと、報道する前に事前に裏付けをとるという、いわばジャーナリズムの基本のようなものが明確になっていなかった。また、第三者がチェックするシステムになっていなかったということになる。そして、常識的な感覚を持っている(パジャマを着て自宅のリビングルームに座っている)ブロガーが番組終了後すぐにわかったことが、CBSおよびダン・ラザーというアメリカ・メディア界の超有名人が納得するまで10日間以上もかかったというわけだ。報道に誤りがあったことが問題なのではない。その誤りを正す過程に誤りがあったのではないだろうか。

 自分が報道していることは、事実かも知れないし、事実ではないかもしれない。そのギリギリの線の上に立ちながら、自分の考え・意見に対してさえも健全な懐疑心を持つという最後の一線を守るのが報道に携わる者の努めであろう。マイケル・ムーアなら、こういうことをやっても許される(つーか、あの人、確信をもってそれをやっているよな)かもしれないが、ダン・ラザーはそうはいかない。

 オウー、ミスターラザー、ブッシュ憎しの感情が先走り、ジャーナリズムの基本を忘れてしまった、その気持ちワカリマース。この年齢で、このポストとこれだけの名声を持っている人は、普通こうしたアブナイことはやらない。それをあえてやるというところに、このオジサンは正義を愛するいいオジサンなのだということわかる。いつまでも、ウォータゲート事件を追及していた若い頃のままなのだろう。永遠の青年のようなオジサンである、と好意的に解釈したい。実際のところ、こうしたオジサンが現場では一番困るわけだけど。

 さて、もっかのところ保守系メディアは、ここぞとばかり、日頃の恨みを晴らすかのように、CBSおよび、CBSを代表とするリベラル系メディアへの攻撃に転じている。ダン・ラザーは自分の誤りを認めたわけであるが、このメモの入手先とジョン・ケリー陣営とは関係があるのではないかというのがもっかの関心の的である。保守系メディアの代表とも言うべきWall Street Journalが運営しているOpinionJournalではいくつかの記事がそのことを書いている。WashingtonPostにも記事がある。

 しかし、かりに今回のメモの入手先とケリー陣営に接点が発見されたとしても、例えば、ケリーのベトナム戦争当時の戦場での指揮は適切なものではなかったと主張する"Swift Boat Veterans for Truth"グループとブッシュ陣営とは関係があるという疑惑もある。つまり、どっちもどっちなのだ。

 そもそも、共和党のメディア操作はすさまじい。1991年、ブッシュ大統領(父)はクラレンス・トーマスを最高裁判所判事に任命した。これに対して、トーマスのかつての部下だったアニタ・ヒル判事が、彼はセクハラ男で最高裁判事にはふさわしくないと異議を唱えた。最終的に、トーマスは上院の承認をかろじて獲得し、最高裁判事になる。これによって最高裁は、保守が5、リベラルが4というポスト構成になり、この最高裁が2000年の大統領選挙でのフロリダ州での手集計を正式なものとして承認する。この時、トーマスが最高裁判事になれなかったら、今現在の大統領はゴアであったかもしれない。この時、実は共和党右派は、トーマスのセクハラを訴えたアニタ・ヒルの人格を貶める本を出版し、ヒルの言うセクハラはなんの正当な根拠がないということをでっち上げている。

 さらに、クリントン政権時代、「アーカンソー・プロジェクト」というものがあった。これは共和党右派がクリントンのアーカンソー知事時代のスキャンダルを暴き、マスコミに流すという計画であった。保守系メディアの、このクリントン政権時代の反クリントン記事ほどクリントンへの誹謗と中傷に満ちた記事はないだろう。保守主義者たちは、クリントンを辞任させなくては、ラディカルな同性愛者、家族的価値観の崩壊、フェミニズム、無神論者が勝利者になるだろうと書いている。クリントンこそ、60年代の唾棄すべき道徳観の象徴であり、つまりはリベラルは否定されるべきものなのだというわけである。これらのことは、アニタ・ヒルの中傷本を書いたDavid Brockが本に書いている。現在のブッシュ政権の背後には、こうした共和党保守の反リベラル主義がある。今回の、ダン・ラザーのミステイクこそ、格好のリベラル攻撃材料であろう。

 CBSの側もまた偏っていると言えば偏っているメディアであり、元CBSのレポーターがCBSはいかに左に偏向しているかを内部告発している本が出ている。また、FOX Newsは保守に偏った報道をすることで視聴者の支持を得ているニュース専門局であることは誰もが知っている。もはや、公正中立な報道をしているメディアなど存在しない。バイアスがないメディアを見たいのなら、先日紹介したC-SPANでも見るしかない。イラク戦争自体、ありもしない大量破壊兵器の存在や、イラクとアルカイダの関係をメディアはさんざんまくしたててきた。今のアメリカのメディアは、なにが真実で、なにが真実ではないのか、視聴者や読者にはさっぱりわからないという混乱した状況にある。

 この混乱した状況の中で、今回、大きくその存在をアピールしたのがブログだった。今週のTIME,Sep 27.で自分もまたブロガーであるAndrew Sullivanがこう書いている。
"The blogosphere is not morally pure. But the result was that the facts were flushed out more effectively and swiftly than the old media could ever have hoped. The collective mind also turns out to be a corrective one. Does this mean the old media is dead? Not at all. Blogs depend on the journalistic resources of big media to do the bulk of reporting and analysis. What blogs do is provide the best scrutiny of big media imaginable-ratcheting up the standards of the professionals, adding new voices, new perspectives and new facts every minute."

 つまり、ブログの世界も決して道徳的にピュアな場所ではないが、古いメディアがこれまで望んできたよりも、早くそして効果的に世の中に事実を伝える役割を果たしている。ブログは、古いメディアを終わらせるものではなく、巨大メディアの資料やデータを用いながら、巨大メディアを論評し、かつ独自の見解や新しい事実を絶えず提供するものなのである。

 僕たちは、これまで情報や知識の信憑性は、その情報や知識の出所の権威によって判断してきた。だから、そのへんの名もない庶民の一人の言うことよりも、権威ある大手メディアや権威ある有名大学の先生が言うことを信じてきた。それがようやく、情報や知識の信憑性は、その情報や知識の出所の権威ではなく、その情報や知識それ自体の論理的確からしさに依存するようになってきたのだ。

 そして、当然のことながら、パジャマを着て自宅のリビングいようが、スーツを着てテレビカメラの前にいようが、言っている内容、書いている内容には関係はない。ちなみに、僕はゲイではない。(ねんのため)

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September 22, 2004

ジョン・ケリー、熱弁す!

 目前に迫った大統領選挙。民主党ジョン・ケリーは、ようやく今回の選挙の本当の論点にフォーカスを合わせてきた。今まで、自分がいかにベトナム戦争で功績があったかを主張してきたケリーであった。あんた、マクナマラの『フォッグ・オブ・ウォー』を見ていないのかと思っていたけど、20日のニューヨーク大学での演説は、まるで身体をスマートにして、品のいい背広を着たマイケル・ムーアみたいなスピーチだった。徹底的にブッシュを批判しまくり。

"National security is a central issue in this campaign. We owe it to the American people to have a real debate about the choices President Bush has made… and the choices I would make… to fight and win the war on terror."

 そうなんだよ。国家安全保障がこの選挙の争点なのだよ。この1点がポイントなのだ。

"That means we must have a great honest national debate on Iraq. The President claims it is the centerpiece of his war on terror. In fact, Iraq was a profound diversion from that war and the battle against our greatest enemy, Osama bin Laden and the terrorists. Invading Iraq has created a crisis of historic proportions and, if we do not change course, there is the prospect of a war with no end in sight."

 うーむ、オサマ・ビンラディンを"our greatest enemy"と言っちゃってるよ。(ただし、この場合は「我々が直面した最強の敵である」という意味だと解釈できる。)(関係ないけど、ずっと昔、アメリカのプロレスに日系悪役レスラーでグレート東郷というのがいたな。)こんなことは、共和党は絶対言わない。こういうことを言うから、「リベラルはやっぱり・・・・・。」とか言われるんだろうなあ。しかし、現状のコースを変えなくては、戦争の終わりは見えてこないことは事実。

"It is never easy to discuss what has gone wrong while our troops are in constant danger. But it's essential if we want to correct our course and do what's right for our troops instead of repeating the same mistakes over and over again."

 共和党は、「ケリーだって、最初はイラク戦争に賛成していたじゃあないか」と言うが、日本には「過ちを正すのに、はばかることなかれ」(It is never too late to mend. )ということわざがある。これについては、このスピーチでも、

"Two years ago, Congress was right to give the President the authority to use force to hold Saddam Hussein accountable. This President… any President… would have needed the threat of force to act effectively. This President misused that authority."

 つまり、2年前に議会が大統領にイラク戦争を行うことを承認したけど、それは、どの大統領だって効果的に軍事力を行使する必要があると思ったからそうしたのだ。しかし、ブッシュはその権限を正しく使わなかったじゃないか、と言っている。でも、こうなることはわかっていたと思うのだけど。はっきりいって、連邦議会にも責任があると思うのだが、あえてつっこまないことにしよう。

"If George W. Bush is re-elected, he will cling to the same failed policies in Iraq -- and he will repeat, somewhere else, the same reckless mistakes that have made America less secure than we can or should be."

