May 29, 2012

「未解決事件 オウム真理教 17年目の真実」

 NHKオンデマンドで「未解決事件 オウム真理教 17年目の真実」を見た。

 あの事件はなんであったのかというより、この番組をもってあの事件を問うということにものすごい違和感を感じた。この番組はオウムを宗教テロ団体としてしか扱わない。なぜならば、この番組は当然のことながら、未解決犯罪事件としての地下鉄サリン事件の番組だからだ。

 その一方で、例えばオウム真理教の信者を扱ったドキュメンタリー映画の『A』『A2』には犯罪性は出てこない。なぜならば、オウム真理教団は犯罪とはまったく関係ない信者たちの集まりでもあったからだ。

 この「犯罪とはまったく関係ない信者たち」の一部が一連の犯罪行為を犯したのは、番組では教祖の性格や思考にその原因があった、信者はそうした教祖にだまされていた、でオワリというのはあまりにも短絡ではないかと思う。

 地下鉄サリン事件は、宗教による無差別テロ事件だった。NHKの番組は、未解決事件として、なぜこんな事件が起きたのかを問うが、古来、人間は宗教の名のもとで膨大な数の殺戮を行ってきた。今でも世界の各地で行われている。そのことはなぜ問わないのかと思う。

 宗教テロ組織として、アルカーイダ、ハマス、東トルキスタンイスラム運動、等々、数多くある。なぜ宗教団体がテロを行うのか。あるいは、宗教と精神病理の違いはなんなのか、精神医学から見てオウム真理教はどうだったのか。このように、いくつかの観点が挙げられると思うのだが、この番組ではそうしたことまで範囲を広げることはなかった。

 仮にこの番組が言うように、教祖の心理にその原因があったのならば、ではなぜこの者がそうした心性を持つに至ったのか。この教団がこうした反社会的犯罪を犯したのは事実だとして、では社会の側はこの教団に対してどうであったのか、ということはこの番組は問わない。チベット仏教の観点から、この教団の教義の何がどう間違っているのか、ということをこの番組は問わない。

 何度も言うが、なぜならば、この番組は、未解決犯罪事件としての地下鉄サリン事件の番組だからだ。それ以上、それ以下でもない。第三部の「オウムVS警察 知られざる攻防」の方が見応えがあった。

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May 18, 2012

『製造業が日本を滅ぼす』を読む

 野口先生の『経済危機のルーツ』に続き、『製造業が日本を滅ぼす』(ダイヤモンド社)を読んだ。

 野口先生の本は、なんかどうも自分の感覚にしっくりこない違和感があってこれまで読むことがなかった。野口先生は超整理法で有名な先生である。超整理法については、どんなものか読んでみたが、なにがどうすごいのかさっぱりわからなかった。野口先生のやり方は、自分には合わないのだろう。

 というわけで、これまで読むことがなかった野口先生の本であるが、『経済危機のルーツ』と『製造業が日本を滅ぼす』の2冊は、その自分が馴染まない野口先生の本の中で、この2冊については、初めて自分から読んでみようかなと思い、そして初めて読み通した2冊の本であった(全然、自慢にはならないんだけど)。

 なぜ、この2冊の本を選んだのか。この2冊の本は関連しているからだ。『経済危機のルーツ』は、1970年代以後の世界の政治と経済を歴史的なスパンで捉えて、なぜこのような「現代」になったのかを論じている。現在の変化の背後には歴史がある。「これまで」を理解しなくては「現在」がわからず、また「これから」もわからない。だからこそ、マクロなタイムスパンで見る必要がある。

 では、そうだとして第二次世界大戦以後の経済の変遷を俯瞰しようとして、どんな本を読めばいいのか。かなりの数の本がある。どれにすればいいのか。ここでコレだ!と決めたのが野口先生の『経済危機のルーツ』であった。そして、なるほどそうか、そうだったのかとクリアにわかった。その理解を踏まえて「現在」について、さらにもう一歩踏み込んだのが『製造業が日本を滅ぼす』である。

 製造業が日本を滅ぼす、などと言うと、製造業関係の方々はムカッぱらが立つだろう。しかし、これは別に製造業そのものが国を滅ぼすと言っているわけではなくて、これまでの日本の製造業のあり方や製造業についての国の政策の間違いが、国を滅ぼすと野口先生は言っているのである。

 これまでの製造業は、日本国内に会社があり、そこで設計・デザインを作成し、その設計・デザインに基づいて、国内にある工場で生産を行い、そして完成した製品を外国へ売る、というスタイルである。

 もちろん、大手メーカーの工場だけでは製造できない部品は数多くある。そうした部品の製造はそのメーカーの下請け企業にまわされ、その下請け企業が自社ではできない場合はさらに孫請け企業へと回される。そうした系列、つまり垂直統合の強さ、細やかさが日本の製造業のメリットだった。

