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July 06, 2004

自衛隊は憲法問題ではなく、対アメリカ問題である

 自衛隊の海外派兵は、憲法違反だからイカンという声がある。ここできちんと整理をしておきたいのだが、自衛隊を海外に送っている側(政府、ないしは与党の側と言ってもいい)は、別に憲法にどう書いてあるから、やるとか、やらないとか思っているわけではない。

 そもそも自衛隊というものは、警察予備隊の頃からずっと、憲法論議の対象として(実際に)扱われたことは一度たりともない。自衛隊は、常に政治的存在だった。もう少しカンタンに言うと、憲法にこう書いているから自衛隊はやっぱまずいのじゃないのとか、いや、第9条はこう解釈できるから派兵は良し、とかいった法律論議に基づいて、自衛隊の存在や海外派兵が決定されたわけではない。

 では、一体なにをもって決定されたのか。アメリカ様がそう望んでいるからである。自衛隊は、アメリカの要請によって戦後の日本に誕生し、アメリカ様の意向に従うために、自衛隊はペルシャ湾に行き、カンボジアに行き、モザンビークへ行き、ザイールへ行き、ゴラン高原へ行き、ホンジュラスへ行き、東ティモールへ行き、そして現在イラクへ行っている。

 たとえば、だ。もし、仮に憲法に「自衛隊は人道支援のために海外へ行って良し」と明確に書いてあったとしてもだ。アメリカが「行くな」と言ったら、日本政府は「現地はまだ戦争状態で非常に危険であるので、もっか自衛隊の派遣を延期する」とかなんとか行って自衛隊を送らないであろう。つまり、日本政府にとって、アメリカ様の意向が最重要課題であり、日本国憲法なんてものはどうでもいいのである。これを「アメリカ様のご機嫌を損ねてはいけない問題」と呼ぶのならば、この「アメリカ様ご機嫌問題」は、太平洋戦争で日本が負けてからずーと今日に至るまでずーと日本政府が絶えず意識してきた問題だった。(さらに言えば、戦前の日本の中国政策も含めれば80年間ぐらい、日本政府にとってアメリカは常にモンダイだった。さらにもっと言うと、幕末にペリーが浦賀にやってきた時からずーと、アメリカはモンダイだった。)

 だから、憲法がどーたら、こーたら、だから自衛隊は違憲だとか、なんとか言っているのは、全然論点がずれている。話にならない。なんども書くが、(自衛隊のことについては)憲法なんてどうでもいいのである。憲法の平和理念だとかなんとかは、どうでもいいことなのだ。「憲法なんてどうでもいい」ということが、そもそも存在していること自体が、かなり問題だなとは思うが、存在しているのだからしょうがない。この国では、こういうことがなぜかよくある。このことについて、ここで考えてみたい気もするが、それは別の機会にするとして、とにかく、そうなのだ。

 つまり、自衛隊は憲法問題なのではなく、対アメリカ問題なのである。

 では、なぜ、アメリカのいいなりになるのか。なぜ、アメリカ様の意向に従わなくてはならないのか。それは、そうした方がもっかのところ日本国の国益になるからだ。と、いうことになっている。内閣総理大臣が吉田茂の頃から、そうなっている。

 よって、自衛隊の海外派兵をめぐる議論の論点は、憲法論議ではなく、アメリカの意向に従うことが日本国にとって利益になるのか、どうか、というところから始めなくてはならない。今のところ、アメリカ様のご機嫌を損ねことは日本国の利益ならないと判断している人の方が多いので、そうなっている。だから、自衛隊の海外派兵に反対するためには、アメリカ様のご機嫌をそこねても、なおかつ国際社会で日本国の主張を通すことができるという論理なり根拠なりが必要だ。そうなって、初めて議論が生産的なものになる。戦後半世紀間の日本の対アメリカ(外交という高尚なものではなく、もはや対アメリカ依存心、対アメリカ恐怖心、対アメリカ・コンプレックスとでも言うべきもの)をどう乗り越えていくのか、戦後日本の吉田ドクトリンをどう変換するのか、ということなのだと思う。

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Comments

「自衛隊はアメリカの軍隊である」、「日本はアメリカ合衆国の州である」。と考えればすべてがつながってくる。
「憲法改正」とか「自衛隊は違憲か合憲か」という神学論争は、いつまでやっても際限はない。

元アメリカ大使の岡崎某氏はいつも言っている。「アメリカの言う事を聞いておれば、日本は孫の代まで食っていける・・・これが国益です」と。

日本人としての「誇り」もなければ、自立心もない発言をよくもとうとうと続けられるものだと感心している。
このような外務官僚が牛耳っている限り、外務省に期待することは何もない。