 もし、ブッシュが再選したら、彼はまた同じ過ちを繰り替えすであろう、とケリーは熱弁する。もはや、このスピーチは熱弁であった。スピーチの映像はC-SPANで見ることができる。

 ちなみに、このC-SPANは、たいへんよいアメリカ政治情報のソースである。これはケーブルテレビ各社が資金援助をしている非営利団体が放送しているアメリカの政治専門チャンネルで、議会や議員の記者会見やドキュメンタリーなどをCMなしでノーカットで流して、視聴者側に判断をゆだねるという方針をとっている。アメリカ政治を知る第一級の情報の宝庫と言えよう。しかも、なんとずばらしいことに、この番組はインターネットでも無料で見れるのだ。なんていい時代になったのだろう。

 ということはさておき、ケリーのスピーチに戻ると、

"George Bush has no strategy for Iraq. I do."

"George Bush has not told the truth to the American people about why we went to war and how the war is going. I have and I will continue to do so."

"Today, because of George Bush's policy in Iraq, the world is a more dangerous place for America and Americans."

 ここでさらに、
"Shame on you. Bush!!"
と言えばおもしろかったが、そういってもおかしくないスピーチであった。言って欲しかった。(そうなるとアジ演説になるけど)

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September 20, 2004

テロとの戦いは戦争ではない その2

 イラクに大量破壊兵器は存在していなかったことは、ほぼ確定したと言えるだろう。これに対して、ブッシュは"Knowing what I know today, I would have made the same decision," 「もし今日知ったこと(イラクには大量破壊兵器はなかったということ)を(イラク戦争前に)知っていたとしても、私は(イラクに軍隊を送るという)同じ決定を下したであろう。」と言う。なぜそうなのか。その理由は"Saddam Hussein had the capability of making weapons, and he could have passed that capability on to the enemy, and that is a risk we could not afford to take after Sept. 11, 2001."「サダム・フセインは大量破壊兵器を製造する能力を持っていたし、彼はそれを(アメリカの)敵に渡すこともできた。それこそ、我々が9.11以後で容認することができない危険だったのだ。」

 もはや、このコトバだけでも、イラク戦争は間違っているということは中学生にだってわかるであろう。「大量破壊兵器を製造できる能力がある」「それをテロリストに渡す可能性がある」というのならば、そんな国はこの世界には数多く存在する。こんな理由で戦争ができるというのならば、もはや世界には法も秩序もない。

 しかし、である。(ここで、「しかし」を100回ぐらい繰り返したいほど、以下は重要なことだ)だから、ブッシュ政権はバカですね、ザッツオール、で話は終わらないのだ。僕たちが考えなくてはならないことは、ブッシュがいかにアホかということではなく、なぜこんな理由でもアメリカは戦争ができてしまうのかということなのだ。少なくとも、アメリカがイラク戦争を行うことは、(ジョン・ケリーも含めて)連邦議会は承認した。マスコミも認めていた。つまり、なにか本質的な部分で、アメリカという国は、ものすごく間違っている理由なんだけど、それでも戦争を始めるという傾向なり性質みたいなものを持っているのではないか。

 そこで、前回に引き続き、今回はいよいよChalmers Johnsonの最新作"The Sorrows of Empire"(日本語版『アメリカ帝国の悲劇』)を紹介したい。

 僕がアメリカの歴史や政治思想に関心をもったのは、なにゆえアメリカはこんな軍事国家になってしまったのかという問いかけだった。もともと、アメリカはこうした国ではなかった。もともと、というのは、10年や20年前のアメリカではなく、建国時代のアメリカのことだ。今でこそ、アメリカは世界最強国家として人類社会に君臨しているが、もともとはイギリスが北米大陸にもっていた13の植民地だった。1754年のフランス・インディアン戦争以後、イギリスがこの13植民地への政策を変えなかったら、もしかしたらずーとそのままイギリスの植民地のままだったかもしれなかった。独立戦争で、もしフランスの援助がなかったら、独立戦争はただの「13植民地の反乱事件」で終わったかもしれない。それほど、独立当時のアメリカはちっぽけな弱小国家だった。

 それが、2世紀後、かくもこのような世界帝国に変貌するとは誰が予測しえたであろうか。フランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルが、建国後まもないアメリカを旅行し、アメリカが未来に大きく発展することを予測しているが、まさかこうした帝国になるとはトクヴィルは思わなかったであろう。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェフアーソン、ジョン・アダムスらといった建国の父たちですら、こうしたアメリカになるとは思ってもいなかったし、また望んでもいなかったであろう。

 では、いつ、どのようにして、アメリカはこんな国になってしまったのか。

 Chalmers Johnsonの『アメリカ帝国への報復』によれば、それは1898年の米西戦争に始まる。米西戦争というのは、キューバをめぐるアメリカとスペインの戦争である。当時、キューバはスペインの植民地であった。このキューバのハバナ湾に停泊中だったアメリカ海軍のUSSメインが1898年2月15日の夜に謎の爆発により沈没する。メイン号は、キューバ内部の反スペイン活動への支援のためにハバナを訪れていたのであった。海軍次官のセオドア・ルーズベルトは「これはきたないスペインの陰謀である」と宣言する。ウィリアム・ランドルフ・ハーストの新聞とジョン・ピューリッツァーの記事は戦争を煽り、国民の愛国熱をかけたて、反スペイン感情を高めた。連邦議会はスペインへの宣戦を布告した。

 この2月15日のUSSメインの爆破事件は、後の公式調査によって、機雷と思われる外部での爆発が戦艦の火薬庫の爆弾を誘爆したという結論になっている。スペインは関係なかった。

 このように、ここでアメリカ史で初めて以下のパターンが発生した。

(1)反アメリカ的意図が感じられる事件が起こる。
(2)政府がそれはドコドコの国のせいだと発表する。
(そうすることで国民からの支持が高まる。)
------>政治家はこれが目的
(3)マスコミが国民の戦争熱を煽り、愛国心をかきたてる。
(そうした記事の方がよく売れるので発行部数が上昇する。会社は儲かる。)
------>マスコミはこれが目的
(4)国民の雰囲気に押されて議会は戦争を承認し、宣戦を布告する。
(とりあえず、憲法では大統領は宣戦布告できないので、これは必要。)
そして、
(5)戦争が終わったら、公式調査でそんな事実はなかったと発表する。
(それじゃあ、なんで戦争したのかということになるが、そうやって過去のことをほじくるのは一部のリベラルだけ。やっちまったもん勝ちなんで、過去のことはどうでもいい。)

 このパターンは、後の太平洋戦争(ただし日本軍が奇襲したのは事実)、ベトナム戦争、イラク戦争にも見られるお決まりのパターンである。

 米西戦争の勝利により、キューバの独立は成立したが、グワンタナモ湾に海軍基地を作り、キューバの内政に干渉する権利をアメリカが持つことをキューバに認めさせた。またこの勝利により、アメリカは太平洋のフィリピン諸島とグアムを領土とした。

 もともと、アメリカの伝統的政治思想では、不必要な常備軍は持たないというものであった。なぜか。外国での戦争なんかしっこないと考えていたのだ。それに大規模な軍隊を持つことはカネがかかる。そんなカネがかかることはやらない、というのが建国時代からアメリカの方針だった。このへん、戦後日本の平和憲法の考え方とよく似ている。つまり、日本国憲法の平和主義は、米西戦争以前の古き良きアメリカの理念を受け継いでいたのである。

 建国の父たちは、いつの日かアメリカにも自分たちが否定したヨーロッパの専政国家のような巨大な国軍と官僚機構を持つようにあることを恐れていた。だからこそ、彼らは外国での戦争を望まなかった。外国での戦争をするようになれば、アメリカ軍や官僚機構の費用をまかなうために連邦税が増加する。政治権力は州政府から連邦政府に移り、さらに連邦議会から大統領に権力が集中するようになる。巨大な官僚機構が国民を監視し、個人の自由を侵害するのである。アメリカ憲法の起草者の一人James Madisonはこう書いている。

"Of all enemies to public liberty, war is, perhaps, the most to be dreaded, because it comprises and develops the germ of every other. War is the parent of armies; from these proceed debts and taxes; and armies, and debts, and taxes are the known instruments for bringing the many under the domination of the few."
(民衆の自由にとって、一番の敵は戦争である。戦争は、最も恐れなければならない。なぜならば、それは、それ以外の兆しを含み、成長していくからだ。戦争は軍隊をもたらす。そこから負債と税金が生まれる。そして、軍隊と負債と税金は少数派が多数派を法的に支配するための常套手段である。)

 軍隊というのものは、市民の税金を湯水の如く使いまくり、しかも、その内容を議会に報告しなくていい。軍事機密の名のもとで、なんでも隠せるのだ。つまり、軍隊は連邦政府の機関でありながら、連邦議会とアメリカ市民の管理外の存在なのである。しかも、軍隊は市民の電話やFAXや電子メールを傍受できる。合衆国市民でなくても、旅行者でも移民でも、告発なしで軍刑務所に投獄できる。これらがどうして許されるのであろうか。これらはすべて「テロとの戦いのため」という題目で通ってしまうのである。

 さらに、外国にある基地では治外法権が保証されている。先日の沖縄でのヘリコプター墜落事件は、劣化ウラン弾を積んでいたようであるという情報があるが、アメリカ軍はそれを否定している。しかし、なんらかの放射性物質を搭載していた可能性は依然としてある。それがなんであったのかは公表しない。日本政府に調査はさせないのである。

 何度も協調したい。戦争を行うということは、合衆国の建国の理念に反する行為なのである。しかしながら、19世紀末から今日に至るまで、アメリカ政府はこれを無視し続け、軍事機構を増強し、軍国主義を容認し続けてきた。そして、もっかのところ、建国の理念を汚しているのは、歴史と伝統を重んじるという保守主義の共和党なのだからお笑いである。そもそも、軍事の巨大化は「小さな政府」を求めるという共和党保守の方針とまったく矛盾する。ようするに、今の共和党政権は正しい保守主義ではないことは明白である。