 このメリットによって、戦後日本は工業大国アメリカを追い抜き、経済大国へと躍進したのである。1970年代から1980年代にかけて、日本型経営万々歳の時代になり、世界の国々は日本企業の強さに注目していた。

 ところが、ここに中国・韓国という競争相手が出現する。大ざっぱに言うと、日本に遅れた世界の製造業は、全世界を覆う情報通信網とIT技術の発達の波に乗り、大きく変革していった。

 ここで1990年代に誕生した製造業の新しいスタイルが「EMS」(Electronics Manufacturing Service)である。EMSには、設計は発注元が行って、生産のみを委託する「OEM」や設計も含めて委託する「ODM」などがある。日本では系列会社がやっていたことを、外国では「系列」という枠で固定することなく、広く世界に相手を求め、また受注側もそれに特化したメーカーが現れたというわけである。

 生産機械の進歩により、熟練した人の技術がなくても、機械による製造が可能になった現在、必要なのは、受注品ができる生産機械があるかどうかであり、あとは価格の話になる。であるのならば、生産機械があって、安い人件費の中国が有利に立ちことは言うまでもない。日本のメーカーには系列がある。これまで系列があることが、日本のメーカーのメリットであったが、このメリットが逆に足枷になった。

 メーカーの系列とは、イコール、ニッポンの雇用でもあった。系列を捨てて、中国のメーカ-と提携することは、ニッポンの雇用が失われることであった。しかし、そういうわけにもいかない。なに、日本人の技術力は優秀だ。技術力で勝負だ。なんだかんだ言っても、モノ作りが大切だ、モノ作りの精神を失ってはいけない。

 で、あっという間に20年たってしまったのが、「失われた20年」だった。そして、中国に抜かれ、韓国に抜かれていったのが、この20年だった。アメリカもイギリスも繁栄の成長に返り咲いたのに対して、世界の中で日本だけが没落している、そうした世の中になった。

 いささか時期は遅かったが、今こそ日本の製造業は、EMS企業へと転換する時ではないだろうか。しかし、日本の製造業がEMS企業へと転換するのは、かなり根本的な転換になる。いわば、商社みたいなメーカーになるのである。そうしたことができるであろうかという程の転換になるが、この転換できなくては、日本の製造業に未来はないだろう。日本の製造業がこのままの姿であり続けるのならば、EMSでできるカメラとかガソリンとかハイブリットの車とか、テレビとか、家電とか、コピー機などのモノを作っている企業が残る可能性はほとんどない。

 製造業が、日本人の雇用を支えているという考え方をもうやめよう。これからは製造業が、国内雇用を吸収するという思考を捨てて、「製造業」と「日本」はすっぱりと別れるべきだ。これからの製造業はグローバルにEMSを行っていく。中国・台湾、韓国、シンガポール、タイ、ミャンマー、ベトナム、インド、等々と関わっていくのである。

 では、ニッポンの雇用はどうなるのか。当然、これが問題になる。

 やせても枯れても日本である。少子化とは言え、この日本列島の上から、ある日突然に人々がぱっといなくなるわけではない。ここに一億二千万の人々が住んでいる、暮らしている。日本という国がある。製造業がグローバル化し縮小して、金融や情報サービスや医療・介護などの分野でこれまで以上に労働力が必要になる。製造業での雇用は十分吸収されて、それでもまた足りないという世の中になる。

 さらに、対中国輸出だけでは、日本経済を支えることはできない。中国頼みの日本経済では未来はない。アメリカやイギリスなど先進国でも十分通用するサービスを日本から生み出していかなくてはならない。

 やらなくてはならない仕事は、山のようにある。中国とは違う意味で、本当は、この国には雇用がうなるほどあるはずなのだ。国の産業構造を変えなくてはならないというこの時期に、若者の雇用が少ないとかになるはずがない。本来、今のこの国は脱工業化していて、金融や情報サービスや文化、映像・音楽コンテンツ制作や医療・介護などで、仕事はちょっとたいへんだけど収入はいい、という仕事がじゃんじゃんある、となっていないのはおかしい。それが今そうなっていないのは国の政策が間違っているからだ。

 しかしながら、「間違っているからだ」でこの国の政策が変わるわけもない。実際のところ、今期の歴史的赤字を受けて各メーカーは国内でのテレビ製造をやめて、工場の海外移転やEMSを進めている。その一方で産業構造の転換は、さっぱり進んでいない。従って、雇用問題がさらに悪化することが今後予測される。

