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July 2004

July 27, 2004

奥外交官殺害事件は、平成の下山事件になるだろう

 外務省の奧克彦氏と井ノ上正盛氏は、イラクで誰に殺害されたのかは今もって謎である。この事件は、テロリストの犯行ではなくアメリカ軍の誤射であったという意見がある。今年の5月に、外務省は衆院外務委員会理事懇談会に事件の報告をした。そこでは、米軍誤射説は完全に否定されている。この調査は、実際は日本国政府による調査ではなく、日本政府からCIAに調査を依頼したものだったという。

 外務省がなんと言おうと、事件の時、奥氏と井ノ上氏の乗っていた車の後ろからアメリカ軍の車が走っていったという目撃証言や、車の銃弾の後からすると、銃は水平の方向からではなく、かなり高い位置から撃たれたとしか考えられない等の不可解な状況はアメリカ軍誤射の可能性を示唆しているという。奥氏と井ノ上氏の遺体にある銃弾から使用された銃器はすぐにわかるはずなのであるが、今だ発表されていないというのも不思議な話だ。

 民主党の参院議員である若林秀樹氏は、参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で、「米軍が不審者と間違えて重機関銃で撃ったのではないか」という見解を明らかにした。外務大臣も総理も「真相解明に今後とも全力を挙げていきたい」と言うのみでさしたる進展はなかったという。若林氏は有志の議員と「外交官射殺事件真相究明有志の会」を発足し、外務省報告に対して真っ正面から疑問を提起している。大手マスコミには一言も載らないこの事態の進展に注目したい。

 さらに、これはアメリカ軍による誤射ではなく、アメリカに殺害されたのではないかという意見もある。奥氏は、アメリカの軍事行動は大量破壊兵器の発見が目的ではなく、石油が目的だったということを明確に述べていた。実質的にアメリカ政府およびアメリカ企業ベクテルが主導を握っている占領統治の中で、日本政府と日本企業に送る情報の収集活動を行っていた奥氏が邪魔になった、あるいは公表されてはマズイ情報を知ったので、ベクテル・コーポレーションが(アメリカ軍を使って)奥氏を殺害したという説である。さすがにここまでくると、いや、いくら邪魔になったからとはいえ殺害までするだろうか、なにか口実を作って奥氏を本国に帰して左遷させるとかいう手を使うのが妥当なところではないかと思わなくもない。しかし、日本の占領時代のアメリカを考えると、そこまでアコギなことをやってもおかしくないなとも思う。

 もちろん、事実は今だ明らかではない。しかし、誤射説にせよ、殺害説にせよ、「そうではなかったのか」と思ってもおかしくない疑問点があるということは紛れもない事実である。そこに疑問がある限り、その疑問を糺していくことは当然のことだ。

 戦後、昭和23年の帝銀事件、昭和24年の下山事件、昭和24年の三鷹事件、昭和24年の松川事件は、犯行の背後にGHQの存在があったことは今日では判明している(公に判明しているとは言い難いが)。下山事件は、その当時人々は、事件はGHQの意向によるものであることを知りながらも、あえてそのことを政府も警察も検察もマスコミも不問にした。不問にすることで、アメリカの政策には逆らわないというパターンがここで確立した。その方が日本の国益になるからという判断であろう。その後、日本は朝鮮戦争による軍需景気、さらに高度成長へと進んでいった。

 確かに、国益だったのかと言えば国益だったのだろう。日本は経済大国になった。そして、現在でも、アメリカの政策には逆らわないというパターンは続いている。しかし、そうしてきたことで、この国の人々は何かを失った。長期的、大局的視点で見た場合、本当に国益だったのだろうか。そもそも国益とは、経済成長のことだけを意味するのであろうか。昭和24年の下山事件が、その分岐点だったとドキュメンタリー映像作家の森達也は書いている

 おそらく奥外交官殺害事件は、平成の下山事件になるだろう。戦後の黒い霧は、平成の今でもこの国を覆い続けている。

July 24, 2004

憲法を改正してナニをするのか

 当然の如く物議をかもしているアーミテージ米国務副長官の21日の「憲法第9条は日米同盟の妨げ」という発言に対して、米国務省報道官はアーミテージが言ったことは「憲法改正は日本人の責任で行うべき問題」なので「(副長官の発言は)米国は同盟国として、日本の判断を尊重するということを強調したもの」だったのだと述べたという

 アメリカ「帝国」の「属州日本」の「属州総督官」の一人であるアーミテージが、日本の改憲を求めるようなことを個人的な場で言い、その後で「帝国」本国が、あれは内政干渉になるような意味でいったのではない、日本人の主体性を尊重するとフォーマルに発表するという、このミエミエの見事な属州管理ぶりは端から見ていて感動的ですらある。帝国というのは、こうやって属国を管理するものなのだと後の時代の歴史の教科書に載せたい出来事であった。

 これで憲法改正、さらには自衛隊の国軍化がアメリカの意向なんだということになった。アメリカも朝鮮戦争以来、ずーと内心思っていたホンネを、堂々と、じゃあなかった、まず現場担当者にチラッと言わせて、次に本国でやんわりと否定するという狡猾な方法で圧力をかけることができるようになったわけだ。おもしろいことに、これで今後、親米ポチと保守が見解を同一にするということになった。