 1899年、ウィリアム・マッキンリー大統領は、エリヒュー・ルートを陸軍長官に任命した。このルート陸軍長官が、ドイツ軍の参謀本部システムを学び、アメリカ軍に参謀本部が初めて設立される。さらに、ルートは陸軍大学を創設する。この時代以後、建国の父たちが目指していたものから、アメリカは大きく離れていった。


その3へ続く。

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September 19, 2004

「虫愛づる姫君」を想う

 平安時代の物語集である『堤中納言物語』に「虫愛づる姫君」という短編物語がある。身なりもかまわず虫に熱中する姫君の話である。昨今、女性の晩婚化、少子化が大きな問題とされているが、そうした話題を読むたびに、僕は「虫愛づる姫君」のことを考える。「虫愛づる姫君」こそ、日本文学に最初に現れた「結婚しない女性」であった。

 この話、まず出だしがおもしろい。
「蝶めづる姫君のすみ給ふかたはらに、あぜちの大納言の御むすめ、」
(蝶が好きな姫のお隣にその姫君は住んでいました。)

 つまり、蝶が好きな美人の姫の隣に、我が愛すべき虫愛づる姫君が住んでいましたという書き出しなのだ。なんとなくこの出だしだけでも、蝶が好きな美人の姫の方は酒井順子が言うところの「勝ち犬」になる姫であるかような予感がしてしまう書き出しではないか。

 虫愛づる姫君はこう語る。
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人はまことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」
(人々が花や蝶を愛でることこそおかしい。人間には誠実な心がある。物の本質を追求していくのが、いかにも心に趣がある。)

 「本地」とは仏教用語で、この場合、花や蝶とは本質が化現した仮の姿であって、そうしたものを見て楽しんでいるだけではダメで、物の本質を考えなくてはならないのよと言っている。この言葉からも、この姫君はただの虫好きという変わった趣味の女の子ではないことがわかる。

 さらにこう書く。
「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらにぬき給わず、歯黒め、さらにうるさし、きたなしとて、つけ給わず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを朝夕に愛し給ふ。」
(「自らを飾り装うのは間違っています」と言って、眉はお抜きにならず、お歯黒も煩わしい、汚いといって、さっぱりおつけにならず、白い歯をあらわにして笑いながら、これらの虫どもを、毎日毎日かわいがっていらっしゃる。)

 この時代の女性は、13から14歳になると眉毛を抜いて、お歯黒をぬって真黒な歯にするのが社会慣習であった。ところが虫愛づる姫君は、人間はそのままで十分に美しいのだと主張し、化粧なんてものをせず、ましてや歯を黒くぬるなどということは「うるさし、きたなし」といってきっぱりとやらない。白い歯で笑いながら、今日も元気に野山で虫を追いかけるのである。

 こうした姫君を不気味に思う(現代の感覚では、お歯黒をしている方がなんとなく不気味だけど)侍女たちが姫君の部屋からとうとう逃げ出すと、
「かくおづる人をば、「けしからず、はうぞくなり」とて、いと眉黒にてなむにらみ給ひけるに、いとど心地なむまどける。」
(「なんて失礼な人、みっともない」と姫君が(眉毛を抜いていないので)黒い眉をキッとさせてにらみつけるものだから、侍女たちはほとほとイヤになるのであった。)

 なんか、姫君が「けしからず」と言ってキッとにらみつける姿がまるで目に浮かぶではないか。あんた、それだけでもう「負け犬」の人生決定だよという声が聞こえてきそうである。しかし、この娘はそんな声を気にすることはまったくなく、ゴーイング・マイウェイ、我が虫ラブの道(?)を誰に恥じることなく堂々と歩むのである。

 いつの世も、こうした娘をもってしまった親は困り果てるらしい。虫愛づる姫君の父親も、この娘にはほとほと手を焼いていた。
「さはありとても、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそこのむなれ。むくつけげなるかは虫を興ずるなると、世の人の聞かむも、いとあやし。」
現代語訳しなくても、このお父さんの言っていることはわかりますね。まっとうな大人の意見です。

 ところが姫君は、これに真っ向から反論する。
「くるしからず。よろづのことどもをたづねて、末をみればこそ、ことはゆえあれ。いとをさなきことなり。かの虫は蝶とはなるなり。」
(全然、気にしないわ。この世の森羅万象は初めから終わりまでを見て初めて理解できます。毛虫を見ないで蝶しか見ないというのは子供のやることです。毛虫が蝶になるのをご存じないの。)
さすがに、これには親もこれ以上言う気力を失うのであった。

 虫愛づる姫君は、理知的な女性だった。同じく知的な才女だった紫式部や清少納言が、男女の哀感や人の世の様々な出来事にその興味と関心を向けたのに対して、この子はそうした人間と人間が織りなす世の物事よりも、人がいない自然の中の生き物に関心を向けた。この時代、当然のことながら人類はサイエンスという知的ツールを持っていない。この時代は、自然の万象を通して普遍の真理を探究していくのに密教や陰陽道があったが、虫愛づる姫君はそうした怪しげな宗教にハマることなく、あくまでも論理的に自然を観察する人であった。このへん、この時代から遙かな後年のアンリ・ファーブルかモーリス・メーテルリンクか、あるいはもっと時代が下ってレイチェル・カーソンのような子だった。

 『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」は、これ以後、右馬佐という公卿の男の子とのラブコメ的ストーリィ展開になっていくのだが、どこまでもロジカルな姫君がおもしろい。この姫君は間違っても癒し系ではなく、いわば論理系(あるのか、そんなもん)なのだけど、ちょっと天然ボケなところもあって、それがまた楽しい。


 フランス人女性ジャーナリストのアンリ・ガルグが、バブル以後の日本の女性たちにインタビューを行い、現代の日本の女性の意識と行動の変化を紹介している。アンリ・ガルグ著『自分らしさとわがままの境で』草思社(2002) この本は、フランス人が書いてフランス人読者を対象としたフランスの本である。それが翻訳されて、こうして日本人が読むことができる。これらのインタビューも、フランスで出版する本のためということで相手にしゃべってもらったのだと思う。だから、日本のメディアではなかなか聞くことができない(扱わない?)現代日本の女性たちのホンネトークが語られている。

 欧米のメディアによくある日本文化論は、日本のオタクやアニメ文化を扱ったものか、ヤクザものか、女子高生の援助交際などいったアンダーグランドものが多い(結局、サムライ、ゲイシャという日本観は今でも変わっていない)が、この本はそうしたものがまったくなく、淡々と日本女性が今置かれている社会的な場所や、彼女たちの不満はなにに起因するのかといったことを客観的に論じていると思う。

 この本の末尾の解説にあるように、この本に登場する女性たちは、どうしても著者の人脈が反映してしまい、インタビューに答える女性の多くは高学歴でキャリアのある仕事を目指すタイプであり、そして東京に暮らす女性が多いということは言えるだろう。もちろん、日本女性のすべてがこうした女性たちであるわけではない。しかし、解説にもあるように、自分もまた高等教育を受け、働く女性であるアンリ・ガルグさんの日本女性論として読むことができる。

 この本を読んで僕が思ったことは、以下の通りだ。
 つまり、世の人々は女性が結婚をしない、子供を産まないことを問題としているが、それらはおおざっぱに言うと、第一は今の日本社会の制度や企業システムの問題であり、第二は男性側の意識の問題であるということだ。そもそも、企業は(就職したのならば)24時間全部が会社の仕事と仕事のための生活になるのは当然であるという考え方に基づいて制度なり労務管理なりができている以上、女性が働きながら子供を育てるということは不可能に近いことは当然であろう。家事をするのは女性の役割という昔の価値観を今だに持った男性が、子育てを妻だけに任せるのも問題であるが。仮に男性が子育てに協力したいと思ったとしても、なかなかそうできない企業や社会の仕組みがある。まず、ここを変えない限り、晩婚化、少子化は改善できない。つまり、晩婚化、少子化を女性問題なのだと考えることが間違いであって、社会や企業の制度やマネジメントの問題だと捉えるべきだったのだ。

 アンリ・ガルグの本は、日本の男性はもっと女性を信じなさいということを言っているのだと思う。企業や社会の仕組みを改善し、かつ男性の理解があれば、女性たちはもっと積極的に職場での責任を果たそうとするし、家庭や子育てもしっかりとやろうとする。その意欲と能力を、今の日本女性たちは十分に持っているとこの本は主張する。

 ただし、先にも書いたように、この本に出てくる女性たちは、自分の考えを論理的に表現ができて、社会的責任を引き受ける意識と自覚をもった人が多い。しかし、こうした女性は日本では数が少ないのは事実だと思う。アメリカでよく見かける若い日本の女の子たちを見ていると、この子たちはなにゆえ外国に来たのか理解できないことがあることも少なくない。(それを言うと男性も同じなのだが。)

 (なぜ、日本ではそうなのか。それはこの国の男性はあまり理屈を言う女を敬遠する傾向があるからじゃないか。でも、それって女の側も媚びてくる男性しか受け容れようとしないということもあるじゃあないかetc etcという議論があると思うがここでは触れない。)

 しかしながら、フランス人であるアンリ・ガルグの本を読んで僕が思ったことは、そうした制度やシステムや産業構造の現状の姿が実は問題なのではなく、問題なのは女性や男性に関わらず、そもそも日本社会で「個であること」ということはどういうことなのかなんだなと思った。

 男の場合は、その生涯において、アイデンティティは基本的には生まれた時のまんまというか、むしろその人が属する(学校や企業という)組織のアイデンティティが自己のアイデンティティになっている。これに対して、女性の場合は、誰々という親の娘であることから始まり、結婚しては誰々さんの奥さんであり、子供ができると誰々ちゃんのお母さん、さらに時がたって孫ができると、誰々ちゃんのおばあちゃん、というように社会的アイデンティティが変わっていく。このことにより、自分個人のアイデンティティを保つことが困難になっているのではないかと思う。

