スッチーの給料
JALのスッチーの給料が月70万~90万円だったということに驚く。まー、いろいろな手当込みなんだろうけど。世の中には、こうした職業もあるんだなと思う。僕もそれなりに飛行機に乗るが、アメリカへ行く時はたいていユナイテッドかデルタかノースウエストを使う。日本の航空会社の国際線には乗ったことがない。だから、JALのスッチーってどうなのかよくかわらん。
アメリカのスチュワーデスは、「やることはやる」「それ以上はやらない」というオバサンが多いが、別にこっちもそれでなんとも思わない。大体、もっと料金が安くなるのならば、スチュワーデスはなくてもいい。エコノミーに乗っているアメリカ人は、みんなそう思っているのではないか。
日本の航空会社のスチュワーデスは、容姿端麗、語学に優れ、きめ細かいサービスをしてくれるという(何度も言うが、自分は乗ったことがないので本当のところどうなのかわからん)。だから、それだけ高度な知識と技術を必要とする職業なのかもしれない。よって、これだけの高給が支払われるのだろう。日航ファンという人々もいるらしい。
それにしても、日本のスチュワーデスにある、いわゆる「高級感」みたいな感覚って、一体なんなのだろうか。つらつら思うに、これは海外旅行が金持ちの高級道楽だった時代の名残ではないかと思う。
戦後まもない頃の日本では、外国旅行をするにはものすごくカネがかかった。1ドルが350円もした頃があったという。つまり、その当時の海外旅行などというものは、金持ちのやることであり、ステイタス・シンボルであった。さらに、ここに日本人の外国への憧れのような気分もプラスされ、海外旅行イコール、まあ、なんて優雅で、お金持ちなんでしょうね、という感覚が定着したのではないだろうか。
金持ちの乗る乗り物である飛行機の添乗員はかくあらねばならない、かくあって欲しいという日本人の希望を具現化したのが日本のスチュワーデスではなかったのか。だから、まるで宝塚音楽学校みたいな教育を課し、タカラジェンヌみたいなスチュワーデスを育てたのではないか。日本人の外国への憧れの度合いと、スッチー花形職業というイメージの度合いは正比例関係にあると言えよう。国際線の旅客機のスチュワーデスに美人を置くというところに、今の北朝鮮の美人応援団と同じものを感じるのだが。さらに、バブル期の日本全土でまともな金銭感覚が麻痺したことが、さらにスチュワーデスは高級な職業というイメージを押し上げたのだろう。
しかしながら、今や、格安チケットで誰でも外国旅行ができる時代になった。日本人の外国への憧れの度合いも一昔前よりも大きく下がった。すると、正比例関係にあるスッチー花形職業というイメージも下がることになる。もはや、飛行機は金持ちの乗り物ではなくなった。かくて、スチュワーデスも添乗員としての業務を遂行することだけが求められ、それ以上、それ以下の何者でもないという社会通念になりつつある。
とまあ、いろいろ考えるが、ようは日航の給与制度のことであって、今回の訴訟とスチュワーデスの給料が庶民感覚から見てあまりにも高額すぎるんじゃないかという疑問は別のことであり、かつ、当事者からすればよけいなお世話だろう。「育児・介護と仕事の両立」というのは確かにそうだなと思うが、「JALはママさんスチュワーデスに仕事を!」というスローガンは、そういう話じゃないだろうと思う。
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