 上役の気持ちを察して自ら行動するというのは、日本人が最も得意とする能力のひとつであろう。これで属国日本人は、ますます「アメリカ様の意向は改憲なんだな」という(上役の気持ちを察する)わけで、かくて憲法改正への動きは本格化していく(自ら行動する)であろう。そして、アメリカからの命令があったからではなく、あくまでも日本人の主体的判断として改憲を行うのだという、戦後半世紀の日米関係の中で、さまざまな場面で見られた日本人の「自主性」と「主体性」のよくあるパターンを、これから我々はまた見ることになるだろう。ある意味、アメリカはGHQ以来、日本人の民族的性質をうまく利用してきたと言えるが、その占領政策が今でも生きている。

 なぜこうした自体になってしまったのか。つまり、以前、ここで書いたように、問題の本質は憲法ではなく自衛隊でもないからだ。憲法を変えれば、自衛隊を(もっと強力に)変えれば、それだけで日本と日本人は独立した本来の姿になるかのような考え方はもうやめるべきだ。

 このまま、ずるずると憲法改正となり、国の交戦権ありということになり、防衛庁は防衛省に格上げ、自衛隊が日本国軍隊となったとして、さて、どうなるのか。10年後は、日本の兵隊さんがアメリカ帝国の先兵として、中南米あたりでゲリラ掃討のためジャングルをさまようことになるような気がしないでもない。ようするに、アメリカ追随というスタンスは全然変わらないわけですね。かりに日本が核兵器をもったって、アメリカのいいなり、というスタンスは変わらない。

 まず改正すべきは、アメリカ追随というスタンスであり、その次に憲法改正なり自衛隊の国軍化の話があるはずだ。

July 20, 2004

一番悪いのはイラクである

 こういうことを書くと、なんか言われるだろうなと思うが、誰も言わないのであえて書きたい。今回のイラク戦争で、一番悪いのは誰か。それはアメリカ合衆国でも、ジョージ・W・ブッシュでも、ディック・チェイニーでも、ドナルド・H・ラムズフェルドでも、さらにはネオコンでもない。一番悪いのはイラクであり、サダム・フセインであり、そしてイラクの人々である。もちろん、アメリカの行動には犯罪と言ってもいいものがある。それはもう周知の事実である。しかしながら、だからと言って、イラクはまったくの被害者だった、イラクはかわいそう、イラク人は悪くない、と思えるかというと、そうは僕には思えない。

 なんども言うが、アメリカは間違っている。しかし、そうした悪逆非道なアメリカに戦争をしかけられる口実を与えたのはサダム・フセインである。「大量破壊兵器なんて、どこにもなかったじゃないか」とイラク側が言ったって、ないものをあると言って言いがかりをつけるのは国際社会でよくあることだ。大国つーのは、そーゆーもんなのである。そーゆーもんなんだから、小国はより一層の注意を払わなくてはならないことは常識であろう(ただし、アメリカとイギリスの内部では、そーゆーもんでは納得はできないので、こっちはこっちでシロクロはっきりさせる必要はある)。サダム・フセインは、国家の指導者として当然のことを怠ったとしか言いようがない。このへん、詳しいことは省くが、いかにアメリカが横暴な国であっても、湾岸戦争も今回のイラク戦争も避けようと思えば避けることができた。1941年に、アメリカからハルノートを突きつけられた日本の方が自体はもっと深刻だった。

 さらに、そうした無能な男を指導者として仰いできたイラクの人々は一体なんなのかということが言えるだろう。このへんも細かいことは省く。フセインに対する反対勢力は数多くあったし、しかも反体制運動をやったら投獄されて死刑になっていたというのもわかる。しかしながら、結果的にイラクの人々は、自分たちの手でフセイン体制を倒すことができず、外国に倒してもらったということになる。このことは、イラクの将来に大きな影を残すことになるだろう。安易に同列に論じることはできないが、幕末の薩摩の西郷と大久保は、外国勢力の援助を借りて徳川幕府を倒すことは日本国の将来のためにならないことをよく知っていた。(実際のところは、かなりイギリスの援助があったのだが、イギリス軍が徳川幕府を倒したわけではない。)

 イラクの民衆は、なぜ自分たちの手でフセイン政権を倒すことができなかったのか。なにゆえ、フセインという無能な男を指導者としたのか。そもそも、イスラム社会は、なぜ西洋にこれほど遅れをとってしまったのか。そうしたことへ問いかけがイラクの人々、少なくとも学生や知識人から出てこない限りイラクに未来はない。これはイラクに限ったことではなく、中東諸国全体について言えることであるが、昔から欧米の植民地主義に対抗する排外主義的ナショナリストが英雄とされる傾向が強い。これを日本の幕末で言えば、尊皇攘夷のようなものだろう。

 薩摩も長州も原始的な兵器で西洋列強に戦いを挑んだが、徹底的に敗北した。その敗北の中で、攘夷はアカン、今のままではアカンということに気がついた。しかし、イラクでは(あれほどアメリカからボコボコにされながら)まだ攘夷をやっている。アメリカが憎ったらしい、さらに20世紀全体で見ればオスマントルコ帝国が崩壊した後、西洋列強によって植民地として食い物にされたのが憎ったらしいというのは、同じ非西洋人である日本人にはよくわかる。さらに言えば、11世紀から13世紀にかけてのヨーロッパ人による十字軍の侵略も恨み骨髄なのだろう。

 しかし、憎ったらしいといくら思っても、欧米の国力と軍事力の前にはかなわないではないか。この冷厳なる事実を事実として受けとめて、幕府をぶっつぶして、小さな町工場のような近代国家を作り、着たくもない洋服を着て、食うものも食わずにひたすら国力を高め軍事力を高めていったのが明治日本だった。

