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August 06, 2004

唯一の被爆国であるということは何の意味もない

 59回目の8月6日になった。人類史で初めて戦争で原爆が使用された日である。しかし考えてみると、このいわゆる「原爆の日」というものが戦後半世紀の歴史の中でいかなる意味を持っていたのかよくわからない。

 「世界から核兵器の廃絶を願う」というが、これはあくまでも「願い」であって、これを本気で政策にしたり、国是としようとするというのならば、それはあまりにも非現実的であろう。広島は、この半世紀間ひたすらこの「願い」をしてきたわけであるが、そろそろもっと現実的な活動の場として広島(そして長崎)を捉える時期にきているのではないか。このままだと、ますます広島(と長崎)は、世の中の流れからどんどん取り残されていくであろう。戦争は悲惨だ、原爆は悲惨だ、と言っているだけで戦争がなくなるわけではないことに、だんだん人々は気がつき始めている。「原爆の日」とは、極めて国内的な、かつ宗教的な儀式としての鎮魂と平和への祈りの日であるだけであって、国際的にはなんのアピールももたらしていない。

 日本は「唯一の被爆国」だという。しかし今の時代で、「唯一の被爆国」であるということだけでなんの意味があるのだろうか。「被爆国」という言葉の意味は、被爆した体験を持つ人々がいる国という意味であるのならば、今の日本には被爆の体験者の数はほんのわずかであって、少なくとも、近い将来には完全に被爆体験者はいなくなる。つまり、日本は被爆体験国ではもうなくなりつつあると言えるだろう。

 で、あるのに、いまだに日本は「唯一の被爆国」だから云々と言っているのはおかしい。あるいは、仮に今でも日本は「唯一の被爆国」であるとしよう。それでは「唯一の被爆国」であるということが、国際社会で今日までいかなる意味を持ってきたのか教えて欲しい。「日本は唯一の被爆国なんだから、日本の言っていることは正しい」とか「さすが、唯一の被爆国の言うことは違いますなあ、まったくその通りです」とか外国から言われたことがあるのだろうか。

 もしくは、これまで日本は、唯一の被爆国であるということを堂々と正面に出して、国際社会に問題を提起するとか、唯一の被爆国であるのだからアメリカのイラク戦争に反対するとかいったことを行ったことがあっただろうか。

 つまり、「唯一の被爆国」であるということは、世界の中でなんの説得力も持たないのだ。原爆の被爆を受けたという歴史的事実に対して、半世紀たった今でも日本人は被害者意識のレベルから脱していない。あるいは、核兵器の被害は悲惨だ、広島、長崎を見よ、だから世界の核兵器廃絶を求めるという荒唐無稽なファンタジーしか考えられない。イタイ系かセカイ系しかないんですね。これでは、どこの国も相手にしてくれないだろう。

 その意味で、日本と北朝鮮は、まるで鏡に映った正反対の姿のようによく似ている。核兵器の攻撃を受けたということだけで、世界に核兵器廃絶を求め、かつ、それが本気でできるもんだと信じている(さすがに、最近はそんなことを信じないようになってきたが)国と、核兵器を持つことだけで、相手にこちらの言うことをきかせることができるのだという根拠のない確信を持っている国。どちらも、ジコチューであるだけで、外国という他者を認識していない。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

