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August 10, 2004

マナーとしての反日を身につけて欲しい

 というわけで、アジア・カップでの日中の決勝戦が終わった。試合の後で、中国人観客数千人がスタジアム前に集まって日本の国旗を焼いたり、日本公使の車の窓ガラスが割られたりすることがあったという。

 戦前ならば、これだけでも在日邦人の安全を守るために、日本陸軍が兵を送る騒ぎになったであろう。事実、1932年の上海事変は、日本人僧侶が中国の反日団体から暴行され殺害されたために軍が行動を起こした出来事だった。ちなみに現在では、この日本人殺害事件の背後に日本軍部側の陰謀があったことがわかっている。

 例えば、だ。戦前ならばこうなったであろう。この試合のさなかに、日本陸軍の特務機関が中国人サポーターをあおり立て、暴動を起こし、日本人の何人かに怪我を負わせる。これで日本は中国に対する軍事行動の大義名分を得る。で、さらに言うと、日本の議会が例えば2個大隊を送る決定をしても、参謀本部はそんな決定には従わず、なんだかんだ言って3個師団ぐらい送ってしまう。で、送った後で、参謀総長と陸軍大臣が皇居に参内して、天皇に兵を送りましたと奏上する。天皇は苦々しくそれを承認する、と、こんな筋書きになるであろう。あの時代はそうした時代だった。

 しかしながら、21世紀のこの時代では、この程度のことで戦争をおっぱじめるわけにはいかない。なんでか。この世界は、中国と日本の2国だけがあるわけではなく「その他の国々」もあるからである。さらに、日本の対中投資は莫大な額であり、中国の経済成長が日本経済の回復に大きく役立っている。経済では、日本と中国はもはや「ひとつの経済圏」と呼んでもいい関係になりつつある。

 今や、そう簡単に戦争ができない時代になった。この「そう簡単に戦争はできない時代になった」が故に、双方の国の大衆感情ではよりいっそうのイラダチがあるのかもしれない。グローバリゼーションは大衆の感情に不安を与える。その不安が反動としてのナショナリズムを生み出す。

 今回のアジア・カップでの中国の反日ブーイングの姿は、情報ネットワークによって世界の隅々まで流れた。特に、これを見てどう思ったが聞いてみたいのが中国の隣の韓国である。道理のない反日感情がいかに醜いものであるか、これでよくわかったのではないだろうか。また、台湾の陳水扁総統は「負けたからといって日本国旗を焼き、日本公使の車を壊す。審判を責める。どれも民主的な風格に欠け、まったく残念だ」と語ったという。シンガポールやマレーシアやベトナムやビルマ(現ミャンマー)やインドといった旧大日本帝国の植民地の国々の人々はどう思ったのだろうか。

 もちろん、本当に反日運動をしなくてはならないこともあるだろう。日帝への恨みはらさでおくべきかという気持ちもあるだろう。日本はとにかくキライだという人もいるだろう。それはそれでいい。しかし、反日の心情を表明する時と場は心得えなくてはならない。なにがそうで、なにがそうでないかという分別をつけることができなくてはならない。その分別をつけることができないのが、今回のアジア・カップでの反日ブーイングのみなさんであった。あの人々はアジアの反面大衆(というコトバはないな)であり、ああなってはいけないなということを教えてくれたのである。

 西部邁は「マナーとしての反米」と言っているが、その言葉に従うのならば「マナーとしての反日」があったっていい。中国のみなさんは(ちなみに、韓国・朝鮮のみなさんも)、ぜひともマナーとしての反日を身につけて欲しい。

 気になるのは、中国政府は大衆を管理する力を失いつつあるということだ。市場経済路線をひた走る中国は、このままでは共産党による単独政権支配は成り立たなくなるだろう。しかし、かといって政党政治がすぐにできるとも思えない。この巨大なアジアの専政国家が今後さらなる経済成長の末にどうなるのか注目したい。社会混乱や内戦にでもなった場合、日本への影響は少なくない。自由市場主義経済を知り、反日運動といううっぷんばらしを持つ今日の中国大衆は、中国共産党だけではなく、今後日本も含めたアジア諸国にとって巨大な火薬庫になりつつある。

 いっそのこと、年に一回、大アジアブーイング大会なるものを催すのはどうだろうか。そこでは身体への物理的接触、危険行為は違反とし、あとは言葉でどれだけ罵詈雑言を言おうが、パフォーマンスでなにをやろうが良しとする。日本と中国と韓国・朝鮮その他の国の互いに文句のある人々を集めて、夜通しブーイング大会をやるのだ。アジアでのブーイングといえは反日だけではない。台湾は大陸中国へブーイングするだろうし、ベトナムもそう。チベットなんか中国に対して、いくら恨んでも恨み切れないものがあるだろう。そう考えると、日本への反日ブーイングよりも中国への反中ブーイングの方が大きいかもしれない。

 もはや、かつてのように戦争はできないのだから、ここはひとつお互いが相手をどう思っているかホンネで言い合おうではないか。そして、ホンネを実行するわけにはいかない政治や軍事や外交の現実、不条理さ、バカバカしさをお互いに味わおう。言い合えば、お互いがお互いをわかりあうかもしれないし、相変わらずそれでも反日、反中、反韓国・朝鮮の気持ちは変わらないかもしれない。それでいい。とどのつまり、民族的自尊心というものはそれほど高尚なものではないということだ。どこかホンネで言い合える部分がなくては、人と人の間にも、国家と国家の間にも信頼は成り立たない。

 ただまあ、こーゆーことやる政治家はいないだろうけど。
 やってくれないかなあ、どっかのNGOが。

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