 結婚や子育てということについて言えば、結婚や子育てそのものが問題なのではなく、結婚して、誰々さんの奥さんになって、子供ができたとしても、なおかつ自分は自分であるという自分のアイデンティティを心のどこかに保ち得るのかということが問題なのではないかと思う。だからこそ、ものを考える日本女性たちは、結婚や出産の前で立ち止まるのではないか。

 なぜならば、この一点において、欧米と日本では本質的な違いがあるからだ。この国は、人間とは根本的には個なのだということを当然のこととして根底に置いている社会ではなく、「個であること」を絶えず意識していないと、いつのまにか曖昧と集団に埋没してしまう社会なのである。今の30代の女性が惹かれるという向田邦子、須賀敦子、宇野千代、白州正子らに共通するものはそこだと思う。彼女たちは、結婚しようが、しまいが、子供があろうが、なかろうが、「個であり」続けた。(その意味で「生きて行く私」って、なんていいタイトルなんだろう。)この人たちは、独身である、あるいは妻である、あるいは母であっても、と同時に「個である自分」を持ち続けた。歳を取るということがただ歳を重ねていくことではなく、個である自分を高め、深めていく生涯を送った人たちであった。

 だから、立ち止まって考える彼女たちに向かって、「やっぱり、女の幸福は家庭を持つことよ」とか「子供を持ってみるものいいわよ」とか「愛することが大切なのよ」とか言うことはあまり意味がない(というわけでもないが、ポイントがズレている)と思う。そんなことは、彼女たちは表面は「そうですよね。ご意見、感謝します」と微笑むであろうが、内心では「くるしからず」「うるさし」キッ、なのだ。むしろ、仕事を持ち、家庭を持ち、子供ができても、「個である」ことはどういうことなのかが重要なのだと思う。でも、これって、若い女性に限らず男性も同じなんだよなあ。


 暑かった夏もようやく終わり。本格的な秋の気配がもうそこまできている。夜半に窓を開けていると、どこからか虫の声が聞こえてくる。その声に耳を傾けながら、遠い昔の平安の世の虫愛づる姫君のことを想う。あの子は、その後、どのような人生を送ったのだろうか。あのままずっと、虫愛づる姫君のままの生涯を送ったのだろうか。それとも、右馬佐か誰か貴族の妻になり(当時は通い婚だったけど)、子供に恵まれた生涯を送ったのだろうか。でも、どんな生涯だったにせよ、あの子のことだから、虫を愛づることを生涯続けたのではないかと思う。きっと、幸福な一生を送ったんだと思う。

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September 15, 2004

テロとの戦いは戦争ではない その1

 ブッシュおよび共和党保守は、テロとの戦いは戦争として対応しなければならないのだと主張している。この、テロとの戦いは戦争なのだという思考は、今までもそうであったし、今もそうだし、今後ももし今度の大統領選挙で共和党が再選されるのならば、アメリカはそう主張し続けるだろう。9.11や、つい先日の北オセチアの学校テロ事件やジャカルタでのオーストラリア大使館の爆弾テロ事件を見ても、卑劣なテロに対して戦争という確固たる姿勢を持って対応するのは当然のことのように思える。

 しかし、本当にそうなのだろうか。過激派イスラム教徒との戦いは、本当に戦争でなくてはならないのだろうか。「戦争として対応しなければならない」という共和党やネオコンのコトバの背後に、僕たちはなにか見過ごしているものがあるのではないだろうか。

 結論から言うと、9.11以降、ブッシュやチェイニーの言う「テロとの戦いは戦争である」というコトバは、9.11以前からそもそも軍事国家であったアメリカが、これからも軍事国家であり続けると言っているのと同義である。「これからも軍事国家であり続けたい」とあまりにもロコツにホンネを言うと世間から猛反対を食らうので、「テロとの戦いは戦争である」と世の中に受けいれられるコトバで言っているのだ。つまり、これはsophistries(詭弁)であり、deception(世間を欺く)なのである。

 最近、注目しなくてはならない本の日本語訳が出た。Chalmes Johnsonの"The Sorrows of Empire"の翻訳版チャルマーズ・ジョンソン著『アメリカ帝国の悲劇』文藝春秋(2004)である。このチャルマーズ・ジョンソンを、もっと数多くの日本人が知るべきだと思う。チャルマーズ・ジョンソンはアメリカの国際政治学者であり、日本と中国研究の権威である。アメリカ軍の沖縄駐留を痛烈に批判し、さらに論考を重ねて世界各地にあるアメリカ軍の基地の実体から、アメリカを軍事国家であると捉え、アメリカの帝国主義的な政策がいかにアメリカに危険をもたらすかを論じている。

 しかし、この本について語る前に、この本の前に出たもう一冊の本から話を始めたい。

 チャルマーズ・ジョンソンは、2000年に出版した"BLOWBACK -the Costs and Consequences of American Empire"(このサブタイトルはなんともいい。「アメリカの帝国主義的な政策による必然的な結果とそのコスト」という意味だ。彼の見解はこの言葉がすべてを物語っている)の冒頭でこう書いている。"Instead of demobilizing after the Cold War, the United States imprudently committed itself to maintaining a global empire. This book is an account of the resentments our policies have built up and of the kind of economic and political retribution that,particularly in Asia,may be their harvest in the twenty-first century."「冷戦が終わったのだから軍備を縮小するのかと思ったら、アメリカは無謀なことに世界帝国であり続けた。この本は、我々の政策が招いた憤りと、おそらく21世紀に、特にアジアの国々から受けるであろう経済的・政治的な報復について論じるものである。」この本も日本語訳が出ている。ぜひ読んで欲しい。

 チャルマーズ・ジョンソンのこの指摘は、ある意味でまだ現実に起きていない。アジアからの報復の前に、イスラムからの報復が翌年の2001年9月11日に起きた。彼は東アジアが専門であるため、イスラムの報復を予測できなかったのは当然だろう。つまり、東アジアでも中近東でも、アメリカは現地の国々のテロリストから報復を招くような帝国主義的政策を行っているということである。共和党がよく言うセリフに「彼らはアメリカの自由主義を妬んでいる。だからこうしたテロを起こす」というのがあるが、妬みだけで誰がわざわざテロを行うだろうか。彼らはアメリカに対して行われるテロリズムは、アメリカの帝国主義的政策に対する報復であることがわかっていない。

 もともと、この本のタイトル"BLOWBACK"(ブローバック)とは、CIAの内部用語で、秘密情報部員が外国で流したデマ情報が、アメリカ本国へあたかも本物の情報として入ってきてしまい、事態を混乱させるこという意味であった。やがてこの用語は、国際関係論を専攻する学生たちの間で、外国でのアメリカ国民の知らない秘密の政策が意図せぬ結果をもたらすという意味で使われるようになる。今日では、"BLOWBACK"とはアメリカの帝国主義的な政策への報復としてテロなどが起こるのだということを意味する用語になっている。(もちろん、テロをそうした観点から考えない人、例えば共和党の人々は、この用語すら知らないかもしれない。ネオコンなんて、チャルマーズ・ジョンソンに真っ向から反対するだろう。)

 彼は書く。"I believe it is past time for such a discussion to begin, for Americans to consider why we have created an empire--a word from which we shy away--and what the consequences of our imperial stance may be for the rest of the world and for ourselves."「こうしたことは、もうとっくの昔に議論していてしかるべきだった。アメリカ人は、なぜ自分たちは帝国(帝国というコトバを使うのを我々は避けようとするが)を築いているのか。そして、我々の帝国主義的なスタンスが世界と我々自身にいかなる結果をもたらすか考えるべきだ。」

 繰り返すが、チャルマーズ・ジョンソンの"BLOWBACK"は9.11以前に書かれた本である。つまり、アメリカは冷戦が終了しても、軍事国家であることをやめなかった。帝国であり続けた。2001年に同時多発テロが起こると、アメリカ政府は「テロとの戦いは戦争である」と言い、本格的にさらなる帝国主義的政策を実行した。それがアフガニスタン戦争であり、イラク戦争であった。

 さらに言えば、日本がアメリカのイラク戦争を支持することは、アメリカが軍事国家であり続けることを支持することであり、それは結果的に例えば沖縄は依然としてアメリカの軍事植民地であり続けることに同意するという意味なのである。こういうことを書くと、「じゃあ、日米同盟を破棄するのか」と言われるかもしれないが、僕は日米同盟を破棄せよとは言っていない。ただ、アメリカのイラク戦争を支持することは、結果的に沖縄を犠牲にし続けることなのだという意識を持って、「アメリカのイラク戦争を支持する」と言って欲しいものだと思う。僕たちは、この国が平和であることをまるで当然であるかのように思っているが、それはあるひとつの政治的選択に基づくことであり、そのコストと犠牲を僕たちは払っていることに気がつくべきだ。

 3回目の9.11が過ぎた先週、イラク戦争が始まってから1000人を超えるアメリカ兵が死んだ。イラクの民間人の死者は、「IRAQ BODY COUNT」によれば1万人を超えている。

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September 13, 2004

『フォッグ・オブ・ウォー』を見て

 六本木ヒルズの中にあるヴァージンシネマズで『フォッグ・オブ・ウォー』を見てきた。このヴァージンシネマズって、初めて行ったのだけど、アメリカの映画館みたいに、ひとつの大きい建物の中にいくつもの大きな部屋があって、それが映画上映室になっている。チケットの販売場とチケットをもぎる(?)場所はひとつだけで、観客は自分の見る映画が上映している部屋へ行くという仕組みになっている。