やはり、改憲論議をエンドレスに続けるよりも,「アメリカ合衆国、是か非か?」を国民投票で決めようよ。

こんにちは。
自衛隊が憲法論議の対象にならなかったというのは本当ですか?
アメリカの意向が無視できない(というか確かにかなり大きな)要因として作用してきたのは確かにその通りですが、それが憲法論議すら不要なものにまで作用してきたと言うことでしょうか。
これはかなり重要な違いですよ、日本の主体性ということでは。
もしアメリカの意向のみで日本が動いてきたのだとしたら、ヴェトナム戦争において派兵しなかったのはなぜでしょうか。

シンコーさん、はじめまして。

ただ、ではアメリカとすっぱり手を切っていいかとなると、ここ、様々な問題が出てきます。防衛問題で言えば、今の時代、アメリカの科学技術なくして軍隊は成り立ちません。例えば、日本がかりに軍事衛星を上げて、東アジアを監視するとしても、人工衛星からのデータは日本の施設で受信はできますが、そのデータを解析し分析するノウハウが日本にはありません。結局、そのデータをアメリカに送って結果を教えてもらうということになります(テポドンの時、そうでしたね)。日本は技術大国だとかなんとかいいながら、コアな技術は全部アメリカが持っています。陸自はまだアレですが(90式戦車を見ると、陸自ってアレだよなあと思います)(アレってなに?)(^_^;)、海自と空自はホントにもう「アメリカ軍の一部」と言ってもいいほど、アメリカ軍と一体化しています。

技術的な面は、アメリカに依存しなくてはしかたがないのだから、それはそれとして。そうした事実は事実として踏まえて、日本とアメリカとの関係はどうあるべきなのかをもっと考える必要があるのではないかと思います。このへんぶっちゃげた話、自衛隊をイラクへ送って、で、なにをやっているのかというと給水車を転がしたり、橋かけたり、米兵の輸送をしたり(それって戦闘部隊である普通科連隊のやることなのか)。アメリカ様のご機嫌をそこねないようにするよりも、もっと他にやることがあるだろうと思います。

と言いますか、今、世界はこうで、アメリカはこうで、ヨーロッパはこうで、中国はこうで、そして日本の現実の姿はこうなんだと真実を前にしてホンネで考えるべきではないのかと思います。

その上で、例えば岡崎久彦はこう言っているけど、どうなんだろうとか、小林よしのりはこう書いているけど、どうなんだろうとか。日米同盟とか言っているけど、「同盟」なのか。アメリカの人々はどう思っているのだろう(なにも思っていないけど)とか。朝日新聞にはこう書いてあって、産経新聞にはこう書いてあるのだけど、どうなんだろうかとか、いろいろ考える必要があるのではないかと思います。

今の日本は、なんか戦争っぱい雰囲気が濃厚とか言われていますが、戦争のリアリズムから見れば、全然戦争っぽくありません。むしろ、戦前の竹槍でB29を落とそうという雰囲気に似ています。イラクの多国籍軍に自衛隊も参加するとか、しないとか、指揮権がどうとかこうとか、どうしてそう目先の末端的なことで騒いでいるのか。目先の末端的なことで騒ぐというのは、根本の原理原則がなにもないからなんです。アメリカ様の顔色だけが気がかりなんでしょう。

すたんどさん、こんにちは。

僕が自衛隊が憲法論議の対象にならかったと言うのは、始めに憲法があって、そして憲法に基づいて自衛隊の存在や行動を判断するという図式ではなく、憲法ではコレコレとなっているのだけれど、高度に政治的な判断でこうなんだというパターンになっているという意味です。自衛隊のこととなると、憲法はどうでもよくなるという意味です。ハナっから、憲法を守ろうという意識がない。だったら真面目に憲法論議したってムダではないのかというのが僕の意見です。

また、別の観点として、1976年の長沼基地事件での札幌高裁の判決、および1977年の百里基地訴訟裁判以後、裁判所は自衛隊を憲法の対象外にしてきたと言ってもおかしくないと思います。

ただし、この「自衛隊ついては憲法はどうでもよくなる」「なぜならば、アメリカの存在があるから」という状況は日本人が望んでこうなったわけではありません。敗戦とアメリカの日本占領、国際情勢の変化によるアメリカの日本占領政策の変更、朝鮮戦争にともないGHQからの指示による警察予備隊の設立など、これら一連の歴史的出来事の結果として、今日の状況があります。つまり、自衛隊がなぜ対アメリカ関係の元にあるものなのか(かつ、日本国憲法ですら、どうでもよくなっちゃうのか)というと、もともと自衛隊というのはアメリカの要望によって作れたものだからなんです。

ベトナム戦争で、日本の自衛隊を使うという計画はなかったと思います。当時の日本の社会情勢を考えると、自衛隊のベトナム派兵は困難だったろうと思います。日本政府が自衛隊をベトナムで送るなんていったら、60年代安保闘争のピーク時はすぎているとはいえ、世間の反感はそれこそものすごかったでしょう。内閣がつぶれたと思います。対米感情なんか今の韓国以上に悪化したと思います。アメリカもそんなことはしません。自衛隊を派兵させるよりも、日本を兵站基地として活用することを選択したのだと思います。そして、日本は兵站基地として重要な役割を果たしました。

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