反ケリー広告に思う
アメリカの大統領選挙は、現在、Anti-Kerry広告をめぐって白熱している。ベトナム戦争で活躍し、勲章を授与されたケリーの軍歴を、退役軍人がウソだと証言するテレビ広告が今アメリカでは流れている。さらに、このテレビ広告の最新バージョンでは、ケリーがベトナムから帰国し除隊した後、上院外交委員会で反戦の証言をしたことについて、彼は国家への面汚しだとさえ言っている。
ケリーがベトナムでなにをしたのかということは、フツーの一般ピープルにとってはどうでもいいことなのかもしれないが、ベトナム戦争退役軍人のみなさんにとってはどうでもいいことではないようだ。これは大統領選挙での退役軍人の票の動向を左右することなのであろう。だから、こうやってわざわざテレビで流しているのだ。
ここで、だ。そもそもベトナム戦争というのは、意味のある戦争だったのだろうかという問いかけはできるだろうか。つーか、どうもベトナム戦争退役軍人のみなさんにとって、あの戦争は意味のある正しい戦争になっているようだ。ベトナム戦争には数々の間違いがあった、意味のある戦争ではなかったと言っているのはインテリぐらいであって、一般民衆のベトナム戦争体験者にとっては、ベトナム戦争は「正しかった」のであり、「意味があった」のである。サイゴンは陥落し、南ベトナムは解体、アメリカ軍は事実上の敗北をして撤退し、ベトナムは社会主義国になったのだけど、それでも「正しかった」のであり「意味があった」のである。
ある意味で、それは当然のことだろう。誰も自分の若い時代の一時期を捧げた戦争について悪く思うわけがない。もちろん、ナパーム弾や火炎放射器で焼き殺された北ベトナムの人々を思えというのは正論である。しかし、だからといって、ベトナム戦争体験者の人生を否定することはできない。もし、その理由で否定をするのならば、今後、命をかけて国家のために働くという意思を誰も持とうとはしなくなる。だから我々は、戦没者を礼拝し、退役軍人に彼らの国家への奉仕を讃え、名誉を与えるのである。命をかけて国家のために働くなんて大げさな。そんな仕事なんてありゃしないよ思うのかもしれないが。軍人はそうした「大げさな覚悟」がなくては職務を全うできない。
アメリカは、社会の中で軍、軍人、退役軍人などの占める大きさが圧倒的に大きい。この「大げさな覚悟」が社会の中に歴然とある国なのである。だからこそ、大統領候補者が35年前に東南アジアのジャングルの中で何をしたのかが問われる。
では、ひるがえって我が日本国はどうですかというと、この「大げさな覚悟」はあるところにはあるが、アメリカのように社会の全面にストレートに出てこない。戦後の教育では、そうしたことは教えない。社会の中で自衛隊、自衛官、退役自衛官などの占める大きさが圧倒的に小さい。
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