 アメリカの映画館と違うなと思うのは、まず当然のことながら料金が高い。1800円は16ドルぐらいになるけど、この価格はアメリカでの常識を越えている。なんで映画がこんな高いんだ。次に店内がたいへんきれい。アメリカの映画館は内装も外装もなんか汚い。そうじゃないところもあるけど、週末にちょっと行くような映画館はたいてい汚い(僕がそういう映画館しか行かなかったということもある)。映画館は映画を安く見せられればそれでいいんだという感じで、このへん合理的だ。それに、ヴァージンシネマズは指定席制だ。

 僕の席は後ろの方だったけど快適だった。あまり混んでいない。前の方なんかガラガラだ。日曜日の13時30分の回がこんな状況では、この映画の動員数がどうなるかほぼ予測できる。マイケル・ムーアの『華氏911』はあれほどヒットしているのに。アカデミー賞をとった映画にはやたら観客が入ると思っていたが、どうやらアカデミー賞でもドキュメンタリー賞は別らしい。内容がキューバ危機やベトナム戦争のことなので日本ではあまり関心がないのだろうか。太平洋戦争時のB29爆撃機での日本本土爆撃計画のことについてとか出てくるのだけれどもなあ。

 ドキュメンタリー映像作家の森達也が言っていたが、『華氏911』のヒットによってドキュメンタリー映画の人気が高まったというが、そんなことはないと言う。今のブームはマイケル・ムーアがブームになっているだけで、ドキュメンタリー映画そのものへの関心が高まったわけでないと言う。このヴァージンシネマズでは『ディープ・ブルー』も公開していて、こっちの方は人気がある。しかし、魚のドキュメンタリー映画じゃなあ。

 日本本土への爆撃作戦の司令官は、カーチス・ルメイ少将であった。東京大空襲では、一晩に10万人の日本人が死んだ。なぜ一般市民を10万人も殺す必要があるのかとマクナマラはルメイに訪ねる。ルメイはこう答える。ここで10万人の日本人を殺しておかなくては、アメリカ軍が後に東京湾から上陸した時に、日本人の強烈な抵抗にあいアメリカ兵の被害は甚大になる。だから、今殺戮をしておくのだという。この少将は、後にこの論理で広島と長崎に原爆を落とす。マクナマラは戦争には程度があり、東京を空襲して一晩で10万人の一般市民を殺すことも、広島・長崎への原爆投下も必要なかったと語っている。ルメイは、この戦争は絶対に負けれないと言う。なぜならば、自分は戦争犯罪者になってしまうからだと。マクナマラも、この戦争に負けていたら自分もトルーマンも戦争犯罪者になっていたと語っている。ルメイは後のキューバ危機の時に、最後まで核攻撃を主張する。今度は、ルメイの上役になったマクナマラはそれを退けた。

 この映画には『華氏911』ような派手さもコミカルさもない。マイケル・ムーアの映画には今でも(そしてこれからも)数多くの批判や事実誤認の指摘があるが、この映画には『華氏911』や『ボーリング・フォー・コロンバイン』のようなトゲトゲしい激しい批判はないように思う。むしろ、いい評価をするレビューが多い。

 内容については、先日ここで書いた通りだ。もっとキューバとかベトナムとかでの討論会のことをやって欲しかったと思った。

 マクナマラは反戦論者ではない。ベトナム戦争はもっと適切な方法で行うべきだったのだと述べている。そうではなかったので反対していただけだ。興味深いのは、彼にはリベラルや保守といった思想的なものがないように見えるということだ。良くも悪くも、合理的経営管理の人だった。

 結局、マクナマラはベトナム戦争を拡大させたのはジョンソンだったと語っている。ベトナムからのアメリカ軍を撤退させる演説の準備をしていたマクナマラのもとに、ジョンソン大統領からの電話がかかってくる。映画の中では、この時の会話のテープが流れる(ホワイトハウスでの電話の録音って、ニクソンが最初かと思っていたけど違った)。撤退なんかせずに、もうすこし頑張ろうじゃないかみたいな電話だったと思う。国防長官が拒否できるわけがない、この1本の電話によって、アメリカはさらなるベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれてしまった。

 しかし、その一方で、ジョンソン大統領にそうさせたさまざまな圧力があったのだろうと語っている。インタビュアーの「あなたはどの程度、ベトナム戦争の拡大の計画に責任を負っていると感じますか?あるいは、自分はコントロール不可能な出来事のひとつの歯車だったと感じていますか?」という質問に、マクナマラはただ一言「私は大統領に仕えようと努めた」とだけ答えている。マクナマラは、ジョンソン大統領とは膚が合わなかった。しかし、それでもケネディ亡き後、ジョンソンに仕え、最後は政権から解任された。それでも彼は人生で一番誇らしかった時は、ジョンソン大統領から自由勲章を授かった時だと答えている。政権を去る時に、ジョンソン大統領のスピーチに涙ぐむ彼の姿は印象的だ。

 マクナマラはベトナム戦争について当時の政権は間違っていたと言うが、個人的な謝罪はしていない。ジョンソン政権解任後、彼は反戦的言動をいっさいすることはなかった。今でも、自分から責任があったとは言わないが、人から責任があったと言われるときは否定はしないという。

 孤高の道を歩む、知的誠実さのカタマリのような老人という気がしないでもない。誰もがマクナマラのように生きなくてはならないとも思わない。今のアメリカで(日本でも)こうした人は希であろう。

 しかし、誰もそんなマクナマラを笑ったり、非難したりすることはできないはずだ。この老人は歴史の流れの中に一人で立ち、自分の犯した過ちを真正面から見続けている。そうしなければならないわけではないのに。しかし、彼自身が納得できないのであろう。その姿に今の時代の人が失ったものを思う。今のアメリカは、ベトナム戦争のことなど思い出したくもないし、あれはなかったことにしたいのだろう。

 『華氏911』とは異なり、見終わったあと、じわじわときいてくる静謐で真摯な、しかし本質的に今のアメリカのあり方を問いかけるいい作品だ。

 さて、ではわが国日本ではどうなのだろうか。なぜ日本ではこうしたドキュメンタリー映画が少ないのか。

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September 10, 2004

テロリストには厳罰を、ロシアはチェチェンから撤退を

 イギリスの"The Observer"に、ロシアのプーチン大統領が今回の学校テロ事件に対して、"President Vladimir Putin warned yesterday that terrorists had declared 'a full-scale war' on Russia."と述べたと書いてあった。おやっこれはどこかで聞いたセリフだなと思ったら、これは9.11の時のブッシュが言ったセリフだ。ようするに、テロとの戦いは戦争なんだ、というわけである。なんでもかんでも「戦争なんだ」と言っているような気がしないでもない。国家を専制的に統治する最良の手段は、平時において戦争状態を演出することなので、アメリカと同様、ロシアもまた国内を戦争状態にしておこうとするようだ。

 今回の事件では、ロシア側は徹底的に強硬な対テロ姿勢をとった。犯人側が求めたのは話し合いであったが、ロシア側はそれを拒絶し強行突入したようだ。その結果が、これほどの数の子供の犠牲だった。正確な死亡者数は今なおわからない。

 「テロリストとは交渉しない」というのは、よく聞くセリフであるが、人質を持つテロリストに対して、最初から「交渉しない」の一点張りでは解決する事件も解決しなくなる。もっとも、そもそも人質への被害を最小限度に留めて事態を収拾するという発想そのものが、以前のモスクワ劇場占拠事件を見てもロシアには欠落しているとしか思えない。

 ちなみに、テロに対して強硬姿勢をとるアメリカでも、さすがにここまで強硬なことをやると世論は黙っていない。アメリカに限らず、日本でもヨーロッパでもどこもそうだろう。そう考えると、ロシアという国は人権に対する考え方が欧米(および欧米の人権思想を導入した日本)とは根本的に違うのではないかと思う。このロシアとよく似ているのが中国で、ここもまた人権に対する考え方が根本的に違う。しかし、根本的に違うから、ロシア(や中国)はこれでいいんだとするのは、19世紀以前の話であって、今日の我々の時代ではそれでいいわけはない。

 そもそも、なにゆえロシアはチェチェンを侵略しているのだろうか。石油資源の確保のためとされているが、チェチェンには、どれだけの石油の埋蔵があるのか明確になっていない。大量の石油があるのかもしれないし、ないかもしれない。まだよくわかっていない。だとすると、なにゆえロシアはチェチェン侵略を行い、チェチェン人を大量殺戮しているのか。石油が出るかもしれないから、とりあえず侵略するということはある。ここで、はったと思いつくのが、チェチェン人を悪の民族とすることは、その悪の民族と戦うためにロシアは団結しなければならないと国内の統合の題目にすることができるということだ。まことにもって、大国にとって国内のちょっとした内乱ほど、国内引き締めの格好の理由付けになるものはない。

 テロは犯罪だと僕は思う。なんの関係もない子供たちが、なぜこのように殺されなくてはならないのかと思う。もちろん、同様になんの関係もないチェチェンの子供たちがロシア軍に殺戮されているということはある。しかし、だからやっていいわけはない。テロリストには言い分があるのならば、殺された子供たちの言い分はどうなるのか。

 今度の事件でテロリストは、学校を占拠するというショッキングな事件を起こして、自分たちの主張を世界に伝えたいと思ったのだろう。しかし、子供を人質にするということをしただけで、もう世の中の人々が話を聞いてくれるわけがない。世論の反感をかって、なにをしようというのだろうか。ロシア側はあらゆる手を使って、チェチェン独立に不利なイメージを作ろうとしている。これに対して、学校に爆弾と銃を持ち込んで子供を人質にとるなど愚の骨頂であろう。なにしろ相手は、仮にこっちが銃を撃っていなくても、あいつが銃を撃ったと虚偽の情報を流すことをやる連中なのだ。こうした相手では、単なる武力闘争では勝ち目はない。武力闘争に基づく独立運動は、21世紀のこの時代では大きなパワーを持つことがなくなってきたように思う。今の時代は、戦争の形態が変わりつつあるように、テロリズムもまた変わらなくてはならないのではないだろうか。そういえば、テロリズムの側からの新しい戦略論や情報論ってまだ出ていないように思う。