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May 17, 2012

「韓国が日本より優れている」しかし「日本と韓国は底辺が違う」

 韓国の「中央日報」でのインタビューで大前研一さんが今の韓国経済について論じている。

 大前さんは、こう語る。

「海外留学をして外国語に堪能な若者を見ると、韓国が日本より優れている。 韓国の若者に深い感銘を受けている。」

 しかしながら、その一方で韓国は、まだまだ日本に及ばない点が数多くあると述べている。

「--ソニーやパナソニックなど日本の看板大企業の退潮が目立つ。 サムスン電子、現代自動車など好調な韓国大企業と対照的だ。」

という「中央日報」の記者の質問に対して、大前さんはこう述べる。

「日本と韓国は底辺が違う。 日本にはサムスン電子、現代自動車のようなグローバル大企業が100社以上ある。 サムスン電子がソニー・パナソニックに勝ってグローバルITトップ企業になったことを国対国のレベルで見るべきではない。 企業世界の自然な世代交代だ。 ソニーもかつて米国企業に勝って頂上を極めた。 同じように今の韓国企業の相当数はチャイワン(中国+台湾)企業の猛追撃を受けている。 日本企業は最近、日本国内よりも海外に拠点を置いて収益を出している。 過去には、韓国の大企業が日本の部品を大量に購入し、日本との貿易不均衡が大きいという指摘があった。 最近、韓国の対日貿易赤字が減ったようだが、実際にはそうではない。 多くの日本企業が韓国に工場を設立し、以前よりもはるかに速かに韓国の大企業に部品を供給しているということを知らなければならない」

 つまり、「韓国が日本より優れている」しかし「日本と韓国は底辺が違う」。だから、韓国はもっと頑張っていかなくてはならないのだと述べている。

 このへんが、大前さんのさすがなことだ。どこの国の側(だけ)にも立っていない。

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May 13, 2012

野口悠紀雄著『経済危機のルーツ モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか』を読む

 野口悠紀雄著『経済危機のルーツ』(東洋経済新報社)を読んだ。

 パナソニックとソニー、シャープの電機大手3社の2012年3月期決算では過去最大の最終赤字を記録。赤字額は計1兆6000億円と空前の規模に膨らんだという。この赤字は、今回のだけというより、このままでいれば今後も増え続けるだろう。

 なぜこうなったのか。韓国や台湾・中国のメーカーが日本製品よりも低価格の製品を提供できるようになったからだ。これまでの日本の製造業は、終焉したと言えるだろう。

 ではどうするのか。

 ではどうするのか、を考えると共に、なぜこうなったのか、ということを考える必要がある。今の時代が「こうなっている」というのは、当然のことながら、ある日ある時突然こうなったわけではなく、長い年月のある過程を経てこうなった。

 今の日本経済が没落しているというのならば、過去、繁栄していたことがあるということだ。では、なぜ「その時」は繁栄ができたのか。その繁栄の条件が、その後変わったために、繁栄ができなくなったのではないか。その繁栄の条件とはどういうものであり、それはどのように変わったのか。そして、これからどうなるのか。

 第二次世界大戦以後の世界経済は、国内産業は無傷であり、高い工業力を持つアメリカと、戦勝国側とは言え戦争により荒廃したヨーロッパと、敗戦国の日本とドイツ、そして内戦状態に突入した中国、朝鮮があった。20世紀後半、日本は経済発展がめざましく世界第二経済大国になった。それが21世紀の今日、中国が世界第二位の経済大国となり、韓国のメーカーは日本を追い抜いた。日本経済は奈落の底に沈んでいこうとしている。

 これは一体、いかなることがあったのか。

 という大きな枠で見なくては、今の中国や韓国やアメリカやヨーロッパや、そして日本を考えることはできない。

 というわけで、野口先生の『経済危機のルーツ』である。

 第二次世界大戦以後の世界経済をどう捉えるか。著者は今日いたる変化の始まりは1970年代にあったという。なぜか。この時代に、ブレトンウッズ体制が変動相場制へと移った。そして、コンピュータ技術の変化が始まった。つまり、金融とITで変化が始まったということだ。

 よく言われる「ヒト、モノ、カネ、情報」で言うのならば、「カネ」の姿がこの時代に大きく変わった。この時にできた世界金融の姿が今でも続いていると言っていい。特に、金融について言えば、この変化を受けて、イギリスは新しい金融立国として確立している。

 続く1980年代は、サッチャーとレーガンによる経済体制の改革が行われ、新しい経済思想が生まれた。ソ連では、ゴルバチョフが登場し、その改革が、ソ連の崩壊へと進む。中国では鄧小平の開放政策が始まる。この時以後、中国は世界の工場へと大きく舵を切る。思えば、この舵の先に、今日の世界第2位の経済大国中国があり、2012年3月期のパナソニックとソニーとシャープの巨額の赤字があるとも言えるだろう。

 1990年代は、情報通信の技術が本格的に産業に関わり始めた時代だった。「ヒト、モノ、カネ、情報」で言えば、「情報」に大きな変革があった。金融での変革にも、このIT技術の革新は大きく関わっていることを見れば、情報通信技術の進歩こそ20世紀後半の人類史の変革の要であったとも言えるだろう。

