November 24, 2019

「中国化」する世界

 今日11月24日の東京新聞の【社説】「週のはじめに考える ミイラ取りの未来」は興味深いものだった。

 社説は次の文から始まる。

「三十年前、中国の経済規模はまだイタリアの半分ほどでした。それがどうでしょう。その後、飛躍的成長を遂げ、二〇一〇年には国内総生産(GDP)で日本を抜いて、今や世界第二位の経済大国。大ざっぱに、まずは安い賃金と豊富な労働力が国外からの投資を引きつけた「世界の工場」として、さらには巨額のインフラ投資と国内消費の伸びに支えられた「世界の市場」として、グローバル経済に確固たる地位を築いたのです。」

 中国はこの先どうなっていくのかということについて、あの広大な国土で、今の共産党一党独裁体制がこのまま続いていくわけはないという声が多い。非民主主義国である、言論の自由はなく、人権が無視されていることは、経済成長と共に解消されていくであろうというのが数多くの声であった。

 ところが今現在、そうはなっていない。これほど中国経済が巨大になっても、中国は依然として共産党一党独裁体制の国である。民主主義であることや、言論の自由があることや、あらゆることにおいて人権が厳守されるということについてほど遠い国である。

 それは「西側」に責任があると東京新聞の社説は書く。

「一つは「西側」に責任がありましょう。経済発展の援助をカードに、民主化を促す策を放棄した節があるのです。「金に目がくらんで」と言えば言い過ぎだとしても、「世界の工場」をせっせと利用して低コストの恩恵をむさぼり、「世界の市場」の購買力に耽溺(たんでき)するうち、人権状況などを批判する口数は減り、民主化を迫る声が小さくなっていった感は否めません。」

「西側」の政府や企業は、中国でビジネスを進めていくことや中国と提携して事業を行っていく上において、民主化や人権問題には目をつむってきた。経済のグローバリゼーションの話と正義や倫理の話は別扱いになっている。

 そして社説はこう書く。

「結果、独裁的体制と強大な経済力が併存する大国が出現したわけです。それどころか、議論や手続きに時間もコストもかかる民主的体制より、独裁的体制の方が競争力を持つ面もあらわになってきているのですから、やっかいです。」

さらに重要なことは東京新聞の社説が言うように、いわゆる自由主義諸国、アメリカやヨーロッパや日本などの国々で「市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮」が見られるようになったということである。

 社説はこう書いている。

「しかし、あらためて「西側」に目をやると奇妙なことにも思い当たるのです。
 米大統領は人種や宗教による差別的言動を繰り返し、批判は「フェイク」呼ばわりしてメディアを攻撃する。自国主義に耽(ふけ)り、経済力と軍事力を誇示して多国間の協調やルールを傷つけています。
 わが国の宰相も民主主義の基盤たる国会での議論を軽んじ、異論を敵視する傾向が明らかですし、一方で、与党政治家の街頭演説をやじっただけで警察に排除されるといったことも起きています。また、欧州で台頭するポピュリズム・極右勢力には排他主義の主張が目立ち…。
 どうでしょう。総じて「西側」の中で、市民的自由や多様性や寛容などの価値観減衰、民主主義の退潮が見て取れないでしょうか。」

 「西側」諸国は、今や国家が国民を監視し統制する社会になりつつある。ようするに「中国化」しているのである。そして、この「中国化」に対抗しているのが、実は中国の内部の香港に若者たちなのであると書く。

「「西側」は中国を変えようとして変えられなかったばかりか、中国を利用し依存し続けるうち“中国的”に変質させられ始めている-。そう見えてならないのです。脅威というならむしろ「こっち」が「あっち」の色に染まりかけている点に、より切迫した脅威を感じます。このままだと、私たちの未来は…ミイラでしょうか。
 今、最も鮮明に、言論の自由、法の支配など民主主義を守るべく必死で「中国化」に抗(あらが)っているのが、他ならぬ中国の内部、香港の若者たちであるというのは皮肉といえば皮肉です。彼らを孤立させるわけにはいきません。」