 そして、こうした事件が起こる背景への理解なくして、こうしたテロが今後も起こるのを防ぐことはできない。少なくとも、チェチェン民族独立によるテロを止める方法は、テロ犯罪者は厳罰に処すると共に、チェチェンからロシア軍を撤退させることだ。

 しかしながら、ではロシア側が「はいそうですか」と軍を撤退させることが可能かというと難しい。その理由のひとつとして、ロシアの一般大衆もまたロシアによるチェチェンへの侵略を支持しているということがあげられる。だからこそ、プーチンも好き勝手なことができる。もちろん、これはロシア軍がチェチェンでなにをしているのかということをメディアが自由に報道できないため、ロシアの一般大衆も「なんか、チェチェンってテロばかりで悪い連中なんだ」と思いこんでいるところがある。

 また、多少大げさに言うと、歴史的にロシア人は他民族の領土を一度取るとなかなか手放そうとはしないところがある。かりにロシア政府がチェチェンの独立を認めても、ロシア連邦の他の共和国がチェチェンが独立し強国になることを望まないこともある。このへん、ややこしい。

 さらに、ではロシア軍がチェチェンから撤退すれば、チェチェンはすぐにでも独立できるのかというと、チェチェン側にもそう簡単に解決できない問題が数多くある。例えば、国境をいざ決めようとするともめるし、チェチェン共和国内に住むロシア人をどうするのか。またモスクワなどロシア国内各地にあるチェチェン人共同体をどうするのかという問題もある。チェチェンには独立する権利はあるが、実際に独立するとなるとやっかいな問題を抱えることになり、それはチェチェンやロシア連邦の問題だけではなく国際社会の問題になるものもあるだろう(だから、チェチェンは独立しなくていいとは思わないが)。

 しかし少なくとも、チェチェン独立のことはひとまず横に置いておいて、まずテロをなくすためには、ロシア軍がチェチェンから撤退することが必要だ。ロシアの人々がそのことに気がつかない限り、プーチンがテロリストにいくら強硬な態度をとったところでテロはなくならない。そして、ロシアの人々がそれに気がつくということは、世界の人々がそれを強く望むということだ。だからこそ、日本人である僕たちはロシアという巨大な隣りの国のことについて考える意味がある。

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September 08, 2004

「我が友コイズミ」

 大統領選挙のためにもっか全米で遊説中のブッシュ大統領が、行く先々で日本の小泉純一郎首相の名前を紹介しているという

 半世紀前に戦った悪のThe Empire of Japanのプライム・ミニスターも、今はこうしてよき友になっているのだから、イラクだっていつの日か共に中東の平和について語る日がくるのだという。これって、イラクも日本みたいな属国にするんだぜと言っているのと同じじゃないか?

 しかし、イラクと日本は根本的に違う。日本は戦前のある時期まで民主主義国家であったのに対して、イラクにはそうした経験が過去の歴史にはない。日本占領とイラク占領を同列に論じるブッシュは歴史を知らないとしか言いようがない。日本でも著名な歴史家ジョン・ダワーは、LA Timesにそのことを書いている

 てか、プライム・ミニスター・コイズミも、あまり戦前の日本の歴史を知らないのではないかと思う。知っているのならば、ブッシュに間違いを指摘するのが友達だろう。そうしたことは言っていないところを見ると、どうもプライム・ミニスター・コイズミは自分の国の過去を知らないようだ。

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September 06, 2004

共和党大会全国党大会でのMiller上院議員のSpeechを読む

 我が論友マイク・ロスの「保守思想」ブログにて、マイクは今回の共和党大会での現民主党上院議員Zell Millerのスピーチを絶賛している。そこで、どれどれと僕も読んでみた。

 読んでみるとこのMillerという老人は右翼かと思わせるような内容である。この人は民主党右派なのか?

 Miller上院議員は言う。
"Democratic leaders see America as an occupier, not a liberator."

 しかし、こんなことは民主党だけでなく、いまや世界の人々がみんなそう思っていることだ。従って、"All of the world except Republicans see America as an occupier, not a liberator."と言うのが正しい。

 Miller上院議員は、さらにこう語る。

Tell that to the one-half of Europe that was freed because Franklin Roosevelt led an army of liberators, not occupiers.

Tell that to the lower half of the Korean Peninsula that is free because Dwight Eisenhower commanded an army of liberators, not occupiers.

Tell that to the half a billion men, women and children who are free today from the Baltics to the Crimea, from Poland to Siberia, because Ronald Reagan rebuilt a military of liberators, not occupiers.

 というように、なぜか日本に触れていない。日本こそ、アメリカによる自由化と民主化の格好のexampleになるのにも関わらずである。なぜか。少なくとも日本の場合は"occupation"という言葉を使っているため、さすがにそこまで間違ったことを言うわけにはいかないと思ったのだろうか。だとしたら、そうまでしてアメリカ軍を"an army of liberators, not occupiers. "にしたいのだろうか。

 しかし、心配のしすぎだ。共和党大会の出席者の中で、日本占領統治の歴史に詳しい人はいないだろう。もしいたのならば、日本のことを知りもしないのに、イラク統治と日本占領を同列に話す人が大統領をやるわけはないだろうから。だから、堂々と"Tell that to the Japanese people that is free because Douglas MacArthur commanded an army of liberators, not occupiers."と言えばよかったのだ。大学でJapan Studyのコースを専攻した人じゃなきゃばれないから。今の時代は、そのJapaneseがこうやってインターネットで、アメリカの共和党全国党大会の演説文章を読むことができるので間違いを指摘してあげられる。あっ、でも、日本はGHQの占領政策が成功して、戦後日本の教育では進駐軍は軍閥政治からの解放者、「ありがとう、マッカーサー元帥様」ということになっている(つーか、中学・高校でまともに日本の現代史の教育を受けた記憶がない)から、日本人に改めてわざわざ言う必要もないか。そーか、だから日本について触れなかったのか。ちなみに、マッカーサーは共和党だった。

 Miller上院議員はさらに語る。

For it has been said so truthfully that it is the soldier, not the reporter, who has given us the freedom of the press.

It is the soldier, not the poet, who has given us freedom of speech. It is the soldier, not the agitator, who has given us the freedom to protest.

It is the soldier who salutes the flag, serves beneath the flag, whose coffin is draped by the flag who gives that protester the freedom to abuse and burn that flag.

 つまり、外国で戦っている兵隊さんのおかげで、オマエラ(抗議デモとやらで道路を塞ぐ迷惑な連中とか、偏向映画を作って世界中で上映しているあのデブとか、新聞や雑誌やネットに甘ったれたことを書くリベラルインテリとか、だ)は報道の自由や表現の自由や抗議する自由や国旗を侮辱したり焼いたりすることができる自由を持っているんだぞ、というわけである。

 ふーむ、なるほど、確かにこれは正しいことを言っているように聞こえる。しかし、なんかおかしい。「兵隊さんのおかげだろ!」と言われると、「その通りです」としか言いようがないのだが、なにかおかしい。ふーむ、something is wrong.

 まず、国防というものがあって、国内の安全が保たれていることは当然のことだ。軍隊は必要だ。それすらも必要ないと言う人も世の中にはいるけど。少なくとも、僕はそうは思わない。

 でも、イラク戦争は「オマエラに自由を与えるためにやっているんだ」と言われると、それはウソだろうと思う。つまり、アメリカ軍の海外派兵や海外侵攻は、アメリカの大企業の資産と権益を守るために行われるものであって、決して「オマエラに自由を与えるため」ではない。ましてや、現地の「自由と民主主義のため」では決してない。こんなことは、今時のカレッジやハイスクールの学生だってわかっていることだ。いや、アメリカ人だけではなく、世界中の人々がウソだと思う。

 しかしながら、では、アメリカはまったくの「大企業の資産と権益を守るため」だけに外国で戦争を行っているのかというと、必ずしもそう言い切れないところがある。別に僕は共和党を弁護するつもりはない。このへんを細かくここでは書かないけれど、アメリカの言う「自由と民主主義のため」という題目もあながち無視はできないことは確かにある。(このことについては、別稿できちんと論じたい。)

 つまり、Miller上院議員はどう言えばよかったのか。こう言えばよかったのだ。"We send an army to overseas, not only the reason of freedom and democracy but in order to maintain the profits of the big business and the national interest of the United States. "「自由と民主主義のため、アーンド、アメリカの大企業の利益と合衆国の国益を守るために軍隊を海外に送るんだ。なんか、文句あっか。」と堂々と真実を言ってくれば(それはそれで問題はあるけど・・・)、「よく言った!」とリベラルも拍手喝采を送るであろう。

 Miller上院議員のスピーチを続けよう。

It is not their patriotism - it is their judgment that has been so sorely lacking. They claimed Carter's pacifism would lead to peace.

 唐突にカーターが出てきたようであるが、"Carter's pacifism"というのはよく聞く言葉。カーター的平和主義と言われてもねえ。ガンジー的平和主義とかジョン・レノン的平和主義と言われないだけまだましだけど。自分たちのポリシーに合わないものは、なんでも"Carter's pacifism"なんだろうねえ。

They claimed Reagan's defense buildup would lead to war.