 当時、日本人は朝鮮からは「(西洋のモノマネをする)猿」と呼ばれたという。しかし、猿と呼ばれた側は、別に好きで西洋のモノマネをしているわけではなかった。そうしないと国家と民族の存亡に関わるという強烈な危機感があったのでそうせざる得なかった。それを理解しなかった朝鮮が、その後どうなったは言うまでもない。日本人にとって、毎日がスローライフみたいな江戸時代をやめて、近代国家になるということはとてつもなくたいへんなことだった。幕末から明治10年の西南戦争に至るまで、ものすごい数の人々が死んでいった。それでもやらなくてはならなかった。累々たる死者の山の向こうに、日本の近代化はあったと言えるだろう。イラクでは今、毎日のようにテロが起きている。今後、さらにテロは続くだろう。大規模な内乱も起こるかもしれない。しかし重要なのは、この累々たる死者の向こうに、イラクの民主化の未来があるのだろうかということだ。そうでなくては、これまでと、今と、そしてこれからの死者になんの意味があるのだろうか。

 だからこそ、このまえ人質になったある人が言うような、誘拐拉致や脅迫をする犯罪者に対して「イラク人を憎む気持ちになれない」では、実際のイラクのためにもなんにもならない。某有名ノーベル文学賞作家が言うような「テロリストにも思想がある」かのような考えでは、イラクはますますダメになるだけだ。あれはテロリストではなく、レジスタンスなのだというのならば、イラク人は自爆テロでみんな死ぬまで100年でも200年でもレジスタンスをやっていればいい。

 イラクで殺害された日本人、奥克彦大使、井ノ上正盛一等書記官、ジャーナリストの橋田信介氏、小川功太郎氏はなぜ殺されなくてはならなかったのかということを、イラクの人々は真摯に考えて欲しい。日本が自衛隊を送ったからそうなったんだという発言は、彼らの死だけではなく、イラクの人々に対する冒涜であろう。排外主義的ナショナリズムと本当の民族的自尊心とは別のものである。アメリカの爆撃によって殺された罪無き多くの人々は、アメリカの戦争犯罪を糾弾している以上に、イラク人そのものに、外国の軍隊に蹂躙されないしっかりとした社会を作るように語りかけているのだ。今のイラクの人々は、その声に耳を傾けているのだろうか。

 もし、今のイラクに坂本龍馬がいれば、こう言うだろう。

 「殺しあってちゃいかんぜよ。おまんらが殺しあえば殺しあうほど、アメリカの有利になるじゃき。殺しあいなんかやめて、もっと視野を大きくもって、新しいイラクのために働かなきゃダメぜよ。」

 今のイラクの不幸は、あの国に坂本龍馬や大久保一蔵や西郷吉之助や桂小五郎がいないことである。

トラックに爆弾、バグダッドの警察署に突入9人死亡

July 17, 2004

青山ブックセンターが閉店

 なんと、青山ブックセンターが閉店してしまった。最近ではもうすっかり足を向けることはなくなったけど、学生の頃は新宿のルミネでよく買っていた。新宿ルミネの青山ブックセンターと池袋のリブロポートは、お気に入りの本屋だった。その店の中に立って、本棚の本を眺めているだけで楽しくなる場所だった。セゾン美術館もなくなり、WAVEもなくなり、そして青山ブックセンターもなくなってしまった。自分が学生時代を過ごした80年代がどんどんなくなっていく。こうなると、同系列の本屋さんである東京ランダムウォークが潰れないように、なるべくここで本を買わねばと思う。(神田神保町店って、店の建物の方が潰れないかと心配なんだけど。)

 新宿ルミネの青山ブックセンターの最大の魅力はマンガの品揃えだった。専門書の方は、神田神保町に足繁く通っていた者の視点から見ると、「ああ、あの本が置いてあるな」という感じで、それほどいいとは思えなかった。つーか、例えば宗教学にしても、青山ブックセンターの本の選択は、流行に応じた本が置いてあるだけで、クロウト受けはしないと思った。もちろん、別に宗教学を勉強しようという客が来るわけではないのだから、これはこれでいいのだけれど。なんか中途ハンパなんだよなと思っていた。ファッションとしての知識と教養さがミエミエで。この「ファッションとしての知識と教養」というのがいかにも80年代的だった。その意味では、モロ80年代の本屋だった。でも、置いてあるマンガの選択は、マンガ専門店の選択とはまた違ったサブカル的視点があって、マンガの棚を見ながらその視点を読み解くのがまた楽しかった。

 閉店の理由は業績の悪化だという。しかし、僕が学生だった10年前と今とで、業績はそう変わってはいないように端から見ると思うのだが、それほど売れていなかったのであろうか。本屋以外の事業で失敗したといううわさもある。いずれにせよ、80年代当時、サブカルチャーに関心がある者は、本屋に行くしか情報を集めることができなかった。それが今では、ネットにアクセスした方がより多くの情報が集めることができる(と思うのは実は錯覚なのであるが)ので、本屋よりもネットの時代になったのだろう。

 今、あんたは青山ブックセンターで買っているのかと言えば、買っていません。新宿だと紀伊国屋へ行く。なんでかというと、紀伊国屋書店はネットで本が店頭にあるかどうか在庫確認ができるからだ。コレコレの本が必要だな、買わなくてはならないなという時、僕はまず紀伊国屋にその本があるかどうか、あるのならば何階のどの場所にあるのかを調べる。それはもう今の自分の歳と身の上になると、時間をかけて本を探しているよりも、さっさと本を買って、さっさと読まなくてならないからだ。青山ブックセンターでまったりと本を眺めている時間は、自分にはもうなくなってしまった。