 これはまったくその通りであって、我々は今、ある側面において、中国やロシアや北朝鮮と変わらない国に向かいつつある。どのような政治形態の社会であっても、社会というものは放っておくと国家体制による統制された社会になる傾向がある。そうなっていくということは、国家権力や社会体制の必然なのである。だからこそ、国家や社会を広く客観的に見る視点が必要なのである。なぜ社会には自由や多様性や寛容が必要なのか、という基礎中の基礎の根本的な認識が著しく衰退した世の中になっている。

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September 15, 2019

ネットはこの国が劣化していくツールになった

 ネットが普及をして誰もが発信できるということが、これほど世の中を劣化させるとは思っていなかった。もともとインターネットは、全米の大学や研究所をつなぐ通信網だった。いわば科学者や技術者たちの通信技術だった。彼らがネットを使ってなにを会話しているのかと言えば、当然のことながら自分の仕事のことであり、それは学術情報であり、科学であり工学であった。いわばある決まった枠内の中で、ある水準以上のコミュニケーションが行われていたのである。

 インターネットが一般社会に公開された初期の頃は、このネット観の延長線上にあり、社会全体が高度な知的付加価値をもった情報の発信を誰もができる世の中になると思っていた。発信できるということは、価値のある発信をするということであり、それは価値の発信を創るということだったはずだ。

 しかしながら、そんな世の中にはならなかった。

 かつてアメリカでネットが本格的に普及し始めた頃、人々は本をよく読むようになったという記事を読んで、その通りだなと思ったことがある。ネットで発言をするには、それなりのしっかりとした知識の裏付けがなくてはならないからである。しかし、この時代はアメリカでもネットをやる人はまだ良質な人々だった。その後、ネットが当然のインフラになり、誰もがものを言うことができるようになると、フェイクや差別や憎悪が蔓延するネットになってしまった。今の時代は、誰もがニュースについて述べるようになった。誰もが情報を発信できるということが、世の中の言論を低下させることになっていった。劣化というか、これまでそうであったものが表面化し、流通するようになったのである。

 例えば、嫌韓についてである。大多数の人々が明治以後の日本と朝鮮の歴史を正しくきちんと学べば、嫌韓や反韓が主流になっている世論になるわけはない。ネットには近現代史の言及が多いが、それらは低レベルでバイアスがかかったものが多く、正しい歴史の理解や解釈に基づいたものではない場合が多い。

 ネット社会で必要なことは、「学ぶ」という個人の資質であり、教育体制の充実なのである。本来、ネット社会になるということと、教育体制の拡張は不可分の関係にあり、小学校から大学の教育もさることながら、学校を卒業した後も生涯にわたって学び続けるリカレントな教育環境をつくることが必要なのである。それがないと社会は、どんどん劣化していく。

 悪貨は良貨を駆逐するという言葉があるように、ネットの世界でも低レベルの発言が正しい発言を駆逐する。ネットは今や、この国が劣化していくツールになってしまった。

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August 12, 2019

れいわ新選組を応援したい

 今回の参院選は、戦後二番目の低投票率だったという。毎回の選挙の度に、結果が夜から翌日にかけて暗澹たる気持ちになるものであり、今回もまたそうだった。

 投票は選挙区、比例区、ともにれいわ新選組に投票をした。なぜ山本太郎を応援するのかと言えば、山本太郎が言っていることは「正しい」からである。今のこの国の政治において、山本太郎は最後の希望だと思う。

