November 20, 2021

いわゆる「科学技術立国の実現」について

11月19日の日経新聞の記事によると、

「政府は19日午後の臨時閣議で経済対策を決定した。地方負担分や財政投融資を加えた財政支出は55.7兆円で、過去最大だった2020年4月の経済対策(48.4兆円)を上回る。新型コロナウイルス対策費のほか、家計や企業向けの給付金が膨らんだ。民間資金を含めた事業規模は78.9兆円程度で、経済対策としては過去2番目となる。」

という。

この経済政策の内容については、内閣府のホームページに「コロナ克服・新時代開拓のための経済対策(令和3年11月19日)」として発表されている。しかし、これを一読しても、「コロナ克服・新時代開拓のため」になると思えるものもあれば、到底なるとは思えないものもある。全体的に見ると、絵に描いた餅のようにとても実現するとは思えないことや、これが実現することがなんの意味があるのかわからないことばかりである。この政策資料は、この先数年で忘れ去られる文書になるだろう。

例えば、このPDF資料の「Ⅲ.未来社会を切り拓く「新しい資本主義」の起動」の「科学技術立国の実現」について考えてみたい。

科学技術立国の実現を謳うのならば、理学と工学をまずきちんと拡充すべきだ。科学技術は理学と工学の上に成り立つものであり、科学技術それだけで成り立つものではない。さらに言えば、現代の理学研究は技術なくして行うことはできないが、理学の目的は自然の解明であり、技術に応用できるかどうかは二の次の話である。しかしながら、そうした純然たる知的好奇心で行っていることから、ブレークスルー的な新しい技術革新が生まれることがある。重要なことは技術革新そのものを求めても、できるものではなく、基礎的な研究を続けていくことからしか技術革新は生まれないということだ。「モノになる」研究の背後には、膨大な「モノにならない」研究がある。「モノになる」研究を得るには、「モノにならない」膨大な研究も含めて抱え込む必要がある。そうした大きな枠組みで捉えるべきだ。

「世界最高水準の研究大学を形成するため、10 兆円規模の大学ファンドを本年度内に実現する。」というのも、よくわからない。なぜ、10 兆円規模の大学ファンドがあれば、世界最高水準の研究大学を形成できるのであろうか。世界最高水準の研究大学云々という前に、まともな大学教育を行っていくことが必要なのでないだろうか。

「本ファンドの支援に当たっては、参画大学における自己収入の確実な増加とファンドへの資金拠出を慫慂(しょうよう)する仕組みとし、世界トップ大学並みの事業成長を図る。将来的には、政府出資などの資金から移行を図り、参画大学が自らの資金で大学固有基金の運用を行うことを目指す。」

というのも意味不明だ。こうした大学をベンチャー企業かなにかと同じに見る見方そのものが誤りの根本である。そもそも、大学は企業ではないという当たり前のことが、なぜなくなってしまったのであろうか。もともと大学というところは事業とはほど遠いところである。大学の人間は企業の現場を知らず、大学ファンドなるものは、ただのカネのバラマキにすぎない。政府の経済政策は、すぐカネのバラマキになる。役人は経済の現場を知らないから、考えることは投資主導になるのである。昔の高度成長期の時代であれば、それでよかったかもしないが、今の時代ではただのバラマキである。むしろ10兆円の予算はファンドではなく、教育体制の充実に投資すべきだ。人的資産への投資は、将来の成長にとって必要なことである。


October 31, 2021

福島原発事故から10年がたった

今年は福島原発事故から10年の年になる。10年目ということで、あの出来事についてその後わかったことが書かれた本が数多く出版された。そのうちの何冊かを読んだ。

『福島第一原発事故の「真実」』NHKメルトダウン取材班 講談社
『東電原発事故 10年で明らかになったこと』添田孝史 平凡社新書
『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』上下 船橋 洋一 文藝春秋

この10年の間、自分もそれなりに福島原発事故について関心を持ち続けていた。福島原発事故について、わからないことがふたつある。ひとつ目は、あの事故はなぜ起きたのかということ。ふたつ目は、あの事故はどのようにひとまず終わったのかということだ。

あの事故はなぜ起きたのか。事故直後は、あれだけの大きな規模の津波は想定外だったという声が多かった。そして、想定外のことについても対処すべきだったのかどうかが問われた。さらに話は大きくなり、もはや原子力というものそのものが人間には管理することができるのかどうか。社会は、巨大化した科学技術とどう向きか合うべきなのかということまで論じられていた。自分もまた、その大枠の中にいたように思う。

ところが、原子力が云々とか科学技術がドウコウという高尚な話ではまったくなく、保安院と東電がやるべきことをやらなかっただけの話だったのだ。添田さんの『東電原発事故 10年で明らかになったこと』を読むと、事故後、強制起訴された東電の元幹部の裁判の中で、東北地方の地震・津波の調査から原発へのさらなる津波対策の必要性が何度も挙がっていたのだ。なんと、そうだったのかと思い、続いて添田さんの『東電原発裁判』(岩波新書)を買ってきて読んだ。『東電原発裁判』と『東電原発事故 10年で明らかになったこと』を読むと、東電はいかに福島原発の安全対策を行ってこなかったかがよくわかる。

添田さんはこう書いている。

「2002年に国が津波計算を要請していたのに、東電は嘘の理由を挙げて40分も抵抗し拒否した。2007年、福島第一は国内で最も津波に余裕のない脆弱な原発だとわかっていた。2008年に東電の技術者は津波対策が必要という見解で一致していたのに、経営者が先送りを決めた。東電が着手しなかった津波への対策を、日本原子力発電(東海第二原発)の経営者はすぐに始めた。同じ年、東北電力がまとめた女川原発の最新津波想定を、東電は自社に都合が悪いからと圧力をかけて書き換えさせた。
それらのことが法廷で明らかになったのは2018年以降だった。」
(添田孝史『東電原発事故 10年で明らかになったこと』)