 だからこそ、あの頃の自分の記憶とともに青山ブックセンターはあったと思う。自分は変わったけど、新宿のルミネに青山ブックセンターが今もあって、80年代を今でもやっていますという本屋さんがあるということで、それはそれで意味があったと思う。しかし、実際としての青山ブックセンターはなくなってしまった。世の中から80年代が消えていく。それでいいような、悪いような、どちらとも言えない気持ちになる。

July 14, 2004

昭和30年代の子供たちの方が荒れていた

 少年犯罪は、年々増加の一途をたどっているかのように思われている。最近の長崎のカッターナイフ殺人事件など、その少年犯罪(つか、女の子だったけど)が行き着くところまで来てしまったかのような感じであった。しかし、では、果たして本当に、今の時代は子供による凶悪犯罪が日々増加しているのであろうか。

 実際のところ、昭和20年から現在までの少年による殺人・強盗・強姦・放火の発生件数を見てみると、実は最も少年犯罪が多かったのは、現代ではなく昭和30年代である。最高に件数が多いのは昭和35年である。これ、たいへん重要なことなのでしっかりと知って欲しい。今後、テレビとかで、最近の少年犯罪は増加する一方でとか言う人がいたら、「昭和35年の方が多かった」と内心思うようにしよう。確かに平成2年以後から今日までを言うのならば、少年犯罪は増加している。それは事実だ。しかし、そのぐらいの年数で「今の子供は」と言うのは、それこそ今の子供に対してフェアではないであろう。昭和30年代の子供ときちんと比較して欲しい。

 言うまでもなく昭和30年代には、ゲームもインターネットもなかった。さらに言えば、ヘアヌード写真集もアダルトビデオもなかった。有害(と呼ばれる)コミックもなかった。それでも少年たちは犯罪に走ったことを私は声を大にして言いたい。

 昭和35年というと1960年だ。この年に少年だった世代といえば、なにをかくそう(いや、かくす必要はないけど)団塊の世代である。なんと、この世代は少年だった頃から世間を騒がしていたのだ。僕は常々思うのだが、やはりこの世代というのは、戦後の日本にとってものすごく迷惑な連中だったのではないかと思う。彼らは、そのへんをきちんと客観視することなく、今の子供は命を大切にしないとか、今のワカイモンはしんぼうが足らんとか言っているように思う。あんたらは今のワカイモンはキレやすいと言うけど、あんたらの子供の時や若い時の方がもっとキレやすかったではないか。戦後日本で、一番荒れてすさんでいたのは、今の時代の子供たちではなく、昭和30年代の子供たちだったのだ。

 もちろん、だからといって今の子供たちはなんの問題もない、平穏無事で楽しい毎日を送っていると言っているわけではない。しかし、多かれ少なかれ、少年時代なり青年時代には心の闇のようなものを抱えている。そんなもん、ひとかけらも抱えることなく少年時代を過ごしましたという人もいるだろうけど。(女性も含めて)少年や青年が心の闇を抱えることは、いつの時代も同じことだ。

 ところが、現代は、異常に肥大したマスコミがそれらを増幅して社会に流し、社会の側もまた、たいへんな事態になったと騒ぎまくる。その騒ぎが、また子供たちを刺激することになる、という悪循環になっている。マスコミの商売とは、社会不安を煽ることである。昭和30年代は、日本は高度成長の真っ盛りの時代だった。少年の犯罪件数が最多である一方で、日本人全体が豊かな明日を目指してプロジェクトXに躍進していた時代だった。子供の犯罪なんかに、かまってられっかという雰囲気だったのだろう。それでも、世の中はなんとかなった、と言えば確かになんとかなった。

 ということを頭の片隅に置いておきながら、少年犯罪のニュースに接するのがいい。

July 13, 2004

公明党と組んだから過半数ですなんていう詭弁は認めない

 参院選から一夜明けて、結果はまたもや過半数をとれなかった自民党は、またもや公明党と組むことによって「与党」になるという「またもや」のパターンであった。

 こうなると、民主党の敵(敵つーのもなんであるが)は、自民党だけではなく公明党なんだとはっきりとさせた方がいいであろう。少なくとも、公明党・創価学会はイラク戦争に同意しているということをもっと大々的に言っちゃったっていいと思う。よくわからんのは、創価学会のあの某氏はノーベル平和賞を望んでいるといううわさを聞いたことがあるが、これじゃあノーベル平和賞なんてものは永久にもらえないよなあ。

 二大政党の時代になったというが、果たしてそうなのだろうか。この公明党というわけがわからない政党がある限り、日本の政治はきれいにきっぱりと二大政党の時代にはならないと思う。今回の選挙の結果は、国民の小泉内閣への不信を表しているという。で、あるのならば、公明党が依然として自民党と席を同じにし続けるということは、国民の声に逆らうということを意味しているのではないか。そのへん、公明党はどう考えているのか。本来、野党政党であった公明党は、自民党の側にいるということには論理的な矛盾がある。なぜマスコミは、その矛盾を指摘しないのであろうか。政策的に共通するところあるから共同体制をとったというのならば、いっそのこと自民党になればいいではないか。違う政党であるということは、そもそもどういうことなのかわかってやっているのだろうか。実際のところ、公明党は創価学会の組織票があるので、国民の声にさからたってなんの不利益にならないのだろう。