 2000年代、日本では、アメリカでのサブプライムローンの破綻、リーマンショックは金融工学の失敗のように思われているが、金融工学の失敗というよりも、この新しい金融工学を運用できなかったマネジメントの失敗だった。

 大ざっぱに言えば、中国が世界の工場として世界経済にどれだけ台頭しようとも、あるいは、韓国メーカーが世界市場で自動車や家電をどれだけ販売しようとも、1970年以後、様々な変革を経て脱工業化をし金融が中心になっているアメリカやイギリスは影響を受けない。それに対して、「ものづくりが大切なのだ」とか言って、1970年以後も変わることなくずーと製造業が中心のままになっている日本は、モロにダメージを受けているというわけだ。

 ではなぜ、1970年以後、日本は、小手先的な改革は細々とやってきたが、根本的な改革をすることなく、21世紀の今日に至り、中国と韓国に追い抜かれ、日本の製造業は終焉を迎えることになったのか。

 この時期、イギリス、アメリカが行ったことの概要を著者の言葉も交えて挙げてみると、

第一に、中国が世界の工場になるのならば、製造業依存の産業から脱却しなくてはならない。価格競争ではかなわない。それよりも、中国の安い製品を利用し、付加価値の高い産業に特化する必要がある。
第二に、金融産業は大きな雇用吸収力がある。「金融では数多く雇用が生まれない。やはり製造業でなくてはならない」と言われているが、そんなことはない。金融産業が中心と言っても、みんな銀行や保険会社勤めになるわけではない。専門知識はない者でも十分に働ける雇用の場はたくさんある。
第三に、新しい金融産業はITやファイナンス理論と深く関わっている。
第四に、経済はグローバル化している。

ということだ。

 そして、この国の現状を見れば

第一については、依然として製造業依存の産業のままである。
第二については、「金融では数多く雇用が生まれない。やはり製造業でなくてはならない」とか言って、金融産業が大きくならない。
第三については、ITやファイナンス理論は学校では教えない。社会人になって勉強ができる場がない。これについて、著者はこう書いている「社会人の勉強を支援する制度がほとんどない。税制上の措置もないし、奨学金も十分ではない。企業もMBAを評価しない。エコカーの購入支援や高速道路の無料化が行われる半面で、将来のための人材教育がまったく議論されないのは、驚くべきことだ。」。
第四については、資本やヒトのグローバル化がしていない。

 さらに、アメリカやイギリスは大学や研究機関の質が高い。これに対して、日本はどうであるかは言わずもがであろう。

 この本のサブタイトルは「モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」とあるが、これは正しくない。この本で述べられていることは、日本の家電や自動車は、グーグルとウォール街に負けたわけではなく、フォックスコンやサムスン電子や現代自動車に負けたのである。グーグルとウォール街があるアメリカは、もはや同じ次元で勝負をしていない。中国や韓国がどうであろうと負けることはない。むしろ、日本はグーグルとウォール街がないから中国・韓国に負けるのだ、ということだろう。

 この本の最後で著者は「韓国に学べ」と述べている。

「日本と韓国の間で、なぜこのような差が生じてしまうのだろうか?基本的な差は、「外国に学ぶ」という謙虚さを、日本人は失ったが、韓国人は持ち続けていることだと思う。
謙虚さを取戻し、優れたものに学ぶ勇気をもう一度持つこと。今の日本で最も求められるのは、このことだ。」

 私もそう思う。韓国のなりふり構わず学んでいく姿に、日本は学ばなくてはならない。

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May 10, 2012

『平清盛』は見たい人が見るで良し

 いやあ、いいです。大河ドラマ『平清盛』。視聴率が低いとかどうとか、もうどうでもいいです。見たい人が見る。それでいいと思います。

 法皇と上皇の争いの狭間に置かれることになった清盛が、「法皇様と上皇様に仲良くしていただく!!」と大声で言い切ったシーンは、いやまあ、いいですね、このキャラクターは(笑)。

 近衛天皇が病気になり崩御、次の天皇に後白河天皇が即位するまでのことを、先日の「第18回 誕生、後白河帝」は見事な展開でさっと進ませた。こんな話でいいのかと思ったりもするけど、日本史の授業ではなくドラマなのだから、細かいことをゆっくりやっていては1年間で終わらない。

 このドラマ、いろいろ言われていますが、歴史へのきっかけになると思います。「この時代は、こんなことがあったのか」と興味を持って、あとは自分で本を読んだりすればいい。そして、『平清盛』を見ながら、これは史実ではないとか、ここはこうだったのかとか思い巡らせばいいと思う。

 その意味で、今回の大河ドラマは実にいい。なんかこー、自分で探求できる、思い巡らせることがラクにできる雰囲気がある。

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