 相手がゴルバチョフで、ソ連が財政的に軍拡競争についていけずに自己崩壊したからいいようなものだった。レーガンもそれをわかっていてやったのだと思うけど。

And, no pair has been more wrong, more loudly, more often than the two Senators from Massachusetts, Ted Kennedy and John Kerry.

 と、突然ここでなぜかTed Kennedyが出てくる。Miller上院議員はケネディ家になんか恨みでもあるのかな。

 そして、Miller上院議員のSpeechは以下、ジョン・ケリーが兵器の購入に反対したが、その兵器はコレコレの場面でこれだけ役に立ったんだという話が延々と続くのである。

Right now the world just cannot afford an indecisive America. Fainthearted, self-indulgence will put at risk all we care about in this world.

 民主党Miller上院議員が、同じ民主党のケリーがキライなのはここに理由があるらしい。ようするに、ケリーはindecisive(決定的でない, 決着していない、優柔不断な、煮え切らない)で、Fainthearted(いくじのない, 臆病な, 気の弱い.)で、self-indulgence(好き放題、自堕落)なんだと言っている。そんなヤツを国のリーダーとして認めるわけにはいかないと。なんとなく、体育会系が文科系の生徒会長に向かって言うセリフによく似ている。

 どうやらMiller上院議員は、西部劇のヒーロー的人物が大統領に好ましいと思っているようだ。しかしながら、合衆国大統領の決断は、アメリカのみならず、世界に大きな影響を与える。だからこそ、その決断は慎重な上にも慎重でなくてはならないはずだ。それを大統領は単純明快で、即断即行で決断するジョン・ウェインみたいな人物であって欲しいというのはあまりにも子供っぽくないだろうか。

 でもって、最後は、
God Bless this great country and God Bless George W. Bush.
 これはまあ、お決まりフレーズみたいなものだから別にいいけど。

 共和党の全国党大会というのは、いわば身内の集まりであって、共和党である現大統領を褒めちぎる場でしかない。そうした場で、客観的に現政権の政策を批評しても意味はない。だから、「ジョン・ケリーは信用できない。私はブッシュを支持する」とただ何度も何度もしつこく繰り返せばいいのである。それがイカンとは僕は言うつもりはない。お祭りなんだから、身内でお互いがお互いをほめ合いたいのならば、そうすりゃいいだろうと思う。前NY市長のGiulianiなんか、そこまで強者におもねるのかという感じがしたねえ。2008年の大統領選挙の出馬する下心見えまくり。

 よくわからんのが、なにゆえこんな程度の内容のConventionを4日もやるのかなあ。ブッシュとチェイニーが指名を受けて、演説をして、それで終わりにすれば1日で済むと思うのだけど。まー、お祭りみたいなもんだから、しかたがないのかも。

 このMiller上院議員のSpeechについて、リベラル系オンラインマガジンのSalonにこう書いてあった。

From article in Salon:

"America needs to know the facts," Miller said, but he failed to mention a few of them. Miller told the delegates that Kerry voted against production of the F-14 and F-15 fighters and the Apache helicopter, but he didn't say that Dick Cheney, as defense secretary, proposed eliminating both of them, too. Miller criticized Kerry for voting against the B-2 bomber, but he didn't say that President George H.W. Bush also proposed an end to the B-2 bomber program. In his 1992 State of the Union Address, Bush said he supported such cuts "with confidence" based on the recommendations of his Secretary of Defense: Dick Cheney. With the Cold War over, Bush said, failing to cut defense spending would be "insensible to progress."

 ようするに、今の日本の流行のコトバで言うと、Miller上院議員のSpeechは、彼の脳内妄想のSpeechだったようだ。

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September 04, 2004

今のアメリカはベトナム戦争の教訓に学んでいるだろうか?

 ロバート・マクナマラのことを知ったのは、デイビッド・ハルバースタム の『ベスト&ブライテスト』を読んだ時だったと思う。マクナマラは、ケネディとジョンソン政権での国防長官だった。ハ-バード大学のビジネススクールを卒業し、軍隊に入隊し、太平洋戦争での日本本土への爆撃作戦計画に関わる。戦後、フォード社に入社。財務データ分析に基づく科学的・論理的な経営によりフォード社のトップになる。さらに、その合理的な経営手法が高く評価され、ケネディ政権の国防長官へと抜擢される。彼の手法は、政策目的を達成するために費用対効果を論理的に分析し、それに基づき実行計画を立案し予算配分するというものだ。今日では組織運営の当然の手法であるが、1960年代当時は斬新な手法だった。

 国防長官として、米ソの核戦争の一歩手前まで行った1962年10月のキューバ危機を乗り越え、ベトナムからの軍事顧問団の全面撤退を考えていたケネディの下でベトナム問題に取り組んでいた彼のエリート中のエリートの人生は、1963年のケネディの暗殺によって大きく変わる。副大統領のジョンソンが大統領に就任し、ジョンソン政権でアメリカはベトナム戦争への本格的介入の泥沼に落ち込むことになるのである。

 1964年8月2日 CIAの秘密作戦により北ベトナム軍の基地、補給路への攻撃やレーダー網の攪乱のために、アメリカ海軍はトンキン湾公海上に駆逐艦「USSマドックス」を配置した。しかし、北ベトナム軍魚雷艇3隻が「USSマドックス」に魚雷攻撃を加える。4日にも同様の魚雷攻撃を受けたことで、連邦議会は宣戦布告である「トンキン湾決議」を採択し、ジョンソン大統領は報復攻撃を行うことを決定する。ここにベトナム戦争が始まる。

 国防長官マクナマラに与えられた課題は、いかにアメリカ側の被害を少なくし、北ベトナム側の被害を最大にするかということだった。彼は戦争を数値データで捉えた。ベトコンに対する作戦は、従来の戦況分析のパターンが通用しない。そこで彼は軍事作戦をマネジメントするために、敵と味方の死傷者数の比率を計算し、そこから作戦の効用を判断する手法を確立した。マクナマラは、この時代のアメリカ合理主義の代表的人物であったと言えるだろう。少なくとも作戦の面では、ベトナム戦争はマクナマラと北ベトナムとの戦争であった。しかしながら、彼がどんなに合理的思考の持ち主であり、彼の作戦はどんなに計算上正しいものであったとしても、実際のベトナム戦争は陰惨たるものだった。ベトナム戦争は、アメリカの敗北で終わる。彼は1968年に国防長官を辞任する。その後、1981年まで世界銀行の総裁を務めた。

 もはや、彼は齢80末の老人である。

 ところがだ。ある意味において、この人物がすごいところは、彼は人生の終わりを迎えるにあたって、残りの人生のすべてを、前半生への後悔と自分が犯した誤りを防ぐためにはどうしたらいいのかを問い続けることに費やそうとしていることだ。これを誰に課せられたわけでもなく、彼自身で自分でやっているということだ。

 普通、人はこうした人生を選択しない。マクナマラは、軍人や経営者といういわば専門職のエリートとして人生を歩み、国防長官としてケネディとジョンソン政権で働き、その後、世界銀行の総裁になったというエリートの人生を送った人である。国防長官在任中の出来事であったキューバ危機もベトナム戦争も、彼一人が起こしたものではない。いわば歴史の中の一こまだった。彼は国防長官としての職務を全うしただけだと言ってもいい。

 人は全能ではない。その時、その場で、知りうる情報には制限がある以上、どうしても判断ミスや間違った行動が発生してしまう。「なぜあの時、ああした判断をしたのか」と他人から問われても、「あの時はそうするのが正しいと思った」と答えても誰も非難はできないであろう。あとは、ハッピーリタイアした残りの人生の楽しく過ごし、どこぞの大企業とか有名シンクタンクとか名門大学とかの名誉顧問とかになって、あるいはボランティア活動でもしながら、幸福な一生だった、自分は精一杯仕事をしてきた、自分の人生に悔いはなかったと思いながら家族と一緒に晩年を過ごすというのがエリートと呼ばれる人々の人生だろう。

 しかしながら、この老人はそうは思わないのである。本気で、ベトナム戦争はなぜ起こったのかと一人で歴史に向かって問いかけるのだ。彼は1995年に『回想録』を書き、その中で「ベトナム戦争は間違っていた」と書く。さらに同年、4月に『回想録』が出版された後、12月にハノイへ行き、ベトナム戦争当時北ベトナム軍の最高司令官で国防相だったホー・グエン・サップに面会を求め、「1964年8月4日の攻撃はあったのか」と尋ねた。すると、「8月4日の攻撃などなかった」という返事であった。つまり、1964年8月4日にアメリカは北ベトナムの攻撃を受けた、だからアメリカは報復行動に出たというベトナム戦争の始まりは、そもそもアメリカのでっち上げだったのである(しかし、それを当時国防長官が知らなかったというのもなんであるのだが)。帰国後、彼はすぐさま『回想録』を改訂し。その事実を記入したことは言うまでもない。

 さらにだ。さらにこの老人は、なんと、ベトナム戦争当時の何人かのアメリカとベトナムの双方の政府の要職にあった者、軍人、国際関係論研究者、歴史学者を集めて、ベトナムのハノイで共同討議を行うプロジェクトを企画し、実現させるのである。自分が過去に犯した誤りを歴史の闇から引きずり出し、無理矢理にでも公にして徹底的に検証し、二度と間違いをくりかえさないようにしたいというこの意思は、どことなく戦争の現場を見ずに、数値データを基に論理的な作戦プランを立案していたスタイルを思わせる。つまり、この人物はリタイアした老人になっても、良くも悪くもこうした人なのだ。この人はあくまでも客観的分析の知性の人であり、しかしその誤りの責任は責任として受けいれるという倫理の人なのである。