もちろん、東電の不作為だけではない。国の管理機関もやるべきことをしてこなかった。これらの本を読むと、あの出来事は、国と東電に一切の責任があることがわかる。福島原発事故は想定外とか、巨大テクノロジーは人類の範囲を超えるとか、なんだとか、かんだとかはまったくなく、福島原発事故は国と東電がやるべきことをやってこなかった「だけ」の話だったのだ。もう一度書くが「だけ」の話だったのだ。もし想定外と言うのならば、全交流電源損失という事態は確かに想定外であっただろう。国と東電がやるべきことをやっていれば、その全交流電源損失という事態になることはなかったのである。

今のNHKは政府に迎合しているメディアの筆頭とでも言うべきものになっているが、東電原発事故についての報道はNHKの最後の良心とでも言うべき優れた報道を行っている。そのNHKの取材班の『福島第一原発事故の「真実」』を読むと、これまで不明だったことの数多くが、この10年間で次々とい判明してきたことがわかる。特に衝撃的だったことは、 吉田所長が決死の覚悟で行った1号機の注水は、ほとんど原子炉の内部に入っていなかったということだ。1号機は注水されることなく炉心はメルトダウンをし、建屋は水素爆発で吹き飛んだ。

福島原発事故の最大の危機は、2号機の格納容器の圧力を下げることができなかったことと、4号機のプールの水がなくなることであった。4号機の燃料プールの水が沸騰してなくなれば、プールに置いてある使用済み核燃料が大気に露出し放射性物質が放出されていた。最終的に、2号機の格納容器の圧力はなぜか下がり、4号機の燃料プールの水がなくならなかったのだ。これはどういうことであったのか。

2号機は消防車の燃料切れで一時注水ができなくなった。注水ができなくなったことにより、原子炉の温度が上昇することで格納容器が破損し、東日本が壊滅することが吉田所長の脳裏に浮かんだわけであるが、そうならなかった。

10年後の今わかったことは、以下の通りである。2号機は水が入らなかったことでメルトダウンを促進する化学反応が鈍くなったこと、格納容器の上部の継ぎ目や配線の結合部分が高熱で溶解し隙間ができて放射性物質が漏れ出たこと、さらに電源喪失から3日間に渡って冷却装置が動いていたことにより、格納容器の崩壊を避けることができたのだ。たまたま、これらの偶然が重なっただけのことだった。

3号機については、定期検査のため燃料プールの隣のプールも水が満たされており、この水が燃料プールへ流れたからである。たまたま水があったのである。

あの日も、その後の10年間も、そして今も、私は東京都民でいられるのは、これらの「たまたま」があったからなのだ。「たまたま」東日本は壊滅を免れたのだ。10年たった今、福島原発事故について知れば知るほど、これはものすごく大きな危機であったことをつくづく思わされる。このものすごく大きな危機は「たまたま」回避できたのだ。

福島原発事故は、国と東電がやるべきことをやらなかったため起きた。そして、「たまたま」最悪の結果にならなかった。この事実を、何度も何度も考えていきたい。

September 16, 2021

20年後の911

今年の9月11日は、アメリカで起きた同時多発テロ事件から20年目になる。

池澤夏樹は『新世紀へようこそ』というメールマガジンをまとめた同名の本の「まえがき」の中でこう書いている。

「われわれは2001年の9月11日から真の21世紀に入りました。結局のところ人間はこういう形でしか新世紀に入ることができなかった。」

20年後の9月は、その後に起きた数多くの出来事が進行している。2001年9月11日の出来事は「20年前のひとつ出来事」でしかないかのように埋もれてしまっている。あの時から、その後、あまりも多くのことが変わってしまった。

テロリストたちは4機の旅客機をハイジャックし、2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、1機はペンタゴンに同様に突入した。そして、最後の1機はホワイトハウスか連邦議会の議事堂への突入を試みたが乗客の抵抗により途中で墜落した。

これらの出来事はなぜ起きたのか。なぜ彼らは、それほどアメリカを憎んだのか、と考えるのが普通ではないのだろうか。だが、アメリカが行ったのは、テロを起こしたアルカイダを匿っているというアフガニスタンへの報復攻撃だった。この事件が起きた直後、アメリカ国内はテロと戦う団結の一色になった。リベラル系のメディアでさえも、アフガニスタンへの報復攻撃を支持した。テロと戦争は違うものである。その常識が省みられることはなかった。ハイジャック犯の19人を除くと、この日のテロ事件で2977人が亡くなったという。さらにテロ現場での負傷者や救助活動を行った消防士や警察官などが、その後、様々な呼吸器系疾患やがんを発症し、死亡した者も数多いという。もちろん、この惨劇で家族や近親、友人を亡くした人々の深い悲しみはある。しかし、だからすぐに武力で報復をするのは違う話である。このテロがなぜ起きたのか、このテロをなぜ防ぐことができなかったのか。アフガニスタンに巡航ミサイルでの攻撃やクラスター爆弾を落とす前に、それらの問いに答えるべきだったのだ。

しかしながら、池澤夏樹が書いたように「結局のところ人間はこういう形でしか新世紀に入ることができなかった」。この日からアメリカはテロ戦争の泥沼に入っていった。そして20年後の今、アメリカはヘイトクライムが頻繁に起こり、国民感情が分断した国になってしまった。

アメリカは、なぜ報復行為に出たのか。なぜならば、中東の小国に対して自分たちは軍事的に圧倒的に有利だと思っていたからだ。ところが、最後はアメリカの撤退で終わったのである。

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