 ここで、もし、仮にだ。民主党が創価学会のあの某氏に「ノーベル平和賞がもらえるよう画策してあげるから、自民党と結託するのをやめてもらいたい」とか言うことができるのならば、さぞおもしろくなるだろうなあと思うが、民主党がノーベル財団にそれほど太いコネがあるとも思えない。国際的には、日本の政党の力など無きに等しい。

 それにしても、自民党は小渕内閣の時代から、なにゆえ公明党をひっぱりこんでまでして(細かく言うと、平成6年の羽田内閣総辞職後、自民党は社会党と連立して与党であり続けた頃から)、そうまでして政権の座にしがみつきたいのであろうか。このへんに、僕自身はなんか不自然なものを感じる。なにも、共産党に政権を渡すわけではない。日本の政党というものは、(共産党は別として)みんな似たり寄ったりのものだ。平成6年の村山内閣を見てもそれはよくわかるであろう。日頃いろいろ言っていても、いざ政権を担当するとなると現実の前にわずかのことしかできないものなのだ。

 かつて昭和27年に、総選挙により社会党内閣が誕生したことがある。社会党が単独で政権を担ったのは、現在までのところ、この時が最初で最後だ。しかし、では社会党内閣になったから、なにがどうなったというわけではなく、しかも当時はまだアメリカの占領下の時代であった。結局、片山内閣は、確か1年もたたないうちに終わってしまった。社会党政権があったなんてことは、戦後史の中で「なかったこと」になっていると言ってもいい程影響はなかった。

 だから、これだけ国民の支持があるのだから、民主党が政権を担当したいというのならば、「じゃあ、やってみれば」ぐらいの感覚で政権の運営をまかせればいいではないか。民主党には、元自民党の議員も多い。大体、日本の戦後政治は元をたどると、大ざっぱに言うと、吉田茂の率いる元官僚派か、鳩山一郎の率いる党人派、つまり元官僚ではない最初から政治家の人々、そして徳田球一の率いる共産党に大別される。つまり、共産主義を別にすれば、日本の政党はみーんな同じ、といえば同じなのである。(細かく言えば違うけど)

 で、民主党がやってみて良ければいいし、ダメだったらまた考えればいいではないか。なぜ、そうした柔軟な政権運営ができないのあろうか。自民党は単独では過半数にならないのから政権から降りるべきだ。そこで公明党と組んだから過半数ですなんていう詭弁は認めないものとする。大体、何度も書くけど、そーゆー姑息な手を国民が同意していますか。自民党から民主党になることで、日本国は天地がひっくり返る程の大革命になるとでも言うのであろうか。

 もちろん、その変化は選挙を通して行われるべきものであり、今回の選挙もそうした動きはあった。でも、なんかこー、「セイケンハ、ジミントウ、デ、ナクテハナラナイ」という固定観念を僕たちはもっていないだろうか。戦後、あまりも長く自民党政権が続いたから、そうした観念を持ってしまったのではないだろうか。そして、僕たちは今だその呪縛から解放されていないのではないか。

 戦後日本には、確かに「セイケンハ、ジミントウ、デ、ナクテハナラナイ」という固定観念が存在したと僕は思う。それを植え付けたのは他でもない、アメリカである。戦後の占領政策の中で、自民党が長期安定政権を担うことは重要な課題のひとつだった。この残存というか、亡霊のようなものが、平成16年の現代になってもまだ日本には残っていると僕は思う。

 もうひとつは、自民党政権ではなくては困るという様々な利権組織なり団体なりが存在していることである。これらは、公明党における創価学会のような、自民党支持基盤である。しかし、これらは信者ではないので、自民党よりも民主党に政治力があるということになったらコロッと民主党支持に変わるであろう。では、政治力とはなにか。まず最初に挙げられるのはカネであるが、そのカネも支持票の数があっての力である。カネで票を買うこともあることを思うと、最終的には政治力とは票なのだろう。当然のことであるが、政治家は当選しなくては政治家ではない。

 だからこそ、「戦後」なんて知りません、という団塊の世代から後(団塊の世代は良くも悪くも戦後世代である)の世代で、別に自民党の支持基盤でもなんでもない、一般ピープルの浮動票の有権者が重要なのだと思う。僕だって、その一人だ。日本の政治の未来を握っているのは、もちろん自民党ではないし、民主党でもない。実は、僕たち自身なのである。

July 11, 2004

投票へ行こう

 政治のことでよくわからないことのひとつに、公明党がなにゆえ与党の様な顔をして、自民党の隣に座っているのかということがある。いや、与党の様な顔をしてというが、実際に与党なんだからそれでいいのかもしれないけど。なんか、気がついたら、いつのまにか公明党が政権の座にいた。それもどうも、国民の承諾があったとか、国民の大多数がそれに同意してそうなったようには思えない。少なくとも国民の一人である僕は、そんな覚えはまったくない。とにかく、なんか気がついたら公明党が与党になっていた。

 このへん、なんでかと思い、公明党のホームページを見てみた。どうやら「1999年(平成11年)7月7日、小渕首相(自民党総裁、いずれも当時)は公明党の神崎代表に連立参加を要請するための党首会談を呼びかけてきました。」とのことだった。

