憲法を改正してナニをするのか
当然の如く物議をかもしているアーミテージ米国務副長官の21日の「憲法第9条は日米同盟の妨げ」という発言に対して、米国務省報道官はアーミテージが言ったことは「憲法改正は日本人の責任で行うべき問題」なので「(副長官の発言は)米国は同盟国として、日本の判断を尊重するということを強調したもの」だったのだと述べたという。
アメリカ「帝国」の「属州日本」の「属州総督官」の一人であるアーミテージが、日本の改憲を求めるようなことを個人的な場で言い、その後で「帝国」本国が、あれは内政干渉になるような意味でいったのではない、日本人の主体性を尊重するとフォーマルに発表するという、このミエミエの見事な属州管理ぶりは端から見ていて感動的ですらある。帝国というのは、こうやって属国を管理するものなのだと後の時代の歴史の教科書に載せたい出来事であった。
これで憲法改正、さらには自衛隊の国軍化がアメリカの意向なんだということになった。アメリカも朝鮮戦争以来、ずーと内心思っていたホンネを、堂々と、じゃあなかった、まず現場担当者にチラッと言わせて、次に本国でやんわりと否定するという狡猾な方法で圧力をかけることができるようになったわけだ。おもしろいことに、これで今後、親米ポチと保守が見解を同一にするということになった。
上役の気持ちを察して自ら行動するというのは、日本人が最も得意とする能力のひとつであろう。これで属国日本人は、ますます「アメリカ様の意向は改憲なんだな」という(上役の気持ちを察する)わけで、かくて憲法改正への動きは本格化していく(自ら行動する)であろう。そして、アメリカからの命令があったからではなく、あくまでも日本人の主体的判断として改憲を行うのだという、戦後半世紀の日米関係の中で、さまざまな場面で見られた日本人の「自主性」と「主体性」のよくあるパターンを、これから我々はまた見ることになるだろう。ある意味、アメリカはGHQ以来、日本人の民族的性質をうまく利用してきたと言えるが、その占領政策が今でも生きている。
なぜこうした自体になってしまったのか。つまり、以前、ここで書いたように、問題の本質は憲法ではなく自衛隊でもないからだ。憲法を変えれば、自衛隊を(もっと強力に)変えれば、それだけで日本と日本人は独立した本来の姿になるかのような考え方はもうやめるべきだ。
このまま、ずるずると憲法改正となり、国の交戦権ありということになり、防衛庁は防衛省に格上げ、自衛隊が日本国軍隊となったとして、さて、どうなるのか。10年後は、日本の兵隊さんがアメリカ帝国の先兵として、中南米あたりでゲリラ掃討のためジャングルをさまようことになるような気がしないでもない。ようするに、アメリカ追随というスタンスは全然変わらないわけですね。かりに日本が核兵器をもったって、アメリカのいいなり、というスタンスは変わらない。
まず改正すべきは、アメリカ追随というスタンスであり、その次に憲法改正なり自衛隊の国軍化の話があるはずだ。
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