 この共同討議の様子は、日本でもNHKが放送していた。後に、マクナマラはこの共同討議の内容を本にしている。この本の原題は"Argument Without End"である。終わりがない論争。実際のところ、戦争に関わった双方の当事者が顔を合わせて、当時のことを話しあっても明確な結論が出る結果にはならない。ただ双方の終わらない議論が続くだけになる。

 なぜならば、アメリカとベトナムの双方の「ものの見方」が違うからだ。アメリカはベトナムのことを知らなかったし、知ろうともしなかった。アメリカは、東南アジアでの共産主義の勢力拡大を阻止するために南ベトナムという国家を樹立した。そして、アメリカに協力する国家建設のためにゴ・ジン・ジエムという指導者を作り、傀儡政権を作った。それらは、すべて東南アジアでの問題を解決させるために行ったことであったが、結果としてその「解決策」が新しい問題を生み出してしまったとマクナマラは書く。

 ようするに、我々はあまりにも無知だった。愚者であった。そのために、アメリカとベトナムの無数の者たちが死んでいった。その若き日に、ケネディの「ベスト&ブライテスト」の一員だった男が人生の晩年に得た結論がそれだった。だからこそ、もう二度と繰り返してはならないのだ、と。

 今年2004年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した『フォッグ・オブ・ウォー』は、マクナマラが自分の人生の回想とともに、いかにアメリカがベトナム戦争で間違っていたかを語るドキュメンタリー映画だ。『華氏911』以上に、もっとラディカルにアメリカの戦争と外交に疑問を投げかける。東京では、9月11日(!)からヴァージンシネマズ六本木ヒルズで上映開始。

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September 02, 2004

マイケル・ムーア、共和党全国党大会をゆく

 共和党全国党大会初日の8月30日、USA Todayのコラムニストとして記者席にいたマイケル・ムーアをマケイン上院議員がスピーチの中で批判。場内はムーアへの大ブーイングが巻き起こったことはアサヒコムの報道にある通りだ。画像はここ。動画があったのだけど(ものすごいブーイングだった)、いつの間にかなくなってしまった。著作権かな。

 このジョン・マケイン上院議員のこの時のスピーチの全文はここにある。まったくもって、ブッシュ礼賛のスピーチだよなあ。

 ムーア批判の箇所はここ
"And certainly not a disingenuous film maker who would have us believe that Saddam's Iraq was an oasis of peace when in fact it was a place of indescribable cruelty, torture chambers, mass graves and prisons that destroyed the lives of the small children held inside their walls"

 "disingenuous"は"腹黒い, 陰険な; 不正直な, 不誠実な"という意味。『華氏911』の中の平和なイラクの子供たちの映像の次にバクダッド空爆が出る箇所はよほどお気に召さなかったようだ。先日、ここで紹介したChristopher Hitchensの『華氏911』批判コラムでも、このシーンが挙げられていたことを思うと、この編集手法は保守主義者のなにかを踏んじゃったのかな。

 ちなみに、映画でこのシーンを見た時、僕は池澤夏樹の『イラクの小さな橋を渡って』というフォトエッセイ本を思い出した。これはイラク戦争が始まる直前のイラクを作家池澤夏樹が旅したものだ。戦争が始まると決まった時、はっきりしていることは、あの子供たちの暮らしの頭上に爆弾が降り注ぐということだと池澤夏樹は書いていたと思う。この本は英語・フランス語版・ドイツ語版は無料で池澤夏樹のホームページからダウンロードできる。ぜひとも、見て欲しい。マケインにも見せたいなあ。この"an oasis of peace"の子供たちの暮らしの頭上に、あんたらは爆弾を落としたんですよ。

 Saddam's Iraqだって、平和で楽しかったことはSalam Paxのプログにもある。CNNでもイラク戦争直前にバクダッドの日常風景を撮影していたけど、平和な日常だった。

 共和党大会を取材したマイケルのUSA TodayでのコラムはUSATODAY.comの中の"Moore on the Republican National Convention"で読める。

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September 01, 2004

新書マップはおもしろい

 新書マップという新書本専門の検索システムがある。いくつかのプログですでに取り上げられていて好評のようだ。さっそく僕も使ってみた。キーワードか文章を入力して検索実行するだけで、そのキーワードや文章に関連する分野が円形のサークルに現れる。

 例えば、ためしに「帝国海軍」とキーワードを入れて検索をしてみた。

 すると、円形のサークルの内側に関連するヒットした分野として次の10の分野が現れた。「帝国海軍」「海軍と海戦」「自衛隊」「アメリカの軍隊」「航海と移動」「太平洋戦史」「軍需産業」「太平洋戦争を知る」「近代日本の戦争」「幕末・維新の長崎」

 おのおのの項目は、確かに帝国海軍を理解する上で欠かせない項目であろう。つまり、ひとつの分野だけではなく、それに関連した数多くの分野を検索システムがビジュアルに表示してくれるのである。

 さらに、その円の外側には、内部の関連項目よりももっと範囲が広い関連カテゴリーが表示されている。例えば、「戦争」「国家」「アメリカ」「戦略」というようにだ。

 これらの円の外側のカテゴリーは、円の内部の関連項目に対応していて、例えば円の外側の「国家」にマウスのポインターを合わせると、「国家」というカテゴリーに属する円の内部のおのおのの関連項目の大きさが大きくなる。「国家」だと、円の内部の「軍需産業」と「海軍と海戦」以外は全部反応した。

 「海軍と海戦」は、まあ「国家」というカテゴリーにカテゴライズしないということはわかるけど、しかし「軍需産業」は「国家」というカテゴリーに当てはまるような気がしないでもない。まあ、民間企業は「国家」にはならないというのならば確かにそうだなとも思う。ようするに、カテゴライズされているのはいいが、何を基準としてカテゴライズされているのかよくわからないのだ。本の中身を人工知能が解釈して分類しているわけではないため、人間の知識と解釈に基づく分類とは多少のズレが生じる。しかし、まあ、そう深く考えることもないだろう。こうした検索に必要なのは、検索に漏れがないということで、検索結果が若干増えるということはそれほど問題ではない。

 では、次に円の内部の「自衛隊」をクリックしてみよう。すると別のフレームが立ち上がり、そこに新書本での自衛隊関連本のリストが表示される。しかもだ。リストだけではなく、うれしいのはなんと、リストアップされた本の背表紙が並んだイメージも表示されるのである。つまり、ちょうど本棚の棚の本を見ているようなイメージなのだ。さらに、このイメージの拡大もできて、それをクリックすると、実物大の新書本の背表紙が表示されるのである。棚に並んでいる本の背表紙を眺めるというのは、結構、読書人が本屋の中を歩く楽しみであるわけだが、この検索システムはそうした読書人の心をときめかすようなエモーショナルな側面もしっかりフォローするインターフェースになっているのである。

 これはすごくいい。ただ文章で本の題名のリストが並んでいるだけではなく、こうやって実際の本屋さんの本棚のように背表紙が並んだ姿で表示されると、なんかもー、もしここに「ショッピングカートにいれる」とか「1-Clickで今すぐ買う」とかいったボタンがあったら思わずポチッと押してしまうような気がする。この検索システムとアマゾン・コムやbk1が連携したら最強のオンライン書店が出現するだろう。

 ようするに、この新書マップとは、キーワードや文章を完全一致や前方・後方一致だけではなく、概念で検索してくれて、関連分野も教えてくれて、かつ、ヒット結果の本を(まるで本屋さんの本棚のように)背表紙の並びで見せてくれるという感動もんの検索システムなのだ。従来の本の検索システムは、ある特定の本の題名や著者でピンポイント的な検索をしなくてはならなかった。もちろん、例えばアマゾン・コムにはトピック検索というのがあるけど、あまり使いもんにならない。つまり、本の販売・流通サイトの検索システムは、あくまでも購入すべき本や著者名や出版社がわかっているということが前提なのだ。これに対して、この新書マップは、知りたい分野はわかっているのだけれど、購入すべき本や著者がなんであるのかわからないというとこから出発する検索システムなのだと言えるだろう。実際、こうした概念検索や関連検索システムは他の業界ではすでにあるが、本の検索システムにはこうしたものはなかった。本来、本の検索に求められる機能がようやく実現したと言えるだろう。画期的と言っていい。

 だだまあ。なんつーか。上でのべたカテゴライズのズレだけど。キーワードを「司馬遼太郎」と入れて検索したんだけど、結果の関連分野に「プレゼンテーション」とか「新聞の読み方と記事」というのが出るのはまあわかる。司馬さんは若い頃新聞記者だったしな。しかしながら、「アングラ」というのが出るのがどう考えても解せない。この「アングラ」を選択すると、『やくざ映画とその時代』とか『日本の異端文学』といった本が出てくる。うーむ、司馬さんとアングラっていってもなあ。やくざ映画とか異端文学とかいってもなあ。うーむ。異端だったのかなあ。いや、異端といえば異端だったんだけどなあ。何度も書くが、機械が本の中身を理解して解釈しているわけではない。だから、うーんと唸ざる得ない結果が帰ってくることがある。

 しかしこれもまあ、検索の意外な結果から意外な発見があるかもしれない、と考えると確かにそうで。はっ、もしかしたら、この新書マップのシステム・アーキテクチャーには、そうしたランダム性やゆらぎ性やリダンダンシーも含めて設計されているのかもしれない。うーん、なんてヒューマンな設計なのだろう。「司馬遼太郎の坂の上の雲」という文章で検索したら、関連項目に「天気」が出たのは笑ったが、これだって、秋山真之のあの「天気晴朗なれど」の電文に関連するじゃないか。すごい。おそるべし、新書マップ!!(まー、この新書マップはまだできたばっかりだそうなので、今後検索精度は向上していくものと思われる。)

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