 では、なにゆえ、自民党は公明党を必要としたのか。それは、選挙による自民党の獲得議席数では、自民党単独で議会の最大議席数政党にはなれないため、公明党と組むことにより自民党は最大議席獲得数政党(のようなもの)になれるからそうしたんだと僕は思っていた。

 しかし、選挙による獲得議席とは、有権者による投票の結果であることを思うと、自民党が公明党と組む理由は、実は獲得議席ではなく、獲得票数にあると考えなくてはならないことに先日気がついた。

 つまり、1990年代の末あたりから、もう自民党は単独で政権を維持するだけの票数を得ることができなくなっていたのだ。そこで、自民党は公明党と組むことにした。なぜ、公明党なのか。公明党は、創価学会の信徒による安定した高い票数が常に確保できるからである。つまり、公明党支持者は投票率が高いからだ。

 今日は、参議院選挙の投票日である。僕は、選挙の度にいつも不思議に思うことがある。なぜ、今のIT時代の世の中でも、投票というものが、何月何日の何時何分から何時何分の間に、どこどこの場所へ本人が出向いて、投票用紙に記入するということをしなくてはならないのだろうか、ということだ。しかも、僕たちは候補者の考えについてよく知っているとは言えない状態での投票である。候補者の意見を、あんたが知らないとは言わせない、候補者の意見は街頭演説なり、講演会なりで十分に述べてきた。それをきちんと聞いてこなかったあんたが悪い、と言うかもしれないけど。フツーの会社の勤め人が、街頭演説や講演会で候補者の意見を聞くなんてことがそうカンタンにできるわけないではないか。いや、その気になればできる、お前は政治への関心が低いからそうなんだと言うかもしれないが。わざわざそうした気にならなければ、候補者の意見が聞けない、投票ができないという時点でもう今の時代に合っていない。

 このまるで明治時代から基本的には変わっていないかのような選挙のやり方、投票のやり方を、今後も10年、20年続けるつもりなのだろうか。今現在、改定しようという動きはない以上、今後もずっとこのままなんだろうなと思う。よく今のワカイモンは選挙に無関心だと言われたりするが、こうした仕組みでは無関心になってしまうのは当然のような気がするのだが。僕がムカッ腹が立つのは、もしこれが企業の商品販売だったら、こんな時代遅れの方法はとりゃしないということだ。今の時代には、販売促進なり宣伝なりマーケティングなりといった、消費者が購買行動をとるようにさせるさまざまな技術がある。

 本質的に役所は、投票率が高かかろうが、低かろうが全然関係ないので、投票率を上げよう、そのためのシステムを考えようという意思がまったくない。ならばいっそのこと、選挙と投票を民間のプロモーション会社に委託してもいいのではないかと思う。もちろん、ある特定の政党なりグループなりに有利になるような操作は契約違反である。その会社への支払いは投票率に従うものとし、ある一定以上の投票率でなくては支払いはなし、それ以上の投票率になれば支払い額も上がる、逆に違反行為がひとつでもあれば支払いなし、という契約にすれば、その会社はシンケンに投票率アップに努めるだろう。もはや今の世の中は、企業の金儲けにならなければ、もう物事はシンケンには行われないということに大きな問題を感じるのであるが、事実なのだからしかたがない。

 いずれにせよ、投票に行かない、投票率が低くなる、ということは、たとえ何があろうとも投票場に行って公明党に票を入れる宗教団体をバックに持つ政党の獲得票の比率が増し、結果的に自民党の勝利になるという構造になっている。この構造を成り立たなくさせるのは、誰もが投票に行くことだ。投票行為は民主主義の基本だとか、なんだとかいうコムズカシイ理屈よりも、なんかムカツクじゃないか、僕たちが棄権することが、自民党と公明党の有利になるなんて。もちろん、私は確固たる考えと信念を持って自民党を支持しています、公明党を支持していますという人はいる。それはそれで正しい。正しくないのは、投票率が下がれば下がる程、今の与党の有利になるという仕組みだ。こんなものは破壊すべきだ。

 だから、今日は投票へ行こう。

July 09, 2004

『プラネテス』を読むとトンカツが食べたくなる

 先日、ここで『プラネテス』はいいと書いた。あの時見たのはアニメの方だった。で、あれから数日、原作のマンガもすべて読了し、公式ガイドブックも読んで、音楽DCも「O.S.T.」の「1」も「2」も、そしてドラマCDも買った。で、そーだったのかと思ったわけである。

 これアニメ版と原作マンガがかなり違う。タナベやフィーさんのキャラがちがーう。まー、違うというのは当然なのかもしれないけど。アニメ版は、アニメ版としていい作品になっているとは思う。原作マンガはかなり奥が深い。かなりストレートに、人間のレゾンデートル(存在意義)を宇宙の中で問いかける話になっている。

 僕は、基本的に人類は、地球の環境でなくては肉体的にも精神的に生きられないと思う。だから、なにを好きこのんで月や火星や木星に行く必要があるのか。地球上には、まだまだ謎の部分があるではないかと思う。ただまあ、だからといって、人間は宇宙に行かないなんてことはしないだろうなと思う。それでも宇宙に行きたいというヤツは出てくるわけで、それはそれでアリだなと思う。