さきほどトラックバックさせて頂きました蒔苗でございます。冒頭が、貴記事と関係のない出だしで申し訳ありませんでした。
貴記事でおっしゃる通り、もはや唯一の被爆国ということ自体の意味は薄れつつあると私も思います。
数年前、広島の原爆記念館へ尋ねたとき、日本がなぜ原爆を投されるに至ったのか、歴史的経緯がパネル展示されていました。その中に、日本軍による南京虐殺のパネルがありました。(と記憶します)被爆という恐ろしい目にあったが、一方的ではないとの明確な意思表示だと受け止めました。が、そう大きくはないパネルという印象があり、南京虐殺とのプラスマイナスゼロという印象もありませんでした。
おそらく、原爆が特別視されるのは、何よりも、一瞬に大量、加えて放射線の後遺症という特殊性があるのだと思います。
しかし、南京事件も、被害者側と加害者側の主張する人数は異なるものの、大量虐殺という概念を適用してよかろうと思います。でも、原爆のように一瞬性はありません。が、殺された人たちの個々の単位でみれば、死の瞬間は、一瞬でしょう。たとえ一瞬でなくとも、たとえば土で生き埋めにあった人は、死ぬまでどれだけ長い恐怖と苦痛を味わったか、、、という面で、放射能を浴びるよりも楽だとか楽じゃないという比較もなかろうと思います。
だからこそ、貴記事がおっしゃるように、被爆の唯一性をことさら世界へ強調するのは、外国から見れば難解なのだと思います。ましてや、中国本土に、いまだ旧日本軍の化学兵器が何十万発も埋められているとされる以上は・・・
本当に世界平和を発信するのであれば、「被爆はとても恐ろしいことだが、一般市民の戦争被害という面においては、これが唯一のケースではなく、現代も含め、世界中にあります。広島は(もちろん長崎も)、被爆というインパクトを活用して、原爆のみならずあらゆる戦争による一般市民の被害をなくすよう訴えているまでのことです」というようなアプローチをするべきなのでしょう。
その点では、前述の、広島の記念館にある南京虐殺のパネルは小さ過ぎると思います。また、何も南京虐殺のみならず、たとえばインドシナ(戦争当時は仏印と言い、今はベトナムと言ってますが)、わたしが以前観たドキュメントTVでは、日本統治下のインドシナから、日本本国の食料不足を補うために軍はお米をかき集めたため、結果、ベトナムの人たちは推定百万以上餓死した、、、と記憶してます。これが真実だとすれば、人数においては被爆以上の被害ですから、大量虐殺の一種にも近いと言え、記念館にもパネル展示すべきだと思います。展示空間に限りがあるという現実的問題はありますが、それほど戦争による一般市民の被害は多々あり、その一事例が広島なのだと主張もできるのだと思います。
長文、お読み頂き、ありがとうございました。
失礼致します。

Posted by: 蒔苗昌彦 | August 06, 2004 at 09:24 PM

蒔苗さん、コメントありがとうございました。

ある意味で、広島は1945年の8月6日で留まっているんじゃないかと思います。時間が停止しているんです。それは、あの日を体験した人々の気持ちを考えればやむを得ないとも思います。あの人々にとっては、日本は「唯一の被爆国」のままなんだと思います。それはそれで認めたい気持ちが僕にはあります。

問題なのは、戦後半世紀間、日本全土が広島みたいな、時間が停止したかのような状況であり続けたということだと思います。戦後の日本人が「ああ、原爆は悲惨だね。戦争はイヤだね」で思考停止し続けていたということです。

原爆というのは、当然のことながら兵器のひとつのことです。単なる軍事技術のひとつです。半世紀前に広島と長崎に落とされた核兵器は、当時の世界最高の軍事技術でした。しかし、いまや広島と長崎で使われた核兵器など時代遅れの兵器であって、今の劣化ウラン弾やクラスター爆弾や「デイジーカッター」と呼ばれる燃料気化爆弾の方が(単純な比較はできませんが)もっと悲惨な被害をもたらしています。これらの兵器をアメリカ軍はコソボやアフガニスタンやイラクで使用しています。

時代が大きく変わったことを、僕たちは認識すべきです。核兵器というものが、軍事的にも政治的にも大きな意味をもっていた時代、冷戦の時代は終わりました。今、核兵器といっても、その意味する具体的なモノは多種多様にわたります。核「兵器」と核「の平和利用」の境目は曖昧です。原子力発電からも核兵器はできます。極端なことを言えば、それなりの設備と知識と技術があれば誰でも(まあ、誰でもというわけではありませんが)核爆弾を作ることができる時代になりました。原発に通常の爆弾をしかけて爆破するだけで、付近一帯に放射能汚染を起こすことができます。輸送途中の核燃料や核廃棄物があやまって不測の事態になっただけでも大惨事になります。つまり、核について戦争とテロと事故の区別がつかない時代になったんだと思います。

こうした世の中になって、なおかつ原爆という、ひと昔前の軍事テクノロジーだけをもってきて、その悲惨さを訴えることで平和を主張する方法にはそもそも無理があります。原爆というのは、人類史の中の鉄砲の発明や機関銃の発明と同じ歴史的な意味を持つだけで、逆から言えば、兵器による被害の悲惨さを言うならば、原爆じゃなくても鉄砲であっても、機関銃であってもいいわけです。


しかしながら、上記のことを踏まえた上で、広島と長崎は「唯一の被爆地」として、その意味を世界にアピールする必要があると実は僕は思っています。今のような「原爆の日」をなくせとは思いません。被爆して亡くなられた方々の鎮魂の儀式として、これはこれで必要だと思います。その一方で、本当に世界に向かって説得力のある反戦のアピールをする(大げさに言えば)歴史的使命を広島と長崎は(さらに言えば、この日本国は)持っているんだと思います。いつまでも原爆の被害者意識のままではなくて、そういう方向にこの国が動いてくれればなあと思います。

Posted by: 真魚 | August 07, 2004 at 02:13 AM

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