 枝野さんが立憲民主党を立ち上げた時、大いに期待をしたが、結局、立憲民主党は以前の民主党と同じような姿になっている。共産党は言っていることは「正しい」のであるが、無党派層は共産党には投票しない。共産党の強さは支持組織があるということと、共産党の言っていることが「正しい」ことがわかっている人が共産党に投票するということだ。政治をよくしらない人々、支持政党はないフツーの人々、政治に関心がない人々は共産党には投票しないであろう。共産党は、大規模な大衆支持を得るのは難しい。

 その一方で、れいわ新選組は無党派層を相手にしている。れいわ新選組の重要さのひとつはここにある。この国の大多数の人々は支持政党などはない、普段は政治に無関心な人々である。この人々に関心を持たせ、選挙で投票をするようにすることから始めなくてはならない。どれほど正しいことを言っても、無党派層の心に届かなくては投票にならない。投票にならなくては政治は変わらない。そのためにはどうしてもアジテーターが必要であり、ポピュリズムに踏み込まざる得ない。山本太郎はそれができる唯一の人だ。

 山本太郎を批判する人々の中に、山本太郎はポピュリズムであり、きちんとした論理基盤のある政策がないという声がある。しかしながら、もはやそういうことを言っている状況でないと思う。ポピュリズムであろうとなかろうと、右派のポピュリズムの上に成り立っている政権の国の未来の展望もなにもない状況を左派的なポピュリズムでひっぱたいて変える必要がある。

 上に山本太郎が言っていることは「正しい」と書いたが、必ずしもまったく正しいというわけではない。山本太郎は過激でラディカルなことを言っているのであり、そうしたことを言うことで考え直す機会が生まれる。

 消費税そのものを廃止することはさすがに暴論だとは思う。問題であるのは消費税があることではなく、その使い道が不透明で、当初言われていた全額が社会保障費に使われるという使い方になっていないということだ。そもそも、消費税を廃止するとどうなるのか、なにがどう困るのか。消費税を必要とするのならば、割合はどれだけが良いのか。使い方を監視するにはなにをどうすれば良いのか。そうした根本的なことが踏まえられておらず、ただズルズルと消費税制度があり、一方的に割合が高められているのが現状だ。ここで一度、ゼロから考えなおす必要がある。

 それでも消費税をなくして国家予算が足りなくなるのならば、これまでもそうしてきたように国債を発行すれば良いと山本太郎は言っているが、これは果たしてそれで良いのかどうか考える必要はある。いわゆる現代貨幣理論(MMT)には、数多くの問題点があり、とてもではないがこれが通るとは思えない。また、MMT論の論じる財政と日本の財政は同じではない。

 むしろ必要なのは、新産業の育成と雇用の創出だ。充実した教育と知識産業の創造である。このへんについては、山本太郎はあまり触れておらず、いわば緊急の措置としての富の再分配が強調されているが、その先のそもそもの富の創出については述べられていない。れいわ新選組は、これからこの分野の政策を深めていく必要がある。

 住宅を安くするということは、昔から大前研一さんが言ってきたことである。住宅を安くし、可処分所得を増やして消費を上げることが必要だ。奨学金の返済をチャラにするということも必要だ。教育の設備や質を高めるには時間がかかる。今すぐできることは奨学金を返済不要にして、若い世代の奨学金返済の負担をなくすことである。災害へ対策は中国・北朝鮮の脅威がどうこうということ以上に必要なことであり、今や国の安全保障とは軍事よりも災害対策の方が重要な課題になっている。

 山本太郎は、今回の選挙では自分の政党を立ち上げて強烈なインパクトを残した。2つの議席の獲得は、れいわ新選組は公職選挙法上での政党となった。山本太郎は自分の議席は失ったが、政党の代表として野党の党首会談や、幹事長会談、国対委員長会談、政調会長会談などに出て発言をすることができるようになった。つまり、これからテレビで、他党の党首・代表の前で、れいわ新選組の代表として発言が流れるということである。これまで街頭演説で語られてきたことが、テレビの視聴者へ流れる。これがこの先どのようになっていくだろうか。れいわ新選組を応援したい。

 

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