 昔、ワシントンDCの国立航空宇宙博物館へ行った時、アイマックスシアターで『Blue planet』という記録映画を見たことがある。巨大スクリーンに、スペースシャトルが撮影した地球の風景を見て不思議な感覚になった。中央アジアの地形が映った時、僕はその頃、よく外国を一人旅していて、このアメリカ旅行の前も中央アジアを旅してきたところだった。すると、僕がクソ重い荷物を背中にしょって、ヒーコラいいながら地べたをはいずりまわっていた、その地べたが、スクリーンを通して眼下に広がっているのだ。おーい、ありゃ俺がこの前歩きまわったところじゃないか。この時『Blue planet』を見ながら僕が思ったことは、俺は一体、あの地面の上で何をしていたのかということだ。と同時に、ハラをへらして、きたねえボロボロのカッコでデカイ荷物を持って、本当もう死ぬような緊張感しまくりだった、あの日々がものすごく大切でいとおしくなった。自分はいい体験をしたなと思った。しかし、その「いい体験」も、宇宙から見れば、たんなるのっぺりとした惑星の表面のほんの小さな点みたいなところで、右往左往していただけなんだ。なんとまあ、自分の生などくだらない、ささやかなもんだ。そんなことを考えていると、僕はアイマックスシアターの暗闇の中で泣いてしまった。わざわざアメリカのワシントンDCの国立航空宇宙博物館にやってきて、そのアイマックスシアターで泣いている自分を見るもうひとりの自分がいて、おいおいなにやってんだと、そのもう一人の僕が思うのだ。

 幸村誠の『プラネテス』を読んで、あの時の自分を思い出した。この作品は、衛星軌道上から見た地球の姿がすごくリアルで美しい。この美しい地球を見下ろして、なにをやっているのかというと、デブリと呼ばれるゴミ拾いをやっていることがまたいい。

 ユーリーが若いとき世界を旅してして、北米のネイティブアメリカンの老人に言われた「ここも宇宙なんだよ」という言葉にうなずけるし、ハチマキとタナベの父親と母親もいい親だ。この親ありてこの子だと思う。ハチマキの弟の九太郎君もいい。

 『プラネテス』を読むと、なんかむしょうにトンカツが食べたくなったので、どおーんとトンカツ2枚とキャベツ山盛りとしじみのお味噌汁を食べた。そーか、帰る場所かあ、とか思いながらガツガツ食べた。

July 06, 2004

自衛隊は憲法問題ではなく、対アメリカ問題である

 自衛隊の海外派兵は、憲法違反だからイカンという声がある。ここできちんと整理をしておきたいのだが、自衛隊を海外に送っている側(政府、ないしは与党の側と言ってもいい)は、別に憲法にどう書いてあるから、やるとか、やらないとか思っているわけではない。

 そもそも自衛隊というものは、警察予備隊の頃からずっと、憲法論議の対象として(実際に)扱われたことは一度たりともない。自衛隊は、常に政治的存在だった。もう少しカンタンに言うと、憲法にこう書いているから自衛隊はやっぱまずいのじゃないのとか、いや、第9条はこう解釈できるから派兵は良し、とかいった法律論議に基づいて、自衛隊の存在や海外派兵が決定されたわけではない。

 では、一体なにをもって決定されたのか。アメリカ様がそう望んでいるからである。自衛隊は、アメリカの要請によって戦後の日本に誕生し、アメリカ様の意向に従うために、自衛隊はペルシャ湾に行き、カンボジアに行き、モザンビークへ行き、ザイールへ行き、ゴラン高原へ行き、ホンジュラスへ行き、東ティモールへ行き、そして現在イラクへ行っている。

 たとえば、だ。もし、仮に憲法に「自衛隊は人道支援のために海外へ行って良し」と明確に書いてあったとしてもだ。アメリカが「行くな」と言ったら、日本政府は「現地はまだ戦争状態で非常に危険であるので、もっか自衛隊の派遣を延期する」とかなんとか行って自衛隊を送らないであろう。つまり、日本政府にとって、アメリカ様の意向が最重要課題であり、日本国憲法なんてものはどうでもいいのである。これを「アメリカ様のご機嫌を損ねてはいけない問題」と呼ぶのならば、この「アメリカ様ご機嫌問題」は、太平洋戦争で日本が負けてからずーと今日に至るまでずーと日本政府が絶えず意識してきた問題だった。(さらに言えば、戦前の日本の中国政策も含めれば80年間ぐらい、日本政府にとってアメリカは常にモンダイだった。さらにもっと言うと、幕末にペリーが浦賀にやってきた時からずーと、アメリカはモンダイだった。)

 だから、憲法がどーたら、こーたら、だから自衛隊は違憲だとか、なんとか言っているのは、全然論点がずれている。話にならない。なんども書くが、(自衛隊のことについては)憲法なんてどうでもいいのである。憲法の平和理念だとかなんとかは、どうでもいいことなのだ。「憲法なんてどうでもいい」ということが、そもそも存在していること自体が、かなり問題だなとは思うが、存在しているのだからしょうがない。この国では、こういうことがなぜかよくある。このことについて、ここで考えてみたい気もするが、それは別の機会にするとして、とにかく、そうなのだ。

 つまり、自衛隊は憲法問題なのではなく、対アメリカ問題なのである。

 では、なぜ、アメリカのいいなりになるのか。なぜ、アメリカ様の意向に従わなくてはならないのか。それは、そうした方がもっかのところ日本国の国益になるからだ。と、いうことになっている。内閣総理大臣が吉田茂の頃から、そうなっている。

 よって、自衛隊の海外派兵をめぐる議論の論点は、憲法論議ではなく、アメリカの意向に従うことが日本国にとって利益になるのか、どうか、というところから始めなくてはならない。今のところ、アメリカ様のご機嫌を損ねことは日本国の利益ならないと判断している人の方が多いので、そうなっている。だから、自衛隊の海外派兵に反対するためには、アメリカ様のご機嫌をそこねても、なおかつ国際社会で日本国の主張を通すことができるという論理なり根拠なりが必要だ。そうなって、初めて議論が生産的なものになる。戦後半世紀間の日本の対アメリカ(外交という高尚なものではなく、もはや対アメリカ依存心、対アメリカ恐怖心、対アメリカ・コンプレックスとでも言うべきもの)をどう乗り越えていくのか、戦後日本の吉田ドクトリンをどう変換するのか、ということなのだと思う。

July 05, 2004

NHKに受信料を払う価値あり

 NHK-BS2で放送していた『プラネテス』というアニメ番組がある。一部で(一部ってどこ)たいへん評判がいいので、どれどれという感じでTSUTAYAでDVDを借りて見てみた。

 これはいい。2075年の宇宙時代に、テクノーラ社という民間宇宙飛行会社で宇宙に漂うゴミである「デブリ」を回収する仕事をしている星野(通称ハチマキ)と新人タナベとその同僚たちの「職場もの」ドラマである。考証がすごくリアル。しかし、だからといって宇宙もの、SFオタクもの、モビルスーツ・フェチもの、宇宙連邦のなんとかがなんとかでクリンゴンとロミュランがどーのもの、萌えキャラもの、主人公が引きこもり系のもの、包帯と眼帯をしているもの、などなど、あらゆる、そーいったたぐいのものではなく、あくまでも「職場もの」であり、「現場もの」であるところがいい。宇宙が出てくるアニメだからといって、ガンダムとは根本的に違うので、そこんとこ間違わないよーに。

 ちなみに、「職場もの」つーと、『パトレイバー』かと思うかもしれないが、あれは「職場もの」つーよりも「学園もの」に近かったと思う。それに、あれは十分オタク向けだっつーの。『プラネテス』は、宇宙を舞台に、オタク向けではなく、バンダイ向けでもない(バンダイ絡んでいるけど)。地味と言えば、地味な人間ドラマだ。

 宇宙だろうと、どこだろうと、人が生きているのは日常性の中だと思う。日常の中で、感動したり、考えたりすること。それも、「職場もの」でそうしたことを描くのはすごくまっとうな感じがする。こうしたいいアニメ作品ができるのもNHKだからだろうか。こーゆーのを見ると、NHKに受信料を払う価値はあるな。

July 02, 2004

フセイン裁判は東京裁判になるか

 イラクの元大統領サダム・フセインを裁く特別法廷での司法手続きが始まったという。この、わざわざ裁判をやろうというところに、自分たちのやったことは法的に見ても正義だったと世界に主張したいアメリカの意思が感じられる。この裁判の争点は、もちろんサダム・フセインの悪行を裁くというものなのだろうけど。イラク戦争そのものの是非や、アメリカの攻撃により厖大な数のイラク民衆が殺されたことはどうなるのだろうか。これらは十分に裁判の論点になりうる。

 半世紀前の東京裁判では、ファーネスとブレークニというアメリカ人弁護士が、連合国の一方的な裁きがいかに間違っているかということについて法廷で優れた論議を提起した。このことは、最近の本では、牛村圭『「勝者の裁き」に向きあってー東京裁判をよみなおす』ちくま親書(2004)にくわしい。フセインは判事に向かって「すべて茶番劇だ」と言ったそうであるが、この裁判が茶番劇だということは、フセインだけではなく、60年前の極東の日本という国の東京で行われた極東国際軍事裁判の被告席にいた誰もが内心思っていたことであろう。

 再び、アメリカは戦争を裁判で裁こうとしている。それが、そもそも可能なのかどうか。少なくとも、アメリカは東京裁判についてはなにも感じていないということなのだろう。アメリカの知識人で東京裁判について、果たしてあれがまっとうな裁判だったのかどうか、きちんと論じた人を僕は見たことがないし、そうした本を読んだこともない。アメリカの歴史学会も近現代史については歯切れが悪いように思えるのだが。

 今回のフセイン裁判にアメリカ人弁護士がつくだろうか。ついた場合、どのような弁護になるのか。たいへん興味がある。

July 01, 2004

夏コミの原稿が書き終わった

 というわけで、6月末締め切りの夏コミの某「パトレイバー」原稿が完成。編集の人にメールした(返事のメールが怖い)。いやあ、どうにか間に合いました。一時はどうなるのかと思ったけど。僕は、平日の昼間はフツーの会社勤め人で、深夜や休日にものを書くという、まるで陸軍軍医森林太郎のような人(大げさな)なのだけど、この一ヶ月は、会社ではなるべく自分の仕事を増やさないよーにしてパワーをセーブし、夜は早く帰ることに心がけてきた。これで、明日から心おきなく残業しまくりができるのであった。

 ここ数日ストップしていた「深夜のNews」の書き込みも再開します。思えば、ここ数日間はずーと自衛隊のことだけを考えていた。ふと、気がつくとイラクでは主権移譲が行われ、アメリカではマイケル・ムーアの新作映画が大統領選挙を左右しかねない程の大きな影響を与え始めているという。これらのことについて、アメリカのブログにはおもしろいことがいろいろ書いてある(まだ、ざっと見ただけだけど)。あー、前に書いたコンピューサーブの再編成の手伝いも本格的にやらなきゃあかんな。

 7月になるねえ。夏だねえ。

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